日曜美術館 「まなざしのヒント メトロポリタン美術館 展」

日曜美術館 「まなざしのヒント メトロポリタン美術館 展」

ニューヨークにある世界屈指の美の殿堂、 メトロポリタン美術館 。その名品が日本にやってきた!でも描かれるのはキリスト教や神話などなじみのない世界。難しいって思うこと、ありません?そこで、西洋美術を楽しむコツが満載の特別授業を開講! 講師には、美術史が専門の東京大学の三浦篤さんと描き手の視点から漫画家の荒木飛呂彦さん。ちょっとした知識やコツが絵画はグッと面白い。西洋絵画を楽しむヒント、教えます!

初回放送日: 2022年5月1日

 日曜美術館 過去の放送 | 風流

日曜美術館 「まなざしのヒント メトロポリタン美術館展」

アメリカニュヨクにある世界でも指折りの美の殿堂メトロポリタン美術館
その名品の数々が日本にやってきました
でも西洋絵画ってキリスト教や神話などの世界が描かれていて難しいって思うことありませんか
宗教画、自分ではちょっと敷居が高いなと思ってなので先生に教わって絵を見てなるほどなって言いたい
やっぱり美術の時間とかではどちらかというとやっぱ書いたりとか作ったりとかそういう風に手を動かす方が好きかなっていうタイプです
そこで今回二人の先生を招き特別授業
西洋美術が専門の東京大学の三浦篤先生
「これ一つ約束事なんです古い時代の絵画っていうのは約束事を理解しないとやっぱりなかなか見ることが難しい」
そして漫画家の荒木先生には
描き手の視点から語ってもらいます
「漫画の基本はこう読者を睨むこと。メリーゴーランドみたいに回転してるように見たい。これもねここのところに回転があるんですよね」
聞けば納得ますます面白い西洋絵画を楽しむヒント教えます

それでは三浦先生一時間目の授業をよろしくお願いいたします

さあこれから西洋絵画見ていきたいんですけれどもこの絵なんですけれどもどう思われますか

西洋の絵画らしさがあふれている

今回の展覧会では六十五点の作品が来てるんですけど
その三分の一ぐらいは歴史画と呼ばれるものなんですね
歴史画というのはギリシャローマ史あるいはキリスト教の聖書
そういったものをから主題をとった作品でそういった歴史画という風に総称される作品が
実は当時一番重要であったっていうことをまず知っていただきたいですね
西洋絵画を知るためにはまず歴史画、またの名を物語画とも言うんですが
神話や聖書の物語を伝えますから物語画なんですけども
それを理解するっていうのがとっても大事なことですね

歴史が重要というのは西洋文明の根幹にはギリシャローマの文化とキリスト教の文化の二つがしっかりあるっていうことなんです
まず初級編から行きます聖母マリアとイエスキリスト
女性と幼児が描かれていれば全て聖母マリアとキリストかというとそういうものでもない
聖母マリアなら聖母マリアらしい
キリストはキリストらしい特徴を描かないとやっぱり見る人に伝わりませんよね
例えば聖母マリアの場合ですけれども赤い服を着てますよね
青いマントを羽織ってます
これひとつの約束事なんです
古い時代の絵画っていうのは約束と理解しないとなかなか見ることが難しい
聖母マリアは必ずと言ってっていうほど赤い衣着て青い羽織を羽織っている
これなぜかというと赤っていうのは血の色ですよね
つまりこれは愛に関係するわけです
慈しみ慈愛の象徴としての赤
それから青っていうのはこれ天の色、空の色ですよね
ですからこれは天の真実とか、あるいは他の解釈としてはやがてイエスキリストを失ってしまう聖母の悲しみ
とかですねそういった意味合いもあることですけれどもそういった赤と合うという色そのものにも意味がある
だからセット周りはそうやって識別できるようになっているわけですよね

後他にどうでしょう
どんな何か印のような
ものがあると思いますか
非常にわかりやすいものですね
援交がありますねはい
これはやっぱり聖なる人物である
ってことを示すための変更です
左右に天使がいて
店主もやはり気を付けてますよね
それからキリストって色んな特徴を持ってますけれども
この場合のキリストの強調されている特徴は
何でしょう何だろう
ちょっと強調されてるということですかはいええ
正面を見ているなるほどそれ一つポイントですね
正面を見て非常に立派じゃこれ
赤ちゃんの顔ですから非常に切りとして
ですね賢そうじゃないですか
キリストは知恵があるんです
とても賢くて聡明で知恵がある
ですから書物を持って
書物書物というのは知恵の象徴である
ですからこれはキリストの知恵ということを
ですねてまにした絵になっている
そうすると同じ製造製造でもて
まによっては描き方がその使われている
モチーフも変わっていくんですね
おっしゃると思いますで
こちら側にですねもう一点
実は聖母子像があるんですね
こちらのえー小さいですけれども
近くねちょっと詳しく
見てみたいと思います
あの小さいなんて近づいてですね
これは様々な
象徴的なモチーフが入っているので
色々見つけて欲しいんですけれど
省庁はい色々なものが描き込まれてますよね
よく見るとでまず先程の復習をすると
赤と青っていう服と
マントの色はいいですよね
詩集は入っているけれどもそして
援交もありますね
はいイエスキリストだけ赤い下敷き銀行に
むしろ数字なんだ
柔軟で最後キリストは十字架たく
気になりますから
キリストの方は十人あと結構売れてますね
この果実は何かキリスト何か抱えてません
やってます鳥だ鳥です
トリオいやこれやっぱりね
それぞれ意味があるんですよね
でまず先程のニュースは知恵の象徴でしたから
もうすごく立派なんです
坊主を取ってましたよね
でもこのイエスは何となくうつむいてるし
生後もなんとなく心なしか
悲しそうな感じしますよね
みたいな感じで
この絵は先程違って
やはりえーす
キリストの受難ということが下流て間に
なってるじゃないですか
というのは事実がなぜやってきたかというと
人類の罪それは
アダムとエバがエデンの園で
禁断の果実を食べてしまうという現在
と呼ばれるんですね
はいで右上にリンゴの象徴
林檎林檎も家も見えます
でもなんか手に取りたくなるような
美味しさがありますよねもうついですよ
でもこれ青から赤くなりかけのところ
って感じなんですかね
大体こう宗教家で林檎が出てきたら
現在の象徴の場合が多いです
鳥の話をしました
これゴシキヒワという
風に見なすことができるんですけれども
これ向くの象徴なんですね
キリストの無垢を象徴して
それと絵の見方は自由だということで
私もちょっと一歩踏み込んだことを言いますと
キリストあの大てるごしき
ひはこの鳥って羽を広げてますよね
これって十時系じゃないですか
これは上のあの純真十字架と
すごくこうしてると思うから
あえて鳥の抱き方って
色々あると思うんですけれども
十時系になるように抱いている
とも考えられますよね
これ私の推測ですかもしれない
やってみても
十時飼ってみても自由なんですね
見つけたい自分のそれ見つけ
後の折り目を見ようと思います
確か凄くないですよね
後にかかってるなんか垂れてるよ
アニメはわざわざ中心にありますもんね
自分で発見できる十字架っていうのも
そういうのいっぱい見つけようと思ったら
見つけられるかもしれないですよね
付けそうなると
全てにこう意味が
浮かび上がってきますよね
見込みたくなっちゃいますよね
隠れミッキ的な次は
荒木先生漫画家ならではの楽しみ方です
僕は漫画家なので
あとそのえーって
どういう風に書くかなって思った時に
やっぱりキャラクタですね
キャラクタがやっぱり一番こう重要なんですよ
キャラクタをどう書くか
っていうのが
こう本屋さんの店頭に
こう並んだ時にまこうおらが放って
読者が手に取っていただけるようにと
こう願って書いてるわけなんですけども
この画家は多分気品っていうか
その清潔さとかて
高さとかをこう書きたいんだろうな
って思ってると思うんですよ
そこを目指してるって言うか
だからそその気高さって
どうやったら出るんだろうっていうのが
あのいつも見る見る感じなん
ですけれどもやはり指先とかなんですよね
まずあのーまあ
もちろん美人を描く
綺麗な女性を書くっていうのもありますけれども
やはり指先とかにこう
気品って出てくると思うんです
であとキリストが何かね何か足をね
ちょっとこう指をなんか
こういうところになあのあるんですよね
なんかこう感情っていうか
そういうあの気品だとかっていうのは
そういう指先とか足元に出てくるのかなって
やっぱり荒木先生もご自身が書かれる時に
指先や講座がありますね
あの女だとフィギュアのチェックみたいなのが
あの靴先もうちょっと
あと何ミリ伸ばしてとかうん
そういう感じの西部というかね
僕は指先とかなんかこう
あとはやっぱりこうなんかれすの
透け具合っていうか
この辺あのー見るとこう書きたいですよね
してね吸ってあこうなんかマリア様
からこうはいはいあのヴェルディレベルですか
なんかこう透けてますよね
ああいうのはねこうなんかね
あのえーっと絵を書くときに
ちょっとやりたいですよね
自分できんのかなってこう
あとはあの表情とかはマリア様の僕
伏せがちの目のあのマリアさんは
好きですけどな
何だろうなうんなんか少年漫画はね
こうやって行ってみるっていうのが
少年漫画なんです
読者をやるぞ行くぞとかうんだけど
こう目を目線をこう外してる感じは
やっぱりあの絵画のあのなどこかにかけてる
絵画ですよね
圧迫感が来ないっていうかでこう空間を
そのなんか部屋の空間を支配してくる
って言うんですかねそういうテクニックです
さっきね先生の話だと
宗教側に色んなルールっていうか決まりがあるけど
やっぱり今歩き先生のお話
伺ったら漫画にもルールがあるから
そのルールをからどう例えばずらすかとか
それを生かすか
っていうお話をこう読者を睨む
だからやっぱり当然
この当時の宗教が書く人たちは
そういう宗教側のルールの中で約束事って
当時はすごく大事でそれに則ってるんだけど
でもじゃあ学科の個性がないかというと
そうではなくて
なんか枠の中で
どれだけ自分を出せるかってありますよね
じゃあ約束事を踏まえて
いればここにアレンジはしてもいいです
それはある程度許されると思います
アレンジするのが
やっぱりこう画家の冒険っていうか
あの批判とかも来ますから
同時にええ
そこをやっぱりなんかこう克服していくのが
画家の冒険絵描きの舞台のお芝居ですね
アドリブ入れたりやドラマで
アドリブ入れてオッケーなのか
それはちょっとやり過ぎだよね
せめぎ和を行くのと同じ感じで
そんなことをされてるんですか
僕自身はそんなに責められるタイプ
じゃないですか
やっぱりそういった俳優さん方はたくさんいらっしゃる
では課題の時間です
教えてもらった約束事他の聖母
私蔵でも見つけてみましょう
はいはい北方ルネサンスの画家だ
フィットが描いたエジプトへの逃避途上の休息
お互いうんはいこれ青い
これは青い住むうん
あの赤がちらっとありました
はい海がちょっと海が見えると思いますね
母のあのちょうど落ちこぼれ
生徒が今発見しました
リンゴじゃないですか違いますかね
ビンゴですよ
アダムというのを見つけましたね
へえこれ後青い人物が
子供だったんですよねえ
どういうことこちらはネーデルラントの罰が
教会のためではなく
個人のために描いたと言われている
小さな星星
これはもうなんか愛を感じますよね
ああいう感じる
どういうところに
やっぱり人が顔痩せたね
まきさしてるような感じ
あれでもなか赤じゃないですね
確かにマリア様の服がですよね
あ本当ださっきのるるるるとは
ちょっと外れたところに
これは何を教えようとした
一枚なんでしょうね
さっきみたいに
知性とか受難とかあったらねなんだろう
でもなんかこの愛を
完全に表現しているからこそ
赤を入れないっていうのをしてる
のかもしれないですね
はいねなんかあかがね
その愛の表現だったりとか
っていうのをさっき
おっしゃってたじゃないですか
もうそこが前面にあふれてるから必要ないよ
みたいななんか今胸が打たれました
はい皆さんどうでしょうか
ではちょっと発表してもらおうかな男フィット
はいあのけっこう約束事が守られて
あのー書かれてる
あの聖母しそうだと思ったんですが
後にもう一つもうなんか同じね
あのありましたでしょ
あのつまり生後とあの幼子イエスが馬に乗って
つまりあれは何て
言うか違う聖書の違う場面同じ場面ですけれども
ちょっとだけ時間がずれてる時間
エジプト十人上の急速ということになって
逃げてきて
そして今休んでますという二つの時間が
あそこの中にある訳ですよね
うんであの日に関して言うと
えーと向かって
右の辺りにリンゴがありました
そうですよね
あれをさりげなくありますけれども
もちろん現在を象徴している
ということになりますよね
じゃあ服君どうでしたか
あのリリックば打つの生後
私蔵がなんかそのお約束だったり
とかを聞いた上で見ると
ちょっと不思議な感じがして
僕の中では約束事は結構そうですね
なんか周りに何か
その辺の高さを出すような
絵が描かれているわけでもなく
ただなんかその赤が
なかったりとか
青だけの部分でも
なんかその人が消すしているところから
愛を感じたりとか
なんかそういった部分がすごくなんだろう
ヴァルツの感性というのが
すごく出てるんだろうな
っていうのを約束事があるんだけど
外してる上ですよね
あのはねで母とこの愛情をすごく強調
して頬ずりしてるようなね
なるほど成功したのって
まあ色々なタイプがあるっていうことが
お分かりになったっていうことが
ま今日の一つのポイントかなと思います
それではま聖母子に関してのレクチャは
この辺で終わりたいと思いますでは二時間前はてまハンドということで
三浦先生お願いいたします
二時間目のテーマはあるのですけれども
神話を見てみたいと思います
であの今回ですね
中心的に見ていこうというのは
この作品なんですね
クラナハのパリスの審判という作品ですこれ
ギリシャローマ神話に関係しています
ここに鎧を着て座っているのは
パリスという人物で
そしてその右側にいるのが
えー三人のギリシャ
神話の女神たちなんですね
これはどういうことかと言いますと
黄金のりんごというのがありまして
それをとても美しい女神に与える
ということになった
で全州はその判定を避けて
トロイアの王子のパリスにですねえー
審判を任せるです
ね全然その大きさ
木のヘラとそして美と愛の女神のビーナスえー
そして戦いと知恵の女神の宛名ですね
この三人の女神が
我こそは一番の美人だということで
名乗りを上げたんですね
さあその時にですね
どうしたかって言うとまそれぞれですね
もし私を選んでくれたら
これをあげましょう
という風に一種のワインをですね
あの差し出すですけれどもマリスはですね
もう即刻ですね
ヴィーナス選んでしまったら
なぜかと言うと
最も美しいビジョンあなたのものにして
あげるとところがその美女というのが
ギリシャのですね
スパルタの王様のお妃であったということで
結局パリスはその人妻をですねかどわかして
トロイアに連れ帰る
でそのことが発端で
ギリシャとと
フィアナでトロイア戦争が起こってしまった
というね実はそういうお話があるんですね
ただ問題はもちろん
そういうお話を描いている歴史がなんだけれども
神話がなんですが
やっぱりこの三人のですね
えー女神の裸体ぬ土を描くことに
やはり志願のある作品だというのが
やっぱりポイントだと思うんですね
で西洋絵画は非常に濃度が多くて
日本人にとってあまり日本海外
によっては馴染みがない時代なんですけれども
であのこれ何でだと思われますか
服服いやでも
うちの弟がそれこそ何の時だったか
なんかの番組で
そのむ度のえーをえーが出てきた時に
うちの母に対して
何で裸の絵描くのって聞いたんですよ
母があとだからって答え確か
にまあそうの一言で解決できるけど
なるほどそれは面白いですよね
確かに今の時代
あとだからと言ってしまうと
それで済んでしまうところなんですけれども
ちょっと遡りますとね
じゃあ西洋絵画においては
あるいは美術においては
何が一番理想的な美だなのか
ということを考えると
実はそれは人体だったんですね
あの実は西洋文明というのは
人間中心主義的なんですよね
日本だと人間っていうのは
自然の中の一部である
という考え方がむしろ一般的かと思うんですけど
西洋においては自然を支配するのが
あるいはコントロールするのがそれが人間である
っていう捉え方ですからやっぱり人間が
上位に来るんですよね
だから人体はとっても大事で
人体の一番最初の形は裸ですよね
でもただえー服を脱いだ裸
というわけじゃないんですよ
そうではなくて理想化された羽田からです
ウドというのは単なる裸ではなくて
理想美を宿した人体なんです
これが実は西洋美術において
とても重要なことで
人体にこそ理想的な美が宿るというのが
これは西洋美術に接するときの
やっぱり重要なポイントだと思いますね
今度は歩き先生ヌードに一体何を言い出すでしょ
まずポジングですね
唐人フォージングっていうのが
やっぱりこう絵にあって
こうなんか日常は大体こう普通に立つんだけど
やっぱこうありえないポーズをすると
こう絵にファンタジー感が出てくる
って言うんですかね
例えばまあの僕の漫画
だとその女たちっていうやつはこう
普通だったらこうだけど
ちょっとねじったりこうやったりすることで
日常から離れるのでファンタジーっていうか
だからこう回転っていうか
そういうのを加えると
そういうのが出てくるんですよ
でこのクラナハのこの三人の美女っていうのは
こう一人一人
があまり区別がないように書かれてるので
あの背中向いてる右側の女性真ん中
横ってなってると
こうなんかメリーゴーランドみたいに
回転してるように見えないですか
こうくるくる回っててそこがね
こういうえーって好きなんですよ
たしかねほんと回転してるよね
こういう感じですね
でこの鎧のパリスですか
このポジングもなかなかこういいですよねええ
足を投げ出してこう立ってる人に対して
あとこう馬もなんとなくこう
決めポーズとってるような
ちょっと前わしが上がったり後なんかこう
人間のようなちょっと感情が見えますけれども
やっぱりこういうポジングっていうの
はやっぱりこう心に残るっていうかで
ファッションモデルの写真なんかも全部こう
ファンタジー感とかを
やっぱりあのお客さんに出してるんだ
と思うんですよ
確かにファッション誌ってこう圧倒的すぎて
こう官能的というよりは
もう超越しているものとして
見るじゃないですかこのぬドガも
もう理想そのものになってるから
見ていて気持ちがいいですね
このくらいのは
ノルド側はそういう風に思います
セクシーそうそう
本当さっき先生の授業でおっしゃったけど
指先とか師崎とか本当に面白いですよね
親指だけ立ってたりとか
一番なんか足の指まで
ちょっと力が入ってたりするんですよね
これって書き方としてはすごく難しい
難しいというより学科は多分楽しんでますけど
やっぱり目指してるのはそこなんだと思います
自然自然にやると
今度やっぱりこう
いやエロさとか
嫌らしさが出てくるじゃないですか
逆にそうですねこの狙い
近江の狙いはそっちだと思います
今度の課題は後の時代
十九世紀に描かれたぬとです
フランスの画家
ジェロムがギリシャ神話を描いたピュグマリオンと
ガラテアはいはい
キプロス島のピュグマリオンは
美しい女性の彫刻を作り
それに口づけをします
するとこれ石膏像ってことですか
足元は石膏像なんだけど
実際に人間が森終わっちゃったんですね
ということこれもしれっとが美しいですね
でもこれはあれですよね
なんかやっぱりこう理想としても
やっぱり身体な美しされる雰囲気は
すごく感じます
これあそこでキューピットですよね
でもこれは背景がなんか
アトリエみたいな感じですね
あれはね自ら作った彫刻に恋をして
そしてキスをして
まそれが人間になってしまうというですね
ただちょっとあの注目すべきところは
妙にリアルなアトリエだということ
なんですよね
あんまりギリシャ神話っぽくないですよね
あれは面白いですよね
なんか古典古代の世界のはずな
のにでももう写真もできてますから
より写実的になるしという
そういった流れはあるんだと思います
一応あれは神話がには入りますけれども
しかしかなりリアルな部分が出てきてるなっていう
それも近代の一つのあり方かな
と思うんですよね
ま現代はヌードが氾濫してますけれども
どうでしょうね
現代のルールと
減退な何かおかしいなんですか
かぶりました
本当にそうですよね
今もうなんか何でもありになっちゃいました
もんねなんでもありになって逆に言えば
古典的なノードが懐かしいような感じすらする
っていうなんあの写真もありますし
ねえもあるし彫刻もあるんだけれども
とにかく何でもいいです
グロテスクなものもありますよ
ねで我々が今
そういう時代が生きているわけで
もうただそういう現代のぬ土を
回収する時にも
やっぱり古典的なものは
知っておいた方がいいんじゃないかな
と思うんですよね
本はそういうものがあったとで
それがだんだん次第に世俗化とともに
崩れていったんだということは
やっぱり知っておいていいんじゃないかな
っていう風に思います

ええうん

まず今まで見てき
た宗教が
神話がありましたよね
あるいは歴史がというふうに
全体を言うになっていました
歴史はとても重要なジャンルなんですけれども
十七世紀ぐらいになってくると
ま王侯貴族とかね
教会だけではなくて
一般に裕福な人ま商人とかね
そういった普通
の市民だって絵を見た家が欲しい
と思うようになる訳ですよ
そうするとなんか立派な大仰な歴史がよりは
もっと分かりやすいということになりますよね
なのでちょっと普通の生活を描いた風俗画とか
あるいは風景がとかものを描いた生物がとか
そういったまいなジャンルと呼ばれる
そういったジャンルがですね
発展してくるんですよ
でこれ風俗場面と言いましたけれども
やはり歴史が
その当時もやはり
一番あの位の高いジャンルですから
やっぱりメッセージとか意味を伝えるっていう
そういった性格はどうしても残っちゃうですね
でこれにも実は
それなりの教訓的な意味がある
だろうという風に思われます
女占い師というタイトルがついてるんですけど
女児ラトルという十何世紀フランスの上ですけども
これね多分人生とかで嫌なこと
言われてはいけないよっていう
ちゃんと自分の意志で生きていこうね
っていうね
周りの人たちはどういう人たちでしょ
だから青年がいて
占い師がいてで今のお話を聞くと
占いを簡単に信じちゃだめだよねっていう
そういう教訓的な意味があったとして
じゃあ周りの人たちは
えーっとポケットにポケットポケットうん
はいあの記帳編鳥みたいなことですよね
確かにこれポケットから
なんか盗むとしてい
ますそうなんですね
ちょっと悪いこと悪いことをしてる人たちで
ここのところにもありますよね
キングサリが大音があって
なんかこう切ろうとしてますね
つまりこれは
もう正産の青年をいいことを言って
売らないということでね
騙してその間に金品を掠め取ろうというですね
そういった場面ですね
非常にカラフルてきれいなんですけれども
実はそういうですね
まあ人生の苦い教訓と言うかですね
そういったことを思わせるような
これ場面なんですね
ということは
主題としてはまあそういった占い
騙されることがないようにと世間は怖いよ
というですね
そういったもちろんメッセージがある
わけですよ
では荒木先生の楽しみ方は
あのファッションが
まず一番右側の
この十年取ってる女性のざらついてる
あのエプロンのような中で
何かみたいな記事なのに
この真ん中の男性のブラウスなんかは
なんかシルクであのーてかてかしてるんですよ
それをかき分けてるっていうか
同じ絵の具なのにこう
かきわけてるっていうかでね
あとこれもね
あのーあのこの手の動きだけ見てると
ここのところに回転があるんですよね
これもね無限に見るか
あの人はあのなんかチェン切ってるし
コインをなんか見せるようにしてるし
ああここのあの女性はなんかで
ポケットから取ろうと人を取ろ
うとしてるしで後がね
なんかしてるのをね想像しちゃうような
あの視線の動きがあるんですよ
背中の方で
何かしてるなって思うんですよって
周りでね
上から見ると
とにかく円になってるっていうか
絵は平面なのに
そういうこう回転の構図があって
荒木先生のあの五著作をあの拝読すると
先生のやっぱり特徴として
頭脳線っていうのが叩かれてるんですよね
そうそうこの先生がこれが好きだって
おっしゃるのは
なんかこうこれ騙し合いじゃないですか
騙し合いとか先生の作品だと
普通に本当複数の人たちは常にこう
相手をいかにこう出し抜かとか
騙すかってことをされてるから
やっぱりそういうとこがあって
先生これソースに引かれるのかな
なんか静かな戦いが
ここでもう行われてるんですよね
なんかこう老若男女がいるからこう
人生もそういう人生なのかな
みたいなのを感じるし
あと貧富の差とか
なんかそういうのがあるような気がしますけど
ドラマとか映画とかでもね
やっぱ脚本の方ってえぐい事考える漫画
漫画家さんもそうでしょうし
小説家さんもそうでしょうけど
やっぱりそう思います
これなんでこんなこと思いつくんだろう
っていうことっていっぱいあるじゃないですか
その起源なのかもしれないですまだから
人間っていうのは
なんかそういう部分にこそあるかもしれないので
やっぱりそこに突入してる絵なのかなと
人間のこうあの美しい部分じゃない
ちょっとなんかそういう
心があるんで
また違った新たなる局面っていうんですか
もっとこう暗黒部分っていうか
そっちの方に突入してる中毒だから
そういうのを臭いとか
課題の時間次の風俗画には
どんなメッセージがあるか読みといてください
うん十八世紀のフランスの画家
シャルダンが描いたシャボン
玉シャボン玉を吹いて
でもなんかあんまり
はしゃいでる感じはないですよね
シャボン玉ってファンシーなイメージがあるけれど
ちょっと暗くて
なんかひとコマ漫画みたいですね
見てるじゃないですか
あれ子供です子供がねなんか何やってんだ
大人がみたいなおもしろい分かれるでしょ
あれでしょって感じで見てるじゃないですか
後里子知らない僕も僕も僕もやりたいな
僕も吹きたいなっていう感じですかね
さあ皆さんどうだったでしょうか
僕はなんかすごく暗い印象を開きました
なんか周りの背景だったりとか
その奥の色だったりとかが
すごく暗い印象を持たせるなっていうのを
僕自身すごく感じました
私たち違いました
シャボン玉を吹いてこう
少しほっと一匹じゃないけど少しこうなんか
要するに日常の中で
少しくつろいでる時間の様にもなるほどなるほど
いやちょっと違うね
感想が出てくること自体が
とっても面白いと思います
というのは私は結構
あれは曖昧ないのもあると思うんですね
実を言うと
意味を伝えるということで
はしゃぶんだっていうのはですね
実は性のはかなさっていう意味は
伝統的なんですよ
割れてしまうから命は儚いとかね
そういったイメージは実は持っているおそらくシャルダン
そのことを知っていたと思います
しかしそのことを明示的に伝えるのは
必ずしも目的
ではないような気もするんですよね
男の子がいるとかね
シャボン玉に
ちょっと何か光が反射しているとかね
そういうことまで含めて
やっぱりいろんな要素が
彼は伝えたいなと思うんですよね
単に日常的なこの物音してですねま
遊びの情景かもしれない
でもすごいもしかしたら
なんか性の有無らしさのようなね
風味性がゼロとも言えない
だから見方によって
違った受け取り方ができるんじゃないか
と思うんですよね
おそらく現在に近づけば
近づくほどえーというのは
イメージの多義性というか
様々な読み取りが可能の絵になっていく
ちょっと曖昧になっても
言えるんですけどうん

うんうんさあこれで一限
二限三限と役者を行ってきましたけれども
これで本日の授業を終了したいと思います
どうもありがとうございました
現代でもやっぱ
いろんなタピオカ屋さんがあったりとか
いろんなまりとつを売ってたりとか
そういったようにやっぱ絵にも流行りがあって
でそれをにそのみんなと違うものを出したり
自分の個性を出したり俳優さんもそうですけど
どれだけ殻を破れるのか
やっぱりそういったアティスト精神
というか改めて教えてくれた
絵を見るにはちょっとしたコツをつかむことで
何倍にも楽しく見ることができるんだな
っていうのが発見でしたね
あと色を赤や青
もう意味があるって
色に意味があるっていうことも知らなかったので
こうやって今度からあのー見る時に
なんか色からも自分のイマジネーションがこう
広がるようなそんな言葉をもらえたので
での見方は全く自由だと思うんですよね
うんだけれどもあのただ単に楽しんでを見る
それも大事なんだけれども
日本とは違う異国のですね
文化を知るということも
一つ大きな意味があるんじゃないかな
と思うんですよね少し話は大きく
なりますけれどもやはり外国の人たち
異なる文化を持った人たち
との相互理解を進める上ではですね
西洋絵画を知る
学ぶということはもちろん楽しみながらですけれども
とても大事なことではないか
というふうに思いました
僕なりのそういう感想を言わせていただいたので
あの参考になるかどうかが
そこがちょっとあれですけども
ま面白く受け取っていただければ
ちょっと良かったかなと
はいでも本当ね
語りたいところがいっぱいあるんで
あのーそうですね
次回生地があるならお願いします