なぜ、角田光代さんの猫エッセイは泣けるのか

なぜ、角田光代さんの猫エッセイは泣けるのか




元ディレクターのAちゃんです。
わが家に猫はいません。
にもかかわらず猫の存在がどれほど大切なものかわかります。

角田光代さんの作品「今日も一日きみを見てた」 (角川文庫)が泣けました。

皆さんどんな思いでこの本を受け止めたのか見てみると。

共感の輪がじわりと広がりつづけているようです。
 
 

なぜ。私たちは猫に惹かれるのでしょうか。

どうやら猫ブームがやってきたようだ。

朝日新聞の記事(2017年12月23日)によると、全国の犬と猫の飼育頭数が、1994年の調査開始以来、初めて猫が犬を上回ったのだそうです。

猫が953万匹に対して犬は892万匹。犬が前年比4.7%下がっているのに比べ、猫は2.3%も増えています。

猫を飼う人が増えた理由とは一体何か。

調査を行った「(一財)ペットフード協会」では、

「犬はしつけや散歩が必要なため、猫に比べて負担感が大きく、敬遠につながっているのではないか」 とコメントしています。

ムツゴロウこと作家の畑正憲さんは、

「犬より猫のほうが飼いやすい。(それに加え)猫は非常に気持ちがわかりやすいんです」 といいます。

本に寄せられた反響の大きさは、時代の変化を象徴しているものと言えそうです。

猫は自分の心を映し出す鏡

飼い主が帰宅すると、犬は尻尾をちぎれるように振って迎えてくれるけど、猫は超然と出迎える。
 
犬派と猫派の違いを聞くとこんな答えをよく聞きます。
 
愛想を振りまくのが犬なら、ツンツンしていると感じるのが猫なのかもしれません。
 
安全確保のために犬は首輪とリードが欠かせませんが、
 
猫はリード無しです。束縛をうけることなく自由に行動するところも正反対です。
 
様々な抑圧を背負って日々を過ごさざるをえない現代人にとって、
 
猫の姿に理想の自分を重ねやすいのかもしれません。
 

ネコメンタリー 猫も、杓子も。「角田光代とトト」

角田光代さんの作品「今日も一日きみを見てた」のモデルとなった猫がいます。愛猫のトト。アメリカンショートヘアのメス7歳です。

ネコメンタリー 猫も、杓子も。「角田光代とトト」で紹介されました。

直木賞作家の角田光代さんと暮らすのは、アメリカンショートヘアのトト。

7歳のメス猫だ。猫と暮らす前と後では、すっかり世界が変わってしまったという角田さん。

トトと出会ってからの角田さんの日々の生活は?都会のマンションで、トトはどんな暮らしを?

猫と人間が織りなす不思議な縁…。猫をテーマとする書き下ろし小説のタイトルは、「任務十八年」。

角田ワールドが展開する。人間にとって猫とは?猫にとって人間とは?

角田さんは、猫と暮らす前と後ではすっかり世界が変わってしまったといっています。

「大事なペットを亡くした悲しみが、ほんの少しでも軽くなってくれたら」の想いで書いた短編を読むと

猫が私たち人間の心を癒やす存在であることがわかります。

『今』を作ってきた今までがあり、『今』が作るこの先がある

「任務十八年」

さて、任務が終わったので帰ることとなった。
借りていた衣を脱いで、もといた場所に帰る。
この衣をすっかり脱いでしまったら、私たちは人間界とは無関係になる。

本来私は、時間という概念を持たないから、今より先のことを考えたりはしないのだけれど

私たちの派遣先である人間は、今より先のこと、今より昔のことをくり返しくり返し考える生き物だ。
今起きていないことや、存在していないものを思い描いては、怖がったり不安になったりしている。

ずっと前にやったことや起きたことを思い出しては、後悔したり落ちこんだりする。
先のことも前のことも考えなければいいのに、それはどうしてもできないみたいだ。

だからきっと、私の任務先であった人間、さくらさんも、
私がやってきた当初から、私がいなくなることを思い描いていた。
私の帰還後はきっと愚かにも、後悔したり泣いたりするのに違いない。

 

(中略)

ねえねえ、きっといつかまた別の衣をまとって、
あなたのところへ派遣されるから待っていてよ、と物陰から私は言いそうになる。
でも言わないのは、おんなじことをさくらさんもまた思っていることがわかるから。
さくらさんもいつかまた、私が自分のところに戻ってくると確信していることがわかるから。

あれ?私、今より前のことも先のこともわからないはずなのに。
なのに思い出しているし、いつかわからない先のことを考えている。
あ、そうか、私は人間を視察したかったのではなくて、本当はこのことを知りたかったのだ。
時間の概念がない私にも、『今』を作ってきた今までがあり、
『今』が作るこの先があると、そのことを確かめたかったのだ。

さくらさんはペンキ跡を撫でていた手をふと止めて、ふり返る。
私は咄嗟に物影に隠れる。
見つからなかったはずだけれど、
さくらさんは、十八年ずっと私に向けていたのと同じ顔で、
にいっと笑うと立ち上がり青空の下、歩いていく。

 

私たちのために愛想を精一杯振りまいて去っていく猫たちの姿。

気まま振る舞う猫たちの姿も、意思を持つ存在として見立てると景色が一変することに気づきます。

そう、気づくのです。

人間が猫のために何かしてやっているのではなく、

猫が私たちどうしようもない人間のために寄り添っている。そう仮定すると自分が存在する「今」と

自分を形づくってきた今まで、そしてこれからどう生きるのかが見えてくる。

作者はそんな思いを抱いていたのかもしれません。

生きることへの感謝の感情が湧き上がってくるのです。