
フランス人研究者が「風の谷のナウシカ」の世界!と絶賛する庭とは?!▽嵐の写真集などで人気の写真家・藤代冥砂さんの“推し庭”▽巨匠・重森三玲が手がけた空前絶後の「枯山水」▽世界で活躍する禅僧・枡野俊明さんが説く「庭との向き合い方」▽京都の老舗料亭で料理と味わう「茶庭」▽京町家で継承されてきた「坪庭」と伝統行事▽近隣住民を繋げる個人宅の庭▽子どもの五感を育てる「園庭」▽草刈正雄邸には“庭師”橋爪功が!
初回放送日: 2022年2月22日
美の壺スペシャル 「庭園」
伝統が息づく日本の庭園。
四季折々、様々な魅力を見せてくれます。
じっと向き合う庭もあれば、歩きながら味わう庭もあります。
そんな庭園を美の壺が大特集。
フランス人研究者が最も魅了された庭は。
風の谷のナウシカ。
「この美しい世界に見惚れてしまうんですけども、自分も庭と同化してしまうような。それを無鄰菴で経験して」
人気写真家が惚れ込んだのは岩肌がむき出しの荒々しい庭。
「深呼吸したくなるような雰囲気良さそうな」
昭和を代表する庭造りの巨匠・重森三玲がめざした世界。
「常にね永遠のモダンっていうものを作り出すことが芸術じゃないかって」
重森が生み出した画期的な庭とは。
京都の暮らしに息づく京町家の坪庭。
「いろんな行事があるんですよ。その行事もこの庭で町屋の中で庭を見ながら行われる」
庭を眺めながら味わう季節の料理も。
木村多江もミニチュアの庭づくりに挑戦。
庭園デザイナーの枡野俊明さんに庭づくりの極意を教わります。
もちろん家の庭も登場。
こちらの庭にはご近所さんみんなが集まる様々な仕掛けが。
そして子供達が活発に遊ぶ庭・園庭。
心も体も育む書き的な取り組みとは。
今回は時間を拡大してお届けするの壺スペシャル。
屋外の総合芸術にはに秘められた美を堪能しましょう。
非日常
今から8年前。ある本が庭好きの間で話題になりました。
縁側から庭へ。

フランス人研究者の庭との出会いや思い出が綴られています。
「発表で悩んでこととか言いたいことがあれば・・・」
著者はマレス・エマニュエルさん。
20年近く日本の建築や庭園の歴史を研究しています。
学生時代京都に留学。
大学での作庭の実習や庭師の下でのアルバイトを経験する中で庭の見方を学びました。
そんなマレスさんに一番好きな庭を聞いてみるとある漫画を取り出しました。
風の谷のナウシカです。

舞台は腐海と呼ばれる森に覆われた世界。
未来の生態系の中で人と自然が強制する道をさがす少女ナウシカの物語です。
「ナウシカが腐海の中に入って王蠱の抜け殻を見つけるんですけど、綺麗だなって言ってたそこで感動するんですね。単に見とれてしまう。この美しい世界に見惚れてしまうんですけども、突然何か声が聞こえてくる。この声がなんなんだって。これは人間の言葉じゃない。心に聞こえてくる叫びっていうところが彼女も森と一体化しているという感覚を思い出してこれがナウシカの感覚なんだって。それを無りん庵で経験をして自分も庭とは自然と同化してしまうような感覚を覚えた。中山無鄰菴が初めてだったので私にとってやっぱり無鄰菴は非常に特別な場所」
ナウシカで感じた自然とのそれを経験できる庭とはどんな庭なんでしょう。
それがこちら。
元々は19世紀後半に建てられた別荘でした。
「こうして前に進んで行くと、家の前を通って小さな飛び石がずっと続くんですけど、ここに大きな石があって、これを伽藍石と言うんですけども、ここに佇むと目線も前に。奥にある山と手前の明るいあのこの景色を作ることによってなので、どっちかってと奥行き感を作り出して非常に開放感を感じさせるような作りです」
こちらが無鄰菴の誇る庭園です。

別荘の主は明治から大正にかけて活躍した政治家山縣有朋。
庭園に対しても並々ならぬこだわりを持っていました。
山縣は庭を作る際ある注文をしました。
この庭園の主山というのはこの前に青くそびえる東山である。
その注文を受けたのは近代庭園の祖といわれる作庭家七代目小川治兵衛。
治兵衛は東山を主体にしながら細部に至るまで緻密な仕掛けを施しました。
「この流れのところを沢飛石と言って、水の中に飛び石を配置して渡るようになっているので、渡る人はやっぱり足元を見てその流れてくる水意識してこう見ることになる。もちろん水も綺麗なんで非常に綺麗な景色にはなるんだけども流れの中にたくさんの小さな石が配置されて、それによってその水のことが楽しめるんですよ」
庭を奥へ進むとその表情が変わります。
開けた芝生の先に背の高い木々が現れました。
地面には一面の苔。
「いろんな種類があるんですけども、今ちょうど木漏れ日が入ってきてるあの雰囲気がものすごく綺麗です」
さらに奥に進むと木々が作り出す影によってやや暗くなります。
「ここね。ここの庭の一番奥の所になるんですけども、重く大きな石を使ってすごい立派な滝。山の奥のようなあの雰囲気を作り出して今非常に力強い滝があって、そこにシダとかもあちこちにはえてきて、なんかもうすごい自然な感じになって山奥に入ってきた」
滝の音が周りの雑音をかき消し、まるで東山へ分け入ったかのような気分が味わえます。
水は琵琶湖疏水の水を引き込んでいます。
それをサイフォンの原理で木の上まで持ち上げ小川を再現しました。
この庭を訪れた時の不思議な感覚。
ナウシカのようにそこに生きる植物や生き物すべてと一緒になる幸せな気持ちが忘れられないとマレスさんは言います。
「なんかここの庭が問いかけてくるって言うか、自分がそこと一体化してしまったような感覚。ちょっと不思議な感覚なんですけども、それそのそれをずっと大事にしていきたいなと思っています。研究すればするほどいろんなことが分かるんだけども、その庭の本当の魅力っていうのはやっぱりこうやって体ごと感じてみないとまあ面白くないです」
今日一つ目のツボは、体で感じる
体で感じる
佐藤栞里写真家の藤城メイサさん。
嵐をはじめ俳優やアイドルの写真集を数多く手がけてきた人気カメラマンです。
神奈川県鎌倉市。
実は藤しろ自分がちっちゃい頃からお寺とか神社とかに行くのはなんとなく好き
でもそこにはまぁ鬼は外ありますよね
商店街から一歩入るとそこがちょっと異空間になってたりするっていう異空間
異世界へのなんか憧れみたいなものを庭に感じていたんだと思いますが
ちっちゃい全国各地で様々な庭を見てきた藤代さん
中でも大好きだという庭の作者がいます。
夢窓国師そう黒子とは鎌倉から南北朝時代に活躍した夢窓疎石の方
戦争として足利高氏や後醍醐天皇など時の権力者から尊敬を集める一方多くの名店を生み出しました
京都天龍寺を始め苔寺として知られる西芳寺など
後に世界遺産となる点を多く手がけました
無双繋がりで結構降りましたね。天龍寺も有名なんですけどもこっちの方が好きですね
訪ねたのは晴天寺。
鎌倉時代末期に創建された
こっからが本番って感じですかね。やっぱりいいですね
瑞泉寺庭園身を引くのは岩盤に彫られた大きな穴
平地が少なく山がすぐそばまで迫る鎌倉ならではの知見を活かしました。
戦争にとって庭は修行の場。
祠で座禅を組む池に映る月を見て瞑想したといいます。
このやっぱり地形を生かして人ってどうしても自然に対して精子が血っていうのがあるよね
制服しがちなんすけどもまこれをしっかり生かしてとにかくせいしてないっていうのが
やっぱりすごく日本を感じますね。何か深呼吸したくなるような風景ですね。
貴子で早速藤代さんカメラを構えますが
わーすごい他の鳥にも光が立ってますね。株なんですかね
過去じゃなくてもありそうな庭に来るとなんかいろんな様子がすごくあって
枯れ葉が水に浮かんでる要素とかいろんなのがあってこの曲なんですけども
その枯葉のに自分が入っちゃう枯葉に自分がなった時にこの浮いてる感じはどう感じるんだろうとか
あの水が落ちる自分の水に入っちゃうんですよね
でみずはこの岩肌を同感して落下して、靖国ぽちょんと貯まるのかっていうのを感じながらで
風邪になるとかいろんな要するになりきろうと自然にスイッチが入るんで
庭に来ると本当に空間もできるし人との距離もできるし、そうやって孤独を感じて自分にとって豊かな時間というのは一人になる時間なんですよね。あの一人を感じれる時間って言うかで自分も写真とってていろんな外界横を切り取っていくわけなんですけど、その作業の中でやっぱり逆に対象として自分を感じるんですよ
それはまあ原点。孤独にタイマーをさんじて明日本当に元気になれますね
そういう場所かなと思います。
心を通わせる庭を味わうとっておきの方法で急にいらしても困るんですが
何だってことじゃないんですけど
ただあのあるからしようかなって思ったりと
ワイヤの石灯籠があったりして全く統一感がないなと思って
ちょっと
やめてください
よまかして送って
これは
日本における庭の歴史を辿ると、古くは日本書紀までさかのぼります。
蘇我馬子が庭に池を掘り中之島を築いたこれが本格的な日本庭園の始まりと言われます。
平安時代になると貴族の邸宅に市を中心とした庭を作られました。
これをてん式庭園といいね京都大覚寺にあるこの庭はもとは嵯峨天皇の住まいのために作られました。
平安初期の姿を今に伝えて今庭では貴族たちが同僚や月見の宴船旅など行いました。
しかし平安中期になる飢饉疫病が広がります。
貴族達は阿弥陀如来にすがり、死後極楽浄土に行けることを願いました。
そのために作られたのが宇治平等院鳳凰堂に代表される庭の形式。
浄土式庭園です。
貴族達は極楽浄土を島田と考えそれを庭に表現したので
その後庭は日本独自の発展を遂げます。
前の思想を強く受けて生まれた彼さん庭に用いるのは異質な植物はほんの申し訳程度
白砂に描かれた模様が水を自然
石が大地を表す見立て
の局地で
今はその時代
その時代の文化や思想を取り入れ変化を遂げてきたので
今でも時代風つつ新たな庭が生まれています
京都市の北岩倉にある実相院文字鎌倉時代に創建され800年の歴史を持ちます。
ここに七年前新しく作られた枯山水の庭があります。
心のお庭と名付けられます。
枯山水の様式をとりながらもどこか現代的な雰囲気も感じさせるデザインです。
庭を作ったのは小川勝章さん
無理やの庭園を手掛けた七代目小川治兵衛を先祖に持つ策定
少し新たな枯山水のご点をできない岐阜に考えまして
あの立体的なお庭にならないだろうかと
立体的な枯山水にならないとのことどころかのちょうどその時に
東北の方で大変な
震災が起こったという時期と重なりました
白い砂を敷くということは海や波を見立てることに相成ります
はそれが本当にあのふさわしいことなのか
控えるべきことなのかということをいいえ考えておりました
電話合算は枯山水を作るにあたり激安なだけでなく
木製のオブジェも作りました
岩の鮭となる
冷えの山々へと繋がるやまなみにも見立てられるようにしたので
一方医師にも徹底的にこだわります
例えば庭の中で最も目立つこの石
おばあさんは日々ひたすらに向き合いました
9月あげてましてどちらが良いお花の中の後告る余暇の私
困った時に椅子の横
に座って一緒にご飯食べてちょっと相談があるんですか
とてもあなたは魅力的なんだけど
どうした後の魅力って皆さんに伝わるんでしょうか
ちょっと教えてもらえないですかね
他にもあのお昼を過ぎて作業を始めるんですけども
まぁいつも言わそれまでにはない姿に
講師が自ら放棄上がってきてくださいまし教えてくれるように座っ
てくれたのがもしあの場所でございまし
た
庭づくりには一般の人も参加しました
庭は人が関わることで書け付く人と庭の距離が縮まるように
戸川さんの企画のべにひゃく人以上が参加しました
様々な人の手で植えられたその表面は一様ではなく
凸凹しているところもあります
それが温かみのあるこの庭の構成になっていると
小川さんは考えました
前の尊さがお伝えできるかと共すれば
雨には濡れたくないうちにも汚れたくないと
地下道を通ればもう傘もささずに
雨の日も目的地まで行ってしまうようなような花でございます
を言った日本に住んで相撲させて頂いて
私たちが先人が大事にしてきた表現を
この時代に合わせて
そもそもの大事な自然を伝えできるかと考えており
二つ目のツボは嫌い
を映し心を伝え
京都東福寺
ここに庭の概念を一変させたといわれる庭園があります
一番有名なのがこちら
四角い痛い人
スギゴケが織りなす市松模様
寺で使われなくなった
色紙を再利用できないかとの要望に応えながら
大胆なデザインで構成されています
奥に行くほど低い木が
まばらになるお菓子という絵画の技法が取り入れられています
南の庭には巨大な岩組が不老不死の仙人の住む島を表す
枯山水東庭では
石の円柱を空に浮かぶ星と見立て
北斗七星を表現しました
手掛けたのは昭和を代表する作庭家重森三玲です
大阪岸和田市ここに綺麗なごじゅー代
の時に作った対策があり
ます
岸和田城の天守閣の前に広がる巨大な枯山水
難波天守閣に登ってみると不思議な幾何学模様になっています
庭の名ははちじのには美麗は昭和28年
岸和田市からの依頼を受けて作りまし
た
この庭に見れはどんな意図を込めたのでしょうか
リレーの孫で作庭家の重盛さおさんです
中国の諸葛孔明が考えたあのはち人の兵法きますね
でちょうどまあ戦争が終わった後でした
これから母にもああいう色と過ち繰り返しちゃいけないっていう
そういう間思えば強かったので
はちじにおはようっていうのは守りの方なんですね
ですからあのこれからやっぱりそういう
風に自分から戦いを仕掛けて行くんじゃなくて
自分達は自分たちで守るって
やっぱそういうあの気持ちをやったことまとめたのがまずあります
体のデザインは
中世の城郭の縄張り図をアレンジ対象を表す
岩組を中心にとら店蛇蜘蛛りゅうかセトリが配されています
地上からはさんびゃくろくじゅード
どの角度からも鑑賞できるように設計されました
さらにそれぞれの曰く
ミニモ美玲ならではのこだわりがあるといいます
例えばてんを表現したこちらの岩組上方向に向かってって言って
その力を石にたくさんないすね
それで言って
あのただ僕のこの腕がもししてたとしたら
こういう風にこれ声の立石ね
それを向陽小横にすると
それを超えしてそれを今度にすると覚醒してこれ全部の力
の方向が違うんですよ
ここのあれはねバイトのはですからでも全部立石ですし
しかもあの一番濃い中心となる最もコストの高い子なんですけど
春馬これ悪くて立っちゃうろうそくみたいなやつだと思ってね
悪い形だなと思うんですけど
それまで言われその子牛高値すぼまってくる
ような石っていうのはかっこ悪いとかね
あの空から方がいいとかって
何で解散することここ言われてたあのね
形って上昇志向っていうかそういうような感じに見えてくるので
次なるその新しい一本を表現方法として
どうすればいいのかっていうのは意外とこの天六の
ねあの岩組だけでもおもろね
あの全部を具体化されてなってるのありますよね
さっき入ってるのではと言うと
三春交流ってのはこう
天空で体をくねらせながら運転空港待って食って
そういうのはあの姿なんてあの竜の頭ってか横に寝かせた
寝かせてちょっと必ず方向に向かってってよ
あの美味しかった聞いてるので
立石が逆にあのは脇役になってるって
そうゆうこ面白さ
全国よんひゃくヶ所以上の庭園を測量し図面を作成した重森三玲
その経験が様々な岩組のデザインを可能にしました
実はこの庭を作るにあたり
みれいは後の時代までも見据えていたと言われています
それを証明するのが上から見るという仕掛けで
第二世界対戦の時に飛行機がすごく発達して
これからも必ず人整理をされるだろう
そこに目をつけてそうするとこの岸和田のここにね
あの前から見た時に家なんだ
面白い形で割ってもすぐわかるのは予選ラウンドませんが
やっぱそういうものを体の世界で表しても
ものすごくやっぱ進歩的な考え方だったんじゃ
進歩的な感性で
庭園を作り続けた
重森三玲生前の言葉が残る貴重な映像がありますが
とにかく一生懸命になっているというものを作り出しておけば
屋根の人々が鑑賞できるというもんだが
そこに出てくるからだから
僕は常にメールのボタンというものを作り出すことが原因じゃ
ないかという風な考え方
そういうものを作るべく精進してるわけなんだよ
いちという永遠に残るものを巧みに使い
誰も見たことがないデザインで永遠のモダンを
後世に残したので
白いハサミさばきでしたね
名鉄できる逆立ちしたって眠ってたってできるに興味はある
ちょっと女神になりたいなるよ
そこまではいいですからよ
日本
じゃ
ねえ
ぞ
ピナツボスペシャル
今日は木村多江お気に入りの庭に行ってきました
東京文京区にある六義園
ここは私が何回も通った丁寧なんです
高校生の時に祖父と母とさん人で来て
それからなんかちょっと気分転換したいときとか面白かったね
あかんやんかとう抜けると
こんなところがあるなんて知らない方は多いんじゃないかしらね
江戸時代前期せんななひゃくに
年にいち年の歳月をかけて作られた六義園
関東大震災や戦争などの被害も大きく受ける事無く
当時の面影を残しています
私達よりも大先輩でね
何年もここにいていろんな人を見てきたのかなあと思うとね
ではまたその歴史上の登場人物達も
もしかしてここ歩いて悩んだりでは
これからどうやっていこうかとかねなんか思ってたかもしれない
変わったちょっと面白いですよね
この橋は渡月橋と呼ばれます
大きな御影石を二つ組み合わせて作られていま
か
な庭を作ったのは
徳川古代将軍綱吉に寵愛された側用人柳沢吉保江戸時代
江戸には陸幻のような庭園が数多く存在しました
将軍の御成に備え大名たちが自分好みの豪華な庭を作ったのです
それが大名庭園です
浜離宮恩賜庭園徳川将軍家の庭で巨大な池は
海水を取り入れて使う潮入の池と言います
小石川後楽園は黄門様で有名な徳川光国が作ったには
光国が好んだ中国文化の影響が随所に見られます
おはようございます
六義園を作った柳沢吉保は
どんな思いでこの庭を設計したのでしょう
六義園を管理する輝い紳助さんに聞いてみました
柳沢吉保が和歌を基調とするお庭を作りまして
ま回遊式築山泉水という形の馬を作りました
ちょうどあちらに橋が架かっておりまして
端から神渡りますと中島という景色になります
で実際に和歌山県和歌山の裏のところにですねえー
こちらの同じように妹背山という山があります
妹背とは男女や夫婦のこと左側が鋳物山右側が背の山です
中央に立つ大きな石は玉沢さと呼ばれ
男女の仲を隔てる笹を表現しています
和歌が詠まれておりまして
妹背山中に老いたる霊ざさのひとよの隔て
さもぞ刺激という歌になっております
妹背というのが男女ですので
男女がえー一番会えなくて寂しいという気持ちを表しております
でまあ会えないんですけど
会えない時間でこう愛を育んでいくっていうような
まあまあちょっとですね
えーと昔のその大名庭園というのが
まテマパクとよく言われるんですけれども六義園
の場合は和歌のテマパクということになります
園内で一番高い藤代峠にやってきました
標高三十五メートルの人工的に作られた山です
いいところに来ました
ああ気持ちいいですね
ここからは江戸城や将軍家の菩提寺
寛永寺などが一望できたと言われます
多分当時はね
関東平野で平らなところにこうやって山つくって
ちょっと山に登った気分になったりね
こうやっぱり下から見てるのと上から見て世界を見るじゃん
物事の見え方が違いますよね
なんか決意できそうな気がしますねよしやるぞっておもいしそう
大名たちが思考をこらして作った点三百年経った今も
私たちの心を掴んで離しません
次に私が訪ねたのは神奈川県横浜市にある禅寺の庭です
素敵なところですね
おはようございますようこそおいでくださいました
初めまして決まる値と思い始めましてあのますようでございます
どうぞよろしくお願いいたします
この寺の十八代目の昼食で庭園デザイナーのますの種明さん
升野さんが庭造りに惹かれたのは高校時代
同級かした寺の庭が
改修工事によって美しく生まれ変わる様に心を奪われました
その場で庭師に弟子入りを志願しました
以来僧侶と庭園デザイナの二足の草鞋を続けています
今や国内のみならず世界的な庭園デザイナーとして活躍
石を主体に自然と共生する禅の庭をシンガポール
アメリカカナダドイツなど世界中で手掛けています
早速健康寺の庭を見せてもらうことに
何かしらこれあのー
釈尊浄土がねわっていうお釈迦様が悟りを開かれて
不況の世界に入るのをモチーフにデザインしたものなんですね
こちらが升野さんが庭園デザイナーを志すきっかけになった庭です
戦後荒れ放題だったものを三十八年前に作り直し
二年前には松野さんが手直し飛び石を高くしたり
地面に起伏を付けたり
空間の構成が引き立つような仕掛けを施しました
で例えばこう意思がこう据えられてますでしょ
この石にもみんな石ごころっていうのがあるんですよ
で気には気心って言って
例えばそのここに一二三四五つ石が含まれてますよね
真ん中の石は立ち位置で
こうすっとこう
凛々しく立ってるように教えてあげるのがいいですよ
そういう石なんですね
性質がこっちの子は実はちょっと右側の方にこう伸びてるから
少しこっちへ進みたいような動きなんですけどあれ分隅田そうで
でもそれをこちらの意思がちょっと怖がってこう止めてるんですよ
ま今人といずれもようなもんですよでバランスができたんです
ね
ですからそれぞれの持っている医師の心は
仏教でいうと全然物象っていうんですけど
それをよ認めてあげて
どういうふうに据えてほしいのって言うのを聞く訳ですよ
それにこうやってくるなんでしょう
それぞれ別々の意志で別々の形をしてるのに
あの助け合って調和してるんです
よねそういうことなんですね
人間っていうのはね
こう静かにこう庭とこう向き合いながら自分の生き方ってこう
今までの生き方でいいのかとか
私の生活の仕方が今こうだけど
これでいいのかって
やっぱり自問自答しながら
生き方を見つけていく大人の場なんですよ
庭園っていうお庭を見るっていう視覚的なことじゃなくて
何かを感じるそうです
そうですそれはだから
その前の庭の一番の目指してるとこなんですよね
ここで言わのデザインを体験させてもらえることになったのですが
まず技専
自分と向き合うことから始めます
今回はミニチュアの庭づくりを行います
あのーキムさんそこにあのーこれも京都のさざれ石です
あのお好きなのを一つ選んでいただいて
どれでもお好きなの一つ選んでそうですね
この形がいいとかこれ面白そうで結構ですよ
大きい方から
あのさっきのあの立ってる真ん中の石がどんとして
なんかみんなを守ってるみたいな感じがしたので
とてもまずこう眺めていただいて
はいその石をどういう風に据えたら一番その意思が輝きますか
石ごころをどうやって聞いていただけるかこっちに行きたがって
こっちに行きたがっている感じですかね
思えるねどこらへんそうですよねまでも
こういう風に傾けたらちょっと優しくなりました
こうやるとちょっと強そう黒にするとちょっと優しい
でもやっぱりちょっともうちょっと支えたい感じがしましたね
ここに何か支えが欲しいなりますね
あっなんかすごくここにピタッはい
メインの
岩組が決まりました
こうですかね
効果あはは手前にもう一つ背の低い子を置きバランスを取りました
立ててクスッとしてそれでぐるっと一種難しいな
枯れ山水に欠かせないのが査問熊手などを用いて水を表します
この作業は禅の修業にも通じ
その役割は主に修行僧が担っていました
岩組が出来上がりましたここにコケや木を加えていきます
その好きな形にしていただければいいですよ
なんかこの曲がり具合がなんかとてもいい
意外にこれだけでも可愛いのか
こう出てる方が可愛いなんかお話してるみたいですね
それにねちょっとこの辺で溢れたと同じ高さなんか
こういうのがすぽんとこう好きなのは
そのぐらいの緑のあのこういうやつを入れた方がいいですよ
あった方がいいですね
あいいいいですいいですね
苦しいですよねじゃないですか素敵自分でございます
自分でやったのに感動しちゃったなと庭が完成しました
ラルク見えないもの
聞こえないものを感じようとする心が子供の頃にはあったはず
医師ごころや気心を聞こうとするうちに
そんな感覚が思い出されました
よいしょはいその日その日であの見え方も違ってくるし
逆に見え方が違うと
自分がどういう成長してるのかってこともよく分かる
ということですね
本当そういう意味でちょっとこういう時間を持たれるっていうのは
すごく自分自身と向き合う時間が持っているで
自分自身を確認できるってすごくいい時間だと思いますよ
自分と向き合い
今の気持ちに気付かせてくれる庭の力を
改めて実感しました
あのー庭を感じるんだ
音匂い五感を使ってええあのー庭木さん仕事でね
性あの私この庭をリフォームをしようと思っただけなんですが
いやねえーあんたの爺さん
マサキさんの修行指導の雑念ばっかだったうん
家族って何もんだおじいちゃんご存知なんですが
もちろんこの今は俺と松前ちゃんとで作ったんだよ
そうですかあれこの家はおじいちゃんが若い頃
建てたって聞いたんですけどおいくつですか
うんうんおじいちゃんが若い頃っていうと百年ぐらい経ってる
うんうんうんうんそう大丈夫
ちょっとお茶持ってきますから
茶の湯それ
は一服の茶に心を込める日本のおもてなしの
文化
そんな茶の湯文化から生まれたのがちゃ庭です
茶室への道すがらや鶴を指し路地とも呼ばれます
ちゃ庭の多くは飛び石から始まります
飛び石を通って腰掛け待合へ
客はここで亭主の迎えを待ちます
うんちゃ庭は茶の湯という非日常の
世界に誘います
社質が見えてきました
ええ手前にはつくばいやイシドーロ山里の趣を出すなど
社庭は茶人の好みや心遣いを反映しています
こうしたちゃ庭の美意識は今も脈々と受け継がれています
江戸時代初期から四百年以上の歴史を持つ懐石料理の老舗です
こちらが料亭の入り口起動潜れとすぐ左に待合い
ここからちゃ庭を楽しむことができます
茶室誘うのは一年の苔
庭は創業当時からこの姿を変えて
いません
茶室も創業当時から残る建物ここ
で料理をいただきます
年中欠かさずこの庭の手入れをしているのが高橋さん
苔をこうみてまわって
苔の上にあの常に動けっていう
苔の上をずっと肺胞て広がっていく苔があるんです
それをしますといい苔が全部下で枯れてしまいます
お話とかピンセットとか
そんなもんでこうめくるようにこう取っていくんですけど
なんか気が付くとやってますけど
高橋さんのおもてなしの心が作るちゃ庭の景色
です
障子を開けると琵琶湖疏水の水を引き込んだ
せせらぎが現れます
鯉やフナが泳ぎ時にはカワセミがやってくることも
街中にありながら山里のよりを思わせる風情
です
茶室で味わう懐石料理
秋の時期はさきづけは甘辛く味付けした夫を挙げ
当時で伸ばしたゴマペーストを添えました
向こうづけは明石台
こちらは酒の肴として出される
はっすん料亭で創業当時から伝わるゆで卵
塩麹漬けにしたウズラを焼いたものからすみや銀杏
こうたけのあまりなど秋の旬がヒトサラに並びます
料理を味わいつつ庭も愛でてほしい
高橋さんは料理にも庭にも同じように心を砕きます
まああのその季節季節を色々感じていただくことがありますので
そういう季節とその料理の季節感と
あの共に楽しんでいただく
というのが一番よろしいと思いますけども
やっぱりその落ち着いた雰囲気で
そのお客様にとっては肩肘張らないようなそういうところで
でもなんか日常と違うという
そういうところを出していきたいですし
今日三つ目のツボは守り受け継ぐ
京都には暮らしに根ざした独特の庭があります
それは京町屋と呼ばれる
伝統的な食事一体型の建物に見ることができます
こちらは西陣にあるかつて呉服問屋だった京町家
明治十八年に建てられ
今は国の登録有形文化財として一般に公開されています
玄関を入ると庭が出迎えてくれます
坪庭建物と建物の間に作られた庭です
明り取りや風通しを良くするために設けられたこの庭には
様々な思考や配慮があると言います
五人が見えて一番先にここでご挨拶させていただく場所です
あの向こうにも二階がありこっちにも二回があるんですが
その玄関だけは二階がないですよ
上から人を踏んづけたらいけないという
そしてお庭は枯れた姿を見せないというのでお花がないんですよ
だからかれない代地区にそして古い古い椅子の灯篭
それでお客様をお迎えするという客を出迎えるという用途のための
この庭直截は枯れないものだけで構成するのだそうです
タナカさんは三十四年前にこの町家を受け継ぎ
六つの坪庭を守っています
このお部屋はまあ私たちのお稽古したりとか
昔はここでの待って
家族で楽しんだというお部屋なんですの舞台のバックには
何が描かれていますか町ですよね
その松が生きた松が
お庭にはし支えられてのを舞う
楽しめるお庭なんですよね
こちらは母屋の座敷の前のつぼには
かつて家族が普段の生活のために使いました
そこでね家族で食事をしたりとか団らんをしたりとか
それこそお仏壇を学んだりとか
ご先祖さんとともにあの楽しむスペースです
ですからここには花が季節が感じられるようになっていますし
あのーつくばいがあってね
お水が流れていてそれはまた庭の水まきにも使えるしそして
それこそお手洗いから出てきた時にあの体も洗えるし
そしてかみさんの井戸というのがありまして
毎日神様にお水を差し上げますよね
そのかみさん用のために掘って
ある緯度がまたお庭にしつらえられていて
この井戸水は私たちは使えない
この坪庭の前では休暇に伝わる様々な行事も行われます
十一月はおひ抱き願い事を書いた紙を燃やして
その情事をになります
いろんな行事があるんですよ
一月から十二月まで
その行事もこの町屋の中で庭を見ながら行われる行事です
だから私たちはその行事とともに祈って巡って
そして皆さまご先祖様に感謝をしてという暮らし方
それが町屋じゃないでしょうか
今日の暮らしに寄り添うツボには
温かな思いがそこに生き続けています
ありがとう助かったね
へえこの庭おじいちゃんと師匠が作ったんですが
そうだよこの日ばかな子供達が遊べるようにって頼まれて
それで上田だ
転んでも怪我しないようにってね
そうだったんですかおじいちゃん
そんなことをうん
そのそのまさおが学校から帰ってくる自分じゃないかあるのか
おやつ一生住む家だ
言わも音楽を楽しめるように考えて考えて作ってあるんだ
何がよ作った人の心が詰まってんだよそうなんですねええ
じゃああの隅っこの小さな石道路は
あれはどういう意味なんでしょうか
あれは彼
マサキさんの趣味だよ特に意味はね趣味
神奈川県小田原市ここに今注目を集める庭があります
こちらは個人宅の庭ですがその庭には様々な人が集います
光があのテーブルを出しましょう
うん主の山田純さん
定年後ほとんど使っていなかった庭の作り直しを考えました
僕らが一般の市民が付き合うべき自然っていうか大事にすべき
自然はいわゆる家に付属した羽生だけではないんだけど
庭は重要な入り口だって思ってます
そこに子どもたちを呼んで
お父さんやお母さん
子育てにちょっと疲れた人たちを呼んで
まいろんな気づき直しみたいなものをし
ませんかっていうことをしてる訳です
その顔
そこで山田さんが相談したのが造園家の藤原俊太郎さんでした
まずはあの中央にあの白川石で作ったてあすをあの持ってきました
えっとそこでは食事会であったりとか
あとは演奏会などを行うような
様々な体験ができる場所をまず作りました
あとは竃を作ることによって
火を囲んで楽しめるような場所を作りました
えっとまたあの元々あった噴水石をうまく利用して
水音反射させたりとか
なんかそういった形であの人の感覚的要素みたいなところを
あのー感じある場所を作ることによって
原初的に心地良いと思うような居場所作り考えました
だよね
庭はお隣さんとも自由に行き来できるようにしました
こちらは隣の藤沢さ裏の家ともご覧の通り
まるで庭が繋がっているようです
今日は料理も一緒に庭にやってきました
ありがとうございますございます十五番山田さん一家とご近所さん
そして山田さんが地域の活動で知り合った人たち
こっそり木々に囲まれた庭に集うことで会話が弾み
無理人と近くなれる
はい隣に住む藤沢さんもこの庭が大好き
山田さんがいない時でも使っているのだとか
最初は断ってましたね
だけどあの途中からもう断りを入れずに
山田さん自身も
そうやって庭を自分の庭のように使ってほしいって言ってたので
まあ僕もそれは気にせず
友達が来たら
ここでバーベキューなり何なりするっていうのを
もう自然とあのやってますね
山田さんはこの庭をさらに地域に開いて
コミュニティを活性化させる場として
ずっと使い続けてほしいと考えています
家族ではなかったけれどあのだんだんと付き合いですか
見ていく中で何かを感じてくれた人がその中で引き継いでくる
そういうものになればいいなと思っています
今日最後のツボは戻って交わり
はぐくん
神奈川県川崎市にある幼稚園
この幼稚園では十年前に堰堤の回収を行いました
朝子どもたちは遠縁するやいなや一目散に限定
お気に入りの場所で遊び始めました
二千九百平方メートルの広さを持つ
この堰堤起伏があったり木が生い茂っていたりまるで森のよう
植物も多種多様
実のなる木やにおいがするものなど
子供が指揮を感じられるようになっています
延長の瓶がや忠宏さこの堰堤には
庭を通して子供を育てていきたいという思いが詰まっています
英語ドイツ語で近代が天っていうね
あの幼稚園の名称呼び名ですけれどもまさにね
あのー子供にとっての庭が幼稚園であるっていうことで
もう庭があってこその幼稚園の生活があると思いますので
まあそういったことで
あの庭の存在っていうのはもうなくてはならないものだなと思っ
ています
自分自身のやっぱり小さいころの原体験
やっぱりまだ周りが宅地化されてなくてそのの山でもう散々遊んだ
その楽しさが自分の中にあって崖を登ったりとか小さなこう
顔がを飛び越したりとかね
まあそういったあのさまざまな体を動かす経験は基本にあります
あとはやっぱりえー植物の中で虫を探したりとか
まあそういったことも楽しい経験としてあるので、できるだけあの植物を豊かにしてそこにたくさんのもう虫が住みつくような環境を作っていこうかなと思って高いんだそうそうそう
これからどうしようお父さんダメはいはい最初はねおっかなびっくりの子たちも多いんです
でもやっぱりその魅力遊びの魅力虫の魅力に惹かれて最初はダンゴムシからスタートするんですけれども
それがだんだん大胆にこうなってきてミミズだったり蝉の株とまた正位置を捕まえたりとか
まあそういう風に子供たちも自分でどんどんその面白さに引っ張られて
あの意欲的にこの環境をどんどん探索できるようになっていますね
怪しい土や水石焼きを体全体で楽しめる園丁です。
五感を通して子どもが育つっていう意味では視覚的なものもとても大事なんですけれども、それ以外にももう五感耳で感じたりにおいで感じたり時には神味わうこともできるようなまそんなあのたような感覚を刺激してくれるような要素が含まれるえ環境っていうのが世の中にはまず幼児期の庭にとってはとても大事かなっていう風に思っていますね」
私たちの営みとともに進化を続けてきた庭。
いつの時代も私たちに寄り添ってくれます。
本当にリフォームしなくていいのか自分らしい庭についてこれから良く考えていこうと思っています
それまではこのおじいちゃんの想いが詰まってるこの庭を大切にしていこうと思ってましたけど
今日はいいことだけだないつだな
うんこれは政吉さんに頼まれてやってきたんだ
孫が庭作るのに悩んだから相談に乗ってやってくれるでしょう
でもおじいちゃんちょっと前に亡くなってるんですねえー
佐々木さんには四から伝えとくよ
あんたの孫はいい男になったってな。それじゃあ庭を大切にな