美の壺「石垣」

美の壺「石垣」

<File428>“石垣の博物館”の異名をとる金沢城には、名庭園と絶妙にマッチした石垣が!

沖縄の城(グスク)にある石垣の門には、600年崩れ落ちない、独自に進化した技がさえる!

全国の名城を手がけた伝説の石垣作り専門集団「穴太衆(あのうしゅう)」、その末えいが400年受け継ぐ驚きの技とは!?

そして、瀬戸内海の島で、険しい山に石垣を張り巡らせ作られた段々畑。

代々石垣を守り暮らしてきた人々の営みに密着!

【出演】草刈正雄,【語り】木村多江

美の壺「石垣」

放送:2018年10月7日


石垣、その知られざる魅力

石垣で作られた段々畑。急峻な地形で農業を営む瀬戸内海周辺の地域では畑の地盤固めや風よけのために石垣が積まれてきました。

石垣を上手に利用した暮らしの知恵もあります。石垣の脇に洗濯物を干すと太陽の熱を反射して早く乾くのだそうです。

「石垣を利用してそこに掛けを立てて洗濯物干す人が多かったんですよ。なんか安心するって言うか守られているって感じがありますね」

ご存知大阪城。現在の城は徳川幕府が大坂夏の陣で豊臣を滅ぼした後立て直しました。10年の歳月をかけて築いた石垣は総延長12 km。 高さは最大で30 M もあります。

大きな石。大阪城の石垣にはどうして巨大な石がいくつもあります。

最も大きなものがこちら。畳36畳文もあるとか。130 km 離れた瀬戸内海の小豆島からわざわざ運んできたのだそうです。

なぜそこまでして巨大な石が必要だったのでしょうか。それは徳川幕府が全国の大名に権威を示すためだったと考えられています。

「時代が豊臣から徳川に移り変わったっていうことを強くアピールするっていう意図がある。豊臣以上の力を持った徳川の威厳を示すというそういう意味があって巨大な石垣を使ったお城を築いたということだと思います」先人たちの知恵と技が結集した石垣。知られざる魅力をたっぷりとご紹介します。

金沢城の石垣

石垣の博物館の異名を取る金沢城。

多彩な石垣が見られます。門を入るとまず出会うのが2種類の石垣です。

石を荒く削ったまま積んだ打ち込みハギ。

反対に石をきれいに切りそろえた切り込みハギ。どちらも江戸時代中頃に作られました。最も古い石垣はこちら。

自然の石をそのまま積み上げた野面積みです。この石垣中央に組み込まれた石の形をよくご覧下さい。何かに似ていませんか。亀。水に親しむ亀にならい、城を火事から守るという願いが込められているんです。江戸時代金沢では度々火事が起きましたが、石垣のおかげで建物が難を逃れたと伝えられています。

鉄砲など武器を保管した三十間長屋。土台の石垣は赤や青の安山岩が散りばめられたカラフルなデザインです。石垣がちょっと立体的に見えませんか。実は石が盛り上がっているんです。石の凹凸が陰影を作り出し様々な表情を見せます。

3代藩主前田利常が京都の庭師を特別に招いて作らせた玉和泉院丸庭園。歴代藩主が愛でたという手園の奥に、一風変わったデザインの石垣が。色紙短冊積み石垣です。色紙のように四角い石。短冊のように縦長の石。それらがピッタリと組み合わせれています。かっては上から水が流れ滝になっていたそうです。石垣はその景色に合わせてデザインされたと考えられています。

「石垣の上には断面がV字型をした石の樋が組み込まれているのがわかります。当時石の樋から水が落差9米となって流れ落ちていたということが考えられると思います。全国見渡しても他に例のないような非常に稀な石垣ではないかと思っています」百万石の財力を文化の発展に惜しみなく注ぎ込んだ加賀前田家。石垣までも芸術品に仕立て上げていました。今日一つ目のツボは主の思いが生み出した造形。

沖縄・座喜味城(ザキミグスク)

沖縄では潮風や台風などから家家を守るため石垣の文化が発展してきました。使われる石は主に琉球石灰岩。サンゴや貝殻が数万年かけて変化したものです。

石垣で囲われた城。12世紀から15世紀にかけて作られた城で沖縄本島を中心に300以上残っています。その一つ読谷村にある座喜味城です。15世紀初めに作られました。

「揺るぎない力強さを感じます」

座喜味城をつくったのは15世紀に活躍した武将・護佐丸。沖縄統一の立役者として語り継がれる英雄です。当時沖縄は3つの国が争う戦国時代。護佐丸は類まれなる戦略家として自国を勝利に導きました。

座喜味城は築城の名人としても知られる護佐丸が国を守るための前線基地として築いた城でした。そのため座喜味城はとても堅牢な作りになっています。

グスクの入り口に作られたアーチ門。600年の間一度も崩れたことがないという頑丈な門です。この門は緻密な計算のもとに作られています。

ポイントは中央に組み込まれた長さ28 CM の小さな楔石。この小さな石が左右の石をつなぎとめさらに上からの荷重を分散させて門が崩れるのを防いでいるのです。それだけではありません横に逃げた力が石垣を押し続けると石組がずれてしまう恐れがあります。そこで力が集中する石の継ぎ目に加工を施しましたギザギザに切り込みを入れ位置がずれにくいようにしたのです。

座喜味城は2000年には首里城などとともに世界遺産に登録されました。今では多くの客が訪れる観光スポットになっています。 知恵と工夫をあわせて作り出した貴重な沖縄の財産です。

石垣づくりの技能集団

日本で本格的に石垣が作られ始めたのは鎌倉時代。近畿地方を中心に山間に建てられたお寺などで数を多く使われました。これは600年前に作られた石垣です。

山にある石をそのまま積み上げた野面積みです。戦国時代に入ると石垣作りの技術は全国に広まりました。きっかけはあの織田信長でした。信長が築いた安土城です。山全体を石垣で被っています。当時戦で主流となってきた鉄砲の威力にも耐えうる強固な城でした。

「安土状以前のお城は土でできているんです。ところが阿須津城は山全体を石で覆った総石垣づくりのお城。今までにはなかったタイプの城が東条したことは強く人々にアピールする意味があったと思います」前代未聞の石垣が張り巡らされた城郭。当時近江を中心とした職人集団が集まって作りあげました。

その集団の一つが穴太衆(あのうしゅう)。やがて穴太衆は全国の大名から城の石垣の発注を受けることに。彦根城。姫路城などその後作られた城の8割は穴太衆が手掛けたと伝えられています。穴太衆の石垣作りの技は今も大切に受け継がれています。

比叡山ふもとの門前町・坂本。穴太衆はもともと延暦寺や日吉大社の石垣などを手がける職人集団でした。街のあちらこちらで見かける石垣は穴太衆が手掛けたものだそうです。穴太衆の十五代目粟田純徳さんです。

「この石垣は十一代目のおじさんのおじさんすねが直したと言われてる石垣です。特徴としては大きい石と小さい石をバランスよく混ぜた非常に僕から見てすごい上手な積み方になってますね」伝説の穴太衆の末裔はいったいどういう技を受け継いでいるのでしょうか。二つ目のツボは石の声を聞け。

穴太衆の石垣は自然の石をそのまま積み上げる穴太衆積みと言われる方法が基本です。自然の形を利用した方が崩れにくく頑丈になるといいます。粟田さんが積み上げた石垣です。石の大きさはバラバラ。ちょっとバランスが悪い気もしますがこれで良いのだそうです。石垣を横から見た図です。石は奥に長く楔のように入り石全体をしっかりと支えています。石と石が接するのは二番と呼ばれる奥まった場所。一見不安定ですがこれも重要なポイントだとか。

「二番でつけることによって地震が来た場合これだけでも余裕がありますよね。だから多少の揺れがあっても石がずれ落ちることがないこのままの形で全てキープしている」

内部には栗石と呼ばれる細かく砕いた石を敷き詰め、石垣を固定します。栗石にはもう一つ大きな役割があります。雨や雪が降った時栗石の隙間を水が通り抜けスムーズに排水されるのです。石垣に過度の負担がかからず長持ちするといいます。高度な技術を400年受け継ぐ穴太衆。代々伝えられてきた心得があります。

「石の声を聞いていうのがちょっとそれは言われてますね。自然の子を使うので設計図がないんです。だから自分の頭の中で描いた設計図があってでそのそれで選んできた石ですねそれが上手くピタッと来るって言うのがやはりその意思がここに行きたがってるって言う事やっていうことなんですよ。だからあの穴太衆の究極の理想としては、石を100個選んできていしがきを作り全部使い切って最後仕事終わった時に一つも歯が残ってないっていうのがもう究極です」

石垣の里

愛媛県愛南町外泊地区。

石垣の里として知られる港町です。家家が高い石垣に囲まれているのには理由があります。冬、町にはシマキと呼ばれる強い北風の吹き付けます。このシマキから家を守るため石垣を積み上げているのです。

ところがよく見ると石垣にくぼみが。遠見の窓。家で待つ妻が漁から帰ってくる夫の姿を見守るため作られました。こちらの家では石垣の脇に洗濯物が。太陽の熱を反射して早く乾くのだそうです。

「石垣を利用してそこに竹を立てて洗濯物を干す人が多かったですよ。普通に生活しててなんかこう安心するって言うか守られてるって感じがありますね」最後のツボは暮らしに息づく石の風景。

瀬戸内海にある倉橋島は島全体が花崗岩。江戸時代から良質な石の産地として知られてきました。倉橋島の隣に位置する鹿島。島の南西部40世帯が暮らす矢野口集落にはだんだん畑が広がっています。地すべりを防ぐため倉橋島の石を使って石垣が作られました。

この地域に人が住み始めたのは江戸時代末期。急峻な山を切り開き開墾して行きました。最盛期には500段以上の石垣がありました。

石垣は畑を守るだけでなく思わの恩恵をもたらしてくれるといいます。昼間熱を蓄えた石垣は夜になっても暖かく、野菜が早く成長するのだそうでする4代前から農業を営む石川文次郎さん91歳です。この畑で育てた野菜は通常より大きく育ちひと月ほど早く出荷できるといいます。

「石垣のおかげでありがたい。しかし石垣は手入れを怠るとあっという間に草木が生え元の山に戻ってしまいます。石川さんは自宅近くの海岸から石を拾ってきては自らの手で補修しています。

幅60メートルもの段々畑全て石川さんの畑です。大敵は雑草です。根をはると石垣を崩してしまうため、春から夏にかけてこまめにとって行きます。石川さんは80年間毎日のように石垣の手入れを行ってきました。

「守らにゃいかん。先祖のもの」日本人の暮らしを支えてきた石垣。その技と心は今も大切に守り継がれています。


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