日曜美術館 「熱烈!傑作ダンギ ゴッホ 」

2017.09.17.日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ ゴッホ」

37年の生涯で実は画家としての活動はわずか10年という ゴッホ 。しかし、その間実験的な取り組みで美を追究し続けた。ゴッホの傑作の魅力を著名人が語る。

魂の画家と言われたゴッホ。フランスの印象派と日本の浮世絵に衝撃を受け、画風を確立していった。日本人にも根強い人気があるが、スタジオにはゴッホが大好きだという3人のゲストが結集、それぞれが傑作と思う作品をあげ、その魅力を語り尽くす。さらに番組では今回、幻のゴッホ作品と言われた絵の復元プロジェクトを取材、色彩やタッチに試行錯誤を繰り返す、ゴッホの挑戦が明かされる。

【ゲスト】松嶋尚美,漫画家…しりあがり寿,大阪大学教授…圀府寺司,【司会】井浦新,高橋美鈴

初回放送日: 2017年9月17日

日曜美術館 「熱烈!傑作ダンギ ゴッホ」

フィンセントファンゴッホ

三十七年の生涯で、

画家としての活動は

わずか十年、

しかも代表作は

最後の二年間に集中しています

ゴッホは

独自の美を追求し、

様々な実験的な取り組みをしました

そんなごっこに影響を与えたのが

日本の浮

世絵です

その構図や色使いに

強い衝撃を受けたのです

ゴッホは

浮世絵を模写しながら、

自分の画風を確立していきます

日本にもゆかりのある

ごっこの展覧会が

北海道で開かれています

初日の開館前には

およそ二百人が並び、

日本での根強い人気を物語っています

一番好きな方

がごっこです

日本のイメージ

がすごくあるところが好きですね

スタジオには

ゴッホが好きだというゲストが集まりました

全然掴

まれへんこの人

休みの日には

よく美術館に行くという

タレントの

松島なほみさん

孤独と不安の中で

絵を描き続けたごっこに

強く惹かれるといいます

漫画家の

尻上がり寿さん

次々と作品を生み出し続けたゴッホは

とても女性的だと考

えています

今回の展覧会で監修を務めている

ごっこ研究の第一人者

コーデラ司さん

様々な作風を模索

し続けたごっこは、

まさに美の探

求者だと言います

さらに

番組では

コーデラさんが関わった

幻の傑作の復

元プロジェクト

を取材、

そこから見えてきたのは、

色彩やタッチに

試行錯誤と実験を繰り返す

ゴッホの

姿でした

やっぱり

全然違いますね

難しいですか、

これはもう相当難しい

これはやっぱり理屈ですから、

楽しいですか、一言いただきました

これ、結局同じです

大事ですね、

北斎の赤富士に並んで

黄色

研究がやめれないみたいな

ゴッホを愛してやまない三人が語る

傑作団に、

一体

どんなご舗造が

浮かび上がってくるのでしょうか

ん、

日曜美術館です

今日は熱烈

傑作 談義

ということで、

これぞ傑作という絵を通して

巨匠の魅力を熱く語

っていくというシリーズですけれども、

合法に

挑戦しますね

フェスタ十二は

三人の皆さんにお集まりいただいています

よろしくお願い

します

松下さん、はい、

あの、

まずあの ゴッホ

の魅力や

思いというもの

この前半はちょっと

私、あまり

魅力を感じたいんですけど、

バンネルになれば、

ちょっと

闇の部分が

私、闇

のある人、あんまり好きじゃないんですけど、

ボボボボ

やって、ゴンホの 闇は

気になるというか、知りたいっていうか、

いろんな説

もあるし、

そこはちょっとねこの番組を通

じてですね、いろんな先生方に教えていただきたいな と

思ってるんです

さあ、そして知り上がりはいとむきさん

僕はね、

ゴッホはね、

女じゃないこと

はおっさ

ん女説

なんかすごい

風景とか

そういうのに

恋しちゃって

で、その風景を自分の中に

身ももって

頑張って、すごい

うってって、産んで

豊田そこで生まれたイメージが人々の

中に繁殖してくる

まさにね、そんなのごっこに肝心ですよね

身代わるって感覚

なんか

さあ、そしてもう一方、

小樽さんはどの辺

に惹かれるんですか

死ぬ直前まで自分の

オリジナルのスタイルをずっと追求し

続けていることですね

芸術家です

あるスタイルを作って、そのままずっと上

を描いてっていうのは

微塵もなくて、

それを最後まで

現はしなかったけど、生前は実現しなかったけども

やりとおそうとしたっていう、 その

意志の強さ

というか、

そこに非常に惹かれるところがあります

さあ、それではまずはその

午後のね 本当に

十年

ぐらいというね

その短い

画家としての人生

なんですけれども、

画家に至

るまでの

ごっこの

歩みから振り返っていきます

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1853年。ゴッホはオランダ南部の町、フロート・ズンデルトに生まれます。

父親は厳格な牧師。ゴッホも一度は聖職者になることを望みました。

しかし境界から向いていないと言われ挫折。画家になることを決意したのは27歳という遅咲きのスタートでした。

美術学校に通ったことすらなかったゴッホにできた勉強法。

それは自分の好きだった画家の作品を模写することでした。

手本にしたのはミレーの種まく人。

徹底的に模写することで、ゴッホは自らの画風を模索します。

ゴッホ32歳の時の作品。「じゃがいもを食べる人たち」。

貧しくても慎ましやかな農家の食卓を、ゴッホは重く暗い色彩で描いています。

後の鮮やかで強烈な色使いとは全く違う世界がこの時期の特徴でした。

もっと絵の勉強がしたい。

1886年。ゴッホはパリに移住します。それが転機となりました。

当時話題を読んでいた印象派との出会いです。

それまで見たこともなかった鮮やかな色彩表現。

心を奪われたゴッホは「これこそが、自分が目指すべき絵だ」と、大胆な方向転換を図ります。

パリ時代に描かれたガガとしての自画像です。

オランダ時代とは違う、明るく華やかな色彩表現を試みています。

ゴッホは印象派の影響を受けながら、次々と絵を制作して行きます。

さらにゴッホにもう一つの衝撃的な出会いがありました。

それは当時日本からヨーロッパに輸入され人気となっていた浮世絵です。

いわゆるジャボニズムがブームとなっていたこの時代。

ゴッホは浮世絵の大胆な構図や色彩を取り込もうとします。

広重の版画を徹底的に模写し、浮世絵の世界を体感して行きました。

オランダのファン・ゴッホ美術館の研究員だったコルネリア・ホンブルグさんは、浮世絵のゴッホへの影響は大きいといいます。

「ゴッホは浮世絵と出会い、色彩を使った斬新な表現の可能性に気づきました。といも現代的なものになると思ったのです」

「それがその後の南フランスでの、ゴッホならではの絵画の誕生につながっていくのです」

日本の浮世絵のような色彩が描きたい。それを求めてゴッホが向かったのが南フランスのアルル。一年を通じパリよりもふんだんに陽の光が注ぐ地です。

ゴッホはアルルを日本に見立て、さらなる試行錯誤を続けて行きます。

アイリスの咲くアルル風景。浮世絵を意識して描いた風景画です。

この絵を描いたゴッホは言います。

「花が一面に咲いた野原に咲いた小さな町。まるで日本の夢のようだ」

さらに画家を志した当初に模写したミレーの作品も大胆なアレンジほ施して描いています。

画面手前に立つ樹木は浮世絵で見た構図を取り入れたもの。

飽くなき探究は続けられました。

アルルに移住してからの15ヶ月でゴッホは200枚にも及ぶ絵を描いています。

そしてその中にあの有名な絵もあります。

「ラングロワの橋」アルルの跳ね橋ともいわれ、ゴッホが繰り返し絵に描いたモチーフです。

春の穏やかなひとときを描いた風景画です。

今日のゲストゴッホ研究の第一人者であるコーデラさんは、この絵こそ印象派と浮世絵の影響を受けたゴッホ35歳の集大成だと言います。

私たちは印象派の絵に慣れてしまっていて、この絵が割りと普通の風景画に見えます。でも当時の風景がとしてはとんでもない絵なのです。

もともとは白っぽい跳ね橋なんですが、黄色に描いて影の部分にブルー・青を使ってます。これは普通こんなことは絶対してはいけない。それを非常に大胆にやって、しかもちゃんと魅力を出すようにしています。

印象派よりも先に進んでいる部分があって、水の波紋とかわりと一筆書きのようにサラサラと描くんですが、これ見るだけなら楽なんですが、描けと言われたらものすごい大変です。

風景画で最初の傑作は多分この作品だと言っていいと思います。

ゴッホ自身、本人の評価はまだ誰もしていない。どこの馬の骨かよくわからない外国人がアルルに来て絵を描いているというように受け取られていた。

ゴッホは浮世絵を見て、浮世絵の中の世界がとても鮮やかなのを見て、日本は光に満ちたところだと思い込んでいて、南フランスは実際に現地を訪れて見てなんとなく気持ちがウキウキして、なんとなく開放された気分になって、ある種の魔力みたいなものがある土地です。

私はこの作品を描いた頃が37歳の生涯の中で、芸術家としても個人としても幸せな時代だったと思います。 

いよいよ自分のスタイルが

作れそうになってきて、

南フランスに来たらとっても明るくて、

自分が欲しい風景がたくさんある

もう希望

に満ちて、

それがこの

なんかこうみずみずしたというか、

透明感に

現れてるんじゃないかと思います

まるでなあるるいって漫画描かないとダメですね

明るい明るい

明るい、

違うものが

生まれてくるかもという、

実際にあの

五歩ある時代、

すごく創作

活動が盛んになってて、この

跳ね橋も何枚も

書いていると、

実はそのごっこの

その試行錯誤の後

というものが

今回 新たに

明らかになった部分が

あるんです

ゴッホが

鮮やかな色彩で描いた

ラングロワの橋

スケッチを含め

何回も描き、

大切なモチーフだったことが分かります

絵の制作に取り掛かる際、

ゴッホは

作品の構想をしたためた手紙を

弟や友人たちに送

っています

その中に

ラングロアの橋と

同じ構図のスケッチがあります

そこには

どこにどんな色を塗るかが記されています

例えば、 皮もわ

エメ

ラルドグリーンです

実は、

このスケッチを元にした絵が

日本にあります

しかし、

大部分は失われ、

肩を寄せ合って歩く

恋人たちの部分だけが残されています

一体

ゴッホは

どんな絵を

描こうとしていたのか

今回、コーデラさんの監修で、

手紙のスケッチをもとに

絵を復元する試みが行

われました

復元を担当するのは

画家の古賀陽子さん

これまで

ごっこにまつわる映画の制作に関わり、

ごっこのタッチを学んできました

まず古賀さんは

絵の残された部分を

模写しました

そして、

ゴッホの色彩や

筆のタッチが

実際どのようなものであったかを

徹底的に検証していきます

残された絵を細

かく見ていくと、

エメラルドグリーンとスケッチに描かれた皮

もには、

青や 白など

様々な色彩

を混ぜて

描き込んでいることが分かります

さらに、

コーデラさんと古賀さんは、

恋人たちを描く

絵筆のタッチにも注

目しました

どうですか、

こんなの難しい人だったんですね

これは相当

難しいです

このぐらいやっぱりできそうですか

帽子のつばも

筆のタッチで描いています

一言言われるみたいな

何回も練習します

おかげくないです

大事ですね

すごい個性が

出ますから

候補は

何も知らなかった時は、

ただただ

思いつきで

勢いだけで書いてる

と思ってたんで

すけど、

一つ一つのタッチに

魂がこもってたり、

リズムがあって、

かつ単調ではないっていう、

それはやっぱりすごい

すごいところで すね

そして、

いよいよ

絵の復元が始まります

われた大部分を

模写をもとに再現していくのです

実は

ゴッホはこの絵で

大胆な色彩の実験を行

おうとしていました

ラングロアの橋では

普通に青く

描かれていた空 の色を

なんと

黄色

にすると書かれていたのです

ごっこが目指した

黄色一色に染まる空を

描いていきます

果たして

どんな絵になるのでしょうか

復元を始めて

およそ三週間後、

仕上がった絵は

コーデラさんの予想を

はるかに超えるものでした

こうやって着てみるととんでもないですよね

この時期にしてみると

全然

そうですね

ランクのあの橋のシリーズ

だとこんなに短時間ではないんですよね

それが真っ黄色って

やっぱり

跳ね橋

を見ている角度 から

わかるのは

完全に北

向いてるんですね

北向いてるってことは太

陽は絶対見えないってことなんですけど、

でも見えないところに太

陽を描いて、

しかもその

黄色の空

を描こうとしてた

とっても

革新

的なんですね

図や色彩、

筆さばきに至るまで

実験を繰り返す画家

ごっこの

新たな一面が見えてきました

全然違う上に全然

違いますす ごい

こちらですね

先ほど見た

ラングロアの 端の真

別バージョンというか、

ここはこんな絵も描いて、

あっ、もうこっちにやってきた妄想

かなっ

て思っちゃうというか、

黄色好きになったのかな これで

黄色い、

すべてここら黄色

そういうパワーあるじゃな

いですか

素晴らしいって感じもしますよ

この空見ると

なんかあの、

どんどん解

放されていく感じがしますよね

大正から

その頃って、

先生、写真がいっぱい出てきたじゃないですか

そうすると、絵画って

写真に任

せて絵画は何するべきかみたいな

風に考えますよね

そうすると

今まで見えるものを見えるままに描いてたのを、 逆に

見えないものを描こう

本当はそこにない

色であったり、

あるいはもっと

心の中の

無意識だったり、

そういう

見えないものを

描こうとしてきてるのかなっていう気がして、

絵の可能性を

ものすごい広げてっ

てる感じ

これもいいんじゃないか、あれもいいんじゃないかな

この時期に空

を真っ黄色に描いたって

おそらくこれ一番最初なんですけど、

実験的に空

を黄色にするとかそれから道も

薔薇色にするとか、

これは内側の

背面的に

反側はニュアンスはあまりつけられないので、

こういうベタッと塗って、道もべたと思って

色の面で

全体を合成しちゃうっていうのは

明らか

に浮世絵

から学んだものですね

ここって

色彩にすごく関心が

そうですね、

ある時期

から色彩に目覚め始めまして、

赤と緑の組み合わせで、

補色の組み合わせで、

人間の恐ろしい情熱を表現したいとか、

それから

その黄色と

青の組み合わせで恋人たちの感情を表現したいとか、

そういう

色自体が何か

感情をちゃんと伝えられるんだということを

気づき始めるんですね

それ以前の画家でしたら、

例えばその絵の中の人たちが

悲しそうな顔

していると、その悲しみを

感情が伝わるんですけど、

そうでなくても

色 だけで

何か感情が伝わる

浮世絵の

模写なんかを見てると、

徹底 してる

んですよね

いろんな

研究熱心、

研究に対する執

念みたいな

ものすごい感じるんですよね

モッシャーしてるっておっしゃったね

ちゃんと

こっちからこっちに綺麗に描くことですよね

できてないですよね

また形は綺麗に模写してるんですけど、

色は自分で強くしてるんですよね

赤とか黄色をすごく強くしたりしてるんですよね

忠実に模写しようとは基本的に思ってなくても、

お洒落することで

自分の中で一回吸収して、そこから全く

違うものを作り出してやろうっていう、

だから芸術

家なんですか、

この人は

変わってばっかり書いてて、

お金にもなれへんけど、

研究がやめ

れないみたいな

食べていく気あったんですかね それで

会いました

なかなかそれで

仕事が来ないんですね

パリに行っていろんな全員学科を見ているうちに、

よし、もう全員が家で行くか

と思ったんだろうと思うんですよね

全員が家で行くっていうのは、ものすごい腹

の作り方が必要で、

しばらくはまず飯

が食えない

だいたいその全員が、 母が

いい作品を描き始めたから、

一般に

名前を知られて評価が高

まるまで二十五年かかるって言われてるんです

そんな sns ないですもんね

ないですか

だからその単語符が

五十何歳とか

六十歳とか、その辺ぐらい

までなんとか

食いつないで

講演を先に進めていってたら、

ふんぞり返った偉い

大学

お金もたくさん入って、

家族にもいい目をさせてあげ

てたと思います

本当の日本に来た時の

感想聞きたかったですね

北斎と仲良くなって一緒に描いてるとか

そうですね、夢のある話 だ

でも

高校だったら確かに日本でまた別な実験をしたかも

しれない

なんか候補が書いた富士山

見たかったな、

ごいみたいに書きました

富士山は絶対書いてたと思う

北斎の赤富士に並んで午後の

黄色

アルル時代、

弟から資金援助を受けていたゴッホは、

文字通り

絵に没頭します

暇さえあれば

絵の題材を探しに出かけ

次々と作品を生み出していきます

変わった大祭にも挑んだゴッホ

狩り隊への部屋を描いた

代表作の一つ、

寝室です

そしてゴッホは

このアルルを

壮大な実験の場として

思い描いていました

それは、

当時自分が住んでいた

黄色い家と呼ばれたアトリエに、

同じ志を抱く画家たちを集めて

共同生活をすること

お互い一切さたく、待ちながら

美を極めようとしたのです

そのゴッホの誘

いに応えたのが、

友人の画家

ゴーガンでした

二人が

共に黄色い家に住み、

同じ女性をモデルに描くなど、

それぞれの出来栄えを比べ合いながら

理想を追い求めます

しかし、

そうした日々は

長くは続きませんでした

強烈な個性の持ち主だった

ゴッホとゴーガンは

たびたび衝突するようになったのです

ゴッホの言葉です

僕とゴーガンの議論は

ひどくピリピリしている

僕らの頭は

疲れ果てている

ゴーガンは

アルルに、

この黄色い家に、

とりわけこの僕に

がっかりしたのだと思う

そして、ついに

ゴッホは事件を起こします

関係が気まずくなっていたゴーガンに対し、

精神状態が不安定になっていた候補は

カミソリで

襲いかかろうとしました

しかし、

ゴーガンに睨み返され、

ゴホは逃げ返ります

そして、部屋に戻って

自らの

耳を切り落としてしまったのです

の二週間後、

病院で治療を受けたゴッホは退院し、

一枚の絵を描きます

包帯を巻いた

板板c一画像

知り上がりさんは

同じ表現者として

この絵が特

に好きだと言います

一体

どんな魅力

を感じているのでしょうか

なんかね、 これが 今

現在僕らが 芸術

家っていうものに持ってるイメージの

もとになってるような

気がするんですよ

芸術家って

耳切っちゃうんだみたいな

それを書いちゃうんだよ

芸術家って怖

いっすね

みたいな

感じでしょ

そこまであるのとかっ

ていうところが、僕は

とても逆に

魅力を感じて、

自画像っていうのはその 前の

時代にもいっぱいあると思うけど、

みんな僕の知ってる範囲だと

なんかこんなって余裕こいてるじゃないですか

なんかね、

ちょっと書いてみたよみたいなさ

そういうのに比べて

深刻さが 違う

違いますね

もう

書かずにいられない人さ

どんなに

ここで赤使うか

緑を使うかが重要な問題であるから、

その狂気みたいなものが

あるところがやっぱり魅力だなと思うんですよね

わかります

なんか私も

この絵がなかったり、この事件がなかったら、私の 中で

はここまで

興味が湧かなかったというか

うん、

この絵は怖い

だって二週間だってめっちゃ痛いですよね

絶対痛いです

一回彼への普通ね、

どんだけ集中し

てやろうみたいな

小浦さんはもう

この耳

切り事件っていうのは、

当時って

何の

事件でも

なかったものだったりするんですか

いや、あの

あるでもちろん大事件が大事件にあったんですか

春でもうちょっと新聞にも

大事件になってまして

多分もうこの時は精神

病の発作を

何の病気か今わかってないんですけど、

発散も多分起こしていて、

なんか幻覚

かなんか見えてたかもしれないですよ

この状況で

自分自身を

ネタにして

芸術作品を作

ろうという気分になれること自体は技術家ですよと

思想師匠説ってありますけど、

司芸術

になってきているので、

自分

がこういう非常に悲惨な状態になっているのが、

これが芸術的テーマになる

自分で判断していて、

この時点ではもうおそらくもう

頭非常に

鋭く動いているはず

です

それでなければこの絵は描けないんですよ

で、とっても斬新なのは、上

半分はオレンジ色とブルーの補足で、

下半分は赤と

緑の補色にして、

その非常に

不安というのは

劇的な感じを伝えようとしているんですね

それから

目をよく見ていただくと、

緑と

輪郭が赤なんですよね

そうですね、

感情に任

せて書いたんではこんなにはなってない

なんやろうね

この時の心境を残

そうと思ったぐらいの

こと

なんですかね

この情報

わーって

泣いたと

鏡も書いてたらちょっと冷静になるじゃないですか

なんかそんなんじゃないけど

なんやろ自分

複雑な心境もそうですよね

表情

もこれどう受け取っていく

なんか、平成に見えますよね

地球線見える

だけど目の中に赤が入ってたりして

単純に輝度を開

くみたいなね

雑に分けた

感情じゃなくて、

もっと微妙な

お芝居で、なかなかね、できないような

食事じゃないかなみたいなね

難しいところですよね、今後は

しかも

パイプの毛文字をこういうくゆらせる形

にして、これもちょっと

気分を反

映していると思います

パイプを食い出すというのは

自殺

防止の手段と自分自身で書いていることもあるので、

落ち着かせるために、

気分を落ち着かせて

思考をちゃんと

働かせるためには、

それは芸術家に絶対必要なのはタバコだと言って、

弟の手を一生懸命ウランとしてタバコを進

めているんです

豊田じゃあこれ吸ってるってことはもう

やばかったみたいな

かなり状態良くない

っていうことですね

でもやっぱそこを

描くっていうのがやっぱり

芸術家

そうですよね

やっぱりこう

自分自身

がすごいテーマだと

この気持ちを持ってるかもしれないので

耳切り事件の後、

ゴッホは

次第に周囲から危険人物とみなされます

そして

ゴッホを病院に入

れるようにという単眼書が

アルル市民から出されたのです

ゴッホは

アルルを 離れ、

サンデミの療養院に入院します

時々襲ってくる

精神疾患による発作への不安

絵を描きたい欲求だけが

ゴッホを突き

動かしていました

そんな生活で目に留まったのは、

病室の鉄格子腰に見えた

田園の風景でした

太陽の日差しのもと、

畑で労働に勤しむ農夫の姿

ゴッホは

未来の絵を模写した写真を

思い出すかのように

描いています

もう一度

全勢力を

傾けて仕事に打ち込めば、

それが僕の

一番の治療法になるだろう

外から隔絶された

療養院での日々

そして、

かつてない傑作が

生まれるのです

そそり立つ

イトスも

うねるように渦を巻く 夜空

星月王は、

ゴッホが亡くなる

およそ一年前に書かれた作品です

これまでにない

幻想的な世界

ゴッホは

最後まで

絵を探求し続けました

ゴッホを象徴する作 品です

ゴッホの狂

気や情熱が

すべて含まれて描かれていますが、

ゴッホが表現したかったのは

自分が見た

夢だったのだと思います

夜空の星座も

星の並びも、

実際に自分の目で見たものなのか、

そもそも

実在する星

なのかも

わかりません

自分の想像力を駆使することで

この絵を

描いたのです

ごっこにとって、

それが

新たな表現の

追求だったのです

残りの人生を燃やすように描いた

この作品を、

松島さんは

最も好きな一枚にあげました

なんかこう、

大きな

青が目立つので、

すごい大

きな絵に

一瞬思うんですけど、

すごい力を決めてる

黄色とか白の部分とか、

風邪なのかなぁ こう

真ん中の辺り、

ほんとなんかこの人の複雑

さが出ているというか

しかも

空いててこんなにはっきりも見えないやろうから、

ある程度想像はあるんでしょうけど、

私は五本は

なんか見えてたんちゃうかなとか、

こんな風に

引き込まれる映画んですよね

見えてますよね、

これ

もう今までは

ゴーホは

ちゃんと風景見て、それを

その通りじゃないにしろ一生懸命描いてたけど、

これはもうね、

自分にしか見えない別

の世界を変えてるように見えて、

ほんとファンタジーとかおとぎ話とか、

そんな感じがして

ここで書いた世界はね、

魔法が使える、魔法

使える、これ

世界がもう違う気はする

この作品は

傑作中の傑作で、

私の傑作の一つの

定義というか

がありまして、それは

たくさん言葉を

吸い寄せるんです よ

その絵の前

に行くと人たちがいっぱいこうしゃべりたくなるっ ていう

ありとあらゆる説

があって、

最初はその

精神病の幻覚で見えたんじゃないかとか、

聖書のこの場面書いた

場面だとか、

キリストが

捕まる前に

祈る場

面があるんですけど、

苦悩の祈りですよね

なぜその割れを

見捨てたまえし

祈っていると、

天から天使が現れて、使

いが現れて

キリストの

力添えをしたっていう、そういう場面があるんですね

で、その場面の絵を

自然のモチーフだけ使って

キリストとか

天使とか書かずに

書くと

これになったんだっ

ていう、そういう説

あと星空

について言うと、

ファン豪華もオランダ自体から

牧師になる勉強している時から、

夜に

星空を見ていて

全ての音が

消えると

神の声が星

空から聞こえる、

そういう言葉を言ってるんですね

つまりからやっぱり

星空

の中にある種の

神が声

とか宗教性とか

そういったものが降ってくるっていう意識は

まず間違いなかったと思いますね

なのでここに

教会を、

ここにはないけど問題を書き込んでるんですよ

この場所へって書いてるんですか

教会にはない、

ここは教会全

くないん です

完全に架空の教会をここに書き込んだっていうのも、

やっぱり

なんか宗教的に見合いを込めたんだってこと

考えたの

この絵からお話が今から

何か始まりますよ

不思議なことが

まだまだパワーがあるし、

何かの予兆みたいな

物語、

これからですぜみたいなね

そういう

力感じますよね

なんか自分になるわけで

すごいって

まだ終わんないぞ みた いな、

何か

動いてる

心の中でね、

もう全然終わんないぞと思ってると思います

あのある時代はその色彩

でだけで何かを表現できる

と思ってましたけど、

この頃はもう

筆のタッチというのはなんと不思議なもんだろう

それだけがいろんな

感情が表現的に

でもこの時期は 完全に

こういう

うねうねをネットしたスタイルが多くなりますよね

ありますよね

他の絵でも

見えるような

筆の動き

こういう作風を

当時支持する

周りの仲

間たちや、

そのパトロンっていうのは

いたんですか

この頃から評価され始めました

いよいよ

この作品

というわけではなかったんですけども、

この次の年千八百九十年になると、もう

批評家が

取り上げて

暗黒の作

品を表するようになりましたし

それから

ベルギーのブリュッセルで開

かれた展覧会に出した作品が

一点売れているので、

え っ、

生涯

売れたの一点なんですか

確実めたのわかってないって言ったんです

何百枚

書いたの

すごいね、

すごいですね

二百枚以上

違うと言ってましたね

五ヶ月である時代だけ、

そんなに

最後聞けという形で

自分の評判

ちょっといいっていうところを

そうですね、

救いですよね

でも自分の評判

良かったけど、

まだ自分を褒めてくれることはないって言って断

ってるんですよ

自分を褒

めるぐらいやったらゴーゲンって

誰が褒めてくださいって言って

自分は、だから自分に満足してないんですよ

まだそこまで自分の価値がないと思う

熱烈傑作談議

最後に井浦さんが選んだ一枚

古靴

五湖がパリ時代に書いた作品です

この人は

大地を這いずり

歩きながら

描き続けた人なんじゃないかなって

思うんですよね そう

なるとその

履いている靴

っていうのは

ある意味

ゴッホの

もう一つの分

身のような

存在かなと思った時に、

もう一つのゴッホの

自画像のようにも

見えてくるんですよね

このくたびれた、

使い古して

すり減り

ただその

靴が

なんか五方の

全部を

伸ばしているようにも

見えてくるな

というふうに

豊田なんか合法って

今まで見ててすごい実験してね

次から次、

新しい世界

と思ったけど、

この絵は

全く

実験してないっていうか

すで返っちゃったんですよね

すごい

本当に素ですよね、

狙ってないというか、そのまんまを

もしかしたら

本来のゴッホの

形って方で、

売れるためにも、

驚かせたいためにも、

自分への調整のためにも、

どんどんどんどん進化していって、

保湿器をのような、

そこまで

高めでと

言うけど、

なんか 根本は

こうなのかな

ご褒美っていう

いや、

話はつきませんが、

どんなことを

ご本に改めてお感じになったか、

島さん、いかがでしょうか

いろんなお話を聞いたり、みんなで推理して

いくうちにごっこが

番組始まる前よりも

わからなくなった

人格が

全然つ

かまれへんこの人

っていう

めっちゃマイペースなさと思ってたから

そうで、自分一人で闇抱えたり

解放したりしてると思ったから

いろんな要素があって

周りにも目向けてて

何枚も何枚もさ、

上手に描けてるのに

何か前も描き直すしね

そんなに研究を重

ねて重ねてきた人かっていうね

ちゃんと影響も受けて、

やっぱり

ご褒

美を持って

自分が産んだ作品が、

言ってみれば

繁殖してる

なんかもう本毛じゃないですかね

ものを隠

しとったら

そうなりたいな

もうちょっと生きてるうちに売れたいかな

そんな画家なかなかね、

いないですよ

いや羨

ましいですね、

私たち絵を見るときには

必ず

みんな自分の心の中で持っている 物語

っていうのは

みんなもあって、

そのファン語句に関

しても本

当にいろんなものがあったら聞かせていただいて

当たってくるんですよね

金銭が増えてくるんですよね

やっぱりそういうものが

傑作っていう 名前

で呼ばれている作品なんじゃないかなというふうに

改めて思いました

今日は皆さん本当に

ありがとうございました

ABOUT US
aerith
ガジェット愛好家です。世の中にあふれるモノゴトはすべてヒトが作り出したもの。新しいモノの背景にある人の営みを探るのが大好きです。発見した情報はまとめて発信しています。