新たな笑いを追求するテレビプロデューサーの 佐久間宣行 さん。これまで数々のお笑い芸人たちと話題のコンテンツを生み出してきた。「出会っちゃったらやるしかない」佐久間さんは次々とスターを発掘していく。「人の魅力を引き出す演出」はどうやって生まれたのか?そのルーツは地元・福島いわきにあった。かつて通った剣道場での挫折をきっかけにエンターテインメントの世界にのめり込んでいく。佐久間さんの制作の原点に迫る。
初回放送日:2024年9月23日
ここから「テレビプロデューサー 佐久間宣行 」
「今日は、ちょっと雨ですが、 綺麗に はいはい、日本今日はこれで失礼しますやべぇ、俺が俺は俺はすげぇ面白い。」
常に新たな笑いを追求するテレビプロデューサー佐久間宣行。数多くのお笑い芸人たちと話題のコンテンツを生み出してきました。
さくまさんと二十年来の付き合いだというおぎやはぎの二人。
「なんでしょうねなんかね、人のね、いい部分芸人のそういうのを生かすのは前感じがしますね得意なところじゃない部分っていうかねそういうところを引き出すのとかもうまいかなうーん、先人発掘もすごいし、僕らも発掘されたそう思ったからねそうなんだよ、十年くらい前のねなんで発掘したんだろう出会っちゃったらやるしかないというか まあその人が見つかったら、その人が売れている世界を見たいたまたま選んでいただいた。」
出演者の魅力を引き出す演出そのルーツは佐久間さんが生まれた福島にありました。
「もしかしたら一番最初のすごい挫折かもしれない。今の自分にたどり着くには無駄なルートは一個もなかったんだなというのをずっと思っていますし、どんな環境も生かし方次第なんだなと思います。」
エンターテインメント会を牽引する佐久間伸之さんその制作の原点に迫ります。
「どうもノブロック tv です。本日のゲストはヤーレンズのお二人です。」
この日は自ら企画し出演している番組の収録です。
「今日はね、これが youtube チームのyoutube チームですハムソッチはあれ、 nhk のめっちゃいいですよ。」
ネット配信の番組制作に、ラジオのパーソナリティや本の執筆、番組のコメンテーターなどマルチに活躍何に緊張してるかって、あの佐久間さんがエンターテインメント界に大きな影響を与えています。
「でも佐久間さんは知ってますよ。さすがに佐久間さんが面白いって言ったらもう。」
佐久間さんの仕事のポイントを見聞きしていく 中で、ご自身の仕事で芸人さんたちの人生を滑らせたくないってすごく印象に残っていてすごいなって思ったんですよその心っていうのはどういうことですか。
「そうだな、やっぱり、なんだろう、面白いけどまだ本当の面白さは伝わってない芸人さんとか、あとはその、まだその面白さが見つかってなくて売れてない芸人さんとか、そういう人たちをたくさん見てるんです。
やっぱりこの二十年のうちに、その人たちが一人でもいいから売れてくれた方が、僕の人生、楽しいなと思っているか、彼らが活躍する姿を見たいっていうのがやっぱり一番で、僕がディレクターとしてやってられるうちは、できるだけそういう人たちは世の中に『どんどんどんどん面白いですよ』っていうのをやりたいなっていうふうに思っている。
だから、一期一会で滑らせたくないなと思うんですよね。」
でもその 何がヒットのきっかけになるかっていうのはわからないわけでしょ。
「正直わからないですよ。考えて考えて、この人の面白さをここの部分を切り取ったら、例えば配信だと見てもらえるんじゃないかとか、地上波だとここまでだったら彼の面白さは新しく見えるんじゃないかとかって考えるけど、最終的には現場で起きることなんで。
でも佐久間さんって、自分も気づかなかった良さを引き出してくれる天才だっておっしゃる。
「そうですね、僕自身がもともといわきでエンタメに憧れて、東京を見てて、自分の足りないところばっかり見ていた人間で、もともとはネガティブでした。クリエイターになれるとは思ってなかったし、もともとネガティブで、今風の言葉で言うと印象があったかもしれない。そういう人間にしか、何ですかね、見つけられない人の隠された魅力っていうのは多分あるんだと思うんですよね。」
東京から北へおよそ二百キロ、佐久間さんが高校卒業まで過ごした故郷です。
「佐久間さんの古里、福島県はいわき市でございます。だから思い出しかない場所ですね。思い出しかないですよ。本当にたまたま選んでいただいた場所だけど、その公園。その公園で中学の同級生に悩みを聞いたりしてましたよ。まさに思春期の時にね。」
よく悩み相談されるタイプだったんですか。ここが本屋さんですね。
「そうですね、もう中学・高校が一番楽しかったんじゃないですかね。僕は多分、近くにあった本屋さんが人生の救いというか。あそこは、地元で一番と言っていいくらいの品揃えだったんですよ。普通なら置いていないような漫画とか、ちょっとサブカルチャーっぽいものとかも置いてあって。休みの日には五、六時間は居座ってたんじゃないかな。それくらいですね。
まだ立ち読みもできたんですよね。僕、中学校の頃、そんなに咎められることもなくて。店に入るたびに、まるで宝石箱に飛び込んでる感じでした。だから、入ったらもうどれを読んでも面白くて、知らないものがこんなにあるんだ、って思いながらウロウロしてました。まず立ち読みする漫画を開いてみて、知らない作家さんの作品があるのを見つけて『これ、面白い!』って声に出しちゃうこともありましたね。
それで、『じゃあ、お金が貯まったらこれを買おう』って思って、とりあえず今は続きが気になるなとか、そういうことを本当に悩んでましたね。」
読んであれ思ったのと違うがっかりっていうことないんですか。
「今の話だと、中学の時はそんな風に感じたことなかったなぁ。なんか、どんなものでも面白いって思えてたのかな。それか、もう本当に、自分の失敗を認めたくないっていうか、どっちかだと思うんだけど。でも、なんか全部面白かったっていう記憶はあるんだよね。」
佐久間さんの演出の礎になったのは、幼い頃に習った剣道の経験でした。
「周りは全然変わっちゃいましたけど、うわ、まだ残ってるんだ、すごいなぁ。ここが天道場、旧神館っていう道場で、僕が幼稚園から小学校の六年生ぐらいまで通っていた場所ですね。」
すみません、こんにちは、お邪魔します。
「僕が小学生の頃のことを思い出すと、毎回ビビりながら道場に入っていました。そんなに上手じゃなかったので、皆さんの稽古を見させていただいて、かっこよかったです。本当に頑張ってくださいね。
集中することと、自分の弱い部分と向き合うことの大事さを剣道で学びましたので、未だに剣道には感謝しています。ただ、何せ得意じゃなかったので、情けなかったですね。」
剣道を通ってた頃の写真はありますか。
「撮ってないんですよね。多分、自分が強くないっていうのもあって、親にも別に来なくていいよって言ってたような気がするので、残ってないと思いますね。」
この剣道場の四十年記念誌、昭和五十八年十一月二十三日。ディレクターが見つけ出しました。
「小学二年……あっ、いた。うわ、宣行少年がいますね。でも、強そうじゃない顔してますけどね。この頃の予選は小さかったんです。でも、自分は人のことを叩けなくて、僕自身も気持ちよくは思えなかったんですよね。まあ、多分自分の実力もあんまりなかったのかもしれませんけど、なんか痛いだろうなって思っちゃう。
剣道って気持ちよく一本取れないと結構痛いんですよ。その時に「ごめん」と思っちゃう。ただ、全然次に行けないみたいな性格だったのをやって、これに気づいたんですよね。三年生ぐらいまでは本当に自分との向き合いなんで、大会にも出なかったんです。
四年生くらいから「ダメだ」って気づいたんですよ。こんなに一生懸命やって好きなのに、全然得意というか勝てないって気づいて、それがもしかしたら一番最初の大きな挫折かもしれないですね。幼稚園から三、四年やってたものが得意じゃない、こんなに時間かけて頑張ってきたはずなのに、これが得意じゃないんだっていうのに気づいたのはショックでした。
やっぱり人と勝ち負けがつくもので争うことがあんまり得意じゃないって思ったんですよ。自分が勝つってことは誰かが負けることだから、それが得意じゃない。社会的にもしかしたらもう負けたって言われた人に、なかなか腹筋ができない人に、なんとなく僕は興味があるというか、その人の面白いところを引き出したくなるんですよね。
それの原点も多分、勝ち負けが得意じゃないっていう経験から気づいたことかなと思いますね。いや果たして勝ち負けってもうついてますかねと思うような。なるほど、いいわけじゃないよね。まあ、人間になったっていうか。
だから僕だけは、少なくとも僕だけはその人を面白がったり、あとは売れてなくて「もうこのキャリア終わりかな」って思ってる人に、「俺はそんなことないと思うな」っていうことにモチベーションを感じるようになったのは、元々自分が勝ち負けが得意じゃなかったからだと思いますね。」
「でもね、自分でも今喋ってて気づいたことです。その頃はわからなかったですけど、勝ち負けじゃない、なんか世界って何だろうなって思った時に、面白いとか面白いものとか、そういうものでみんなでギラギラ笑っている時の方がすごく幸せだなと思って。それで本の世界とか漫画の世界、エンタメの世界にどんどん入っていったんですよね。」
人を幸せにするエンタメの世界佐久間さんはより惹かれていきました高校生になると、夢と現実の狭間で心が揺れ動きます。
「高校時代は嫌な記憶がないので、本当に自分の好きなものに集中できたなと思いますし、友達もみんないい人たちでした。自分が面白いなと思うことや、本当にやりたいことについて考える時間があった三年間だったと思います。僕が好きなカルチャーはメインストリームよりちょっと違うんだなというふうに思ったんですね。少年漫画よりも青少年漫画やSF漫画、SFの小説、舞台などに惹かれていきました。
その中で、自分が東京にいないことがすごいコンプレックスになってきました。楽しい思い出ばかりではあるけれど、どうやったら東京に行けるのかを考えていました。自分が面白いと思うものや、自分に生きる力をくれたものに関わりたいけど、それは無理なんじゃないかと考えながらも、やっぱり関わってみたいという気持ちがありました。そんな思いの繰り返しで高校時代を過ごしていたと思います。」
無理なんじゃないかというマイナス面というのはどこから聞けたものですか。
「そうですね、まず自分が特別な人間だとは全く思えなかったんですよね。何かを創作したことがあるわけでもないし、歌がうまいわけでも音感があるわけでもなく、ただ面白いものが好きで、それを見て感動を人に話すのが好きでした。で、なんでこれが面白くなったんだろうって一人でずっとその仕組みを考えるのが好きでした。自分の中で味わうことはすごく好きだったけれど、それを作れる人間になるとは思わなかったんですね。
思春期って確かにすごくマイナスのイメージがあって、俺なんかダメなんだ、何の役にも立てないんだって思ってしまうことが多かったです。それでも頑張れたのは、昔から仕組みを考えるのが好きだったからかもしれません。SFが好きだったのもあって、架空の世界を実現するためにたくさんの嘘をつくのではなく、ちゃんと綺麗な仕組みを作ることに魅力を感じていました。
僕は初めからネガティブな面を持っていて、友達と喋っていると帰り道に、あの時ちょっと言い過ぎたかなと考え込んでしまう方です。友達の話はあまり気にせず、自分のことを考えすぎてしまうことが多くて、自分の扱い方や良さについて常に考え続けないと、レールから外れてしまうと感じていました。
妄想について考えると、思っていることが妄想だと思いながら、それが何かしらの形になるのではないかと期待していました。」
佐藤さんの場合はなんだかすごい理論整然とした妄想っていうか。
「僕は自分の中に佐久間伸之って少年がいて、その少年がエンターテインメント界で活躍するというSFを書いていたような感じだと思うんです。得意なものもあんまりなくて、地方にいて情報もない。でも、こういうことがあったらもしかしたら夢の創作活動に近づけるんじゃないか、というSFを自分の頭の中で組み立てていました。それを誰かに発表するわけではないけれど、それを実現するためには、こういう努力をしなきゃいけないなとか、架空のことを実現しないとここまで行かないなと思いながら、人生を送ってきました。それが今の僕の芸風、作風になっているんだと思います。
剣道の教室でも少し話したかもしれないですが、勝ち負けや売れた売れないではなく、面白い、面白くないと思われる人の中にも、僕にしか見つけられない面白いものがたくさんあります。メインカルチャーじゃないかもしれないし、面白がってくれる人が10%もいないかもしれない。でも、それを面白いと思ってもらうためのことは、僕にしかできないメソッドや目線があるからできるんじゃないかと思うんです。
そんなことに気づいたのは、関東の同世代の芸人さんに出会って、なんでこんなに面白いのに売れてないんだろうと思った時でした。もしかしたら、そういう人たちと仕事をして、メインストリームに向かうための仕事をするために、僕はメインカルチャーを遠巻きに憧れながら見てきた人生を送ってきたのかもしれない、と。その瞬間、いろんなことが繋がった気がしました。自分の良さも他人の良さも、見つけられるようになったんです。」
福島での経験が今の佐久間さんを支えています自身が思い描くエンタメを追い求めていきます。
「その人がつまんなそうにしてたりとか、逆に乗ってないだろうなと思ってるものを他で見たりした時に、多分これ面白いと思ってないんだなってことは、この面白いと思ってない部分を反転させれば、もしかしたらこの人は夢中になるかもしれないとか、やっぱりその人のうまくいってないものの中にまだ可能性はあるっていうか、そこをすごく感じるんですよね。うまくいってないところの方が可能性がある。
自分の経験でいうと、僕が面白いと思って言ったり、僕がめちゃくちゃ面白いと思って人に話した時に、キョトンとされたり、理解されなかったことの方が、後で筆頭コンテンツになってるんですよ。
それってどういうことかというと、みんながその場で面白いと思うアイデアって、だいたいもうあるんですよ。みんなが共通でわかるから。でも、僕が『これ面白いと思うんだけど』って言ったものを一回『は?』って言われるものを覚えておいて、それが伝わるようにすると、ないものの面白さになる。
だから、うまくいってないものの方に可能性があるっていうか、うまくいってないけど、その人が本当に面白いと思っていることとか、うまくいってないけど、僕だけがその人のその部分、面白いと思ったものをどう伝えようかなって考えると企画が浮かぶし、それが伝わった時は、その人が世の中に見つかっていく。」
テレビプロデューサー佐久間伸之さんが、じゃあいわきのね、何かこうもっとエンタメと触れたいんだっていうふうに、枯渇していたすごく活動していたのびき少年に対して、今の自分はこうだぞっていうのは胸張れるところまで来ましたか。
「そうですね、なんていうんですかね、僕がトップのプロデューサーだとは全然思わないんですけど、でも、なんかいくつか、そのテレビの年表に残ることはしたし、あとは、僕っていうプロデューサーがいなかったら世の中に出てきていないタレントさんも、まあ、いずれは出てきたかもしれないですけど、その人たちが出てくるのはちょっと早まったりとか、まあそういう仕事ができたなと思うんで。あの、中学とか小学校だった、バラエティーが好きな伸び伸び生きる少年が、ゲラゲラ笑って見る世界の一員にはちゃんとなれたかなって思いますね。」
これからってどういう風にしていきたい自分がいるそうですね。
「まあ結構、『なんで売れてないんだろう、この人たち。売れたら面白いのにな』って思う人は、みんな結構売れたんですよ、ということです。だから、今は普通、例えばテレビにお笑い芸人さんが出てくるとしても、ショーレースじゃないといけなかったり、いろんなものが売れていく時に、ちょっとルートが決まってきちゃってて、世の中に出るための道筋があんまり面白くないなって思っていて。僕はもっと、わけのわからない人が少量を抱っこする世界であってほしいんですよ、インタビューの世界って。だから、その潮流を抱っこしてほしい。どこからともなく来た君みたいな人を見つけて、その人を取る仕事が僕はやりたいなと思ってるんですよね。」