日曜美術館「琉球の風を纏(まと)う 喜如嘉の芭蕉布 」

喜如嘉の芭蕉布

涼やかな風纏(まと)う布・芭蕉布。沖縄県喜如嘉の女たちが守ってきた布作りの技 喜如嘉の芭蕉布 は、蒸し暑い琉球の風土の中で生まれてきた。3年かけて糸芭蕉を育て、繊維を取り出し、一本の糸22000回繋ぐことで一枚の布が出来上がる。より薄く、より軽く、喜如嘉の女たちは、まるで“トンボの羽”ような布を追い求めてきた。沖縄戦で途絶えた技を、戦争で夫を亡くした女たちが復活させた悲劇の歴史。500年を越える伝統の技の秘密を追う。

【司会】小野正嗣,柴田祐規子

放送:2020年3月1日

日曜美術館 これまでのエピソード | 風流

日曜美術館「琉球の風を纏(まと)う 喜如嘉の芭蕉布」

プロローグ
沖縄県大宜味村喜如嘉。涼やかに風まとう布芭蕉布。

500年を超える伝統の技は熱く湿った沖縄の風土から生まれました。

原料は南国に育つバナナの一種糸芭蕉。

一枚の着物を作るのにおよそ200本の糸芭蕉が必要です。

それは喜如嘉の女たちが受け継いできた布。

手作業で繊維を次々と結び一本の糸を作ります。

この作業を2万2000回繰り返してやっと着物一枚文の糸が出来上がります。

トンボの羽のように、より薄く。より軽く。

女たちの技と思いが織り込まれています。

冬でも汗ばむような南国の気候の中で芭蕉布が風を通し、軽やかに肌を撫でます。

芭蕉布
小野さんの芭蕉布との出会いは喜如嘉の芭蕉布織物工房から始まりました。

平さんがまず見せてくれたのは工房で作られている芭蕉布の反物。

「幾何学模様みたいですけど。はた結びの跡なんですよ」

光に透かすと見える小さな点。糸の結び目です。

芭蕉布は細く短い糸一本一本繋いでできるものなのです。

こちらは上質な細い糸で織られた着物。

「見ていただくと 糸が細い」

より薄くより軽く。女たちが目指すのは透明なトンボの羽のような世界です。

極細の糸で織られた芭蕉布ほど、はた結びの結び目は小さく見えにくくなります。

昭和の初めに極上の芭蕉布で作られた喜如嘉の着物。

この地方の裕福な人の普段着でした。目に見えぬほど小さな機結び。

指先にかすかに感じられるだけです。

「こんにちは」

前田正子さん87歳。芭蕉布の糸を繋ぐ名人です。

ウーミは芭蕉布の糸作りの中で最も時間と忍耐力を求められる工程です。

水に浸した糸芭蕉の繊維を裂いて糸を何本も作り、同じ太さ同士をつないでいきます。

 

多くの挿入されてるように見えますけど全然簡単じゃないですよね
きっとやろうと思ったらね
これはた結び
結び目をなるべく小さく目立たせない特殊な結び方です
単でも解けにくいのが特徴
余分な糸は結び目のギリギリで切り落とし目立たなくします
とさの違う糸は一旦口にくわえてとっておきます
じゅに加えている
水戸で調整してる細かったり太かったりした
次に遅いのが出てきたら
よんじゅっぷんでよんじゅー段だってできるんですか
本当に少ないんで
それができる人にそのできる人一人同じ太さだって分かりますね
やってみてだいたい同じになるような覚えるのよね
勝手に動いて痛いけどね
声が小さい時からお母さんがやっていたからね
あのいたずらしたらこんなしてたそうだよ
その調子悪いものはお母さんたちが皆避けるもの
これで自分でやってたのよあ練習したのですが
あんまり粉の好きじゃなかったけど
私は珍しくて何でもいたずらしよったよ

もう幼い頃から繰り返し繰り返し結ぶことで
身体に染み付いたはた結びの技
なめらかな指の動きが糸と糸姉に結んでいきます
前田さんの技が生んだ美しいと薄くて
軽い場所オフの原点です

そうめんみたいなみたいにね
では芭蕉布はどんな材料から生まれるのか
糸芭蕉の収穫を見せてもらうことにしました
完熟したのねそれは皮を剥いて倒せるんですか
何もかも倒したいわけじゃないんだけど
汚い女みたいに洗濯するってことではないので
この畑の中にいち年ものてんグレンモルトさん
年物が同居しているさんの熟したものだけを今倒して
畑の広さはおよそななひゃくごじゅー

坪女たちは年にさん回大きな葉を落とすなど
豪雨や台風の被害から井戸場所を守ってきました
育て始めてさん年秋から冬にかけようやく収穫を迎えます

これもこれ見たらこれ大丈夫
簡単に出来てないですか
よかったです

表皮を取り除いた茎に切れ目を入れて1枚ずつ皮を剥いでいきます
俺は女子高の家具着物になる生地を作るところ
お金取ってこれを知らない人は
何の原木から平均ごGぐらい買ったごGしか使えないですか
この一本からはい
着物千總にGしか取れないって言ったら一枚の着物を作るのに何本
これは平均にひゃく本ぐらい倒してるかなと思うんですか
糸芭蕉一本から取れる繊維は
わずかごG着物一枚を作るには良いと
場所がおよそにひゃく本も必要です
全ての皮をはぎ終わると
用途に合わせてよん種類に分けた
羽根バス芭蕉布の着物に使うのは那覇宮と呼ばれるさん
番目の束だけで
茎の一番外側にあるわははは
座布団やクッション時にに番目の那覇うりやネクタイおりますよん
番目の生揚げは染色する時の絣むすびの糸として使います
束ねたりと芭蕉の皮は昨日入れたお鍋で炊きます
悪が多すぎると繊維が切れてしまい
少ないといくら時間をかけても立ち上がりません
翌日炊き上がったいと場所を見せてもらいました
先ほどの那覇栃木箱の中に入って昨日のごじからですから
この漢字
一晩寝かしたいと場所
不純物が浮き上がり
表面が茶色で
炊き上げたいと場所は次の女たちの体だけ
ハサミでしごいて表面の不純物を取り除く工程は
つー匹と呼ばれます
焚き上げたいと場所はその日のうちにうびきしなければなりません
女達総出での作業です
竹のことしっこ死後言ってはいしごきますよね
はいをしごいて皮を取って捕まってそうです
不純物を取ってる人物を手配する力が入るコツのいる
とても大切な仕事です
女たちは裁ちばさみで糸芭蕉の表面をしごきながら
全員の個性を見極めます
柔らかい糸なのか硬い人なのか糸芭蕉の繊維との対話です
全員が内側に隠し持つ美しさとの本性が露わになってきます
た繊維の束は直射日光をさけ工房の中に吊るします

形色に光り輝く糸芭蕉
喜如嘉の気候と風土が育んだ
難しい色です
その日に引いたものをここに干してるんです
乾燥させてはいありがとう
こっちとこっちと分けてるのは書いてないけれども
きっと橋ルートと横糸はい
それは横にとって植物が入ってるわけじゃなくって
扱いって言うべきした人の感性で行く
ちょっとずつ微妙に違う違う違う
本性が出るところです

美しくも扱い難い糸芭蕉の本性
日本の糸をつくるさまざまな工程
それはつー匹のような繊細な作業ばかりではありません
前山八重子さんつー匹して乾燥させた繊維を
次の工程のために巻く作業をしていますが
見よう見まねではい今押さえてますよね
二つの持ってこんなに二回三回ぐらいしてかけるんですよ
ここに来たから入って来ないって
例えばここでまずもってて考えてますよね
捕まえてはいこれやしたから持ってきてここに勝てる
どうだとか言うからダメだと
一見似ているように見えますが
左手の指をよく見ると
人差し指と中指をわずかに動かしながら回転させ
針のように巻いているのが分かります
人差し指でクルクル巻いたすごいだったよ待ってまーす
これで綺麗な積んでも洋画でも洋画でね綺麗ですよね
行くのは次の作業を効率よく始めるため
こうしておけば一歩一歩絡まることなくスムーズに取り出せるので
より細くより軽く
様々な女たちが様々な工程を引き継いでいくことで
一本の糸が出来上がっていくのです
繊細で美しい場所オフの魅力
かつて琉球王朝の人々も取り憑かれて行きました
押しかけることが許されなかった
黄色字の着物光に透かすと黄金色に見える場所オフです
紅花の染料で染めたひろの着物など
琉球王朝は自分たちだけの畑を持ち
贅を尽くした場所オフを生み出していきました
れーじに入って描かれた琉球風俗
様々な職業を紹介した
この映像をよく見ると
聖人から職人まで庶民達が来ているのは
どのエモパー娼婦の着物です上の色
は生成り加工模様は金の島加工紙
当時流行ったかすりの小さな模様も見られます
これは芭蕉布織物工房にある一番古い着物
明治後期の場所オフです
補修した跡が目立ちますがいいとは極細極上
の生成り地の着物です
蒸し暑い沖縄の風土の中でまるで風を纏うかの
ような心地よさです
昭和初期の場所琉球藍で染めた人
お金の格子柄に仕立てた自慢の外出着です
こちらも昭和初期の着物
地機と呼ばれる古い機織り機で織られた場所を
オフ
表面にできた村が
独特の美しい風合いを生み出しています
今では普段着として着られることが少なくなった場所を蒸し
喜如嘉の女たちにとって芭蕉布は今も大切な存在です
中田さんと山城さんは昭和七年生まれの同級生
早速着物自慢が始まりました
先ほどからお母さんはどれ
おばあさんが糸を紡いでさんが降りました
おばあさんがすごい
でもおばさんに坊さんにも私と家族代々先祖代々休暇
家族から受け継いだねおばさんみんな山口が良いんですね
きっとなんかおかしく畑にしてみると分かるよね
そうするしかないでしょハダル子を付けしてますから
そのままだったら買っときますね
でもお吸い物はね涼しそうだがこれがみたいですね
ありがありがあるもんだよね
加藤紀子だからね
見てたらもちろん着物だけでも見せていただいてもね
綺麗だなとよくこんな細い糸でできてるんだとか
こんな繁殖なんだとか
お茶でも睡眠とか分からないなと思いますけど
やっぱり人が着るもんなんだなと思う
さっぱり人が来て完成って本当に思います
三和芭蕉布乃糸をハタムスビでつなぐ海の明治家は
代々場所づくりをしていました
糸芭蕉を育て収穫し糸をつなぎ
機織り機で織っていたのです

中田さんに場所オフが持つ不思議な力を教えてもらいました
こっち触るとね
早いか落ち着いてはいはい
自分仕事しているということで流行ってますよ
あの昔の後ろおばさんなどがはい
あのちょっと気になってまで行ってたんですよ
やっぱりあの場所本当あの長生きさせるあの神様皆様です
ちょっとちょっと先輩ですけどね
眠ってこう横になってもコーヒー寝たしなくコルク玉ゐたりね
ファイトいらしたですよね
元気になってもですかみたいになってもね
俺ぐちおばあちゃんたち来おへんに言って
私隣近所ってきましたけどね
コーヒーね行ってらっしゃいましたですよ
無意識に体だけ動かしたけど
ねむのたけみても買うてこい出てこい
動かせばあのこういう風にですからね寝ててもね
行ってらっしゃい覚えてますか
小さいと海も周りみんなそうだから
何か変わったらして行ってました女子がなんだかねえ
あの雨降るとはい雨降るとこの畑の音が音トントントントンしてね
あの各家庭にあってそれをトントンと聞いてきてくれましたが
機織りのアトレの音が音が音が音花届いてよかっ
たですねまたぼうぼうとかね
その時の音が聞こえるような昔を思い出しますね
音が結構猫いっぱいあった
中田さんの家の倉庫に眠る古い機織り機
昭和初期喜如嘉の男たちは船大工として出稼ぎに行っていました
留守を預かる女たちは
場所をオフで着物を作り得ることで家計を支えていたのです
今でも海をたの中田さんの人生も場所オフとともにありました
喜如嘉の村には数百年の時を超え
場所を作る音が響き続けてきました
機織りの音糸車の回る音
そんな平和が破られる時がやってきました
太平洋戦争末期の沖縄戦場所オフの生産は途絶え
断絶の時を迎えたのです
沖縄を占領したアメリカ軍は
伝染病を媒介する蚊の繁殖を防ぐためにと
場所を次々と切り倒して行きました
パイセンご芭蕉布の復興目指したのが
後の人間国宝平良敏子さんです
昭和21年戦争で夫を亡くした女性を集め
場所づくりを再開したのです
男たちのいない村で場所ふわ喜如嘉の大切な収入源となりました
やがって喜如嘉の芭蕉布が広まっていく中で
平和な村が蘇ってきました
昭和49年喜如嘉の芭蕉布保存会は
国指定の重要無形文化財となったのです
女たちの手から体気の遠くなるような仕事を積み重ねて作り上げられる場所
より軽くより薄く
カゼマトウなどは村を守り続けてきた喜如嘉の女たちの誇り
勝負は数百年にわたり
喜如嘉の女たちとともに生き続けてきたのです

記憶って疲れたちぐさの記憶みたいのが全部どこにあるから
一つ一つが家庭で人はどんどん人間味を帯びていくと
人間味を見ないってことですよねそれで機械的なもんやな
女性達が作ってきた巻物じゃなくても
力っていうか腹の大きさっていうんですかね
それを感じると親戚そしてその親おばあちゃん
そういった人たちに守られてるって言うのかな
そんな感じが彼女たちにしてると思いますが
出るいいじゃないですかあれってねこすりながら荒野
とお母さんとこおばさんとか
おばさん達と一緒になってたかもしれんじゃないかな
っていうふうに
子供の頃とか
大きくなってから
これやりだした頃とかって言わないと強く願ってきました
そうだ僕が女性たち女たちの蘇って駆けつけるからっていう風に
場所を美しく染める
のは全て喜如嘉の自然から生まれた染料です
シャリンバイからは茶色い染料
福木からは黄色い染料
として芭蕉布といえば美しいアイ
いつになったら花が咲く予定です
紺色の染料を作る琉球愛は沖縄でしか栽培されていない植物です
明日は何がやってますね微妙に色が違いますその花なんですけど
この愛の花が薄かったり濃かったり紫の猫みたいな感じで
これによってこの雨の中の愛の状態がわかる
車で早いわね
入れてから何分なら勝負はその間に入っちゃってすみません
さんじゅっぷんもよんじゅっぷんもこうやってしてても変わらない
それもずっとつけとく漬け込む
そういうこと
藍染を何回繰り返すかは
その日のIの状態干すときの天気湿度によって違ってきます
そして最後に見せてもらったのはおり
様々な女たちの手を経て繋がれた一本の縦糸と横糸が交差しながら
ゆっくりと降り上がっていきます
さん年余りの時を経て完成する場所
繊細で緻密なこの世界は喜如嘉の女たち
誰一人が欠けても生まれてこないので
今回思ったのはこの美しい場所を振っていうのは
もしかしたら僕たちの後
理想的な社会の姿そのものを表してないかと思ったけどね
なんでかっていうと一つ一つの工程ってどこ大切にし
ていくとそれ作ったりしていくってことはつまり
どんな工程にかかってる
どの人も必要なんだってどの人もかけがえがない
どの人が欠けてもこの場所をオフはできない
感染しないってこと考えれば
皆さんかかって一人ひとりが大切だよとこれ
ほんと人間を大切にするやっぱり今
文化だと思うんですね技術だと思うんですねで
そうやってできた両手そこにこうあの象徴的なのがいいとですね
人を産む時にそのおばさん達がそのはた結びしていく
その指の動きをなんと美しいですよね
その指も動きも美しいした佇まいの美しさと美しいその仕草に
よってこの中にとって日本でとがつくわけで
我々の社会ってこと考えときに人間の社会ってことかな時
僕たち予告繋がりとか関係とか絆とか言うでしょ
そういうのって全部イトのイメージだと思うんですよ
つながりっていうのは
それが消えたら断ち切られたら刑事が助けられ
たり関係でそういう時に人間は孤独になり
悲しみを悲しみに打ちひしがれたり
懇親会するっていう孤独になるってだけど
糸が繋がっていくってことが
人間社会ってのないと出せるわけですね
ちょっとあの娘
本当に貸すから歩かないかなわからんような娘ですけど
あのそれこそが僕たち一人一人人間じゃないかと思ってた
小さな僕たち一人一人の人間の糸がごつないでって
そうやって一本の糸が今日
僕たちの種類の関係を作り出して繋がりを作り出して
それがたくさんの
人が取り上げられていくことによって場所ができるとしたら
それまさに僕と社会そのものじゃないかと思うんですよね
美しい場所オフは理想的な社会のあり方じゃないかと思うんです
そこにかかってるどんな人も大切だっていうことで
それこそ美しい場所を踏ん僕たち人間の何
かくあるべき姿っていうのは
ひょっとしたら正しいのかもしれないと思いました
旅の終わり特別なものが用意されていました
こんな感じの場所なんですけどどうかなと思いました
はい着物になっております
男の人でございますよろしかったらどうぞ
はい男物の場所は和服ですが
染めもおりも喜如嘉の伝統的なスタイルです
軽い
軽いですね
漢字も降りました
あの肌触りもいいですよね
肌触りが良くて軽いし涼しいですね
涼しいですね
より薄くより軽く
服を着るのとは違って
この場所オフ起きるって言う事のなんかこう軽いんですけど
でも今着てるその気持ちとしては非常に重みを感じます
軽いんだけどそれを仲良く今から行ってこう簡単
ちょっと口にできない気持ちはありますね
ほらここにここ持ってるものは重たいとも大したこと言っても
ホント尊いものだっていう風に思います
恐らく来ていらっしゃる方は
あの船に来て出してもそういうことをふと考えることがあっ
たんじゃないかと思ってに
一応中で女性たちが被ってる姿を見てる記憶の中で残ってる
体の中に染み付いてるから
その着物を着て生活して
その中で女性お母さんやってるおばさんだっておばあさんだったり
そういう人たちの仕草が蘇るっていうことがあると思いますねほら
この服を着るって事は
これを作ることに携わってきた女性達があるし
その人達のしぐさ争友達の魂が濃い
蘇るってことでもあるんじゃないかと思ったから
来るって決まっては
ちょっと女性たちとともにあるって事ではあるのかなっていうふうに思います
琉球の風まとう布芭蕉布様々な苦難を背負い
数百年続いてきた技は喜如嘉の女たちとともに生きていくのです。#

ABOUT US
aerith
ガジェット愛好家です。世の中にあふれるモノゴトはすべてヒトが作り出したもの。新しいモノの背景にある人の営みを探るのが大好きです。発見した情報はまとめて発信しています。