美の壺「今を映す京の茶碗(ちゃわん)」

美の壺「今を映す京の茶碗(ちゃわん)」

伝統の着物の柄などの影響をうけ、極彩色に彩られた茶わん。

藍染の色にも似た青いグラデーションが美しい、やわらかな印象を与える茶わん。

そして“異形”とも言われる不思議な形の茶わんなど、現代の京都で生み出された多彩な茶わんと、作家の思いに迫る!

こうした茶わんの原点といわれる樂茶碗や、江戸初期の野々村仁清の傑作茶わん、明治時代海外でもてはやされた京薩摩、そして井戸茶碗など、名品も登場!<File472>

【出演】草刈正雄,【語り】木村多江

美の壺「今を映す京の茶碗(ちゃわん)」

放送:2019年4月5日

茶の湯と共に歩んできた京都の焼き物。その主役は何と言ってもお茶碗です。京都の茶碗は実に多彩。茶の湯の流行の変化とともに、様々な技術が生み出され、お茶の席を彩ってきました。京都の茶碗の原点。それはおよそ450年前、利休が長次郎とともに生み出した楽茶碗でした。「人の感情とか美意識を器が反映する。その方向へ利休はもっていった」。色絵鱗波文茶碗。江戸初期の陶工・野々村仁清の傑作です。黒織部茶碗。この不思議な模様が描かれたゆがんだ形の茶碗は、京都からの注文によって地方で焼かれ、京都の人々に熱狂的に支持されました。こちらは明治初期海外への進出を目指し焼かれた京薩摩です。陶工たちの見事な技。「精緻な描写で知られる京薩摩ですが、こちなの茶碗の見込みをご覧ください」。一面の蝶々です。

流行

キメラ茶碗。極彩色の彩りに不思議な形。一つの体にいくつもの命が宿るというギリシャ神話に登場する怪物キメラがモチーフです。「茶碗とキメラが合体しているというイメージでお茶碗を作ってるんですけど。結構なんか私に似てるといわれる」。茶碗に描かれたどこか懐かしい文様。「着物の柄の方が結構こう自分にしっくりくると言うか。図案のイメージで自分でポーズ1起こして帰ってます雅な世界を醸し出すのは湿布を文様など京都に伝わる着物の柄等で図案を起こして書いてます」。雅な和の世界を醸し出すのは七宝文様など京都に伝わる着物の柄たちです。特に能装束の文様は古くから京都の茶碗を彩ってきました。このひし形の文様は野々村仁清の色絵金銀菱重茶碗に見事に結実しています。「絵柄の主題というのは仁清が独創で作り上げたものは意外と少ない。西陣織や能装束といった京都の文化を丸ごと取り入れていた」。
空の下で一服。揺らいでいるような。柔らかな揺らぎを生み出す不思議の茶碗です。茶碗の作者福本双紅さんは、形を決めないで轆轤をまわします。「今失敗したけどそれを生かせるかなとかいうような感じのライブ感でモノクロするので、しかもその後でこれが効くとかいうような不細工さんを残すので、不細工なとこって魅力でしょ。きちっきちっとしているのは魅力じゃないですか」。ろくろで形が生まれると、次は削りです。ヘラを使い微妙に形を整えていきます。そして器に深い溝を刻み、何と器が真っ二つ。切り取ったパーツを別の器に乗せて一つの茶碗が姿を現しました。白い帯のように見える部分は釉薬をかけたところ。焼くと溶けたいう訳で上のパーツが滑って傾き下の器とくっついてひとつになるのです。色も形もすっかり変わりました。「ちょっとずれてくることって、確かなものを感じるわけです。それは計画通りにやる確かさとは違って」。揺らぐ茶碗はあるものへの憧れから生まれました。それは空です。「空もずっと覚えてるでしょう。そのうちすぐに消えてしまうわけで、そういう存在みたいなものが憧れなんですよねきっと。だからこうじゃなくってもいいというような存在が。だからこの前と先があうんじゃないかっていうようなさしていう」。そしてこの釉薬の青の滲みが茶碗にさらに揺らぎを与えます。福本さんの茶碗の青は染色家である母の潮子さんが染める藍の色から来ているのかもしれません。藍染は水で洗うことで緑色から藍色に変わります。染めるという京都の伝統工芸に刺激され。ゆらぎの茶碗は憧れの空に近づきました。「京都の美意識とか厳しさとかいうものを自分の中に感じざるを得ない。叶わないものがあるわけですね。かなわんなってものがあってこそ出来るなっていう感じがするんですよね「。空に憧れた茶碗は京都の春の光をいっぱい浴びて、空と一つになりました。

京都のパンクな陶芸家・小川宣之さんの作品。

喜左衛門

茶の湯と縁が深い大徳寺孤篷庵。ここに喜左衛門と呼ばれる井戸茶碗があります。喜左衛門と呼ばれる井戸茶碗。びわ色の肌に細かいひび割れの貫入が走る枯れた姿。高台にはかえらぎと呼ばれる釉薬の激しい縮れ。そして井戸茶碗の名の由来とされる深い見込み。500年前朝鮮半島からもたらされ、多くの茶人を魅了してきた全く飾り気のない茶碗。漆による補修の跡さえ見所です。二つ目のツボ。あるがまま井戸茶碗。
喜左衛門に憧れ井戸茶碗だけを焼く人がいます。平金昌人さんはサラリーマンをしながら週末に趣味で茶碗作りを始めて10年。自分で作った薪窯。年に3回のペースで釜を炊いています。これまで作った井戸茶碗は数千個とも。自らの茶碗を鑑賞して過ごすのが平金さんの至福の時間です。「井戸茶碗は作り手の手の跡がそのまま残ります。数創らないとこういう風にはならないので、すごく大切なことだと思ってますね」。井戸茶碗の魅力は普段使いの器として作られたシンプルさにあるといいます。「個性を主張した作家性のある作品ではないので、何の変哲もないただの茶碗。何の特徴もないし何の個性もないけれどもでも存在感だけは確実にある」。薪窯ならではの味わいある井戸茶碗を追求したい。試行錯誤の日々。それはまさに失敗の連続でもありました。 「ここまで来たら修復不可能。こんな楽しんでる場合じゃなくて、まだ蓋が来てないんですが前回もこのパターンで大失敗して、大後悔したんですね」。「俺って馬鹿みたいなのをやってるな。炎を見ながら」。その意味を見つめ直す出来事が2年前に起きました。双子の妹智子さんが癌で亡くなったのです。「双子の相棒をなくすって結構、私にとっては大きな出来事で。自分の半分が死んじゃったみたいな感じで。僕の残りの人生をどうやって生きて行こうかと思う時に、やっぱりその彼女のことを半分思いながら、やりたいことをとことんやり尽くして」。妹の死は井戸茶碗を作る意味を変えました。いい茶碗を目指すのではなく、500年前喜左衛門を作った無名の陶工のようにひたすら作り続ける。それこそが井戸茶碗だと気づいたのです。