日曜美術館「 ワイエス の描きたかったアメリカ」

2017.09.10.日曜美術館「ワイエスの描きたかったアメリカ」

今年生誕百年を迎え、注目を集めるアメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス。力強く生きる移民の姿を描き続けた。今ワイエスの絵が問いかけるものとは。

建国以来およそ240年、世界中から多くの移民が渡ってきて活力を生み出してきた国、アメリカ。そうした移民の姿を描いたある画家に今注目が集まっている。アンドリュー・ワイエス。今年生誕100年を迎え、記念切手が発売され、記念展覧会では多くの人を集めている。かつて彼は「アメリカ人にアメリカとは何かを示したかった」と語った。言葉の裏に込められた意味とは?作品から読み解く。

【ゲスト】岐阜県現代陶芸美術館館長…高橋秀治,バイオリニスト…五嶋龍,【司会】井浦新,高橋美鈴

放送:2017年9月10日

日曜美術館「ワイエスの描きたかったアメリカ」

アメリカ合衆国建国以来

およそ二百四十年

世界中から多くの移民が渡ってきて活力を生み出してきた国です

しかし今政権が変わりその移民を制限しようとし

ています

そんな中多くの移民の姿を描いたある画家に注目が集まっています

その画家とは

アンドリューワイエスアメリカの市井の人々の姿を写実的に描き

アメリカの国民的画家と言われました

今年生誕百年を迎え今その作品が再評価されています

生誕

百年の記念切手が発売されそれを求めて行列ができる

ほどです

さらにアメリカでは二か所で同時に記念の展覧会が開かれています

美術館

には通常の倍近い人が詰めかけています

ワイエスの代表作がこのえー広い草原に横たわり

前を向く一人の女性の姿です

実はモデルになったこの女性の父親も移民でした

ワイエスは開拓者精神を持って力強く生きた

アメリカの人々の姿を描き続けました

ワイエスの語った言葉です

アメリカ人アメリカとは何かを示したか

その言葉に込められた意味とは何だった

いわゆるその作品からそのメッセージを読み説いていきます

アメリカ

東部のペンシルベニア州チャッツワースフォ

建国以前から

主にヨーロッパ系の人たちが移住して作り上げてきた町です

そんな町で千九百十七年

ワイエスは移民の血を引く家系に生まれました

五人兄弟の末っ子として可愛がられて育ちます

父親は著名な画家で当時人気を得ていた冒険小説

宝島などに挿絵を書いていました

ワイの絵の才能にいち早く気づき

自分と同じ挿絵画家に育てようと十五歳から画の手ほどきをします

千九百三十七年に書かれた二十歳の時の作品です

伸びやかで色鮮やかな水彩画

働く漁師の姿が生き生きと描き出されています

まいエスは父親のもとで優れた描写力を開花させていきました

その教えは厳しく

ときに同じモチーフを数百枚書かされたこともありました

しかし父親から絵を学べば学ぶほど

マイエスは違和感を感じ始めます

大衆受けする上を目指せという父親と物事を

自分の感性で描いていきたいワイエスワイエスの心は揺れました

そんな中悲劇が起きます

千九百四十五年ワイエス二十八歳の時

父親が踏切事故で命を落とすのです

その主語最初に書かれた作品です

自宅近くの丘から降りてきた少年を見たワイエス

その少年の姿に父親を亡くし傷ついた自分の心情を重ねました

昔この映画マイエスにとって

父親の画風から独立する天気となりました

ワイエスと親交のあった美術館の元艦長クリスクロスマンさんです

父親の死後の作品を見るとそれまでのものと決定的に違っています

色々な意味で緊張感が高まり感情が現れているのです

ワイエスの良き理解者だった孫のビクトリアさんは

その時のことをマイナスからこう聞かされていました

はい祖父が話してくれたのは父親が亡くなって

私の人生は変わったものがはっきり見えるようになり

世の中の苦悩を見ることができたということです

その後は自分の書きたいものを書くようになりました

その滞在は幼少期の出会いにありましたのは少年時代

病弱で打ち切り注意の子供に馴染めず

殆ど学校に行くことができませんでした

数字を語る晩年のワインの貴重なインタビューが残っています

マイネスはその頃から散歩で出会った近所の住民たちと仲良くなり

その人たちを描くようになったのです

ドイツからアメリカに渡ってきた移民かな負債の肖像です

祖国を捨て慣れない土地で農場を切り開いてきた人

アメリカという新天地で音を破ろうとする姿には

移民としての開拓魂を感じたのです

バイアスの主題は

アメリカの地で慎ましくもたくましく生きる人々の姿だったのです

さらに学校という社会に馴染めなかったにとって

共感を覚える題材がありました

それがアフリカ系移民の姿

自宅近くにあったリトルアフリカと呼ばれた黒人の居住地です

日本人白人社会から切り離され

白人が足を踏み入れることのなかったこの集落へ

マウスは頻繁に出入りします

アメリカ社会を移民として底辺で支えてきた彼らの姿にも

ワイエスの描きたかったアメリカがあったのですが

アダムジョンソンという男性を書いた作品

彼はリトルアフリカに住む白人から草刈りなどの雑役を請け負って

日にちの生計を立てていましたダビデた服を着て複雑な表情を

浮かべるアダム

厳しい現実を受け入れながら生きる姿をまいエスは描いています

いやワイエスは

家族や友人が付き合わなかった人たちに近づいていきました

特にアフリカ系アメリカ人の家族です

長い間白人から隔離された地域で貧しい暮らしをしていた人たちで

奴隷として連れてこられた人々の子孫もいました

ワイエスは環境が違っても

どこか自分と似ている人たちに興味があったようです

アダムを描いた当時黒人への差別に抗議する公民権運動が激化し

人種間の対立はぴくに達していました

アメリカ人にアメリカとは何かを示したかったの思い

様々な移民が作り上げたアメリカでは

人は皆平等ではないかということだったといいます

むかついワイエスはアメリカを人種の混合たいと考えていました

彼らを同じ一人の人間として尊重し作品を題材にしたが

彼は白人がアーティストではないが最初だと思います

で育った環境が弱いのに本当に大きく影響していたんですね

えー今日はあのースタジオに人のゲストをお招きしています

日本の場合研究の第一人者でいらっしゃいます

生前のワイエスと直接の信仰もあったという高橋知事さんです

よろしくお願いします

もう一世界的に活躍されバイオリニストの後藤龍さんです

アメリカで生まれ育って今回あのこの番組

のために改めてもアメリカで見てきてくださったということで

今日はよろしくお願いします

にとってその父親の存在

というものがとても大きかったと思うんですけども

そこはどのように感じられてますか

そうですね興味ひくようなものから書かせたということから

あとはものの本質を見るためにあのよく観察しなさいということで

非常にこう観察することを強調して教えた

ということですものの本質を見る観察するっていうことも

影響はとても大きかったですかそうですね

バイアス自体が後ろに非常にこう

テクニックのあるま再現描写させれば非常にこう甘いということは

そのときに培われたものだと思います

やはりこうそれはあのーお父さんをこう尊敬してるからこそ

あのー難しかったんじゃないかなと僕は思うんですね

ですからま自分別にこう自由でいいんだよ

って言われてるんですけれども

やはりこうこんなに著名でこうね

素晴らしいお父さんがいるとやっぱりこれが正しいんではないか

と思うわけですよね

でまあ結局その彼のお父さんの死によってまこう解放される訳です

けれどもまあ

僕の場合でちょっとこうやっぱりこう

周りにもうプロのバイオリニストがいましたからね

でならなくてもいいんだよともちろん言われてるんですけれども

いやこうならなきゃいけないん

だろうなという風に自分に言い聞かせる訳ですよね

ででもそれが不自然で

なんかちょっと違うなっていうところで迷ったことありました

けれども結局はま自由になりましたね

慎ましく生きる

その移民の人たちへのあのアイスの眼差しっていうのは

この優しさっていう言葉では正直表せられない

何か強い衝動みたいなものを感じるんですけども

お父さんはその愛が描いたそのあのさまざまな人物をご覧になって

どのように感じられますそうですねまぁあのーまこの

表情とかを見たり

後ね服装や後あの見るとやはりこう苦労が見えるんですよね

ま彼の作品の中でも満面の笑みっていう感じで

なかなか出ないですないですけれども

アメリカっていうこう

ある意味住みにくい後土地でこう希望と絶望にこう

毎日日にちこう真面目に向き合っている人たちの

その姿勢に惹かれたんだと思うんですよね

ですからこの文献とかでは勿論

そのねアメリカ人がアメリカをあのこう示したかったって

書いてますけれども

言葉よりもやはりこう表情と走行見せることによって

なんとなしに感じるんですよね

彼のその厳しさっていうかその頑張ってる姿

っていうのをすごく共感でできるお話だなと思いました

基本的な考え方として

日にちのこう慎ましやかな生活を大切にするとか

労働の重要さっていうか

勤勉だとか自由俳句はいとかっていうような

そういったこう根っこがある中で

えー身の回りにいるっていうかま

父親とかはあんまりその

そういうアフリカ系の人たちと交わることをあんまり良くは思っ

てなかった可能性はあるんですけれど

でも本人の中では家族の中で一人ほっておかれた感がある中で

子供の頃からそういう所へ出入りして

受け入れ側も

その偏見なしに来る子どもをこう受け入れてくれる

っていうのが多分あったと思うんですねでそこにある人たちとの

共通性っていうのは本当に日にちをこう大切に生きてるっていうか

まぁ実は本当に苦労しながら

厳しい労働に耐えながら生きているわけですけれども

そういったものっていうのは

もともとアメリカがアメリカとして成り立つ

一番最初のところに立ち返った時には

当たり前のことって言えるんではない

かなと思いますね

単純にアメリカのためとかアメリカを表現とかっていう

まぁそう言う言葉は残してはいても

それが目的というよりは日にち接する人たちとのこう

あのー人間的な付き合いそれが表現に繋がっているんだと思います

結果的にこうアメリカを示してるって感じですよね

はいま逆でまこのねこう後でこうね

説明するともちろんこれはアメリカを書きたかったんだな

って思えるかもしれないですけどね

まプロセスとしては逆なんですよね

それがあーこれは今アメリカを示しているんだなとふと気付く

ような感じですよね

本当にあの自分がよく知ってる人でないと書いてない

っていう感じですね

よほど例外的なことはもちろんあるんですが

特に長く書き続けるモデルになった人たちっていうのは

えー本当に相手のこう

人間性を知った上でっていう部分が非常にあるんですね

それが結果的にあのアメリカ

の歴史を振り返ると

そこにまさに位置づく市井の人っていうそういう感じがしますね

さあ続いてもまあ

この塩もそういう意味ではとても興味深いのではないでしょうか

えー続いては

イエスの代表作

最高傑作と言われるクリスティナの世界を見ていきます

現代美術の殿堂ニュヨク近代美術館

ここに二十世紀

アメリカ美術の最高傑作と称されるマイルスの作品があります

千九百四十八年に描かれたクリスティナの世界です

広い草原に横たわり丘の上の家を見上げる女性の後ろ姿

草の一本一本まで細かく描かれています

実は足が不自由なクリスティナという女性が地面を手で掴み

体を引きずりながら家に帰る姿です

バイアスはこの絵にどんな思いを込めたのでしょうか

クリスティナの世界が描かれたメイン州クッシング

海を見下ろす丘の上に

絵のモデルになったクリスティナオルソンが住んだ家がありました

二百年程前アメリカ建国後間もない頃に建てられた

オルソンハウスと呼ばれる家です

墓所はここを訪れる外国の船乗りなどを止める宿として

賑わっていましたが描いたクリスティナの肖像です

クリスティナの父親も

船乗りとしてアメリカにやってきたスウェーデンからの移民でした

知り合った頃

クリスティナは弟のアルバロと二人で暮らしていました

ここでワイエスはクリスティナからそのころ

使っていなかった宿屋時代の部屋をアトリエとして借り受けます

になってね

この部屋であの

クリスティナの世界が生まれるのです

ある時はある光景を目にします

それは外で用事を済ませクリスティナが家に帰ろうとする姿でした

歩くことができない彼女は手で草原を破って進んでいたのですが

その姿には衝撃を受けました

それは不自由な体で

力強く生きてきた彼女の人生を表していたからです

バイオスはすぐさま鉛筆を走らせます

その衝撃を物語る証が日本にあります

東京の都心から車でおよそ一時間の埼玉県朝霞市です

丸沼芸術の森千九百八十五年

若手の芸術家に創作の場を提供するために作られました

ここに愛が絵を描くための下へ

いわゆる周作が数多く所蔵されています

糧の芸術家がの絵を見て学ぶためです

それがクリスティナの世界の周作です

クリスティナの世界で

ワイエスは何枚も周作を書いたことが知られています

ここにあるだけでもその数十二点

特にワイエスがこだわったのが

クリスティナの体を支える手の描写です

手の部分を何度も繰り返し変えています

いつも血を張っていたクリスティナの体の節々は

固くこわばっています

ですがこれほどクリスティナの手の描写をたくさんした

ということはクリシェなんてにものすごく関心を持ったこと

彼女をとにかくありがまま描くことがクリスティナに対する尊敬

だとそこに行くと思うんですね

実際に完成した絵では

クリスティナの手は力強く大きく描かれています

にとってこの手は障害がありながらも

この家に根付いて

自分の力で生きようとするクリスティナの象徴でした

彼の作品のテーマはとても普遍的です

人間の境遇について書いているのです

人生で困難な状況に置かれた人々がそれをどう生き抜くのか

どう乗り越えていくのか

ワイエスはそこが描きたかったのだと思います

クリスティナの世界の事

リュウさんは入力の美術館で実際にご覧になった

はいまあもちろん最初は地味だなと思ったんですけれども

地味でその数秒後にものすごい力強いだな

っていう風に思ったんですよね

もう本当印象がガラッと後一秒の枝に変わったんですけれど

やっぱり彼の

芸術のこう素晴らしさっていうのは

一つはやはりこう

見る人によって多分違うメッセージが出てくると思うんですよね

ここで希望っていうのも感じますけれども

力強さっていうのも感じますけれども

すごい絶望っていうのも感じますよね

ですからこういろんなミックスなんですけれどもこれなんか

こうよくまたあのーこういう悪夢ってあるじゃないですか

こうずーっとたどり着けないですよね

なかなかこう目指すところにたどり着けない

でもこうはいでいく訳ですよね

クリスティナさんはここでですから

この非常にこうあのーまアメリカっていうと

あの海外のねこうま移民アメリカに移民して

くる人たちっていうイメージが

やっぱりアメリカンドリームをこう下りてきて

こう頑張れば後ねあの金持ちになったりこう成功したり後

裕福な生活を送れるみたいなこう

あのメッセージがねよくありますけれども

イメージがありますけれども

やっぱり非常にこうあのこう現実をその現実アメリカでの

生活の現実っていうのをやっぱりこう

あの薔薇色にせずに

そのまんまこう冷たく見せてるなって僕は思ったんですね

ちょっとワイエスにとっては

そのクリスティナさんをこうまこの状況を見て

すごく声のこうま敬意とあとやっぱりあのま画家ですから

やっぱりその姿生きる姿を見て

やっぱりどこか美しいっていう美しさを感じたと

なんか想像するんですけども

その美しさを一つに集約してる場所がこのまさに

この手だと思うんですけども

その美しさを集約した周作があの様々描かれていますよね

あれあのー周作をご覧になって

高橋さんはなんか何を感じ取られますか

やはりここで表現できるものって

あのー人物画時って普通はこう顔をかけてその人の表情

どっかで表わすとかっていうことはあるんですけども

ワイエスの絵でま特にこの作品なんか後ろ姿で

実際は最初のインスピレーションがあの家の方から

その家に戻ってくる彼女を見つけてそこで

こうえー心動かされてるわけですが

決して正面から書くんじゃなくて

その背後に会って書いているっていうことの中で

こう手に何をこう言わせるかっていうか

それこそ語じゃなくて

どう見せるかというところが非常に重要なポイントって

よく分かってたんだと思うんですねだ

からこそ何度も書いて

えー周作がたくさん残されているということだと思います

何回も何回も念みたいなものうん

すごくからお話としては

そのポーズについては帰ってから奥さんにいろいろ実はこう

ポーズリングもしてもらったような話が残ってはいるんですね

あのーつまり実際に

一瞬見たのは一瞬の状況だけでそれをどう表現するか

あの周作を書く時にえー全く全部自分のこう

頭の中だけで勿論そのか書ける技量がある訳ですが

よりそれを確認する意味で

べっち夫人にポジングを知ってもらったという話が残ってはいます

ですからこのまま写実的なんですけれども

あのそのままコピしてる訳ではないんですよね

その現実ですから

どういう風にそれをこうあの他にもリアルな感じでこう

現実的に見せ見せかけるかっていうことで

やっぱりそのすごくこうドラマがありますよね

それでですからこの他のま

あのー書かれたえーのやっぱり人物っていうのもやはりこうあのー

どういうこう表情を捉えたかったのかですね

観察してそれをどういう風にこう

どういう光でこうやっぱりを照らして

どういうこう部分を強調するのかっていうことはやっぱりあのー

すごく考えられたのかもしれないですよね

でもそれが違和感がないところっていうのが

やっぱり非常にやっぱりあの彼の技術ですよね

はいそのワイエスにとってクリスティナっていう存在そのものは

一体どういったテーマだったと高橋さんは感じになりますか

まさにこのメインっていうのは

ニューイングランドの一番の北の端ですけれども

彼女のお父さんもい瓶であって

アメリカをこう作ってきたあの礎になった人々

名前は残らないとということですけれども

本当に日にちをつましく生きているで

そこにはその歴史と本人のこう人間の尊厳というか

そういうもの

それからあの障害に対しても立ち向かっていく意思の強さだとか

そういったこう服装的なものをの対象というか

そういう講演によってはあくまでえただのモデル三ではなくて

ですねそれのま代表とも言えるのではないかな

つまりそれがアメリカを描くという部分に

つながるんではないかなと思います

アメリカとは何かを描こうとした場合です

その後新たな表現に挑戦します

これはさらされた場所という作品の周作です

クリスティナと弟のアルバロが暮らしていたオルソンハウス

ここには建物があるだけで人物は書かれていません

まハウスは人物を描かずに人の生活の気配を描こうと試みたのです

ワイエスの息子画家の川合さんです

作品を生み出すため葛藤する父親の姿を覚えています

実際父は激しい画家でした

絵の具や物を投げるんです水だってうち負けました

何とかして動きのないものを

生き生きとした刺激的なものに変えたかったのです

単に建物を見せるための絵ではなかったのです

建物自体が人になり人が建物になるのです

一階の窓この奥に

ワイエスは物思いにふけるクリスティナの姿を

よく見かけていました

彼女の存在を感じながら書いていたのです

私は三回も割れた窓ガラスには

カーテンが丸めて突っ込まれています

年老いて窓の修理もできなくなった

アルバロの切なさを絵に込めました

かつては船乗り達が泊まる宿として栄えたオルソンハウス

その栄枯盛衰までマイエスは描こうとしたのです

ワイエスが興味を持っていたのは

人間がその土地や建物とどう結びついている

そこに自分自身の生きた証をどう残すかを書くことだったのですが

そこにはアメリカという国が

過去二百年に渡って発展してきた歴史を思い起こさせる何かがあり

それがワイエスの興味をを引いたのでしょう

人の気配が感じられる建物を書くことでこの家がたどってきた

長い歴史と営みを表現する

ワイエスの描きたかったアメリカの姿でした

人間が土地や建物とどう結びついていくかで

生きた人たちのその証をどうそこに表すのかっていうのは

こう手法としてはとても面白い表現だと

思うんですけども

高さんこれはどのような思いがあったと思われます

の共通するっていうかよくあるパターンというか手法なんですが

そこに人がいた気配だけを書くとかあのー

あるいはま劇も書いても

その人自体がこっちを見てなくて他を見てたりとか

顔が見えないとか

っていうことによって

よりそのこう伝えたい描きたい本質をこう

見る人にこうより強調するっていうか

描かないことで意識させる

っていう部分があるのでま不在っていうことになるんですが

その手法っていうのは

彼の作品にいくつかに特に見られると思います

書かないことの方が力が

あるとか創造旅行を掻き立てるそうですね

人っていうのは見えるものっていうのはそれ以上

そこで思考が止まってしまうってことはたぶんあると思います

ま全てがそうではないにしても

だから言いたいことだけを書きました

はい見えましたっていうそこで終わるんじゃなくて

本当の言いたいことはその向こうにあるんだよ

っていうようなそんな感じだろうと思うんですね

まえーっと音楽を比べると

またちょっと違うのかもしれないんですけれども

でもその音楽も考えてみると

もう見えないものを描くという意味では

もう究極のところかなと思うんですけどね

ま色んなテクニックとかがありますけれどねそれは

ま音楽で例えますと

やっぱりこうあの音量だったりこう

あの言いたいことの半分だけを言うとか

やっぱりこう

表現したいことのこうものをこう控えめにすることによって

あのーま聞いてる側の人がやっぱりこう

もっと求めて求めて

そこをこう延長線上のものを全てこう可能性をやっぱり

想像させるっていうことも可能ですよね

あのーま不在のあのえーみたいなことをおっしゃってました

けれども音のないこの音音

音楽の中でこう音が並んでるわけですけれども

音のない部分の方が意味がある時がある訳ですよね

やはりこうあの音楽っていうのもこうそのまま伝え伝える

のではなくて

やっぱりこう聞いてもらい聞いていただいて

そっからまたその世界が広がるようにすることが

やっぱり目的ですから

やっぱりただその事実だけをそのまま伝えるわけではなくて

それ以上のものをこう感じて頂きたいですよね

あティストの役割っていうのは

あのみんなこう

あーティストとして観客徴収っていう

こういう風に分けてますけれども

やはりその聞いてる人たち

見て見てる人たちのクリエイティビティを誘うことが

大事だと思うんですよね

ですからこれはあの自分のあとっていうか

自分の囁き音楽へっていうの

はあくまでもあのーこうきっかけなわけですよね

それを使ってであのー見てる人

聞いてる人のやっぱりこうクリエイティビティ

その跡を生み出すようにすることがやっぱりこう

あのあとの究極のあとなんじゃないかなと思ったんじゃないかなと

僕は思ってますがこの今の時代で再

評価されてますよね

お父さんはどのように感じてらっしゃいますか

まさに今の時代だからこそ

あのーこうインパクトがあるのかもしれないですね

彼の絵っていうのは

僕が思うには非常にこう

スピリチュアルな部分があると思うんですね

あのー色んな意味でこう自分の周りの世界が

わからなくなってきて

混乱してきた人たちが答えを求めるんだと思うんですよね

で彼の絵っていうのは

やっぱりその答えはこれだ

よっていうのは言ってくれないんですけれど

見た瞬間に何か答えを得たいような気がするわけですよね

でそこで木がこう安らぐっていうか

納得する訳ですよね

何か一瞬彼の絵を見るとこう周りの世界

自分の知ってる世界がこう分かりやすくなるんですよね

あこうこういうものなんだなと人間っていうのはこうであるべき

こういうのが

やっぱり人間のやっぱり真実なんだな

っていうのを何となく感じるんだと思うん

ですよね

もう一つはやっぱり今の時代っていうのは非常にこう

ナショナルアイデンティティっていうか

アメリカ人にとってアメリカって何だろう

っていうのが非常に揺れてる時代だろうと思うんですね

つまりこうもともとアメリカっていうのは

移民がどんどん増えていってアメリカを形成しているのにそれが

どんどん時代が変わってくると

こう次の移民に対しての排斥をするような

今のこう時代になってきてるって

だから本来アメリカが持っているこう

寛容さとかっていうのがどうしちゃったんだろうみたいなところ

そういったところ

がですねこうの絵を見るときにもともとアメリカってこう

だったんだよねという

そういうこう

ナショナルアイデンティティを思い出させるような部分があるんだ

と思うんですね

一人一人の生き方をこう尊敬するという意味では

ものすごくそれ普遍性のあるんですよね

メッセージがあると思うんですけれども

それはその今おっしゃったようにこうふ

普遍性というか人としてどうなのかっていう人のあり方

それをこうワイはアメリカを書くために書いてるんじゃなくて

自分とこう共感持てる周りの人たちを書くことっていうのが

結果的には非常に普遍性を獲得しているからこそ

我々日本人が見たときにもその人の生きざまだ

とか人の尊厳だとかつましく生きてる人たちのこう

重要性だとかとかそういったものを何かしら感じるからこそ

これだけ日本でも大勢の方が支持されているんだろう

と思うんですね

そこは僕もなんか感じますねお父さん

例えばその若者たちに作品世界がこうどのように

これからこう広がって受け継がれなくて行くと

求められると思います

やはりこう今のこうま僕の世代でも自分もそうですけれども

すべてをあのものすごいハイスピードで判断する

こうあの癖が付いてるんで僕だってこう

例えばこう服選びでも絵を見るときでも

大体未病で決め決め付けますからね

でもそれに飽きる時ってあるんですよねもっとこうあの

一瞬だけでこうあの分かるものではなくて

もっとこう囚われて

あれもっとここに裏に何かあるんじゃないかっていうのを

やっぱりこう考えさせられるものっていうのは

やっぱりもっと深いものを意味のあるものっていうのに

やっぱり惹かれてくると思うんですねやっぱりその彼のパワー

っていうのはそこでこう一瞬こう戸惑わせるところもありますよね

それって必要なのかもしれないです

我々の今の世界で

そして今の世代

そして今後の世代のあの後

ハイペースな感覚の中で本当にありがとうございました

ありがとうございました

クリスティナの世界を

一枚エスが多くの作品を書いたオルソンハウス

そこに広がる草原の片隅にワイの墓はあります

マイエスは九十一年の生涯にわたって

アメリカを書くことにこだわりました

その集大成とも言えるのがワイエス

七十二歳の時の作品住んお昼です

はい輪になって踊るのは

ワインがこれまで作品に描いてきた人たちです

ドイツからの移民で農場を切り開いたか

ナフサ

奥にいるのは

アフリカ系移民アダマです

父親が亡くなった時に書いた

自分の分身のような少年の姿もあります

同じ移民同士が手に手を取り合って

このアメリカの大地で共に生きていく

そんな思いをワイはこの絵に込めたのかもしれません

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aerith
ガジェット愛好家です。世の中にあふれるモノゴトはすべてヒトが作り出したもの。新しいモノの背景にある人の営みを探るのが大好きです。発見した情報はまとめて発信しています。