日曜美術館「蔵出し! 西洋絵画 傑作15選(3)」

日曜美術館「蔵出し! 西洋絵画 傑作15選(3)」

人間が生み出した名画中の名画「蔵出し!西洋絵画傑作15選」。第3回は近代絵画に革命を起こしたマネの「草上の昼食」から、ルノワール、ゴッホ、ムンク、そしてピカソまで。楽しくなければ絵画じゃない!ルノワール×池波正太郎。没入!ゴッホ×棟方志功×忌野清志郎。不安!ムンク×五木寛之。絵でしか描けないものがある!ピカソ×岡本太郎×北野武×大林宣彦。真実に迫る絵画とは何か?名画に贈る言葉。

【司会】小野正嗣,柴田祐規子

放送:2020年7月19日

 

「蔵出し!西洋絵画傑作15選(3)」

日曜美術館です。

シリーズでお伝えしてきました蔵出し傑作選。いよいよ3回目となりました。

マネから始まりましてピカソまで19世紀の後半から20世紀の傑作を作り上げていきます。

まず最初はマネのこの作品からです。

フランスパリ。

セーヌ川のほとりにあるオルセー美術館に傑作選11作目があります。

なぜか裸の女が正装した男の隣に。

男の虚ろな視線とは対照的に彼女はじっとこちらを見つめています。

その視線中毒性あり。

クロード・マネ草上の昼食。

19世紀半ばに描かれ、画壇や世間から大顰蹙を買った作品です。

その理由はリアルで不謹慎なヌードだから。

男たちの間に足を投げ出す挑発的なポーズ。

画面下にはご丁寧に無造作に脱ぎ捨てた服まで描かれています。

当時賞賛された絵画です。

古代ギリシャの時代から、ヌードは神話の世界でしか描いてはいけないものでした。

海の上で滑らかな肌を見せるヴィーナス。

これが良いヌード。

しかしマネはそんな古代からの常識を覆そうとしたのです。

ヌードを神話から解放し、絵画に革命を起こす。

近代における新しい絵画の始まり。

現実の女性のありのままの姿が赤裸々に描かれています。

何故か彼女を見ずにはいられない。

10年前の日曜美術館。

この人も彼女の視線の虜。

「小学校の時には図書室行って美術の本を見ていた。草上の昼食。アレを見てすぐ閉じて、行けない者を見た。他の美術のヌードとかありますけども、明らかに何かが違う。何か違うかよくわかんないんで次の日もういっかい見た。罪悪感みたいな。また閉じて。それで何か語りかけてるんですよ。今思うとこの女の人は、自分が裸であることをあまりにもそのことは当然すぎて、裸であること自体を知らないんじゃないかな。だから目を逸らすと裸だからそらしたのねっていうことで、なんか余計ややこしくなるから目が離せない」

8年前の番組ではこの人も作品と向き合いました。

写真家のホンマタカシさん。

やはり最初に気になったのは彼女の視線。

「人間の目ってすごく強いんですよね。だからカメラ目線なのか。あのどっか見てんのかっていうのはすごく気になる。絵でいうと三層ぐらいになってんのかな。こここことここと、奥をバラバラに描いてる感じがしますね。今の写真でいうと合成してるような感じ」

では見ていきましょう。

まず手前。向かって左。脱ぎ捨てた衣装と散らばる食べ物。

荒いタッチで描かれた一枚の静物画のよう。

一方、画面中央は正装の男と裸の女という、ありえないシチュエーション。

そして森の奥ではベールをまとう女性が水浴び。

こっちはまるで神話のよう。

えも言われぬアンバランスな世界。

しかしそれこそがマネの巧妙な仕掛けでした。

「例えば綺麗な絵だなと見逃されないで、あれまてよ。あれおかしくないのとか。このコンポジション(構図)あまりにも変でしょみたいな。何で女の人だけ裸なの見たいな。やっぱ見れば見るほどそういう違和感が気になってくるっていうところ。だから見る持続力が長いって言うか、強い感じはすごくしますね。ほんとこの1枚目で推理小説とか書けそう」

次もオルセー美術館の作品。

傑作選12作目はマネの隣の部屋にありました。

ピエール・オーギュスト・ルノワール。

《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》

楽しくなければ絵画じゃない。

着飾ったパリジャン。パリジェンヌが踊ったりおしゃべりしたり。

そのざわめきまでが聞こえてきそう。

みんなの衣装にはやわらかな木漏れ日が注いでいます。

躍動感あふれるタッチは人物の動きまで感じさせてくれます。

満面の笑み。

見ているこちらまで顔がほころびます。

画面の隅では金髪の少女がお母さんとおしゃべり。

何かをねだっているのでしょうか。

揺らめく木漏れ日に包まれた休日の幸せなひととき。

ルノワールはいつもこう言っていました。

「絵画は楽しいものでなければならない」

39年前の日曜美術館ではこの人が語っていました。

今日は鬼平犯科帳などでおなじみの作家の池波正太郎さんです。正太郎さんは若い頃からこのルノアールはお好きだったんですか。

「若い頃は別のゴッホとかドラクロアとかね。年取ってから好きになったのはね。やっぱり生まれたからにはつまんなく日にちを送るのはほんとつまんないと思うんですよ。死ぬときはあっという間。あなた達はねまだ若いからそう思わないけれど。そのことやはり若いうちから考えていればね。毎日毎日がつまんなく過ごすのはつまらない。いざ年取ってからね。私なんか一年の内つまんないと思う火は三日くらいしかない。仕事の苦しみは別だけど、1日でもねなんか楽しみを見つけて。ルノワールもそうじゃないかな。絵さえ書いていればいい。見方によってはね喜劇にもなるし悲劇にもなる。泣くことも笑うことになってしまう」

南フランスの小さな町。

カニュー=シュル=メール。

ルノワールが晩年を過ごした場所です。

ルノワールは重度のリウマチを患い、車椅子の生活を送っていました。

その頃のルノワールの姿です。

リウマチで変形した指に、包帯で筆をくくりつけて描いています。

でもそんな時も、好きな女性の美しさを追い求めていました。

「ルノワールはこんなことを言ってるんですけど。私にとってタブロー(絵画)とは愛らしく楽しく美しいものでなければならない。人生にはうんざりするものがあまりに多いから」

「ルノワールは本当にいろんなものに喜びを感じる描き方で絵を描いたんだと思いますね。うんざりするのは世間のいろんな出来事にうんざりしてんじゃないか。絵を描いている時に、自分の技術が付いていかないことに倦んだりするんでしょうね。本当の芸術に対してね、近頃その理屈を言い過ぎる。説明が多すぎると。本当の芸術品というものは二つあるというんですよ。一つは言葉では言い尽くせないものが本当の芸術。もう一つはですね、他人がやったもんじゃない。他人と違う自分だけのものを生み出すこと。これが芸術品だと。この二つだと。くだくだ理屈を言うことを藝術に対して、見てこれでいいじゃん」

続いては誰もが知っているこの作品です。

その花は西洋では愛の象徴とされてきました。

だからこそ描きました。

狂おしいほどの情熱をもって。

傑作選13作目。フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》

南フランス、アルル。

34歳の時、ゴッホは芸術家たちの理想郷を求めこの地にやってきました。

心奪われたのは、全ては鮮やかに照らす南仏の太陽。

その光を一身に受けて輝いていたのがひまわりでした。

激しいまでに鮮やかな黄色。

盛り上がる絵の具からは目にした輝きを必死で描こうとするゴッホの情熱が飛び出してくるかのよう。

では蔵出しです。

版画家・棟方志功とミュージシャン・忌野清志郎が語っていました。

50年前の番組です。

わだばゴッホになる。

棟方志功が芸術を目指した原点はゴッホでした。

「一番心打たれたのはゴッホでしたね。自分で大事に大事にした原色版ね。それをくれましたよ。それには例の有名なひまわりがね描いてありましたね。そして素材もありました。ゴッホが持っている何かが僕にもあったような気がしますね。で、飛び上がって、わだばゴッホになる。僕のことをワってんですよ。咳するようにゴッホゴッホいって、油絵描きはゴッホだと思っててね。私は油絵描きってのはゴッホになるって言ってきましたよね」

ゴッホに憧れ、画家を目指すもうまくいかず版画家の道へ。

しかしゴッホへの思いは晩年まで消えることはありませんでした。

亡くなる3年前に描いた油絵。

棟方の心に咲き続けたひまわりです。

そしてこの方もゴッホに夢中でした。

16年前の番組です。

「永遠のロックスターみたいなアイドルですよね。これは高校出て3、3カ月して描いたい絵と思うんですけどね。ゴッホっぽいですよね。他のこと何も考えなくなっちゃうような感じの」

「ピアノの譜面乗せるところに、ゴッホの画集を開いて・・・真面目に絵に立ち向かってる感じですかね。絵に没頭している。絵を超えちゃっているような観じ。見る人に勇気を与える。ジミ・ヘンドリックスですよね」

続いてこの方も大変に人気がある画家です。

厳しくも美しい自然に囲まれた北欧ノルウェーの首都オスロ。

ここに誰もが知っているあの一枚の絵があります。

傑作選14作目。19世紀末エドヴァルド・ムンク《叫び》

不安を絵にしたら。

赤も青もうねっています。

そのうねりの中、耳を塞ぐ人物。

身体をくねらせ顔をゆがめています。

ムンクの言葉。

「雲が赤くなった。血のように。私は自然を貫く叫びのようなものを感じた」

ムンクが聞いた叫びとは。

作者ムンクの自画像です。

幼少期に母が、青春時代には姉が、彼を置いてこの世を去りました。

悲しみと死の恐怖に苛まれたムンク。

自身も精神を病んでいたと言います。

そんなムンクは何度も叫びを描きました。

15年以上にわたり画材や手法を変えて執拗なまでに。

中でも最も有名なのが初期のこちらの作品。

発表当時は世間には全く理解されませんでした。

それどころかこんな落書きまでされたのです。

その言葉をどう受け止めたのか。

ムンクはあえて落書きを作品の一部として残しています。

7年前の日曜美術館ではムンクの心情を精神科医の斎藤環さんが分析しました。

「絵を見ていても足場がおぼつかない感じや、どこに重心を置いていいか分からないバランスの危うい感じの構図になってると思うんですけれども」

「もし狂気の只中にいたらこういう風にできなくなってしまう。非常に巧みな絵です。巧みさというのはもちろん、それまで培ってきた技法もあるでしょうし、それから画家としての才能もあるでしょうし、そういったものを十分に発揮させるためにはきちんとした理性は保たれてなくてできない。ちょうど精神のバランスがギリギリのとこだったかもしれませんけれども、保たれていた時期の作品と言えるのかもしれませんね」

彼がこんな言葉を残してまして「不安と病がなければ私は舵を失った船のようなものだ」と。

「自分の病を表現の中で活用していこうという、そういう気持ちがあったと思うんですよね。だからまさにこの言葉はその通り。自分の病の指針として表現していこうという強靭な決意を示していると思いますね」

作家の五木寛之さんは叫びが誕生した背景について語っていました。

「ヨーロッパはキリスト教を中心とする宗教と科学っていうものがバランスを保って発達してきて、宗教って土台があってその上に科学が乗っかって発展してくるわけですね。ところが近代に入って異様なほどの科学の一方的な発達ってのがあって、1800年代の終わり頃っていうのは全部の世界中の人たちが心の底でそういうバランスの崩れた心なき病んだ時代に自分たちは生きているというふうにいたと思うんですね。画家の勝手な芸術家的な幻想を描いたのではなくて、まさに時代そのもののあり方をこの1枚の絵が象徴している」

「絵描きさんの場合にたとえばムンク復活とかブームがありますでしょう。時々波のように盛り上がるってのが。ムンクは基調低音のようにずっと低い音で響き続けて流れ続けているそういうものだと思いますね。これから先もずっとムンクはそういう関心を抱きつつ。我々が心に不安を抱き続けてる限りはね」

スペイン・バスク地方の小さな田舎町。

西洋絵画傑作選。最後の作品はここから生まれました。

1937年。この町を襲ったナチスによる無差別爆撃。

罪のない人々が大勢殺されました。

知らせを受け、筆を握った人がいます。

パブロ・ピカソ。

傑作選15作目《ゲルニカ》

両手を上げ、叫ぶ女がいます。

逃げ出す女。

惨劇がまるで子供の落書きのように描かれています。

ゲルニカへの想いを3人の方が語っていました。

40年前の日曜美術館。

ピカソへの情熱を熱く語る岡本太郎です。

「ピカソ感動してるから、それを乗り越えなければ行けない。感動してますなるほどなんてやっちゃ芸術じゃなくなる」

そして本物のゲルニカと同じ大きさのレプリカを前に話し始めました。

「本当にこの絵を見てあっと思ったですね。閉まっててね大したコンポジションなんですよ。殺されている。悲しんでいる。叫んでいる。馬までが絶望している。その上に電気が点滅している家の中みたいに。実に滑稽ないろんなコンポジションだけど、びゃーっとまとまっている。まるで全然、それはちょっとしたおかしいと思うけど。古典的な感じがするんだけどこのコンポジションは。しかもぴゃっと固まっている。それでディテールを見てるとまるで何とも言えない超モダンな要素がある。これは本当にねぶきみなもんですよ。だから心地よくないですよ。だから素晴らしい。いかにも上手い絵じゃなくて、なんだこれはだから感動的であり。それからこれは少しも綺麗じゃない。しかし綺麗じゃないからこそ美しいんですよ。綺麗というものは方にはめたものが時代に合って綺麗なんだと」

綺麗と美しいはどうちがうのですか

「まるで違います。綺麗というのは時代に合わせたパターンの、その時代のあれに合わせたもんですけど、日本語でを目指していいことは醜悪美。綺麗と言うことと美しいと言うことを混同しているのが一般の常識だから、それを否定している」

ピカソの山を富士山としたら岡本さんは乗り越えるために今何合目辺りまでいらしてますか?

「僕は乗り越えているつもりでいるけど」

失礼しました。ありがとうございました。

3年前の日曜美術館では北野武さんがゲルニカと向き合いました。

「ゲルニカ。ヤバすごいね。宗教的な絵だよね。単なる抗議する絵ではなくて、善悪の問題と苦しみとか楽しみと悲しみとか、人間社会愚かさとか生き物のはかなさとかみんな入れたような達観したような絵になってる」

「生き物そのものの本質的な姿っていう。生きてることに対する生き物の儚さと愚かさとが皆描いてある」

そして最後に今年4月に亡くなった映画監督の大林宣彦さん。

2年前の番組で学生たちに語りかけました。

「僕は僕の映画を最後に伝えますが、シネマゲルニカと呼んでるんです。ピカソさんですね。発表された頃はこんなもの絵じゃねーぞ。ピカソって何者だというのが世の評価だったんですよ。しかしそれはピカソのフィロソフィーであってね、もしこれをリアルな絵で写真のように再現したらどうでしょう。衝撃的ではありますがもう見たくない。忘れたい。なかったことにしたいということですぐ風化してます。ましてや外国の日本人にとっては遠い国のゲルニカのが焼けちゃったなんて関係もないですよ。そこでピカソはあいう子どものような絵を描いたんです。ピカソの絵ってね、横顔に目が二つあるみたいでしょ。だから今でも小さな子どもですら前に立つと飽きず見てますよ。このおばあちゃんなぜこんなゆがんだ顔してんの。戦争ってものがあったの。そのためにおばあちゃんの息子が殺されたの。そんなものない方がいいやという素直な戦争やだというメッセージが今でも世界中の子どもたちに伝わるんです。だから僕もそれに学んでね、たとえ大人の人たちからそんなものは映画ではないと言われても、横顔に目が二つある映画なんですよ。その方が嘘だけど。まことを伝えてるんですよと。まあ横顔に目が二つあるような映画は儲かったり、ベスト10になったりはしませんよ。しかしそのことを本当に自分の誇りとしてね。生きてきた。後世の人たちにはその思いが伝わって未来をつくる力になる」

ピカソのゲルニカを岡本太郎さん、北野武さんそして大林宣彦さんがそれぞれに語ってくださいます。

「それぞれにね語り口がね独特で。岡本さんが美しいと綺麗は違うんだっておっしゃっていた。理解したのは綺麗っていうのはそれを感じが良くて楽しくて見て見てて何も脅威を感じなくていい気持ちになるって言うな感じのものがきっと綺麗で、美しいというものは、なんか禍々しいものあるいは何か恐ろしいものを秘めてる。フランスの19世紀の詩人のボードレールっていう人が、「美というものは常に奇妙だ」って言う有名な言葉があるんですけども、美しい物っていうのは常に奇妙なものとか得体の知れない物を秘めている。心地はよくないだからこそ素晴らしい」

大林さんは映画監督でフィルムで撮るにもかかわらず顔の中にね目が二つあるような絵だからこそゲルニカの街で起こったことをいろんな人に伝えることができるって言う

「芸術の持つ本質的な役割について大林監督は語られていたんだと思うんですね。つまり現実をありのまま描く。例えば死体が転がってるとかすると人は直視できませんよね。芸術というのは悲惨な現実に触れるための迂回路になってると思うんですよね。フィクションであるから。虚構であるから真実に到達できる。ゲルニカの巨大な絵はね、真実と我々の間にある壁みたいなもんだと。その壁があることからその背後にあるものをよりよく戦争の悲惨さとかね分かると。おそらくシネマゲルニカと大林さんがおっしゃってたのは、大林さんの映画がゲルニカの絵のようにそれは虚構かもしれない。奇妙なその目がある人が出てくるような、それがあることによってその背後にある戦争の悲惨さって言うか、真実に我々を到達させてくれるさんだとおっしゃってないかなって思いました」