日曜美術館「観て愛して集めて用いて考えた〜柳宗悦と民藝の100年〜」

日曜美術館「観て愛して集めて用いて考えた〜柳宗悦と民藝の100年〜」

柳宗悦が仲間と共に「民藝(みんげい)」という言葉を生みだしてから100年。

日本各地へ旅にでかけ、「それまで誰も気にとめなかったもの、日々の暮らしで使うために作られたもの」に美の本質を見いだし、“美しい”とたたえた。人生をかけてものを“観て、愛して、集めて、用いて、考えた”柳。

その美的感覚を解き明かすものが行李(こうり)から見つかった。

100年たった今、私たちの暮らしに響く民藝のエッセンスとは?

初回放送日: 2021年12月12日

 

日曜美術館「観て愛して集めて用いて考えた〜柳宗悦と民藝の100年〜」

 

誰でも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか
民芸という言葉ところで民芸って何でしょう
人間生活の芸術です
ふふふふふふふふどう
何人だと思ってたんですけど
色だと茶色とか菜食系の
そういう色をイメージしてふふふ
ほんではあるし道具でもあり
見ごたえのある作品のようなものでもある
みたいな
民芸という言葉が生まれたのは
今からおよそ百年前
その生みの親は
日本全国津々浦々へと旅に出ました
うんありがとうございます
うんうんはいはい
そして今まで誰も気に留めなかった品々に
面を向けて美しいと称えました
ええええええええ立派である
私は宝物でも得たように
大事に持ち帰った食卓に
こんなものを一人一頭ずつ置いたら
花のように見えるだろう
なるほどねでございます
人々が日にちの暮らしで使うために
こしらえた自然で健康で生命に満ちているもの
はいそこに美の本質を見出し
仲間と共に民芸と名付けた思想か
柳宗良私はみたのです
そうして愛したのです
厚めまた用いたのです
そうして考えたのです
日にちそれらのものと親しく暮らし
見つめてはまた顧みたのです
もう窓言わないのです私を信じてほしい
ありがとうございます
へーありがとうございました
はいうんうんはいはいはい

日曜美術館です
今日は民芸というテーマを取り上げますけれど
先程ね冒頭をご紹介したように
皆さんいろんなイメージを持ってましたよね
大野さんはどんなイメージですか
なんか日本のそれぞれの地方の生活の中で
こう伝統的に何も
なき職人の人たちがこう作りで
人々がこう使い続けてきた
日曜の品物品っていうイメージがあります
今日スタジオのお花も
いつもとはちょっと違って
顔に意見出るんですけど
雰囲気がちょっと違って見えませんか
ですね
さあ民芸を考えていくにあたって
こんなところにもヒントがあるかもしれません
早速見ていきましょう
うん東京駒場の閑静な住宅街に突如現れる
中高な建物
柳たちが設立した日本民芸館です
建物から展示けすまで柳自ら設計しました
はいうんうんありがとうございます
あちらこちらから自然の光が差し込むのも
柳のこだわり
所蔵品の数は
およそ一万七千点並んでいるものの
多くは民衆が
日にちの生活に必要とする品物
うんええ
宗さんはもの時あって心を掴まれると
とにかく情熱的に褒め叩いたものだった
はい例えば寒さを凌ぐためにも
メイドで細かい刺繍を施した
こぎんや刺し子ですよね
うん掴んでナビ辺りのもののようだ
醜いものは一つもない
うん確かにうんうん
うん身近で手に入る植物ワンで
こしらえたみのなどにも
それはそれは心を躍らせていましたよね
うんその形や色は
いや文様の美しさは
都会のこの頃の娘たちが来ている
街頭やコートなどに比べると
普段も美しいはいはい
はいはいこれほど見事なの見
たことがない
原子の封印に近く
それだけ二名を美しいで
一種の清涼罪のような心持ちさえ与える
はいはいはいはあただ
一つ間違っちゃいけないことがあるんですよね
宗さんは田舎で作られた日用品なら
何でもあつめたって訳じゃない味のなら
どんな皆でも良かった訳じゃない
そうそう美しいってことが肝心だったら
美しいと感じたものだけを厳しく選び抜いて
あつめたんだありがとうございます
はいつまり僕たちも美しい
ただここに収まってるって訳ですよねはい
ああまさか今更連れてます
ありがとうございます
書斎で寛ぐ二十四歳の柳宗良
この頃柳は友人武者小路実篤らとともに
文芸誌白樺のメンバーとして活躍はいうん
西洋の芸術や哲学
を精力的に紹介していました
これは紙面で特集を組んだロダン
本人から送られたものはいええその一年後
柳の人生を変える出会いが訪れます
ロダンの彫刻を見るため
柳のもとにやってきた朝鮮在住の知人
浅川典孝が手土産に持参した焼き物でした
かつて何らの注意をも払わず
かつ支え事と見なしてむしろか論じた
陶器などの形状が
自分が自然を見る大きな端緒になろうとは思い
だにしなかった
暮らしに用いられる
無名の雑記にこそ非凡な美が宿るはい
その無垢な形の美しさに
衝撃を受けた柳
この出来事が
後に日本各地をめぐり
無数のものと
人に出会う旅へと柳を導きます
それは民衆的な工芸
民芸の美しさの秘密を
言葉で探り当てよとする
施策の旅の始まりでもありました
ええ二千十一年になります
柳がものを見る時に
大事にしたのはじかに見ること
直感でした
うんええものを見極めるのは
瞬時で良い早い方がむしろ確かだと言える
まず見ることが管見である
見る前に知る働きを加えると
見る働きは曇ってしまう
そうすると美しさはなかなかその姿を現して
お呉のはいはい
柳はこの鉢に言葉を捧げています
はいうんええ成田屋な我もこの絵にええいい
この絵になりたいうん
よく分からない気がするのは僕だけうん
こちらは室町時代に描かれた絵巻物
平の清盛が港を作ろうとしたところ
波が荒くて工事が進まず海の上を静めるため
三十人もの生贄を捧げるという
深刻な物語なのですが
ええええ船の形にはまごまごしている
箱のようなものを書いたり
板のようなものを浮かばせたり
色々と試みる冗談で
こんな風に書くのではない
非っしょ真面目であるはいうん裸なんか
書くときには困り抜いています
手足がどんな格好をしているのか
結局はっきり頭には浮かんでこない
こんなで絵になるものか
といるからないわけにはいかない
だが美しいのである
ま外もなく美しいのである
ありがとうございました
ヘタッピでも記憶って純真で誠実だから
美しいとそれでいい僕達のことはい
そんな柳に見つけ出した
美を分かち合うことのできる
仲間が現れました
陶芸家の濱田庄司と河井寛次郎です
古い品物が並ぶ被災地によく出掛けた三人
美しいものを見つけるとあっと声を上げ
あちこちを指差して
嬉しそうに話していたといいます
浜田可愛らと共に柳は美が宿る
ごく当たり前の品々に民衆的工芸民芸と名付け
千九百二十六年
美術館の設立に向けて動き出しました
はいはい今まで見向きもされなかったものに
共通する法則を引き出して
正しい美の標準を打ち立てる
その活動の一つとして雑誌工芸を創刊します
うん創刊号から柳本心の連載がスタート
二つの図版を並べ
どちらが美しいのか
柳の考える美の標準を
分かりやすく伝えようとしました
うんうんうんうんうんはい
それはこれまでの美の概念を
ひっくり返すもの
例えば社趣味たっぷりのでこぼこした
形の茶碗よりも駄目だよ
民家で使う当たり前の素直な茶碗が美しいええ
ええ本当ええありがとうございます
はいええありがとうございます
なるほど五点で使いそうな
貴族的で大げさな方が描かれた徳利よりも
台所で使うそこらの木に泊まる鳥が描か
れた亀が美しいはいうんええ
ああありがとうございました
うんはいございます
中にはこんな比較まで
生身の人間の手よりも描かれて
模様になっホタテの方が美しい
しかし柳肝いりの連載は悪い方の例に挙げられる
所蔵者の迷惑を考えて
一年で中止されました
はいはい美しいを伝えるってなかなか難しいですね
柳さんさあ今日のゲストを
ここでご紹介いたしましょう
東京国立近代美術館の花井壽夫さん
そして日本民芸館の杉山高さんです
どうぞよろしくお願いいたします
お願いしますえ
民芸っていうことのイメージを
色んな方に聞いていただいた時に
さまざまな意見がありましたよね
これだけ民芸という言葉が
あの普及してるんですけど
実はなかなか分かっていると分からないっていうところが
あの本当のところかもしれませんね
民芸の美を発見した当時がそもそもですね
非常に新しい美の見方であるとか
考え方をように提示するという
ことは非常に革新的なものであって
アヴァンギャルドな活動であったんじゃないかな
っていうことが改めて感じられましたね
柳が受けた
その衝撃を違う形でこう出していくっていう時に
あの美の標準というこう
提示の仕方がありません
これを今見るとどうですか者さん
そうこっちが
まるでこっちがバツってやるのは
結構勇気が要るんじゃないか
と思うんですよね
つまりそうじゃない
と思ってる人もたくさんいるでしょうから
その中でこれだってやるのは
もうやはりこの楽でもそうですよね
はいあの歪みまあ
楽にしてもその当時のアヴァンギャルドな
んですよね
ですから日本美術市場のレジェントたちを
自分の作ったリングに雑誌ですね
批評という場を作ってリングにあげて
まあ戦いを挑んだというか
まあ優劣付けようじゃないかと
あえて強い相手を選んでいるので
柳自身はこの十分その美しさ
革新性ということを認識して相手
を選んでいる感じがします
要するに体質に個体率で
これはあんまり美しくないだろう
って言わせるものを
逆に借りることも大変だったと思いますし
どういう目的で使うんですか
って言われてますよね
ちょっと否定させていただきましたけど
そもそも今回の展覧会は柳宗牛とは因縁
というか縁があるんですよね
はいまず投函の東京国立近代美術館というので
全部その名前を分解してみますと
東京に対する地方
それから国立に対する剤や
それから近代に対する非近代美術に対する工芸
ということで
全部柳が対抗したものでできている
美術館なんですね開館して
間もなくの頃なんですが
柳宗悦その人から批判を受けているんですね
あのまあ我々は在野であり
地方であり工芸であるというそういうことで
近代美術館は現代の味を標榜しているけれども
民芸は日本の目であるとということで
我々はお叱りを受ける
あっこれはどうですかあの
決してはお叱り
ということでもないとは思うんですけどね
あの民芸って言葉自体が多分
子供ができた当時は変な言葉だなって
多分思われていたわけですよね
でましてや民芸っていう
その今までこれが美しいのと
っていう人たちがほとんどの時代の中にあって
あえてこれが美しいんだ
っていうための
アジテーションしなきゃいけない訳ですよね
うんはいところで宗さんは
とってもお洒落だったんですよね
和服も洋服もダンディに着こなして
うん収集のたびに出かける時も
工事ねとはぱっちりだけど
準備するのは
いつも奥さんの金子さんだったんですよね
声楽家として活躍していた金子さんの稼ぎは
宗悦さんのコレクションに
化けちゃったらしいですね
うんそれにそう旅先に持っていった
大量の本を梱包するのに
旅先まで呼びつけられたり
お月さんが買ってきた
古い布をあらわされたり
あそれ肥大や金子さんは気難しい
あの宗さんを殿様って言ってたな
よくこんなに機嫌悪くしていられるもんだって
笑ってたよ
ところでところで宗さんが詰めたものの中で
一番大きいものを覚えてます
ああああ彼にはたまげたね
金子さんもさすがに困ってたなあ
柳が手に入れた中で最大のもの
それは栃木県で見つけた
美しい石姉を持つもんでした
民芸館迎えにこの門を取り入れた
自宅を立てて二十五年間暮らしました
ええうんうんここは日本民芸館ですが
今日はこちらにはまいらずにこちらに向かいます
はいうんうんはいああ
はいこんにちは失礼します
柳先生のお家にお邪魔しました
お招きいただきありがとうございます
失礼します
はいはいそうです
うん凄いここはあれですね
食卓ですね多分急に素敵ですよね
ここのお金であるこのお皿
いやその何て言うかねカップですか
湯飲みっていうのかな
あっこれ食卓の様子
あっ凄い凄い凄い凄いへ
ご家族で団らんしてて
このテーブルが使われてたんですかね
あれじゃあ柳先生は他の写真だったり
先生はここに庭を背にして
ここに座ってらっしゃったんですね
はい並んでいるのは
濱田庄司の土瓶や湯飲み
河井寛次郎の皿や沖縄の蓋付きの器
全て柳愛用の食器たちです
この沖縄のものと
その浜田さんや
河井さんが作った作品っていうのが同じ
平面に並んでいても全く違和感なく
このこの平面の上に
薄く美しい世界が作られている
っていうのが凄いですよね
失礼しました
気持ちがいいですね
ザラザラはしてないですよ
手にすっとこう馴染むじゃこういうのって
最初はやっぱりこうちょっと冷たい感じがするけど
多分手の温もりっていうのが
伝わっていく感じがしますよね
きれいですよね
中の真ん中のこの黒い点とか
うん普通の茶碗と違い
高台がないから
ゆが過ぎると用いにくいが頃合だと
冬の季節には両手を心地よく温めてくれる
この茶碗を柳は
二十年ほど愛用しました
高木さんがこれを持ってらした時の
柳さんのなんかこう
存在からある種こう
長の中に込められたものが
少しそれに触れることができたとしたら
とても光栄なことしましょう
普段使っているものが
いつの間にか民芸館に並んで
いることもあったとか
ものを使いこなさずは
物の美しさを深く味わうことはできない
だから見ることより使うことの方が
もっと美しさに近づく良い使い手を
美しい品物の創造物だとも煮える
うん柳がこの家に暮らしていた頃から
六十年の時を超え
先ごろ思いがけないものが発見されました
はいこれは柳の標語の布が入っていた
氷ですねこういうふうなな感じですね
実は奥さんの絵と
柳の表現の設計士
みたいなものが入ってたんです
発見されたのはどんな絵画なのか
東洋美術を研究する板倉
声優さんが調査しました
この状態で残ってるのは
僕も初めて見ました
うん十九世紀朝鮮で活躍した北山のボタンず
北山は朝鮮絵画の政党に位置付けられる
画家です
確かに間違いないもんですね
あんまりぞっけの強いものって
やっぱり柳が好まないですよね
ただ北さんに関しては
自然らしさみたいなところが
評価の対象になったんじゃないかな
っていう風に思ってます
私も持っているものは
本当無名の更新ばかりのものかと言うと
そうではなくて
これは朝鮮負の学科の中でも
最も有名な画家の一人ですからね
そういったものに対する面も
しっかりあったってことだしね
でこの設計図には
ネズミの布と赤いえこれ
一文字に使うというような
指示が書かれておりまして
それから戦法それから中心にはほぐさ
ボタンって書かれていますので
こういう形で呼ぶに仕立てたいと
はい柳はどんな
出来上がりをイメージしていたのか
詳細な支持が書き込まれた設計図の通りに
柳が選んだ布を並べてみると
ええお願いします
ボタンのピンク角のグレーと
絶妙に響き合う表具の色味
柳の小ディネとさすがです
はい柳の表具へのこだわりは
尋常ではありませんでした
絵の美しさを引き立てる取り合わせを探るため
大量の布と
焼き物の軸先を
手元にたくさん揃えていました
うんうんそしてああでもないこうでもない
と組み合わせに苦心
惨憺していたといいます
ありがとうございますはいはいええうんうん
うん特に滋賀県で土産物屋
お守りとして売られていたみんな
大津絵の兵部には
並々ならぬ情熱を注ぎました
あつめた全ての兵具を柳自ら手がけたほど
少し色あせ君の絵の場合には
教具の布も敢えて色あせたものを組み合わせ
てえが引き立つようにしています
うんはいはいええうんうん
ええはい布とへの比率にも
独特のこだわりがはい柳は椅子に座る
生活に合うように
絵の上をご舌を三にする割合を探り当て
従来の表具よりも
穏やかな雰囲気を生み出しました
うんはい親睦そのものも
一つの操作生き生きとしたものとして示したり
ここに
並べることによって
更に物が行ものを生かすことによって
さらに見るものに働きかけるようにしたい
ではないか
はいありがとうございますはいま
今見ますと
なかなか家族にとっては
柳さんという方はちょっと大変
まあ人だったのでわよ気もしますが
ご子息の柳総理先生のね話跳び箱あの
ちっちゃな頃子どもたちが騒いでると
怒られて納屋に出てしまったとかって話
エピソードを聞いたことありますけどね
でもなんか何に閉じ込められたら
周りに素晴らしい品ばっかりでしたね
世の中に奥様にしてみると
旅先まで呼ばれて荷物を梱包するとかね
なかなかご苦労もあったでしょ
うけれどもね
自分で梱包して
送ったほうが安くつく気がするんですけど
呼び寄せてやってるんだ
っていう会いたかったのかもしれませんね
寂しくてそれは素晴らしい
実はあの柳ご夫妻の若い頃の熱烈な恋愛
結婚になったって言うんですよね
その時に交わした要するにラブレタが
トランクいっぱい残ってるっていう話を
柳の方から聞いたことありますのでだ
基本的にはね
そういったあの深い愛情があった
と思うんですけども
ただなかなかご主人としては
気難しいご主人取ったとと思われます
だからその柳は美を見出すメモある
それからそれを展示する抜群の才能もある
やはりその今回ま民芸館さんは
どういう展示をしていたのかなと
色々紐解かせていただいたんですけども
まあこんな展示をしてるとびっくり
仰天ですよね
非常に面白いのが
船ダンスの上に乗っている
のが京大のですね
大に乗せられた熊ノ目ざらですよね
鏡を本来置く台を転用して見立てて
お皿を立ててるんですけど
まあ基本的に生活していれば
お皿って水平に使いますね
こういう状態を敢えてこう見ようと
水平なものを垂直に立てる
ですからこれ非常に強いメッセジがまあ
いわゆるギラギラに衒った状態と言いますか
なのでリアルに使うだけではなくて
暮らしの中でみ見るっていうことが一つ
こう大きな要素だったんじゃないかなと
お友達のところは
あの美しいものは美しいという
まず純粋なそこの思いと
そのそのま感ずる関西って言いますけどね
それが一番まずは根底だったと思いますよね
ここにありますように
セザンヌの風景が合わないこと
やない系の音節室から
飾っておられたみたいですけども
星座の最高の北山や
大津絵やあの有名無名問わずですね物
の見方の自由さということが
お柳の美の基準の一番の
根幹にあったんじゃないですかね
そしてもう一つあの忘れてならないのは
まず人作りというところかもしれませんね
柳は非常にこうあのま反骨精神がオスなので
攻撃的なことも多分
色々書いたり行ったりするわけです
けども多分柳さん自身は
きちんとそれに対して
ポロウもされていたと思うんですよね
続き繁雄さんのお話
なんかもうものすごくお叱られて
吉田山の丘に登ってばか野郎っていうだけでも
ちょっと後に心のこもった手紙を貰うと
君はどうしてるかとっていうね
すっかりこうそのばか野郎
を忘れて頑張ろうになるっていう
すごくそういう温かい
その手紙の力っていうんですかね
言葉で人を動かす力っていうのが
ものすごく筆まめだって言ってましたね
その作るのにこれだけはがきがいつもあって
何かあればすぐにだから
例えばとはがきも二枚三枚
一瞬所得だそうです
柳が力を入れた創作の一つ
それはひとづくりでした
柳に進路を相談したことで
工芸の道を歩むことになった
人がいます
三年前現在作家としては
宗像思考以来となる
民芸館での作品展を開かれました
おはい染色家の柚木さ三朗さん型染めをはじめ
絵本デザインなどその表現は多岐に渡ります
はい二十代半ばから十五年間
民芸館の展示を手伝う中で
柳の生の言葉を受け止めました
ずぶ一緒にお茶飲んで休んだもう三人
朝は誰もこれ
もうカーテン閉めちゃってやらない
先生はいいよってなかなか言わない人です
うん僕にはやらないけど
例えばこれは漢字があるね
っていういうのは褒めてんだよ
それで作った人のね
本行が出てるっていうこう
年間いっぱい作ったような
それが個人が出てこないじゃん
個人ってかそんな人なの気持ちが
どういうふうな生き方をしているか
というのをやんないそう
実際にそれを見てそれを感じてほしい
本当は触ってほしいんだけどそういう訳
じゃないけど
だからそういう風な物に対する接着執着廃嫡
そういう愛っていう
ものがないところもあるんだよ
人がいいからいいっていうんじゃなくて
本当に自分もいいと思うよ
問題なく情熱だねそれはないと困るんだよ
それを自分でこのつかんで発散する
自分で使うそれがないと面白くないね
世の中だからどんな悪い環境の中でも
自分はこれが美しいなと思う気持ちね
それ大事だと思う
愛情だよええ
民芸が生まれてから百年作り
手たちは柳の言葉をどのように受け止め
ものづくりに向き合っているのか
うんうん民芸館の中で
この湾に一番心引かれる
という人がいます
はいうん背の高い木々に包まれるようにして
立つ一件の工房をうんうん
うんうんうん本当にええこの工房では
輪島塗の器が作られています
赤木明十三二十六歳の時輪島に移り住み
輪島塗の職人になりました
ああはいなるほどね
はい赤木さんはものを作り出す
日にちの中で柳の言葉に時に戸惑い
また光を見出しても来ました
僕らは物を作る時に
形を選ばなきゃいけない訳じゃないですか
お椀っていうのは
左右対称の一本の線でできてるんですけど
同じ飯ワンを作るにしても
ちょっとその先を動かすだけで
ワンの印象というのは
どんどんどんどん変わっていくわけですよね
で無限に選外選択できるん
ですけれどその先の中から
最終的に一本の線を選び取らないと
形っていうのはできてこないです
もう本当に自分の好み
としか言いようがないんですけれど
それをずっと繰り返していくと
ものの形とか色とか千とかの底の方にあっ
みんながここだね
っていう場所があるんですよ
あるような気がする
って言った方がいいかもしれないですけど
でもやっぱりあるんですね
そこを僕はま体験をしてるし
目指したいとで柳が直感と言った場合
それが何か僕はまだよく分からないですけれど
でもおそらくこれいいなっていうのは
そういう場所じゃないかなというふう
に思ってます
高校生の時祖父母に連れられて初めて
民芸館に足を踏み入れた津波隆起さん
今では岡山県民芸協会の副会長を務めるほど
民芸にはまっています
倉敷市にある須波さんの工房を訪ねてみると
そっかもう骨董市に行ったり
知り合いから譲っていただいたり色々なんですけど
あのミトンみたいになっている藁の手袋とかを
形はすごい好きですよ
こんな仕事到底できないなっていうものが多いです
けどただどうしてもその憧れはあるので
僕もじゃあ芋も作れないかなとか思ってうん
うんこれはうんうん
須波さんは幼い頃から
祖母がイグサのかごを編むのを見て
育ちました
民芸館を訪ねてまもなく
その後次かご網によるものづくりの道へ
ええ以来十年日にち
こつこつと手を動かし
続けてきましたございます
柳さんはあなたたちはこれでいいんだとか
あの本題人は
美しいものが本来は作れるんだだとか
なんか人々とか人間とかそれを今に至る
僕らにしてもなんですけど
なんか人間の存在を肯定してくれてるような
ところがあって
そこが僕は凄い好きですかね
僕の場合は
あくまで憧れは何美しいかっていう
物差しを置いている場所が民芸館だな
っていうのが
自分の中では思うところですかね
僕もそんなに鍛えられているわけではないので
ちょっと気のてらったことをしよう
とすることもあるんですけど
そういうのをみ外科に行った時にうん
あの久しぶりにあう好きなものとかを見て
あまやっぱ違うなとかって思って
家に帰って
またもくもくと仕事し出すみたいな
あのこうやってねこう
若いま世代の現代の作り手たち
それがその作品を作る時に
赤木さんもおっしゃってましたけど
僕は直感で見る
っていうのはほとんど不可能じゃないかと思って
あの結局柳が見るっていうのは
なるべくこう余計なその
先入観とかこう
夾雑物なしにこう
直接対象を見てことだとは思うんですけども
それができるためには
その眼差しっていうものを予めこう
作っておかなきゃ鍛えておかなければ
うんまっすぐ見るってことは
時間を見るってことはできないんじゃないか
って思うんですけど直感っていう時に
あの我々こう何もなく
ゼロの状態で見てるかって言うと
全くそうではなくて
たくさん見てきた者の記憶の層とその今
目の前にあるものを結び付けている
ですからその三焦点としてのまあ
まあモデルルームっていうんですかね
まあその味の標準の伝道っていうの
を柳は作り上げよ
うとしたのではないかと
だからその必ずしも
柳が見ようとしたように見るわけではなく
てあのそれぞれの自分のあの暮らしや
生活や経験の中から
汲み出して行けっていうメッセジなのかな
という風に受け取りました
柳さんも直感とは言いますけども
初債務と膨大なそして気がありましてね
直感ではいますけども
必ずその後には熟慮する
っていう声がある訳ですよね
で熟慮してしっかり考えて
それを言葉に説き起こして
でもそれはあとはそれを忘れるという
捨て去るというところが柳さんの極意
なんだそうですけどもね
自分が本当に何が好きなのかを
自分の目で見るっていうことに徹すれば
多種ながらも直感の醍醐味というか
その一端にも
触れることができるのではないかな
とは思うんですけどね
最後にお二人のナンバワン民芸品を
ここでご紹介いただこうと思います
はいこれ千九百四十年頃に作られた
山形のバラぐつ
あの全部藁で作られてるんですけど
足の形の機能に合わせて
動きに合わせて作られた造形である
にもかかわらず
その衣装がすごくアクセントになっ
ていってかっこいいの格ですね
かっこいいですね
私は朝鮮時代の白磁の大坪間口の壷では
最大級ですかね
五十センチぐらいいる奥さんも同じですよね
優美ない柔らかなその曲線
それからこの白磁の地肌の供物
風合いでしょうかね
やっぱ美の価値から言いますと
もう王様かなと私は
思うんですよねうんありがとうございます
はい人間は美しいものを愛し
それに見えることによって
自他のベッドを超えることができまして
共通の幸福に来ることができるので
ありまして人生における
美術館の背泳の世界の人達が
美を媒介として互いに理解し合いラム

柳宗悦をAmazonで探す