日曜美術館 「美による春日大社案内」

聖なる御蓋山のふもと、原始林の緑に包まれた奈良・春日大社。若宮式年造替が終わったばかりのこの古社を、鎌倉時代に描かれた国宝の絵巻物をガイドに探検。するとほとんど変わらない風景が次々に現れる!自然と響き合う社殿の曲線美。「平安の正倉院」と呼ばれる神宝の美。そして春日の信仰の根底に流れる水や木や岩の美。そんな珠玉の美に導かれて、春日大社を案内する。神秘の儀式・遷座祭(神さまのお引っ越し)の映像も。

放送:2022年12月25日

日曜美術館

木々が色づく頃。やってきたのは美が豊かに実る聖域・春日大社。「春日大社は楽しみにして来ました」「今日、小野さんを案内してくれる頼もしいガイドをご紹介しましょう。」「えこれ何ですか。」「これは春日権現験記。鎌倉時代の絵巻物です。」

春日権現験記

「この石の道路や小さい社もあります。」「神社って鎌倉時代から変わってないってことですね。」「鎌倉時代に描かれた絵巻物。国宝春日権現元気春日大社の霊験あらたかなエピソードが満載です。加えて精緻な境内のスケッチは、記録としても国宝級主力の美。春日大社の歩き方どうぞ」

「美による春日大社案内」

三笠山のふもと。原始林の緑に包まれる社。春日大社創建は奈良時代七百六十八年に遡ります。国家鎮護の神として、また貴族藤原氏の氏神として篤く信仰されてきました。

「たどり着いたのはうわすごい雪。ここはあの五分でなんです。今この絵では見えてないけども
皆さんからお入りになってるということなんですか。入れないですよね。神様のお住まいですからね。」「その通り。神が祀られる大宮の本殿は小野さんがお参りしている場所。中門の奥にあります。そこは参拝者が立ち入ることのできない聖域です。」

立ち並ぶ四棟の本ではそれぞれの神の住まい余柱の神が祀られています。第一便は猛々しい雷の神タケミカヅチの尊。第二でんは剣の上普通の子のこと。第三電は妻子を司る神で糊を作った雨のこやねのみこと。第四では美しい女神火女神そう文武。それぞれに威力のある神が日本各地から招かれた状況の守り神としてここに合わせ祀られました。

「おはようございますよろしくお願いします。」「春日大社は鎌倉時代に描かれたまま。昔と全然変わってないっていうことが驚きなんですけど、奥が描かれてないじゃないですか。これはどんな理由で」「神様の御住まいあるいは神様の姿っていうのはあまり明確に描かないっていうのが
日本の神道の信仰の伝統です。またこれ夜なんです。昔の方は夜に御籠りをされてご祈祷願い事をされるんです。」「夜は神様が一番力を発揮される時間であるので、神様の御殿を隠すとともに
夜の闇を表しているんだと思います。」「絵巻は日中の風景なのかと思ったら違うんです。夜の祈りのが描かれている。」「まさにその通りです。」

「中門の辺りが舞台上が僧侶にお告げを授ける場面です。この心ではこのお坊様のところに神様が現れた。この方すごく偉いので直接言わない間に人を立ててお顔を直接見れない。ご講演を直接聞けないあそうなんですよ。」「なかなか大変ですね。」「中世の人たちにとってはいかに神様の姿を見るかってとても重要なことででもすごくありがたくてめったに見ることができないっていう信仰の雰囲気をこう絵巻全体としてよく捉えていると思います。」「だからこれを見るだけで
感涙に咽ぶっていう家族の方にもありますしね。本当にそんな感じだったんだと思います。」

「この絵巻自体が神聖なものだと考えられていましてお坊さんも神官も四十歳以上になってしかも精進潔斎をしないと見れなかったそうですね。」「見ちゃった僕は四十過ぎてます。一応自分なりにあの正しく生きているつもりではありますが、ところで神はなんとお告げしたかというと、前の人に新しい罰を与えて神の前で含量という曲を回せなさい。」「春日の神は芸能がことのほかを好きなのだとお告げを受けて名人が買ったのはまさにここリンゴの庭でした。」「絵巻の一場面には普段神職しか入ることが許されない場所も描かれています。」「一般人は駄目なんですね。」「
特別に見せていただけることになりました。失礼して入ります。」
「この空間だ水垣越しに本田がその姿を覗かせる上のすぐ近くの空間・おろうです。」「こちらはこのおろうが描かれた僧侶が人見えますが、何やら穏やかでない様子。」「そもそもここは神社ですよね。神社なのになんでお坊さんがいるでしょう。」「日本では神仏習合という考え方があって、神様と仏様本来同じもので、その現れ方が違うんだっていうのが大きくいって神仏習合の考え方で、神様というのはお経をあげることをとてもお喜びになるという風に考えられています。」

「今見ていただいたところが、もともと仏教空間としてちょうど純正気になる頃に作られた。常にお坊さんがお籠りになって、あらゆるお経を順番に上げていく空間だったんですね。」「この場面はやっぱり今夢を見ているかなんかなんかですか。」「この場面は一切経の転読ではなくって
あのお経を読んでいて、読みくたびれて眠っていた人を こんなとこで寝ちゃいかん とか言ってお坊さんでもすごく怒られるんですよね。これは神様からすれば、本当に真剣にお経を読んで読みくたびれて眠っているのに蹴るとは何事だって、お坊さんの方が怒られるという話なんです。」「それは何か興味深いお話ですね。」

「神と仏が溶け合った中世春日大社は、藤原氏の氏寺である興福寺と一体となり、春日興福寺と呼ばれていました。当時の信仰を伝える絵がこちら。社殿の上空、三笠山の手前に浮かぶのは仏の姿。それぞれ春日の神に対応する仏です。春日の縁深い森は、また仏の浄土とも捉えられていました。春日の神はなぜこの地に祀られるするようになったのか。そのヒントがリンゴの庭にあります。それがまさにその通りです。リンゴの庭を描いた場面。描かれている木に注目です。右側に見えてる木が大木になっています。描かれたのが百年ぐらい前ですから本当に驚きますね。」「春日山には杉の木がたくさん植えられています。春日杉が枯れると神様がこの地を離れてしまうという信仰があって、神聖な木として大事にされてきたんです。」

「杉の木と一緒に根を絡んでる柏槙という木が屋根貫いてます。文化財的には屋根が傷んでしまうので、あんまりよろしくないんですけど木を切ることはできないということで屋根を貫いて木を生かそうとしているんです。春日大社の背景に三笠山・春日山があって、その山やそこに生えてる木っていうものを大事にしてきた信仰っていうのがああいう形で現われているんだと思います。」

水屋神社

春日大社の境内には多くの神が祀られています。中でも水屋神社は古くから大切にされてきた社です。その水掻きから飛び出すように伸びる伊吹の大木。よく見ると瑞垣の方を機に合わせて削っています。春日大社の境内には徹底した樹木への信仰が息づいています。

さらに水屋神社の社の下には不思議なものが白い石岩倉です。こうした岩倉は古来それ自体がご神体とされ祀られてきました。同じような白い岩倉が大宮の瑞垣の家にもあると言います。樹木や岩神として崇めた古の祈り。こちらは春日大社の本田が立つおよそ十年前に描かれた地図です。中央には三笠山その麓に四角く囲まれた場所があります。新地と記されたそこはまさに現在大宮のある場所。聖なる山三笠山は神社ができる前から祭事が行われていた聖地でした。

十一月九日春日大社にとって一年に一度の大切な日がやってきました。麓から遥拝することしか許されない禁足地・三笠山。宮司を始め神職と巫女が揃って聖なる山の頂を目指します。「ゆとりないや受けようと思うんですけどはい到着しましたね。」

山頂にたどり着くと現れたのは小さな社。その上の王宮をこれのふもとに作り仕え奉りし歩道はしばしこれの頂に間柱等至って柏祭りしつまり祭りし縁あるを持って

奈良時代初め、この頂に白い鹿に乗った神が降り立ったと言います。いやあれ山頂から尾根をたどると大宮本殿に繋がります。さらにその延長線上に経営状況が聖なる山から上の力が人々にあまねくふりそそぎます。

小野さん、美による春日大社案内。ネクストステージはこれです。「春日にはもう一柱重要な神様がいらっしゃるんです。さてたどり着けるでしょうか。」「そこに橋がこの話ですよね。それでも結構正確ですよ。見てください橋があります。おそらくここにあるのが特徴的な屋根の神刀が二つ交錯したような形になってるから絶対これだ。」

「すごいですねリアルだな。登って行きますと、見えました。壁が丁寧に描かれていますね。それでもやっぱり神様のお住まいになっているところだから多分はっきり描かないように霞がかかっている。」

若宮神社

たどり着いたご神殿に鎮座するのは若宮。平安時代の千百三十五年疫病や飢饉に苦しむなく聖なる山三笠山を背負う内に祀られました。若宮とその手前の祈りを捧げる場所建物の配置だけでなく生えている木々もかなり正確に書き込まれていますこういう気があるじゃないですかそこに気がありますからと同じですよねずっと同じままだと思うんですよふじぬきなのじゃあやっぱりここにこういう大切なあの付置の木があるからここに神殿が建てられたんですかね直線じゃないですよね屋根がこういう感じなんですよね湾曲してるよカーブを描いている曲線を多用されているっていうかね建物になんか俺よく言うじゃないですかその自然界には直線というものはないとそれはすごい人工的なものだっていうことを考えるとここは本当自然とそれから上へのまあ信仰っていうものと建物の形が調和しているっていうような意味もあるかもしれませんね寝食以外は入ることが許されず人目に触れることはないわ神への神域社の背後に回るともう一本藤の老木がありますみずがきの三角が富士に当たらないよう心配りがされています生き生きとその蔓を守りへと伸ばせるようにさらに若宮本殿の脇には山からの湧き水をたたえた小さな井戸が水の湧き出るところに若宮の社は立てられています一体なぜなのか千三年姫神を祀る第四年で不思議な出来事が起こりました参照ほどの水の塊が現れその中から神の化身が出現したというのですそれが若宮でした以来若宮は水を司る神として崇められてきました。「本当こう背景と建物が本当に何ていうんですかねあのーお互いを支え合ってるっていうかねそういう印象を受けましたよねなんかほんと後にもう山の存在は非常にこう強く感じられるっていうんですかねやっぱあえてなんかこう作ったっていうのは山の中にこうさりげなくあの神田が配置されてるっていう感じがしますよね。」

2022年10月、若宮本殿に不思議な音が響き渡りました。これは若宮本殿の修繕完成を祝う儀式です。2020年は、若宮にとって重要な年でした。20年に一度、社殿を美しく修繕する式年造替が行われたのです。前回若宮の式年造替が行われたのは2002年。社殿は風雨にさらされ、鳥居も色あせていました。若宮を仮の住まいにお移しし、本殿の本格的な修繕が始まりました。

20年間風雨にさらされた檜皮葺の屋根を剥がし、新しいヒノキの皮で吹き替えます。拭師と呼ばれる職人が竹釘を打ち込み、ヒノキの皮を重ねていきます。その数はおよそ23,000枚。流れるような曲線を持つこの様式は、奈良時代、春日大社の創建時に生まれたとされ、春日造りと呼ばれます。

春日造りのもう一つの特徴が、鮮やかな朱色です。古い朱を手作業で全て掻き落とした後、下地を整え、新しく塗り替えていきます。若宮本殿の上塗りに用いるのは、本朱と呼ばれる水原朱を100%使ったもの。入手困難で貴重な本朱は、扱いも一際難しい素材です。重たい塗料のため、手早く均一にしなければ美しく仕上がりません。本殿は、本朱独特の深みのある赤に包まれていきます。

「御本殿もそうですしこの若宮もそうなんですけども木の材料が素晴らしいほとんど節がない材料を使ってまして多分これ塗らなくてもそのままでもきれいだと思いますけれどもそれをまたこうして本州で塗り上げて照合するっていうんですかね神様を祀るっていうんですかねそこがすごいなと言うかそれを塗るですからやっぱりそのーこちらとしても気持ちが入りますよね。」

社殿に飾る調度品もまた、工夫が凝らされています。軒先に吊り下げられているのは青い灯籠。絵巻に描かれた鎌倉時代の瑠璃灯籠と同じもので、描かれた灯籠そのものかもしれません。連ねられた約2万個のガラスの瑠璃玉が、ほのかに青い光を放ち、古より神に捧げられてきました。絵巻には他にも調度品が描かれています。

本殿の御扉の前にかかる緑色の御簾は、かつて歴代の皇后が寄進したもので、日本一豪華な御簾とも言われます。今回の式年造替にあたり、この御簾は新しく作り直されました。手掛けたのは江戸時代から続く工房です。20年に一度の式年造替は、匠たちにとっても世代を超えて技と思いを受け継ぐ大切な機会です。

御簾に用いるのは、岩絵の具で彩色された竹ヒゴ。2人掛かりで720本の竹ヒゴを編み込んでいきます。

「二十年に一回五千っていうその期間ですねえーそれがえー代々仕事をしている者にとってはもうギリギリの年数だろうと。精進ですよね。」

神が暮らす本殿には、神の宝「神宝」が収められています。春日大社の本殿は、美の宝庫でもあり、「平安の焦燥院」とも呼ばれています。国宝や重要文化財は1,800点を超えるほどです。

第三殿の天児屋根命(あめのこやねのみこと)に捧げられた蒔絵の琴は、平安時代に作られ、本殿に収められてから、1930年に世俗に下ろされるまでの800年以上、神と共に過ごしてきました。水の流れのように見える紋様や、ハチやチョウ、鳥が生き生きと琴の上で遊ぶ姿が描かれており、平安時代の蒔絵の最高傑作です。

こちらは第二殿の剣の神、経津主命(ふつぬしのみこと)に捧げられた太刀です。金具に使われているのは純金で、太刀の細長い形を生かし、猫がスズメを追いかける様子が動画のように表現されています。螺鈿細工に細かな彫りが施され、躍動感あふれる猫が描かれています。猫の目には、当時貴重な素材であったガラスが使われており、技の粋を尽くした神宝です。

若宮にも、古来より多くの神宝が納められてきました。そのうち49点が国宝に指定されています。たとえば、平安時代に若宮造営の際に奉納された金鶴と銀鶴があります。銀鶴は、しなやかな立ち姿が美しく、翼を広げて銀の枝に優美に泊まる金鶴も見事です。1930年に本殿から下ろされて以来、長らく若宮に戻されていませんでした。

若宮の下に再び金鶴を戻したいという願いから、今回の式年造替に合わせて復元が行われることになりました。この復元を手掛けたのは、彫金の人間国宝・桂守彦さんです。素材は純金で、寸法はもちろん、羽の厚みや幅など、すべて平安時代の金鶴に合わせて作られています。

「時代にどうもないのによくこんな細かくやれたなと思いますねこんなちっちゃいんですこんなちっちゃいんだけれどこの中に本当のつるが入るように作られている。」

八カ月をかけ、令和の時代に蘇った金鶴が完成しました。純銀の松の枝にすっと立つ、光り輝く金鶴です。10月25日、古風な装束に身を包んだ人々が若宮へと歩みを進めていきます。その列の中に、桂さんの姿もありました。この日は、新しく奉納された神宝と調度品を点検する「神宝献納の儀」が執り行われました。並べられているのは、日本全国の職人が丹精込めて作り上げた品々ばかりです。前田さん一家が作った御簾も掛けられました。そして、いよいよあの金鶴。神職からは労いの言葉がかけられました。人間がこの金鶴を目にするのはこれが最後です。92年ぶりに若宮のもとへ納められた後は、神のみが愛でる鶴となります。

10月28日、若宮様のお引越しの日がやってきました。神がお移りになるのは夜です。1年半もの間、この扉の向こうに仮住まいをされていた若宮様が、ここから美しく修繕された本殿へとお帰りになる神秘の儀式が始まります。すべての明かりが消され、神がお出ましになる瞬間が近づきます。暗闇の中、まず運び出されるのは神宝の数々です。そして、瑠璃灯籠の青い光が掲げられます。扉には新しい御簾がかけられ、若宮様のお引越しが無事に終わりました。新しい御殿守が戻り、心なしか輝きを増した若宮です。

「やっぱり来て驚いたのは、神社のそれぞれの建物が美しい。なんで美しいかって言うとこの自然自然と融合しているから。建物と同時に自然の美しさも感じられる。ひょっとしたら人間の信仰の気持ちはもともとそういうものなのかもしれない。つまり見えない物じゃないですか。その神様って、絵巻も尊いものは見えない直接目にすることもできないし直接空気こともできない。そういうものを人はどうやって想像するんだってなった時に、具体的な形と色を持った建物があってそれが私たちの神様をつなぐ役割を果たしてくれると、それが媒介してくれてる建物も自然界にあるさまざまなものと調和した建物でなければやっぱりこう見えない物と私たち一人ひとりをつなぐ媒介にはなれないと思うんです。人間は生きてる時、つらい思いをしたり嫌なことを感じたり後腹が立ったりという記憶がある。心がなだらかな湾曲じゃないけど、心が落ち着いていく、整えていくこともできるんじゃないかってことを感じました」

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