笑みこぼれる甘さ、心弾む色と形の「あめ」。▽子どもに大人気、棒の先で大きく渦を巻くしま模様のロリポップ!▽“どこを切っても金太郎”お馴染みのあめの職人技!▽500年伝わるという、砂糖を一切使わない穀物あめ!▽花鳥風月をみやびに表現する有平細工▽縁日で人を楽しませてきたあめ細工。客の注文を受け、その場で、どんな形も作り上げる技に密着!▽まるでガラス工芸!リアルなあめ細工も登場! <File 411>
【出演】草刈正雄,【語り】木村多江
放送:2019年5月24日
美の壺 「笑みこぼれる“ あめ ”」
プロローグ
色とりどりのかたち。甘い口どけ。心ときめく飴。斬新なデザインが次々登場。
こちらはなんと宇宙の星々が閉じ込められています。伝統の飴も魅力的。
季節の風物をかたどった飴。
なんとも雅ですね。
手とハサミだけで形を作る飴細工。江戸時代から人気のパフォーマンスです。
子供のおやつと侮るなかれ。目にも口にも楽しい飴をご紹介します。
こども
誰もが一度は食べてみたい。世田谷区用賀にあるキャンディの専門店「TikTok」。
人気の品は棒がついた飴ロリポップと呼ばれます。
20世紀初頭にアメリカで量産され一躍子供のお菓子のシンボルになりました。
代表的なデザインはこの渦巻き模様。お店ではロリポップを手作りしています。
砂糖と水飴を煮詰めたものを台の上に広げ色を加えます。作業をするのは店長の今井一聖さんと弟の唯生さん。
透明な飴を引き伸ばして空気を含ませると、白く艶やかな質感が生まれます。
赤と白の飴の板を順々に並べてねじりながら引き伸ばします。
端をくるっと丸めて出せば完成。
「棒がついているということで手で持つことができる。独り占めできる。シェアすることはあまりないので、あとはやっぱり大きさですよね。一口で全部口の中に入ってるよりは、ちょっと自分で長く楽しめる。そういうところが魅力なんじゃないでしょうか」
子どもの笑顔を引き出す魔法のお菓子。
今日一つ目の壷は心躍る色と形
東京・台東区にある明治時代から続く老舗「金太郎飴本舗」。
古くから子供に愛されてきた飴を作っています。おなじみ金太郎の飴です。
昔話に登場する金太郎はたくましい男の子。
どうして飴のモチーフに選ばれたのでしょうか。
「金太郎は強くて丈夫な男の子の象徴というところがありますので、飴を食べて丈夫な子供に育ってもらえればということ。親心が入っていたのでは」
直径二センチの丸の中に目や鼻口まつげ。
いったいどうやって作るのでしょうか。
いくつものパーツを組み上げる組み飴という製法を使っているんです。
これは目の部分。縞模様は何でしょうか。目の上にのせましたまつげでしたか。
作りたての飴は柔らかく時間をかけると形が崩れてしまいます。
手早く正確に組んでいくのが熟練の技。
トレードマークのおかっぱ頭をかぶせ、全体を白い飴で包みます。
直径35センチ重さ50 kg の巨大な飴の塊ができました。
機械で細長く絞ると全長250メートルまで伸びるとか。
どこを切っても金太郎。
ぱっちりまつげ。ちょっと怒ったような顔や困り顔。お気に入りの顔を探しながら食べるのもこの飴の楽しみです。
金太郎飴本店 金太郎飴 千歳飴 オリジナル飴 お取り寄せ 通販
Eテレ「美の壺」(アンコール放送) | 株式会社 金太郎飴本店
甘み
室町時代。西洋から砂糖菓子がもたらされるとその強い甘味は人々を虜にしました。
砂糖を取り入れることで日本の菓子は大きく変わります。
そして生まれたのが有平糖。
職人たちは舶来の菓子を日本人の感性に合わせました。
色をつけてむすんでみたり。
花鳥風月を取り入れてみたり。
有平細工と呼ばれる高度な技は今も受け継がれています。
群馬県高崎市の老舗和菓子店。
店主の石川久行さんは40年前京都で修行中に有平細工と出会いその美しさに惹かれ技を磨いてきました。
原料となるのは砂糖と水飴。
色付けした後薄くのばしてツヤを出します。
丸めていくと美しい渦巻き。
観世水という水の流れを表す文様です。有平細工には水を表現する形がいくつもあります。
流水。
せせらぎ。
波。
波紋を表す玉水。
移りゆく自然を単純な形に昇華する日本ならではの意匠です。
四季折々の自然の息遣いを取り入れたいと石川さん。
この日、目を止めたのはお堀端に咲くツツジ。
花の中央にあるおしべとめしべ。これをどう表現するのでしょうか。
つつじの花びらに使うのは鮮やかな赤い飴。
しべの上には細長く切った飴の先にケシの実を付けて、
たくさんのシベが生えてるように見えますね。
程よく単純化することでより本物らしく見えるといいます。
観世水と組み合わせて。5月のお堀端に咲きこぼれるツツジ。清々しい水辺の景色です。
「明け方までコツコツやってたり。あの輝いてるの見てるとニコニコしてきちゃうじゃないですか」
異国の甘味と日本の心の出会い。
今日二つ目のツボ。その甘さに歴史あり。
歴史
日本で初めての記述が登場するのは日本書紀。
神武天皇が天下平定を祈り飴を作ったと書かれています。
まだ砂糖のない時代。この飴は米などの穀物を煮詰めたものだったと考えられています。
能登半島では今も穀物だけを使った飴が作られています。
この地方は温暖で雨量が多く古くから稲作が盛んでした。
余った米を無駄にしないため飴にして長期保存するという知恵が生まれたのです。
北部にある能登町。横井千代吉さん。街に500年近く伝わるという飴を作っています。
使うのは発芽した大麦。発芽で活性化した酵素が飴を甘くするのです。
まずは大釜でうるち米30 km も蒸します。
そこに芽と根を取り除いた大麦の粉末を混ぜ込みます。
米と麦の比率や湯の温度は穀物の出来栄えや天候で塩梅を変えます。蓋をして一晩寝かせます。翌朝7時。蓋を開けると。甘く香ばしい匂いが漂います。
麦芽の酵素が米に含まれるデンプンを糖に変えたからです。
これを麻の袋に入れて絞ります。
絞り汁のたれる勢いが強いか弱いか。音を聞き分け煮つめる時間の目安にします。
2時間経つと汁が飴状になってきました。
4時間後かなり固まってきました。
ここから1時間焦げ付かないよう休まずかき混ぜます。
煮詰めた飴を木の桶に入れて保存。
一晩おくとカチカチに固まります。
でもこれ昔の人はどうやって食べたのでしょうか。
「専用の鑿で少しずつ食べた。一日一回だけ」
目の前の飴の割には1日食べられる飴はもう忙しくないですね」
琥珀色の飴はほんのりとした甘さ。
米と共に生きてきた人々の知恵の結晶です。