日曜美術館 「ビルケナウ 底知れぬ闇を描く ゲルハルト・リヒター 」

日曜美術館 「ビルケナウ 底知れぬ闇を描く ゲルハルト・リヒター 」

ドイツの画家 ゲルハルト・リヒター (90歳)。若き日に、当時の東ドイツから西ドイツに亡命し、革新的な画風で、世界最高峰と称賛される現代の巨匠だ。そんなリヒターが、82歳にして挑んだのが、アウシュビッツで行われたユダヤ人の大量虐殺。強制収容所の写真をもとに描き始めたリヒターは、その絵を黒や赤の絵の具で覆い隠すようにして大作を完成させた。一体なぜ。集大成の作品からリヒターの創作の秘密に迫る。

放送:2022年9月4日

日曜美術館 過去の放送 | 風流

日曜美術館 「ビルケナウ 底知れぬ闇を描く ゲルハルト・リヒター」

記憶が乗り込められていますが
闇を思わせるその闇を削るかのように交錯する白や赤の絵の具
何かこう迫り来る何かが違ってこう暗い影があってみたら
タイトルはなん
第二次世界大戦中のアウシュビッツ
ビルケナウ強制収容所がモチーフ
です
ここでナチスはおびただしい数のユダヤ人を虐殺しました
悲劇の記憶が刻まれた現場です
その塗り込めてしまったからこその私たちが
よりその深く知りたいっていう描いたのは
今年九十歳を迎えたドイツの画家ゲルハルトリヒター
会田に画風を変えながら新しい絵画の世界を切り開く
二十一世紀の芸術にとって基礎となり
基準となる芸術家と賞賛されています
だがビルケなを描いたのは八十二歳の時
それは画家にとって
やり遂げなければならない障害の負債だったといいます

なぜ戦後長い時を経て
大量虐殺を描かなければならなかったのでしょうか

世界各地で開かれる
あとオプション利他の作品はコレクターたちの垂ぜんの的です
二千十二年現在
作家として当時の史上最高額となる
二十六億九千万円を記録しました
でも当の本人は
そう
世界最高峰の画家と称されるゲルハルトリヒター
どの歩は波乱に満ちたものでした
千九百三十二年
現在のチェコとポーランドとの国境に近いドイツのこと
ドレスデンに生まれます
母は書店員父は教師でした
その年ドイツは大きな曲がり角を迎えます
国家社会主義ドイツ労働者とナチスが第一党に躍進
ヒトラーが首相に就任すると
ドイツは第二次世界大戦へと突き進んでいきました

蓋の父や叔父も出征し小じわ戦場で命を落とし
ました
千九百四十五年り蓋が十三歳のときに終戦を迎えます
改装してきたドイツへ避難
彼らを追撃して殺したソビエト軍の低空爆撃
ソビエト軍が侵攻してくるとさらにとんでもないことがありました
略奪とか交換とか終戦後
アウシュビッツで行われた大量虐殺の実態が明らかになり
世界を戦慄させました
長年リヒターを研究する清水豊さんは
この戦争が心に深い傷を残したと考えています
陸田は当時のま第三帝国では東側の方の人ですから
ま周囲にたくさん強制収容所があったわけですよね
終戦時二十三歳ぐらいですから
消えたユダヤ人がどうなっていったのかっていうのは
ある程度の予想は付いてたんだけども
そしたら想像を超えたことになってた訳
ですよね
で一方でドレスデンはま有名なあの爆撃がありますよね
だから陸田にとっても戦後すぐのドイツ人にとっても
大切な文化がまがれきの山になっちゃって
今までの歴史から切り離されちゃったっていう
そういうのは一種のトラウマなのかなと思います
戦後ドイツは
社会主義体制の東ドイツと資本主義の西ドイツに分割されり
ひたは東ドイツになったドレスデンで絵を学びます
画家として歩み始めた頃のリヒターの壁画です
資本家に立ち向かう労働者の姿を勇ましく表現しています
当時東ドイツで書くことを許されたのは
理想化した社会を写実的に描く社会主義リアリズムだけ
それはプロパガンダを目的とする絵画でした
社会主義リアリズムとは愚の骨頂です
中身もなく無意味でただのイラストに過ぎない
もちろん何の役にも立たない
そうしたなかり蓋は新しい絵画と出会い衝撃を受けます
無造作に撒き散らしたような絵具
アメリカ中傷表現主義を牽引した画家ジャクソンポロックです
千九百五十九年
二十七歳の理非たは特別な許可を得て西ドイツを訪れ
美術展に足を運びました
ドリッピングという思いも付かない描き方
純粋に新しい絵画を探求する西側の画家たちの作品が
リヒターに大きな決断を迫りました
彼らの恥知らずな程の人
彼らの作品こそが
東ドイツを離れた本当の理由だったと言ってもいいくらいだ
二年後の千九百六十一年ベルリンの壁の建設が始まる直前に
リヒターらは旅行と偽って妻と東ドイツを出国
西ドイツへ亡命しました
まさにその頃
アンディウォーホルがコップアートの世界を切り開きます
手軽に買えるスプ間のデザインを
そのまま書き写したことで知られる代表作
大量消費社会を象徴する商品を題材に複製を重ねた作品は
画家のオリジナリティさえ否定するものでした
倍がとは何かり蓋は模索します
そして試みたのは意外な手法です
キャンバスに写真を投影し
その写真をなぞりながら書き写していくという大胆な発想でした
ぼっと出れじゃを楽しむ
男女フィルム会社の広告写真を使って描いた作品です
一見写真のように見えますが
近づいてみると筆や刷毛の跡が残され
紛れもない絵画であることを物語っています

にしているのは現実なのか幻なのか
写真のリアルさにブレやピンボケの印象が重なり
見る者の資格が揺さぶられます
きた独自のフォトペインティングと呼ばれるこの手法は
東と西二つの世界を生きた
その人生に深くかかわっていると考えられています
つまり彼にとってはその絵画様式っていうのが
その個々の国家体制のイデオロギーに対応するものでもあって
り蓋が東ドイツで身に付けた社会主義リアリズム
そして西ドイツで吸収したモダニズム当時は
この二つの潮流が激しく対立していました
これをま一般的に分化列車という風に呼ん
だりもしましたが
その世界的な動きっていうものが一つの国に集中するいうことが
東西ドイツで起きたんだよと思うわけです
より蓋は西側でポップアートに開校して出会ってで
フォトペインティングを始めるわけですけれども
そのときにポップアートがやっていた既存のイメージを具体
的に介護の表面に表わしていくっていうやり方を
ヴィスタは社会主義国家において
社会主義リアリズムの画家として訓練してきた写実
絵画の技術というものを応用できる
という風に感じてたと思うんですね
そこで彼は東と西の社会っていうものを横断する道筋を
ポップアウトの中に
見つけたんじゃないかという風に思うんですよね
戦争に翻弄されながら
東と二つの世界を横断した自らの海岸を追い求めた
若き日の到達点です
鈴木
さんは利他がずっと押しで
長くご覧になっていると伺っています
けれどあのもう本当にロマンチックで
とても美しいなっていつも思ってしまって
でいつもこういう線からこう販売してる
そうなぐらいこういつも時行って見ちゃうんですよね
実際見た景色を記憶した時
このままこうなんだっていうんでしょうか
その時の森のにおいまで夏の匂いまでするようなとか
そういうなんかこう運動を感じる作品達ですね
増田さん今回の展覧会を企画されてますださんにとって
のゲルハルトリヒターっていうのはどういう作家ですか
これだけ写真とか
映像といったメディアが
こう世界にこう世界中でこう瞬く間に流通していく中において
それでもなお
絵画というましかくま芸術というものがいかにすれば可能なのか
っていうことをま色んなあのー手法を通じてこう検証し
続けている作家であるということは
ま技術的にはま大変重要なことなんだろうと思いっていう時には
何かこうかはい動画こうそれは構造をどうするかとか
色をどうするかとかそういう問題が出てくる訳です
でも写真を元にしてできるだけ忠実に描くとすると何をどう
するかっていうことを考えなくて済む
主体を選ばれて違いを選ばれて
そして現れてる通りにできるだけ絵画から離れよう
離れようとしながら
写真を参照して描いたっていうのがこのタイプの作品
でもできるだけ離れようとした結果として近くてみると
刷毛目がよく見えるのでこれは
紛れもなく海外でしかないっていうことにもなってしまうというか
紛れもなく海外で仕方ないそれは結構面白いところだと思います
で行きついたときはやっぱり海海岸に
これは二千七年だから結構最近と言ってよろしいですか
これはリヒターのお嬢さんですね
これもやっぱりその写真っていうのを返していることによって
何かちょっとこう対象と距離があるというかなんかこう
多分自分の身近な人間を描こうとすると
描き手のなんか主観みたいなものを
確かにこの流通やってるのがなんかこう普通の会話だし
絵画の見方だと思うんですよ
確かにでもリストの場合
やっぱりそういうこう
自分のこの主観の内面性の表出みたいなものをこう絵に託さない
普通内面性の表出っていうじゃないですか
芸術作品そこなんかそこは距離をとら距離を取ってます
なんとなくその私がみても
カリフォルニアに住んでる友人の子供みたいだな
って思ったりもするので
親しみを逆にその彼女の本来の個性が出ていない分
私は別な方との思いを重ね合わせて親しみを感じたりできるので
そういう意味で距離を取るというかそれが本当になかなかできる
ことではないことをずっとやってらしたんですね
り蓋は四十代半ば大きく画風を変えます

大きな板でキャンバスに
絵の具をこすりつけるようにして描いていきます

リヒターのアブストラクトペインティングと呼ばれる
シリーズ板が生む偶然性を活かしながら納得するまで
ときには何か月も絵具を塗り重ねます
全然その違うタイプの絵を描くいかがだった
まさにこれは
最初の鈴木さんはこういうのを書いてるんだっていうのを知った時
っていうのははい重なっ
たところとか
そのすすれたというかこう
木の板でこうピュッとやった時の
そのちょっとこの絵の具の流れとかきれいだなと思って
ずっとあのこうやってたくさんいろんな見所があるなと思って
一枚の中に偶然にできているようにも思えるし
利他の糸でその思い通りに表現もし
てるような気にもなるし
どっちなんだろうと思いながら
少しずつ見てると色んな色が出ているところがもう凄く面白くて
どうやって書いてるのっていうのはなんかあのそう思ったんですね
まず一つはあの本当に
このキャンバスと同じぐらいの大きな隙地と
呼ばれるヘラというのでしょ
うかねあのーま窓付近の掃除で使うような
こういう平らなこういうワイパーみたいな
それにま絵の具をつけて
それでこうキャンバス上にその絵の具を慣らしていく
まさまざまな形で絵の具を何層にも塗り重ねたり
あるいはその隙地の圧力によって削り取ったりする
キャンバスと絵の具好き時っていうものがまあ偶然ぶつかり合って
そのことによってまあある色のレイヤーが生まれ
ていくそれもまず何色を選ぶとか
どれぐらいのやつが好き時を知らせるかとか
あと最終的に何でどこで終わりにするっていうのは錯簡
主観に基づくものなので
まあ言ってみればやっぱりこれも客観的な要素と
主観的な要素の機構によって
ま初めて生まれているっていうことなんですね
おっしゃる通りってもし筆でやるんだったら
いくらその抽象あのがでもこう
大体こう自分で見ながらこういうものが作りたかったとか
こういうのが描きたかったって
そういう主観で私はコントロールできないんですけど
あとはその色の綿そのものを一個一個のそのまゝれやだとするなら
まあまあそれがこう重なり合ってできていると思うんですよね
と重なり合いによって
そこに絵の具の層の重なりでしかないんですけど
でもそこに何か空間のようなものが我々の目には見えてくる
抽象的だからこそ
そうしたものも
ま受け手によっては見えてくるっていうところだと思うんですよ
そうですよね奥の方になんか湖があってちょっと
周りにある木が写っている
湖面そうなのかなとかこれ二千十六年なので
だいぶここ最近のに描かれたものなんですけど
このここ最近のこのアブストラクトペインティングの中で
とても特徴的なものの要素っていうのがキッチンナイフっていうま
そういうちっちゃいですねまナイフを扱う
使うようになったんです
でそのことによってこう細かく表面を削り取ったりとか
あるいは細かく絵具を塗布していくとおっしゃるんです
そういう部分てやっぱりそのキッチンライフでやるってことは
そこはすごい主観が消失されてるってことですよね
最初は本当に最初はここら辺がきれいだなと思って見ていたんです
けれどその引っ掻きを考えたらここいいなとか
あとここここの引っ掛け方がいいんじゃないのでしょうか
とか思うしあとは
あのかすれが一番激しいところもきれいなものだなとか
それがその人によっては湖と空
に見えるんだなとか
なんかそれがこう全て自由だなと思うので
決めつけとかそういう堅苦しさがなくて
そこが好きだなってこう何て言うんでしょうね
改めてまた好きだなってこう思ってしまいますね
千九百七十二年二日ドイツ国内でテロ活動や銀行強盗を働いた
いわゆるに広い責任を吸収
指導者の場やまインフラを千九百七十年代
西ドイツでは
ドイツ赤軍を名乗るグループが資本主義の打倒をめざし
相次いでテロを起こしました
しかし彼らはその後も獄中からテロリストを指導
今度残そうした事件を受けり蓋はある連作を発表します
ドイツ赤軍のメンバを描いた十五枚のフォトペインティング
タイトルはメンバたちが刑務所で次々と命を絶った
日付千九百七十七年十月十八日
ドイツ
赤軍には資本主義を倒すことに加えて
もう一つ大きな目的がありました
それは戦時中の罪を逃れ
政財界で主要なポストを占めていたナチスの元
高官たちを抹殺すること
ドイツ赤軍による事件は
経済復興の陰で
ナチスの罪が終わっていないという現実を浮き彫りにしました
リヒター彼は事件から十年間手元に置いていた
警察の内部写真をもとにこの作品を書きました
独房で拳銃自殺を図ったとされる
指導者

に捕らえられた女性メンバー
リフター
十二歳違いの女性幹部同世代の彼女も独房で自ら命を絶ちました
なぜイデオロギーがあれほど力を振るうのか
なぜ我々はイデオロギーを持つ
それは我々の不可避的な必然的な特性なのか
あるいはそれは過剰で邪魔な致命的な特性
つまり一つの共起なのか
イデオロギーによって死んでいく
若者たちの姿っていうものに対する
その感心っていうものがあったん
じゃないかと思うんですね
つまりイデオロギーを強く拒否するってことは
リヒターにとって
そのイデオロギーの問題は非常に重要だった
ということでもあるので
裏を返すば大麻布グループの事件がえ何を明らかにしたかというと
その戦後ドイツ社会の中で非常に深くその中にあった
さまざまなイデオロギーというものを
あの事件が明るみに出したってところがあると思います
つまりナチスドイツそれから自由主義経済
それから共産主義
あるいはマルクスレーニン主義という複数のイデオロギー下は
彼女たちがその一つのイデオロギーに奉仕して
死んでいったということに対するもの
気持ちもの作業としての絵画っていうものがあったんじゃないかな
と思うんですね
だからそういう意味ではばだ
マイホームグループの事件を取材したり
蓋の絵画っていうのが
イデオロギーっていうものに対するリフターの非常に
そのアンビバレントな考えというものがその重層的に立ち現れてる
んじゃないかというふうにも思うんですよね
イデオロギーというのは狂気であると
しかしそのイデオロギーによって
彼らは戦後ドイツのやましさを出そうとしたのだと
だからどっち行ってもだめっていう利用
ふさがりの状態っていうのがあって
でそこを利他自身も解決策はない訳ですよね
そしてまあ元のナチスの重役だっまあ暗殺したりしてで
最終的には自殺とか非常に悲惨な結末を迎えるわけですよね
だから結局その千九百七十七年十月十
八日の連作というのもまあアウシュビッツのと関わってるんですね
やはり利久は画家としての名声が高まっていく中で
ナチスの陰と対峙していました
そして八十二歳の時半
世紀以上を心に留めていた主題と向き合うことを決意します
第二次世界大戦中に行われたユダヤ人の大量虐殺
作品の元になったのは
四枚のモノクロ写真ビルケナウという強制収容所で撮影されました
死体を焼却する場面や
裸で移動させられる囚人たち

うんそう
写真を撮影したのも
死体の焼却や同胞をガス室に誘導することを強いられた囚人でした
収容所で起きていることを伝えるため
命がけで隠し撮りした写真です
り蓋が初めて強制収容所の実態を知ったのは
二十代半ばそこから作品に取り組むまで六十年近い歳月を要します
それは恥の感覚
あるいは死者に対する畏敬の念だったかもしれません
何が私を引き止めたのかはっきりと分かった試しがないのです
それでも書くことを諦めなかった理由の一つ
ナチスに家族を奪われたつらい記憶がありました
幼いリヒターに寄り添う
おばマリアンネを描いたフォトペインティング
統合失調症を患っていたマリアンネは
病人や障害者を排除するナチスの政策によって強制入院させられ
帰らぬ人となりました
二千十四年り蓋はビルケナウ
強制収容所で隠し撮りされた写真をキャンバスに投影し
書き始めます
死体を焼却する場面油絵の具でモノクロの色合いを再現し
立ち上る煙までリアルに書き写しました
しかし行き詰まりを感じたり
蓋はそのえー絵の具で覆ってしまいます
そしてアブストラクトペインティングの手法で
何度も絵具を塗り重ねました
美術
の間誠さん同時代を生きる画家として
リフトに深い敬意を抱いてきました
ちょっと言い方悪いですけど
いつ死んでもおかしくないぐらいの歳に達して
まんをじしてアウシュビッツやるかっていう意味的にも技法
的にもこう障害の集大成みたいのを作ろうと思ったんでしょうかね
引っ掻き傷のように赤がこう入ってくるような
ちょっとこう不協和音のような潰れた感じですかね
痛々しい感じを引っ張ってる時の
その力たさんの気持ちが反映してるんでしょうね
北のそのアブストラクトペインティングにもっとこう
純粋に色のあのギャップとかの美しさ
まあペインティングの喜びみたいなのが
強いものが多いと思うんですけどうん
それに比べてこうなんかこう
苦しい苦しい感じが僕はするんですけどね
何か濁ってもうちょっと前の方が綺麗だったの
かもしれないけど
何度もちょっと多めにやって濁っていった感じがしますが
僕もあの太平洋戦争を題材にしたあの作品
若い頃に作りましたけれど
まあ作ってやはりあのセンシティブなえー題材ですからえ
非常にあのーうんまあ作りにくいですよね
だから僕なんかが太平洋戦争のあのーテーマに作品が作れたのも
なんならばあのーちょっと若い世代だったから
ちょっと行ってしまえば無責任にできたといいますか
絵画美術というものの歴史とかも含めて
あのリピータさんはまだいぶあのー
自分がこう責任を結構売ってるという立場で色々
やってきた人だと思うんですよね
ヨーロッパの歴史を自分は背負ってるという
特に二十世紀の間
すごくね知り深くていっぱい考えてる方なんでしょうけれど
何か考えるだけでこう手が止まってなくて常になんかこう
手を動かして
あの絵の具をいじりながら考えているというような
流れの画家だったら写真を移して刷毛で
薄くぼかしてというので一つのまあ作風というか画風を確立して
それで人気者になって画風何度も繰り返して
あとマーケットで売るっていうので
人生ま一応成功したなみたいなところで
満足する方が多いわけですよね
でもまありきた最初からそのような成功というのは全然眼中
になかった感じですよね
思考実験試行錯誤すること自体が最初から目的で
必ず力た本人が満足してるならあのこれが集大成なんだろう
半世紀以上暗い過去と向き合い続けた
リヒター深い思索の中から生まれた
そのえー多くのことを語りかけています
それこそウクライナの内戦によって
東西対立みたいなものが何か消えたと思ってたら
今更のように復活してますよね
でそういう意味でも繰り返し繰り返し帰ってくるんですよね
だからそれはいつでも私たちはそれは過去っていうものは
単に時間的に過去になったからそれで終わっ
たかって思うのは
あまりにも素朴で油断してるといつでも帰ってくる
つまりみんなが簡単に片づけてたものを
彼は五十年かかってようやく自分だけではあるけど
自分なりの片付けっていうか回答をしたんですよね
ビルケなんを完成させた後私は自分が自由になったと感じました
私はすべてを片付けたもう何
を気にする必要もない

管自体が四枚大きな絵があって
向かい側も同じように四分割されています
けれどもあのこうするようにかけられていてで
多くは鏡になってますよねこれはどういう意図の展示なんですよ
やっぱりその海外っていうものは
やっぱりこう唯一性なものじゃないですかまやっぱり一点
ものものです
で一応ビルケナウっていう
名前がついてしまうことによって描かれてはいないんだけれども
やっぱり象徴的な象徴持つ意味
意味合いっていうものをどうしても持ってしまいますよね
恐らくそのそうすることによって
過度にえにいい重たさが生まれてしまうとか
意味合いが深くなってしまいすぎる
っていうその後
唯一性みたいなものをちょっとこう相対化するために
こう写真っていうものをま作り出したっていうものも
ま考え方の一つかなと思います
あとは単純に複製されている
それは無限に増殖し得るっていうことですから
その意味で言えばビルケナウあるいはホロコーストって言わ
れる大変な訳際もまた複製されたということを
まあこう示しているのではないんでまガラスがあるので
それはこうなんかこう合わせ鏡のように
それがどんどん増殖していくわけですよね
しかもそれはその見るものが望むと望まざるとにかかわらず
朝食する映り込むの友達っていうか
まさになんか
起こるはずのことがないことが起きて繰り返されてる
っていう意味では今
僕たちが経験していることを強調しているような作品ですよね
その場所に行ってしまうそういうま
空間構成なのかなという風に思います
だから見る側もあのガラスというか鏡には映り込んでいて
その大きな流れの中の一員に巻き込まれ言える
私たちもいつどんな時に当事者になるかもしれないそうですね
で二千十一年にあるインタビューの中で
ほろコストのま現場を隠し撮りした写真そのもの
自体がま大変なインパクトがあるので
まそれに何らかのを付け加えるということは
やっぱりできないというふうにそのこその時は
述べていたんです
でもにもかかわらずま二千十四年にですね
やっぱりそれを作品化してみようと
アウシュビッツの収容所で隠し
撮りされた人たちのゴールポストの現場の写真を
いわゆるその彼のフォトペインティング的なやり方で
忠実にこのキャンバスに絵描いてみたんです四
点でも今私たちの目の前には全くその写真は見えないですよね
塗り重ねられてしまうどんなに間近に見ても
その下層に描かれたものっていうのが全く見えないですね
でもなぜそういう形にしたんですか
やっぱり一つには
幌コストの表彰っていうものを見るっていうことは
あるいはその見ると欲するっていうことは
例えばそのポルノグラフィを見るということの欲望と
あの非常に近いところがあるっていうふうに
長らくこう指摘されてきたことがあるんですね
なのでこうやっぱりフォローコストのこう
残虐なイメジっていうものを願ってしまうことによって
私たちのそのみたいという欲望っていうものが果たされてしまう
というかあそうに描かれている頃
コストのイメージを私たちはそれを見てしまった
消費してしまうわけなんでその消費させない
ためのその壁でもあるんですけどであると同時に
この壁を通じてその頃コストっていうものを想像してみてほしい
そう僕は本当さんがおっしゃったことは大切なことで
僕やっぱりこのユダヤ人の虐殺っていうことを語るっていうことは
こういう例えばテレビの番組で語ったりすることって
まさに他者の苦しみをが作品になってで
それを消費するっていうことにつながる
見てみるってことが
その他者の苦しみを消費するってことになりかねない
だから本当に何かあのー
こういう大量虐殺をやっぱ主題としている作品について語るのって
ま語の際難しいのにそれを主題を
作品にするっていうことって
一体どういうことなのかっていう
相当大きい倫理的な問いを突き付けられると思うんですよね
書くことができるのが書いて良いのかっていうことなんですよね
知らずに過ごしてはいけないことではあるから
それをそのどう見るかっていう対象ではなくて知る
正しく知るべき対象だから見せられてないのかな
これに関してはやはりいろんな見方がありすぎてはいけなくて
やはり一つのことを正しく知るのに
考えなさいって言われているような気がします
でもそんなに人はこう先生のように考えろとか
そういう風におっしゃる方じゃないんじゃないかと
私は勝手に想像しているのでだけどこれ
は本当にすごい作品で
あのー知らない
これからの世代の人たちにも知っていて
もらわなきゃいけない大きなことだから
このスペースと
この大きなえーで
空気空間を提供してくれてるって言うんでしょうかね
そんな気がしました

公式にはもうこれ以上作品は作らないという風に
彼は宣言をしているんですけれども
でもやっぱり手が動いてしまうんですね
リヒターという作家が
人として何かを生み出す人間だっていうことが現われている
っていうことだと思うんです