葛飾北斎の晩年の代表作「富嶽百景」や小布施の祭屋台の天井絵などを紹介しながら、飯島虚心の『葛飾北斎伝』を朗読、 北斎 75歳から90歳で死ぬまでの画狂老人の姿を描く。
番組では、「富嶽百景」や信州・小布施の祭屋台の天井絵、獅子の姿百態「日新除魔」など晩年の代表作を紹介しながら、「北斎伝」が伝えるエピソードを朗読。北斎75歳から90歳で死ぬまでの画狂老人の姿を描く。
【出演】大和文華館館長、あべのハルカス美術館館長…浅野秀剛,【出演】北斎館館長…橋本健一郎,【出演】東京伝統木版画工芸協同組合理事長…高橋由貴子,【出演】摺(すり)師…中山誠人,【司会】井浦新,伊東敏恵,【朗読】平泉成
放送:2017年1月8日
日曜美術館 「果てしなき夢~画狂老人、北斎の晩年~」
九十歳の長寿を全うしおよそ三万天にも昇る
絵を書いた葛飾北斎臭いがその代表作三十六景を書いたのは
晩年七十歳を超えてからでした
さらに七十五歳になると
グラフィックあとの傑作と言われる百百件を世に出します
科学百景からなくなるまで国債はがっ今日
老人卍というかごを使います
一心不乱にえーに打ち込んだのです
七十代になった国債は毎朝の日課として獣を書きました
力みなぎる筆遣い
前置きをお願い弔辞を祈ったしで一でその一枚を書けば
日付を入れて外へ丸めて捨ててしまうと
八十代半ばには究極の絵を描きます
形のない波の姿を追い求めた
ホクサイが最後にたどり着いたな
水そして緑と赤の強烈な色彩の方こそスパ老人国債の真骨頂です
臭いこの年でまだまだ借りてない凄さですよね
八十歳にはますます進歩し九十歳になればその扇を究め
百歳に乗ったらまさに神業の行に至る
電気を朗読しながら妥協老人国債の
晩年の姿を追います
日曜美術館です
さあ今年も皆さんと一緒に美の世界を楽しんでいきたいと思います
新しい年最初に登場するのは国際です
しかも画狂老人と名乗った七十代から八十代の晩年に注目します
国際は年齢別でこう見ていっても
それぞれの楽しみ方があると思うんですけども
このが今日老人卍と名乗った
この晩年の突き抜け方というのは本当にすごいですよね
では早速ご覧ください
国債の四の四十年余り明治半ばに表わされた飯島虚心の葛飾北斎
国際電の白眉と言われ晩年の国債をリアルに描き出しています
国際は酒を嗜まずお茶も好きではないので
いつも貧しく着物が破ると言っても嫌がらなかった
お金を稼いでも貯めようとは思わず
まるで価値などないように使い尽くしたその心は
ただ一つえーだけに向いていたからだ
北斎の普段の服装はとても奇妙で衣など来たことがないし
流行の服を着たこともない
六百余りの天秤棒を杖にして草履を履いて歩いた
その行いはいやしかったが
気性は抜きん出て偉大で大河に恥じないところがある
七十歳を超えてから書いた三十六景で
国中にその名を轟かせた
ホクサイ七十五歳になるとそれをさらに発展させ
富士山のあらゆる姿を捉えようとします
それが全三冊百二点にも及ぶ富士の絵を描いたが
九百景に北斎のあとがきがある
曰く七十歳までに書いたものなど取るに足らないものばかりだ
七十三歳で生き物の骨格や草木の成り立ちを
いくらか悟った八十歳にはますます進歩
四十歳になればその扇を極め
百歳になったらまさに神業の域に至るだろう
押して百十歳にはへ
の一点一格まで生きているように見える
だろう
文学百景まずは
数学三十六景をさらに進化させている姿を見ていこう
やっぱりもが知っている最も有名な絵だね
荒波の向こうに白い富士山が見えるこのえー
なんといってもすごいのは襲い掛かるような波頭だね
ほら先端が鷲の爪のようだよ
こちらは不学百景とてもよく似た構図で
波が襲い掛かろうとしている瞬間だけど
よく見て今度はその向こうに群れ飛ぶ千鳥を書き出したんだ
それがまるで波しぶきが緑になって
飛んでいくように見えるでしょう
すごい発想だと思わない
これは桶屋の富士として親しまれているえーなんだけど
桶づくりに励み職人の丸い桶の向こうに小さく富士山が見えるね
それを北斎はどんな風に進化させたかというと
同じおけあでもこっちは二人掛かりだね
富士山はというと
桶をまたいで傷口を振り下ろそうとしている
職人の強度またの間にみえるよこれちょっと下品かな
これは不思議なえなんだそびえている富士山は
雪もない夏の富士山なのに
湖面に映っているのはどう見ても雪をかぶっているように見えるよ
まあそれはともかく
この水面に映る富士が進化すると富士山の本当の姿は消えて
ただ水面に写る姿だけだよ
その上を借りが泣きながら気持ちよさそうに渡っていくね
逆さ富士だけっていうのが
デザイン的にとても面白いと思わない
えに心血を注いだ
ホクサイ
多色刷りの錦絵はもちろん
フガク百系のような絵本でも堀やすりにこだわりました
霧に霞む富士山森の姿が
うっすらとした薄墨の刷りで見事に表されています
国債はこうした薄墨について版元にこんな注文を出しています
薄墨は薄いほど綺麗で
恋の見苦しいシジミ汁と薄墨は
なるべく薄くするように仰せ付けてください
来るくらいのシミはあまり薄いと引き立たなくなる
納豆すると中くらいのシミは濃いほうがよろしい
お臭いがあらゆる嗜好を凝らした百百件
中には富士山がどこにあるのか
すぐには分からないようなひねった絵もあります
富士山富士山降り積もった雪を男が書き上げているけど
犬が戯れているその雪山よく見るとちょっと形が富士山っぽいね
そう雪だるまならぬ雪で作った雪藤北斎の茶目っ気だね
その下でやけに男が嬉しそうな顔をしているけど
それもそのはず酒を飲んでいるんだ
でもどこに富士山があるかなと探すと男が指差している杯の中に
富士山が映り込んでいるのに気付くという仕掛けなんだ
さて一面に波立つ水面に船が浮かんでいるけれど
波の向こうにも一向に富士山らしきものは見当たらないね
でもよく見ると波がちょっと黒ずんでいるところがあるので
これなんとなく逆さ富士っぽくないそう波が揺れているので
富士の形もこんな風にくねくねするというだ
でも本当にこんな風に映るのかなあ
百件デザイン性や公正力も
あと夢はもうず見ても新鮮な驚きを与えてくれましたね
さあ今日のゲストをご紹介いたしましょう
国債をはじめ長年お経の研究を続けていらっしゃいます
明日の集合さんですどうぞよろしくお願いいたします
いやそれにしても
改めてフガク百景を描いたのはホクサイ七十五歳頃だということで
驚きですよね
あの負百三十六景をあのー四十六枚出すんですけれども
それではやっぱり北斎は満足できなかったんだと思いますね
一枚絵錦絵っていうのはやはり一枚一枚
こういう買ってもらわなきゃいけないので
それなりに多分版元が注文をつけるんですよね
制約をこうしてほしい
ああしてほしいと
売れるような商品を作っていただかないといけない
っていうことがありましてですからもう七十五六の国債は
あのやっぱり自分の思いどおりの富士山を書きたいんだっていう
それが深く百景に最終的には充実したのではないかなと思いますが
例えばこれはあのー何度見てもですね
どんな絵なんだっていうか
何を木こりが木を切っているような感じはするんですけど
えーと巨峰みたい
ですよね曲愛っていうか
到底こういう状況であったとは思えないんですけどね
でもまあえーなんだから自由に書いていいんじゃないかみたいな
ところがまあストレートに伝わってきて
私はなんとなく国際らしいなと思うんですよね
でもあの北斎がこうあの百系のその最後に記した九十で扇子を極め
百歳で神業で百十歳であのー一点近くまで生きてるようにっていう
このえーに対するその真剣さというかこう思いみたいな
貪欲なまでの思いみたいなものって
本当に凄まじいなと思うんですけれどもあのまもうこ
の時点で北斎は生涯現役って言いますか
あの死ぬまでえーだけを書いて生きていきたいっていうか
そして死んでいきたいという
でもね何度も何度も今おっしゃったような
文章をこう読むんですけど
見るんですけど百歳百十歳というのが出てくるので
それはまちょっと考えられない年齢なので
まあちょっとなった見方ですけども
あの最終的な到達点神の領域までにはたどり着けないと思うけど
それを目指す
んだというそういう決意宣言じゃないかなと思います
北斎は生涯十三回も転居したと言われています
一体どんな家で暮らしていたのでしょうか
晩年になってからの住まいの様子を弟子が書き残しています
先日築城氏が室内の様子を書いて私に送ってくれた
頭の中でこたつを背にして布団を肩にかけ
筆を取って書いているのが北斎で
その傍らに座って国債が書いているのを見ているのが娘のお得だ
火鉢の傍らには
角の田原土産物の桜餅
のかご寿司の竹の皮などが取り散らかっていて
物置や掃き溜めと変わらない
どんな人に会う時もこたつを離れなかったし書く時もそうだった
疲れると傍らの枕を取って眠る
眠りから覚めるとまた筆を取って書いた
晩年のホクサイは自ら筆で描く肉筆画を数多く残しています
これはその一つ
過剰にまとめられた作品課長がばかり
十の頭が収められています
透き通るような白い包み赤い杯がわずかに顔を覗かせています
その傍らにはましの花緑の葉と杯の赤の対比が鮮やかです
雪の下が映える庭の片隅土に埋もれた瓦の上を変えぬが
乗り越えようとしています
こうした牙城が書かれたのは
国債の晩年に起きた天保の危機二人ともかかわりがありました
国中が飢饉で江戸の街中でも植えて路上で倒れるものが多かった
錦絵や絵本などは誰も買うものがなかったので
私たちはとても困り苦しんだ
北斎はたちまち一つの策を考えた紙を机の上にうずたかく積んで
夜も昼も腕を振るい山水や人物
花鳥など筆に任せて書き出しが上にして店に出した
飢饉の時だったけれど
さすがに購入する人がいて国際はこのため飢え死にを免れた
晩年基金や家事にも見舞われた
国際八十代になってから
魔よけや無病息災を願って毎朝書いていたのが獣の絵です
現在二百数十点が残っています
青い線が体となりかすれた線が毛並みとなる
勢いある筆が瞬く間に獣を書き上げているよう
この日の北斎は機嫌が良かったのかなあ
獣が牙を出してニヤっと笑っているね
でも次の日はまるで違うよ
尻尾をくるくる丸め
今にも飛び降りんばかりの格好で怒っているようににらんでいるよ
表情ばかりじゃないよ
これはほら川を泳いでいる
犬かきならぬ菱垣
この木は
どしゃぶりの雨に濡れている
でも頭を上げてめやめフレフレなんて思っているのかなあ
ま自分のために書いてますから
人のために書くんじゃなくてえー
まぁあの一日
その一枚を書けば日付を入れて外へ丸めて捨ててしまうと
窓の外へぽいぽいぽい捨てちゃったということで
それは持たないですよ
大ホクサイの作品として終えが密かに拾って集めていた
国債は毎朝小さい上に獣を書き
丸めて家の外に捨てた
ある人がたまたまそれをしろって開いてみると
獣の絵でその筆さばきが軽やかで快いこと並大抵ではない国債に
なぜ毎朝詩詩を書いて捨てなさるのか
とうとう国債はこう言った
これは私の孫である悪魔を払う呪いだ
実際晩年のホクサイは
放蕩息子ならぬ放蕩孫の存在に悩まされました
博打に追われたのです
去年の春から孫のほうとうで色々尻拭いをして
度々感動も言い渡した
この春は金もなく着物もなく食べるだけで精一杯
ひたすらつまらないことで過ごし一年を棒に振ってしまった
残念でならない国債が孫を恐れること
あたかも蛇やサソリのようだった地主の姿から
その日の北斎の思いが伝わってくるよ
ほら乳牛が一本足でダンスを踊ってる後はいかついけど
なんだか楽しそう
ちゃえば嬉しいし別れは押ししなんて
言ってるよ
あれ今度は丸まっちゃってるよ
その獣の目線を辿るとあれ日付までまん丸だ茶目っ気があるね
北斎はこれはなんとひしがそろばんをしている
必死になってやっているけれど洒落でこんなこと言ってるよ
致死の十六四六十七日七十八チャラだけじゃなくて
いろんなことを獣が呟いているよう
どの獣はこんなことを言っている
欲を捨てたる我は楽しいし
儲けようなんて欲を捨てたから
書くのが楽しいって言っているのかなあ
さあこれが最後獣は立って見えを切っているようだね
こんなことをうそぶきながら
西天竺の獅子王とは俺がことだはさ軸てインドのことだけど
俺はその王様だっていうのは
やっぱりホクサイは自信があったんだな
日進女間のあの腕のこうを一つ一つ辿ってみると
ほんとリズミカルで何者にもとらわれないこう自由さが見ていて
とてもこう清々しい思いにさせられるんですけども
その目の前に主人がいるわけがありませんから
頭の中でそのこうイメージしてそれで毎朝書くわけですよその辺
が凄いなと思いまして同じ獣のテーマですよね
で毎日違う獣を書いてそれでそれなりの素晴らしい形になりますね
一点一格がこの絵になるわけです一家なわけですからね
しかもきっとどうなんでしょう
何今詰めてやるっていうわけではなく
本当にもうぱっと書いていくような
印象を受けるんですけども
五分なのか十分なのかその間に書き上げちゃうのかなと思います
その辺が神業に近いなやはりえの修練って言いますか
そういう意識があったんだと思いますね
あのー東洋のえーっていうのは西洋と違って
その筆のタッチ分泌って言いますかま書道と
通じますので一点一格筆の運びそのものが形になる訳ですよね
ですからそういう点でまあ太い線細い線自在な線
それをこの筆一本で全部作っていくと
例えばこの辺はやはり
あの欧米の人たちが北斎奥さんに限らないんですけど
特に国債を評価する所以だと思います
だんだんとあのー国際もこう晩年になっていきますと
この時期になってくると
あのー肉質がもうあの子となっていきますけれども
どうしてそうなったかっていうことをやっぱり突き詰めていくと
やっぱり自分の思いどおりになるような作品なんですね
そこにそこに行き着いたっていいます
かね私この間大好きなんですけど
豊さんの近くでレンガ説教をしてた時に
まあ下の人物はその説教を聞いてる人たちですね
みんなこう恐れてるんですけども
喜んでるひれ伏してる
そして泰然と二年が座っていて
その上をそれを守る達のかみさんがそのそれはあの仕事して
いるとそういう造形なんですけど怖いぐらいですよね
もうなんかあの本当に
どんなものでもかけてしまうところに来ているんだろうな
っていうのが伝わってくるんだなとも思うんですけれど
どんなものでも書きたい掛ける一回帰ってしまう
そういうのを感じると思いますそれにあの
パワーが凄い凄いですね
八十代半ば国債ははるか信州のお布施に旅立ちました
二百四十キロもの道のりを行く
この困難な旅に国際は四回も出掛けたと言います
北斎は信州のお布施に旅立つ時門出に一句を口ずさんだ
八の字の踏ん張り強夏の富士置いてはいるけれども
足の踏ん張りは強くて
こんな風に元気なものは広い世間にもまれだろうという意味
八の字の形が富士山に似ていることから言うのだが
自分の体を富士になぞらえている
国債がお布施に来たのはこの地の豪農で
自らも絵を書く文人高い鉱山の招きに応じたからでした
国債はお布施に長期滞在して
これまで手がけた事がない新たな仕事に取り組みました
国際館にはお布施の祭りを彩ってきただしが展示されています
国債はこの祭り屋台の二台の天井に絵を書いたのです
江戸時代はもちろんのこと
明治大正昭和の初めぐらいまでは
たぶん色々と使われてただろうと
三四十人から六十人ぐらいの人たちはですねえー
これを引っ張って町中を練り歩いたと言われております
これはかん町の祭り値です
きらびやかな欄干に囲まれた天井に
荒れ狂う波の絵が描かれています
渦巻き砕ける波以外のものは何も書かれていない究極の波図です
北斎は何十年もの歳月をかけて
変幻する波の形を捉えようとしてきました
これは四十代の波の図この頃
北斎は西洋ふう版がに凝っていて学物のような枠があるし
タイトルも横書きだよ
それはさておきせりあがった並みに船が飲み込まれそうになる
この構図あの有名な絵とよく似ているよね
ただ並みの先端はいかにも迫力ないなあ
そしてご存知
フガク三十六景の波ほらこちらは波の先端が足の爪のように鋭いよ
国債は波頭だけではなくて波の動きも見事にとらえているよ
上は勢いつけて岩場に押し寄せる波それが砕け散ると
今度は低いようさと引いていく波が細かく刻まれた青の上で
とてもリアルに迫ってくる
これら全ての経験を凝縮したのがこの天井画だ
波頭の背後にのぞく波の斜面が多く
えー奥へと吸い込まれるように深まっていて
まるで一つの宇宙のようだ
これこそ国債が八十代半ばでたどり着いた最後の波なのだ
こちらは東町町の祭り屋台
天井には鮮やかな羽を広げる方と
体をくねらせながら飛ぶ達が書き込まれています
達の背景は燃えるような赤周りをぐるりと波が取り囲んでいます
はい海を波立たせて十分青い腹鱗に覆われた線
鋭い爪を立てて睨んでいます
こちらは暗い背景の中に赤や緑に彩られたきらびやかな羽を持つ
何種類もの異なる羽根をつけたほうが
毅然として頭をもたげています
国際
や広げなど江戸の版画を復元してきた高橋有紀子さん
国債が書いた肉筆画野放図を版画で復元する試みをしました
これがその復元
作品です皆さんたちは実物に限りなく近づけるため
国債の色使いを徹底的に分析
その結果剃り歯が磨り重ねる回数も膨大になりましたが
ある場合は十食ぐらいから三十食
近いそのへんが一つの出来上がりなんですが
これに関しましては百五十百五十度釣りという工程が出てきました
人間作品の剃りに挑んだのは
中山一三国債のいろいろこだわりが最もよく現われている
緑の羽根の刷りを再現してもらいました
薄く輪郭線を入れた上にまず緑の下地を剃ります
その上におどをはじめ愛代済など様々な色を重ね
緑の深みを出していきます
姉のすりの過程を見ていきましょう
もの
はねだけ十三回刷り重ねました
今から一つ一つにもただ一色塗るだけじゃなくて
何層にも塗り分けてるという本当に細かいです
強烈な色彩それと家に家にこう入っていく力強さ
ここまでやるのってここまでやらなくてもえーにはなるでしょ
二十にはなると思うんですよええでも
北斎はそうじゃなかったんでしょうね
もう一筆一筆
丹念に丹念に帰っていったんだなっていうのがよく分かりますね
二十代半ばになっても国債のえー二掛ける精進
悩むことはありませんでした
その頃こんなエピソードが残っています
ある日末吉が上に向かって投げていった
筆が思うように運ばず医師になろうと思っているが
どうも無理かもしれない
覚えは笑っていった時は
幼い頃から八十いくつに至るまで毎日筆を取らなかったことはない
それなのに先日自ら腕組みして
俺は実際猫一匹もかけないと涙を流してが
思うように書けないことを嘆いた
自分が及ばないと捨て鉢になるときは
まさにその道が上達する時なのよ
と傍らに
いた北斎は本当にそうだ
本当にそうなのだと言った
北斎の絶筆とされるえーです
国債があらゆる姿を描き尽くした富士山
その向こうを黒雲とともに龍が天に向かって登っていきます
それは国際自身の姿でしょうか
嬉し泣きへの夢を追い求めた
北斎は千八百四十九年数え九十歳で亡くなりました
国債は死に望んで大きく息を吐き
天が私はもう十年長生きさせてくれればいっしばらくして
さらに言う
天が私をもう五年行かせてくれれば
本物の絵師になることができるだろう
そうい思って死んだ
十五四の理由も本当僕大好きな作品なんですけど
特にそのおなみ南を見ると本当に先程もにもありましたけど
当に北斎の中の宇宙観を
そのままあの表した究極の波の選んではないのかなって
本当に感じましたねで波だけって確かに意表を作って言いますか
保護と言えば分かるんですけど
波だけっていうのをという感じは私もしましたけども
でもまああの波をこうずっと見てるとこう引き込まれるような
しつこく遠近感がある形でやはりあのー
奥にやっぱり宇宙があるんですよね
その波頭の奥に宇宙があるというような感覚になってき
ますならではの波だと思いますね
まさに本当大傑作とも言えるこの天井へにまつわる一つ
プロジェクトがはいあのあれという風にも伺いました
けれども今年五月
二台博物館で
やっぱり国債の晩年の家業に焦点を当てた
展覧会をやるんですけども
同じ展覧会を十月十一月に大阪のあべの
ハルカス美術館で開催します
えそれに合わせてその今の屋台の関町の方のですね
波の方のを持っていこうということを今試みているといいますか
実現に向けてみんなで頑張っているという状況があります
世界中の方が知っている
あの神奈川沖浪裏の言ってみればこう最終形態というか
あのー先があったっていうことをやっぱり知ってもらって
すごいいいことですよね
あの浅野さんもずっとあの研究をされてきて
改めてこの北斎の晩年のこうすごさ深い魅力って
ここにあるなって発見したことってありますか改め
展覧会をその北斎の晩年に焦点を当てようという風に考えたのは
北斎の晩年があのーもちろん三十代四十代五十代も輝いて
ますけどそれ以上に晩年が輝いているという北斎にとってはですね
だからそこに焦点を当てる意味がある
役割があるという風に考えたからでつまりもう抜きん出てますよね
国債の晩年っていうのは
あのそれを今あの示す皆さんに見ていただくと
そういう意味は非常にあるんじゃないか
なと思ったんですよね