日曜美術館 「 写真で冒険 京の町〜 京都国際写真祭 2022〜 」

日曜美術館 「 写真で冒険 京の町〜 京都国際写真祭 2022〜 」

京都を舞台にした国際写真祭「キョウトグラフィー」。ふだん入ることが出来ない寺や町屋に入ってみると、そこは“写真の遊園地”。世界でもトップクラスの写真が、京都ならではの建造物に特別なしつらえで展示されている。古いしきたりが残る京都で型破りな写真展を成し遂げたのは、地元には縁もゆかりもなかった二人。行政や大店に日参。新しいもの好きの京都人の心を動かした。写真展を通して知られざる京都の町を大冒険!

初回放送日: 2022年4月24日

 

日曜美術館 「 写真で冒険 京の町〜京都国際写真祭2022〜

春色の京都。
千年の都で毎年この時期、街を舞台にした国際写真祭・京都グラフィーが開かれます。
会場は京都の街中十カ所。
老舗の町屋に非公開の蔵。重要文化財の建造物など普段ならおいそれと入ることができない場所ばかり。
風情ある街歩きを楽しみながら、さまざまな国や時代を代表する写真作品と出会います。

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今年はフランスパリの門外不出とされてきたヨーロッパ写真美術館の貴重なコレクションもお目見え。

写真を裁断。
世界初。

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京都が誇る西陣伝統の技で写真を織物に仕立てます。
知られざる京都に出会える写真祭。
さあ写真が誘う京都の冒険に出かけましょう。

写真で巡る京都の旅。
まずは洛中ど真ん中。
呉服商が軒を連ねる室町通りから。

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風格ある京町屋。
創業から280年の帯問屋です。
普段は入れません。

呉服商が贅を競い合った檜御殿。
ただならぬ佇まい。

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奥からお出ましになったのが十代目当主の山口源兵衛さん。

イッピンSP「究極の帯~帯匠・山口源兵衛と仲間たち~」 | 風流

600坪の屋敷は宮大工が釘一本も使わず十年をかけて建てたものの。

私たちが今通していただいたところがお店なのかどう見たらいいんでしょうか。
こっちの方がちゃんと迎え、こっちが家族のためのもの。

会場はこの奥の家の中です。
屋敷にはお茶室まで。

「僕は何も分かってへんから車止めたいから大事な全部潰して、トイレから全部でも潰しちゃった。
車を入れる方が大事。ほんでやってしまって。それでここがじゃ通用口。お茶室。奥があるんですよね。

会場はさらに奥。
大事なお客さんだけを通した。

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24畳の奥座敷にはスペインの写真家の作品が展示されています。

CasaBRUTUS: 「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」続いて〈誉田屋源兵衛  黒蔵〉では、スペインの女性写真家、イサベル・ムニョスの「Family Album/Love a... - WACOCA JAPAN: People,  Life, Style

スペインを代表する写真家イサベル・ムニョス。
人間の肉体美や、精神の根源的なあり方、太古からつながる生命と大地のエネルギーを捉えてきました。

今回は源兵衛さんがイサベルさんを奄美大島に連れて行き、撮影した写真を発表します。

これあれですよねご本人ですよご本人

実はこれ元米さんの後頭部。
奄美の泥染を見たイサベルさんが、源兵衛さんを泥につけて撮った写真。
しかもその穴を源兵衛さん本人に掘らせたのだとか。

イサベル・ムニョス × 田中泯 × 山口源兵衛」 (誉田屋源兵衛) |Tokyo Art Beat

イザベル・ムニュはとにかく無茶苦茶な女。
僕は泥染のを掘るわけ。浸かれいうわけ。肩ぐらい出してたとしたら、もっと浸かれいう。るんだよね
そう地獄の黙示録みたいな

この写真エネルギーに満ちた生命誕生の根源を表現したかったそう。

何すんねんみたいな顔してるからいい加減にしろって思う
怒ってるって思ってますものすごくイラついて、いやそりゃそうこんなことだってこれ
本当にもうすごい

泥に潜らされた源兵衛さんこれまで十年にわたり京都グラフィーの会場に屋敷を提供してきました。

「僕が京都グラフィーの初年度から家が一番最初にオッケーした。この家は人が出入りするほど栄えるっていう。そんなことを俺が聞いてるわけ小さい頃から。だから悪くないなと思ってしまう」

伝統もあって格式もあるような立場ではこんなこと考えない。

「人が出入りが少なかったらこの家はアカン。そういうことを言われとった。難しい家訓があるのや。
計りて作らず。計算して、コスト計算して作るな。というやつ」
「今の効率重視の考え方と全く逆。計って作った様なことをしたらお客さんに満足を与えられないし、
会社もいずれ赤になるでっていう。そやから俺みたいになる。ドロに浸かっちゃった」

家訓を守る源兵衛さん。
今回とんでもないことに初挑戦します。
その続きはまた後程。

次なる会場は祇園。
花見小路の先にある日本最古の禅寺建仁寺の塔頭。
普段は非公開のお寺です。

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創建から四百九十年。
歴史の重みも踏みしめます。

本堂脇にある大書院で迎えてくれるのは日本人写真家の名を世界に知らしめた奈良原一高。
ジャパネスクと題された禅のシリーズ
曹洞宗の寺にこもり、僧侶たちの日常を写し取った作品です。

戦後報道写真の枠を超え、写真を芸術の域に高めた奈良原一光。
見る人に解釈の余白を与えた作風で常識を打ち破りました。
31歳でヨーロッパに渡り、旅の中で再び日本文化の本質と向き合いたいと思うようになった奈良原。
今回の展示は1969年。
帰国後に捉えた日本。
少し不思議な禅の世界です。

点検面白い写真

こちらはよく見るとお坊さんが鐘を打つ瞬間を真下から取った構図。

これこれだって面白くないです。
これ修行僧たちが座る座布団。
スタイリッシュっていうかね様式美っていうか、それがフォルムになる。

見ているうちにだんだん想像が膨らみます。

さらに作品はお庭の脇にあるお茶室にも。

ここに写真が見えますよ。
鐘を真下から見てる。

奈良原が描いた円ここに極まれり。

場所の特性を生かした京都グラフィー独特の展示には秘密があります。
グラフィックデザイナーのおおうちおさむさん。
普段の仕事は平面が中心です。

「専門家じゃない人がやることでしか出てこないものって多分あるんですよ。
でもそれが新しい見え方につながったりとかすることが凄く多くて、
写真が飾ってるっていうことを新しい捉え方をする。
人が動いてるセットでこれを見るっていうことで初めてなんか会場が成立するような気がしていて
自分が動くことによって写真が登場して自分が動くことに写真が消えて、
消えたときにはこの両足院が持っている美しい建物を美しい自然がストレートに見えるっていう
その共存の仕方を考えた結果がこの展示なんですね」

中原さんの写真がすごく強いから成立しているっていうところがあって
例えばここ奈良原さんのこの強烈な作風があってこそのこのなんか抜きと質というか
これこそ本当に無からいう生まれてるような感じなんですけれども
それが成立できただろうなと思うんですね

こちらの会場デザインも大渕さん。
明治39年に建設された旧日本銀行。
京都支店東京駅を設計した辰野欣吾とその弟子たちによるものです。

なんかちょっと楽しそうな
パステルからが面白いですね
こう天井高くて今度はがらりと変わって
フランスを代表するファッション写真の先駆者
ちょっとカタツムリみたいなつもりが渦巻き
みたいなカラフルな壁が
螺旋状に続いています
この背景の色と中の色が対照的だから
ボールがすごい好きな話は面白いから見ますよ
あほんとだなんかちらっと見えちゃうね
面白いよねんでここまたちらっと見て
また雰囲気が違いますよね
はいはいはい隙間から見えるぐらいは見えますよ
面白い隙間からチラリ大野さんは何かを
見つけたようですですよね
あしあれ金の足ですよね
でもマネキンの足ですけど脱いでますもんね
靴の下着もくれ
ここへええこっから見て本当だ本当ですね
暮らしが見えてここは足が見ます
うん赤いソファーの上に
お尻と脚が見えるんですよ
足の向こうに見える足
この三の読み解きはさらに続きます。
はいその上にアジが見えるだけだけどこれはドア枠から見た何かある種
ドアのじゃないんだけど映ってますよね。
鏡鏡だねでもドアの秋田からこうドアでしょ。
ドアが見えててでも隙間があってこうドアが開いてて、
どうやってて面白いですね。
色々ストリがありますよねフランスのファッション写真に革命を起こしたぶりだ

商品にもモデルにも興味を示さず、生み出したのはシュールで意外性のあるイメージ。
その世界観が会場全体でも表現されています。

結構面白いですよね。
だから上はほら結構古い建物なんか時間っていうのを感じさせるじゃないですか
古いものがあってでこうファッションっていうのはモードだから、
常に移り変わっていくっていうこうアリス儚いものじゃないですか
だからこう訳がないものの後打線打線打線っていうかね
そういうものがこう物を舞って履かないものがあるけど
それを収めている建物自体はすごいがっちりと石造りの何か剣道なものが
それをこう囲んでると面白いですね履かないもん

京都グラフィーの会期中は特別に普段は入れない二階にも上がることができます。

うわ目から見るとちょっと違う見方が全然変わりますね
一番手前に低くてね一番最後の黒っぽい部屋が一番高い
あああああの一番高い部屋に入ると
写真も上の方にあるから
こうやって見上げると
天上も含めて
全部見えるっていう仕掛けになってるんですね。
そういうことか今度は北へ。
次なる会場は鴨川が二股に分かれる田本さば街道の終点です。
商店街もまた展示会場。
アフリカがなのビジュアルアーティストプリンス邪推の作品があーけどを飾ります
店のパレットをねしてますよね。
面白いずっとですよね。
確かにそのアフリカのね本当日原思ったことは
見たことの方が来てるよ
裏もこれこの商店街なんですね。
こんにちは会うじゃこの人が写真サイの発起人
あのこっち面で見えているのが全部がなの
このアーティストのあの市場で撮影された作品で
はいで反対側に見えているのが商店街のものを送ってが鼻に着物とか牛乳の箱とか
あれも全部この商店街の方たちが手出回じゃ商店
街の皆さんも協力して共同制作ですね。
当初は来日する予定でしたがこのご時世商店街のものをが何送って
撮影してもらいました。
アフリカの情報が日本であまりにも少ないっていうことに気付いて、それで毎年京都グラフィーでアフリカのアーティスト
一人あのー展示をすることにでこの色はまアフリカだからから来るっていうのもあるんですけど
さらにこのアーティストが共感書くっていうなんか感情が色で見えたりとか
そういう感覚を持っているです。
だからその感覚を使ってこの作品を作ってるんだから
ちょっとありえない色をしてたんですけど
そうですよね。

邪推が独特の感覚で表現するのは貧困や絶望の中にある豊かさ。
見過ごされてしまう強さと気品。
アフリカの戻って大館何も知らない日本だからそういうところとこの京都の小さい場所ローカルを結びつけるっていうのは
すごいなんか発想としてやっぱりそういう事必要だなってね
やっぱりいろんな世界があるんでその人たちがやっぱり理解し合えるっていうことを伝えたくて

二年前はセネガルなアーティストが来日。
商店街の人たちをモデルに撮影した作品がアーケードを飾りました。
そのときの写真は今も載せ先に飾られています。
本当本当背景のかっこいいああ一緒で本当だどう失礼します
じゃからいい場所に居を構えてらっしゃいますね
京都をやんでがでましたからだと思うけど、
これ今出てるなの大きいやつがこの上にちょっとちょっとどうでした
その時はこれは例のようになったから
大半セネガルセネガルの人大好きなどうですか
そういう外国から来たアフリカから来た写真家の方がこう写真撮られるっていうの
はもうあのー経験そうでもないものをねさせていただきます
嬉しいと思います。
今や写真サイは商店街の一大イベント回帰直線。
店主たちは展示も手伝います。
開催から十年京都グラフィーの運営には日本はもとより海外からも多くのボランティアが参加します。

京都グラフィー。
その始まりは写真家ルシル冷房おじさん照明中西祐介さん二人が海外で出会ったある写真祭への憧れでした。
二千十一年南フランスで教会や空き家倉庫など街全体を会場にした写真集違います
同じことを日本でもやりたいその年京都に移り住み手あたり次第に交渉を始めます
断られても怒られても粘り強く説得し続けた十年でした。
フェスティバルやると思ったら結構お金の問題でもあるんですけど
どうやって解決したんですかね
僕たちはもう本当にあのフリーランスの写真家と照明家なので
あの持ってる下も何もないですし、もう本当に何の本でもなくもうゼロから始めたんですよね
時間

あのー前年度のマイナスとかもあったりするのでそれからまたあのー集めて
その集められるかわからないのにもうスタと準備を切らないともう間に合わないと次の年が来るよ
そうなで作りながら予算も集めながらやってるんですそうです
そうです僕たちができることといえばあと民主化すると言いますか
そのあとは特別なものにしないでもっと町中で展示をして
あのーま誰でも見に来れる普通にこう入るようなところにま作品を展示でそうすることでその作品のメッセジを
よりこの空間の力を借りて更にこう伝えやすくできるんじゃないか
湿布あるスペシャルもしくは僕メディアはどんどんで隆起上で町や腕としちゃう

個人が始めたとはいえ一流の作品が世界中からやってきます。
こちらでは門外不出ヨーロッパ写真美術館から取り寄せたあビングペンのオリジナルプリント八十点が展示されています。
ポトレとの巨匠と呼ばれる点
ピカソや北東など同時代の著名人から肖像写真の依頼を受けるほど人物が際立つように
背景を消すためのパネルを使うのが特徴です。
はい会場はペンが用いた鋭角なパネルの世界
観を形にしています。
確かにこちらの会場デザインは建築家の手によるもの。
展示のこういう設計ってお金が凄い厳しいんですね。
で強度グラフ二三の間もう黒毎年苦労されてコストもシビアだし、僕はそれはすごくいいことだと思ってるし
リスペクトもしてるんだけどそういう意味で綺麗に立てるっていうことをやって奇麗に作ってお金をかけてしまうので
はなくて逆にセット的にもう全部ですけどいうことで高さが違う
パネルで組み立てることによってつまりもうセットとして全体をデザインすると
確実にスペスの中で写真を撮るっていうことを見せようとしてますよね
それを今度は私たちは受け止めてそこに対するリスペクトを取ってそれを解釈した結果として
展示会場やはり作るべきだなという風に思っているのであえてむき出しにしたパネル
限られた予算の中で作家その世界観をも生かしたアイデアです。
でここは実は写真全然貼ってなくて
言ってみれば
民芸展が仕掛けたであろう
セット的な空間を用意していて
ここで言ってみれば
自分たちで写真を撮れる
来場者もそこで
ペンと同じ構想に乗っかれる
あとの民主化はこんなところにも

再びこちら
老舗の帯どんや年齢さんのお屋敷
こっちにもこんなにどこまで続くでしょう
なんてことですか
これはどっか東大寺かどっかの柱の下や
本当ですか頭の下の柱
これ置いてたんですよこの上に
柱とでっかいのそこすごいですよねこれは
ほんと綺麗なお庭ですね
あんまり定義してる奥座敷のさらに
奥には中庭と二つの大きな蔵までうんげんれいさんは商売の一方で
謀りて作らずの家訓により採算を度外視した帯づくりをしてきました
円山応挙や伊藤弱中の絵を帯に仕立てています。
写真サイの開催から十年を迎える今年源兵衛さんは写真の帯に挑戦しました。
ちょ写真を織物に仕立てるのは世界初ですちゃったこっちも頭写真じゃん
これこれはあのご主人様源兵衛さん。
そのさっきのお写真ですよどこだあの一応うんこれが帯になったんですか
これもさささっとなんでもこれこれなんですか
初めて見た本革紐っていうのがなんで俺がこんなことするかいうたら
写真の後二百年か何か知らんけどできてからその枠の中で
写真っていうものを観念ができてしまってるわけ

新しいものを作りたい。
枠から出た写真の可能性。
しかもお味っていうのはすごい。
なんかこの子文化日本のこうずっとこう続いている売れるとかどうでもいいわ
凄い何も関係ない存在そのものがな俺にとって身体や身体はいこれここ誰が見ても細かい細かいですね
俺これ兄も一緒に入ったこういう技術っていうのは伝統的に存在するものなんですけど
もちろんわ考えたんですよ
それが僕のあのやってる子というのは千五百年の知恵のおかげやね。それが日本の染織の立ててね
それでそれきりとないから頑張ってんだよ回答を切ってはいけない切ったら終わりよ

帯作りは分業制。
熟練の職人たちを説得しました。
わしに金箔などを
春白色人の工場あれを着る
プラチナ箔の上に薄い和紙にプリントされた写真が載せられています
この写真をミリ単位で裁断し横糸を作ります。
平安時代に始まった紙を糸にする技法。
大陸から安い麺が入ってくるまで全国で行なわれていました。

す次は織物職人の元へと
明治時代にフランスから伝わった織り機でたて糸に折り込んでいきます。

ここでも普通のあれだと
こんな空ないですけどね

ピンとかうん強い癖を直しながら写真の面が表に出るように一本一本と合わせていきます。
左右はこうしてミリ単位で調整します。
写真がずれないように細かい手仕事一日でおれるのはわずか数センチ。
写真の帯は全部で三本。

一番最初に見てもらいたいのはやはり撮影した本人です。
この方が元米さんを泥に潜らせたイサベルムニョスさん
スペインから来日しました。

なんうん三本の帯は
デザインも折り方も変えています
はいお決まりのだから
これはこの縄文の文様を入れたんですよね
括弧死語に来たあと浴びせやります
写真が捉えた太古から続く大地のエネルギーに形を与える帯

じゃないからこうお互いの相乗効果っていうまあ言うたら切り刻むわけ
この木に刻んで再生する時にまた写真が積まない仏の乗せたらさん
えっとえっと道連れでもまた戻してくれてありがとうございます

経糸は京都の伝統。
横糸は海の向こうから来た確信織りなす帯の中で新しい世界がまた一つ。

僕らの中ではこのフェスティバルっていうのが一つの大きな作品で
みんなでつくるみんなでこういろんな人たちが集まっ作る
一つの大きな作品みたいなでもすごいですね
その熱意をこの商店街に対しても受け含めてくれたし現場屋さんも面白いそうですね

ここには伝統的なものもあれば革新的なものもあってそれがこう混ざることができるとすればもう甘くなってさ
結局パルプフィクションねふ千葉じゃね
なんでもほんとこう日常的なその空間の中からこうよりそことは違う子より
こう違う場所にこう思いを馳せるっていうかそういうことができるっていうからそれもアートの力なんだよね」

一流の写真とともに京都の魅力にも触れる旅。
あなたの知らない京都にきっと出会えるはずです。