日曜美術館 「 STARS それぞれのデビューから現在」

日曜美術館 「 STARS それぞれのデビューから現在」

東京・六本木に、日本が世界に誇る現代アーティストたちが大集結した STARS 。草間彌生、李禹煥、杉本博司、宮島達男、奈良美智、村上隆。1950年代から2000年代まで、それぞれの時代で日本を飛び出し、世界に衝撃を与えた6人です。彼らは、いつどのようにして世界に認められ、今何を考えているのか。「出世作」と「最新作」を通して、日本の現在地を読み解きます。豪華な対談とインタビューは必見!

放送:2020年9月27日

日曜美術館 「STARS それぞれのデビューから現在」

東京六本木
今、日本が世界に誇る現代アーティストたちの作品が集結しています
1950年代から2000年代まで
それぞれの時代で日本を飛び出し
世界に衝撃を与えたろく人の展覧会です
危険にしたスターでありながら
いかにその人たちが独自の道を歩んだのか
多様な人たちが多様
な形でまあ世界世界的な認知を得られていく
ということが多数
重なっていた
時にはあのドリームチームと皮膚科は
日本を現代アートにはある
というような風に見えてくるんじゃないか
な共演豪華な対談やインタビューで
現在地を読み解きます
今回の展覧会ではろく人それぞれ
のデビュー作と最新作が同時に見られます
では最初の作者は
村上隆世界にその名を轟かせたのが
等身大フィギュア1998年のマイロンサム
カウボーイニューヨークのオークションで
およそ16億円で落札されています
日本のオタク文化の象徴だったフィギュアを
新たな時代の彫刻作品と
して提示してみせました
そのさん年後さん
じゅーきゅー歳の村上は
起点とした新たなアートの概念で
世界に戦いを挑みます
スーパーフラット浮世絵漫画アニメ
日本人は西洋の遠近法に頼らずとも
素晴らしい平面の日を生んできた
日本独自の美意識を
世界のあとを牽引する新たな
理論見せたのです
yahooを読むここで飲まもロックされ
あれも新作でしょうね
これがバイタリティがあってすごかった
体力をしてんですか
その村上が退団を熱望したアーティスト
小枝が大したことじゃないの
僕はこっちこっちすごいビビりました
素晴らしい浦上よりもさんじゅー年ほど
早く海外に戦いを挑んだアーティストです
対談は莉乃展示
室で行われることになりました
実際の現場では馬鹿にされて
全く認められてない
あいつらへも報告も作れないで
ただ物を入れるだけだね
それ市長は全然通らないそういう状況でした
ろく年代後半なな年代はじめ頃って
いうのはヨーロッパ
アジアはかなり寝てる部分があっては高度成長
高度成長っていうことと
それからやっぱり知人の自己判断っていうか
まぁの学生運動だこーだとか
色々なあの思想
上の難しい問題が起こったんですけど
つまりその近代がほとんど完成されたっていうか
あるその到達点
に達した時にそれが壊れていくってよ
到達点と壊れるところが
一緒になったところを経験したってことは
僕はすごく良かったと思います
日本の現代美術史のが
物浜寺町盛り上がっててね
それでめっちゃ漏れはなかったんで
なんか羨ましく見てましたね
学生の頃あの美術手帳と
かめちゃくちゃめちゃくちゃ盛り上がって
喧嘩してたよね
全然認められないから
今僕は特に日本人じゃなかったので
非常にやりにくいところで追い出されて
段々と外出るようになるんですけどね
1956年二十歳の時に韓国より来日ろくじゅー
年代後半独自の理論で作品制作を始め
ます時代は高度
成長期作ることを否定し者や
素材そのものを提示することで
芸術の既成概念を壊そうとしました
後に物がと呼ばれ
7月今回の展覧会のために
その初期の作品が
改めて作られることになりました
巨大な石とガラスで何をしようというのでしょう
初期の代表作
管蛍光人工物のガラスと自然のままの石
この二つが
恋愛生まれる関係性を表現しています
しかし当時その作品は
ほとんど理解されませんでした
そして1970年代
活動の場をヨーロッパに求めます
そこでも長く辛い戦いを強いられました
人生の時代はやっぱりすごく極端に芸術
マートますさっきの質問にはよましたけど
洋の東西の後の断絶とまあ
その東西の塔の報道や
西洋の方に理解してもらうかっていう
結構そこが大きなハードルが理事に咲く
特別だったでしょうね
僕なんかはその上に乗っかって
ママとこっちが違って
理解してもらってたんだよ僕
は僕でラッキーですよね
さっき彼のもの見て
彼の仕事見ればわかるんだけども
やっぱりねすごいね
その面白いキャラクター作ったながらも
皆にニコニコ笑ってるようにも支えながら
作りながらもの裏の方でもね
そこを持ってるんですね
だから非常になんかね
二面性っていうか
に人生でそれがもエネルギー
そのものになってるから
やっぱりそういう人間が出てきたってのは
これはちょっとあの日様ですよ
あなただけだもんでもやっぱり歴史はね
相対性を持って動いていくんで
僕らはやっぱりその後に
そのネット文化が出てくるんで
そこでどうやってその
ネット文化とか
特にあのiphoneとか出てきて
スティーブジョブスのニューエイジ思想が
僕らはもう浴びるわけじゃないですか
そこからアートって何だろうっていうのは
やっぱりこうなんですかね
その相対的な構造からの
離脱させなきゃいけなかったんで
そこは結構今もその他
の最中ですけど
そこが結構あるんで
まあそんなんで
昼間にシックな文脈っていうその部分と
ちょっと離脱しちゃってる
所って言うのでの
利便性っていう
風に言っていただいた部分においては
なんかアンチヒューマニズム
みたいなところも結構なんですかね
大事なテーマになっちゃっ
てるんでたぶんそれはね
村上独自な発想だと思うんで
あのつまりアーティスト強いのはねえーと
まぁ運動センスみたいなもんですね
たから休んで
選ばれた後に選ばれた人だってことですね
選ばれるからには叩かなきゃならない
だからその運動してる時は
そのただ運動するんじゃ
なくてお互いにね
国際舞台で戦うっていう
そういう宿命なんですね
ただこれはそのオリンピックだとか
戦争と違っていちにーをその足すとか勝ち負け
その決めるっていう事よりも
やはり一つのデモンストレーションっていうか
一つの何かを高める
そういうこうようの場として絶えず
そのそういう感じがすんで
そういうようなことをからすれば
彼は村上さんはそういう世界の戦うバニー
日本日本のアーティストとして初めてね
そのその場を引っ掻き回す
その世界の空気を
全くそのあなたのものにする
ケーキを作った人間だと思う
特にアジアでは中国韓国でも村上
ですよこれこれも酷い話なんだけど
違うとかで僕はないですからね
構造論と書いてありましてしました
高いですよこれは暖かいです
みんな外出るとねその戦うわけですとね
戦ってね認められての
ある程度のとこ行くと
戦う相手が今度限られてくるんです
それで初めてね
初めてそこからスタートラインで
それをそのそのそこ出るまではね
誰と何やってるか分からないんだけども
そのある程度の戦場に立つと
そこで来たら
花を開いてから連れてくるんですよね
はいそこやったって
kipasはじゅー人ぐらいいて
そいつらなんかこう掛け合い漫談して
そうですね結構ここに押したけど
分かるかなと
言ったはずやなーっていう感じで
それは本当そうです
外内でもみんなみんなに入れます
超然としてる人もいるけど
実際は内面は庁前じゃないいっぱいシリーズです
僕がいっぱい来日本で
ちょっとあんまり楽しくないのは
そのままね僕ら
の固有芸術ってやっぱり配管じゃないすか
これに対してまテレビでもなんでも分かりやすく
まあ僕も若い頃そんな言い方したけど
分かりやすくさせなきゃいけないみたいな
なんかこうムードがあって
あれがつまらんですが
いいこと言ったほんとにね
今日本の文化で僕一番の問題は
いろんな偉い学者たちとか
その何て言うかなあの文化人たちがね
みんなに入門書とか
なんか解説書ばっかり書いてるんですね
自分の専門的な研究しないでよ
しかもアーティストも寝続けてたらしてね
これは日本を今一番の問題です
あのお乳美人たち
やっぱり自分の専門的なこと
徹底的に戦い会わなきゃならないのに
これは外が弱いから
日本は日本ほど内側にあるから
もっとハードルを低くして
皆が分かるような野菜ことにしましょう
これは文化をダメにするんです
リノ最新作大和
2000年頃から展開するシリーズのひとつです
描かないことによって余白を
作り出すのがに作品の特徴
描いた部分と余白が共鳴し
海外になるといいます
村上の新作は
高さごM幅にじゅー
いちMの超巨大絵画中央には
日本を象徴する富士山が笑顔でお出迎え
全体には桜が舞っています
豪華な金箔とプラチナ五重塔や松など
日本らしさ溢れた風景の中
を村上作品でおなじみのカワ
いいキャラクター達が楽しみます
一件ポップでも
実は観光名物として消費されていくアート
それをアイロニカルに描き出した
2020年の野心作です
僕らのお客さんって贅沢三昧の練習ですか
まぁねでも僕
贅沢三昧してる連中は
やっぱりマシンのないとこ
もありつつしかし
やっぱり経験値が半端じゃないので
高崎線上ていますけど
僕の贅沢やってる連中との戦いっていうか
その心の交換と言うか詰め将棋みたいのって
もう今の日本の人たち見えないと思うよね
何の何がやってんのか
全然やっぱりそういう贅沢三昧していて芸術
っていうそのハイカルチャーを
次の世代へ残すっていう
まあ一つの一つま
そんなに大きくないコミュニティがあって
そいつらの大きなムーブメントを
一緒に作ってる中でやっぱり今現在行なってる
ちょうどきゅーで宅食にしても
ライフスタイルにしても
とてもヨットとかそういうもの全部僕
らは調度品の一つにまでなるじゃないすか
だけどちょうど品だけでは
もちろんから買わないわけで
その辺の幸を贅沢と文化
っていうものに対しての拒絶反応が
戦後の日本は極端にあって
バブル経済の衣を
そんなに贅沢してないですよね
自分がいるのだから今もあの何
ですか格差社会っていますけど
その格差の上の方の人間たちのレベルも
低くて超然とした
そのレベルっていうのは見てなくて
やっぱブランド分解レベルで皆は祝い
喜んでるんで
その辺がちょっと悲しいなと思うよね
もっともっと本当に
あのクオリティの高いイノベーションってか自分
の考えたもっと高いものを要求する
買い物要求するか分かんなかったら
その卒これからもっと発展しませんので
作る顔ばっかりそういうもん作ったってんで
それをそのなってかな
その受け入れてくれる人たちが
レベルが高くなかったら
これ成り立たないんですね
日本は今それがその作るか
は消してね
レベル低くないかなり高いんだけども
それを共有するっていうか
受け入れる側のレベルが低いんです
それいけばできれば何ですかね微妙ですかね
それやっぱり世界世界を舞台にしないか
そうだね世界でて
勇気がないってことでしょうね
そして北立ち入り禁止区域でも
入れた簡単に入れて
僕たちは嬉しくなりました
動きが見えた最も崇高なものを見る
パックンマックン続いては
ポップカルチャーを牽引するあの作家
可愛い封筒の中に
申請さや残酷さなどが共存する
少女の絵で知られています
奈良美智意外な告白から取材が始まりました
あなんか多分
すごい島特別な感じで
ここにいるから非常にやりづらい感じでは
作家になろうと思ってないのに
たまたまちょっと甘かっただけで美大入れて
そうっていつのまにか
香坂として見られるになってただけで
なろうと思ったわけじゃないから
すごい辛いならが海外に出て行ったのは
1988年日本の美術大学を卒業後
改めて美術を勉強しようとドイツへ渡りました
ドイツ語も話せない中で
ただ自分と向き合う日々を過ごします
美術史とか理論とか本を読んだり
講義聞いたり勉強はしたけども
やっぱそういう考えには馴染めないというか
自分の中にそういう家
がどれだけ入ってるのかな
窓開けたらりんご畑が見えるようなところで
音楽だけを聞いて
レコードジャケットを眺めながら過ごしてきた
なんか油絵って何だろう
みたいなどこ行ったら
フライ見れるのみちゃんとこに育てたから
あんまりその美術の中に
自分が入っていくっていうことが昔
の自分を捨て去ることに感じられて
うんなんかもっとその美術以前のもの
自分を本当に作ってきたもので
作品が作れないかって思ってましたね
つまりミュートしてなくて
自分しっていう中でそうで
その中で生まれてきたのが
あの背景が無職って感触で
本当に書きたいものだけが
こう書かれている状態で
典型的なあのへの始まりだったと思いますけど
そして生まれたのが
単色の背景に大きな頭をした少女達の絵画
一見漫画のように描かれた少女の表情からは
純粋さと共に不安や怒りなどが触れ
見る者の想像力を刺激します
地雷探知機をあたかも遊び
道具のように手にする少女
そのポップで
毒のあるスタイルが熱狂的なファンを
産みならの名は一躍世界を駆け巡ります
しかし心の内は穏やかではありませんでした
絵の表面的な部分しか理解されず
消費されていくだけ
その思いは今も心の底にくすぶっています
たぶんね
分かる人があるって言うか
この誰がこのレコードも自分はろくじゅー
年代からななじゅー
年代の始まりの頃のレコードますが
ほとんどででみんな俺のことをパンクが好きです
けど確かにパンクミュージック好きだけど
それ以前のものが好きなんですよ
つまりそういうあのーなんだよそれ
やるんですね
パッと見ると
誰と誰でも知ってるローリングとずっとあるけど
streetfighting_manっていうのは
ベトナム戦争に入った時に肉じゃなくって
一緒に転んでもしても
大抵みんなパッと見ると
自分の身だけを見て習って
喉が好きなんだと思っちゃう知らない
ものはどんな音楽なんだよってみようとしない
そういうのがいつも嫌で
それは別に音楽だけで
そんなならを揺さぶるような
出来事が起こりました
2011年東日本大震災とかあって
今日本中すぐ落ち込んで自分も落ち込んで
僕は栃木県の
ちょうど福島との県境に住んでいるので
しかも青森の実家
帰るときはその被災地を全部取っていく
いつも見慣れた
美しい風景が変わってたりするのを見る中で
なんか1回自分の古美術に対する情熱
みたいなのが
崩壊しちゃっては何もできないんじゃないかって
何かまあそういう風に思った人は
たくさんいると思うん
だけどでそんなの中では
被災地で美術をやろうといっぱい出てきて
でもみんな自分の作品を作ろうとして
人たちがほとんどだったので
なんかそこで
また美術って何なんだろうと思って
他者と自分を結びつける
あるいは他社に向けての美術って何なんだろう
って今まで自分が
考えてもなかったこと考えるようになって
その中でやっぱり
自分に戻ることしかできないなと思って
自分と友達達
自分と友達自分と隣の人で
また自分ってまた子に戻って落として
どんな表情するかみたいなことを考えて行って
自然にこうよくよ変ですけど
優しい顔になりまし
たねみたいなその作品がね
奈良の最新作ムーンライト
迷走しているような穏やかな表情
月明かりを浴びた少女の肌や髪には
難色もの色が背景から浮かび上がるような
不思議な立体感が漂います
誰のために描くのか
その問いの先にたどり着いた表現です
そしてこのアーティストの草間
彌生草間が海外に飛び出したのは
1957年にじゅーはち歳で
ニューヨークへ渡ります
に年後初めての個展で発表した作品が
反響を呼びます
画面を細かい網の目が反復し
全体を覆い尽くす絵画
ミニマリズムを先取りした作品が絶賛されます
ナルトのポップな作風が世界中で最小化
水玉の女王として人気を集めます
会場には90歳を超え
今も制作を続ける
草間の最新作が飾られています
たくさんの愛の素晴らしい名の参加として
草間が描き続けてきたシリーズの一つです
草間は今年4月
新型コロナウイルスに揺れる世界へ向けて
メッセージを発信しました
今こそすべての人々の最愛の人類愛と努力で
乗り越えて平和を呼び寄せたいと願っている
そして愛のために呼び寄せた
我々の願いを叶えた世界中の人々よ
今この時こそすべての人類が立ち上がって欲しい
そして既に戦っている人々へありがとうと言いたい
森美術館のすぐ近く路上に
輝く白い壁中では
数字がカウントダウン作ったのは
長年通信を通して性都市を表現してきた
あのアーティストです
宮島達男はちじゅー
年代半ばから数字が変化する
デジタルカウンターを使った作品を
作り続けています
はちじゅーはち年に参加した
ヴェネチアヴィエンナーレで国際的に注目さ
れるようになりました
そのカウンタを使った
初めての作品1/10秒から
いち秒じゅー秒と桁が上がり
全部でじゅーよん桁さんじゅーまん
年を数えることができるという時計です
無限を表現しました
その対談相手は
写真を芸術の域にまで高めた一人と評される
アーティスト杉本博司長年
写真というメディアを使って
映るはずのないものを写そうとしてきました
飛んしたのは
大学卒業後の1970ニューヨークを拠点に
現代美術家としての活動を始めます
デビュー作しろくま今
まさにアザラシをとらえたシロクマの写真
こんな危険な場所に近づくとは
なんていう鉋写真家
なんだと驚きの声を上げた
星が交錯する瞬間
しかし実は博物館に展示されていた
惑星を撮影したものでした
生きていると思えるのなら
生きていることとは何初期のシリーズ作品会計
古代人が見ていた風景を
現代人も見ることは可能なのだろうか
その問いを胸に世界中
の海を撮影して見るものを静かに圧倒します
世界を舞台に活躍する二人が選んだ
対談場所は数多くの日本美術の傑作が集まる
東京国立博物館でした
久しぶりですか
何度も通ったというこの博物館
僕は東北と言うと本当暑いですね
今日はありがとうありがとうここで見た時は
びっくりしましたね
様部の教育をずっと受けてますからね
だからその西洋の空間のパースペクティブと
関連警報携帯壊れてどうなるでしょう
その日本人男優空間意識を生み出した
っていうのはね
僕は日本人として誇りでしたね
perspectiveポイントがあるなんて言うな
異常にしか
くおに下の四角をね
うまく利用してねじゃなくて来られ
心の目で遠近感をなるほど石田行きました
深い話や時間の経過に向こうから
こっちに時間が流れてるのか
左から右流れてるのか
なんか時間があるという音する時間の存在感
トイレの中に展示をするそうですよね
蘇る記憶と時間
子供の時から
何かこうぼくて本当に来てんのかなとね
生きてるってなんだろでで
子供小学3年生ん時にね
友達が突然死んだんですよ
あのなんかなんか麻疹かなんかな
駄菓子屋のね息子でね
駄菓子屋の店に祭壇があって
その子供を横たって時にしとって死ぬ
んだってのものすごく強く感じなんですよね
早いですね昨日はできそうに
じゃあ僕ももしかしたら
死んでるのかもしれないし
生きて生きてる状態と
死んでる状態のサカイっても外イボがね
わからなかったんですよねお宿ですね
初めて今思い出しましたね
こんなことでそれの
後遺症っていうか
それで現実世界の浮遊感というか
それにあるみたいに悩まされて
そこであのしろくまに会った時にコレって
いつもあのあの見ているあの感覚だな
でもこれは
自分だけの異常に病的なビジョンである
と思ったが
それを写真に撮って証明できれば
これは僕
だけが見てる病気じゃないんだと
自分がその見えてるものが
人にメール送ってき
そういうその一心でとったんですよね
まああのそのある子の浮遊感と言うか
性都市が曖昧模糊としてるって
ママさんにそれが世界観であるし
それがコンセプトなんでしょうね
るねですからその
後にコンセプトっていうか
それはそのせい年をとる
そういうことを素直にも行ってもいいし
俺はそのその時ちょっと勉強し始めた
仏教の禅の思想で
これはもう悟りの境地と言うか
これを編んで
なんかこれを見て何か思え
というような形で
最初は出してきた杉本の最新作
は映画です神奈川県江の浦ここで
杉本はかつてのみかん畑構想
10年20年の歳月をかけ
一大アート空間に仕立てました
映画にはその
四季折々の細部が映し出されています
杉本さんのその例えば
江之浦測候所なんかに行かせて頂いた時に
思ったのが
あの太鼓の時間を漢字で書くと
どういうことなのかなっている
考えてたんだけど多分光がね
その写真に収めて行く時に
光をその時間だけ集めてくるじゃないですか
で光の振る舞いという行動をその全部
そこに請求していてね
愛しの工事関係の紡ぎ出すと思うんですけど
何かねdnaに記憶として残っ
てんじゃないかなと思うよだからね
なんか懐かしい感じの人に感じている僕はね
常に自分の家の中にある
懐かしさっていうのを辿っていく人生だった
と思って最後に結局は海にたどり着くで
自分の子を見ている
目の前の組手のが
あまりこの現代に毒されてない
ような書き方して奇跡的に残っている
海が見える丘低能たどり着いたんですよね
まさにあそこはそうですよね
ですかやっぱりねずっと自分の意識心があって
動物とは全然人間と違うんですよね
確かこの心って
どこから生まれたんだろうという
その不思議な感じですねでこれを
ずっと探し求めてきた感じがしますね
でね心はね
たぶん時間の意識ということ
思った時に心が発生したと思ってるしね
面白いなあそれはあの僕は最近まあ
あのカルロロヴェッリっていう物理学者がいて
その子が今回てんだけど
時間はないっちゅうんですよ
時間存在しない
その時間っていうのは
例えばまあじゅーごふんとかいちじかんみたいな
その観念的な時間があったとして
僕らはそれをいちじかんっていうの
覚えてないですよね
それは多分記憶だとか
こうやって話してたと思う
誰かと会って食事してたとか
そういうの出来事として記憶
していて今おっしゃったように
実は人間がいて
空間と時間は生まれてきていいじゃん
少なくなってるだから今逆転の発想なんだけど
時間を意識した時に
人間の心は生まれたと同じことだ
と思うよね
多分ね宮島の最新作時の海
東北東日本大震災の鎮魂と記憶の継承を願っ
てさん年前から続いているプロジェクトです
青や緑の数字は
きゅーからいちへのカウントダウン宮島は
被災した人を中心に
その速さを設定してもらいました
一度消えた数字は再び空へ西からし再び生まれ
生きるその営みが繰り返されます
今の森美術館で展示してある時の海
東北ってさんも何のために
そういうことしてんのかなって
僕自身よくわからなかったんで
そのうち作り始めてね
最近すごく思うのが
こういうコロナのこともあったりして
何か子さんぜん人の
小人たちの市屋形が集まった時にですね
もう一度そのあの当時の自分にこう書いて
行くと言うか会いに行く感覚になっていて
でつまりそれは記憶の蘇りだったりするんです
けど多分アートってのは今
生きている人たちにとって
今これからをどう生きるのかとか
より良くんっていう意味でとても重要な役割
果たしてるんじゃないかな
と思うんですよねそれ
では例えばその記憶という話で
じゅー年前にあった
大震災の記憶を蘇らせて
あの当時自分たちが考えたこと
エネルギーの問題を考えたり
取らせてから
行き過ぎた経済社会を考えたり
とかしましたよね
そん時に再び帰ってくるのかで返って
自分たちはこれからどうすれば
いいのかっていうの考えてもらうとか
そういう子今生きている人たちのためにね
記憶術あるんじゃないかなって
思ってるんですよね
人それぞれ時間の流れはね間違えました
子供の頃っていち年は長かったですよね
いろいろな体験ができない
もうすぐですよ私なんかもう死ん
でるのに自分で気づかないだけじゃないかな
これんだ