日曜美術館「蔵出し! 西洋絵画 の傑作15選(1)」

日曜美術館「蔵出し! 西洋絵画 の傑作15選(1)」

人間が生み出した名画中の名画「蔵出し! 西洋絵画 15選」。第1回はラスコー壁画からモナリザまで。精霊との交信?太古の人間が暗闇の洞窟に描いた驚きのデザインとは?快楽とはかなさ!火山灰の下、ポンペイ壁画に隠された享楽の秘儀とは?中世の職人の最高技術で織られた謎のタピスリー。9頭身のヴィーナス!ボッティチェリが描いた、そっと立つ美しさ。モナリザの微笑とお腹の中へ!永遠の謎に挑んだ映画監督と美術家。

出演/ 原田マハ 井浦新 井上文太 蜷川幸雄 ほか

【司会】小野正嗣,柴田祐規子

放送:2020年7月5日

 

日曜美術館「蔵出し!西洋絵画の傑作15選(1)」

日曜美術館です。シリーズでお送りしています「蔵出し傑作選」

今日からは西洋絵画です。今私たちの後ろに15作品、ずらっと、一度は誰もが見たことある有名どころがずらりと並んでおります。

1回目の今日はこの5作品です。

ラスコー洞窟から始めましてポンペイの壁画、それから《貴婦人と一角獣のタピスリー》。そしてボッティチェリのヴィーナス。最後はモナリザの5作品です。ラスコーの洞窟から参りましょう。

人間が初めて絵を描いた場所。

それは暗闇が支配する洞窟でした。

岩肌に描かれた夥しい数の壁画。

バイソンや鹿、馬などおよそ600点がダイナミックに現されています。

1万7千年前に描かれました。

傑作選ひとつ目。

暗闇から表現は生まれた・ラスコー洞窟の壁画です。

描いたのは旧石器時代のクロマニョン人。

日本ではまだ縄文時代以前です。

彼らは高い技術を持っていました。

一頭の牛に見えるこの絵。

実は手前の赤い雌牛とその奥に角を持った黒い雄牛が重ねて描かれています。

絵に奥行きを持たせているのです。

さらに洞窟という空間を巧みに利用していました。

この馬の前足は岩の角をまたいでいます。

疾走する勢いを表現したと考えられます。

壁画は私たちが抱く旧石器時代の原始人のイメージを覆すものです。

「最初にこのラスコーの空間に入った時に、地上と全く違う別世界に連れてかれたような気がしたんですね。そこでもう一瞬で興奮したんですけど、要するに動物たちが写実的であるようで実はそうでないですね。もちろん色が違うのもそうですし、大きさとかが大きすぎて、大きすぎてるもの小さく描かれてる。

それからデフォルメがあるんですね。天地逆転していたり、見たそのままの世界をクロマニヨン人は描いていない。それがあの空間の中に洞窟のでこぼこした壁のいろんなところに配置されていて圧倒されてしまう。今で言うとクリエイターって言うか、空間クリエイターというか、そういうものを感じますよね」

クロマニョン人はどのように壁画を描いていたのか。

17年前の番組でその技法を研究する考古学者に実験を見せてもらいました。

実験に立ち会った写真家の港千尋さんです。

博士は炭の塊を口に含み、噛んで細かくし唾液と混ぜます。

博士はこれまで世界各地の洞窟壁画を調べてきました。

オーストラリアの先住民アボリジニの手法からヒントを得たのがこの方法です。

手の輪郭だけが浮き出た手型が現れました。

「顔料を吹き付ける技法をプロジェクションと言います。初めて用いたのは旧石器時代の人間だったのです」

「岩の角にバイソンが見える。バイソンの頭が下を向いている」

「描き手がここに光を当てた時、この縁の部分から岩の中に潜んでいたバイソンが浮かび上がるのです」

指で顔料を直接岩肌に塗りつけます。

岩に潜んでいたバイソン。

このようにして姿を浮かび上がらせたのでしょうか。

「初めてここで分かったのは、闇の、完全な闇の中に見えない形で何かが潜在してると。その潜在してるものに命を与えるのが光であると。光を近づけたときに初めて形がフォルムが生まれ出ると。これは彼の描くというよりはそれ以前の行為ですよね」

彼らは何のために絵を描いたのか。

ある考古学者は、描かれているのが大型動物だけであることに注目しました。

植物や昆虫。人の暮らしなどは描かれていません。

洞窟壁画は日常の世界を描いたのではないと解釈したのです。

「私はこれらの壁画は超自然的な力とのコミュニケーションの方法だったと考えています。当時は人間は動物の海に溺れていました。人間にとって動物は偉大な存在でした。この世界を支配していたのは動物の方だったのです。小さな存在の人間はこの世界を生き抜くために人間を超える何者かの力が必要でした。彼らは大型動物に超自然的な力が備わっていると信じていました。動物の精霊が洞窟の中に潜み、出てこようとしている。絵を描くことを通して精霊とのコンタクトを図り、その力を手に入れようとしたのです」

「どうしても芸術という言葉を使えなくなってくんですね。芸でもなく、術でもない。芸ゆ術が生まれる以前の、もっともっと大切なものの表現ですよね。でもその大切なものを表す言葉はもう僕ら持ってないと言うか」

洞窟の奥深くの壁画は、およそ1万年前を境に描かれなくなりました。

気候変動によりマンモスやトナカイは北方へ移動していきました。

やがて牧畜を始めた人類は、自らを動物を超えた存在だと考えるようになったのでしょうか。

偉大な力が潜む洞窟の暗闇は次第に忘れられて行きました。

1万7千年前になぜ、そしてどうやってあのような絵を描いたのか。

「誰が見るんですかね。真っ暗闇ですよ。壁に描いてるとしてもね。誰かに見せるために描いているとは思えない。我々は、それから1万7千年後の我々はこれが見られるために描かれてるんだって言ってそれを鑑賞する事しますけど、そういう用途では描かれてないですよね。だけど太古の人たちが、洞窟の中に入ればその闇の中に常にあの獣たちの気配があるわけですよね。光をかざせば姿が浮かびあがる。その時は人間だって誰にも見えないわけじゃないか。人間も一緒にその闇の中に溶け込んでいる。絵と一体化しているといえるかもしれませんね」

表現って何のためにするんだろうっていう根本的な事を考えさせられますよね。

「描かずにはいられないものがその人達の中にあったということですね。興味深いのは口を使って塗料を、息というものは生命です。呼吸を使って吹きかけている。岩の中にあったかもしれない生命を呼び戻す」

考えるほど不思議がいっぱいです。

イタリア南部ベスビオ火山のふもと。

18世紀厚さ5メートルを超す火山灰の下から古代ローマ時代の街ポンペイが丸ごと発掘されました。

西暦79年。火山の大噴火により1万2千人の命が一瞬にして奪われたのです。

繁栄の絶頂を極めたローマ帝国。

農業や貿易で栄えた市民の暮らしがまるで時が止まったかのように残されています。

町の居酒屋跡にはこんな落書きが。

遺跡の中でも最も色濃くローマ帝国の繁栄を伝える壁画があります。

傑作選二つ目はポンペイの壁画《ディオニュソスの秘儀》

2000年の時を経ても色あせることのない鮮烈な赤。

その深みはポンペイレッドと呼ばれます。

人物は全て等身大。

秘技そうと呼ばれる部屋を囲む様に描かれています。

よく見ると、皆何かに夢中。

どこか異様な雰囲気が漂っています。

壁画は当時のポンペイで流行した酒の神・ディオニュソスを祀る秘密の宗教儀式を描いたもの。

裕福な市民たちはこの場で恍惚状態に至るまで陶酔と享楽に身を委ねていたと考えられます。

黒い翼を生やした女性がうずくまる信者をムチで打とうとしています。

激しい痛みと狂乱の先に魂の浄化があると信じられていました。

ポンペイ遺跡の発掘調査に深く携わってきた青柳正規さん。

秘儀荘の壁画はキリスト教が支配する以前の古代ローマに花開いた独自の信仰を伝えるといいます。

「余裕が出てきた上流階級の人たち。余裕経済的余裕のある人たちはある意味で自分たちだけの文化を持ちたがって、他の人達と区別差別をして行こうと。そういう中でディオニュソスを祀る秘密の宗教を作り上げていくわけですね。贅沢と言うかラグジュアリーの語源はルクスーリア(色欲)といいますけども、ルクスーリアがあそこに反映してると思いますね」

火山灰の下から現代に蘇った奇跡の壁画。

古代ローマが極めた繁栄と、一瞬にして消えた文明の儚さを伝えています。

古代ローマ時代からおよそ1500年傑作選三つ目はパリからです。

キリスト教がヨーロッパを支配した中世。

その時代に生まれた至宝がここに残されています。

それは当時の職人たちの最高の技術によって編まれた精巧なミステリー。

6枚一組の織物。

《貴婦人と一角獣》です。

早速見てきましょう。こちらです。

ちょっとまだ大きさに驚いていますね。圧倒されます。

とても500年経ってるとは思えません。

やはり近くで見るとしっかり織物として織り目が見えてきたりとか、織っているからこそ出来るちょっとしたボカシだったりとか、着物の柄ドレープだったり、今現代だったらばそれを機械でできるかもしれないですけど、当時これを手作業で。工芸品としてもすごいですよね。

空想上の動物一角獣と宝石など豪華な装飾品で着飾った貴婦人。

この一角獣と貴婦人はそれぞれキリストと聖母マリアの偶像として描かれました。

もう一つこの絵には人間の身体感覚が隠されています。

それは5感です。

例えば味わう感覚・味覚。

聞き取る感覚・聴覚。

さらに視覚、嗅覚、そして触覚を合わせた五つです。

では6枚目には何が描かれているのか。

他の5枚にはない特徴がありました

なぜか他の全ての絵で貴婦人が身に付けていた装飾品が外され、その手が宝石箱にかけられています。

そして6枚目だけに書かれた文字。

モンスールデジール・我が唯一の望み。

最も謎に包まれていると言われている我が唯一の望み。何を表してるって思います。

直感ですぐに言うとすれば、神という存在が真ん中にいて宗教的なモチーフが見えてくるなと。

実は私は愛という言葉が込められているんじゃないかと考えています。

例えばこのテントに書いてある我が唯一の望みということは指輪に刻まれていたりすることは我が唯一の望み望みというのは恋人である女性のことと理解できる。

謎をめぐって二つの説が唱えられてきました。

キリスト教で五感を統制する第六感。理性と読む説と、木俣さんの愛の解釈を含めた欲望と読む説です。

意見が真っ二つに別れるのは貴婦人が手を伸ばす宝石箱の解釈について。

理性説では自らを律するために続的な宝石を手放そうとするところと読みます。

一方欲望説は宝石の送り主である男性の想いを受け入れ身につけようとしていると解釈するのです。

この一枚が500年もの間作品全体を謎で包んできました。

今も見る人を惑わせ続けています。

「私の唯一の望みって欲望だから、女性が何を望まれてるのかってことは全くわからないですよね」

愛がテーマって言われてみたらね、デザイヤという意味なんですか。

「そういうことですね。絵自体は迫力があって、貴婦人があまり幸せそうではありませんが、ユニコーンはいい表情。動物の表情に目が行きました」もう一つ

最初にご紹介したポンペイの秘技荘はた凄い絵なんですね。

「閉じられた空間の中で享楽を通じて忘我の境地に達していた人たちが火山の噴火によって一瞬にして全てが失われる。もしかしたらそれもディオニソスの秘技という観点からすると信仰してた人達にとっては望んでたことかもしれませんね」

ルネサンス発祥の地フィレンツェ。

9年前の番組でこの地を訪れたのは日本画やキャラクターデザインなど様々な分野で活躍する画家の井上文太さんです。

井上さんがずっと憧れてきたという一枚の傑作と対面します。

「何か空気感が仏画みたい。絵画って感じがしない。風の吹き方が結構優しいでしょ。つつまれるみたいな。この美しいっていうのでしょうね。すごいなあ」

傑作選四つ目は人間を超越した肉体美。

サンドロボッティチェリが描いた《ヴィーナスの誕生》です。

大きな貝殻の上に纏わぬ姿で立つのは生まれたばかりのビーナス。

西風の神と大地の女神が息を吹きかけ、ヴィーナスを愛の島・シテール島へと運びます。

反対側で待っているのは季節の神。

長い髪を風になびかせるヴィーナスに衣を着せようとしています。

たおやかな肉体美と優雅さを併せ持つヴィーナス。

その美しさにはどんな秘密があるのでしょう。

15世紀末のイタリア。

中世が終わり、新たな芸術ルネサンスが始まっていました。

神を荘厳に描く時代から人間らしさを求める時代へ。

その中でボッティチェリは中世では描かれることのなかった裸の女神を表現しようと挑みます。

画家の井上さんはヴィーナスの美しさには独特の立ち姿が関係していると考えました。

「この傾きがね、結構僕のイメージで作ると横から見たらめちゃくちゃ倒れそうなのです。ビーナスですもんね。僕の想像ですけど、立たしちゃいけないていう感じで描いた気がするんですよね。あのビーナスなのでたぶん重力を感じさせない風に、立つとか地面に地をつけるって言うのって結構人間的っていうか俗世界的じゃないですか。飛ぶよりも貝の上にそっと乗れるっていう方が美しいと思うんですよ」

人間の姿でありながら人間を超越したヴィーナス。

ボッティチェリが探求した理想の美の姿です。

37年前の日曜美術館でこの作品への思いを語る人がいました。

演出家の蜷川幸雄さんです。

「僕はこの絵をずっと長い間、20年近くのヴィーナス誕生は自分の部屋にかけたり、今は居間にかかってるんですが、もちろん複製ですが、ずっと眺め続けて、あそこん中にバラの花があるんですが、そういうものはね自分で自然に落下させてんですね。逆に誕生を表しながらこれは終末じゃないかっていう、ある不吉な終末。すごい感じがするんですね。生々しくない。常にあのあの花は等身大の、実物と同じ大きさの花なんだそうですが、そういう模造品って言うんですかね、違う技術で自然のものを再生する力の凄さ、そういうものが積み重なっていったときに現実をもう一つ違世界にしてしまう。その辺の力に圧倒されたんじゃないかってに思いました。僕は今最近大きな劇場でやってますから本当の沢庵やサンマだとかを置いても本当の沢庵サンマに見えないわけですね。そうすると模造品をきっちり作った方がはるかに本物に見える。現実をもう1回再構成する技術と捕まえ直すことのできる観念みたいな、そのことは自分で力を注ぐような気がするんですが、そういう模造品を積み重ねながら、現実の猥雑な世界に拮抗したい。大勢の人間たちを出しながら人々の心を誘ってしまう。本当はそれがやりたいために他の部分が猥雑であったり、エネルギッシュであったりするんですが、なかなかそうは取られませんが、本当はそういうボッチチェリの絵が語りかけるような一筋の叙情を描きたいって思ってます」

五つ目の傑作は万能の天才レオナルド・ダヴィンチが描いたあの女性。

永遠の謎それこそが美。

モナリザです。

この小さな肖像画にレオナルドは晩年10年以上の歳月を捧げました。

肖像画でありながら一切の装飾品も身に付けず、髪を下しこちらを真っ直ぐに見つめる女性。

今に至るまでそのモデルすら確定していません。

背景に浮かぶ荒涼とした世界。

それは現実のものなのか。

はたまた想像なのか。

手がかりとなるものをレオナルドは何も残していません。

500年もの間。

モナリザは、ただかすかな微笑みを浮かべ見るものに謎を投げかけてきました。

映画監督の篠田正浩さんもモナリザの謎に囚われた一人。

「背景に書かれてある絵がものすごく気になったんですね。映画でいつもカメラ構えている。すると、岸恵子さんのアップを取るとか、岩下志麻さんのアップを撮るとか色々やりますね。後ろの背景との関係。背景と前景の組み合わせによってね、一つの表情がいろんな意味合いに取れてくる。モナリザは謎の微笑をたたえていてると言ってるけど、この背景取っ払ったら、実は笑ってなかったかもしれないと。僕はこの持ってる効果って、子どもの時見たキングコングを思い出すんですね。エンパイアステートビルによじ登って、キングコングが飛行機を捕まえたしか、実はレオナルド・ダヴィンチはモナリザという絵画でキングコングとニューヨークという組み合わせと、ある意味では原理的には共通してるね。人類以前。古代と現代。それをね同じ画面で描いてる。前景と後景の合成ということによってね新世界が作ることはできる。キングコング、モナリザ。そして現在の特撮映画までね、実は一直線に繋がってる」

23年前に放送された日曜美術館。

自らがモナリザとなって、絵の中に入ることでその魅力の秘密に迫ると試みた人がいます。

美術家の森村泰昌さんです。

「一番困ったことがありました。それは手なんですよね。もしこのモナリザの原画と同じような手のポーズをしようとすればどんな感じになるかというとこんな感じなんですよ。これでなんとなく近いと思うんですね。

だけどそうすると、奥の肩をぐっと前に出さないといけない。前に出しますから顔もまたぐっと前に来ちゃうのでものすごくしんどいポーズを取らないと手はできないということなんですね。だけど原画のモナリザはものすごくリラックスしてそういうことやってるんですね」

モナリザは何を秘めているのか。

森村さんは科学者でもあるレオナルドが残した人体の解剖図に注目しました。

人間の体の成り立ちを知るために解剖を繰り返したレオナルド。

特に惹きつけられたのが生命誕生の神秘でした。

モナリザの衣服の下に、森村さんは新たな生命を創造しました。

「子供を宿している。肉体を持っていると。自分自身が自分自身をはらんでいるっていう感じ。なんか表現ってのはそういうことなのかもしれないなという気持ちもあります」

見るものが謎を見つけ無限に空想を広げられ絵の豊かさ。

それこそがモナリザが我々を惹きつける理由だと森村さんは気づいたのです。

「自分にとっては全ての既成の価値観をひっくり返すようなものだと思いましたね。その絵がおなかの中に子どもを孕んだ人の像であったかどうかも分からないけれど、だけどそういう風に言われてみれば、なるほどそうかもしれないっていう風に感じさせる部分というのが秘められてるんですよね。その秘められた部分に視線視点を移してその絵を見た時に、ものすごくその絵がリアリティをはらんでくるんですよ。イマジネーションの世界の中で広がっていく方ね。もっともっと考えていくと、全然違った美術の歴史とかそれから文化観とか、そんなのがモナリザを出発点として生まれてくるんじゃないだろうかっていう風に思ってます」

ボッチチェリの方ですけどもヴィーナスで神の姿を人間に似せて描く。でも実は立たせちゃいけない。井上文太さん。重力から解き放たれてるって言うと人間を超越したものであるって言うことが、人間の姿をしているが人間を超越しているもんだって言う。素晴らしい絵画っていうのはこれだけ作品が生まれてから時間がたってるにも関わらずいくらでもみんなが語る事が出来る。篠田さんはモナリザっていう人物と外側の世界の関係について思いを巡らすことができる。森村さんはその内部に思いを馳せてご自身の作品を作り出す。いくらでもそこから新しい言葉とか新しい作品っていうのをマトリックスって言うか母体っていうかそういうものとしてね作品があると思うんですよね」

今日はラスコーの洞窟からスタートしてモナリザまでの五つの作品を見ましたけれどもどの絵にも分からないことがあるということですよね。

「ラスコーって洞窟じゃないですか。真っ暗闇の洞窟。女性の母体っていうものを想起させる。今日モナリザで興味深いことに、森村さんはモナリザの中に胎児っていうかその内部のモナリザの中の子宮的な空間というものを想像してそこから作品が生まれる。洞窟から始まって人間の外側にある洞窟から始まって、我々の内側にある洞窟の中で話が終わった。洞窟はその闇は繋がっている。1万7千年前からルネサンスに至るまで、洞窟が地下通路のように繋がって結びつけている。分からないということを心地よくしてくるってのはその美術芸術の力じゃないす。正解が無くてもいい」

次回の5作品はボスから始まってカラバッチョ、レンブラント、フェルメール、そしてゴヤという5作品となります。

是非次回もお楽しみに。