今年創立150年の大きな節目を迎えた 東京国立博物館 。日本が世界に誇る美の殿堂で、この秋前代未聞の豪華な展覧会が開催されている。それは所蔵する国宝89件のすべてを展示するという、博物館の歴史の中でも初めての試み。絵画、書跡、工芸、考古そして刀剣。各ジャンルを代表する至宝が勢ぞろいする会場をめぐりながら、展覧会の見どころを紹介。8kの高精細映像で日本の美を堪能する。
放送:2022年10月23日
日曜美術館 「国宝 東京国立博物館のすべて」
日曜美術館です
今日は「国宝東京国立博物館のすべて」特別編でお送りします
東京国立博物館で開かれている「特別展国宝東京国立博物館の全て」
創立150年を記念し、所蔵する国宝89点のすべてを公開するという豪華な展覧会です
ご一緒するのは前の日曜美術館の司会の井浦新さん、漫画家のヤマザキマリさん。
東京国立博物館のすべてご案内します
松林図屏風
最初の国宝は何でしょう
長谷川等伯「松林図屏風」です
長谷川等伯は能登半島で最初に仏画を描いていたようなんですけれども
三十代で京都に行ってから急に名前が挙がっていった
松林図屏風は長谷川等伯の代表作です
被写体が樹木だが、空気を描いている
空気と環境と言うかもう少し霧がモヤがかかってるとか
そのために必要だった樹木なのかなと思ってる
描きたいものを描くために木があるのかな
毎回感じるんですけど
引いてみるとすごい静かな絵のように感じるんですけど
近くで見た時の筆遣いが、これ観る度に等伯が
これを描きながらどんな心情だったのかといつもご想像させられるいう間な感じしますけど
私たちのご指南役に絵画がご専門の東博の研究員松嶋雅人さんです
この曲を一番最初に今回持ってきたっていうのはどういうことで
今回松林図屏風を最初に持ってきたのは東博のコレクションの中でも
最も知名度が高くて最も人気の高いこの作品で皆さんをお出迎えしようという考えました
この景色が水墨画っていう中国から渡ってきた技法で描かれているにも関わらず
湿った空気を描いていたりすることでおそらく皆さんは日本の景色を描いてるように感じられると思うんですね
長谷川等伯がこの400年前にこの日本の情景景色を情感たっぷりに描いたということで
日本らしさがしっかり表されてるっていう事がここの理由の一つです
納涼図屏風
「納涼図屏風」これは江戸時代の初期の画家、久隅守景による屏風。
粗末な家棚を張り出したその下に家族が三人います。
左上に月がありましておぼろげに出ていることから夕涼みの情景であるということ
分かります。一見何の変哲もない暮らしの様子。これが国宝。
多分ご家族だと思うんですけど奥様の方は上をはだけて、ご主人も薄衣をまとっただけの本当にこれを見てるだけでやっぱりこの暑さと涼しさっていうのが体感できるんですが、これ見ているだけで暑さと涼しさを体感できる。
家の中のおそらくあのこれを飾る注文主が存在するはずです。なのにどうして庶民を書いたんですか。
おそらくこの時代守景が注文を受けた。武士がこういう庶民の姿を描いた。おそらく戦国時代から終わって安全な世界が訪れて農家の方々とか庶民がゆったり暮らせるような世界をま武士たちが保障するそういう世界を理想的な形で表してるんですね。
昔の間でしたら天皇や将軍や貴族の肖像画であるとか高い階級の方々を取り上げるに庶民の姿を中心に描いてるのは画期的。
おそらくフェルメールとほぼ同世代。ゆっくり見ていただければ分かると思うんですが、真ん中の男性があの凄い腕も通りしっかりした線で、手前の女性はやわらかな曲線で揺れる夕顔の葉も技法を描き分けてますよね。曲線直線とかみんな自分たちの持ち味を出してこういう結果になった
シンプルだけど本当に見てるだけで楽しいですもんね
これこういう姿が現実にはおそらくないと思います。理想世界です。
孔雀明王像
今度は仏様たち仏画です。
孔雀明王像は孔雀の上に座る孔雀明王な孔雀を神格化した存在です
孔雀は毒蛇を食べると言われ、そこから病気を治すなど願い事を叶えてくれるとされてきました。
孔雀明王は白い衣をまとい、金色の孔雀に乗ると経典にあるため、そう描かれた仏画が多いんですが
この像は華やかですよね。
明王と言うと怒っているのが普通ですがこの孔雀明王は静かなお顔。
そのほかにも特別なところがあります。
それはこの手の上の物なんだか分かります。
その答えは。
「胸の前に持ってるザクロの実があるんですが、元々は経典中にザクロと説かれていない。違うものなんですけどもそれをわざわざザクロに変えてるというのは、安産祈願のためにそれをやったんだろう事が言われていまして、ベースにあるのはとにかくで手の込んだものを作ることでその幸せのあの原因を作っていくというのが大きな図式としてはあるんです」
孔雀自体がま魔除けと言うかその息災だったやんねだってそういったものをやっぱり子を守るための神様なんで
そこにやっぱり豊穣のシンボルって思ってる時におめでたいモチーフだったことがありません。これは平安貴族がお金をかけて豪華に作ったものですから細部を見ていくと大変なことが分かってきます。
今日は8Kのモニターを用意しました。こちらでより細かい部分を一緒に見ていこうと思います。孔雀明王像に細かな装飾が施されているんですね。
胸の飾り胸の飾りは金箔が貼っています。孔雀の羽は截金なんです。
丸い模様は金泥です。
おそらく貴族。高い位の貴族の人が財力を集中してそれだけの高い技術でこの仏像を作ってる。
こういう仏様の世界極楽の世界が描かれた国宝もある一方で東博には全く反対の世界を描いた国宝もあります。
地獄草紙・餓鬼草紙
激しい炎に焼かれる人々。
罪を犯したものが落ちる地獄の光景です。
仏のいる極楽の対局にある地獄を描いた地獄草紙。
どんな罪を犯すとどんな地獄に落ちるか言葉書きで示しています。
燃え上がる地獄の業火。
殺生や盗み。淫らなことをした上に僧侶に叫んを与え辱めた罪人が落ちる地獄です。
巧みな描写は一流の絵師の手になるもの。
後白河天皇の周辺で作られたと考えられています。
平安時代の末。
人々の死後の世界への関心の強さが伺えます。
国立博物館にあるもう一つの死後の世界。餓鬼草紙。
罪を犯し満たされることのない飢えに苦しむ、餓鬼に転生した亡者の姿を描いています。
貴族達が酒と歌に興じる宴の席。
小さな餓鬼が取り付いています。
餓鬼は人のように止まり見えない姿で災いをもたらします。
餓鬼が狙うのは享楽に耽るものの生気。
集まる女性達は一面の笑顔です。
赤ちゃんが生まれた瞬間です。
その命を餓鬼が狙っています。
病や不慮の事故は、餓鬼の仕業と考えられていました。
「我々はの現代で科学が発達していると、例えば病気だと今のコロナのようなものは病気を流行らせるということを考えますけれども、当時の人たちはそういう考えがありませんので、何か別の世界の力が働いている考え方がありますので、我々に見えない世界の餓鬼ですとか冥界といったところから手招きをするようなんですね、そういったおぞましさみたいなものがこの絵巻に視覚化されている」
戦乱の多かった平安時代末。
おぞましい死後の世界を描いた絵巻も、技と財力を尽くして飾り立てた仏画も、不安な時代の光と影でした。
文字
ついては書籍のコーナー。文字です。
奈良時代の兼業山艦
これはお釈迦様が賢者と愚者に例えて教えを説いた。
聖武天皇が書いたと言われています。
「賢愚経残巻」は普通の経典が一行17文字で書くところ12文字前後。
大きく堂々とした字が特徴です。
古来最も整った楷書のお手本とされてきました
アップにすると墨の濃淡が見えてきませんか。
力強い筆の動きが見て取れます。
たっぷりと墨を含ませ、ゆっくりと払うことでこの形が実現します。
さらに書の世界では禁じ手のあることが。
門構えに者と書くのの部分にご注目ください。
筆を重ねています。
太く力強い形を求めてのことです。
作法は後付けでいいってことですよね。
はっきり一文字一文字本当にゆっくりと丁寧に書いたってこと伝わってくる。
思いや願いだったりとかが一文字一文字に込められている。
並んでて全く意味がわからない。
難しいと瞬間にこれを初見でご覧なったりすると読み取れないと思う。
ところが、一文字一文字丁寧に診ていけば、厚く信仰した聖武天皇だと言われてるわけですけど
その方の一文字と文字に込めた思いが感じられるような趣味の力強さあの濃淡そういったものが一文字一文字感じ取れると思います。じっくりご覧いただければ、文字ってすごい力それが伝わる。
これは奈良時代の文字なんですけれども、続いて平安時代。文字の世界で書的なことが起きます。ひらがなが登場するんです。
はい続きましては古今和歌集を見て行こうと思います。
1120年頃に書かれた元永本・古今和歌集。
いくつも伝わる古今和歌集のうち、序から本文全て揃った現存最古のものです。
最も権威ある勅撰和歌集を貴族たちが競うように書き写していく中、より流麗で美しい文字が追求されました。
ここで一つある代表的な和歌を見てみます。
「ひさかたの光のどけき春の日にしづごころなく花のちるらむ」
春や花など漢字はごくわずかで、その他は漢字を極端に崩した当時のかなで書かれています。
その中にひらがなもあります。
例えば花のちるらんのち。
カナの誕生の前に、ちの音を表すには、こんな風に知などの漢字を使っていました。
繊細な心を歌う和歌を書き写すのにはどう感じでは硬い。
どんどん漢字は崩されていきます。
崩して崩して徹底的にかざして平安時代中期にひらがなが誕生。
その後ひらがなが定着した頃、元永版が出ました。
「美しい古今和歌集を貴族が作っていく中で、仮名の美しい形ができていく。この辺りが貴族生活のゆとりとカナの成立、古今和歌集の成立、それとそういうその優しい書を好むそういう時代の雰囲気っていうのが重なって出来上がったものではないかという風に思っています」
元永本古今和歌集の最大の特徴は、美しい文字と美しい紙の装飾のコラボレーション。
緑に染めた髪に散らされた金のハク。
時代に高度に発達した紙の装飾の集大成です。
ちょっと文字を忘れて背後の模様を見てください。
ほのかに輝く孔雀が刷られています。
版木を使ってニカワで雲母を定着させたきら擦りという装飾です。
元永版古今和歌集は平安時代の貴族たちの美意識の結晶でした。
東京国立博物館の始まり
この展示を企画された佐藤寛介さんです。よろしくお願いします。
この第二部では150年の歴史の中で吸収されたそれぞれの作品を展示しています。
これを順番に見ていくことで東博コレクションの成り立ちですとか東博がそれぞれの時代にで果たしてきた役割の変化したものが見てとれます。
東京国立博物館の始まりである明治5年の湯島聖堂博覧会で最も人気を集めたと言われている名古屋城の金鯱のレプリカです。
東京国立博物館の始まりが名古屋から来ていますけれども、このように東京国立博物館の始まりっていうのは博覧会と深く関わりがあったんですね。
ここではその当時の雰囲気を再現するためにレプリカですとか当時集められた作品、そして今から百年以上前に作られたてきた展示ケースなどを組み合わせて当時の雰囲気を我々も追体験します。
展示のためのケースです。
今回リフォームして展示の一環として使っております。
これは砲弾です。歴史を物語る生き証人と言えばいいんですけど、明治元年にもともとは江戸時代は寛永寺境内地だったんですけれども、ここに立てこもっていた彰義隊に対して明治新政府軍が攻撃を仕掛け、その時放たれた大砲の弾がこれです。そのために戦争によってこの上野の山が焼け野原になり、そしてここで文明開化を進めるための博覧会が開かれ、その中心的な施設として博物館がやってきた。
こちらの作品は、初代宮川香山という明治時代に活躍した陶磁器の名手の代表作の一つ褐釉蟹貼付台付鉢です。
明治14年に上野の山で開かれた第二回内国勧業博覧会に出品されて、以後博物館のコレクションになりました。
ここからは皇室の縁のあるものを展示しています。その頃つくられた奈良時代の彫刻の作られた当時の姿に再現した模造。これは実物大の人形をあたかも生きてるような生人形と呼ばれる作品。再現展示というものがかつて行われていました。今の東博とは全然違いますよね。そしてそのありとあらゆるものを集めるという、ある意味総合博物館だった時代の東博を象徴的に表していると思いますのがキリンのはく製標本です。実はこのキリン、明治四十年に初めて生きたまま日本にやってきた二頭のキリンのうちの一つ。上野動物園で飼育公開されてすごい人気があったそうです。だけれども残念なことに翌年には二頭とも死んでしまうんですね。そして天さん資料となりました。関東大震災の後に現在の国立科学博物館に譲渡されます。そうすることで東博は歴史と美術の博物館というふうに舵を切っていくんですね。それが今につながっていきます。
竜首水瓶
私たちが今来た部屋は方達の献納宝物の部屋。
これもまた東京国立博物館の歩み歴史物語る一つなんですね。
竜首水瓶です。
法隆寺献納宝物の中でも名品と名高い竜首水瓶。
下が膨れて首が長い水差しの形はペルシャ今のイランに由来するとされます。
水瓶水の胴には翼のあるこれもペルシャのモチーフです。
一方上をみると別の要素が。
持ち手と口は中国的な龍になっています。
東西のモチーフがともにあり完成度の高い造形から中国で作られたと思われていました。
しかし近年の研究の結果国産の可能性が高まっているんです。
飛鳥時代の日本の技術力が伺える名品です。
これがもしその国産だとしたらなおさら凄いと思うんですけど。その銅まわりに施されてる馬が馬に翼が生えてどう見てもペガサスじゃない。ペガサスってヨーロッパの方ですよね。それがシルクロードを渡ってアジア人と入ってきて極東の日本に来て、もしそれが当時の日本人が作ったとしたら文化の大移動ですよね。口がパカって開けるようになってるじゃないです。その指でこう引っかけて口を開けるということですよね。使いたいですね。
でもこれ元々は法隆寺の宝物なんですよね。そうですねそれがどうして東博にあるんですか。
明治時代の初め頃には廃仏毀釈ということがありまして、法隆寺ほどのお寺であっても厳しい時代だったんですね。そこでご宝物を皇室に献上することでその対価によって厳しい追及を凌いだということですね。そしてそれが現在の東京国立博物館に引き継がれているっていうことなんですね。文化財を維持保存するのが博物館役割ということがよく分かります。
続いてご紹介したいのは漆芸です
東伯には四件の蒔絵の国宝がありまして、今展示されているのは二件なんですが、前期と後期入れたいをして四件全てが見られるようになります。まずその四件の見所を聞いてみました。
「蒔絵の技法っていうその奈良時代に生まれるですけども、平安時代に基本的な技法が確立する訳ですね。当館で持っている四つの国宝はま古典が生まれた時代の平安時代でそれを継承して発展させた鎌倉時代。またその古典を再生させた江戸時代初期。これを継承した江戸時代中期とという風にですね、蒔絵の流れの中でも非常に重要な時代の作品にあたっています。しかも各時代のこの四つの作品っていうのは各時代のあの代表的な作例なんです」
方輪車蒔絵螺鈿手箱
ではその国宝を見ていきましょう。
まずは平安時代の方輪車蒔絵螺鈿手箱。
牛車の車輪を流水につけている様を図案化しています。
蒔絵は漆を塗り金粉を定着させ、模様を描く技法。
流れる水が蒔絵で描かれています。
車輪はヤコウガイの螺鈿と金の蒔絵。
極楽には車輪のように大きな蓮華が咲くとされ、この車輪には仏教的な意味があると考えられています。
そして古典的図柄として後に受け継がれていきます。
舟橋蒔絵硯箱
今私たちの目の前にあるのは江戸初期の傑作。舟橋蒔絵硯箱。本阿弥光悦。
この硯箱の蓋の装飾に注目してください。金の蒔絵によって川に浮かぶ船が表現されているんです。けれど
さらにそれを跨ぐように鉛の板によって橋が表現されています。これで船橋ということですね。
鉛で表現されている橋が太鼓橋のように立体的になっているっていう。とんでもないものを作ってしまいましたよね。
蒔絵の技法の上に天才的な芸術家のアイデア。創意工夫っていうのが合わさって化学変化を起こしたような作品ですね。古典を題材にしながらも、鎌倉時代の前衛アート作ってるから。今見ても古いものに見えないですよね。最先端ですもんね。
古典をどのように生かしていくのかっていうあたりをこちらで見てみます
蓋に散らされている文字は平安時代の和歌です。
東路の佐野のの舟橋かけてのみ思い渡るを知る人ぞなき
古くから悲恋物語で知られる場所。
佐野の船橋を題材にしています。
光悦の幽霊な書そのものをデザインに取り込んでいますが、肝心の船橋の文字はありません。
船橋はこの箱全体が表しているというわけです。
中を開けると硯と筆入れ。
一見フラットな金で仕上げられているようにも見えます。
しかしよく見ると細かな金のつぶ。
打ち込み金地といい、粒子すら見えない細かな蒔絵の金粉の中に、違う大きさの金の粒を巻き、単調になることを避けています。
古典のまったく新しいデザインでの再生。
本阿弥光悦ならではの逸品です。
そして江戸中期光悦の華やかな作風を受け継いだのが尾形光琳。
その代表作八つ橋蒔絵螺鈿硯箱です。
何は一面の杜若。葉は金の蒔絵、花は螺鈿で表しています。
そこにかかる八つの橋は鉛の板。
金と鉛の組み合わせは光悦譲り。
そして古典の再解釈も受け継いでいます。
描かれているのは伊勢物語。
三河の国階という場所で主人公が杜若の和歌を歌う場面。
硯箱の内側に水の流れが現れます。
足の下の水を表わす洒落心。
迷いのない達者な線は超一流の職人の技です。
銅鐸
先端の古典の世界を今見てきましたが続いては銅鐸。出迎えてくれました。
銅鐸のサイズとしては小ぶりなんですけれども、全体の形や保存状態の良さ、更に何と言っても表面に絵画が描かれているという意味でこの銅鐸は銅鐸の中の銅鐸です。
特にどこに注目すればいいですか。
表面に描かれた絵画のモチーフですね。それぞれの絵が今から約二千年前ぐらいの弥生時代の人たちの暮らしぶりであったり、心の中の風景そういったものがシンプルな図柄なんですけれども、二千年後の私たちでも分かるっていうのが。弓で鹿を射るとか、お米を脱穀してる脱穀してますが分かる程度は単純にすごいね。
右下のところは高床式倉庫。当時二千年前にどういう風に組み立て建築様式までがこちらに伝わってくるって本当にすごい。踊ってるような人が踊ってるようなポーズに見えますし、生き物とかもね。すっぽんとか鳥とか弥生時代の世界観点ですね。そういったものが表わされています。
そもそもの目的とは。
目的は諸説ある。有力なのは弥生時代の稲作に関わるま米が主食になった時代ですので、稲作の豊漁を豊作を願う、あるいは豊作を祝う祭りの際に鳴らされた楽器・ベルだったんではないかと感じです。上部の輪っかの部分ここが釣り手になってましてこれ紐に引っ掛けてぶら下げ下げて中には僕が入ってましてそれであの頃になります
そして更にこれはいわゆる青銅器なんですけど、今は青銅色をしていますけど、作られた当時使われていた当時は黄金色に輝いていたんですね。神々しい姿そして音色を響かせていた。
刀剣
国宝刀剣の間にやってまいりました。
十九フリが大集合という全国最多ですって。
そして佐藤さんは刀剣もご専門ということで部屋も佐藤さんが色々考えて。
私自身がこういう空間を実現させてみたかった。
真ん中にあるものがその十九振りの中でも特に一つこう独立させてあるという「太刀 銘 三条(名物 三日月宗近)です。
これは大変な名品と言われますよねそうですね。
日本刀が誕生した平安時代後期の作で、京都で活躍した三条宗近の代表作の一つであります。
なんで三日月みかづきがつくのでしょうか。
まず皆さんにちょっとご覧いただきましょう。
三日月を探してください。
ちょうど正面に立って頂いて等身と目の高さを合わせるようにしていただいたら波紋の上に何かが連なっているのがいくつもある。
印が偶発的にできたら恐らく偶然です。
一つじゃないんですね。
一つ一つ違う型のものが波紋に沿って繋がっている。
これが非常に珍しい面白い美しいということで三日月宗近という名前、ニックネームが付けられたということですね。
平安時代後期の刀剣の一つの特徴として、優美な立ち姿という風に一言では言いますけれども、全体的に細身で手元のそりが一番強くて、手元の方が太くて切っ先に向かって細くなっていく。
この優美さをちょっと記憶に留めていただいて違ったタイプのものを次に見てみます。鎌倉時代の名刀です。
大般若長光こと太刀銘長光。
鎌倉時代刀剣の名産地となった備前の国の刀工永光によってつくられました。
先ほどの日本刀初期の三日月宗愛と比べてみます。
先に向かって細くなる三日月宗近とは違って、太さは変わらず力強い作品です。
鎌倉時代は、武士好みの華やかな波紋が好まれるようになりました。
大きく変化に富んだ波紋が作られるようになったんです。
刀身に彫られた樋という溝。
これは強度を保ったまま軽量化する工夫です。
武士の世の鎌倉時代、刀剣は戦う道具としての機能美を磨き上げることになりました。
室町時代以降、馬に乗っての一騎打ちから地上での集団戦へと戦い方が変わりました。
刀剣も長い太刀から短く扱い易い刀へと変わります。
元は鎌倉時代末の相模の国の名工正宗によって作られた太刀。
それを扱いやすいサイズに切り詰めたものです。
刀身そのものは当時のまま変化に富んだ複雑な波紋で、数ある旨の中でも特筆される逸品です。
刀身の左の中ごの部分を切り詰めました。
そして金で所持者と制作物を入れています。
鎌倉時代の名刀であることの証です。
名刀を短くして使っていく。今の言葉で言うリサイクルですけど、それぐらい大切なものだからこそその時代時代に合った形にこう変えていきながらずっと大切にしていくっていうのがその使い手の想いみたいなものをしっかり感じましてですね。
大事なのはその短くするというのがよく行われたのは戦国時代なんですけど、戦国武将たちは当時の現代刀ではなく古い名刀を短くして身に付けることを求めたです。それは伝統のある優れた名刀を身につけるということが一つ
ステータスになったからなんですね。単なる武器を超えたその存在。それが日本刀だということをよく教えてくれます。
展覧会の最後のコーナーに来ています。
こちらの金剛力士立像は東京国立最新のコレクションの収蔵品の一つ。
あの今回この展覧会で修理いたしましてあの初めての展示になります。
最新といえばこちらは次の百五十年を見据えて、当館とNHKとが共同で開発した文化財をより身近に体験し
活用するためのツール。8Kです。人間の目で見えないようなものがこれで見えるように映像で作っています。
展覧会の会期中はこの特別室というところで体験ができるんですよね。
ああ今日はこのメンバで一時間あまり。いかがでしたか。
国宝の持つ美のエネルギーってやっぱり普通じゃない。
十日間ぐらいで分散して少しずつ見ていくのが一番理想的かななんて考えちゃう。一つ一つのコンテンツの情報量が多すぎるのでこれだけのものを一緒にこう感受できるってことは素晴らしい。
国宝に代表される名品。そして百五十年の歴史合わせることで東京国立博物館の全てを紹介しております。まさに百五十年の節目だからこそ実現できたメモリアルイヤーにふさわしい展覧会ですのでぜひ多くの方々に見ていただきたいと思います。
最後にこの展覧会は大事な作品がお見送りをしてくれますね。
石川師宣の見返り美人図です。彼女は前に進めながらあの進んでるんですがあのどなたかにこう声をかけられて振り返ったところでま東京国立博物館も百五十年の間過去を振り返りながら次の百五十年に向けてさまざまなものに挑戦してそしてあの大切な文化財を守っていきたいそういった思いを込めて皆さんをお見送りしたい。
最後は見返り美人とともにお別れ致します。
今日は本当にどうもありがとうございました。