日曜美術館「ピカソ・ ゲルニカ 〜8Kで体感する実物大の衝撃」

日曜美術館「ピカソ・ ゲルニカ 〜8Kで体感する実物大の衝撃」

あの「 ゲルニカ 」が目の前に!8Kの実物大映像に子供から85歳の画家・横尾忠則まで大興奮!圧倒される大迫力と繊細な筆遣い。ピカソはどんな思いで描いたのか?作家・高橋源一郎と平野啓一郎が、とことん推理!細部まで捉えた驚きの映像から次々と発見される多くの謎。わずか1か月で完成!しかし猛烈な批判にさらされた知られざる物語。天才ピカソが遺した最後の謎めいた言葉とは?戦争の世紀が生んだゲルニカの奥深さを体感。

初回放送日: 2021年12月26日

 

日曜美術館「ピカソ・ゲルニカ〜8Kで体感する実物大の衝撃」

パブロ・ピカソが描いた20世紀を代表する傑作
ゲルニカスペインの宝として門外不出の大作です
今回特別に高精細はち型カメラで撮影することができました
そしてその映像を使い
ゲルニカを実物大で鑑賞できる空間を東京に作りました
実感できますので書かれたのははちじゅー年以上前ですが今も人々を魅了しそして惑わせますが
描けそうなのこの人だけの映画みたいのが入っての中にある日
何かに見られてるようなこの柄の部分をクローズアップで
これもすごいね
部分的にね見れば見るほどですねえーっと
この絵の凄さっていうのお金を引きずられていくっていうのが
僕は喋りましたけどもあの言葉じゃないんですよね
言葉ではね喋りきれないです
もしあなたの目の前にゲルニカが現れたら
20世紀という激動の時代にピカソが残した対策は
私たちに今何を語りかけるのか

スペインの首都マドリード
その会はコロナ禍の今の世界の人々を惹きつけてやみません
一目見ようと人々が押し寄せる巨大なモノクロームの作品
パブロ・ピカソ「ゲルニカ」
1937年ピカソがごじゅーご歳の時に描きました
人間だけでなく動物たちも描かれています
まの上にあるのは連休でしょうか
天に向かって叫ぶ人
その後ろには物資描くきっかけは
スペインの小さな町ゲルニカへの無差別爆撃でした
多くの尊い命が失われました
その悲劇からはちじゅー年以上経った今もそれは
強烈な存在感で私たちの目の前に現れるのです

まさに門外不出の傑作
その不思議な魅力を探るべく
今回特別な許可を得て高精細はち型カメラで撮影として
その映像を使いスペインではなく東京でゲルニカを鑑賞できる部屋を作りました
今皆さんが断っていただいた目の前に
実物大でゲルニカが見られる巨大なスクリーンが登場致しますので
俺は
すごいこれが実物
大縦がさんてんごM横がななてんはちM
リレーで触ってくるとより目線に近くなってきます

あの布団の美術館だとあまり近くまでは行けませんが
今回はもっと近くまで行けるのでこちらの階段からどうぞ上がって
みんなで上がってきましょう
本当だこうやって見たらいいですね
近くに来ると迫力はまた変わりますね
があっても印刷物でもすごく違うんですよね
加茂市番田印刷のものから白っぽいものまでたくさん見てるんで
まあこれが本物の色なのかなって言うね
なんかさサイズ例えば鳥があるでしょこれよく見えるんだよ
すごく見やすくない鳥の表情はああいう顔してるんだってそれで
もいいとすごくわかるわかるあの鳥の白いとかなるって何なのかさ
そんなばかりなんだろうね
気を
つけて苦しくて
断末魔っていうその生々しさが
際立ってますね
あのなんかねなんか手の平の傷なんかもね
本当にたくさん何本の線が入ってたのかしらとか不安だけど
この人の表情は何でしょうか
これどっちですか上の方とかいう説もある
じゅーの女がみたいな感じで
こう松明みたいなものは
差し伸べてるっていう風にも言われてますけどね
だから外の世界からこうこの状況の中に駆けつけてると言うか
救済に来てるのかえ窓から逃げ出してるって話じゃない
なんか膀胱の中にみんな逃げ込んできた
そういう

も動物も人も
なんかよこれって
全体はこう真ん中に中心にこう光で三角形でおられましたね
こっちにのピエタでもう一個
小さい三角で向こう側が多分あれ
逆三角形なんですよっている人は下から上に向かって
だからそれはもうちょっとこう反転してシンメトリーになってる
みたいなバランスを
とっ

バスク地方の小さな町ゲルニカ

今からはちじゅー年以上前平和だったこの街を悲劇が襲います
1937年4月26日ナチスドイツによる爆撃
当時スペインは内戦状態
ファシズムを掲げたフランコ将軍が民主的な政府を倒すため
夏と結託していました
そのナチスによってゲルニカの街は空爆されたのです
世界で初めて無防備の一般市民が狙われた無差別爆撃
でした

空爆から間もなく
はちじゅーご年当時のことを知る人はほとんどいなくなりました
パコガルシアさん番さんです
これからもいろんな恐竜表家家の不要物
黄色だけ混ぜたら洗濯したり思います
いつも新しいポケモンバトルロード超簡単ドロップレザー
先延ばしミラースタンド
明日トレンドペラペラ
言われる日更新講習サンドリア背中や胸ペロペロ
デトルフ見
方は同じ雨

この時ピカソはパリのアトリエにいました
ファシズム
の強行新聞記事で知ったピカソ
ある決意をします

同時依頼されていたパリ万博に出品する壁画を
ゲルニカをテーマに描くことにしたのです
ゲルニカを所蔵するソフィア王妃芸術センターの地下収納庫です
学芸員のロサリオぺーろさんが見せてくれたのは
受けて眠りこけるヤリイカ
省エネ等に対して書き殴ったようなクレヨンの後
何が描かれているのかよく分かりませんが
左側に動物のようなものが見えます
そしてよん日後では大きく変化します
様々なモチーフがはっきりと描かれるようになります
驚いて何かを見つめるよう

な馬は首を曲げもんどり打つ
その
2日後
ピカソは巨大キャンバスに描き始めます
何度も書き直しをした様子が詳細に残されています
ピカソの愛人だったとラムウールが撮影していました
いったい

ゲルニカはどのように描かれ完成したのでしょうか

画面中央に完成作にはないものが描かれているのが分かります
それは輝く太陽をバックにてんに築き上げた握りこぶしでした
握りこぶしはファシズムと戦う団結の象徴
政治的なメッセージが込められていたと言われていますが
シピカソはそうした表現を消しちゃったので
その代わりに描いたのが連休でした
この電球が何を意味するのか
ピカソは何も語っていません

こんなこともしていましたこの部分を見て下さい
柄の入ったタペストリーのようなものが貼られています
実はピカソは模様がある色の壁紙を貼り
色彩の効果を試していたと言いますがし
最終的には色を塗ってモノクロにしたので
ピカソにとっては珍しいモノクロの作品
しかし単なるモノクロではないと言います
ピカソ研究の第一任者大阪安二郎さんです
今回のはち系の画像でも見て改めて私は感心したんですけれども
白と黒そしてその間のグレーのグラデーション
これが限りなくうまく使われているわけですね
私もあのこの全体をこう調べたことがあるんですけれども
グレーがななつか四つのですね色調で描き分けているわけ
ですねそれで
この画面というものを異常に濃い
生き生きとした作品に仕上げていく
モノクロの大画面には
更なる巧妙な仕掛けが横に長い長方形の大きなキャンパスですね
でそこには戦闘とか暴力殺戮と言った
まあカオスのような世界を描かなきゃいけない
その場合にやはりあの画面に統一感を与える
そして同時に安定性と集中制と言うか画面を凝視力というもの
を高めていくためにはやはり古代から使われているま
二等辺三角形のコードですね
この二等辺三角形の講師というのは
例えばの古代ギリシャの神殿の破風の彫刻は
ピカソはの古代ギリシャの美術であるとか
中世のビーツにも深く精通していたわけですから
そうした構図っていうもの
を活用しながら
この現代における戦争というものを表現しようとしたんだよ
内緒1937年6月初旬ゲルニカ完成製作に費やしたのは
わずか一か月ほどでした

天井の部分や鳥貴誰が気になってた鳥も近くなりました
昔北見た時に悲しそうな顔に見えたんですか
悲しいって感じよりも見てこっちを見てるからね
どっちかと言うと馬見てないじゃん
これ強そうで馬はこれ正気を失った感じで今日君と意思があるけど
こっちはもう何回知らないよね見た目の感じですね体をしたけど
これはマインド的にはもう人間じゃないですか
もうちょっとこうなると思う
自分の好きな解釈になっちゃうピカソ本人本人レオの絵を
どう思うってこっちを見てるって言うでしょ
この説明してないんですよ
上達だとこういう題材
暑かったらもう具体的にならざる得ないんで
その辺はえの方があの言葉は使わないだけ自由動画
あとやっぱりヨーロッパって名産スカイが典型的ですけど
これぐらいの大きな絵でわかるのって
ま輝かしい場面じゃないですかこう先人達がいるとかね
神様がこういっぱい届いてるとかだけど
その世界がまずそのルネサンス
絵画みたいに色彩豊かじゃないものを盗んだししかもその非常に
悲惨な場面が電子に中で見ると
やっぱりすごくアロンソは素敵なゲルニカ

爆撃からにヶ月ほど後1937年7月パリ万国博覧会
そのスペイン館でゲルニカは初めて公開されます
しかし激しい批判にさらされます
ゲルニカが見たのは来場者の背中ばかり
来場者に不快感しか与えなかったからである
それはゲルニカに全てに糞をするななかけるさん
メートルのポルノに過ぎないようなパルテナクリティカル
こんけろけな俺らぽコポリピカケの選んでかもしれませんね
らープロパガンディスティ館
井伊直虎パルテナ結婚式でロケしてられませんやろ
ポリティカakb火傷した
番目のボスペルディエンドなポエティカテレビ宮澤包茎
サビアン日が猛スピードでますやろ
暑いアラプロパガンダピカソは
批判に対して何も当たりませんでした
しかし後に尿がナチスに占領された時
ドイツの大使がアトリエに行ってきてゲルニカを描いたのは
君かとピカソに問いただしたといいます
その時ピカソはこう答えます
それを描いたのはあなただ
その後ゲルニカはアメリカやヨーロッパ各地で展示されます
そして世界は史上最大の惨劇を目の当たりにします
第二次世界対戦です
小さなスペインの町で起こった悲劇を
世界が追体験していく戦争という癒すことのできない痛みを
世界中の人々が共有する
その時ゲルニカは20世紀を代表する作品となっていきました

が枯れてからはちじゅー年以上経った今も
人々の心を掴み続けています
真由子ポルテプロスピプロスピルリカ競馬の神
&将来エポカの水漏れがもしかしてみたけど
夜寝る前の部屋は寝る前が一本とシコシコしながらぜろさんで
弁当をに個下げて見かけてましたかた
ひざで遊べるSDカードと出会って
人生が変わったという人がいます

僕は1980年
ニューヨーク近代美術館でもまのピカソ展を見てる最中に
僕はそれまで以前は暗くデザイナーだったんだけれども
その展覧会を見てる最中にデザイナーはやばい
教団入れ画家に転向っていう決断を迫られたのが
実はピカソ展なんですよもっと違う言い方すると入る
時は僕は一匹の豚として入ってたんです
出る時半分なってたんですよ
そのぐらいの僕は改造されてしまったんです
それを張本人がピカソなんです
この
家の前で語ることをがを拒絶
されるっていう漢字をうけますね
理屈を超えてですね
感じればいい
それをわざわざ言葉にする必要はないんじゃないか
っていうような意味にして
なんかあれこれ喋るっていうことは非常に無駄な感じがしますね
よこさんちょっとフルサイズでに積んだり
見ていただいたんですけど
アップで見たいってとこどっかありましたか
そうですねあのー
結構ねピカソは自分の作品の中に魂とはちょっと違う
隠しいって言えばいいのか
そういったものを絵の中に乗っとこ描いてるんです
大きさは凄いなあ
ではその部分を横尾さんに教えてもらいます
これもうちょっとストップしてくださいあえ
実はこの抽象的な携帯の中身picasaそっとですね
非常にエロティックなものを書き込んでるんです
ここに必死だったのだろうがありますね
ひし形のところからごせんえんがさん本よん本出てますけども
これは何なのかって言ったら馬の生殖器なんですよ
だからこの馬は女性の馬です雌馬です
これはおいしいのねこのこれは雄牛ってのは分かりますね
天に向かって叫ぶ女性の左側牛の睾丸
が描かれています

どうも堂々と大画面のど真ん中に書いてるって言う
このピカソの音が取れない
そのぬけぬけした
そういうピカソの気持ちがよく表れてると思いますね
実はゲルニカのこの絵を制作してる時にピアスを巡って
この絵のピカソの書いてる後ろで二重の女性がて仮装をおとりっ子
してたんですよ
そういうエピソードもこれは本当らしいですね
だからその女性が二人の女性が争ってる
その争いのエネルギーによって
彼はこのゲルニカも書いていたと思うんですよね
女性のおっぱい配達がありますけれども
まるで何かこう
あの柔らかい感じで書かないで
なんかボルトボルトみたいな感じがボルト
音楽をはめ込んであるような感じ
がしますよね
本来柔らかいものにもかかわらずここでわざとですね
その性的なものを
何か物質的な機械的なものにすり替えてる
彼のお遊びだと思いますよ
それ結局はゲルニカの抱えてる社会的問題
大きな問題を表すことになるんです
それが大真面目で真面目な戦争だったらね初級
力は観る側に訴求力がないんですよ
こういう一見よく余計なもの
一見戦争と対峙するエロティックなものを買うことによって
戦争とか暴力が強調され
我々見る側の無意識に入り込んでくるんだから
頭で考えたゲルニカじゃないんですよね
彼のもっとの肉体的なもので考えた
ゲルニカだと思いますね
いやこの大きさは面白いなぁと思ってね
まあなんかこれを目の前にすると
勝手に色々しゃべらされる喋らされますよね
この人たちはどうでしょうが
好きな小学生の皆さん皆このえんを見るのは初めて
なんか天気がさあ
なんかたいみたいなとこにいる人は
触ったらそっちじゃないみたいだね
まずはへの説明をディズニー自由に鑑賞しました
よくわからないけど
なんか見た瞬間なんかなんかがすごいなと思っに書かれてる
ランプみたいのがなんか見られているような気がして
ちょっとしたなんか妙な怖さを感じました
覚えてないだけそんな動いてるみたいだな
自分が動いてるみたいすごいね
みんなこれを書いた人はみんなが知ってるかもしれないけど
パブロピカソっていう有名な画家の人が回転で
このゲルニカっていうのは
スペインという国のある街の名前になります
その街に何が起きたかというとある日爆弾が落とされたんです
この全部持ってこれそうなの
こんな小さいみんながいつも学校で帰ってる
このぐらいの大きさでは決してないよこの大きさ実物大です
ピカソっていう人が一か月で書いたんすごい早いね
書いてて辛くなかったのかなって思うね
そうだねそういう
あの書いてる人の気持ちにすごく感じられたんじゃない
写ってきちゃったんじゃないか気持ちが
もしかしたらどんな気持ちになったかないつでもフリーだ
本当動物とか生き物全部白田がグレーなのに
それだけ白い部分が一箇所しかなかったからフリスクに何か
意味があるのか
基本的にピカソっていうのは
やっぱり来群像を描く絵とか歴史とか
その戦争とかって今ある抽象的なテーマじゃなくて
目の前の女性とかさそのギターとかね
まあそういうの描いてきたよ
そのそれが確かに実在してるって言う事の上に来て
美術史がそれを描く表現って
のも散々やってきたってことの上に
それを解体するって仕事をずっとしてきた
だいたい一つ再構成した新しい表現方法を考える
ところがゲルニカ空爆を聞いた時に
結局その件後に存在するはずの世界で
大が崩壊して世界の方が解体されてしまったわけですよね
そうすると
ね健吾に存在してるものを解体して再構築する
っていうカエルの子方がやっぱりそこには使えないんですよね
今日会だったはずのものがガレキになってると
あるいは農家だったはずの家がボロボロになってるとそうするとね
それを解体してが最も何が何だかわかんないよね
なかなかピカソはね
ゲルニカのフルバックを聞いた時に
やっぱりそのまま
その上にある現実を解体して再構成するってことは難しかったから
かなりやっぱり消えたとか
ルーベンスの絵とか西洋絵画の中の悲しみとか
戦争とかの描く形の画面構成とかも含めてを参照にしながら
やっぱりどうにか
これをまとめ上げたっていうのが
ピカソなんじゃないかなと思うんですよね
今教えるね世界を一旦再構成して作り上げる
壊れた世界が出現した時にそういう手法が通じないんですよね
そん時にどういう風にとっても大きいの家系では
それがボコボコ面白いと
思ったのははい
そういう世界は東大出身者さん年かけて頑張るとかじゃなくて
目の前に壊れた世界は
洗えた時に反射的にやれるって言うのは
文逆にアーティストの全くわからなかったと思うんだよね
どうしたらいいか
しかも自分自前でやるしかないと出てくるのは彼の
得意なモチーフ帰ってきたもの
使った手法で西洋美術における歴史からのこれ
当然下敷きになってる作品もいくつかあるんで
つまりモーテル不器用だ世界が壊れたので
壊れた側の住人としてもてる武器を総動員して
世界を最高して清々していたっていう感じじゃないこともね
ゲルニカ行こう
そのセナと第二次世界あるわけですからて
その間に多分これがその帆船の絵というようなイメージも
みんなが持って行くことになって言ったのではないかと
それはピカソにとってみるとどうだったんでしょうね
まあその通りさせて事考えますとね
ピカソやっぱりいたわけじゃないし
そこで当事者と当事者たち
具体的に見て書いたわけではないんですよね
だからやっぱりきゅー
いちいちにせよさん
いちいちにせよ
物書きは当事者性って問題すごく突きつけられましたよね
一体東京にいて東北の震災を書くって言った時に何が書けるのか
現地にいる人たちの生々しい声ってな
日々もソーシャルメディアとかだったお通じてあの洗っても
苦しいでもちろん
それ達にとってはもう苦しんでる最中に当社のがわかってんだから
当事者がかけていうのはね
まだ辛され残酷なことで
やっぱり当事者じゃない人だからこそ
かけるって事もあると思うんですよね
だからやっぱりゲルニカはねあそこ工事したじゃなかったから
かけた表現でもあると思うんですね
そのメディアを通じて知った現実だからこそ
やっぱりその現地表現としては自由って言って程度がそう
やっぱり講師できたし
本当にやっぱり現地に行ってそのなんていうか
爆弾で体が引き裂かれたように痛いとか見るとね
やっぱなかなか書け
なかったかもしれないってでもするんですよね
ある意味ではその何て言うのかな
事件に対する距離感の中で書かれた作品だからこそ
その後そのゲルニカ
具体的に起きたこととは別に戦争を象徴し
帆船を象徴するとして
世界中の人が共有して立ってるところもある気
はしますねなかったらこんなに有名なのなかったですま
入籍は戦争の世紀って言ってるぐらい
なんであのいつまでもゲルニカが求められているっていうのが
異常事態とそうか
この後ろにいろんなデッサンのあの鉱石ってのがありますよね
ここであのあーでもないこーでもないっていう絵を模索してる
ここへのプロセスを描いてるんですよねそう考えるとね
ゲルニカっていうのは絶対これプロセス何だって
ゆう完結はしてないんですよみかんのママの
未完の作品だと思うんです
ということで
理科の抱えてる問題は我々の今の21世紀も依然として
この問題は解決されてない
みかんなんだよっていうことを
こういうプロセスを残すことによって
彼は超超超超超してるんですよね聞かさは入っています
では見る人によって初めて生命を与えられる
牛は馬はまだ鑑賞者は
結局みたいように見ればいいのだ