日曜美術館「利休の志を受け継ぐ 樂家450年 茶碗の宇宙」

日曜美術館「利休の志を受け継ぐ 樂家450年 茶碗の宇宙」

千利休の志、侘(わ)び茶の思想を形にした樂茶碗。初代・長次郎から樂家が十五代450年にわたり、ひとりの男だけに作ることを託してきた不思議な茶碗の宇宙を堪能する。

450年続く樂家歴代の茶碗の宇宙を堪能する。初代長次郎によって始まった樂茶碗はロクロを使わず、手づくねという独特の技によって作られる。利休の依頼で誕生した茶碗は派手さをよしとした桃山時代、時の権力者・秀吉に挑むように突きつけた侘び茶の志を形にしたものだった。

十五代・吉左衞門は「長次郎の茶碗の静けさの中に、激しさを感じる」という。その精神性が今また、一子相伝によって次の世代へ伝えられようとしている

【ゲスト】陶芸家…樂吉左衞門,【ゲスト】美術家…鴻池朋子,【ゲスト】陶芸家…樂篤人,【司会】井浦新,伊東敏恵

初回放送日: 2017年1月15日

 

日曜美術館「利休の志を受け継ぐ 樂家450年 茶碗の宇宙」

450年もの間
その家は古の方法で茶碗を作り続けてきました
偉い一人の男だけに託す一子相伝私に見守られ
息子は日に向かいます
今日はすごく気には
もうちょいいっぱいガソリン

樂吉左衛門茶碗を手がけてよんじゅー
年色も形も斬新な茶碗で世界を驚かせてきましただけの一子相伝は
代々の技や型をそのまま受け継ぐことではないと言います
教えてもらってできるものではないしないんですね
これは生きてることの足みたいなもんだから
自分でなってしまってるんですね楽天には長い歴史があります
祖先をたどると一人の男にたどり着きます
茶の湯の大成者千利休から依頼を受け
茶碗を作った男長次郎一切の飾りを配した茶碗で
利休の刃火の思想を世に知らしめました
本当に甲府市と常子重なってお一人の人物のような利休は
長女について何もかけなかったって言ってもいいかもしれない
それでもやっぱりキュート長次郎は非常に深い
結びつきを持っていたっていうのは
この茶碗がやっぱりやっぱり証明しているから
じゅーろく代目吉左衛門の町内
あつんどにとって楽の茶碗の魅力と
その妹でなかったお茶を生み出したっていうところ
そこがやっぱ楽じゃがのところだと
思います
あつんどの茶碗は父とは異なり
一転して柔らか楽の茶碗は代が変わるごとに表情を変えていきます
だけのよんひゃくごじゅー
年はひたすら茶碗を作り続けてきた男たちの海月です
利休の精神性を受け継ぎながらも変化してきた
楽の茶碗市
桑田の不思議な茶碗の宇宙売り場並んでるのが
初代町長じゅーろく関塚
つまり今からだと思うよんひゃくごじゅー
年ぐらい前の空気が今にじみ出てるような形
一つとして同じものがない
静かなものや凛としたものや今日はよろしくお願いします
楽しく旅をしたいと思います
努力値を教えていただけますかそうね
やっぱりその他の焼き物と違うところはまた始まりからのっけから
茶海苔の茶碗として始まったって
よりその日常のモノを作っていく中で
茶の湯の文化と出会ってちゃんを作ったようでなくて
乗っけからその茶碗を
作り始めたそこから始まってると聞いでしょ
そのキーな所にきゅーが入るデリキューが
それを居城と共にそれを作ったっていうところが
まあ樂茶碗やっぱ一番不思議な所ってか他と違うところですかね
楽機は京都の真ん中御所のほど近くにあります
お茶碗屋江戸初期の文化人で
楽家の親戚筋に当たる本阿弥光悦の園竹の茶室で
初代長次郎の茶碗を見せていただくことに
元々利休が所持
その後利休の娘が嫁いだ写真モス野草庵に受け継がれた
黒茶碗ということからモズや黒と呼ばれます
そうですそうですとても静かに寝ます
表立った強さはこの茶碗では全てコース消されている
そういう意味では長次郎自身の個性っていうものも消されている
そこがすごいのですねある意味で恐ろしいです
そしてこの黒の一色
港題目全部区塗りつぶしてあるでしょ
普通織部茶碗にして
もしの茶碗にしても全部ここに土が見えてくるのですね
うちの味わいっていうのは特に日本人の心を打ちますよね
そこに水に浸されて
水分を持って口が本当に生き生きとした潤いを持っていく
そういう良さと良ささえも長次郎じゃ全部黒で塗りつぶして
これは尋常ならざるものでかつやねん
はっきりとここに利休の石がある
千利休は豊臣秀吉の元で権力の中枢に身を置きました
秀吉好みの黄金の茶室の設計にも携わったとされます
絢爛豪華首した位の品を尊ぶ桃山時代
一方で利休は小さなにじり口から身をかがめて入る
わずかに畳の茶室を作ります
佐原むき出しの土壁の空間に身を置き
詫びの心で一服する茶を理想としたので
更にその奥黒っていう一つの色ではなくて
やっぱりこっち監督神だのものかな
そういう薄闇が何重にも
その重なっていくっていう感じがするんですね
だから利休の茶室のタイヤの大安と長寿の茶碗って何まるで
双子の兄弟のような掃除系のような感じがする
そもそも
なぜ利休は長次郎に茶碗作りを頼んだの
でしょうか
手がかりはこの獣の焼き物
この獣は長次郎が茶碗を手掛ける前に作ったものです
地上に強いリアリティがある
それはね桃山独特の生命観ですね
が前足をこうなんかこう伏せるようにして
えふしは家を建てて威嚇してるようなんだから
女性ってのはまさにあの子氏にあるなってもこちらではなくて
こちらもそれが消されてしまって激しい獅子王彫刻を作り
うるば職人だったから
まあアーティストだったから
この自分のその茶碗の持っているその茶碗の制作を
やっぱり依頼したいと心からそう思ったんですよねわからん消して
この茶碗はただ静かなもんだけではないってことだ
そこでも言えるかなと思いますね
らく家の土小屋ちゃわに
とって
土は命で
ここに蓄えられた楽歴代の土
それを砕き茶碗に行ったらさにします
らく家では祖先から子孫に受け継がれるのは唯一土岳ゆえに
土への思いは深いものがあります
人間が立ったり
失敗したのlineでここに座ってれば
ここに立ってればここを耕してれば大丈夫だって言う
やっぱり人間の力ご件10月中
ここに座って先祖のことも感じますし
まして自分一人でこう今仕事してるんじゃなくて
ちゃんとしたインドの恩恵を得て自分が来て今仕事できるように
ここに起こしてだけで形作る独自の技元の姿になります
まるで粘土細工手の形がそのまま自然に茶碗になって行くのです
かたちが生まれると
神田はヘラで削りますというのは確実に走るんだよね
それを作りって言うなら
作為条件というそういうようなものが充実に来出てくる
世界的形が自然だとすれば
自然とその工程のその二つの落差が非常に大きいで
その中で一つの状況

映画長次郎
の文字は黒とゆうちゃんです
一休の娘のお婿さんがもつ屋さんと言って
その胸焼けに伝わった茶碗なので
みんながお通夜の持つようなことじゃなくって
名前が持って行っ
たって
なんかそのなんか仰々しく
なんか普通に凍ってたって言うか
せっかくつったらさが使っているかのようになればいいの持って
困っていますとしてました
今でもこの
全て

市広大のそん中の
方が光沢感が所有するんですが
ホット漆黒のマットな黒かと思ってました
その部分だけにねそうそうそうですが
キラキラさやか行ってごひゃくえん
袋の家の漢字があの肌にしごかと出たらすごい滑らかに着くように
もうちょっと待っていいですから
強いなと思ってすごくこちらで見てた表情と違って
参加者が嫌いだったんだって
twice動物の大安のチェストの中でこれが出されると
そのお坊様とした薄暗い空間の中で縫って
これが出てきたら本当にどう捉えていたのかんです
そっけないっていう言葉も出てこないぐらいに
そのトライ所がなくなるんですね
そういう中でできるさんから知立市に突きつけてが激したってのは
それはものすごい回って今こう認識でのかしら認識を超えていく
激しかったので
多分言葉を超えていくってアビスたつまり
美しいてこともいいということも
個性ということもありは何かから待ってくる価値観メダル
もの全てご超えていく
ハゲしたみたいな実体のないものだからこそが
このやりとりされる中に私たちはここに置いてるけれども
その中でこそ先ほど言った人か
そのそういうものに対して
訳の分からない妄想を抱いていくわけです
でもやっぱ茶碗を箱を触る実態が箱には何か
その不確かなものを確実にしてくれる子って猿みたいなのが
今の話聞いててありましたし
本当にちょっとあの場違いなんですけど
私のその作品の握ったものなんですがこれはね
こういう風に言ってんですね
頂いて何か違うものになってから知らないね
こっからあのそういうことものってねそこに価値があってさ
そこに意味があって
そこに確立したその世界があるって言うのは大きな間違いで
それやるとそういう考えると物って書いてあるものに
歴史の中に書いてある長次郎アワビ
の魚とかかんとかになっちゃう
それと対話したと見る人がそのどういう対応できるかって話でしょ
それはもうこれを僕に言った時点で違うものになってきますね
ってなったら当然僕僕
僕のモンスター赤と黒
樂茶碗には大きく二つの茶碗があります
黒茶碗の大室その名の通り黒の塊のような茶碗長次郎の代表作です
こちらは赤茶碗の一文字茶碗を覗くと
見込みにはいちの文字がきゅーの駆けつけと言われています
長次郎の茶碗はらく家の礎でらく家の歴史
それはよんひゃくごじゅー年に及びます
歴代はそれぞれの作風を追求してきました
三代目
導入は長次郎の黒に光沢を加え
さらに調べました

このモダンな茶碗の誕生に大きな影響を与えた人物がいます
江戸時代初期の文化人本阿弥光悦ですが
口に残る光悦の手紙茶碗四つぶんの赤土としろ土を届けてください
還暦を過ぎた光悦がのめり込んだのは茶碗でしたか
樂茶碗を灯せおたふく顔を彷彿とさせる茶碗は
長次郎の造形を覆しました
割れてもかまわんとばかりに薄く薄く削られ
茶碗を支える広大もめり込むように低い校閲のこの遊び心に
導入は心底驚いたことでしょう本当に心の底を開いてくる
その力みたいな本当にっての中からお花がふぉーどこを開いている
そういう優しさですよねあの頭じゃないのよね
目をつぶって言っても触覚として感じている世界
見えなくてもこいつなちゃんがその後の楽歴代の意識を変えます
それは自らと向き合う何ものにもとらわれない姿勢でした
様々な表情を見せる楽歴代の茶碗は
不連続の連続と形容されてきました
15代吉左衛門ユガンダ
激しい色彩
これまで見たこともない約束事をひっくり返し

茶碗
れはあの棒でぶっ叩いてるんですね
その時に歪んでいて破綻が出るとこです
これちゃんにすごい破綻がいっぱいある姿なんですけども
でもその破綻というのは紙一重て叩かない
叩かないものってつまんないんですよね
なんかこう家から木場って9月付けて突き抜けていく
エネルギーってのかな
やっぱ生きてるっていういうことはそういうことですから
二十代半ばまで家業の茶碗作りに背を向け逃げていた吉左衛門
このかまと対峙したのはにじゅーなな歳の時川について
仙台の父は一切息子に教えませんでした
吉左衛門の手は自分の茶碗を求め続けます
手がかりをつかんだのはなく
気をついでなな年後初代長次郎の茶碗と
向き合ったときのことでした
きょう
じろうの没後よんひゃく年に開かれた展覧会


一同に会した茶碗を前に吉左衛門は
言葉を失いました


空っぽになった
その誰もおられない美術館は今点検がてらに枕はしてたんですね
そうすると数わんのある茶碗のところで
やっぱ来たって足が止まるんですね
見てると鳥肌が立つような感覚に襲われる
それはねこの茶碗がね
やっぱり攻撃予算の島で死を背負ってると思う
高崎に静かなる茶碗の内なる激しさ
ちょうじろうが極限まで引くことで激しい表現を獲得したのなら
その対極にある激しい色と形の茶碗を作ろう
徹底的に日にさらし
高い温度で焼き貫く
焼き抜き茶碗という独自の茶碗を吉左衛門は生み出します
家には激しく歪み
時には激しく準
夜勤で彩りました

 

さんまさんここには
あの長次郎のますや
黒から始まって今この二つがまたにじゅーご台来てた
妹さんの作品は
今流れてるよよんひゃくごじゅー
年の時の流れの方にあるわけですよね
違う

ホット


サンド画像

なんか人間の頭蓋骨に謝っているようだが
今こうちょっと動かすだけで買って来ても
手から離れた瞬間に聞こえる音とかとほねほねぽいなーってくる
骸骨のようなといえばね
その行為は確かにそのやしのきまりってで飲む
その次に足のものでヤシの木の実のこのなった
やつで登っていうことがあって
もう一つをね打つ骸骨じゃないかなとちょうどいいですもんね
わかったそういうことを何て呼ぶしたら
歯削ってるから思ったりするんですよね
長次郎から始まってのこのじゅーご台で
この先も続く
その繋がってるものと繋がってるって何なんだろうっていうか
これ繋がってる繋がってるのかな
自分の中では繋がってるんですか
その茶碗っていうくくりってか縛りがあることによって
かろうじてこう存在し
とるせられるって言うんじゃなくていいよって言いよった
つまらなくなってしまうけど
ちゃんと歌ってくださいねるって言うことはすごいことですね
それはとても生きる上でも
助かりますね
誰アプリとかな
自分でパチンコ強かったしちゃうと作れなくなっちゃって
表現っていうことは何だか分からなくなって
作れなくなった時に言えば茶碗って使うもんじゃないですか
ただその使うもの茶碗であるって事だけはプリオリに
その後自分なんかにこう持ち込めば
そのそれを作ってもそれはそれでいいよねは
それが一つのいつも鼻受け入れる書けば正解との関係を受け入れる
一つの刃走りなな


じゅーご代吉左衛門の長男
あつんどさんじゅーご歳11月
中旬の黒茶碗を焼く窯に向け
釉薬を塗るだけという作業に入っていました
この下に溜まってしまうんですね方なので通常と言うか
いつもお父さんがしてる時
来てた時はお母さんがこれ回して一人で全て可能
背負うとなると量もさらに多くなるのでどなたかがこう回して
こうして撹拌してくれてると
すごくスムーズですかさんと
かに手伝ってもらわ
ないと


椅子でお嫁ちゃんが来てくださった
お嫁ちゃんがかき混ぜてくれんだと
それを楽しみに待ってるんですけど
ゆうかては茶碗の色や表情を左右する大事な工程です
独自に配合した様々な釉薬を数十回も重ねていきます
じゅー種類以上の釉薬を試そうというか
積んだ今回の釜は父ではなく自分で指揮する初めてのかな
今やって言うと自分で決めないといけないので
雨が真夜中れーじ過ぎに始まります
吉左衛門を先頭に窯場に入るがんの中窯に火が入れられます
内釜と呼ばれるこの小さな花まで
一つずつ茶碗を焼く焼く焼き芋の風が
鎌をどんどん厚くしていきます
思いを巡らし作り上げた茶碗仕上げは火の神に託すしかありません
よじかんご

最初の茶番
緊張が張り詰め

楽の魂は一の格闘です
隅をつつき風邪を送り
構わ一気に暑くなりますの
表情から茶碗を引き出すタイミングを見極めますので


樂器の釜は一人の作り手を中心に
代々らく家と付き合いのある人々が力を合わせ
連綿と続けられてきましたすごく強い
逃げている暇はあり
ません
じゅーはちじかんの長丁場にじゅー以上の茶碗を焼き上げます
玉の温度が上がり茶碗の表情に変化がかまの終盤
吉左衛門の番です
黒茶碗よりもさらに高い温度で焼く焼き牡蠣者は
その激しい茶碗が最近変わり始めているが
遠のき形も静かなもの的茶碗です

茶筅が振りにくいAnger23
日開いて
後でお父さんのあの焼き抜きが出てきた時には
はちょっと愕然としますね
ものものとしての
その存在感にしたものを作ってない自分との対話ですよ
普通は自分と対話して
常にこっち文の中を探っていくみたいな感じだと僕は
ろくじゅーなな歳になったけど
だっちゃーごじゅー歳の時
にろくじゅーなな歳の自分見えますか見えません
夏衣匂いもまた新しい発見出しをいることは楽しいことだし
新しい自分がそこに見えてくる
連続の連続と形容される楽の茶碗
それは雷が変わるたびに茶碗が生まれ変わること
変化を恐れず新たな発見をしていくこと
それこそが利休と長次郎が茶碗に込めた
志ですとのサンゴですが
あちらが今来られたら生まれるのが出来上がったばかりので
届きましたか
この前の11月のかまって
出来上がったチャンネルを
飲み込んだってかで戦いでした
のでこちらが戦場にある
ところがニセコの斜め
ですが
その作り手と遊んだような感じがしました
あの最初あのお茶が入っている状態の景色楽しましてもらって
飲み終わってからの景色があのちょっと驚きました
中で釉薬の模様が浮き出てきて
本当にその通りで
長次郎の作品も強くが一番最初見た時に
その見込み中の世界がすごく深いというか
外側から見ているよりも仲が
すごく魅力的で
少しでもそういった中の世界っていうものもさんに
もうしちゃっていただいたような
表現が少しでもできればいいなと思って
奥さんはどういうの気持ちでご覧になってるんです
これから先どう動いてくるか分かりませんけどねは
今の段階というのは本当に
おいしいおいしいとかはその時のものですね

取材先など

楽焼(らくやき)は、一般的に電動轆轤や足で蹴って回す蹴轆轤(けろくろ)を使用せず手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形した後、750℃ – 1,100℃で焼成した軟質施釉陶器です。天正年間(16世紀後半)、瓦職人だった長次郎が千利休の指導により、聚楽第を建造する際に土中から掘り出された土(聚楽土)を使って焼いた「聚楽焼」(じゅらくやき)が始まりとされています。楽吉左衛門の名前は、代々楽家の当主が襲名している名前です。

 

楽家は京都御所の西、油小路通りに面したところにあり450年間変わらぬ方法で茶碗が焼かれ続けています。

樂焼 RAKU WARE|樂家

黒楽茶碗 大黒 初代・長次郎

赤楽茶碗 無一物 初代・長次郎

一切の装飾を排した黒と赤が楽茶碗の基本。初代長次郎による両作品は千利休の佗び茶の神髄を表した名品と言われています。

黒楽茶碗 青山 三代・道入

ノンカウの愛称で親しまれた三代・道入は、本阿弥光悦とも深く交わり、革新的な造形を生み出しました。艶のある黒肌に印象的な文様が鮮やかに浮かぶ「青山」は斬新でモダン。遊び心を感じる逸品です。

赤樂茶碗 樹映 十四代・覚入

東京美術大学で近代芸術の基礎を学んだ覚入は、樂の伝統様式の上に変化に富んだ表現を展開しました。その作品には歴代の茶碗とは一線を画す個性があふれています。

焼貫黒樂茶碗 十五代・吉左衛門

大胆なへら使いから生まれるダイナミックな造形。黒肌の風合いも独特。彫刻的で前衛的な当代の作風はまさにモダンアートそのものです。長次郎作品とは対照的な姿ながら、作品から放たれる深く鋭い光には通じるものが感じられます。