日曜美術館「謎のヌード クラーナハ の誘惑」ヌードに隠された秘密

16世紀、謎めいたヌードを描き続けたルカス・ クラーナハ (1472~1553)。500年たった今も、見る者たちを“誘惑する”その絵の魅力をひもといていく。

闇の中、白い肌を輝かせるヴィーナス。描いたのはルカス・クラーナハ(1472~1553)。宗教改革の嵐が吹き荒れるドイツで数々のヌードを描き、大人気を誇った。イタリア・ルネサンスとは大きくかけ離れ、独自のデフォルメを施したクラーナハのヌード。画家・塩谷亮がそのデフォルメを徹底分析。MCの井浦新と伊東敏恵はゲストのドイツ文学者で作家の中野京子とクラーナハの世界を堪能していく。

出演: 中野京子 森村泰昌 新藤淳 塩谷亮 司会: 井浦新 伊東敏恵

放送:2016年12月11日

日曜美術館「謎のヌード クラーナハの誘惑」ヌードに隠された秘密

闇に輝く白い花体をくねらせるのは
若い女性見られていると知りながらの微笑みでしょう
どうの雰囲気が漂ううどです
そして口を開け目も虚ろな男の首奴隷なファッションに身を包み
こちらを見つめているのはやはり女性
その目の冷ややかなこと描いたのは
るカスクらな十六世紀のドイツで異彩を放った画家です
その魅力を現代の作家が紐解きます
知識というか奇妙というか何ですかね
この違和感どこかいびつなのに惹かれてしまう秘密は
クラーナハ流の絵画表現にありました
さらにクラナハが描いた女性たちがまとう危うい雰囲気
男を誘い込むようなその力こそ女の力です
その力に魅了され作品を作った人も進数な感じ
一見も出せるんだけど
でもよく見てると怪しげなものっていうんですか
あやかしの世界ですよね出ればやけどするかもしれない
でもだからこそ触れてみたい
ブランドの花を生み出した怪しい世界
に足を踏み入れてみましょう

ちょっと大きさにまずちょっと驚きますね
ちょっと不思議な
もうちょっと入り込んでしまった雰囲気のこの那須の存在に
国府と引き寄せられるようなでも近づくと怖いようなジム
足元を見てみると石が見えたりしますよね
大地の上に立っていて
スポットライトを受けているっていうような感じなんですか
女性の怪しさが際立ってますよね
ヴィーナスの
飾りネックレスとかすごい
秘密で
あのネックレスが裸体についてるから余計こう嫌らしさを感じる
というか今回のゲストをご紹介いたしましょう
ドイツ文学者で
作家の中野京子さんですよろしくお願い致します
よろしくお願いします初めて聞いた
方なんですけども
今から五百年前ぐらいにのドイツで生まれた画家でえーと
イタリア人で言ったらミケランジェロとほぼ同時代人ですね
この裸体画はあの彼の一番の特徴で
だからぱっと見たらすぐクラナッハだってわかるえですね
やっぱりあまりにも生々しい生々しいそういう感じですね
ドイツの首都ベルリンから
男性に九十キロの小さな都市一テンベルク
十六世紀ルカスクラナッハはこの地で画家として活躍しました
三十
代で宮廷画家になった頃に描かれた作品

力強いタッチが
ドラマチックな空間を作り上げています
この画家がたぐいまれな才能を持っていたことが
窺い知れます
プロの歯が生きた時代ヨーロッパ中が混乱のただ中にありました
そのきっかけを作ったのがマルティンルターです
ルタは宗教改革の旋風を巻き起こした人物です
土間カトリック教会の本拠地サンピエトロ
大聖堂十六世紀時の恐慌が大改築を計画します
その実現には莫大な資金を必要としました
そこで発行されたのが免罪符
これを買えば犯してきた罪の償いが免除されるというもの
強硬派免罪符の売り上げで大聖堂の建設資金を賄うとしたのです
金さえ払えば罪の償いが免れる
そんな免罪符はドイツで大々的に売り出されます
ヴィッテンベルクで司祭をしていたルタは猛然と異を唱えました
聖書を抱え免罪符を握りつぶすルタまもなく
ドイツ中が激しい対立の渦に巻き込まれます
血みどろの戦いも繰り広げられました
そいはやがてヨーロッパ中に広まり実に百年以上続きました
その激動の時代をクラーナハはどうくぐり抜けたのでしょうか
彼らはそのルタと非常に親しい間柄にありましたから
そのプライベートな関係もありました
例えばそのールタと
それからあのー
カタリナフォンボラという
あの奥さんとの結婚の立会人にもなってますし
古田もそのクラナハの子供の名づけ親になっていたりとかですね
非常にこう密接な
関係があったわけですね
と同時にそのクラナハ自身
やはりえーまある種の商売人ではあったわけなので
既存のカトリックもまだまだすごく力を持っていたわけですから
あのそちらの人たちとうまく付き合っていくという
かくらなははルタの肖像画を何枚も書きましたルタがドイツ
語に翻訳した聖書の挿絵を手がけます
その一方でルタと対立するカトリック教会からも
注文を受けていたとも言われます
厳しい時代状況の中
クラナハは柔軟に立ち振る舞い自らの才能を発揮し続けました
それでも創作の場が奪われそうになります
偶像破壊運動が起こったのです
宗教画や彫刻を不要のものとみなす風潮のもと
クラナハへの絵画の注文は激減したといいます
そこでクラ那覇は今までとは全く違うジャンルに活路を見出します
それが無度でした
そもそもぬ度というのはドイツには基本的にはなかったわけですね
当時それはイタリアにはありましたが
イタリアルネサンスにはありましたから
そういうものを早くやはり欲しかったと思いますね
プラ那覇は心をモチーフにした裸体画を次々と描きます
こちらはヴィーナスとキューピッドです
左には不安な表情のキューピット
手には無理やりもぎ取ったハチの巣が
その隣には透明のベルを持った母ヴィーナス右上には
もしそこにはこうあります
キューピッドは蜂の巣から蜜を盗むとした八は針でその指を指した
束の間の快楽を貪るとしても
快楽は人に苦痛を与え害をもたらす
言葉を添えることで
単なるヌードではなく
道徳性のある絵画だということができたのです
しかし
クラナハは徐々にそうした説明を省いて
いきます
彼女はまだヴィーナスだと言えるのでしょうか
例えば髪飾りであったり
ネックレスであったりえー
身体にはその何も纏わないのにアクセサリは付いていてで
このことはその当時の宮廷夫人というか
あのー宮廷の女私たちのモードであることがこれも明らかですから
無理ナスと呼んでいながらしかし古代の女神であるというよりは
むしろその同時代の女性がいきなり払っとこう服を脱ぎ捨ててで
しかもそのどこかわからない場所ですね
真っ暗闇に物語の空間から切り離されて
あの一人ぽつんと立っていると非常にこう挑発的で
かつその何か
こうフェティッシュ的なそのこだわりというのもあると思いますし
やはり
こう良くも悪くも際どい美学というかあのですね
宗教改革により既存の宗教画が求められなくなった時代
蔵那覇がたどり着いたのは
見る者の心をざわつかせる少し危ないムードの世界でした
でこの作品はクロナのアダムとイブが描かれているわけですが
色んな人がいっぱい書いてますけど
クラナッハのアダムというの一番の特徴はアダムが情けないですね
自分の方が強くて如何にもこう誘惑をアダムを誘惑して食べさせた
みたいな
確かにどう見ても主導権は女性ですよね
ですよねなかなか女性からね
男性のように肩に手を回したりなんていうことそうですね
これは面白いポーズですね
男の人の喉仏のことをアダムのリンゴって言うんです
英語でもドイツでも
それはあのイブが最初においしいところだから食べ
ちゃってアダムらしい
それで言語というようになったみたいですね
恐ろしい私たち女性の間にもなりますけど
ついあのアダムと指に目が行ってしまうんですけども
背景の方に描かれているしかすごく見てみると
あの一本一本や書き込んでますよね
ドイツか海外の特徴で
とにかく世の中のあらゆるものを角度っていうのを
その根性がすごくてだけど
さっきの背景クロモリはどうしてしたかったら
ドイツ人的にはもっと背景描きたかったかもしれないですね
だけどたくさん売るために
府立早いじゃないですかっていう説もあるんですね
何しろ大工房を経営してたのであのすごい量産したんです
ここら辺にあるんですけどえーと蛇が冠
かぶっててルビを噛んでるっていうそれが彼のロゴですね
これがあればクラナハ口語作品ですね
ブランド努力が維持されてたんですまさにですね
イメージ的には会社の社長です
経営能力もあって
プロデュース能力もあって書く能力もあっててすごい人ですよね
それぐらいのこう
しっかりとした大きめの企業として力があったということは
それだけ二頭もあったというか
人気の大人気
大学大学あのこうしたてまは
アダムとイブで人間の罪深きっていうことを学ぶとして
買っような作業はやっぱりないですよね正直なところです
でもエクスキューズに
なるじゃないですか
アダムとイブだから裸ですって言ったら言い訳になりますよね
だって中世まで裸書いちゃいけなかったから
じゃあ本当の買う人の目的はまあそうでしょうね
早川さんを見てみたいというこの大きさからしても
恐らく当時は王侯貴族がもともとは書斎自分だけの
部屋をコレクションルームにしていったんですね
そこにあのー
おそらくこのぐらいの小さなえーは
飾られたんではないかと思われますね
じゃあ本当にこう小さな世界の中でこう濃密に
というか公でこうみんながこう猫拝むような絵というよりは
プライベートでって感じですね
なんかこう密やかな感じが
またちょっとまた
こうちょっと魅力というかいけないことをしてるのもありますよね
欲しいですね
あのなんか僕そうですね
でもなんかそういう風な楽しみ方をして
あの家なんだなっていう風にまた見てみると
ちょっと見方がまた広がりますね
あのねやっぱりなんかこう
もっとしっかりと心を落ち着かせて
沈めながら見なきゃいけないわけではないんだと思ってくると
例えば
あの葉っぱで大事なところを隠しているっていうあの枝も
どこかコント的に見えてきたりとか
そうちょっとわざとらしさがものすごい
逆に面白くなってくるなとも見えてきたりとか
十五世紀から十六世紀にかけて
イタリアでは数々の画家たちの手によりヴィーナスが描かれました
グラマラスな肉体つややかな肌の色おおらかで交互に出す
しかしこれと全く異なるフィナスが
アルプスを越えた北の地で生まれます
それがルカスクラナッハのピナス
ほぼ同じ時期に描かれたにもかかわらず随分印象が異なります
なぜでしょうかそこで検証してもらうことにしました
画家の塩谷亮さんです
塩谷さんはヨーロッパへ留学し西洋の古典技法を学びました
女性像を得意としています
なんか不思議というか奇妙というか何と言うんですかね
この違和感は不思議な違和感とは何なのでしょうか
塩谷さんは実際にモデルにえーと同じポーズを取ってもらいました
すると明確になっちゃうんだあー
なるほどそれでここをこうこちらの常盤だけ短くなってるのかな
こっちの上腕に対してずいぶんこちらの上段が短いんですよね
そうしないと手元がこう飼うのに近づかないからですよね
実際にやってもらうと
この角度にしようとすると
随分手が前の方に行っちゃうでは比較してみましょう
位と比べると右手が顔から離れています
やっぱり相当な出方に書かれているかな
顔の大きさに対して大人の体系だとすると
もうちょっと肩幅がないとちょっとバランスがある
ちょっと少女体型になっちゃってるんですよね
さらに違和感のある部分が見つかります
こう中心線を追っていったときに
おへその位置がずいぶん前に出てるのが
かなり違ってるとこですかね
あとは何といってもすごく縦に引き伸ばされてますし
足が長いですね
お腹の中心にあるはずのおへそがある
前に突き出ていますとして
足は長くももも太めま
上半身のま成熟した女性という感じではないですよね
それに対してちょっとほっこり出たお腹とか腰回りなんか見ると
下半身は少し比較的成熟した女性という感じに書かれている
ちょっとそういう
ちぐはぐ感があるかなっていう感じがします
実際の人体とは異なり
デフォルメして描かれた肉体これが違和感の秘密でした
しかしそれだけではありません
ヴィーナスが手に持って
こんな透明なベルは
本田当時あったでしょうかなーとは思うんですけれど
たぶん木綿のような素材であれば
本来の体を隠すような目的には適してるのかもしれないですけど
まそうしちゃうとこう随分現実感が出ちゃうというか
透明なことによって逆に裸
をこう意識させてみてる見せてるような感じはしますよね
体を隠すはずのペル
逆に見る者の目を引きつける効果を果たしているのです
ああああこちらもくらい難波の作品
ローマ神話に登場する正義の目が
やはりこの上にもクラナハの企みが込められています
両手に持つ剣と天秤が見る者の視線を
誘うのです

さらに塩谷さんモデルにヌードになってもらい
絶賛することにしました
実は
このポーズプロのモデルでも五分と持ちませ

卵の方がモデルを前に書いてないっていう感じですよね
実際は

デッサンが完成しました
プラハはあえて写実的に描こうとしなかった
塩谷さんはそう考えます
写実的にこうやって書いてみると
どうしても女性であっても
こう骨ばったところや直線的なところがあって
少しこうかくかくとするもんなんですけれど
このくらいの話を見てみるとそういうのが取り払われて
すっと滑らかな曲線になってたりとか
こう型の方から撫で肩にでこう腕に向かう線なんかも
結構これは自分の美意識ですっと引いた先なんだと思うんですよね
すごく写実に基づいてというよりは
自分の中でのこう
造形感覚でもってこう一つのリズムでもってすすっと書いている
それはたぶん
クラナハが求める女性像っていうのが
こういうものだったんだと思うんですよね
女性とはもっとあの滑らかでね
優雅なフォルムを描いてるんじゃないかと
そういうところをまクラの羽は
自分の気持ち通りに書いたっていう感じはしますけれど
もう
一つ塩谷さんが注目したのは肌の描き方です

清谷さんはクラーナハの美茄子は
同時期のイタリアの絵画と対照的な手法で描かれているといいます
実際に見せてもらいました
まずイタリアで用いられた一般的な手法です
最初に従事の城を消してしまうように全体に暗い色を塗ります
そして絵の具を集め二重肌を描いていたの
です

一方クラナハの描き方下地の代の輝きを消さないよう
全体を淡い色で塗ります
続いて絵具をごく薄く塗っていきます
その上にうっすらと白

完成です
左がイタリアの至宝右がクラ難波の手法です
この頃のイタリアでは
もう既にえー油絵具の特に白い絵の具がですね
結構固練りになってきて
その固練りの盛り上げる力を利用して
えー光とか形を描いていたところがあるので
こう絵の具の物質感そのものが
その人間の手の筋肉とか
骨格とかを表すような強い立体感があるわけ
ですね
いくら那覇ですと
すごくこう平面的で二次元的な表現の仕方だと思います
油絵の具をすごく透明に何度も重ねるやり方なんですよね
この白いところほど絵の具が薄く下地のこの明るさですね
下地が持ってる明るさ自体をこう利用しながら雨水を繰り返して
えーこの肌の明るさと
いうか肌の質感表現をしていったという
この事態を透明に扱っていくので
まさにこう透けるような
肌っていう状態がもう画面に現れてるんじゃないでしょうか
やっぱりこう女好きですよね
絶対ね女好きだと思うなんかで
あのーそうじゃないとこういう表現にならないですもんね
本当こうしっとりとしたね
はい何とも言えない妖艶な感じ
あのー本当にこう
自分が書きたくて書いてるんだっていうのが伝わってくるんですよ
滑らかな体のライン抜けるような肌の輝き
独自の美意識を貫くことで
クラナハは唯一無二の怪しいビーナスを生み出したのです

件を剣先をちょっとあっちが少し出てきます

これはルクレツィアっていうのは古代ローマの女性で
あの人妻だったんですけれども
その王子にですね陵辱されて
そしてあの夫に全てのことを話して復習をしてください
と言ってなくなるという定常の鏡みたいな
それをが描くとこうなっちゃって
そして古代ロ間の話なのに来てる服

クラナッハ時代の服な当時の幅は最低向こうの表情ですよね
あの夫へのその定説を守れなくてすみませんでした
違いしますっていうことを思ってる顔ではないですよね
すごい挑発されているような感じですね
全体像改めてクラナハの描く女性の裸体の不可解不思議さがこう
ここに来てまたましますね
なんかちょっと変態が入ってますね
変態というのはねでもそういうことなんですよね
何かこう自分の中の何かをこうくすぐられるようなっていうのが
きっとあのくれのあの辺体制と見る人
の変態性がこうね
あとやっぱり人間ってあのちょっとあの熱がかかったり
後虐げられたりとかしている存在を客観的に見ていると
もちろん辛そうだかわいそうだって思うけど
どこかであの表情
あんな表情美しいなとかって
やっぱ感じたりもするだろうなと思うんですね
だからこれから死にゆくあのしかもその
少女のような女性が全裸でこれから死ぬっていう瞬間の何か
それを見ているってやっぱり何ていうんですかね
あの何らかのこう感情が刺激されるのかもしれないですよね
いや究極の一枚ですね
確かにそうですね
これからそれからその後に移って
そういう倒れるというところまでを
その美として見ちゃうっていうことですよね
すごいすぐ足とする技全く違うクレティア
このルクレティアの面白いところはその窓があってで
ここになんかこう崖があってこの携帯が
なんかなぜ彼女が死ななければならなかったかっていう時のそのー
ちょっと男性的だそうです
そういうのじゃないかって言われてまさにそうですよ
そんな感じで変なわけですよね
いやほんとだからいやなんかシュルですね
そうまさに三者さんもそれぞれの特徴的なバリエションをこう
色々試せるなぁと思いながら倉永生き生きと書いたような
ちょっとこう陰取れるようなこちらは
不釣り合いなカップルくらな母が好んで描いたテーマです
指輪を女性に捧げるのは歯の欠けた白髪の老人
一目稜線男はすっかり女性に心を奪われた様子
クラーナハの作品を数多く所蔵する
ウィーン美術四美術館のグイドメスリングさんです
女の力これはクラナハが修正描き続けたてまです
神話や聖書によく描かれる題材で
女性の策略や誘惑にひっかかり
男性が堕落しどうしようもなくなるというものです
ドイツでは伝統的にこの女の力が描かれてきました
クラーナハもまた印象的に力強く女の力を描き切っています
ヨーロッパでは女性は男をたらし込み
堕落させる存在と見なされてきました
さらに中世には悪魔と結託する魔女という概念が生まれました
ましょ狩りも行われました
中でもドイツの被害者の多さは際立っていました
十六世紀から十八世紀半ばまで
三万人以上が処刑されたと言われます
魔女は醜いものとして広く描かれました
しかしくらなはは悪しき女の力を持つ女性であっても
実に魅惑的に描くのでホロフェルネスの首を持つユニット
旧約聖書外転に記された物語に登場するユリとは的性である
ファラフェルネスを倒した女性の日です
黒木を持ったユディトが冷徹な視線でこちらを見つめています
一方
首を切られたホロフェルネスは口を分け目もうつろ
ですが
少し恍惚の表情にも見えます
この登場人物に扮して作品を作った美術館がいます
森村泰正さんです
こちらがその作品食材をアレンジした別のバージョンもあります
そして今回特別に
普段はあまり公開していないヴァージョンも見せてもらいました
心中をテーマにした歌舞伎の登場人物に置き換え
さらにサイボーグに仕立てました
これほどまでに
森村さんの創作意欲をかき立てたものとは何だったのでしょうか
色々な画家がそういう同じテーマを変えてますよね
例えばカラヴァッジョのの絵があって
そのえーなんかは
このユディットの顔が本当にあの人を殺めているんですから
その人を殺める時のそのおぞましさがこの表情に出ているっていう
そういう意味では非常にリアルなあのそういう意味
ですごく面白いですクラナハの場合は随分不思議な絵なんですよ
どういう顔なんだろうと思いながらこうあのユディットの顔にね

分がなるっていうのはどうしたらいいのかなと思って
色々考えていて
あーそうだってあのあれににたかを知ってるなと思ったんですね
どうのこう表この東洋の面が発する魅力と同じものを
森村さんは感じたといいます
えあの顔があのー何か非常にこう清純な感じもするのに
何かの表示にえー何か秘めた何かを持ってたり
そういう感じさせるですね
倉永の有利とも同じで
えー神聖な感じをこう一見持たせるんだけど
でもよく見てると怪しげなものっていうんですかこう
あやかしの世界ですよね

ょっと顔のその裏にある何かを感じさせるというか
そこが引き付けられていく何なんだろうって
こう引き寄せられていくという神聖
な装いに潜む得体の知れない怪しさ
森村さんはその女の力の虜となったのですから
那覇が夢中になって描き続けた女性たち
そこにこの絵画がいかにその鑑賞者を誘惑することができるか
っていうそこのところ
黒い穴はあのまさに
そこのみをてまとして絵を変えてたんじゃないかな
女の力それはイエスそのものの力となり
今も見るものを魅了し続けるのです

見てきたくらいの彼の作品の中でも特に
書き込まれてて
装飾的で髪の毛や衣装はすごいですね
もうクラン派の最高傑作ですね
ドイツのも形だっていう感じですねすごくこう
誤解を恐れずに言うと
同性の私からあのー見ていて清々しいというか
もちろんあの切られた首に目がいつ行くんですけど
このユニットのこの強さみたいなものは
私は心地がよくなるぐらいの感じはします
それを男性が見るとどうなんだろうん
あのちょっとこの絵を見てこう
自分が思ったのが山姥とか日本で言ったら
山姥とかあの四谷怪談とか
あの雪女とかと何かこう似たような感じで
例えばあのー見ないでねって言ってるのに
つい欠けてしまったりするの恩返しとかもありますよ
ねそれって好奇心だと思うんですよ
で好奇心ってあの男性の方がかなり働くじゃないですか
どこかで怖いなと思いながらも
ついこうユリとの世界にズブズブとこうはまっていく
自分はどこかで止めながら
でもこうなんかこう
好奇心には勝てなくなってこうなってっていう中野さん
改めてこのクラなの魅力というのは
どういったところにあると思いますかそうですね
非常にその毒があると思うんですよね毒毒がありますよね
やっぱり嫌な人は嫌だと思いますね
でもやっぱりそれでもそこに惹かれるっていうところなのかな
まああとやっぱりその見る人によって
随分あの受け止め方が違うっていうのも
やっぱり彼の魅力なんじゃないでしょうかね
その人その人で受け方が嫌悪感を感じたり
すごくかわいいと思ったり
エロチックだったりとかそういうのも何でしょうね
これだって言えないのはなぜでしょうかねありがとうございました