美の壺「粋な暮らし 京町家」

美の壺「粋な暮らし 京町家」

京町家の奥深く、代々の主(あるじ)が座った特等席からの心落ち着く眺め。

床の間を楽しむ粋な仕掛けとは!?

小堀遠州の屋敷から移築した奥座敷も拝見。

ふすまには漆や雲母で描いた松、欄間には豪華透かし彫り、伝統の職人技が光る。

炭の粉が外へ出ないよう幅を狭めた「炭屋格子」、米俵がぶつかっても壊れない「米屋格子」…

商売で異なる格子の楽しみ方。

伝統の土壁の技を守り継ぐ左官職人にも密着!<File465>

【出演】草刈正雄,【語り】木村多江

美の壺「粋な暮らし 京町家」

放送:2019年1月25日

プロローグ

美味しそうなアイスクリーム。

でもこの店の自慢は他にも。落ち着いた和の風情。さらにこの通路。いったいどこまで続いているのでしょう。

ちょっと謎めいた建物の造りは京都の町家の伝統です。

「安らぎがあって落ち着けます」。

実はこの店。かつてはモダンな洋風インテリアの喫茶店でした。

店を継いだオーナーが元の町家の姿に戻したところ若者からも人気を集めるようになったのです。

『ホブソンズカフェ』オーナー家永義次さんは「商売よりも、僕はこの昔風に完全に戻した町家を見てほしかった。アイスクリームは二番目」。

京都では十年ほど前からこうした古い町やを再生したカフェや宿が増えています。京町屋はもともとは商人の家。

表が店舗でその奥に人が住む、職住一体型の建物です。レトロでおしゃれなだけではなく。

長い歴史の中ではぐくまれた京都の人々の粋な生活スタイルがそこには隠されています。

今日はそんな町家の魅力を暮らしの息遣いとともに鑑賞して行きます。

ホブソンズカフェ 四条富小路店|改修の事例|京町家作事組

やすらぎ

うなぎの寝床とも言われ、奥に向かって細長く作られている京町屋。中はどうなっているのでしょう。

明治42年に建てられた吉田家。

典型的な京町屋の様子が今も変わらず残されています。「ごめんください」。表玄関の暖簾をくぐると右手に14畳の板の間。

みせの間と呼ばれる商いのスペースです。昭和26年まで染める前の白い反物を専門に扱っていました。ここまでは誰でも立ち入ることができる京町家のいわば表の顔。でも実はこの奥にこそ知るぞ知る隠された見所があるのです。
今日一つ目のツボは表の顔と裏。

店の間の奥にはもう一つ、選ばれた客だけが通される内玄関があります。そのさらに先まで通り庭と呼ばれる通路が続いています。

ここから先はこの家の主にご登場いただきましょう。

「京都の家には入り口が一つしかありません。通り庭というのは入り口から敷地の一番奥まで一本の通路を内蔵するんですね。商売をしていたころは、入り口から荷車で一番奥にある商品蔵まで物を運ぶ仕事があって利用した」。

暖簾の先をのぞかせてもらいます。ただでさえ狭い通路を遮るこの仕切り。一体なぜこんなものが。「この袖壁で板の間の台所が見えないところで声をかけるのが大原則なんです。約束がきちっと守られてる人がおいでの場合にはこれを超えて中へ入っていくってそういう無作法なことは絶対ない」。

嫁隠しと呼ばれる袖壁が隠していたのは女性が働く台所でした。

京都ではかまどのことをおくどさんと呼び、そこには神が宿ると考えられてきました。

吉田家では毎年正月に松を供えその後も一年を通じて火の神を祀り続けます。表玄関からおよそ15 メートルある通り庭の奥が主の吉田さんの住居。とっておきの場所に案内してもらいました。

「ここが主の席なんです。ここに陣取って、食事もここで一人。夜は二時間くらいかけて食事を楽しんだ。床の間の掛物を見たり棚の置物を見たりして気持ちを落ち着かせたりもする」。

奥の庭に面した吉田家代々の特等席。

一日の終わりをここで過ごし、心を落ち着かせるのだそうです。

さらにこんな仕掛けまでありました。なんと雨戸をしまう戸袋が回転するのです。

「にわかな装置ではなく、江戸時代の中ごろからこの回転する戸袋はあったようです。少し陰ってきた床の間に少し明かりが入ってくる」。

掛け軸の陰影と主の心持が深く結ばれるひと時。京町屋の裏の顔。京町屋の奥には、住む人だけが味わえるこだわりの空間が広がっています。

もてなし

かつて呉服商を営んでいた小島家。

自然の光を活かした京町家の魅力を家のそこかしこで感じることができます。

表通りに面した2階の屋根裏部屋。ここはかつて住み込みで働く奉公人たちの部屋でした。格子が生み出す陰影。切り取られた光が却って存在感は増しています。

こうした光の演出の極めつきとも言える場所が奥座敷です。明と暗。コントラストの美しさ。無駄なものを排した静謐な空間が広がっていました。

ふすまには金箔で描かれた桐の葉。外光によって刻々と表情を変えていきます。

「町家の中は暗い暗いっていわはるんですけど、いろんなところで、たとえば庭であったり、通り庭であったり、光の差し込むところはたくさんあるんですね。暗いというより薄暗いといういい巣方をしたほうがいいかもしれないですけど、そういうときに、例えばお花が白かったからふわっと色が鮮やかになったりするので、明るい電気の光とはまた違ういろいろなものの見え方がある」。

京町屋では差し込む光もおもてなしの一つとして計算されています。二つ目の壺は、奥座敷のおもてなし。

江戸時代から続く染物問屋。野口家。

こちらのお宅には江戸時代の茶人小堀遠州の屋敷から移築した座敷があります。庭づくりにも長けていた小堀遠州の座敷とはどんな部屋だったのでしょう。屏風に隠されたその先へ。

広さ12畳。明治四年に移築された小堀遠州の座敷です。

床の間には毎月その季節に合わせた掛け軸と花を飾っています。1月は白い椿。

掛け軸には中国の故事で理想郷とされた蓬莱山と、吉兆を表す鳳凰。さすが染物問屋さん。

なんと友禅染で描かれています。

ふすまの唐紙は江戸時代のもの。

下の松は漆。

上の松には雲母を塗って軽やかに。雲母は光の加減で柔らかくきらめきます。

らんまの透かし彫りは安土桃山時代のもの。風流な趣味人だった小堀遠州の好みで雅楽の様子が描かれています。

烏帽子は貴族の男性。扇は姫君の象徴。笙(しょう)や篳篥(ひちりき)。雅楽の音色が響いてくるかのようです。贅を尽くしたこの座敷。でも野口さんの家族が使うことはめったにありません。

「お座敷はお客様のものという感覚がすごく強くて、一番良いところを使わずにずっと取っておいてそれ以外のところでこっそりと暮らしてるとちょっともったいないような気もするんですけれども、まあそれだけにはお客様をもてなす一番いい場所という間そんな感覚ですね。少しいいとこ見せたいとかちょっと見栄を張るとになところもあるかもしれません」。

そんな野口さんいちばんのおすすめは、ガラス越しに見る景色です。明治時代に作られた今や希少なガラス。その歪みが生み出す不思議な効果。「ガラスがちょっとひずんでいると外もひずんで見えるんですけれども、その揺らぎがまた逆に心地よい」。京町屋の奥座敷にはとっておきのおもてなしがありました。

こだわり

整然と並ぶ京町家。実は一軒一軒個性豊かで表の格子ひとつとっても違いがあります。例えば呉服店の町家の格子をよく見ると、上の方が少し切り取られています。

これは店内で着物の柄がよく見えるよう、光をより多く取り込む工夫。

織物を扱う町屋に多く糸屋格子と言います。

他にも炭の粉が外へ舞い出さないように隙間をとても狭くした炭屋格子。

重たい米俵に押されても頑丈な米屋格子。幅も厚さもおよそ7センチある角材でできています。商売によって多様な格子がある一方で、京都の人たちが共通してこだわったものがありました。

商売によって多様な格子がある一方で、京都の人たちが共通してこだわったものがありました。

それは色。赤い顔料のベンガラを持ちます。

酸化した鉄が主成分で防腐や防虫の効果があるといいます。

柿渋を入れるとより鮮やかに。でも京都の人たちはこの派手な色を好みませんでした。

そこで煤を混ぜて深みのある京町家の色を作り出したのです。さらに塗り方にもこだわりがあります。「塗料だと木目がつぶれてしまって色がべたってなってしまうんですけども、ベンガラは木目も楽しめる感じですね」。

木目を美しく見せるために、ベンガラが深く染み込むよう丁寧に何度も吹き込むのです。

最後にえごま油でツヤを出して完成。同じ色で統一感を出しながらよく見ると家ごとに多様な格子のかたち。そこには京都人のある気質が隠されていました。

「でしゃばりすぎないというか、ルールを守って共同化すべきところは共同化し、勝手にやるところは勝手にやる。価値観の違う人たちが共存できる、そういう考え方が建物に現れていった。それがたまたま町家のファサード(顔)に表出しているというふうに考えたほうがいいんじゃないかと思います」。

今日、最後の壺は、でしゃばらずして個性的。

格子の形と並んで家の表情を決めているのが土壁の色です。

こちらの町家は薄い青。日本の伝統色・浅葱色(あさぎ)です。平安時代は貴族の官位を表す色でした。

江戸時代の京都では公家など高貴な人の家に使われました。

一方、町の人たちに好まれたのがこの稲荷山黄土です。

枯れた金色に見えるのが人気の理由だったんだとか。

京都の南部、伏見にある稲荷山が産地。しかし今京都の天然の土はとても貴重で手に入れることは難しくなっています。そこで伝統の土を守ろうとしている人がいます。

左官職人の萩野哲也さんは各地から集めたおよそ15種類の土を大事に保管しています。

中には解体した古い町屋の壁から特別にもらってきた土も。

とりわけ貴重なのはこの聚楽土。豊臣秀吉が聚楽亭を建てた辺りで取れたので、そう名付けられました。落ち着いた色が人気で外壁だけでなく茶室など室内の壁にも使われました。

この道57年の萩野さん。こうした土を使って神社仏閣など伝統的な建築を手がけてきました。

京町屋の土壁づくりの技を見せてもらいました。土に混ぜるのは細かく刻んだわらと砂。水を加えながらよく練ります。

外壁を美しく見せるために大切なことは実は表面の塗ではなく、前段階の中塗り。

下地を少し湿らせておくことで、土の表情が豊かになるのだそうです。

最後に塗る表面は1ミリ程の薄い層に仕上げます。ひび割れを防ぎ見栄えを良くするコツです。こうした伝統的な技が京町家を残していくために大切だと考える萩野さん。

20年前から建築士や大工などの職人仲間と一緒に京町家の再生活動にも力を入れるようになりました。この日は、土壁塗りの親子体験会年に7回京町家について学びます。参加したのは7組の家族。「仕組みもわからずに住んでいるのでこういうことで愛着がわく」。派手な主張はなくても、じわじわと伝わってくる。それが京都の町家の魅力です。

取材先など

テレビ番組「美の壷」で町家をテーマにとりあげたい―京町家友の会会員の山本充宏さんからご相談があった。テレビ番組制作会社、テレビマンユニオンの制作者である山本さんには釜座町町家再生プロジェクトのDVD編集にご協力いただいたことがある。その山本さんからのご相談なので、応えないわけにはいかない。ぜひ町家の魅力を全国のみなさんに届けていただきたい。そんな気持ちで小島富佐江さん、木下龍一さん、内田康博さんを中心に再生研関係者で全面的に協力することになった。 京町家再生研究会

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