日曜美術館「 疫病 をこえて 人は何を描いてきたか」

疫病をこえて

「 疫病 」をテーマとした美術をとりあげ、人間はどのように疫病と向き合い乗り越えてきたかを探る。小池寿子さん(西洋美術史)は中世ペスト期のイタリア壁画を読み解き、疫病の流行を経てルネサンスが準備されたと語る。山本聡美さん(日本美術史)は疫病を〈鬼〉の姿で表した絵巻を例に、可視化することで制御し病と折り合おうとしたと解説。ネットで護符として流行の妖怪「アマビエ」も登場、〈心が前に向く美術〉をご一緒に。

【出演】美術史家…小池寿子,美術史家…山本聡美,福井文書館司書…長野栄俊【司会】小野正嗣,柴田祐規子

放送:2020年4月19日

日曜美術館 これまでのエピソード | 風流

日曜美術館「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」

プロローグ

日曜美術館です。今、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて全国各地の美術館で

臨時休館が相次いでいます。

番組が始まって45年目にして日曜美術館にとっても初めての経験です。

そこで今日は疫病を越えてというテーマで、人が疫病をどのように描き

そして向き合ってきたのかを見ていきます。

司会の小野正嗣さんは今日はこんな風にして参加してくれます。小野さんどうぞよろしくお願いします。小野さんは今の事態を。どんな風にご覧になって。

そうですね。自由に外に出ることができないので、美術館や場所美術館以外の様々なアートのスポットに行くことができない。作品を見ることもできない。そのことがもたらす心理的な苦痛の大きさに困惑と驚きが冷めやらないのが実感です。

脅威に向かってどんな風に向き合っていけばいいのかというのは、初めての経験を

皆が共にしているところだと思うんですけれども、今日は日本人はどのようにして

疫病と向き合ってきたのかその辺りから見ていきます。

疫病と向き合ってきた日本人

病と死をテーマに中世の日本美術を研究してきた山本里美さんにお話を伺いました。

歴史をさかのぼると日本人は疫病にどのように向き合ってきたのでしょうか。

「大前提として、疫病と戦うという発想が現代人にくらべると低かったのかもしれない。恐ろしいものとともに強制する方法を祭りや美術や音楽や和歌のような言葉。あるいは祈りの言葉で絵見だしてきてのが過去の日本の営みだったのではないか」

仏教が伝来した当時の美を今に伝える法隆寺。

金堂の本尊「釈迦三尊像」。

聖徳太子の似姿とされるこの仏像は、太子の病からの回復を願って作られました。

光背に刻まれた銘文によれば、太子が病に倒れたのは622年。

母や后も亡くなっており疫病だったと考えられています。

この仏像は日本の美術の出発点。

以来、日本の美は疫病と向き合ってきました。

12世紀になると、疫病そのものを描いた絵画が登場します。

これは邪悪なものを退治する神々を描いた「辟邪絵」です。

真ん中が疫病を退治する神様。

疫病は小さな鬼たちの姿で表されています。

「4本の手が生えていて小さな鬼を次々に捕らえて、言葉書きによると、お酢に浸して食べるという場面。画面の左にバケツのようなものがありますが、お酢がたっぷり入っていてその中に鬼たちを入れては次々に入れて口に運んでいるわけです。鬼たちは哀れな表情でじたばたしている。こういう風に疫病に特定の姿を与え、その振る舞いを理解することが絵巻を見る鑑賞者たちにとっては安心につながっていったのだと思います。これは例えば現代電子顕微鏡で捉えたウイルスの姿がメディアで報道されると、こういうものかと、まずは理解の第一歩につながる。そのことに似ているのかもしれません」

疫病は行く度も描かれるうちに13世紀後半には鬼として定着します。

弱っている患者に小槌を振り下ろそうとする鬼。

姿を与えることで疫病の理不尽さに向き合えるようになりました。

さらに疫病の表現は進化します。

念仏の大切さを描いた15世紀初頭の「融通念仏縁起絵巻」。

かつての天然痘の蔓延を描いた場面。

鬼の姿の疫病たちが大勢押し寄せ、大流行だったことを示しています。

「仏事を行っている道場の門のギリギリまで疫病たちが大勢押しかけている。ありとあらゆる姿をした疫病に対して、家の主が一貫の巻物を示している。その巻物には念仏の仏事に参加している人たちの名前が記されている。つもりの参加者名簿なんです。ここにはこれだけの人がしっかりと念仏をしているので、お前達の来るべき場所ではないと諭したところ、疫病たちは仏の功徳に感じ入って、1人1人の名前の下に印、サインを残して、この人たちには悪いことはしないと約束して退散していったというストーリー。疫病が押し寄せたけれど、仏の加護によって押し戻すことができたという一連のストーリーによって鬼たちの姿がやわらげられ、ユーモラスに語られる。物語の中に回収されていくという役割があった」

疫病に抗うすべがない時代。死に直面する大きな恐怖に対し、美術や物語を通して心の準備をすることで日本人が病に向き合ってきたのです。

日本人は絵画、仏像、あるいは祭りなど様々な方法で疫病と向き合ってきたという様子をご紹介しましたけれども小野さんはどんなふうにご覧になりました。

「物語っていうものは始まりがあって、クライマックスがあって終わりがあるっていう風に何かを物語化することによって、先が見えないことにも終わりがあるんだっていう風にすれば理解できるようになる。物語の持つの効果役割っていうのがあると思うんですけども、美術で言うならば絵巻物はビジュアルつまり視覚的なものの持つ力とストーリーテリング、物語が持つ力っていうの組み合わせて脅威に向き合うことを助けてくれる役割を持ってたっていう風に感じました」

先が見えないわけではなくて、きっと終わりがあるという見せ方とか鬼たちが意外にひょうきんに描かれていたりしてちょっとびっくりしたんですけどね

「恐怖の源に何があるかってことを可視化して描くことでさらにユーモラスにかわいらしく描くことによって脅威や恐怖っていうのが和らげられるんですかね。そういうことは確かにあると思いました。人々の知恵、たくましさを感じますね」

日本人が疫病などの厄災に向き合う方法にはもう一つ全く違うものがありました。

それは美しいものを作ること。

例えば厳島神社の「平家納経」。

疫病、災害、戦乱などが集中した12世紀。

平清盛が一族の繁栄と世の平安を願って作った極めて豪華なお経です。

「不安や恐れが別の方向性としては過剰に豪華で美麗で精緻な図画を求めた時代でもあります。日本美術史の中でも黄金時代といえる美しさが極められた時代。そり原動力を支えていたのがもしかしたら疫病、災害、内乱など社会的に負の部分への対処なのかもしれない。平安時代の美術に感動するが、美しさの背後にあるモチベーションという。何が願われていたのかを考えると、美しいほどその願いの大きさ。あるいは願わなければならない不安の大きさが見えてくるわけです」

豪華絢爛で知られる京都の祇園祭も、そもそも平安時代の初めに疫病封じのために始まりました。

美しく飾ったのは、疫病の神を鎮めておくためでした。

こうした祭りは日本各地に伝わり、全国に根付いています。

「過去の美術を見ていると、このような災害や疫病に対して心のケアをどうするかということが非常に重視視されていたように思えます。言った手の化刷り人間が目の前で死んでいく。もしかしたら自分もそうなるかもしれない。このような恐れを抱いたときどのような形で日々を過ごすのかが重要だと思うのです。神や仏によって支えられる局面も合ったでしょうし。美術はそれをサポートした。祈りが形となって、恐れが形として表されることの安心感。このことを過去の美術から考えていきたいと思ってます」

絢爛豪華な飾り立て方をして、向きあっていく。これはどうですか。

「その闇が深ければ深いほど、光は強く美しく目に映るわけじゃないですか。周りで疫病が蔓延し、人々がたくさん亡くなって。暗い時代において人はより強く光を希求すると。それを具現化するものとして美術が絢爛豪華になるって言うのは我々人間が持っている心の在り方なのかなっていうふうな感じます」

光を希求する根源的に光を求める部分が大変な時ほどあるのかもしれないですよね。

「実際、大変な時の方が美しいものとか尊とさ、希少さみたいなものってビビットに伝わってくることもあると思うんですよね」

山本さんの言葉で「心のケア」という言葉が出てきました。見えない脅威・疫病と向き合って戦うというよりは、むしろ認める。共に生きる発想はどういう風に見ますか。

「我々は疫病を語り継ぐ時、戦争の比喩を使うでしょ。これが果たして適切なのか。病を克服しなくてはいけない。でも病っていうのも、人間が作り出したものである。人間が苦しむわけですけども、我われと共にあると。向き合って戦うというより、向き合ってそれとともに生きていく。現実を受け止めてなおかつそれでもなおかつ我々は生き続けていくっていうことなのかなと思いました」

では続いては西洋を見ていきます。新型コロナウイルスはヨーロッパやアメリカでも猛威を振るっていますけれども、西洋社会は歴史的に疫病とどう向き合ってきたのか。

人間の死生観をテーマに中世の西洋美術を中心に研究して来られた小池寿子さんにお話を伺いました。

今回の事態を歴史家・研究者としてはどう見てられますか。

「私は15世紀の宗教美術が専門とはいえ、まさに死生観というものがどのように美術に現れているかを40年間研究してきました。正直言って未曾有の体験を自分自身がするとは思っていなかった。改めて過去の人がこうしたパンデミックに出会ったときにどのように考え、何を残そうとしたのかをもう一度考えてみたいと思っています」

歴史上何度も疫病に見舞われたヨーロッパ。

疫病への向き合い方を伝えるもっとも初期の絵がイタリア・ピサにあります。

疫病や飢饉が相次いだ14世紀の前半。

修道院墓所に描かれたフレスコ画です。

累々と横たわる屍。

その上を舞うのは悪魔です。

コウモリのような翼と鋭い爪を持ち、死者の口から魂を奪い取っています。

こちらには鷹狩を楽しんで帰ってきた貴族たち。

驚き恐れる視線の先には死者が横たわる棺桶があります。

棺を前に修道士が「この世の命は病によって儚く奪われるのだ」と諭しています。

「本当に信仰を貫くならば、ひたすら神に祈る生活を送るべきだというメッセージがあります。当時キリスト教の考え方では、死が襲ってくる。病に倒れることは神の罰。懲罰と考えられていました。多くの人間が亡くなるのは人間の罪ゆえだ。だから罪を悔い改めるようにと説教のために描かれた絵解きの作品」

疫病を自らの罪への報いとみなしひたすら神に救いを求めた中世のヨーロッパ。

しかし、こうした価値観を根底から揺るがす疫病が襲います。

1348年からヨーロッパ全域に蔓延したペスト。

人口の3割が亡くなったと言われます。

流行の最中に描かれた絵は少なく、後世の書物の挿絵がその恐怖を伝えています。

「次々に周りの人たちが死んでいく。あまりに悲惨なので、本当に神は救ってくれるのかと信仰に対する揺らぎが起こったことは確かです」

キリストの存在を否定する者も現れます。

この木版画は民衆を扇動する偽の預言者たちを描いたもの。

「イエスなんか信じていると災いが起こるんだ。それを民衆が聞いている。預言者に悪魔がこそこそと耳打ちをして、もっとデマを飛ばせといっている。ニセ預言者が出てくるのです。デマを飛ばしている」

今で言うフェイクニュースですよね。

「フェイクがフェイクを読んでいくというのが15世紀に起こっている。ユダヤ人が井戸に毒を投げるとか、弱い者いじめのような方向にすべてエネルギーが向かうようなデマを飛ばす。それはもちろん政治的に利用される」

火あぶりにされるユダヤ人を描いた版画。

キリストを磔にしたユダヤ人を、疫病をもたらす元凶と決めつけ、理不尽な虐殺が起こりました。

「自分たちにとって敵と見なした者たちをどんどん追い詰めていく集団心理が異常に働いている。何かが原因で災いが起こっている。その原因はアイツかもしれないという負の感情は集中しやすい。今の社会でもいろんなところで見られる」

やがて、ベスト蔓延がピークを過ぎた15世紀。

死の舞踏と呼ばれる不思議な図像がヨーロッパ各地で描かれ始めます。

小池さんはこの図像が人間の精神に生まれた大きな変化を物語ると見ています。

国王や教皇から庶民まで、様々な身分の人間が手をつないでいる相手は死者です。

「死者が手を引いて、あなたは生きている間にこんな立派なことをしたと言っているけど本当かと問いかける。すると王様とか教皇とかが、確かに地位を上り詰め欲しい物は手に入れた。しかし、今となっては墓場に行くのみだ。台詞を解読すると試写が生きている人に教え諭している。試写は生きている人よりいろんなことを知っている。死者の教えを傾聴しよう。それによって生きる知恵を学ぼうというのが死者の書の趣旨」

恐れて戦ったりとか逃げるっていう方向ではなく、ちゃんとそのことと向き合いましょうよっていうことなんでしょうか。

「その通り。向き合いましょうということです」

ペストが生み出した新たなものの見方。

その先に誕生したのが人間の生を見つめるイタリアルネサンスでした。

その変化を物語る象徴的なモチーフが聖母マリア。

それまで教会の象徴として厳粛な姿で描かれてきました。

14世紀に描かれたこの聖母は、現世と異なる聖なる空間におり、厳かなやや硬い表情です。

しかしルネサンスでは人間味のある親しみやすい姿に変わります。

フィリッポ。・リッピの描くこのマリアは妻がモデル。

穏やかな笑みをたたえています。

「親しみやすい愛らしい人間らしいマリア像は、確かに苦難を経た時代の後だからこそルネサンスで花開いた」

人間を見つめるルネサンス。

それは疫病の長い闇の先に人類が獲得した力でした。

「人間の力ではどうしようもできないことですね疫病の蔓延って。当時の人々にとっては。人智の及ばない災いが起こったときに人間は思いがけない非からを持ち得ると思っていて。人間は次の活路を必ず見つけヒントを得る。そういう存在だと思う」

小野さんは留学経験もあるし、文学の研究者としてもヨーロッパ社会をご覧になってきていると思いますが、こうした歴史的な向き合い方をどんな風にごらんになりましたか。

「中世のペストがイタリアで発生したときに、避難した人々がお互いに物語を語り合ってその生活を慰めようっていうことで有名な「デカメロン」っていう文学作品が生まれてますね。疫病っていうものが実はこの人の命を奪うんだけど、芸術家や文学っていうもののその素晴らしい作品を生み出す原動力にもなってたっていうところもあると思うんですよね」

残されているものについて言えば、小池先生がおっしゃっていたデマゴーグ。社会的な不安とか混乱の中で出てくる負の側面ですよね。そういったものを記録してますよね。

「人間は悪の原因っていうのを自分たちでない他者にそれを押し付けてそれを遠ざけようとするっていうことが文学や芸術作品で描かれてきてると思いますので、ペストについての記録の作品を読むたびに、人間っていうのはどれほど進化したのか。技術的に文明としては我々栄えているかもしれないけども、心のありようとしては500年前も600年前もそれほど変わってないんじゃないかって。その都度我々は自分たちの負の側面に直面させられて、その都度美術作品・文学作品に立ち返ることによって、いやいやこういうことはかつてもあったはずだ。これが間違った方向であるって事で軌道修正できるといいますか、美術作品は、文学作品とのは尊いものだという風に感じます」

負の記憶、記録があることでそこで立ち止まることができる。

もう一つはの小池さんの紹介してくださった死の舞踏というギョッとするような絵がありますよね、そういう形で死を見つめる。その死を見つめたような作品の後に今度ルネサンスのように今人間礼賛と言う、生きることの喜びを表現するような表現方法が出てくるでこあたりの流れはどんなふうにご覧になりますか。

「ルネサンスの文化は人間が持つているポジティブな側面っていうものをより鮮明に力強く描き出す。そこに行き着くまでには死人と手を繋いで踊る。そういうことをした上でなければ人間の真の姿というものが見えにくくなってたんじゃないか。人間とは何か考える上で通らなければならない長い暗いトンネルだったのかもしれない。人間は疫病に接した時にあらゆる負の側面が放出されるようなことをずっと見てきた後に人間ってなんなんだって考えると思う。収束した時に、我々は人間っていう名に値するものなのかどうかってことを、立ち止まって考えることができる。人間とは何かってことを相対化して少し距離を引いて全て出尽くした、難いものもむき出して見たあとで、人間とは何か。人間の美しい側面と何か。伸ばすにはどうしたらいいかって言う心も向かって行くんですよね」

続いて今を生きる私たちのアートが疫病をどう見ているのか。その辺りを見ていこうと思います。ちょっとこちらご覧いただきましょうか。

アマビエと呼ばれる不思議なイラストがsns上で流行ってるんですね。妖怪のようなんですけれどもこのアマビエ。なぜブームになっているのか調べました。

snsに集まるアマビエのイラスト。思い思いに投稿するので姿は様々です。

共通するのは長い髪にくちばし。鱗を持っていること。

その姿を描けば新型コロナウイルス対策になるとされ、若者の人気を集めています。

アマビエが広く知られるようになったきっかけの一つがこの漫画。

作者はsnsで活躍している漫画家のトキワセイイチさんです。

妖怪ファンの間で疫病を防ぐとされていたアマビエ。

それに出会った男と小学生が私を描き人に見せようというアマビエに応じてsnsで拡散しようとするお話です。

漫画が投稿されたのは3月6日。

翌日には、1万件以上のリツイートがあり、アマビエが大きなブームになりました。

有名なクリエーターも次々とアマビエを投稿。

3月19日には漫画家ヤマザキマリ。

その二日後にはイラストレーター中村佑介。

4月に入るとイラストレーター坂崎千春。

さらにアーティスト井上涼によるこんなアニメーションも登場。

ついには厚生労働省の感染予防キャンペーンのマスコットにまでなりました。

イラストにとどまらず、アマビエをかたどった人形や菓子なども登場します。

アマビエについて調べるうちに、ある研究者のコラムにたどり着きました。

書いたのはアマビエの論文も発表している福井県文書館の長野英俊さんです。

そもそもアマビエとは何なのか聞いてみました。

「江戸時代の終わり頃、弘化3年の日付が入っている瓦版という江戸時代のメディアなんですけども、そのかわら版の中に出てくる物で、右側の文章については肥後国、今の熊本県の海の中にアマビエと名乗るものが現れて、その後6年間の豊作と疫病の流行を予言する。さらにその後自分の姿を写して人々に見せなさいといって海の中に去って行ったと書かれています」

アマビエの資料はこのかわら版しかありません。

しかも姿を描けというものの、その後利益は書かれておらず詳しいことはわかりません。

しかし手がかりとなる同じような妖怪がいるそうです。

それがこの海彦。

三本の足を持つ猿の姿の妖怪です。

海彦については多くの資料が残されています。

この錦絵は明治15年にコレラが流行した時に感染予防のお守りとして街中で売られたものです。

つまり海彦は疫病から守ってくれる妖怪。

ならばアマビエは。

「カタカナで書いてるものが見ていただくとわかりますが、ヱとコ。間違えたか、あるいはわざと似せたのかなと考えています」

何と書き間違え。

それでも可愛さ故に人気が出たんですね。

幕末から現代に蘇ったアマビエ。

それにしてもどうしてその絵に疫病予防のパワーがあるとされるのでしょうか。

「何らかのイメージをお守りとして身に着けるならわし風習は古くからあったでしょうし、特に江戸時代には「疱瘡絵」という絵が病気から守ってくれるお守りとして広く用いられていました」

疱瘡絵とは江戸時代猛威を振るった天然痘除けのお守りの版画です。

魔よけの色赤が強調され、絵柄は武者絵や金太郎、縁起物のだるまなど様々でした。

「例えば金太郎のような元気な健康的な姿を見る限りにおいて、それを身に着けるということの安心感。

それがお守りになるのだという共通の理念。社会的に広く共有されているイメージに対する信頼感が巡り巡って今私がこのイメージを身に着けている限りは安全だという発想につながっていった。不思議な姿で魚なのか人間なのかわからないイメージですが、理屈を超えてお守りになるところが幕末の日本人も今現在も変わらないのかもしれない」

理屈を越えてお守りになっているというアマビエ。小野さんはどんな風にこの現象をご覧になりました・

「今日知りました。驚いたのは、外出もできないような状況の中で、妖怪をいろんな形でデザインしたり、可愛いキャラクターに変えたりとかしてるって。人々の創意とユーモアが素晴らしい。アマビエのチャーミングさがかかわっている人々の心の余裕を示してるような感じがして素敵だなって思いました」

アマビエをそれぞれが思い思いのをイラストにして、snsという場にあげていく繋がり方をどんなふうに見ますか。

「苦境にある時に人間の心がポジティブな方向に動いて行くことの好例だと思うんですね。ネガティブな方向にも人間の心は負の方向に振れるっていうこともあるわけですけども、ポジティブな方向にアマビエと一緒に人々が向かっているって、人間ってすごいなって」

著名な方がアマビエのイラストを投稿してるんです。

漫画家のヤマザキマリさんも可愛らしいイラストをあげています。番組宛にどんな気持ちでこのアマビエのイラストを書いたのかというメッセージを寄せてくださいました。

「SNSで知り合いの作家の方がアマビエのイラストをあげているのを見て初めてこの妖怪の存在を知りました。それから数日後、私の家族が暮らすイタリアでは新型コロナウイルス感染でオーバーシュートが起こり始めました。看護師をしている夫のいとこも感染したという連絡があり、家族も目に見えない脅威に戸惑い、落ち込んでいるのが電話越しにもはっきり伝わってきました。アマビエを描いたのはその直後のことで、この絵を映して見せなさいというお告げの通り、イタリアにも効力があるよと、ルネサンス時代の画家の素描風に描いてみました。

家族に送ってもなんだかわからないような様子でしたが、プリントアウトして家の壁に貼ってあるそうです」というメッセージでした。

それから実はアマビエの他にもアーティストたちの新しい動きがあります。

例えば現代美術家で現在京都芸術大学で教鞭もとるヤノベケンジさんが休校中の大学の前にご自身の作品を置いているんですね。

メッセージを頂いていますのでご紹介しましょう。

「昨年、引き続き起こる自然災害や国内外での思想の対立から来る人間同士の分断の激化に漠然とした世界への不安が募っていました。そんな時、比叡山の延暦寺で彫刻の奉納展示を求められ製作したのが守護獣である狛犬でした。その不安が的中するような

疫病が蔓延しだした今年。矢も盾もたまらず生き霊退散の願いを込め、世界を睨む守護獣を京の都を望む京都芸術大学の門前に設置させて頂いたのです。今、世界中のアーティスト達は家の中でじっと世界を見つめながらインスピレーションを受けるアンテナを磨いています。時代を記録し、未来を切り開く多くの芸術作品が必ず今、数多く生み出されていくことでしょう」

今日は日本美術、西洋美術、その歴史を振り返りながら疫病と人々はどのようにし

て向き合ってきたのかと考えてきましたけれども改めて小野さんは今どんなメッセージをどんな事を思われますか。

「人々がこういう苦しい状況でありながらも、心のどこかにその美術や文学、人間の芸術全般っていうもののためのスペースとかを必ず持っている。今、人々の心の中にアートを求める祈りのようなものがどんどん深まっている時期なんじゃないかと思います。大切なのは人間が人間らしく普通に生きるっていう事。伝染病に直面しても何か得ることができるとすれば、今不自由を強いられてことによって自由の尊さがわかる。健康に楽しく近所の人たちと出会い、言葉を交し合いながら美術について語りあったりするっていうことがどれほど人間本質的な活動であることがより強く感じられてると思うんですね。僕たちはそのことを深くより強く感じることができると思うんです。笑って生きるとは何なんだそうですね。今一人一人が考えることができる時間になったのかもしれません。多くの美術作品や文学作品などが厄災を記録してもそれを今私たちが選んだり触れたりできるということは、乗り越えてきたから出来るわけです。そういう日を信じて、いつか終わりが来る。乗り越えたら終わりが見えるんだっていうことを考えながら、今改めてそうしたものに触れるっていう時間なのかもしれないですよね」

今日はどうもありがとうございました。

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aerith
ガジェット愛好家です。世の中にあふれるモノゴトはすべてヒトが作り出したもの。新しいモノの背景にある人の営みを探るのが大好きです。発見した情報はまとめて発信しています。