3年前の九州北部豪雨で大きな被害を受けた福岡県の焼き物の里。痛手を乗り越え復旧を果たしただけでなく、さらに新たな試みの端緒をつかんだ、 小石原焼 の職人たちを描く。
3年前の九州北部豪雨。福岡・大分を中心に大きな被害をもたらしたが、小石原焼で有名な里も深刻な影響を受けた。一時は窯元の半数近くが、生産を中止。しかしそんな中、崩れた山肌から、新しい土を見つけた窯元がいた。この土の持つ味わいを生かそうとするが、難問が立ちはだかる。また、窯の土台となるレンガが水につかってしまった窯元は、窯の再開を機に、新たな釉薬の表現に挑む。そこには、未来への希望が託されていた。
初回放送日: 2020年10月20日
イッピン「よみがえり さらに進化を〜福岡 小石原焼 」
器それは日々の暮らしに欠かせないもの
丈夫で飽きがこず
料理を引き立ててくれる福岡県小石原焼は
そんな器です
小石原焼の代表的な模様がこちら
この細かな模様は
意外な方法であっという間に付けられるんです
飛びかんなと呼ばれる技法です
器を回す金属の先を当てていきます
出来上がるまで数秒から十一秒
まさに職人の熟練の技
同じ大きさのかすり模様が
綺麗に等間隔に並んでいます
はい決して派手ではありませんが
素朴な味わいがありますよね
小石原焼の始まりは江戸時代の初め頃
この山里で値段も手頃で
日にちの暮らしに
役立つ側が作り続けられました
ありがとうございます
一躍脚光を浴びるのは
昭和の初め民芸運動の提唱者
柳宗悦がその美しさに注目したのです
普段使いの日用品を作る手仕事
同じものを同じ手法で繰り返しもくもくと作り続ける
その無心の手業が生み出したものこそ
美しい柳のいう用の美です
小石原焼の器はまさにそれでした
昭和二十九年柳の友人で
イギリスの陶芸場など
りちがこの地を訪れます
柳の考えに深く共鳴していたり
千葉小石原焼に興味を持っていたのです
これは用の美の極致だ理知派
そう言ったと伝えられています
二千十一年の七月
福岡県と大分県を中心に大量の雨が降り
大きな被害をもたらします
九州北部豪雨です
河川の氾濫や土砂崩れなどで交通は麻痺
死者行方不明者は四十人以上
小石原焼の里も
被害の大きな場所の一つでした
窯元の半数近くが流れ込んだ土砂などで
一時焼き物作りができなくなります
しかしここでね三百何十年も続いてるのに
この災害でやめるわけにはいかない
災害を乗り越え器作りを再開した
人々の中には
不況の中で
新たな試みを始めた職人もいました
蘇り更に進化する焼き物の物語です
小石原焼の故郷
福岡県東方村人口はおよそ二千
こちらは三百年以上続くという窯元こんにちは
よろしくお願いします
早川秀美さんと妻のいくよさんです
代々暮らしに役立つ器を作ってきました
小石原焼の代名詞
飛びカンナの技法も守り伝えています
作っているのは
和食機だけではありませんばらばらだ
これはココット西洋料理で使われる
蒸し器です
だったんだうん
例えば目玉焼きや本野菜など食材を入れ
電子レンジにかければ簡単に出来上がります
うん見た目も可愛らしく
電子レンジから出して
食卓に超力はそのまま食器になるんです
ま例えばお年寄りの方とか
単身赴任でお父さんだけとかいう方が
そのレンジで
簡単にフライパンとかを汚さずに調理ができる
電子レンジで簡単調理ができるというのが
利便的なもので
ココットにも飛びカンナの技法を使います
ええでも平らな皿に比べて工夫が必要
蓋が口のところで
大きく曲がっているからです
早川さんは他の部分と同じ大きさの模様を
同じ感覚でつけていきます
真ん中を当てていくんですけど
こう行くときに
どうしても最初のえー男性の男が
端からしか当たらないんで
端から当たって戻すって感じですよね
基本真ん中を当てるんですよね
カーブに合わせて当てる
金属の角度を素早く
皆常に中心は
器の表面に
当たるようにしていたのです
わずか数秒の勝負熟練の技の賜物です
はいま昔から
その喜びっていうふうに言われてて
日常使いの美しさっていうのをこれ考え
考えながらっていうかできてるかどうか
ちょっとまだ分からないですけど
代表的なものが飛びかんなっていうので
まあその自分が作った器には
その小石原焼の技法を入れています
今の暮らしの中で人々に喜ばれる器
それを作り続けたいうん用の美に徹した時
伝統の技が生きてくると
早川さんは言います
社歴っていう人も
こう広めたいっていうのもあるし
ま自分なりのそのー
ものを作っていきたい
なっていうのはありますね
二千十七年七月の九州北部豪雨
福岡大分などで大きな被害をもたらしましたが
同法村でも
家屋の浸水や道路の陥没などで
深刻な事態となりました
窯元の一人
長沼武久さん外から戻ってきた時
その光景を目の当たりに
ここも全部海みたいに
もう水がここから全部来てましたね
頭の方はかろうじて大丈夫だったんですけど
あとギャラリとこの辺がもう湖出しでした
もう海になってました
長沼さんは地元で採れる土の味わいを生かしたい
と焼き物づくりを続けてきました
素朴な土味で暮らしに溶け込む器
まこちらの自然のこの土地の土を
あんまり形崩さないで
そのまま表現できたらいいかな
とは思っています
あんまりって入れるとね
なんかわけわかんなくなっちゃう
自然自然のまま表現できたらな
とは思ってます
土の味わいを生かすために欠かせない
よく考えるのか登り窯です
うん斜面に沿って連なった部屋を作り
下のほうで火を炊くだけでなく
それぞれの部屋にも薪を入れ
直火で器を焼きます
これが土の味わいを引き出すのです
八火の走った後
を付けたいですよねんですけど
どうしても表裏が出ますから
それが面白いところではあるんですよね
上りの見てるっていうのは
あ火の火があったあった分面と
日が当たらない表情が豊かですね
限られた方が焼成室の
中で燃え盛る各部屋のどこに器を置くかで
炎の当たり方が変わります
強く当たれば
石弱く当たれば淡く
土の味わいに変化が生まれます
三年前の号で
作品の展示スペスが水浸しになった長沼さん
しばらくは復旧に追われる日にちが続いた
といいます
そんな長沼さんに
思いもしなかった出来事が
待っていました
うん
うん
うん歩いてて
ここ歩きながらこうチェックしていたんですけど
その時見つけたんですよ
被害の状況を調べるため
結成された調査団に
地区の代表として参加した時
崩れた山肌から
偶然見たことのない
糖度を発見したのです
あったあったって感じですよ
ストレ早速焼いてみようですよ
意思が入ってるので
これはこのまま焼いたほうが面白いな
と思って
それは小さな石が混じった土でした
この土なら今までとは違う
風合いが出るかもしれない
早速器作りに取り掛かりました
しかし小さな石が障害になります
石川医師が入っててこう引っ張っていくと
どうしてもガラガラっとこう穴が開くんですよね
そこがちょっと挑戦しながら
あのー防ぎながらやってるんですけど
ろくろで引くと
基地の中の石が
ぽろぽろと落ちてきたのです
指の腹で医師が溢れるのを防ぐことは
できないか悪戦苦闘の日にちが続きます
でも長沼さんは
新しく手に入れた土の感触に
ワクワクしていました
ねんどろろくろをひく時は
そこを内側にしまで見えないですよね
器の表面にぶつぶつで
黒い点々ができてきたりするのもあるので
その辺はちょっと読めないから
そこに約楽しみがあるんですよね
どんな表情で焼けてくるか
楽しみなんですけどね
指の腹をうまく使って
形にすることはできました
焼いてみると
僕が行きませんの
愛に一カ月の試行錯誤の末
やっと出来上がりました
はい小石を含んだままの土が見せる
素朴な味わい
新たに巡り合った土が
長沼さんに活力を与えてくれたのです
この男の安定やっぱり災害たときはほんとこれ
今まで経験したことないことだったので
どうなることか
っていうのを本当怖かったんですけど
まあ崩れてみてこういう山肌が出て
こういう燃料がここにあるよみたいな教え
てもらった感じがして
まこれを生かして
負けないように力付けていことね
堀越スト
はい同法村で
三代続く窯元です
こんにちはどうも里美たけしさんと
妻の三ギャラリの器を見渡すと深く
それでいて澄んだ青小石原焼には
珍しい藍色の器です
はいはい初代の窯元が
この藍色を編み出しました
今や全国に多くのファンがいるといいます
藍色の秘密は
独自に調合された釉薬にあります
代々伝えられてきたものです
もうあのずっと継ぎ足し継ぎ足しで
はい調合しておりますいう訳ですねうん
美しい藍色を出すために欠かせない
釉薬の調合でもそれだけではありません
焼く時の窯の温度が鍵になる
といいます
三年前の七月五日午後二時
さとみさん夫妻わ工房にいました
降り続いた大雨で工房の裏の山が崩れ始め
すぐに土砂が主流のように流れ出しました
はい二人は工房の扉の前に粘土を積み上げ
必死で土砂が流れ込むのを防ごう
とします
しかしとうとう扉を突き破って
大量の土砂が工房の中へうん
みるみるうちにも土石流が侵入してきて
もう公募全部いや
土砂に埋まった感じになってしまいました
もう気付くと
膝までその土砂が入って
動けなくなってしまってあこれは私
このまま生き埋めとか
何かになるのかなと
思いながら主人をずっと叫んで
読んでたんです
土砂は工房の奥の竃に迫ります
幸い釜の上の方までは達しませんでしたが
土台のレンガ部分が
土砂に埋もれてしまいました
連歌は窯の温度を保つ
重要な役割を持っています
これが水に浸かると
乾いた後ももろくなってしまいます
そのため以前と同じように焼き上がらず
肝心の隘路も出なくなりました
構造が微妙に変わっていって
何度か思うように焼けない
その焦りをすごく人で感じてました
連歌を取り替えなければ
かまは再開できません
でも道路が陥没していたため
新しいレンガなかなか届きません
北九州市から業者が連歌を運んでくれたのは
三週間
しかしそれでもかまは
元通りにはなりませんでした
長い間使い慣れてきたかも
さとみさんは
その性質を熟知していました
うんしかしレンガを新しくしたことで
それが微妙に変わっていたのです
ちょっと下げてきます
窯の曲っていうものがあるもんで
その曲をいかに自分の炊き方でうまいこと
うちの愛の色が出るか
何回も何回も焼いてですね
でやっと今のようにたどり着いた
っていうのがですね
どのくらい火を焚けは最適な温度になるのか
この釜の性質癖を探ろうと
丹念に記録を取ります
うん窯の中の二か所で温度を測定
気づいたことを
その都度をメモしていきます
どんなことがあっても
この釜を蘇らせる
全国から届いた励ましの声が
人を支えていました
これはまでの話だったんですけども
普段コメントはしませんと応援してます
一言書いてたんです
それはなんかこう
ぐっと涙が出るような気持ちになりました
はい三ヶ月後
新しい竃の曲を見極めて
焼き物作りを再開しました
応援してくれた人々に応えるために
さとみさんはある決意をします
元通りにするだけではなく
新たな一方を生み出したい
藍色の新たな表現に
挑むことにしたのです
それは以前から試作を繰り返しながら
なかなか満足がいかないものでした
藍色の微妙な濃淡を出すため
コンプレッサでさらに釉薬を吹きつけます
これが復興の証になってほしい
そう念じながら災害は経験したけれども
こんなクリアあのー相乗りを出てます
よって看板を起こしていけるものはない
って思った時に
やっぱりその辺の表現の仕方
表現力を発信できればと思ってばね
すごく強くなりましたよね
今度は釉薬を手につけ
思い切りよく振り掛けます
さとみさんの心の中にあるイメージ
この方法ならそれが実現できる
と考えたのです
それはいろんな方法で
どういうええ表情を作っていこうか
という流れの中で
無作為天津に済ませた釉薬をですね
そのままぱっとこう振り掛ける
するとすごくいい表情が現れた
焼き上げるとまるで夜空に輝く
銀河のような鮮やかな藍色抜ける
きれいな星政府は
したいって言い方おかしいですけど
広がってるみたいなイメージしていただけると
うれしいな
豪雨による被害とその後も続いた
苦しむこの星空には
やっと光を見出したという
さとみさんのメッセージが込められています
またこう昨冬欲に駆られると言いますか
もっといいものを作って
この色であの表現したい
なっていう思いになりますね
あの自分達夫婦の中では
バイタリティとして力になっておりますねそうですね
本当にそう思います
みたいな
暮らしとともに暮らしを豊かに