テーマはヌード!イギリスの国立美術館・テートの所蔵作品が登場。初来日となるロダンのなまめかしい石像から、風景画家ターナーが生涯、隠し続けた作品まで続々、 禁断のコレクション 見参。
横浜美術館で開かれている、ヌードをテーマとした展覧会。美の象徴として、愛の表現として、内面を映し出す鏡として、芸術家たちが挑み、形とした作品がずらり。ゲストの作家・島田雅彦らが、存分にヌードを語る。19世紀末に、そのなまめかしさを激しく批判され、描き直したミレイの「ナイト・エラント」、そして若き日の留学中にその実物を見て衝撃を受けた日本画の大家・下村観山が模写した作品も登場する。
【ゲスト】作家・法政大学教授…島田雅彦,横浜美術館 学芸員…長谷川珠緒,【出演】洋画家…小尾修,ダンサ-…大植真太郎,俳優・ダンサー…森山未來,ダンサー…平原慎太郎,【司会】小野正嗣,高橋美鈴
初回放送日: 2018年4月22日
日曜美術館「ヌードがまとうもの~英国 禁断のコレクション~」
ライフワークとなった「地獄の門」
それまでの装飾的な彫刻に、生命力や感情までも注ぎ込む。
近代彫刻の父と称されます。
そのロダンが大理石を使い、等身大を超えるサイズで制作した「接吻」。
ダンテの神曲に登場する女性、フランチェスカと、その義理の弟パウロとの禁断の恋がモチーフです。
しかし、この作品。単に物語の世界に留まるだけではなかったのです。
ロダン自身が身を焦がした、現実の恋愛体験から生まれでたものとも言われています。
そこには天才彫刻家を愛した一人の女性の存在がありました。
カミーユ・クローデル。ロダンより24歳年下でした。
彫刻家を目指しロダンに弟子入りした才色兼備のカミーユ。
カミーユは結婚を熱望しましたが、ロダンには長年連れ添った別の女性がいました。
ロダンはそれでもなかなかカミーユとの関係を断つことができませんでした。
そのせいでしょうか。抱きしめる手に心の迷いが見て取れます。
めくるめく陶酔の中にあっても、重なり合わない男と女。
この作品が公開された時、刺戟が強すぎるという理由から作で囲われ、さらにはシートで覆われてしまいました。
実は大正13年、ブロンズで作られた「接吻」が日本にやってきたこともありました。
ボルチモア美術館にて – 気ままに
このときも警察からの撤去命令がくだされる事態となります。
それからおよそ一世紀。
スキャンダルにまみれた作品を今間近で鑑賞することができるのです。
ギリシァの極上の大理石から生み出された、男と女の姿。
石の輝きはいだきあう二人のうっすら汗ばんだ肌の艶めきを思わせます。
そして口元・・・まるで溶け合っているかのようです。
重量3トンを超える石像。胸からつま先。
360度どこから見ても優雅で官能的です。
ロダン作「接吻」。男と女の激しくも儚い愛を石に閉じ込め、永遠のものにしたのです。
今回の展示作品を収蔵するイギリス・テートは4つの美術館からなります。
その一つテート・ブリテン*1。
16世紀以降の絵画の名作が収められています。
圧巻はイギリスを代表する風景画家・ターナーのコレクション。
『Snow Storm – Steam-Boat off a Harbour’s Mouth』(Tate)
荒れ狂う海原を行く蒸気船。
激しく煙を上げながら嵐の海に立ち向かいます。
従来の風景画と異なり、自然の巨大なエネルギーまで捉えようとしています。
この絵はマストに体を縛り付けて描いたと伝えられています。
命がけの体験がリアルで迫力のある風景画を生み出したのです。
ターナーは
15歳でロイヤル・アカデミーの展覧会に出品するなど、早くからその才能を開花させました。
美術館には10代から晩年までのスケッチブックが残されています。
その数およそ300冊。
ターナーはヨーロッパ全土を旅し、スケッチによって絵の技量を高めていったのです。
その中に秘蔵の作品がありました。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ベッドに横たわるスイス人の裸の少女とその相手》「スイス人物」スケッチブックより 1802年 黒鉛、水彩/紙
スイスの旅の途中に描かれた男と女のベッドシーン。
売春宿を訪れたときに描きました。
床には脱ぎ捨てられた衣服が散乱したままになっています。
さらに不思議なスケッチがありました。
わずか10センチ四方のセピア色の画面。
カーテンのひかれたベッド、性行為中の裸の男女「色彩研究(1)」スケッチブックより
もつれあう体。
闇に溶け込むヌードです。
スケッチ全体が湿り気を帯びた物憂げな空気で満たされています。
カーテンのひかれたベッド、横たわる裸の女性を見る女性を含むふたりの人物「色彩研究(1)」スケッチブックより
隣のページにはさらに不確かな情景が描き残されていました。
ターナーの死後、エロティックなスケッチの中には処分されたものもありました。
イギリスの国民的画家の品格を損なうものだったからです。
今回の出展作品の中に、ターナーが描いた、男女がベッドにいるエロティックな素描があるんです。ターナーは風景画の巨匠として知られているので、「あの偉大なターナーがヌードを描いていたことを世に知られるのは恥ずかしい。イメージを壊す」という理由で、遺産管理をしていた美術評論家のジョン・ラスキンらは、ターナーの描いた裸婦像をかなり焼却してしまった。時代の美意識によって、その価値も大きく変わり、画家の威厳を損なうから燃やしてしまおうという人まで出てきてしまう。それが、近年研究が進んで、再び評価されています。自分の死後160年以上経ってから展覧会で公開され、縁もゆかりもない日本で多くの人に観られるとは、ターナーは思ってもいなかったでしょうね。この作品の運命なのでしょうか。
ヌードを語る【最終回】──風景画の巨匠、あのターナーが残したヌード作品|ブックス & ミュージック & アート(本・書評)|GQ JAPAN
テートの学芸員で、このヌード展の企画者でもあるエマ・チェンバースさんです。
「スケッチはターナーが自分自身のために描いたもので、人に見せることは全く考えていませんでした。いったい何が描かれているのかはっきり見えないところが帰って刺激的なことを想像させます。私たちがターナーに代わって部屋の中をのぞき見しているような、そんな感覚に陥るのです」
こちらも見るものの想像力を掻き立てる一枚です。
空っぽのベッドに残されるシーツはくしゃくしゃのまま。
ターナーが後世に残した思わぬ贈り物です。
ジョン・エヴァレット・ミレー作「ナイト・エランド」。
勇敢な騎士が囚われの女を救い出そうとしています。
どこにでも現れ、苦しむ人に手を差し伸べるという正義の騎士。
独特な眼差しの先には
なぜか全裸の女性。
それも美しく肉感的。
最初に描かれた時、この作品は倫理に反していると厳しく批判されました。
そのため、作者のミレーは思い切った行動に出ます。
女性の顔の周辺部分を切り取ったのです。
実は最初に描かれた絵では、女性は騎士をじっと見つめていました。
その女性の顔の向きを変えてしまったのです。
「19世紀のイギリスではヌードには厳格なルールがありました。ヌードたるもの視線は見る人を見返すということはありませんでした。慎ましく視線は地面を這わさなければならなかったのです。ですからミレーは女性の顔を描き換えざるを得なかったのです」
伏し目がちに顔を背ける女。
いっぽうで肉体ははちきれんばかり。
体に食い込む縄がその豊満さをさらに際立たせます。
どこかアンバランスな構図が醸し出すエロティシズム。
倫理に反するという批判を交わすための決断が、かえって作品の名を高めてしまったのです。
この絵に魅了された日本人画家がいました。
下村観山。明治時代横山大観とともに日本画壇で名を馳せました。
代表作の一つ「小倉山」。
華やかさと気品が香り立つ作品です。
観山は明治35年。30歳の時イギリスに国費留学します。
このときであったのがミレーの作品でした。
そのこころの奪われようを示す作品が残されています。
下村観山描く「ナイト・エランド」。
観山は毎日のように美術館に通いつめ、美女と心を通わせました。
濃厚な油絵で描かれたその裸体を我が物にしようと水彩絵の具で描いたのです。
油彩と水彩。二点の「ナイト・エランド」。
観山を研究する柏木智雄さんです。
「かなり衝撃的だったのではないかと想像されます。日本国内でこういう表現を目のあたりにすることはなかったでしょうから、貪欲にいろんなものを吸収したいと思っていたでしょうから、ヌード表現というものにも少なからず関心を持ったのかもしれません」
「女性のなめらかなはどの質感であるとか曲線であるとか、豊かな髪の毛であるとか、それに対して騎士の甲冑の硬質な感じ、樹皮の感じ。質感が違うものがいっぱい描きこまれているので非常に強い関心を持ったのだと推測します」
異国のヌードと真正面から向き合った観山は、その後日本に何を持ち帰ったのでしょうか。
「日本に持ち帰ったヌードをあからさまに描くということはないわけですけれど、仏教の主題である観音菩薩などの制作をするときに、着衣の下にある体を意識して描けているのだと思います」
観山が好んで描いた魚籃観音。
薄い衣の先に豊かなシルエットが浮かんできます。
百年前、東洋の画家が西洋で出会った衝撃的な官能の世界が今再び私達の目の前にあるのです。
ヌードはどのように描かれていくのでしょうか。
洋画家の小尾修さんです。
小尾さんの作品はリアリズム絵画の収蔵で知られるホキ美術館に飾られています。
眼の前にいるのではと見紛うほどのヌード。
油彩画の古典技法を駆使し迫真の裸体がを追求してきました。
まず、人間のボリュームを筆で大胆に捉え、作品の骨格を作っていきます。
体の起伏を表現するひとつのポイントが、光を浴びた体に浮かび上がるデリケートな陰影を掴んでいくことです。
白い絵の具を最も明るい部分に乗せていきます。
光と影を丹念に見つめることでリアルな裸体が生まれるのです。
「ほかの動物は毛が生えていますが、人間だけはなにもない皮膚。それを美しいと感じるのは人間だけだと思います。最高のものは目の前にある。僕はその秘密を探って記録していく。そんな感じなんだなと思います」
小尾さんがヌードの魅力に改めて気付かされた出来事がありました。
15年前、子どもが誕生した時の作品です。
「いざ生まれてみると僕が想像していた子どもと全く違う。すごく衝撃的で、これだったら絵に描けると思いました」
人間の体が持つ不思議さ。
そこに宿る小さな命。
様々な驚きが創作のきっかけとなりました。
一週間後、絵の具が乾くのを待って再び制作が始まりました。
「先週が得ニコッすくを与える作業だとすれば、今週はそこに息を吹き込むような作業とも言えるかと思うのです」
光と影で表した明暗だけの世界に赤い絵の具が乗せられていきます。
「見ながら少しずつ色を深めていきます」
指先や掌を使ってボカシを入れていきます。
さらに緑かがったブルーを重ねていきます。
「よく見ると静脈が流れている色が見えたりします」
ヌードが生命力を放ち始めます。
「三次元のものを二次元に移し替える作業が僕は面白い」
何百時間。ときには何ヶ月にもなる絵画の制作。
それでもヌードは魔性の面白さを秘めていると小尾さんは言います。
「たぶん言い訳が必要だった時代もあったのでしょう。でも神話や聖書の世界にかこつけて描いたヌードであっても、そのストーリー抜きにしてもすごいなと感じるものが多分あると思います。人間の裸はキレイだ。それを見て筆を動かさざるを得ないのが画家だと思います」
複雑で繊細なのにダイナミック。
興味の尽きることがない人間の身体です。
ヌード展が開かれている横浜美術館。
人間の体をテーマにしたパフォーマンスが行われました。
artexhibition.jp
世界で活躍するダンサーたちが自らの肉体でヌードと私たちが生きる現代との関わりを表現しようと挑戦したのです。
ヌードの世界もその姿を大きく変えてきました。
デイヴィツト・ホックニーが描く男たち。
毎夜だれともなく行きずりの関係を結んでいく男たち。
同性愛は違法とされていた1960年代。イギリスで描かれました。
ごつごつした骨格。体毛を顕にした男たち。
その表情は皆、満ち足りたように穏やかです。
静かな抵抗のヌードです。
ヌードは今人間の自由と尊厳という衣をまとい、新しい時代の絵画の潮流を歩み始めています。