日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ ゴッホ 」

37年の生涯で実は画家としての活動はわずか10年という ゴッホ 。しかし、その間実験的な取り組みで美を追究し続けた。ゴッホの傑作の魅力を著名人が語る。

魂の画家と言われたゴッホ。フランスの印象派と日本の浮世絵に衝撃を受け、画風を確立していった。日本人にも根強い人気があるが、スタジオにはゴッホが大好きだという3人のゲストが結集、それぞれが傑作と思う作品をあげ、その魅力を語り尽くす。さらに番組では今回、幻のゴッホ作品と言われた絵の復元プロジェクトを取材、色彩やタッチに試行錯誤を繰り返す、ゴッホの挑戦が明かされる。

【ゲスト】松嶋尚美,漫画家…しりあがり寿,大阪大学教授…圀府寺司,【司会】井浦新,高橋美鈴

初回放送日: 2017年9月17日

日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ ゴッホ」

1853年。ゴッホはオランダ南部の町、フロート・ズンデルトに生まれます。

父親は厳格な牧師。ゴッホも一度は聖職者になることを望みました。

しかし境界から向いていないと言われ挫折。画家になることを決意したのは27歳という遅咲きのスタートでした。

美術学校に通ったことすらなかったゴッホにできた勉強法。

それは自分の好きだった画家の作品を模写することでした。

手本にしたのはミレーの種まく人。

徹底的に模写することで、ゴッホは自らの画風を模索します。

ゴッホ32歳の時の作品。「じゃがいもを食べる人たち」。

貧しくても慎ましやかな農家の食卓を、ゴッホは重く暗い色彩で描いています。

後の鮮やかで強烈な色使いとは全く違う世界がこの時期の特徴でした。

もっと絵の勉強がしたい。

1886年。ゴッホはパリに移住します。それが転機となりました。

当時話題を読んでいた印象派との出会いです。

それまで見たこともなかった鮮やかな色彩表現。

心を奪われたゴッホは「これこそが、自分が目指すべき絵だ」と、大胆な方向転換を図ります。

パリ時代に描かれたガガとしての自画像です。

オランダ時代とは違う、明るく華やかな色彩表現を試みています。

ゴッホは印象派の影響を受けながら、次々と絵を制作して行きます。

さらにゴッホにもう一つの衝撃的な出会いがありました。

それは当時日本からヨーロッパに輸入され人気となっていた浮世絵です。

いわゆるジャボニズムがブームとなっていたこの時代。

ゴッホは浮世絵の大胆な構図や色彩を取り込もうとします。

広重の版画を徹底的に模写し、浮世絵の世界を体感して行きました。

オランダのファン・ゴッホ美術館の研究員だったコルネリア・ホンブルグさんは、浮世絵のゴッホへの影響は大きいといいます。

「ゴッホは浮世絵と出会い、色彩を使った斬新な表現の可能性に気づきました。といも現代的なものになると思ったのです」

「それがその後の南フランスでの、ゴッホならではの絵画の誕生につながっていくのです」

日本の浮世絵のような色彩が描きたい。それを求めてゴッホが向かったのが南フランスのアルル。一年を通じパリよりもふんだんに陽の光が注ぐ地です。

ゴッホはアルルを日本に見立て、さらなる試行錯誤を続けて行きます。

アイリスの咲くアルル風景。浮世絵を意識して描いた風景画です。

この絵を描いたゴッホは言います。

「花が一面に咲いた野原に咲いた小さな町。まるで日本の夢のようだ」

さらに画家を志した当初に模写したミレーの作品も大胆なアレンジほ施して描いています。

画面手前に立つ樹木は浮世絵で見た構図を取り入れたもの。

飽くなき探究は続けられました。

アルルに移住してからの15ヶ月でゴッホは200枚にも及ぶ絵を描いています。

そしてその中にあの有名な絵もあります。

「ラングロワの橋」アルルの跳ね橋ともいわれ、ゴッホが繰り返し絵に描いたモチーフです。

春の穏やかなひとときを描いた風景画です。

今日のゲストゴッホ研究の第一人者である圀府寺さんは、この絵こそ印象派と浮世絵の影響を受けたゴッホ35歳の集大成だと言います。

私たちは印象派の絵に慣れてしまっていて、この絵が割りと普通の風景画に見えます。でも当時の風景がとしてはとんでもない絵なのです。

もともとは白っぽい跳ね橋なんですが、黄色に描いて影の部分にブルー・青を使ってます。これは普通こんなことは絶対してはいけない。それを非常に大胆にやって、しかもちゃんと魅力を出すようにしています。

印象派よりも先に進んでいる部分があって、水の波紋とかわりと一筆書きのようにサラサラと描くんですが、これ見るだけなら楽なんですが、描けと言われたらものすごい大変です。

風景画で最初の傑作は多分この作品だと言っていいと思います。

ゴッホ自身、本人の評価はまだ誰もしていない。どこの馬の骨かよくわからない外国人がアルルに来て絵を描いているというように受け取られていた。

ゴッホは浮世絵を見て、浮世絵の中の世界がとても鮮やかなのを見て、日本は光に満ちたところだと思い込んでいて、南フランスは実際に現地を訪れて見てなんとなく気持ちがウキウキして、なんとなく開放された気分になって、ある種の魔力みたいなものがある土地です。

私はこの作品を描いた頃が37歳の生涯の中で、芸術家としても個人としても幸せな時代だったと思います。 

ゴッホが作り上げた色彩表現の世界。ある絵の復元作業を手がかりにその秘密を解き明かします。「試行錯誤の挑戦」はこちらから。