孤高の建築家・白井晟一。独学で建築を身につけ、世界を席巻した丹下健三らのモダニズム建築を批判。都会にうがたれた黒い杭のようなビル、太古のモニュメントにも似た銀行社屋など、常識を覆すような作品ばかりを作った。権威主義を批判し哲人、詩人とも称された一方、自らが権威にもなっていった白井。その実像は、天使か、悪魔か。白井に憧れを抱く映画監督・紀里谷和明が迫る。
初回放送日: 2022年1月23日
日曜美術館 「天使か悪魔か 建築家 白井晟一」
要塞のような外壁。
光と闇が交錯する空間。
その全てを作った男がいる。
孤高の建築家・白井晟一。
合理性や生産性を重視する時代にあらがい、独自の美意識を追求した。
その生涯は様々な伝説に彩られていた。
赤い絨毯を敷いて誰が来たかと思ったら白井先生だった。
重役の方が机のレイアウトかなんか口出したらですね、烈火のごとくクライアントがしかりつけられていた。
梁はこれ構造的に切れないよって言ったってね、コンクリートは曲がるだろうと
世界であの人だけかもしれないやり方をしたのはね
白井が設計を手がけた松涛美術館で、没後三十八年。
彼の展覧会が開かれた。
エントランスを抜けると出迎えるのはあのノアビルの建築模型。
この模型と実際に立ちているビルの間には一つ大きな違いがある。
それは大通りに面した壁。
不思議な彫刻の斜め下。
実際の建物には窓が開けられている。
室内が暗いからと、オーナーが開けたのだ。
白井は激怒した。
私の認証なしに建物の概要を変えることは言語道断。
建築は誰のものかという足下の認識さえ欠くのでは
高度な生産も技術もあったものではない
それでもビルは今も立ち続けている。
なん何だろこれなんなんだろう
どこから来てんだろう
これなんなんだろう
建築とは何のために存在するのか
映画監督紀里谷和明。
孤高の存在であった白井の生き方に興味を持った。
天使か悪魔か。
没後三十八年。
白井の建築の今を追いかけた。
白井晟一の最も有名な建築物は九州にある。
造船と軍港の町・佐世保町の中心部に向かう。
白井晟一さんとかも知らなかったんだけど
お受けしたいってさせていただきたいと本当に思いましたね
違う作家さんだったら違うわかりませんもしれないけど
映画監督・紀里谷和明。
2000年代初頭CGを駆使した斬新なミュージックビデオで脚光を浴び映画の世界へ。
2015年ハリウッドでの監督デビュー。
決して妥協を許さない制作のスタイル。
自らを出る杭と称する。
あの人の写真を見て、あなんか信用できる人なんだなって感じを受けたんですよね
純粋っていうかピュアっていう言葉はあんまり使いたくないんだけど
そうでもそういう単純なものじゃないし何だろうね
その清廉さみたいなところを感じましたよね
白井晟一の最大の建築物・旧親和銀行本店。
コンピュータを聞くための施設
解消
空を懐かしむと
各高さ四十一メートルの藤田
大きな開口部には言葉が刻まれている
輝く必ずしも金ならず
見上げただけでは全容がつかめない
僕もご本人の設計の以降のまま
こうなってるんですか
あのーここは元々山があったんですが
なくなったが故に
ここのむき出しの空間上まで
その山があったってことですよ
これ溶液できてません
自然がこうあったってことなんですか
ここはこのえぐれたような形で
山を巻き込むかのように
建物が食い込んでいた
もっと自然みたいな感じと
一体化したような中に
これがドンと方法がなくて
ということですよね
全然違う見方じゃないですか
これってそれを想像するとこう自然があって
その中にこれがどんとあって
すごかったでしょうね
まもちろんねヨーロッパの影響はね
行ってるところに見え
ますけれども自由って
言葉は使いたくないんだけど
うむ人なんでしょうね
何か生む生む
なんかこうどっかから持ってきてこう
カチャカチャカチャってやって
新しいもの作りましたとかで
そのリアクションっていうニュアンスがある
じゃないですか
その芸術やってる人は
みんなそうだと思うんだけど
その中からもちろん
いろんなリアクションはあるにしても
結構何かこう
生まれてきてる感じですよね
なんかねだからなんか
土着的っていう表現が正しいのか
分かんないんだけど
うんなんか有機性であったりとか
土着的ななんか産むって感じでしょうね
白井は確かに土着的な作家だった
親和銀行を手がけた頃
住んでいた自ら設計した住居兼仕事場
敵敵居大雨が降ると
雨漏りがすることから名付けられた
はい室内にはトイレさえなく
来訪者を困惑させたという
なるほど白井の名が広く
知られるようになったのは
建築雑誌に掲載された
一つの文章がきっかけだった
縄文的なるもの
白井は水の武家屋敷
旧上川体を絶賛した
茅山が動いてきたかのような屋根
はい大地から生え出たような柱
文化の香りとはかけ離れたこの空間こそ
後世に伝えるべきものだ
しかしこの主張はモダニズム建築の巨匠
丹下賢三と真っ向から対立するものと捉えられ
装飾やデザインを配したモダニズム
合理性や機能を重視することが建築
そんな時代だった
白井には一部熱烈な支持者もいたが
建築業界は冷ややかだった
ええありがとうございます
旧親和銀行本店は
千九百六十六年から始まる
三着十年間にわたる大プロジェクト白井にとって
自らの信念を形にできる
初めてのチャンスだった
第一期二期の建物は
商店街のあけどに面している
であそこに時計がある場合がございます
だから彼がなんかロマンチックロマンチストだよね
ここここだけねなんかね
まあ溶け合ったほうが分かるでしょうか
まメディチ家の建物の角が
人が前よりできるようになってるとか
人々に対してのキリスト教的発想っていうか
そういうなんかロマンチシズムみたいなことが
いわゆるモダニズムっていう
ロマンチシズムの排斥じゃないですか
俺絶対笑われてたと思いますよ
当時多分今の時代に思いっきり宴会やっちゃった
みたいな話でしょ
なんかもう時代錯誤っていうかっていうことをなんか
ものすごい真面目にやっちゃってるみたいな
やっぱりそこが人間性なんじゃないの
っていうことだと思うんですよね
そんな全て割り切って
全てを建ぺい率容積率割り切ってしまっ
たりとか割り切れないところも含めて
人間なんじゃないのっていう
そのなんかそのロマンチシズムですよね
この辺が大紀行人素敵ですね
左手奥当時ですね本当に不思議だと思う
僕は本当にこれ美しいと思う
向こうのあれも含めて
もう引きで見て想像するだけしかできないけど
本当に素敵だと思う
これ本当にもう感じる感じますよ
これなのにこの開けとが台無しにしてるけど
出来上がった交渉もこちら開けたんですか
それを狙ってというやってるんです
全景が見え
ないということが前提になって
これを立てていて
ということはどういう気持ちだったんだろこれね
よく建築の世界の人達って
環境との調和
ってことはすごく言うじゃないですか
ですかでもそれを感じないですよね
だから宇宙線がおりてきちゃいました
みたいなその感覚がある
でそれをやってる時の白井さんの心理が
どうだったのかって事にものすごく興味がある
まそれぐらい余裕がなかったのかもしれない
もしかしたらだから調和とかへったくれ
とか言ってる余裕がないぐらい
作りたいものが作れてなかったのかで
このチャンスを生かせないとそれが達成でき
ないって思っていたのか
謎白井は千九百五年
京都の商家の長男として生まれる
しかし十二歳の時に父を亡くす
身を寄せたのは姉の嫁ぎ先
水墨画家の近藤浩一路の本だった
京都高等工芸学校の図案科を卒業
その後哲学を学びたいと混同の支援を受け
ドイツに留学
ハイデルベルク大学で
軽安パスの指導を受ける
大いに働く音楽も食事も身に染み
寒さはかんむし学校この頃
つまらぬ学問もつまらない
うんあらゆる人々俺もまたつまらん
白井はいつしか労働者のための
社会運動にかかわるようになる
そんな中ある女性と出会う
ええ作家林文子
貧しい家に生まれながら
放浪記でベストセラー作家となり
印税でパリを訪れていた二人は
恋に落ちる
うんうん日記には文子を示すエフ文字
しかしその恋は長くは続かなかった
芙美子は行った貧しい私は
貧しい人たちとともに歩む道しかありません
ああそれから十六年後
白井の姿は東北にあった
ドイツから帰国後
独学で建築を学んでいた白井義理の兄
近藤が戦時中に投入し
つながりのあったこの地で
建築家として新たな出発をしよう
としている
初めての大型建築秋ノ宮村役場翼を広げ
今にも飛び立つ鳥のような多屋根のフォルム
温泉旅館別館白井は
前年休止した林芙美子の遺作
浮雲の名をつけた
地元の造り酒屋四社が出資して作った指導者
住民が待ち望んだ初めての市民
ホール入り口を入ると
広い吹き抜けのスペスが広がる
白井はゆっくりとした綴織の会談で
光に導かれるように
二階への導線を作った
ただ登るだけなら必要な贅沢な空間
その先に待っているのは
南側に大きく開かれた窓
日照時間の少ない東北の人たちへ
白井からの贈り物だった
うん
紹介新津と名前を付けてますけれども
しかし白井の建物は一筋縄ではいかない
懇親会と使われたものではないか
と思われます
こんな不思議な空間も作られた
天井近くに一本
無造作に丸太が渡されている
そこから向こうは板は張られていないが
床の間だというのだ
東北大学の現象学から入ったんですけど
白井晟一だけが興味深かった
それで今日伺ったっていうのはね
なんか謎めいたことをやってる人で
非常にこう哲学的な人だ
という風に書いてあった
つい友達とね見に行った
えーやっぱりびっくりしましたよ
なぜかって言うと
箱がたで水平のいわゆるこう
モダニズムの建物なんだ
だけど中に入るとぼーっと
ギリシャ神殿の柱が立ってるんだよ
びっくりするよね
なぜかって言うとま財務っていうのは
そういうギリシャ神殿に代表されるような
ヨーロッパの歴史
スタイルを否定して成立したもの
それも相当積極的に否定して
成立したものなのに
やっぱ謎かけられたような
感じでしたそれで
もちろん白成長は
世界の建築の状態ってよく熟知してたし
日本の現代建築も
熟知していたわけですけどね
そん中でああいう
不思議なことを始めるわけです
独創的な建物で注目を浴びたものの
自由に反した建築を目指すし
ライン大きな注文は来なかった
こつこつと地方の仕事を受け
低予算の民家などを作り続けた
その一つが試作小住宅だ
建坪わずか十五継ぎ目なく繋がった
畳とフローリングの空間
家具も建具も
全て白井がデザインした住宅はこうま機械です
というか機能である
みたいなことが主流であった時代の中でろ
コストではあるけれども
精神的にロコストであってはならないとま
長くそれを使っていくため
に何が豊かになるものなのか
っていうところを
そこの辺を大事にした建築家であるな
と思うんですね
この家は秋田に住む意思が
東京の学校に通う子供のためにいらした
小さな家だが
嫌いにとってはかけがえのない仕事
限られた予算の中で
いかに理想に近づけるか
相談の手紙が重ねられた
世界お互いとかないとね
まさに距離感が今以上にありましたね
両方頻度が浸水的なメールを離れて
白井さんの頭がいったん離れて
工作のために何ができるのであれば
やろうという風になってはいはい
ちょうどこの辺りが大気工事で出来上がった
第一営業室という形で
二階までの
吹き抜けの空間になってございます
何かどっから
持ってきてるかわかんないじゃないですか
モチーフが何試合っぽいというか
なんなら今今はやりの世界ですよね
美輝がその参照先が分からない
その求め求めたかわからない
つまり全部独自の可能性がある
きれい
これ何なんだろう
ウィルトっていう彫刻はしてます
あれをホストしますね
なんかねこの大理石な感じで
このなんなんだろう
これなんなんだろう
どこから来てるんだろう
これなんなんだろう
ますごいき
もともとこちらあの庭園日本庭園がありまして
この左手奥に和室があったんですが
ちょっと今廃止してでこちらごろだった
習慣上みたいな一般の方が来られる方
非常にで和室がありヴォルガあり点がある
白井は銀行の最上階に市民が集う
掘ると庭園を作っていた
その風景を見て
白井の下で働くことを決めた
若者がいた
九州で学会があったんですよ
それであ九州に行くんだから
雑誌でももう評判だったんですね
白井聖地の島銀行っていうのは
それで見学の申し込み者が多くて
エレベーターホールに集まってで
みんながやがやがやがや喋ってる訳ですねんで
エレベータに乗ってぱっとエレベータ開くでしょ
そうするとねガヤガヤしてた人間達がね
誰一人言葉出なくなる自然に建築のね
圧倒的な迫力っていうかなあのー
簡単に言えません
造形力とか何とかということは
やっぱり打ち込んだ気力迫力情熱
そういったものが一体になってね
やっぱりこっちに伝わってくるんですねで
みんな身としてね
ちょっと待って
これでここのさっきの
そのさっきの階段のあれなんだ
いいですかあけどからみた
あの時計台の階段と似た階段がで
これが菌部門の中でキノコ雲の中
そこは建物の黒い円筒の上に乗った
グレーのこの部分
あけどを外すと
実際の建物はこんな形をしている
グレーの部分は柱に貫かれ
宙に浮いている
実はこのモデルになったあのー
かつて構想した原爆堂計画ありますね
ビキニ環礁沖での水爆実験で
犠牲となった第五福竜丸事件に
衝撃を受けた白井核
廃絶を訴えるために設計した
誰の依頼も受けず
個人の意思で立ち上げたプロジェクト
白井は自費でパンフレットを作り
世界へその意義を発信した
しかし被爆地広島では
その夢は実現できなかった
構想から十二年
長崎で実現したのが
この建物だと言われている
天国に登るような
白い階段で行き着いた先には
こう刻まれている
だから愛は全てに勝利する
ええはい思想というものを形にする
建築家のお仕事としては
ものすごい世界観を持ってる方だなというので
非常に感銘を受けていますかねま
スケッチな建築の思考が一番いわゆるこう
クラの建築の言語という言葉として
スケッチを見れば
何を考えてるか大体わかる中で
白井さんの
スケッチには断面図がないんですよ
建物の外又は空間のイメージで
すべてがこう一つの見える世界
一つの身として
あの建築というものをどうやってこう
物理的な形にしていくかっていうので
誰からも届かないかもしれないけど
そこに何か
根源的なものがあるのではないかと
どちらとそれの深い部分で
物事をその時間や空間を飛び越えて
考えられてる方じゃないかな
という気はしますかね
夢が現実となった建築美しいです
その完成された美の世界に
霧矢羽いた
完璧じゃないですか
全てがクオリティもそうだし
完璧なのにはい
白井はベートーベンの第九を愛した
というね
うんそういえば
うん
こういう調度品っていうのは
本人の指定なんですか
本人がここにおけとサロンの入り口に
こういう紀元前黒村で出土した婦人科なんかも
次第が海外から持ってきて
ここにうんフランスでしょそうです
全部ヨーロッパから持ってきて
この建物のために
資材と一緒に購入して持ってきて
スタイルナポレオン三世スタイルでしょ
これでわざと
これ普通ついにするんだけど少ない訳ですよね
はいその曲その安保対なんですね
なぜ何をしようって言ってたんでしょうね
よくあるじゃないですか
そのなんかその誰かが建築家に頼んで
あの家とかビル作ったんだけど
そこの社長さんの趣味の
こういう覚悟しちゃったみたいに
なってそれに見ちゃうんだよね
何でだろう本人がやっちゃうのに
何で何でだろう
拍手見にさえ見える空間演出
そこには白井の壮大な野望があった
うん西洋の思想や
文化に直面せざるを得なかった
我々がその分厚い石の壁に体でぶつかり
これを抜きたい
私には荒唐無稽な考え
とは思えなかったのです
うんこういう風な加工をあんまりしないでください
ちょっとはああのもう
切り出したままが良いと触らないください
って感じで自分の感覚があるから
あ白井先生の本のに対しての感覚があるから
仕上がり感上手になんかこう
やっぱり試合中に試合に尽くすというか
知り合いに喜ば私なんかも
そうですが試合に褒められたりとか
喜ばれたいというような気持ちにさせるのは
非常にあのー炊けてましたですね
あの人はね人をたぶらかすことが好きだった
だから自分を神秘化させることに熱心だった
私は根暗さっていう
あの名作戦後の名作の住宅がある
そこの摂取の娘
さんに会ったことあるある時
シャイさんが来た
すると雨の日だ
そうするとトレンチことに濡れながら
一二フランスパンが差したもの
入ってきたそんなことそれはあれですよ
家の前でやったんですよ
そんな要するにほとんどパリパリになっちゃってる
わけ四人が
いや本当にもうそれで
このころっとって言うと失礼ですけど
この人にじゃあ言う通りっていう
それがなんかそれが建築って思ってたかも
しんないねそういう者が
それを現実の働きだ
と思っていた可能性はありますよ
いやそれはあの
そういうあり方っていうのを
本気で否定したのもそのリズムなんですよ
二十世紀建築が説明可能でやろうとして
白井さんは忘れ
そういうもんじゃないと思って
建築はうんうん
この建物のて間に光と影とこう大変ですね
至る所に楕円を用いるデザイン
鳥ですからにもこだわってますし
その最上階には展望台があった
素敵
古墳だったりとか
遺跡とかなんか彼
独自のそのさっき
文明という言葉を使ったんですけど
彼独自のなんか遺跡とか古墳を
作ってる雰囲気があるんですよね
分かりますよね
なんかそういうなんかまモニュメントって言ったら
ちょっとチープな言い方になっちゃうけど
なんかなんか彼独自のなのかな
なんかそういうものなんでしょうね
白井は医師の対象館が完成した
八年建設中の現場で倒れ
帰らぬ人となった
うん
ぼろぼろになった原稿が残されている
建築家としていかに民衆を把握するか
白井はこう書いている
建築の歴史は
そのまま民衆が戦い
取った文化の歴史であった
もう白井晟一が偉くなったからだから
あのー同コストの平屋のに実母なんて
家を頼みに来る人は
自然にいなくなるわけですね
これは白井選手が望むと
望まざるとにかかわらず
周りが来ないですよ
なんかで長男のへお助さんと俳句を作るうえ
むら鮮魚っていうあの次第
精神が若い頃に作ったろコスト住宅ですよ
そこに訪ねて行った時に
やっぱり白石市の話になるでしょう
でちょっと言い合いになってね
専業さんはね
ひょうせさんにあんたはね
親父のことをよく理解してないとかって
強い調子で迫るんですよ
でそのー対話を聞いててね
何度かしないけど
ぼろぼろぼろぼろ涙が出てね
やっぱりね一人の人間が深く理解される
っていうのは難しいことだなという思いと
やっぱり白井晟一のやっぱり
孤独感を思いましたね
その時白井が戦い残した建築は
今も人々とともにある
この白井先生があのー立ててくださって
すぐに私がここへ嫁に来た
一着ました時にですね
ここの位置は
やっぱり雪国を知らない人が建てたんだな
っていうことを本当につくづく感じました
あそこのところにあのガラス土がなかったんです
だから冬はもう素通しです
そしてその管に幾通りがまた
あれもガラス土がなくって
あれも素通しなんです
次回のあそこの手すりなんにも
ガラス土がなくって
雪が入ってくるんです
どうしてこんなちょっと立てたんだろうな
と思いましたけども
嫌い先生はこの雑誌式と庭とが合うように
座った時に庭一面ずっとこう見渡せるように
そういう設計だった
っていうおじいちゃんから聞いておりますけども
ここの家だけの自然の中に暮らしてる
っていうようさそれはもう
掛け替えのないものですね
もう死ぬときは
やっぱりここで死にたいなと思いますね
一人の男の九の苦難と情熱
そうとしか言いようがないかもしれない
それに対して寸評することすら
はばかられるような感じがするね
今日あそこのいちご家にあったあ
もう無理やりピンセットっていう言葉なんだけど
全てに勝利すると
なんだかんだ言って
ヒューマンヒューマニズムの人だと思うし
ロマンチストロマンチストだしまうん
まあ闇の中から