美の壺スペシャル 「日本の温泉」

湯の国・ニッポンが誇る「温泉」のツボを大特集!▽大分・別府で温泉三昧!五感で楽しむ泥湯?砂湯?地獄??▽東北・秋田の「秘湯」では雪見の露天風呂に囲炉裏にお鍋!豪雪でも人気のわけとは?▽源泉を守る「湯守」に密着!冬の福島、命がけの作業は必見!▽「建築」も見どころ!佐賀・武雄の竜宮城VS長野・上諏訪のカルロビバリ?▽俳優・木村多江が読む「温泉文学」の旅。草刈邸は温泉旅館に?90分拡大スペシャル

放送:2022年5月6日

美の壺スペシャル 「日本の温泉」

とうとうと湧き出る温泉
二万七千を超える源泉があるといわれる湯の国日本
全国各地に様々な温泉があります
この自然の恵みを日本人は古くから五感で楽しんできました
そんな日本の温泉文化を美の壷が大特集
一度は行ってみたい東北秋田の秘湯
憧れの温泉宿には人々を惹きつけるわけが
温泉は建築も見どころ
佐賀武生では城のような佇まい
華やかな装飾に秘められた夢の温泉計画とは
信州上諏訪入ればびっくり
お風呂のルーツは遠い異国にありました
厳寒の福島では湯守の知られざる現場に密着
厳選を守る命がけの作業が麓の湯を潤します
大分別府の公民館にある町の皆さんの温泉
そして私、木村多江も
柔肌の熱き血潮に触れもせず寂しからずや道を説く君
お湯と名作の旅を紐解きます
今日は時間を拡大してお届けする美の壺スペシャル
ジーンと染みる温泉の魅力をたっぷりお届けします

温泉を語るならまずはここから
大分県別府市です
源泉の数は二千以上
日本に十種ある泉質のうち七種類がそろう日本屈指の温泉地です
温泉と一口に言っても楽しみ方はいろいろ
そこで別府の湯の魅力をご指南いただくことに
指原勇さん
定年後に市内の温泉を回り始め入浴回数のべ一万回という温泉の達人です
まずは街の中心部にある明治十二年創業の市営温泉
中へ入ると
脱衣所から浴室までひと続き
階段を降りたところに浴槽があります
お湯は薄黄色
源泉が海に近いためか塩辛さを感じます

ここはね一応塩化物泉なんだけど重曹泉も入ってて一応つるつる感があるって
まそんなに強くはないんですけどね

地表より低い場所に浴槽を設けるのは別府では定番のスタイル
かつて温泉を組み上げる技術がなく地上に湧き出たお湯を引き入れていた時代の名残だと言います
百四十年以上市民の体を温めてきたお湯です

お次は市街地から車で三十分程の山の中
達人が目指す温泉は長い長い渡り廊下の先にあります
さらに暗闇へと進むと
一面灰色に染まった露天風呂
何やらこの温泉全国でも限られた場所にしかない珍しいものなんだとか
指原さん教えてください

泥湯です泥湯ですよ
だからこの下の方に泥がこう溜まってるわけなんです

底から湧き出る泥は鉱泥と呼ばれる特別な泥
硫黄などの温泉成分や腐植土に含まれる天然の物質が長い時間をかけて作り上げたものだといいます

手に付けると皮膚がきれいになるとかあのーみんな付けてるんですけどねこういう感じで

確かにお肌によさそう

なんか化粧水塗ったような感じがします

皮膚病などにも聞くといわれ、リピータも多いそうです
野趣溢れる温泉で地球の恵みに浸かります

最後は別府湾を望む海岸

どうぞ横になってください

なんとこれも温泉
体を砂に埋めて浸かる砂湯
江戸時代から続く伝統的な入浴方法です
砂は六十五度の源泉で予め温めておいたもの
砂かけさんが適温になるよう混ぜながら体を覆ってくれます

サウナに比べると暑くはないんですよね

オーシャンビューを楽しみながらおよそ15分じっくり温まります

毎日今日はどこいこうかっていうのも一つの楽しみで
行った先でまた誰に会うかなっていうのもあれだし別府の魅力っていうのはそういうとこなんでしょうね

今日最初のツボは湯に浸かり湯に遊ぶ

江戸時代から湯治場として知られてきた別府
昭和初期には年間百万人以上が利用する日本有数の温泉地に発展します

温泉療法の一つとして蒸し湯はリウマチや神経痛には特によく聞くのであります

温泉は別府の人にとって健康の源
多様な入浴方法でその恵みを享受しました

松葉杖をついてきた足を出さない患者もこの蒸し湯に入っているうちに全快します
いらなくなった松葉杖をこの蒸し湯へ献納して帰る人がたくさんあります

見て楽しむ温泉もあります
その名も地獄
活火山に近い別府には高熱の蒸気や熱湯が吹き出す場所がありその迫力を目の当たりにできます
九十八度もある熱湯の池は温泉成分の硫酸鉄によって真っ青に
海地獄と呼ばれ明治時代から観光客が訪れるようになりました
こちらも地獄
真っ赤に染まった血の池地獄です
池に噴出する酸化鉄を含んだ海泥が血だまりのような光景を作り出しています
こんな地獄も
高熱の泥がボコボコ湧き上がる様はまるで坊主頭が飛び出してきているよう
火山が作り出した自然の景観を様々に見立て観光名所として活用してきました

大変恐ろしい場所だったという風に思うんですね
最初はですね作物もなかなかできないような場所だったんで
これは地元の人たちにとってはなかなか利用が難しかった
地獄はまあまさに地獄だったんですよ極楽じゃなかったです
今やあのー極楽まで近づいたわけですけどそれはまさに
長い歴史の試行錯誤があって様々なこんな利用があるのはこんな利用があるなって
気が付きながらここに至ったという風に思います

そして別府には温泉に行かずして温泉を楽しむための伝統の技があります
温泉の蒸気を利用した湯の花作り
江戸時代から三百年にわたり受け継がれ
国の重要無形民俗文化財にも指定されています

噴気がでてるところの上に立ってこの構造の母屋も多分当時そのまま
昔から経験上ここの位置に立てるのがいいんだろう
あとその向きですね、これの向きだとかその辺も計算されてこういうふうな形で
置いてるんだと思います

藁と茅を葺いて作った湯の花小屋
中へ入ると
一定の温度と湿度が保たれ硫黄の匂いが立ち込めています
床一面に育っているのが湯ノ花
お湯に溶かして使う天然の入浴剤で
別府特産の温泉土産として作られてきました
湯の花の土壌となるのは青粘土というミネラルを豊富に含んだ粘土
床一面に敷き詰められ
その下からは温泉の蒸気が上がってきます
すると温泉ガスの成分が粘土の中にあるアルミニウムや鉄と化学反応を起こし表面に結晶を作ります
一日でおよそ一ミリ
それをじっくり四十日ほど育てて収穫します
触れればすぐさま崩れ落ちるみたいな湯の花
お湯に入れると温泉の成分がじんわり溶けだしてお湯に花を咲かせます
湯めぐり気分に誘う別府温泉の魔法です

あのこういうことは
妻に相談しないといけないんで
ちょっと聞いてきますね
温泉と聞いたら奥様も喜びますよ
俺は喜ぶがいるうん
お母さまでいらっしゃいますか
温泉お好きですか
北は北海道から南は九州
日本中の温泉が入ってきた
お父さんとの新婚旅行もねあそうでしたか
それならば話は早い
実はこのオタクを
お母様も大好きだった時よりもない
でも面白そうねそうなんです
面白いんですよこれ
露天風呂あるの最高級の
露天風呂を作ります気持ち良さそう
ねこれいいよ
ゆだこと

主人と一緒に
お月様だめ
だめ

だめだめ
それはやめてください
うん秋田県おお山脈の山ふところうん
この豪雪地帯に
人々がわざわざ冬を選んで訪れる
人気の人があります
まるで水墨画のような雪景色
乳頭温泉郷鶴の湯温泉です
はい古くは江戸時代
秋田藩主が湯治に訪れたという
山のいで湯うん
昔ながらの建物と雪が織りなす鄙びた風情が
旅人を引き付けます
はい

中でも誰もが憧れてやまないのが

こちら
雪見の露天風呂しんしんと降る
雪が時計る誘惑のにごり湯
この

季節にこの山奥で
しか見られない
人の絶景です

しかし人の冬は厳しい自然と隣り合わせ
四六時中雪と格闘しなければなりません
うんやっぱり二月の下旬頃になると
いや三メタなるかな
っていうぐらいな時ありますので
そうなるとちょっと雪予選でないですね
雪掘りみたいな感じ
造の建物っていうのは
やっぱり手を掛けないと
なかなかINできないという
大大木造の建物を使ってきた
鶴の湯温泉維持が難しいことから
近代的な施設への建て替えを考えたことも
あったといいます
それでも木造にこだわったわけ
あえて山奥で快適さを求めるというよりは
ちょっと不便だけども
大変だけど山奥に行ったら
山奥のあの姿形ってあるよな
と思うんですね
全く新しくするのではなく
古いものに手間をかけることで
あるべき姿を目指します
外壁は防虫と防腐をかねて
クレオソートで
黒く塗装色とのコントラストをひきた
落ち着いた風情に変わりました
それに合わせて
宿の周囲さん
KMに張り巡らされていた電線を全て埋設
山の温泉宿に相応しく
自然の景観になじむようにしました
さして
もてなしも山ならではのやり方で

うんうん
うん囲炉裏の火に当たりながら
熱々の鍋で体を温めます
うんやまのいもで
こしらえた団子を自家製の味噌でじっくり煮込み
セリも加えて香りとともにいただきます
うん雪に抱かれた山の人は
しばし時を忘れさせてくれます
うんま多少テレビないラジオもない
ちょっと便だなま携帯も半分しか違わないし
みたいなちょっと不便な多分
それが逆に現代のっていうか
今のすべて近いで動いてる世の中にすれば
ある意味新鮮に感じるのかな
と思うんですよ
今日二つ目のツボは
温泉には雪がよく似合う
福島県のチューブにそびえる安達太良山
そのふもとにあるだけ
温泉十五の宿が軒を連ねます
うんさらさらとした
無色透明の湯をたたえています
このお湯週に
一度だけ全く違う姿に
変化するのだとか

その秘密は
安達太良山に

お湯が変化するのは
毎週月平厳選のメンテナンスが行われる日
うん温泉を管理するゆ森が
山の中にある厳選を目指します
登山口から四キロ雪を掻き分け
掻き分け進みます
氷点下八度極寒の中を登っていきます
歩き続けることに
時間を言ってる
とこが近くにあるんですか
標高およそせんさんびゃくM
この山肌に源泉があります
まずはお湯の流れを確認するため
雪に覆われた源泉を掘り出します
周囲の地形や目印に立てたポールを頼りに
場所を探り当てます
そうですね積雪およそ三メートル
そうお湯の近くには
高濃度のリュウか水素ガスがたまっているため
注意を払いながら掘り進めます
うん
よいしょ掘り始めて
三十分はい

嶽温泉の源泉が姿を現しました
うん無色透明六十四度の傭船
このお湯を全長八キロのパイプを通して
麓に送り届けます
しかも利用先は刻々と状態が変わり
慎重な扱いが必要です
うんそのため源泉の付近には
お湯の流れを確認するポイントを
二十メートルごとに設置
その一つ一つを掘り起こして異常がないか
点検して行くので
季節や天候の影響を受けやすい源泉
お湯の量や温度などに気を配り
まさらに掘り起こした箇所を周り
針金で作ったたわしで
洗い流します
たわしに取り付けたロープを
厳選から下流へ向けて流します
そしてロープを手繰り寄せると
透明だったお湯が
白く濁って出てきました
濁りの正体は
利用先がパイプを流れている間に
空気に触れてできたもの
湯花と呼ばれる沈殿物です
湯花は放っておくとパイプが詰まる原因になり
麓へ供給する
お湯の量が減ってしまいます
そのため週に一度
掃除を欠かさず
行わなければならないのです
ここのお湯がいっぱい来ないと言うこと
聞かなかったんです
でも誰かがやんなきゃならないし
天気悪いときにしたくないですもんね
でもこないわけいかないですよ
本当にあの言うこと
聞かない温泉なんですよ
源泉で湯花を洗い流してから四十分
麓のだけ温泉に
湯花たっぷりのお湯が届きました
今ではパンが待ち望むミルキーな濁り湯も
初めは最初からそういう時は一応連絡なし
何日やりますてやる必要があったんですよ
実は黙って濁し
あと何ででもしたつって皆
心を抜いたりして
綺麗にしてるとこもあったんです
だからそれがだんだんなくなってきています
ひろ変わるのが良くなってきたって言って
喜ばれるって言って使ってくれてるんで
朝早く掃除して
日本のに森入るのを待ってるって
ステップにやれ
やるべきだと思ってやったんですよ
はいとうとうと流れたどり着いた雪のよう
なお湯はゆ森の仕事あってこそ

うん柔肌のあつき
血汐にふれも見でさびしからずや道を説く
君明治から昭和にかけて
情熱的な歌の数々で
一斉を風靡した歌人
与謝野晶子公園や歌の指導で日本各地を訪れ
全国ひゃく以上もの温泉を巡りました
お湯
の沸くところに名作
あり
榛名山の近くに男また男をなして
ローマ時代のアンフィテアトルムのごとく
斜めに刻みつけられた
桟敷型の伊香保の町屋根の上に
屋根部屋の上に部屋全てが温泉宿である
町を縦に貫く
本道は雑多の店に縁取られて長い
長い石の階段を作り
伊香保神社の前にまで
エッチの時を無数に積み上げて
殊更に建築家と壊死と喜ばせる
あきこがいっぺんの子に歌ったのは
群馬県にある伊香保温泉
長い石の階段は温泉街のシンボルとして
今も多くの人が訪れます
買って明子が宿泊した宿
昔から変わらない
伊香保独特の湯を湛えています
黄金の湯と呼ばれる茶褐色の温泉
脇入れて出勤の渦を作る
ユニしばらく心慰めるかな
伊香保の湯方に浴びつつ
赤のはね入れぬなと思う時かな
雷の生まれる厚木湯の音
固いにしたる朝の黒髪
うんあのーふーんうん
明子の温泉旅には
大切なパートナーがいました
夫で歌人の与謝野鉄幹こと博昭和ろく年
二人は東京から北を目指して旅に出ます

私たちの一行は
九月四日午前九時
上野発の上越線の休校に乗った
三時間の後に
沼田駅へ作っ群馬県の沼田から車に乗り換え
向かったのは
三国山脈の麓
渓谷
にある一軒宿法師温泉です

初め着いた時は
あまりに山鹿線展望に乏しいので
誰もこれで歌が読めるであろうか
と危ぶんだ
しかし浴室に入るに及んで
全く無装飾な季語や風の野手そのものである
建物と社席をすぐにそことする
浴槽の温泉の製鉄しているのとに
親が落ち着くの
あきこたちを迎えた
木造の結明治にじゅーはち年に建てられ
今も当時と変わらぬ姿を残しています
うんあち型の洒落た窓設計したのは
上越線敷設のために訪れたイギリス人
鉄道技師と言われています
うんうんお湯は気の病にも聞くという
スグレモノはい過ぎず
丁度いい温度の源泉が足元から湧き出ます
安芸子と博士が
宿泊した部屋も残されています
法師温泉を訪れた時
安芸子五十二歳
大58才ひろしとの間にじゅー
いち人の子を儲けた
あきこ育児と家事をこなしながら
創作活動を続けてきました
そんな気子にとって
ひろしとの温泉でのひとときは
ようやく手に入れた
夫婦水入らずの時間
調節も充実したものになりました
ついたときには
ここで歌が読めるものかと
不安を抱いていましたが
4日の滞在期間にきゅーじゅーきゅー
下の歌を作りました
安芸子磁器質の歌の掛け軸が
残されています
温泉に使って一種草枕歌枕二日からさらう
山のいで湯の丸太の枕
そして広島奉仕ユニ渡せる気あり
枕して手を組みたれば奉仕にも見る
講師のお湯は安芸子と大を癒し
歌人与謝野晶子の創作の源でも
あったのです
草枕鎌倉に二時
からざら山のいで湯の
アルタの枕

温泉旅館
朝のお風呂だけじゃなくて
料理も良くなくちゃだめでしょ
もし例えば

なるほど
お待たせいたしました
当館温泉解析でございます素敵な器ですね
ほら温泉卵温泉卵に地獄蒸し
温泉街に温泉まんじゅう温泉尽くしでございます
なんだか言わたり
えーいっぱい行きましょういける口でしょ

ちょっと待って
ちょっと待ってもうもう飲めません
ある想像だけで酔っ払っちゃうなんて
昨日のお水お水ください
うん

佐賀県武雄
温泉
温泉街を歩いていると
竜宮城のような建物が

嶽温泉
大正
四年に温泉施設の入り口として
完成しました
温泉というより
まるでお寺やお城のようですね
うん屋根
には立派なシャチホコうん

設計したのは意外な人物でした
地元佐賀県出身の建築家達の欣吾
あの東京駅を作って日本の近代建築の巨匠です
温泉という一つの素材をもとにして咲いた
ひまわりのような
施設を作ろうとしたんじゃないかな
と思います
岳温泉取られません
さんびゃく年代の歴史があるんですが
その温泉地に一つのは
集客のポイントとして
鉄道が開通したときに人々を集めようと
普通の温泉地とかだったら
どうしても集客にインパクトが弱いということで
ま温泉リゾート構想
というのを考えたんだと思います
立つのが依頼されたのは
温泉リゾート施設の設計
楼門の先には
様々な建物が構想されました
うん娯楽島と言いまして
一回がビリヤード場に
皆が舞台月の演劇ジョンだから
その今でいうサウナですね
そういったどこかに
遊び心的な部分も考えられますし
かといってえー
完全に遊びではなくてですね
要所要所には達の工夫が見られる
日本を代表する建築家は
オンセンリゾートをどうデザインしたのか
今は展示用の浴場棟の建物に
辰の仕事を見ることができます
正面にはカーブを描いた樺太三角形の千鳥
破風城などに使われる装飾で
他にうん屋根にはシビ奈良
東大寺の大仏殿など
格式の高い建物に使われました
窓は鎌倉時代に中国からもたらされた加藤窓
うん日本建築の歴史を飾る
そうそうたるデザインで埋め尽くします
さらに中え足を運ぶと
うんはい雰囲気は一変
浴室は洋風にしつらえてあります
屋根は立つのが作成した東京駅のどむと
同じハッカッケーモダンな空間に
作り上げています
壁一面には陶磁器の産地有田で作られた当時
最先端のタイルうんうん
浴槽には日本でも
西洋建築に使われ始めていた
白い大理石を敷き詰めました
なるほどうん入場料が高く設定された
こちらの浴室は
よりゴージャスにはいうんスペイン
風邪の鮮やかな彩りが美しい
マジョリカタイルカップルね
当時高級品だった装飾タイルで
贅沢に飾りました
うん立つのは
ここ東西のデザインをあれもこれも詰め込んで
夢のような温泉を演出したのです
あったま我々
通称あのお風呂とか入った時に
極楽極楽と言いますよね
その極楽というのは
仏教用語の極楽
浄土から来てると思うんですが
皆さんにまた流れ的な心から楽しめるところ
という温泉リゾート
構想を考えたんだと思います
ちょっと今日二つ目のツボは別世界へ誘う
温泉建築ありがとううん
うん諏訪湖のほとりに温泉が湧く
長野県上諏訪うん
ここにも歩変わった温泉施設があります
そううんでトロな西洋風の佇まい
昭和三年に建てられた片倉館です
えー天然温泉を
公衆浴場で明るく
開放的な空間が広がります
うん浴槽もプルのように広々とした作り
一度に大勢が入れることから
千人風呂と呼ばれています
はいうん装飾も西洋風うん
日本の温泉のイメージとは
かけ離れた異国の雰囲気が漂います
うんはいこの温泉に
子供の頃から親しんできた地元出身の建築史家
藤森さん入り心地も独特だと言います
うんなるほどこの部分がね
私たち子供の時は背が付かないです
だから今でも思います
この父に代わって変わって
大人はこの辺まで
この浴槽広さだけでなく
深さもプル波底まで
百十センチもあります
大人でも立って入らなければならないほどうん
この深いっていうのは
あの向こうのように
他の温泉地はみんな深い高いです
カ軍荼利を参考にしたってことは間違いない
っていうのはあのー
片倉兼太郎さんがあの尿視察してますし
うんカルロビバリは
ヨーロッパのチェコ西部にある温泉
地街の所々に陰線所が設けられ
温泉保養に訪れる観光客が
世界中から集まります
片倉館を作った実業家二代片倉兼太郎も
欧米の視察旅行の際
カルロビバリを訪れました
そこで目の当たりにしたのが
日本にはない
ヨーロッパ独特の温泉文化でした
ちょっとねプロのような温泉もあるんですけど
みんなねお医者さんが笛を持っててって
言ったら入るピンてたら出る
そのー体の症状全部そういうことをやる
このいい歌だなって感じで
のんびりする場所じゃないですか
温泉健康増進の施設片倉は帰国後
日本にも市民が利用できる
温泉保養施設を作ろうと
巨額の資金を投じて建設に取り掛かります
ヨーロッパへの視察経験がある
建築家に依頼
装飾には粘土で立体的な模様を表現するテラコッタ
幾何学模様を持ち
アールデコのデザイン

風呂の
そこかしこに併用を散りばめました

外観にも工夫を凝らし涼感というのはですね
基本的に左右対称は基本なんですよ
ところがこれは
あの意識的に相当左右対称崩してる
こういうやり方をピクチャリスクって言って
日本語で言ってんのようにっていう
諏訪湖の方から眺めた舌がこう
朝モヤの中に神がすっと立ってる
なんかああいう絵画的なイメージをを求めて
えーのような感じをさ小幡に作りたいっていう
そういうこう湖のホテルの
羊羹のようなイメージ
はい片倉は本場さながらの洋館を作りながらも
一息つく場所には
庶民になじみの空間を設けました
猫黄金に階で頭の畳引かれてまして
ここでみんな座ってですね
お風呂にななきゅーケースと言いますかね
お風呂に入った後
恒例のお弁当持ってきて食べたり
誰ならうん横になったり
それで農閑期ま農繁期終わります
秋の鳥なんか終わると
村の人たちが連れ立って行事のよう
にして年に一回来てたんですよ
すごく子供怒り心躍る場所でした
なんかすごくおしゃれな場所を
上回って感じですよね
だからうんと大げさに言えば
ディズニーランド行くような感じですよね
実業家の夢を実現したワンダーランドは
およそ一世紀もの間
人々の身も心も暖め続けています

うんどこか憂いを帯びた様子の女性たち
作者は大正時代に活躍した画家で
詩人の竹下夢路
生涯忘れられない温泉がありました
はいはいお湯の沸くところに名作
ありうん

大正六年八月当時
京都に住んでいた夢路はうだるような
夏の暑さから逃れるため
北陸へと旅に出ます
山中温泉山代温泉文人
たちにも愛された加賀名東を巡りました
夢路は訪れた温泉地の風情を
スケッチに残していま描かれているのは
のどかな田舎の情景
うん都会で暮らす夢路にとって
温泉旅行は新たな
創作の糧でもありました
有名人この時
三十二歳旅には別れた妻との息子藤彦
そして十二歳年下の恋人
彦乃を連れていました
画家を目指していた彦乃と夢路は
互いに惹かれ合っていました
しかし彦乃の親は反対
うんそんな人にとって
北陸の旅は
一緒に寄り添える貴重な時間でした
うん京都を離れ
一月半が過ぎようとしていた頃
二人は金沢郊外の
ある温泉地にたどり着きます
九月二十四日
少しくらい降って下強行して
とうとう湯涌へ来た
本当に湯本というよりも
もっと湯涌という方が原始的な
そうしたところであった
うん有名人たちが訪れたのは
金沢市外から車でさん
じゅっぷん余りの山間にある湯涌温泉
金沢の奥座敷と呼ばれる
静かな温泉街です
当時は温泉宿がさん件ほど小さな川沿いに並び
鄙びた風情に包まれていました
うん
湧き出るお湯は無色透明
うんうん

その清らかなゆに夢路十日
この間開かれます
昨夜は夜中そうだ三時頃ででもあったのか
人を切れて閂を開けて
暗い明かりのない浴槽へ降りていった時は
まるで西洋の墓場ゆく
ハムレットのような心持ちであった
こんな水が土の中から出て
一緒の薬よりも効くって不思議ね
人間にわからないことはたくさんあるよ
成分やコーナーは買ってもどうして病気
治るのだか
まだ今の医学じゃわからないんだから
それが分かりや薬で治るはずだからね
何しろ自然は
まだまだ人間の分からない
恐ろしいものを持っているね
うん彦乃は湯涌温泉に来る直前
既婚女性が言う丸髷に髪を結い上げます
はい結ばれずとも
二人にはどこか
幸せな雰囲気が漂っていました
うんそのことを伺い知れるものが
湯涌温泉にある
夢路の記念館に残されています
うんはいはいうん有名人が弱く
温泉で書き上げた水彩画
はい温泉宿の難関に寄り掛かる
着物姿の彦野です
背景には弱く温泉の当時の風情
うんこの絵を書いた時のことが
夢路の日記に克明に記されています
昨日からうろこ雲が出て
時々薄日狩りが森へ落ちる
昨日からか誰か気になった
温泉場の屋根を書きかけて始め
子供をランカーに立たせる
つもりでちこにポーズさせたが
どうもあんまり可愛い顔なので面白くない
あれかこれかと子供を探したがダメ
それで死ぬを立たせてかい
紀子は息子藤彦しのは
彦乃の相性モデルは彦乃に決まります
へえうん真ん中を皮が白く流れて
人物も手前の屋根もみんなコバルトかやと守り
人を気にしてうろこ雲臼杵
そしてちらちらとコバルトの空を見せる
良いのが出来た
湯涌温泉で人知れず
穏やかに過ごした夢二と彦
またここへ二人
一緒に訪れたいと願いました
しかし翌年彦は結核に倒れ
入院さん年後の大正九年にじゅーさん
歳きゅーヶ月と言う短い生涯を閉じます
もはや思い出となってしまった
弱く温泉の日にち
夢路はひこの絵の思いを込めて
さし入りの歌集を認めます
歌集さんのみに続き
三病に弱くという温泉場あり
寂しくはあれど
山の佇まい雲の行き交い
眺めても飽くことを知らず
そして湯涌温泉で過ごした
二人の幸せの絶頂を歌いました
弱くなる山懐の小春びにメット実施
なんと君の言うなりうん

有名人とひこのが
まるで新婚旅行のような幸せな時を過ごした
弱く温泉その名のごとく
今も変わることなく家を称え
旅人を癒し続けています

私ね温泉旅館というとね
マッサジ頼んじゃうのよ
湯上りの政治最高でしょ
マッサジ気持ちいいどお祝いしてますよあれ
大丈夫かしら
上りはマッサージに限りますよ
ランサーちょっとしっかり揉みなさい
外出前に身を粉にして働いてるんですね
ちょっとすいません
ちょっと力入れて
想像

だけで待っちゃって
気の毒に

湯の町別府温泉街とは離れた住宅地に
観光客の知らないようせんがあります
別府市麻生地区にある
熱海温泉町内の自治会が運営する
街の人のための温泉浴場で
脱衣所と浴槽が隣り合ったこじんまりとした作り
昭和26年に人々が寄付を集めて作り
改修を重ねながら使われてきました
泉質は無色透明の単純温泉
近くの源泉から引いています
温泉の上には
公民館を併設町に温泉ができてななじゅー年
ここにはいつも人が集います
そして
今日もまた新しい一日が始まります

日本の温泉最後のツボは
お湯の沸くところにした
早朝五時半温泉を開けるのは豊島さんの仕事
まずは朝のお勤めです
お薬師さんに今日の無事を祈ります

そして朝の大切なお役目が小さな湯船には
およそななじゅードの源泉税を抜くと
浴槽へと流れ込む仕組みで
その塩梅で温度を調整します
五十年前からお湯の面倒を見ているという
豊島さんの類かな
夜のうちに冷めてしまったお湯を
いつもの厚さに仕上げます
はいなん
六時
一番風呂に行っ
てきた

いつもの赤嶺さん
これが大事なルーティンなんだとか
朝がメインで
夕方もどこ行った温泉があるから
1日のスタートで雪じゃないすか
早寝早起きでこの町の人にとって温泉はニッカ
いつもの顔が
いつもの時間に集まってきます

温泉は
家のお風呂代わりえとうさんは
学校帰りのお孫さんとひと風呂

暑いんです

でもおじいちゃんはいいけどお孫さんは大丈夫
熱め

のお
湯も
コミュニケーションに一役買ってます
夕暮れ時温泉が最も賑わう時間です
ベンチに座れば
井戸端会議のはじまりはじまり
はちじゅー代のお姉さんがごじゅーだから
楽しみで同じ空
同じ時間に来るようになるんです
家で入るのが昭和28年8年ななが寒いから
パジャマのセーラー服を着替えて
歯磨きしながらお風呂は入ってあったまったら
その制服を着て帰って
朝ご飯って自分で弁当を詰めて
中学行く言うのが寒い時は
思い出の詰まった温泉を賑やかにしようと
こんなものを
季節の行事をテーマにした可愛らしい吊り飾り
月ごとに作り替えて飾っています
寂しい子なんか違う
それではもうに年越しになりました
これから飾りには
みんなの願いがお祭りや行事がなくなって
集まる機会も減ります

も温泉だけはいつも通り

長い付き合いですから

じゅーいちじ最後の掃除も
手島さんの仕事で
今日も無事に温泉ない1日が終わりました
へえそして
また新しい一日

いつものように
お湯がみんなを待って

待たせしました

温泉が出るんだったら
やってみるのもおもしろいってそうですか
それは大変でしょそれますよ
その辺のことは
お母様と相談してから決めてお母さん
私はこれでこのジオラマこれはずが守る
それだそれだ
犯しまし
たわ

そういえば母さんが温泉好きだったよな
せっかくだから温泉入っちゃうかな

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ガジェット愛好家です。世の中にあふれるモノゴトはすべてヒトが作り出したもの。新しいモノの背景にある人の営みを探るのが大好きです。発見した情報はまとめて発信しています。