日曜美術館「 ゴッホ 草木への祈り」

日曜美術館「 ゴッホ 草木への祈り」

ゴッホ が描いた膨大な草木や花。たった一本の草木にゴッホは何を見たのか?知られざるゴッホの真実に迫る。現在来日中の「糸杉」。まっすぐ天に向かって伸びる姿にゴッホは何を見たのか?西洋では死の象徴とされる糸杉、しかしゴッホは生命の証として描いた。なぜか?何枚もの糸杉の絵の変遷から見えてきたゴッホの心の内側。浮かび上がる炎の画家の知られざる「祈り」とは?悲劇の裏に隠された自然に神への祈りを託した真実。

放送:2020年2月23日

日曜美術館 これまでのエピソード | 風流

日曜美術館「ゴッホ 草木への祈り」

鮮烈なまでの現職
渦巻く曲線
分厚く盛り上がった油への
描いたのは炎ピンセントファンゴッホ

今兵庫県立美術館で回顧展が開かれています

僕はやっぱりタッチですねそれから色彩とかそういうのをとってるんですけど
生き方がすごい出てる人だなってその感情がすごい絵に出る人だなっていうのを感じました

初期の代表作ジャガイモを食べる人々
牧師の息子だったゴッホが
貧しい農民の労働にこそ尊いものがあると信じて書いた一枚です
そして晩年に描き続けた糸杉
大地に根を張り力強くうねる経営と立ち上る姿です

人間よりもっとこうすごいあの大きなものをこう
やっぱりそあの尊敬するというか
そういうものにイフを感じる心っていう
そういうものに近いんじゃないかなと思いますけれど

わずか十年の画業初期と二つの作品の間でゴッホは何を見たのか
残された手紙から炎の画家ゴッホの知られざる真実を紐解いていきます

日曜美術館です
今日のテーマは炎の画家ゴッホです
これはクローン文化財と言いまして
東京芸術大学の最新技術を使って作られた文化財の保存や公開目的としたものです
そばにいて触ってみることもできるので
ここ恋ですようねるような感じですよねわかるようになります
でもなんかあつのりかと思ったらそうでもないですね
少しデコボコが
ゴッホの画業十年ほどなんですけれども
まずは初期の作品から見ていきます
1885年三十二歳のゴッホが初めて書いた油への対策です

ランプのわずかな明かりの下で食卓を囲む農民
太く荒々しい線が生活の苦しさを伝えます
茹でただけのジャガイモも
そこに伸びる手はごつごつと節くれたち労働の厳しさを物語ります
ゴッホはこの絵に何を託したのでしょうか

1853年
ゴッホはオランダ南部の小さな村に代々続く牧師の家に生まれました
幼い頃から聖書を読み聞かされ信仰心を育みます
牧師を目指しますが頑固な性格が災いし周りと衝突を繰り返しました
二十五歳の時ベルギーにある炭鉱の町に移り住み
伝道師の見習いとして働き始めます
そこは採掘量が少ない貧しい地域でした
重い袋を担いで日にちの糧を稼ぐ女たち
この貧しい人たちを救いたい
ゴッホは自分の服や金を全て分け与えるほど献身的に働きます
しかしその行為が常軌を逸していると解雇されてしまいます
夢だった牧師への道は完全に立たれました
失意の中ゴッホが決意したのは画家になることでした
では独学で学び始めます
決して甘くはありませんが
実直にモデルの姿を捉えようとしています
そんなゴッホが最も敬愛したのが農民画家ミレーでした
弟のテオに手紙で綴っています
僕は作品の中に自分の思想を取り入れるように勤めるのは画家の義務だと考えている
美麗が信じていたような高みにあるもの
つまり神と永遠性の存在を示す最も有力な印というのは
言葉にできないような哀れの表現にある農民の中にこそ尊いものがあるはずだ
自分も美麗のように大きなものを書きたい
ゴッホは何度も美麗の絵を模写ししゅうさくに取り組みます
その一枚ゴッホが最もこだわったのが
日にちの労働で酷使されたてでした
様々な角度から必要にデッサンを繰り返します
そうした鍛錬は五年に及びました
として出来上がったのが最初の油絵ジャガイモを食べる人々でした
反省してすぐに手をへ送った手紙からは
ゴッホの高まる気持ちが読み取れます
小さなランプの光でジャガイモを食べている
この家族がさらに手を伸ばしているその手で
自分たちの土地を耕したということ
つまりそれは手の労働であり
彼らがいかに自らの食料を誠実に得たのかということを
僕はどうしても示したかった
大きな地震を得たゴッホ自ら版画を作り家族や友人に送り届けます
しかし画家仲間からは物事をなぜ上辺だけでとらえるのか
どうして動きを勉強しない彼らは
まるでポーズを取っていると厳しく批判されてしまいます
ゴッホは反論します
農民たちを描くということは
極めて弱い人間には
取り掛かろうとすら思えないような種類の仕事なんだ
僕は少なくともそれに挑戦したし
ある種の基礎も気づいた
君が考えているよりずっと確かな有益なものを掴んだ
でも僕は自分にできないことをし続けるよ
それができるようになるために
ゴッホにとって絵描きになるとはどういうことだったのか
ゴッホ研究の第一人者である香寺つかささんに話を聞きました

からの神の言葉を種まく人になりたいっていう言葉を残してるんですね
でそれはあの聖職者であろうが伝道者であろうがそれから画家になっても
基本的にはそれほど変わってはいないんですね
ただそのうんと境界を返さなくても神の言葉というか
非常にこう大きな高い倫理みたいなものを人々に伝える
という仕事は画家になってもしようと思っていたと思います

神の言葉を種まく人になりたい
午後は画家として新たな道を歩み始めます
ではゲストをご紹介しましょう
ゴッホについての著作も数を木下長宏さんですよろしくお願い致します

ゴッホがですね主題が農民やその慎ましい生活をしている人々たちだっていうことで
それを描くに際してあの味としても自然にこういう風な色調に
そうですねあの一番底辺に
いる人たちの貧しい生活
この人達に本当は神の言葉で牧師で救いたかったのに
それが出来ないと分かったときにそれを何とかえで実現しようと
それまだ僕だから彼の場合は画家になる
スタートの文字の同期が全然他の川と違うって
だいたいの方は絵が好きで好きでそれで
お弟子偉い先生とかお弟子になってあの絵を勉強するんだけど
彼の場合はそういう神の言葉を語るには
もし牧師になれないとしたら
もう画家しかないのかっていう感じで画家に立ってきます
大変興味深いですね
つまりその絵を選んだっていうその神の教えを伝えるために
これはですねまあ彼が映画好きだったっていうこともあってて
お腹が進めるんですけど
伝統的にヨーロッパでは画家は神様の次に世界をつくる人だって
カトリックの教えがありますでおそらくそれもあっただろうと思います
だからそう相当何ていうんでしょうね
僕の印象なんですけど
外側の影響ってすごいちゃんと受容できる人なんですね
勉強して好きな人が一生懸命
この人から学ぼうと思うと
まめにそれはその方にとってはこう学びたいという相手は画家で言うと美麗なんですか
若い頃からずっと未練は尊敬してましたから
これももちろん東京のとんで光と影が出てますし
それは大きな影響を受けた大きな人だと思います
どういう影響があります例えば一つはあの信仰心ですね
神様を歌い上げるてる中では見ればやっぱりあのー
なかなか表現力豊かにやっていますから
あとこの言葉が神の言葉を種まく人になりたいっていうのは
聖書の言葉なんだから
聖書では神様の言葉がタネを蒔いて芽が生える説教の一つですから
そういうのふうに種を蒔いている未練の種まく人という意味だと
そういうことを象徴しているっていう意味だと思いますけど
やっぱりこの時期のゴッホっていうのは
やっぱりキリスト教的な信仰って非常に暑い
まだ暑かったと思いますね
もう協会は懲り懲りだと思っているんですけど
神様の言葉っていうのは
彼はまだ信じていたってまだって言ったら悪いけど強く信じていて
それをえーで実現したいと思っていた
すごくピュアなまさに聖書にあることをそのまま自分の体を通して
こうやっていきたいって思うような人そうですよね
そういう意味ではとてもピュアだと思いますね
そのピュアさがそれは生涯ずついていくわけだけど
彼の絵をなかなか理解してもらえない一つになるんだと思いますね

さあ続いては画家として歩み始めたゴッホがフランスでどんな暮らしを送るのかその辺りを見ていきます
1816年ゴッホは弟テオを頼り芸術の都パリへやってきます
ゴッホは印象派の画家たちと交流を結び
オランダ時代とは一転して鮮やかな色彩表現を獲得します
そしてパリで二年を過ごした後
太陽の光を求めて南フランスアルルを目指します
ここでゴッホの代表作が次々と生み出されます
或るの跳ね橋洗濯女たちの作る水面の波紋と
橋を渡る馬車の動きが響き合い
春の陽光に満ちたみずみずしい川辺の風景が描き出されています
そしてあのひまわりもこの場所で誕生しました
花だけでなく背景の壁までも
全て黄色のバリエーションだけで描くことに挑戦しています
数々の小さな花弁まで厚塗りされ
毛羽立ちような筆使いで力強く表現しています
しかしゴッホは苦悩を抱えていました
え一枚も売れず
認められない日にち弟の仕送りに頼るしかありませんでした
僕は人生においても海外においても紙などなくてもやっていけるが
でもとても苦しんでいて何か僕以上に偉大なもの
僕の生命力であり
想像力となるものがないとどうしてもやっていけない
そんな時かつて見た日本の芸術を紹介する雑誌を思い出します
その中の一枚にゴッホは心を奪われます
それは誰が書いたかもわからない草のえーでした
日本美術を研究すると明らかに賢く哲学的で知的な人物に出会う
その人は何をして時を過ごしているのだろうか
地球と月の距離を研究しているのか
違うビスマルクの政策を研究しているのかいや違う
その人はただ一本の草の芽を研究しているのだ
どうかねまるで自分自身が花であるかのように自然の中に生きる
こんなに単純な日本人が教えてくれるものこそ
まずは真の宗教ではないだろうか
ゴッホは草の芽一つに宗教を見つけたのです
そしてこの絵を部屋の壁に貼り
飽きることなく眺め続けていたと言います
そしてゴッホ自身も書き始めます
黄色い花と地面を覆う様々な草
こちらは朝が草むらの中を飛んでいます
ゴッホは何枚も書き続けました
その中の一枚が神奈川県箱根の美術館に収蔵されています
現れたのは緑の画面
棚もちょん何もない
ただ草むらだけが描かれています
恐らくこういゼロ立ててというよりはもしかしたらこうね
地面に座って本当にこう近い視点で本当にこう
自分の隣にと近くにある
目に入った草を書いているのではないかと非常にこう勢いのある
あの筆使いで描かれています殆ど舌がなくてですね
恐らくこうキャンバスに直
にですね午後はこう勢いのある筆使いで
草の一本一本買っていったんだと思います
よく見ると草の一本一本が細かく塗り分けられていて
それが何本も重なることで
むっとするほどの濃密な臭い布を感じさせるのです
作品の裏には普段は滅多に書かないゴッホのサインが記されていました
ゴッホにとってそれだけこの草むらは大事な作品だったのです
実はこの時ゴッホは病気を発症し錯乱状態にありました
自らの耳を切り落とすという事件まで起こしていました
そうした中でこの草むらに没頭していたのです
ゴッホは自ら南フランスにあるサンレミドプロヴァンスの病院に入院します
そして病室で新たなモチーフを発見するのです
それが窓から見た糸杉でした
ゴッホは糸杉を書かずにはいられませんでした
地面から天に向かってうねる様は
画面をはみ出してどこまでも伸びていくようです
根元に生い茂る下草黄色や黄緑色で描かれ
糸杉を支えるように蠢いています
がを近くで見てみると一つ一つがうねっていることがわかります
そのうねりが一固まりとなり
さらに大きくなって一本十過ぎとなるのです
侍で学んだ対象にできるだけ近付き観察すること
そこから生まれる激しい筆遣いがそれを可能にしていました
実は糸杉は南仏では墓場などに植えられ死を意味すると言われます
ゴッホは死を意識していたのでしょうか
糸杉のことが四十頭から離れない
なんとかひまわりの絵のようなものに仕上げたいと思っている
驚くべきことだが
これまでこれらの木を
僕の目に映っているような感じに書いた人がいないのだ
これらの木はプロポーション美しくまるでエジプトのオベリスクのようだ
ゴッホは古代エジプトで太陽心の象徴だったオベリスクを糸杉と重ね合わせていたのです
ゴッホを長年研究してきた木下長宏さんは糸杉は死の象徴ではなく
祈りを捧げる信仰の対象そのものではないかと言います
点に手を伸ばしていける自然の力っていうのを見つけて一生懸命悪用します
ま人間が人間よりもっとこうすごい
あの大きなものをあの尊敬するというか
そういうものにイフを感じる心っていうか
そういうものに近いんじゃないかなと思いますけれどこの後
午後は何枚も糸杉を描いて
いきます代表作星月夜です
糸杉は炎のように揺らめき
天を焦がすかのごとく立ち上っていきます
渦を巻き暴れだす大気心をざわつかせる天空の輝きです
事情には刀の尖った教会が遠くに見えます
しかしその姿は小さく
もはやゴッホにとって畏怖すべき対象は教会ではなく
手前に大きく描かれた糸杉であることを暗示しています
そして一年最後の糸杉が完成します
糸杉と星の見える位置空には
ゴッホならではの短い線で表現された輝く星三日月は
今度はオレンジと黄色の柔らかな光を帯びています
この間を糸杉が天空を目指してまっすぐ伸びていきます
歩いているのは二人の農夫仕事を終え
家路に着くところでしょうか
絵を描き始めた頃から見つめた労働のトートさん
そして心の病を抱えながら
一本の草の芽から知ることのできた自然への祈り
ゴッホが信じて疑わなかった二つが
一枚の絵の中に穏やかに同居していました

あの人間を超える
なんか大きなこう力っていうか
大きな存在っていうか
そういうものに対するこういふの子というのは
まあゴッホは感じてただろうとおっしゃってました
そういうことが誤報にとっては宗教的なものだったということで
そうですねあの協会が教える神様はもう信じられなくなったけど
神様とは言いたくないんだけど
でもなんか自分をよりもより大きなじぶだけじゃなくて
この世界を支えているようなあの力生命のようなもの
それがなかったら僕は生きられないとそれを書きたい
だからそういう意味が非常に宗教的な画家です
でもどこの周波にも属さない
それでさらにこうあるな普通の光の強い光っていうか
その中でまたこうその彼の確信が深まっていくっていうですね
あの自分のさ伝えている大きな力っていうと
やっぱりどうしても天の方に行きますよね
でも彼は若い頃からあのー
神様を信じていた頃から教会の尖塔書くのが
好きですたくさん残していますかそれ一つの憧れですね
そうするとあれですよね
なんか糸杉っていうのはある種こう
協会の先頭にもなぜだオベリスクとか言ってますけども
そこにはやっぱりその銭湯があっただろうと思います
でもその信仰じゃなくて点を憧れるんではなくてこの
愛しいを見つけるっていうのは
第一に根を張っている一つの木ですね
これはあの一本の草の芽の比喩だと思います
その気にそういう点に向かっていく力がある
第一に根を張って天に向かっている力を見つけてからは
実はもう共感先頭書かなくなるんですね人にも何枚
も書いてあっておっしゃってましたけれど
今こちらに三種類の雪がこれはその名前もある
うちのあの丁度糸杉に出会って糸杉に分かれていくのをこうあのー
上手く語ってくれる三昧だと思う
一番一番初めでもないですけど
これぞあの教会の先頭にかわる人過ぎだと思って書いた
ものだと思うんですが
まだ一番この三つの中でなんていうんでしょう写実的ですよね
そのうち何回か会っている時に
この二つはそんなに間がないんだけど
飛躍がありましてもうここではあの真ん中の星月夜
糸杉が自然自然の木ではなくって業界の先頭の代わりを
するメッセージをいっぱい含んだきとして描かれている
そして一番最後がその道があり糸杉があり人がそうですね
でこのこの道はあのー
こっちが半分道の半分しか書いていませんけど
これやっぱり彼が好きだった一本道
ずっと繋がっている一般道の一部を書いているまったく同じ絵です
ねだからこれ先の方にずっと繋がってるんだと思いますが
その途中にこの糸杉があって
この糸杉ももうあのタッチと色でもって作ったっていう感じで
あの写実じゃないですね
そして後ろの方に月と星ですねホストを書いていますが
好転の無限のようなものを描こうとしたんだろうと思いますが
渦巻いている動きの激しさよりは
そういうタッチの動きの中からこう聞こえてくる
無限の声というよりはいいのかなそういうものを書きたいんだと
思いますねこの時決定的なのは
自分の絵は人々を救えるってどっかに思ってるパリもある
ところが発病しましてから
救おうと思っていた対象に自分がなってる
これはとても大きな経験だと思います
自分が救われなくなくなくない
救われなければならない人間になったという気持ちで
これ書いてますね
このね糸杉を書いているときに
実はゴーギャンにはその手紙を書いているとこの後ですね
やっぱりでゴーギャンがあの自分の作品を見てくれた
っていう評判を聞いて手紙を書きたくて
それであのこのえー最後の絵を自分としては自負があるから
書こうとしたんでしょうねちょっと
その手紙の一部をご紹介してもいいですか
僕は今でもサンレミで最後に書いた糸杉と星空の絵を持っている
夜空には輝きを秘めた月が上がり
この三日月は大地に落ちてきている不透明な影の間から
姿を現している
高くそびえ立つ一本の糸杉がまっすぐに黒グロと立っている
街道には白い馬に引かれた黄色の車が一台とその前を散歩する
人影が二つすごくロマンチックなんだが
これがプロヴァンスなんだと思うんだよ
これあーゴーギャンに書いた手紙なんだけれども
出してないなかったです
老眼にあの伝えたいんだけど
伝えるとゴーギャンとまた紛争が起こってくる
嫌な思いで残ってくるってことがあったんじゃないでしょうかね
僕もね僕は塗装がシカゴこの画面が好きで
これも何回釣行読みました
それであのーテーマを読むとやっぱりそのごく方法って手紙を鍵だ
とこの高原とあんな激しいぶつかりがあった
っていうのが想像できないぐらいこうすごい優しいね
言葉とこう愛情を持って語りかけてるっていう感じがある
でもそれでもこの点に送れなかったっていうか
遅れなかったんでしょうね
送れなかったけどもステムもできなかったなんかこの手紙が
亡くなってから見つかったっていうかすごくね
なんかこう情熱的でこう劇場にかられやすいような人である
やっぱりこうゴッホって非常に繊細な人なんじゃないか
人の気持ちをすごいこう考えるって考えて
その想像しようとする人のことも凄く考えてすぐ
喧嘩もしますけどもそれは人のことを考えるからでしょうね
繊細でこの手紙などは
本当にたくさんの手紙の中でも
貴重な絵を理解する鍵になる手紙だと僕は思いますね

さあ続いては
ゴッホが晩年どんな作品を描いたのかを見ていきましょう
ゴッホが最後に暮らしたパリ近郊の小さな村
オーヴェルシュル追わず滞在したのはわずか二ヶ月でした
麦畑の真ん中に曲がりくねったどこまでも続く道が描かれています
ゴッホが自ら悲しみや極度の孤独を表現してみようとしたと語った一枚です
五本はどこへ進もうとしていたのでしょうか
ゴッホの絵を長年愛してきた絵本作家で画家のいせひでこさん
伊勢さんの絵本にもしばしば盛り焼きなどの自然が描かれます
飢餓も十分になる絵本を書いてるの確かなんですよね
でも意識的に昨日も過去になって思ってなくても
どうして私もこうなったのかなって思うんですけれど
たぶん一つにはきっと人間は似てると小さな種が芽が出て育ってた
僕になるようにと親は願いますよねええよな感覚
私から見たら気も子供も育つもの
生まれたら育つものとして同じなんですよね
店さんが最も好きだというゴッホの作品がありますボッホ
がさんじゅーなな歳で亡くなりその月に描かれた作品です
斜面にへばりつくように伸びる木の幹と
そこからむき出しになっているねりささんは
ゴッホの命に対する強い想いを感じるといいます
高校が植物を見る目っていうのはもう命を見る目であってで
愛情を注げる目であってそうですね
人を見る目も親を見る目も仕事を見る目も
宗教を見る目も同じだったと思う
人は人の愛し方も
上の愛し方もあここにちょっと面白いものがあるんですけど
これ見える見えますねが入ってるでしょこれ
ナスビっていう雑草でもどこでもはびこる
みんなから嫌われ者の草なん
ですけれどこんなちっちゃなあの別れてしまった子から
また生えてくるすごい強い草なのね
それがあのーゴッホが年に対する思いだと思うんですよねっていうのは
そういう自分がどんなになってもまたまたどっかから生まれて
あのえーだからまた生まれて根付いてくれて
そういう希望もここにあったんじゃないのかなと思う
うんこの音の力強さは何なんだろうと
もう一度僕はここの土地で行きたいと思ったのか
このしがみつくねみたいに
自分もどこでもいいから
しがみつきたいと思ったのか分かんないですよ
だけど音を書きたい値を書いているこのエネルギ
私これすごい力強いだと思うんですねこれ
は好きですねものすごくあのカラスの色右畑よりずっと好きなるね
月に書いた絵がこれだっていうことを考えると
ゴッホはどう考えてたんでしょうね
もう自分の命がつきると思って書いてるえーではないですね
この絵を見ている限りねいや誤報の絵をその心の手紙を読んで
もあのー自分からもうあそこで死にたいという状況
証拠になるものは何もない
僕は全てこう命っていうのを肯定するようなえーだと感じるので
だからそのおっしゃるようにやっぱりこう
最後の最後までこうあんまりこうしっていうようなことが書いて
その時には少なくともその買ったときは
まさにこう問いかけながら常にこう多分大きなものと対話しながら
書いてたんじゃないかと思うので
市の象徴の糸杉を書いていくときでさえしを感じさせない表現には
わずかに二ヶ月ですけど本当にご夫婦が変わったと思うんですね
麦畑ももうなんか明るい晴れ晴れと広々としたんで
ちょっと小高い丘の上ですよね
そういうところと言っても解放されたと思うんですね
そしてもう自然と対応するようになって
その時に花の絵も書いてますけども
花ともう隠し未来も隠し葉っぱも隠し根っこも書く
やっぱ植物植物ですね
これは一本の草の芽がやっぱり頭にあったと思い
ずっと植物ですね
木下さんがお好きな縁も植物の金麦の穂って
この映画好きの方だけなんですね
それとも木の葉っぱと一見するとね最初何の枝の層がありますよね
なんかちょっと抽象画みたいな何かこの麦の穂とご飯なんですけど
咳が聞こえてくる静かな打撃が
ねそういうえーですからこのこのこの枝とでもそうですけど
空を描く必要すらない天井手になるものを描く必要すらなく
そこにもう全てが全てがある
とあるとそういう意味ではえーとして離れて
ゴッホの絵として離れてみて
僕はとても家だと思うだと同時にゴッホという人が
強いおばに辿ってきた画家として辿って探してきたものも
ここにトンボの言葉を伝えたい
あるいは労働の尊さを伝えたいというところから
筆を持った人がま年を重ね
色んな事がある中で草に入ったと単なるの草
小麦だから飲む酒は言えないんだけどいやそうではない
けどものに生えている畑に生えてる草は何て言うか
全部遅い三鷹立っている地面
地面に一番近いところにあるものが宇宙が始まってるっていうのは
すばらしいですね
そういうそういう絵を描きたかったんだと思います
何かちょっと違う方法に出会えたような気がしますね
今日はどうもありがとうございました