オランダ・アムステルダム国立美術館が誇る西洋美術の最高峰、レンブラントの「夜警」。決して国外に出ることのない貴重な名画を8Kで撮影することが特別に許された。東京のスタジオの巨大スクリーンに実物大の「夜警」を浮かび上がらせ、その迫力と、驚異的な筆のマジックを体感。肉眼では決してとらえられえない一人ひとりの人物の表情や、衣服の模様、そして現実を超えた光の演出まで。驚きと感動の絵画体験をお届けする。
初回放送日:2023年9月10日
日曜美術館
オランダの首都アムステルダム。この街には、オランダ美術史に燦然と輝く名作があります。それが、レンブラントの『夜警』です。この作品は、オランダを代表する門外不出の作品であり、国を離れることはありません。
今回は特別な許可を得て、8Kの高精細カメラで撮影しました。その映像を用いて、まるで『夜警』を体感できる空間を作り上げました。
「すごい。こんなに綺麗。見てください。筆跡だけでなく、絵の具やキャンバスの質感までわかります。美術館でもここまで近寄っては見られません。あっ、知らなかった。」
細部をじっくり見ていくと、画家による巧妙な仕掛けが至るところに見られます。ほら、作者のレンブラントは、たった数センチの部分にも全力を注いでいました。その部分にクローズアップで迫ってみましょう。
“実物大”で迫る!レンブラント「夜警」
今日は、十七世紀オランダ絵画の傑作『夜景』をつぶさに見つめ、レンブラントの魅力に迫ります。
およそ百二十万点もの美術品を所蔵するアムステルダム国立美術館。ここで常に大人気なのが、レンブラントの『夜景』です。現在、調査・修復のため大きなガラスケースの中にありますが、それでもこの人だかりです。
1642年にレンブラント・ファン・レインが描いた大作「夜景」。縦3.8メートル、横4.5メートル。夜景という名前で呼ばれていますが、実は夜の場面ではないといいます。その薄暗い画面からいつしかそう呼ばれるようになり、今では世界的に有名な絵の名前となりました。
美術館のキュレーター、リザ・ヌウェプラーさんです。
「夜景に描かれているのは、避難住所組合という市民警備隊です。中央で手を伸ばし、指示を出しているのがその隊長です。この夜景を飾るため、十九世紀末にここアムステルダム国立美術館は建てられました。建物は教会を思わせる造りになっており、この二階の名誉の間には、十七世紀の最も重要なオランダの画家の作品が飾られています。その名誉の間の一番奥、まるで教会の祭壇画のように飾られているのがこの夜景なんです。そんな夜景ですから、ここから離れることは決してありません。」
「では、こちらです。段がありますのでお気をつけください。さて、これが八Kのスクリーンです。ここにレンブラントのあの名画が今出てまいります。縦が3.8メートル、横が4.5メートル、これが実物大の夜景です。」
鎧と人間をモチーフに彫刻や絵画を制作してきた野口さん。レンブラントにちなんだ作品も手がけています。
「実はレンブラントが一番好きなくらい大好きですね。僕はもともと学生時代はずっと油絵を専攻していたんですけれども、日本の、もちろん日本の絵画も素晴らしいと思うんですが、そういった花鳥風月の世界というよりは、人間とか営みみたいなものをドキュメンタリー的に描く、いわゆる西洋の古典絵画にものすごく興味があって、レンブラントってそういうものの典型というか、自分にとって王様みたいな存在の人ですね。」
「このように、人々が集まって描かれたものを「集団肖像画」と言います。これは一つのジャンルであり、この時期に広まったものです。特に、十六世紀から十七世紀にかけて、オランダ、当時のネーデルラントでよく描かれました。他の国にももちろんありますが、市民が主役となり、このように様々な姿で一斉に描かれるというのは、オランダ独自の特徴と言えるでしょう。
この絵の中には、三十人以上の人物が描かれていますが、実際に肖像画を注文したのはおそらく十八人程度です。つまり、全員がオーダーをしたわけではなく、注文者たちがこのグループの中に紛れ込んでいる形になっているのです。」
「じゃあ、肖像画なのに、注文していない人たちも描き込まれているってことですか?」
「そうですね。例えば手前の女の子とか、画面の一番左下で犬を追いかけているような男の子がいますよね。彼らは当然、描かれてはいるけど、注文者ではない。あの子たちは画面の中の“アイテム”みたいな役割を果たしています。」
「じゃあ、ちゃんと発注者がいて、レンブラントに絵を描かせたんですね?」
「そうです。お金を払ってレンブラントに依頼しているわけです。だから、彼は絵を描くことができたんです。肖像画の歴史を辿れば、ローマ時代の皇帝の横顔が描かれたコインから始まって、ルネサンス期の肖像画もみなさんよくご存知だと思います。でも、当時の肖像画の依頼主といえば、貴族や王族、例えばローマ法王などの高貴な人たちでした。ところが、オランダでは、十六世紀から十七世紀にかけて市民たちが経済的な力を持ち始め、彼らが新たな発注者になっていったんです。それが市民生活の豊かさや充実を象徴しています。」
「なるほど。それに、市民意識の強さが背景にあるんですね。自分の姿を描いてもらうことに、貴族と同じような誇りを感じていたんでしょうね。」
「そうだと思います。ところで、発注した人たちは満足していたんでしょうか?後ろの方の人たちは、例えば高い帽子をかぶっている人なんて、顔が隠れてしまっていますよね。」
「そうですね。レンブラントは絵の中にかなりの奥行きを持たせて人物を配置しているので、どうしても後ろの人たちは目立たなくなってしまうんです。だから、中心の二人以外は少し不満があったかもしれませんね。」
「でも、そういうリスクを冒してでも、挑戦し続けたレンブラントって、クリエイターとしてすごいと思います。」
「そうですね、彼は間違いなくリスクを取って新しいことに挑戦していたと思います。」
夜景の作者、レンブラント・ファン・レインが生まれたのは1606年。製粉業を営む家の九番目の子として生まれました。15歳の時に画家に弟子入りし、その才能を磨いていきました。そして、19歳の時には独立。こちらが22歳の時の自画像です。対象を的確に捉え、それをリアルに再現する卓越した描写力がうかがえます。しかし、それだけではないのです。レンブラントは絵画の実験をしているのです。
「彼は、一番重要な顔の部分にあえて影を落とし、明暗表現の実験を試みました。一方で、光の反射を受けた巻き毛を、筆で絵の具をひっかくように描き、硬く細い独特のラインを生み出そうとしています。抜群の画力を持ちつつも、新しい表現に挑戦する。それがレンブラントでした。」
24歳の時の作品、**「聖地エルサレム崩壊」**を前に成す術もなかった預言者の姿です。人々が息を飲んだのは、光と影の表現です。手前の金属の器に反射する光と、頬杖をつく人物の影。静かな佇まいでありながら、陰影を持って描かれた表情から、その人物の苦悩と諦めがにじみ出ています。
28歳の時、ほぼ等身大の肖像画も描かれました。モデルである裕福な二人の注文に合わせて描かれたものです。首元を飾るレース、真珠や貴金属の輝き、かすかな微笑み。レンブラントは、自分より一世紀前に活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロの絵からも学びました。しかし、彼らと違うところがあります。それは筆跡です。
「例えば、この靴の飾りにぐっと近づいてみましょう。白い絵の具が不規則に飛び散っているかのように施されています。筆跡が残らないように描いていたルネサンスの画家たちとは異なり、レンブラントはあえて筆跡を残すのです。しかし、離れて見ると、確かな存在感を持ってその形が現れるのです。」
後の画家はこう言いました。「いつか人々は、レンブラントがラファエロよりはるかに偉大な画家であることを発見するはずだ」と。
アムステルダムの中心には、レンブラントが自宅兼アトリエとして使っていた建物が残っています。当時のオランダはスペインからの独立戦争に勝利し、貿易で得た富を持つ商人を中心に市民社会が育まれていました。オランダ黄金時代と呼ばれるその時期に、レンブラントは画家としてのし上がっていったのです。
そんなレンブラントを支えた人がいます。それが妻のサスキアです。レンブラントは28歳の時、肖像画のモデルでもあるサスキアと結婚しました。
レンブラントハウス博物館のシニアキュレーターエプコルニアさんです。
「レンブラントの妻、サスキアは、法律家や神学者の家系に属する名家の女性でした。製粉業を営む一家の息子であったレンブラントよりも、社会的に階級の高い女性でした。サスキアは顧客との商談を取り仕切り、夫を優れた画家として積極的に売り込むなどして、二人でアムステルダムでのし上がっていったのです。そして、レンブラントはアムステルダムで最も成功した画家となりました。」
アムステレダムの全ての有力者の肖像画を描いたとまで言われていますまさに画家として絶頂だった頃、火縄住所組合という市民体から依頼を受け書いたのが夜景レンブラントは人々を今にも動き出しそうなポーズで配置し、ドラマチックな光と影を施しますそうすることで、画面全体が迫ってくるようなダイナミズムを生み出してみせたのですしかし、それだけではありませんうっかり見落としてしまいそうな細部にも巧妙な仕掛けが今、実物大で見ていますけれども、ある部分をアップにして見てみますねお願いしますすごい、こんな綺麗に見える、すごいすごいですねこれはすごいねほんとすごい、マジかす ごいなこういう体験は普通できないです本当にできない八月過ごせたこんなにあるのカブトとかカッチュウとか羽飾りっていうのはやっぱりかなり綿密に取材して書いたんだなと思いますねうまい人であればあるほどそうだと思うんですけれどもなんかごまかして適当に買うっちゃう方が逆にストレスだったりすると思うのでやっぱり構造しっかり 自分の手元で取材をして、取材期間が長かったんだと思うんですけれどもそれをちゃんといわゆる腹縁って言うんですかね腹打ちしてから画面に反映させてるのが、見てるとなんかよく伝わるような気がしますこの少女もこんな顔してたんですかちょっと険
しい
顔してるんですね大人見てますね 意外になんかもう少し子供っぽいのかなあ知らなかったこれ えなんですかニワトリからがおってます これ 本当だぷっこりを喋ってるんだはぁ、この鶏の意味は、この避難所団体のシンボルの一つと言ったのでしょうかこの鶏の図柄というのが使われるんですね要するにそのシンボルマーク、あの、あからさまシンボルって出してるんじゃなくて、
この画面の主役じゃない 少女のところの腰に持っていると、さりげなくあ、近づいてる おお、ちょっとこれ、グラグラするよs ちょっとめちゃくちゃすごい これ、こんな緻密にかいへぇすごいねこ同じでしょ なんか 細部がこれ、あれですね やっぱ全部あらゆるところに行き届いてますよね耳にもシンジュイヤリングというか、その真珠みたいにかけてるし、頭のこういう飾り物までつけてるというところの八手数がすごく多いわけじゃないですけど、その塊感があるというかやっぱりこの少女の顔を改めてこうやって鮮明な画像で見るとレンブレントの奥様によく似ているなという気が僕はしますね時々そういう風に言われることがありますよねこの顔の要望というか、それ自体はレンブラントの奥さんでサスキア の顔に極めてよく似ています実はサスケア自身は夜景ができる前に亡くなっている直前に亡弱な人だったので、亡くなっている人なんですねなのでまあいろんな読み方もあると思うんですけれども、あのサスケアを描いたというよりかは、サスキヤの顔がもうモデルになっているだろうとは言えると思います多分この絵を描いている一年とか二年の間に奥様が体を壊して、レンブラントはおそらく看病しながら制作してたんだろうと感じるんですけれども、やっぱり絵描きって自分の制作と生活って密接ですから、なかなかそこって割り切れない部分があると思うんですねですから奥様が体調を壊されて完成前にお亡くなりになってしまうっていうのと、この少女の顔が奥さんの顔にそっくりっていうのは僕は何か偶然じゃないような気がしますねそれを集団肖像画の割といい場所にそうです、枯れちゃうっていうところが、光がガーンと当たっている手前の人と次に結構スポットライトが当たってて、遠巻きで見ると結構すごく開く非常に明るいところでボツっと出てきているので、そこでなんでしょう、ニワトリというか、そういうこの市民体のアイテムというか、そういうのを見せているというところの重要な人物だと思います 結構 主役級とは言いませんが、三番手ぐらいで登場させてしまっているということですねそうですね、目にはつく姿ですね彼女はその肖像画の注文者ではないはずです何か講師混同も花畑みたいなものが
あるかもしれないですが、でもエラーを返せば多分それだけお仕事で書いたんじゃなくて、個人的な思い入れも強い絵だったんじゃないのかなと思いますねあっ、すごいねうわぁ、このこの親父さんをこの角度で見たことはこれ見たことないですよこれはヒゲのヒゲの感じとかすごいですねレンブラントの絵を見てるとすごくイキイチしてますし、非常に生きた人間を描いているっていう感覚が強いと思うんですよね今までそういった評価をずっと長くされてきた画家だと思うんですが、でもレンブラントの
描く人の絵って実は輝度哀楽の表情ってほとんどなくて、なんというか名前がついてないような、とてもニュートラルな表情をかける人だと思うんですね無表情に近いんだと思うんですけれども、少しこの口が半分開いているとかなんとなく目の視線が少し泳いでいるとか、やっぱり人間って人生の大半を、ほとんどの時間を無表情で過ごす生き物だと思うんですねですからレン・グラントっていうのは、そういう自然体でニュートラルな表情が美しいと思ってた人なんでしょうねそ うです確かに本当になんか症状ない時のご飯かもしれませんねそうですね、ご飯食べたり、車運転したり、電車乗ったりってまぁだいたいみんなも表情ですもんねでもやっぱりそれはすごく美しいと思いますでは、手前だけでなく、暗い上の部分を見ていきましょう実はここにもレンブランとの巧妙な仕掛けが真ん中より少し右の部分、楕円形の飾りのようなものが見えませんかここには肖像画の依頼主の名前が書かれていると言いますん絵画の世界観を保ちつつ、クライアントにも配慮したレンブランとの粋 な表現こちらの面々にもご注目ここにレンブラント自身が書かれていると言われていますそれが一番奥にいる目だけ見える人物です白いハイライトが入れられ、瞳が輝いています他の人物とは全く違う次元にいるかのよう私たち鑑賞者を見つめるような眼差しではさらに細部を見ていきましょう真ん中の人物が差し出す手とその影です画面から飛び出すかのように突き出された手隣の人物の黄金に輝くジャケットに手の影がくっきりと落ちています影の先には記号のようなものが、罰が三つ実はこれ、アムステルダム氏の紋章ですそれは今でも街の至るところで見ることができますそ の罰の由来ははっきりとはわかりませんが、アムステルダムが乗り越えてきた三つの災害洪水、耐火、疫病を示すという説もあります市民体の手の影がアムステルダムを守るように包み込むわずか数センチですが、大切なメッセージが込められた場所でしただからこそ、ここに鑑賞者の目を引く、さらなる仕掛けをしていましためっちゃリアルだなこれ、絵ですよねこれ、三次元じゃないですか これ、手で使う人たち、指入れたら、これ あ、そうです ここ、これはあれですね絵の具を見ると、ちょっと粘土に近いような感じがしますよねペースト状のもので、パテみたいな硬さのものを使ってたんじゃないかと思うんですけどなるほど、二十年もの間レンブラントの作品を科学的に調査してきたペトリアノーブルさん立体的にも見えるあの厚塗りの秘密がわかり始めたといいます今回の調査で、今までに検出されなかった鉛化合物が見つかりましたこのことから一つの仮説として、レンブラントは顔料を解く油に酸化鉛を混ぜていたのではないかと私たちは考えましたこうすることで、絵の具の粘着力が高まるため、あの厚塗りが可能になったと推測できるのですさらに今回の調査では、このジャケットの部分から今までのレンブラントの絵からは検出されなかったパラ系観積という顔料が識別されましたパラケー関石は毒性の強いヒ素を含む顔料ですこれにレンブラントがあえて挑戦したのは、今までにない黄金色が出したいと考えたからだと思いますこれも新たな発見でした中部の絵の具など存在しなかった時代若くして栄光を手にした後も、画家は挑戦し続けたのです今までにない色、今までにない表現だからこそ、ある市民体の肖像画が四百年以上経った今でも名画として君臨する夜景は本当に自然体で、人々が更新しているように見えますしかし、全て考え抜かれているのです
どこに誰を配置するか、どこに光を照らし、どこに影を落とすか一見スナップショットのように見えますが、微細な部分まで熟考された作品なのです絵を注文した人たちは驚いたことでしょう肖像画を依頼したノミング届いたのは真の芸術作品だったのですからしかし、夜景以後、レンブラントの人生に陰りが見え始めますサスキアの死のショックからか、各作品の数は減ってゆく私生活では二人の女性と関係を持ち、裁判沙汰にまでなりますそして経済的にも困窮しましたその理由の一つに浪費兵器があったと言われていますレンブランとは世界中の美術品 や珍しいものを買い集め、創作のヒントにしていましたコレクションに費やした膨大な出費が生活を圧迫したとも言われていますでは、レンブラントは画家としても落ちぶれていったのか五十五歳のレンブラントです夜景のあのジャケットに見られた細密な表現はありません背景も簡略化され、柔らかな光と深い闇があるだけ頭には帽子でしょうか筆跡がしっかりと残っていますレンブランとはより簡潔により荒々しくなっていましたしかし、だからこそ感じる確かな存在感への力裁判官の作品です手を重ね、寄り添う二人が浮かび上がるように描かれています筆跡だけでなく、絵の具の塊さえ見えます男の右袖は強烈な厚塗り光り輝いています
私たちは二人の存在を感じると同時に、それが絵の具でもあることを感じるのです熱く荒く、絵の具の力は命となる食べ物はパン一切れでいいこの絵の前で二週間ずっと座っていられるのなら、寿命が十年縮んでも構わない今日はこの四人でワイワイ見てきましたけれども、この夜景を描いた後、だんだん生活が荒れていったような時代もありますよねそうですね、最初の奥さんのサスケ屋がなくなって、私生活だけ見てみると、極めて不安定な部分もあって、破産してしまうだとか、家政婦さんとまあ居酒屋を起こすとかいうような、まあ要するに人間らしいなとそれは優しい表現で、もうちょっと悪い方をすると、ちょっと人手なしな人しか思えないようなことをやってたりはしますかつてのような栄光というか、三十代の時にあったような栄光というのからちょっと離れていたのかもしれませんただ、残っている絵がね、いちいちそのこの 迫力で出てくるというか、若い時も晩年元になるので人間として付き合えるのかどうかとかいうのとは別にして、あの残っている作品のその圧というかで、あのはちょっと驚くべき人だなと僕はレンブラントのデッサン力っていうのがやっぱりすごいなぁと思いましたねデッサン力っていうのは時々誤解されることがあるんですけれども物をそっくりに描いたりとか、すごく細かく描く力って、実はそれは描写力と呼ばれるもので、デッサン力と描写力って僕は個人的に別だと思うんですよねそれでデッサン力というのは画面全体の中でちゃんと自分の見せたいものをしっかり把握して、携帯感とか色彩を使ってそれをコントロールしていく、なんかバランス力みたいなものなのかなという気がするんですですからレンブラントのこういう拡大で見てももちろん素晴らしいんですけれども、僕たちは普段スマートフォンみたいなものの小さな画面の中でこの夜景とかを見ても、やっぱり何が書いてあるかってすぐわかるんですよね、レンブラントってだから大きくしても小さくしても何が書いてあるかよくわかるっていうのは、これはやっぱりレンブラントの構成力というか、デッサン力の凄さなのかなと思いますね
勝ち気で今回見て、皆さんとお話しながら、細部っていうものがいかに見事に作り上げられているかっていう、そういう構成力ってよくお話に出てきましたけど、全体を把握するながら細部にまで一定のタレともろそかにしてない感じがすごく、しかも場所によって全然違うことが起きているっていうかそれを一枚の絵でそれを達成してしまうっていう、この力っていうんですかエネルギーちょっとびっくりですよ圧倒されましたメンプラントの作品を拝見していると、僕は古いセダンに対するアンチテーゼとか、自分が強い人だったんじゃないかなと思うんですね集団肖像画っていうフォーマットがしっかり確立されていて、それに対して全然違う集団肖像画を描いて、そこに何かアンチテーゼというか、当て付け的な部分が少なからず赤いレンブレントの中にあったんじゃないかとその規制の価値観に品は開封するあの当て付けって言い方、とても僕はの魅力的でなんでかって言って、レン・ブランド明らかにラファエルの絵をから出発点にしてるとか、ルーベンスのやつを元に出発してるとかっていう絵があるんですよでもそれはのパクってそうしてるっていうことでその当時、今の我々が考えることはパクリとかいうこと 概念ではないんですけど、そうじゃない書き方はこれですみたいなラファエルの構図をイメージしながら違うからして、これもあのラファエルのその広々とした空間のイメージがよく指摘できるとの関係が指摘されたり影響関係があるってよく言うんですよ古い絵とそれは明らかにレンマのそういう古い学んでるからなんですけど、その宛てつけに近いようなあの我の強さは明らかにあると思いますそうだ、その我の強さは圧倒的に強い感じがします僕だったらもっとうまく回答できるっていう 若い頃はちょっと多いかもしれないですねそうしたらこれはまさしくおっしゃる通りで、それは似たようなものをちょっと作るじゃなくて、単にちょっとひねってみましたじゃない表現になってるんですよね単にいてってわけじゃないという 部分はたぶん当てつけっていうおっしゃり方はなるほどと僕も今とても膝を打つ感じです十七世紀の人にとっての現代アーティストだと思えば、なんとなく今のお話が納得いくっていうか、あえて 確信元ネタは元の絵はあるんだけど、俺ならこれをやってみせましたっていうことを自分の技術や実力もよく分かってた人だったのかもしれないですよね多分すごく自信があったと思いますそうやって美術は更新されているわけですよねそうですねだからそれは可能性が広がっているので天の面白さの分かりやすい例で誰でも現状に対する不満って多分今も昔もみんな持ってるはずでしょうし、現状に対しての文句っていうのはすごく簡単なんでしょうけれども、じゃあこれが本当の新しい答えだっていうものを出せるかどうかっていうと、 これは本当に難しい気がするんですねでも自分の自分の正解と自分の答えを堂々と出したってことですよねだからまあ花っぱしらの強い人だったと思うんですけれども、よほど自信があったんだろうなと思います