美の壺SP 「 日本の美再発見 」

放送:2015年7月日

美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺SP 「日本の美再発見 」

手仕事の日本と題された一冊の名著があります
私はこれから日本国中を旅行いたそう
とするのであります
しかし景色を見たり
お寺にも出たり
名所を訪ねたりするのではありません
その土地で生まれた
郷土の品物を探しに行くのであります
日本のものとして保護って良い品物
すなわち正しく美しいものを訪ねたく思います
日本のものとして誇ってよい
正しくて美しいものとは
それは日本の手仕事の結晶民芸です
名だたる芸術家が作った
美術品ではありません
名もなき職人が
民衆の暮らしのために
磨き上げてきた日常の品です
はい民芸という言葉の生みの親は
思想家の柳ねよし
民芸とは民衆的工芸品の略です
新しくこの言葉を与え身近な品を賞賛したのです
うんうんうん柳の教えを大切にしている職人がいます
自分でも仕事しながら柳さんの言葉はの本当の意味っていうのを
仕事しながら教わってる感じがしますね
大き過ぎて分からないですね
やっぱりもう柳さんが影響を与えた人から影響を与えられているような感覚ですかね
イメージそして民芸の品々は私たちにも力強いメッセージを送っています
民芸自分たちにとってとっても
アヴァンギャルドなものだっていうのがあるので
あのいつも新しい発見と驚きを与えていただいて
ま民芸とは何なのでしょうか
人間だからこそ生み出せる美の結晶が民芸なんじゃないのかな
っていう風に思います
日本のその美意識
やっぱりというものは本当に楽しいな面白いなって更にこうなっていくきっかけをくださったような方でもありますね
柳さん柳宗悦は今からおよそ九十年前
北海道から沖縄まで日本中のて仕事を訪ね歩きます
それらを雑誌などに発表することで顧みられなくなっていた日本の手仕事の価値を再評価
工芸の世界を大いに盛り上げました
柳はいわば手仕事の恩人なのです
今回は柳の足跡をたどりながらもう一度日本の手仕事の魅力を見つめます

風土に恵まれた地域だと思いますね
この仕事をする者にとって
うん一人の名前を売れば
名前が出て争うようになりますからね
作家さんじゃないですからね
僕はなるほど
書き終わるまで本当に息止めて
他のこと考えないで
とにかく集中して

無心っていうんでしょうかね
目の前にあるものを一個一個片付けていく
っちゅうだけのことではい誇るべき手仕事の世界
日本の美再発見の旅です

かつて琉球王国が統治し独自の文化を育んできた沖縄
南国の風土に根ざした豊かな民芸がたくさん生まれました
瓶型という染物です
王族が纏今でも
古典芸能などで用いられます
紅型の便は彩りのこと
江戸時代後期の瓶型の着物です
いまだ鮮やかなサンゴ礁のような青鳥や
花を彩る赤紫
こちらは赤が見事な着物です
方にたなびく紅の霞鳥も
同じ紅に輝いています
裾を飾るのは
様々な表情の
瓶型は
色の魔法なのです
王朝時代から瓶型作りに関わってきた白負け
十五代城間栄順さんです
ちょっと灼熱の中に海岸でね
自然に負けないような
本当にあの宝石みたいなね輝いていますし
またあのお味の色ともね負けないぐらいのね
本当にあの自然
代表するような色なんですね
でその辺をね
やっぱり昔の人はあの自然を捉えて
あの王族種族の一生とかね
あるいはその踊りのですね
いろんなものに
あのー仕立て上げたんじゃないかとうん
新型の鮮やかな色の正体は
好物を砕いて作る顔料です
官僚は強い日差しにあたっても
ほとんど色が褪せることがありません
また顔料は粒子が粗いため
生地の表面に残ります
そのためより光を反射し
鮮やかさを増すのです
うんうん光が
際立たせる瓶型です

うん紅型について柳宗悦は
もう一つの鑑賞の仕方を教えてくれます
ここに注意されてよいのは山と思よ
特に友禅模様が甚だしく多い
雪のない国に雪持笹ただ
不思議なことにはそれが全く悠然とは別な
どこまでも瓶型のう
畜舎に蘇っていることである
見たことのないものも自在に描き出す
瓶型の模様
黄色い流れ燃え盛る太陽青いしだれ桜
赤い聞く沖縄の想像力の賜物です
以上今日最初のツボは
南国の色と想像力を楽しむ
はい沖縄の織物は
紅型とは打って変わってからは
簡素な模様の

薬の図案は
沖縄の身近な風物が題材です
例えばこちらは水の流れを表わす
虹ぐわ馬と二台を繋ぐ金具
クワン書きとっくりの形の徳利びまん
蛍は二十人と呼ばれるものです
この織物に心を奪われたのが
やなぎむねよし
昭和十三年初めて沖縄を訪れた際
古着市で借金までして買い集めました
いやうん柳宗悦の親戚筋柳吉國さん
その頃の様子を聞いています
多分その興奮したんじゃないかな
と思うんですね
あの古着市場なんかに行って
その古い織物買ってきて
みんなでもって
その見せ合ってその品評会ではないんですけども
その話見せ合ってそのいろんなこと話し中
その時はとても興奮して
色んなことを喋ったとかそういう話はよく
聞いたことがあり
まもなく沖縄は焦土と化します
柳たちが集めた織物
およそ三百五十点は日本民芸館に残され
貴重な資料になりました
その着物がある人の運命を変えました
新垣サチコさんです
うん八重山上布の降りてであり研究者です
こう鳥肌が立つと言うのか
あのー触れるような思いでしたね
あれあったんだって
これだけ細かいものが取られていたんだ
っていうそうですね
新垣さんを感動させたのは
括り染め糸をくくって
特殊な染め焼きをしており上げる技法です
それは古文書でしか見たことのない
幻の織物でした
新垣さんが復元した複利初めの八重山調布
うん材料はちょまという
植物から取った上質なサイト
最も細い糸で織られた上布は
トンボの羽のようなうっさが特徴です
ええちょまは麻の一種
古くから茎の先を取るため
栽培されてきました
石垣島ではちょ間の生育が早く
およそ四十日ごとに
収穫することができます
うんうん表皮の裏のわずかな繊維を使って
糸にします
新垣さんに複利
染めの技法を見せていただきました
ちょまの意図を少量ずつ束ね
染めない部分を紅るでくくり傍線します
ちょっとす昔は
芭蕉の側でくくったそうです
感覚を変えて様々なパターンを用意します
これを島愛と呼ばれる八重山
地方の藍で染めます
柔らかな深みのある色が特徴です
ビニルで括った部分を白く残し
よく染まっています
そうだ出来上がったのは
石垣島の伝統的な織物です
新垣さんはさらに
白と藍以外の八重山
上布の再現にも着手しました
うん多彩な色を作り出すのはフクギ山桃くるなど
地元で採れる植物でした
うん例えば沖縄の家の周りで見かける
ふくひ防風林として植えられる
身近な木です
うんこの未来を乾燥させたものを煮立て
糸を染めます
はい
はい

定着液に浸して現れたのは
外見からは想像も付かない
鮮やかな黄色でした

これだけ強い太陽の下で
座った植物っていうのは
強い色思ってくれるんだな
っていうことがよくわかりますね
本当に風土に恵まれた地域だと思いますね
この仕事をする者にとって
あの本当にありがたい地域だと思います
人作りから始めて半年以上ようやく降ります
擦りの降り方はこうです
緻密に計算され
染め分けた縦糸と横糸を覆って
擦りの模様を作ります
うんうん歴史を手探りする中で
発見した宝物のような織物です
島々の織物には
もう一つ物語がありました
十七世紀に薩摩藩が琉球を支配したとき
布で税金を納めさせます
その際にこのような見本帳を示して
指示を出したと言われます
沖縄の島々で
女性たちが織った布は
大阪や江戸で人気を博し
薩摩藩の財政を潤したのです
織物は女性たちの手仕事の中で
磨かれていきました
うん

薩摩藩の支配
下だったにもかかわらず
見事の織物が作り出されたのは
島の女性たちに志があったからだ
と言います
うんそうして女たちは良き品を作ることに
誇りと喜びと思った
単純にそのま民衆の中に生まれてきた
その技術だけではなくて
それにさあのこう
工夫という制度があったからこそできたという
ことも一つの要因かなと
それがそのいろいろ工夫をして
できるようになったという
なんか喜びというのは
またでそのできないものが
できるようになっ
たということで
非常にみんなで喜んで
お以外をした
っていうようなことも伝わっています
以上二つ目のツボは
歴史と風土を織りあげる
柳宗美は千八百八十九年
東京麻布の海軍少将の家に生まれました
二十一歳の時
学習院の上級生氏が
なおや武者小路実篤らと共に同人誌白樺を創刊
思想家美術評論家として歩み始めます
うん二十五歳のとき
朝鮮半島の白磁の清楚な美しさに遭遇
この経験が暮らしの中にこそ
瓶があるという考えに導きました
柳井さんとってみると結構よりよく
社会といってものを作り上げていくってことが
やっぱり人間の
その幸せにつながるんだという
そもそも民芸運動が始まった頃
ちょうど日本が
近代化の中にこう
巻き込まれていく訳ですよね
そういった急進的な近代化によって
本来はこう残しておくべき
大事なものが
どんどんどんどん落ちつけられていってしまうま
そういったことへの危機感が
あら随分熱心ですね
いやね妻が帰ってきたら
びっくりさせようと思いましてね
そっかものを扱ってこそ美しいだなるほど
よしどら焼きこっちの渋いお皿には
ようかんとね何してるんですか見ての通り
復習をできるだけ使うですものを扱ってこそ
美しいうんそういうことかな
柳はね甘いものが大好きだったらしいです
よからずに乾杯器の故郷これは知ってるぞ
セット窃盗はしてくれって
そのセットじゃないですけどね

愛知県瀬戸市糖度に恵まれたこの地では
およそ一千年前から焼き物が盛んです
うん江戸時代中期から続く窯元
ここでは当初から
普段使いの庶民の器を
大量に作ってきました
うん江戸時代に作られた石皿の傑作です
はいのびのびとした筆使いで描かれた動物や
草花おおらかにして繊細
です

はいカレンダー寝付けを際立たせているのが
額縁のようなつば
丈夫にするためのものですが
味わい深い形を醸しています
この釜の七代目水野半次郎さんです
自然頭の形は今も昔も同じ
一日に数百枚作り上げるため
削ぎ落とされた形になっています
最初はなんとつばから作ります
記事を織り込むですね高かった
また器がどんどん平たくなって
さらに

出来上がったサラは毎日
使っても飽きない
良き姿暮らしに寄り添う器です
こちらは瀬戸焼の代表作の一つ馬の目皿
江戸時代後期のものです
はい馬の目と称される螺旋模様が特徴
迷いなくスピード感あふれる
筆使いが愉快です
うんこの工房で馬の目を書いて
八年職人の小林真美さんです
下書きなしで
順に馬の目を入れていきます
最後はぴったり六つの目が収まります
一つのえーと馬の目が書き終わるまで
本当に息止めて
集中というかもう無意識にって書いてます
引き止めないと
南鮮がぶれてしまうような気がして
うんまあただ
その一日の家庭のためにその仕事をすると
もう今だったらまあ
皆さん教育付けた人が多いもんですから
一つ覚えの
仕事をね一生をやるという人っていうのは
なかなかその出てきませんよね
まそんな中でま逆に今の時代になくなると
そういう仕事が
尊く見られるじゃないですかね
柳は手作業による器の美の秘密は
量産にあると考えました
彼らは多く作らねばなら同じ形同じ模様
果てしもないその反復だが
この単調な仕事が報いとして
それらの柵をいや美しくする
かかる反復八田なきものにも技術の完成を以上
三つ目のつこはたくさん作って美しい
うんうんうん黒と緑にまっぷたつ
北欧デザインと見紛うようなお皿です
うん鳥取県牛のとそっか
こののどかな里山から
デザイン皿が生まれました
ただの二色使いではありません

釉薬のかかり具合に仕事の味わいがたっぷりそう
紛れもなく民芸の器です
この洒落た姿の全身は牛の科までは元々
こんなに食で焼いていました
朴訥とした風情が得意だった牛のとガマに
何が起こったのか

現在の当主に
この皿の誕生秘話を伺いました
へえ昭和六年染め分けざら誕生に関わったのが
やなぎむねよしと仲間の吉田璋也
彼らは牛のとの技術を見込んで
経営難にあえいでいた鎌を救うと
新しいデザインを提案します
柳は染め分けザラのできに満足し
ヒット作になると確信しました
現在の当主小林隆夫さんです
黒は緑を引き立てるし
緑は黒引き立たせるし両方なんですね
あれに代わるものを
私も色々あのー作ってみるけども
それに仮名あの超えるものは出ないですね
染め分けの作業です
黒は潮汐などから作る鉄分の多い釉薬
そして美登利は
藁の灰で作った黒い釉薬を使います
では究極の釉薬の技

うん二色の色だけでなく
境界線に秘密があります
釉薬の重なり具合の
ちょっとした加減が
いいグラデションを生み出すのです
無心っていうんでしょうかねま
仏教で言うというね
その目の前にあるものを一個
一個片付けてくっちゅうだけのことで
うんそんなに余計は考えています
人間やっぱりその感情の動物ですから
あの悩みやけんかすると
やっぱもしむしゃくしゃしますよね
そうするとそのことがもう腕を伝わって
そこの作品に出てしまって
朝は喧嘩しないで
っていうことをねしております
はいはい

以上四つ目のツボは
無心に作って美しいでした
昭和十一年
柳が民芸の仲間たちと設立した
東京駒場の日本民芸館
ここには柳自身が選りすぐった民芸の品
およそ一万七千点が収められています
身近な日用品ばかりを展示する
世界でもユニークなミュージアムです
柳の収集によって
かろうじて戦火を逃れたものも
少なくありません
何が美しくて何が美しくないのか
訪れるものに
新しいものの見方を迫るのです
例えば

柳の感性が面白いほど頭に入ってくる
どうしたんですですか
いつもの草刈さんじゃないみたい柳はね
新しい才能も見出しているんです
例えば日本を代表する版画家どうしました
あれや今まで覚えてたんですけどね
あのーあれあのーおやおや方じゃない
東北生まれのもしかして
宗像思考のことですか
そうそうもなかったし
後柳は当時まだ無名だった
宗像の作品を見て
その大胆な作風に惹かれ高く評価したんです
柳と交流を深めた宗像は
その後多くの傑作を生み出していきました
草刈り聞いてます

みちのく東北
ここにも柳が見出した
ユニークな手仕事があります
こちらの茶筒樺細工と呼ばれます
一説にカバーバイクとは
木の皮細工が転じたとも言われます
はい樺細工に関しましては
やはり自然の素材ですので
そういったあのカバ
本来の持っているカバ味を生かす
ものづくりっていうのが
一番強調されたことだと思います
ま柳先生の言葉に励まされて
あの誇りを持ってこの仕事に臨めた
というような話を聞いております
四月可憐な花をつける山桜樺細工の材料は
この山桜の樹皮です
梅雨が明ける頃
樺細工のカバを収穫します
山桜の樹皮は加工がしやすく
強靭なので曲げ
わっぱの接合部などに使われていました
その性質を要し
樹皮を削り出したり
発足して木の風合いを楽しむ
工芸が生まれましたそれが樺細工です

例えば趣の異なる慈悲を組み合わせて編み込んだ
文箱すごいね
江戸時代のタバコ入れ
懐手手触りを楽しんだのでしょうか
樺細工の代表選手じゃずつうんうん
川や仕上げのバリエーションが
たくさん編み出されました
霜降り側樹齢およそ
五十年の老木を使っています
深いシワで渋さを演出
こちらは金貨は
樹皮に含まれるゼラチン状の物質が
光線の具合で金色に輝きます
この道五十年慶徳十三です
守秘の表面を見るだけで
中に隠れた模様を見抜きます
上書きの皮を使うと最高はしやすいですわだけれども
色はやっぱり何ていうんですか
若い色しか出ないです
やっぱり老木の顔の熱やつは
深みのある綺麗な色が出てきます
若いときは分からなかった
私もやっぱり自分で覚えるっていうか
経験しながら覚えていくような
あれですよね
経験がものを言う樺細工
それは気に隠された
最適な風合いを探り当てる仕事です
まずは皮をなめすようにして
木の表面を削っていきます
はい固い樹皮を無理やり削るのではなく
あたかも材料がここを削れ
という声に耳を澄ますのです
削るすぎるやつと
もう少し削っていいやつとあるんですよ
こう見てみるとね
そこら辺の
やっぱり難しさっていうのはありますよね
樺細工を愛して止まなかった
やなき興味深い指摘をしています
だから美の道はこう教えている
何を作るにしても
材料や皇帝の性質に逆らってはいけない
その制約を不自由と呼ぶが
それがかえって美を熱く
保ってくれるのである
思い通りにならない
自然の中にこそいがあるというのです
今日五つ目のツボは自然は
いいの

次の工程は
削り出した樹皮を貼り付ける作業接着剤は
動物性のゼラチン膠のみ
仕上げの骨は接合部の張り合わせ

欠けている部分は守秘のかけらを寝込む
念の入れよです
うんうんうん縁の部分も
新断面が見えないように
カバで化粧をします
はい

蓋が吸い付くようにしまって
完成

うん山桜の野手を生かした
日本ならではの手仕事です
うん作るときは
やっぱり無我夢中で作ってるもんで
そこまでこう行かないですよね
作って初めて形になって仕上がってからうわ
もう少しこうこうやればよかったとか
その連続ですよ
後悔の連続っていうか
柳はね名言を残してるんですよ
今見よういつ見るもんこれはね
常にマッサらな目と心でいつ見ても
今見る思いで見ようと
そういう意味なんですね
いい言葉ですね
じゃあ私も一つ
草刈さんのたいお言葉ですね
はいできました
朝はパンはいいや
妻とのね朝の揉め事がこれなんですよ
近くにね新しいパン屋ができたから
朝はパンにしてほしいって言うんですけど
妻はね朝は米よ米に決まってるでしょ
今更変えられないわよって半世紀
これで生きてきたんだから
そういうあゆみ売れないんですかね
ずっとパンで
いいって言ってる訳じゃないんですよ
ちょっとだけ

中に
僕の心の中にあったのは
家族の愛の結晶こそ
御田焼きなんだなっていうふうにあのー
なんかこうなったんですよね
本当にもういつでもまた行きたいというか
なんか帰りたい
っていうような気持ちになるよう
な場所ですよね
場所で言ったら
もう本当に素敵じゃないですか
日本の原風景がそのまま残ってるっていうね
暗くなったらくらいから仕事を辞めるみたいな
明るくなってこう
太陽が出てくるとともに仕事を再開してて
なんかいいこう
時間が流れてる場所でしたね
陶芸通りて村に入れば耳に聞こえるのは
水車の非力である
焼き物の土を砕くのである
大きな受け箱が少しの水を待っている
急ぐようもないのである
待ち遠しく思うのは
われわれの心だけと見える
なんかこの緩やかなをことがあって
この釜があるのである

うん全部の工程の作業で素焼き窯焚きまでで
そんな中で絵付けをやってたら
要するに仕事にならないですね
要は数が出来ないでしょ
まず例えばそれを何十倍っていう値段でも
売れないしそう甘くないし
だからその絵付けの文化は育たないですよね
オンタデまず

もう一人は名前を売れば
名前が出て争うようになりますからね
作家さんじゃないですから
僕は職人の仕事でしたよねま焼き物
を作ってお客さんに喜んでもらう
というのはですねま基本基本ですからね

御田焼の里メトルほどの道の両脇に
十件の窯元が軒を連ねます
御田の象徴は共同がま現在この窯は
五件の窯元が共同で使っています
唐臼と呼ばれる水力の装置で
土よく泣きます

土づくりはろくろに座らない
家族年寄りや女性たちの仕事です

あの最初来た時は大変でしたね
やっぱり十年しないと
ここの仕事を覚えますよね
一通りはね

うん

温帯では全てが平等土も十件で
等しく分けられます
ろくろは一件二台まで
そこに座れるのは
投資と長男のみろくろを増やして
弟子や職人を雇うことはできません
見て覚えるっていうのは
ここのやり方なので
そばで見れるっていうのは後々考えるといいな
とは思います
代田いやなもんですよのと
いないのじゃない方からなんですかね
この集落で二番目に若い職人
坂本操作二十五歳です
常にある状態じゃないですか
家に飛びカンナの器とか竹めの器
もう見たくなくなる近いですよ
鬱陶しいというか
うんざりするというかで遊び場って
この辺ないんで
子供の基本こことか
庭とかなんで
常にそういうのばっかりだったんで
そんな操作五年前に
他の地方の竃に修行に
行きましたうん
外から御田を見て
気づいたことがあります
お互いその隠し事がない状態にできるので
それは先輩たちはすごくありがたいですよね
全部技術は公開して
あとは腕だけで競える幼体っていう
そういう風にしたいなとは思いますよね
やっぱり一番日本で技術力のある集団でいたい
良き策を夢
人の作とを持ってはならない
そっかそこには真に協力の世界が見えた
良き策の背後には良き結合が見える
工芸の美は共に握る心から生まれる

はい
考えちゃったね
力たまになんか

それって
どこまでが先なのか
とりあえずふふふうん
お見合いこれ大事ですかね
まあなんかありますからね
ゆっくりうれしく歩きすはい

男に壊しちゃいけない
というような話はされたようですね
えーそれでもう
ひ元的にそうなったでしょうか
その外部からの職人はもう絶対入れないと
そしてまあ綿棒家族でやると
もうそういうことで
やっぱりこう伝統が
守られてきたこともあるようですね

いやいや
そうですよねこれね
伝統のビデオとか自然の美であるかと
色んなこう美の要素はありますけども
もちろんそれとも全部含んでる
と思いますけども
林さんはやっぱり本田には
やっぱり社会の美と言いますかね
社会が生み出した
指の形というものを
見たような気がしますね

宮沢賢二を生んだ岩手県
こちらの民芸店
もともとは宮沢賢治の
注文の多い料理店を発行した
出版社でした
現在は東北はもちろん日本全国の天気です
仕事を扱うセレクトショップです
ゆお客さんの反応は
使いやすさと美しさと調和してる感じ
ほっこりしますね
焼き物とかおうちにあると
二十代三十代の人とかも
生活になじむように使ってる人をよく聞きます
やっぱり手作りというか
手作業で生まれているものなので
愛着がすごく生まれる気がします
今日七つ目のツボは欲しくなる
民芸をうん東北が誇る鋳物と
木工の伝統がコラボ売り文句は
食卓にそのまま出せる調理器具です
洋風民芸の定番
ピッツァインテリア感覚で使いこなす籠細工
民芸運動は時に
商品開発やつを伴って進められました
柳もそれを通じて
地方の手仕事を元気づけよう
と考えていました
柳は民芸店の主人に
新しいお椀のデザインを相談しています
千便お願いいたせしワンは
主戦が上のヘンプ地と
下の高台と二つあるのを間違えずに
上図のようにお願いします
ワンの内側種でも
でもいずれでも結構です
お椀の細かな塗り分けまで指示する
柳欲しくなる民芸を作ろう
という熱気が伝わってきます
柳がこだわった選りすぐりのワンは
形を変えて今も生き続けています
この唐草模様は柳らがデザインに関わったもの
今に連なるロングセラーです
昔ながらの形というよりももっとこう
今の方が今の生活に馴染む
ようなものができていけたらいいな
とは思いますね
うん

はい
柳の考えを受け継ぐ
民芸店が手がけたヒット作がこちら
個性的な外観は
思いもよらない材料によるもの

卵の殻です
なんか
配りという漆の技法です
もうあんまり考えないでね
晴れやすい方にやってますよ
今日の終わった卵の形でもやっていくから
どういうふうに言われるかわかんないもんね
こうやった時に
それでだから
意外と考えないで矛盾になってるんだけど
まさにコロンブスの卵うん
へえ

うん
東北は非常にま仕事のまさにそのつまり
豊かなま代表的な日本列島の中でも
一番代表的な土地地域ですよね
でそこにその民芸運動の拠点をということで
山田先生考えておられたんですけども
えー東武で作られた優れたそういって
仕事の数々を公言ものを通じて
全国に流通し
ていくというそういった意味でも
ネットワークのまきステーションのような役割が
ま東北における光源ものの位置づけであった
というふうに思いますけど

ここで皆さんをちょっと素敵な民芸の旅へ
ご案内
鳥取県は鳥取し
知る人ぞ知る民芸の聖地があります
この三件隣り合わせの白亜の建物がそれ
一軒目は鳥取民藝美術館柳の信奉社
鳥取出身のお医者様
吉田璋也さんが集めた民芸品がどっさり
見所は地元特産の品々
ミニ栗と呼ばれるくず
まゆを再生して作られた手織りのネクタイ
うん小津安二郎の映画にも登場する
木製の電気スタンドは八十年以上にわたるロングセラー
目を引くのはモダンで垢抜けた家具の数々
英国家具の解説書を元に
鳥取の職人たちが腕を振るいました
鳥取の特徴というのは
それだけの職種が非常に多かった
ということですね
またその当時鳥取は
三十二万石の城下町の名残りも
少しありましたから
漆の職人さんだとか木工の職人さんだとか
それからもう一つは
中国山地を背景としてですね
豊富な山林試験があったんですねそこで
家具というものが作られていったということも
背景にはあると思います
二軒目は民芸の販売店
鳥取をはじめ日本中の手仕事
の品が揃っています
うん本当
そう好みの
民芸に出会えるかな

はい
最後はなんと
民芸の闊歩

店内には民芸が
ふんだんにあしらわれています
器はもちろん仕事の民芸はいはいうん
中国帰りの吉田璋也さんが開発した
名物の雪鍋などなど
鳥取の民芸と料理をご堪能ください
うんどうしたんですか
その格好これこれ柳とおそろい柳はね
収集したものは
何でも使ってみたそうですよ
使ってこそものの美しさが分かるどうです
いいでしょ今暑くないですか
柳を学ぶのにこれぐらいそうですか
でもそれ東北の人たちが
雪の中を歩くための防寒具ですよね
使ってみるなら冬だと思うんですけど
えっそうなのただいまあ帰ってきた
いや島まで学んだ柳の知識を
思いっきり披露してみせるぞ
絶対これ直しと思うから見ててください
おかえり

こちら
京阪神と鳥取を結ぶ特急列車スパ
白桃うん車内は
地元鳥取の工芸品で統一されています
通路扉のガラスにはいんすねわしうん
カーテンには倉吉地方の名産擦りうん
そして洗面器は
あの柳が褒めた牛のとの染め分け
復習を参考に
デザインされたものなのです
うんこちらは柳の長男で
日本の工業デザインの功労者
柳宗理由の窯で作られました
うん総理の代表作の椅子は
ルーブル美術館に所蔵されています
鳥取県中居がまここで
柳宗理がプロデュースした
器を作っています
千九百九十二年総理は
旧作の民芸を作っていたこの鎌を訪れ
新デザインを提案しました
さまざまな器が誕生
うんうん今までの民芸とは一味違う
シャープな形です
この釜の三代目坂本明さん
柳宗理のデザインのものには
形だけではない特徴があると言います
ま民芸というとこう土物
こういう時に関しては
こうこってりとしたあのわりとま厚みのある
あの温かみもあるんですけども
ただ持つと思いというところがあって
あのむやみやたらによそから
新しいものをぽんと入れるのではなくて
ここにある伝統的な仕事を
より現代に生かしていく
っていう
あのー仕事を仕事というのか
デザインをしていただいたので
その分ではすごくありがたかったですね
うん民芸と工業デザインという要素が
柳宗理によって高い次元で融合
こだわりが感じられるのが
黒と緑の重なる部分です
うんものを作っていく時の制度みたいなもの
とかこの生産できるっていうことに対する
あの考えっていうのは
やっぱり現代の工業デザインの方が
はるかにしっかりと
精度が高いと思うんですよね
でそれがその民芸っていう
そのゆるゆるさ
との変化の先だと思うんですよね
ですからその
真ん中の線の緩さとそのシャープさは
その移り変わりを
結構明確に表現してるところかもしれないです
やはりさんは
つまりも命の無名声のものに
非常に興味があった
ということもあるんですね
ですからそれは多分民芸とは言わないけど
新しいデザインだったんだけれども
民芸からこう
引き継がれたものだった
と思うんですよね
現在坂本さんの窯には
若い女性の入門希望者が後を絶ちません
柳宗善から総理え
そして若い職人たちへ
民芸の精神は受け継がれています
作り手だけではありません
若者の流行発信地
東京原宿トレンドのファッションに混じって
日本各地の民芸が並んでいます
ここには少し違った風景がありました
民芸が嬉しいのです
時代がたつにつれて
やっぱり民芸ってモダンなんだ
きっと思う方たちがすごく増えてきて
でいつの時代もやっぱりそういう伝統的なんです
けれども同時にモダンであったっていうのが
民芸だと思うので
その辺が皆さんにも少しずつあのー
感じていっていただけてるのかな
っていうこと
を最近思います
今日最後のツボは今再び民芸に出会う
決して古臭いものではないですし
伝統って最初今今ですから
それはこう美術で昔のものではなくて
今も作られて
今の職人の方たちが今作ってる伝統ですから
やっぱり今を生きる僕たちがそれを実際使って
あの楽しんで
楽しみながら知っていくっていうのはあのー
やっぱ今の民芸
のあのまこう
あるべき姿になればいいなっていう
風にも思いますし
僕自身そうやって学びながら楽しんで使ってます
ドルをどんなものを生活に用いるかは
どんな生活であるかの告白ではないか
美は干渉に留まるごときもので
あってはいけない
もっと深く生活で生かされねばならない
美と生活と結ぶものこそ
工芸ではない工芸文化が栄え
ズバ文化は文化の大きな昨日失うであろう
うん奥さん喜んでくれました
見てください柳に学べじゃなくて
あっ千円札ま
最近さながらにはまってて
教室まで通ってるんですよ
自信満々で柳のことを話そうとしたら
どうしたのだとせっかく一生懸命勉強したのに
それはとんだ勘違いでしたねうんね
僕もね一個考えたんですよ
朝はパン昼はおそばで
夜ご飯食べたいの並べただけでいいのかな
いやつまりもそう言われたんですけどね
日にちの食事をお気に入りの器で
私なりに楽しむってことです
下手こんばんはどの大人にしましょうかね
迫力あるじゃありませんか
うん日常何だかんだみんないいじゃないかな
牛一番好きなの
これちょっとうん