1935年に生まれた菊畑は、早くに両親を亡くし、15歳で天涯孤独となった。戦後、前衛美術集団「九州派」に参加。現代美術界を代表する画家としてもてはやされるも、時流に乗ることを嫌い、その後、ほとんど作品を発表せず、“沈黙”した。「戦争画」に向き合い、自らの体験を元に「炭坑画」を描き後に世界記憶遺産に登録された山本作兵衛に師事。絵を描くとは何かを追求した。再び描き始めた菊畑がたどり着いた境地とは。
初回放送日: 2021年11月28日
日曜美術館 「孤独と反骨の画家 菊畑茂久馬」
菊畑は時流に流されず独自の絵を描き続けました。
戦後、日本の現代美術界を代表する画家としてもてはやされながら、八十五歳で亡くなるまで福岡離れませんでした。
戦前戦中戦後の福岡を生き抜いた画家は、その目で何を見て何を世に問うてきたのでしょうか。