日曜美術館「グラナダ 魂の画譜 戸嶋靖昌 (としまやすまさ)孤高のリアリズム」

日曜美術館「グラナダ 魂の画譜 戸嶋靖昌 (としまやすまさ)孤高のリアリズム」

スペイン・グラナダで生涯、独自のリアリズムを追求した知られざる日本人画家がいた。 戸嶋靖昌 (としまやすまさ)。清貧な生活の中で人間の魂を描き続けた戸嶋芸術に迫る。

スペイン・グラナダで生涯をかけて独自のリアリズムを追求した知られざる日本人画家がいた。戸嶋靖昌(としまやすまさ)。その絵画には人間の魂を強く感じさせる圧倒的な存在感がある。戸嶋は40歳の時、スペインに渡る。プラド美術館のベラスケスの芸術に出会い、人間の生命感あふれる絵画はいかにすれば描けるのかを探求。グラナダの人々との交流の中から、魂の気迫に満ちた作品を生み出した。圧巻の戸嶋芸術の魅力に迫る。

【ゲスト】奥田瑛二,美術史家…小池寿子,【司会】井浦新,伊東敏恵

放送:2017年1月22日

 

日曜美術館「グラナダ 魂の画譜 戸嶋靖昌(としまやすまさ)孤高のリアリズム」

2006年。一人の画家が亡くなり、800点もの絵画が残されました。死後2年して修復作業が始まり、今も続いています。その大半はカンバスを覆うカビなどで大きなダメージを受けていました。修復を担当した人は絵の持つ迫力に驚かされました。
「修復をしていても、今どこの部分を修復しているのかと思うのですがも遠くで見た時にいっきに作品が浮き出てくる」。

本来の姿を取り戻した作品の圧倒的な存在感。未知の絵画が次々と世に出て、多くの人々の心をつかみました。

その画家は戸嶋靖昌。実像を知る人は極めて少ない。戸嶋は25年近く、スペイン・グラナダでひたすら絵を描き続けました。その戸嶋とグラナダで出会い、強烈な印象を受けたのが俳優の奥田瑛二さんです。

「短刀ではありませんが、突き付けられたみたいなクッと強い。まさに戸嶋さんの眼と同じで深淵から突き刺す。何を見ているのか。本質以上のものを見られているような感じがして、この人物だからこそこの絵なんだというのが印象でした」

富や名声には見向きもせず、自らが信じる芸術にまい進した日々。知られざる画家。戸嶋靖昌の世界に迫ります。

 

秋田県で育った戸嶋靖昌は、1953年武蔵野美術大学の西洋画科に入学しました。入学当初から優れた才能を示し将来を嘱望されるようになります。
画家の甲田洋二さん。蔵野美術大学時代の後輩です。

「戸嶋さんは入学したとき住まいがなくて学校に住んでたのです。一種の無頼派でしょうね。実生活のことを気にしないで、まず自分の造形に関してできるかぎりそこに注ぎ込む」

3年生になると彫刻の勉強も始め絵画と彫刻。その両方で技量を上げていきます。

青を基調とした裸婦像。戸嶋30歳のときの作品です。セザンヌの影響も見て取れる力強い色と彫刻的な造形。対象の実在感にいかに迫るかを日夜追求したことがうかがえます。

33歳の時、銀座の一流の画廊で古典を開きます。暗い色調。画廊はいま流行の明るい色調を使うよう進言します。

しかし、戸嶋は拒否。汚い色を使いこなさなければ本当の美しさは出てこないと、信じていたのです。戸嶋は画壇に出る大きなチャンスを逃します。1970年。このころ戸嶋は近くの神社の森をたびたび訪れて作品にしています。

出口の見えない、暗く閉塞感に満ちた森。当時の心境が色濃く反映されています。戸嶋は絵を描くことに深い行き詰まりを感じていました。人間性はもとより、その人が背負ってきた歴史までをも描きたい。どうすればそこに行きつけるのか。若い戸嶋は苦闘します。

1970年。世間を揺るがす大事件が発生します。作家・三島由紀夫の割腹自殺。三島の文学や美意識に共感していた戸嶋は強い衝撃を受けます。そして、画壇の名声や富のむなしさと決別して日本を離れることにします。

40歳となった戸嶋は、妻子を日本に残し、単身海を渡ります。その地はスペインのマドリードでした。

スペインが世界に誇るプラド美術館。戸嶋は毎日のようにここに通いました。自ら求める新たな芸術を生み出す上で不可欠な作品があったのです。その作品とはスペイン・バロックを代表する画家・ベラスケスの作品群でした。

最高傑作「ラス・メニーナス」。世界三大名画の一つです。
多くの人物が集う空間。その場の空気感まで描き切ったベラスケス。戸嶋はその描き方の根源は何かと探りました。
例えば遠くから見るとリアルに見える衣装やブローチなどは、近づくと大雑把な筆運びで描かれています。こうした技法がベラスケスのリアリズムを支えているのです。戸嶋は美の対象に向かう時、その都度言葉を残しています。

「ベラスケスの絵は崇高なものだけを求めている。崇高とは生命の神秘と悲哀だ」

ベラスケスのリアリズムに触れた戸嶋。その姿を追ってベラスケスの故郷の近郊に移り住みます。

聖母・マリアの誕生を祝うアスナルカサルの聖体行列。戸嶋も見たこのカトリックの祭事は毎年9月に行われるものです。町は宗教的な熱狂に包まれ、人々は目に見えない神の存在をリアルに感じます。スペインでは今も生活に根差した敬虔な信仰が生きています。戸嶋はこうした宗教体験に触れて自分が求める新たなリアリズムのヒントを得ていきます。

聖体行列の世話役サンチェスさん。彼は戸嶋の作品を持っているといいます。
今まで全く知られていなかったその作品を見せてもらうことにしました。絵のモデル、サンチェスさんのおばは小間物屋と魚屋を商う女性でした。

戸嶋は日頃の感謝の気持ちを込め、作品をプレゼントしました。この油絵はスピード感のあるタッチと大胆な省略で描かれています。細部が描かれていなくてもモデルの温かい人柄が伝わってきます。

「幼いころからこの作品の筆遣いと色合いに衝撃を受けてきました。まるで話しかけられているというか、じっと見られているかのようです。僕は絵の中に伯母さんを強く感じます」
人々との交流を深めながらスペイン社会になじんでいきました。

戸嶋がスペインを選んだのはベラスケスに加えて、もうひとつ大きな理由がありました。

「死にゆくキリスト」日本にいるときこの作品を画集で見て強く魅きつけられました。
イエスの凄惨な姿が一切美化されることなく再現されています。イエスが人間の贖罪のために払った苦しみを忘れないためにリアルに表現しているのです。

その生々しい姿を見た人々はあたかも自分が目撃したかのように感じるのです。生命の根源。魂までをも描きたいという戸嶋は、ここでの体験で多くの発見をしていきます。

アルハンブラ宮殿で知られるスペイン南部の古都グラナダ。ここは700年間におよぶカトリックとイスラムの戦いで多くの血が流された町です。

旧市街地アルバイシン。迷路のように入り組んだ細い路地と坂の町です。もともとはイスラム教徒の居住区だったため、エキゾチックな雰囲気が漂っています。1976年、戸嶋はここアルバイシンを自分の居場所と決めました。

この三階建ての細長い住宅が戸嶋の住居兼アトリエでした。泥棒やスリが多発する地域でしたが戸嶋は全く意に介しませんでした。窓から見える景観に魅かれたのです。華やかなアルハンブラとは対照的な落ち着いた旧市街。戸嶋をとらえたこの風景は何枚もの名作として残されています。

代表作の一つ「街・三つの塔~グラナダ遠望~」。
この絵にはグラナダの深く、重い歴史が刻み込まれています。
「グラナダには内向的な一つの悲しみがある。だから魅かれるのだ」
グラナダに移り住んでまもなく、戸嶋は教会のさい銭箱をあさる老女に気づきます。不思議なことに街の人は彼女をとがめませんでした。

老女の名はベルタ。グラナダの名門の令嬢でしたが、歴史の波に翻弄され没落し、貧しい晩年を送っていました。人々が彼女の行動を黙認したのは街の誇りであったベルタの一族に敬意を表したことからです。

「老女・ベルタ」

戸嶋のリアリズムを理解するうえでその第一段階ともいうべき作品です。

戸嶋は誇り高いベルタの精神に、スペインの重い歴史を感じ取ります。それを表現するために、写実を排し、ゆるぎない堅牢な岩のように描きました。彼女の気高い魂の輝きは白を使って表現しています。魂は内面から発する光。その後の戸嶋芸術の特徴となります。

ベルタの制作風景を見ていた人がいます。スペインで活躍する彫刻家の増田感さん。
戸嶋と同じ時期にグラナダで暮らしていました。
「戸嶋さんは人間性とか、その人の奥深き人生のドラマ。なんかそういう風なものを見つめられておられた気がしますね。表面をただ単に追って描くんじゃなくて、もっと内面的なもの。中から出てくるもの。それが欲しかったのではないでしょうか」

これもベルタの像です。窓から差し込む光でベルタの魂が輝きます。
「ああ、いいタッチで描かれているなと思って見てたら、急にパレットナイフ持ち出してダダダッと消されるんです。僕はもったいないなと思ったのですが。一編に描き上げるものではない。何度も何度もやり直して、パレットナイフで削り上げて、その上にまた描く。人はわからないかもわからないけど、その深さ。彼の。自分を刻むようにパレットを使ってました」

戸嶋が模索するリアリズムは49歳の時、さらに深化を見せます。それはある女生との運命的な出会いがきっかけでした。

道化師や舞台女優を生業とするフランス人のクリスティーヌさん。彼女よって肉体と魂という重要なモチーフに取り組みます。エネルギッシュで底抜けに明るいクリスティーヌ。戸嶋は彼女をモデルに肉体のリアリズムを模索していきます。

クリスティーヌを描いた作品。一見、絵の具が盛り上がって見えますが、実は薄く塗られています。

暗い背景から徐々に現れ出てくるかのようなクリスティーヌの存在感。戸嶋は自らが探し求めるリアリズムに手ごたえを感じ始めます。

クリスティーヌの肉体がカンバスに溶け込むように描かれています。
クリスティーヌの姿を一度溶解し、そこから自らの魂で再び形を生み出すというリアリズムです。
「肉体は朽ちはてるものであって、本質的には存在していない。腐っていく過程こそが肉体なのだ。だから愛情がなければそれを見つめることはできない」

「私を描いた作品を見たときは衝撃的でした。私の奥深いところを捉えていたからです。モデルをしている時に何をしていても無関係でした。戸嶋は常に求めていたものを捉えました。美しい部分だけではなく、醜い部分もとらえたと思います」

酒場でも戸嶋は自分の心を捉えるモデルを探していました。

戸嶋が酒場で見つけたモデルの一人、ミゲール。あるミール中毒で、定職を持たない男でした。しかし戸嶋はその肉体に強い魂を感じました。

「アルバイシンの男~ミゲールの像~」
瞳は心を映し出す窓。人の感情がもっと見現れる箇所です。画家なら誰しもはっきりと描こうとしますが、戸嶋は違いました。戸嶋は形だけを忠実に模して描こうとはしませんでした。それは、いつわりの魂を描いてしまうという危うさがあるからです。眼を描くにあたって、色を幾重にも重ねて、自然に生まれ出るようにしたのです。

「ミゲールは奥底に無欲のエレガンスをもっている。彼は無だから全てでもあるのだ」

展覧会を企画したスペイン外務省の文化担当サンティアゴ・アミーゴ・エレーロさんはこういいます。「戸嶋の作品で特に印象深いのは光です。遠くから見ると暗闇のようですが、近づくと輝きます。ペラスケスと戸嶋の共通点があるとしたら光だと思います。内面性が戸嶋の作品を力強くしています。これはベラスケスにも見られるものですが、戸嶋も人生を通じて内面の力強さを追求しました」人物描写を通じて自分のリアリズムを見出そうとした戸嶋。終生、人物を描くことに強くこだわりました。

「人体そのものの描写は、19世紀でモチーフとしては終わりです。しかしなぜ取り組んだかというと、人体の中に生きる物に共通する力があったからです」

1995年。戸嶋は絵を描くためにグラナダを訪れた奥田瑛二さんに出会います。戸嶋61歳。奥田さん45歳でした。

20年以上の歳月を経て戸嶋作品と再会した奥田さん。グラナダで戸嶋が描いていた作品を見て、当時の記憶がよみがえってきました。
「何をやっているんだ貴様はって言われて、役者ですっていったら、あ、そうか。役者ってどういうものか。と言われたとき困りました。この人というのは、絵を描く対象の人物がいて絵を描いているのですが、その人の血と自分の血が混ざりあうような感覚ですかね、相手の血なのか自分の血なのか、見えない距離感の中でそれが呼応しあって混じりあうというか、筆運びが違ってくるのだという気がします」

戸嶋が創設に尽力したタジール・デ・アルテ(芸術家たちの交流の場)。

ロビーには戸嶋の作品や若手画家が描いた戸嶋の肖像画が飾られていました。戸嶋はここに集う多くの芸術家の注目を集めていました。

「戸嶋は一切、大物ぶった態度はとらず、ああしろこうしろと言いませんでした。しかし作品の評価を求められたときは、決して意見をごまかしたりはせず黙ることなくはっきりと意見を述べていました。戸嶋は私たちの精神的な父親でした」

タジール・デ・アルテで一人の若手芸術家が戸嶋を捉えました。版画家のホアキン。ともに芸術を語り合えるかけがえのない友でした。しかし彼は病のため37歳で亡くなりました。

戸嶋はいつも花梨をくれた亡き友を偲んで花梨を描き始めます。花梨を描くということは、戸嶋が生命と魂という命題を植物まで広げたことを意味します。戸嶋は花梨を何日もアトリエに放置して、腐っていく様子を凝視しました。生命が消えていく瞬間を見届けたかったのです。

「花梨には、はつらつとした生命の息吹と、腐りゆく生命の悲しみが同居している」

グラナダ大聖堂。戸嶋の心をいやしてきた場所です。制作で疲れた心をパイプオルガンの調べにゆだねてきました。戸嶋の画家生活は妻からの仕送りで支えられていました。清貧な生活の中で、懸命に描き続けましたが作品を手放すことはほとんどありませんでした。

1998年。日本から深刻な知らせが届きます。長年戸嶋を支えてきた妻曰子が重い病に倒れたのです。戸嶋は直ちに帰国。看病もむなしく翌年妻は逝去。戸嶋もまた病に侵され、2006年7月、72歳でこの世を去りました。