日曜美術館「 ジュアン・ミロ 日本を夢見て」

日曜美術館「 ジュアン・ミロ 日本を夢見て」

自由奔放な筆致や鮮やかで明るい色彩で知られる。スペイン巨匠 ジュアン・ミロ (1893-1983)。近年の研究で、実はミロが第二の故郷のように愛し、多大な影響を受けていた国が、この日本だったことがわかってきた。「一枚の草の葉には、一本の木や山と同じだけの魅力があることを、日本人のほかはこれほど神聖なことを見過ごしている」と若き日に語ったのミロ。ミロと日本の知られざる濃密な関係を見つめる。

放送:2022年6月19日

 日曜美術館 過去の放送 | 風流

日曜美術館「ジュアン・ミロ 日本を夢見て」

不思議な形と鮮やかな色学者は
スペインカタルーニャ州バルセロナで生まれました
向こうの壁にもその画家の作品はあります
町のメインストリートにも
自分の故郷であるカタルーニャをこよなく愛し
作品を作り続けた人ルアンに
実は近年の研究で意外な発見がありました
何とミロが第二の故郷のように愛し
多大な影響を受けていた国がこの日本だったので
カタルーニャの大地を描いたこの絵も
穴や石ころが奇妙な存在感を放つこの絵も
そしてこのシュールな世界も全て日本の影響のもとで生まれたので
新たにわかったジョアンミロと日本の
絆の物語です
場所はまだこれから大きな起きないですけどそれはあれですね
なんか不思議ななんかこう人物なのか生き物なので
ちょっと分からないね不思議なのミドってこういう感じですよね
なんかちょっとこうあのちょっとちょっと可愛らしい
あのあの不思議な存在が目の中に一つ一つを切り取ると
ちょっとキャラクターのようにも見えるようだね
可愛らしいキャラクターですよね
ミツカンです今日は
愛知県美術館で開催されているジョアンミロ店に来ています
ご案内は学芸員の副田一穂さんです
よろしくお願いしますよろしくお願いしますこの展覧会が
日本と関わりがあるタイトルが
ついてますよねはいそうですね
あの服第に号日本を夢見てというタイトルをつけています
作品ぱっと見てもね
あんまり日本ぽいなーって思われないかもしれないですが
実はその多くの子探っていくと
日本のものがちょこちょこちょこちょこ出てきて
それが実は影響あるんじゃ
ないことが見えてきてるということですね
カタルーニャ州バルセロナ1893年色はここで生まれました
当時のバルセロナはご年前に開かれた万国博覧会の影響で
日本ブームの真っ只中街には日本のものがあふれ
ミロが生まれた家のそばにも
日本美術を輸入する店があったのだとか
日本の昔話まで
カタルーニャ語に訳されみろもそれを選んでいたといいます
ミロはじゅーなな歳で
大手日用品メーカーの経理として働き始めますが
彼になりたいと思っていましたが
父は息子を勤め人にしたいと願いました
しかし仕事にはまったく馴染めませんでした
神経を病みついには重いチフスにかかってしまいます
ミロは療養のため父の別荘があった者の家へと行ってきます
そこはバルセロナから
ひゃくにじゅーKMほど離れた自然豊かな村でした
勤め人に向かないことを知った父は
みろが画家になることを認めます
医療用語本格的に絵を学ぶことになりましたが
すぐに壁にぶつかります
デッサンが上達しないので
そんな時一人の教師がちょっと変わった方法を提案します
それは目隠し見るのではなく
触った感覚を頼りに絵を描くという斬新な指導でした
そして
こんな作品が生まれます

友人を描いた肖像が見たままを正確に書くことから解放された
ミロは天井の色彩感覚を発揮します
背景には何と日本の浮世絵が貼り付けられています
当時
のスペインでは日本
の美術は斬新なものでした
既存の西洋絵画にはない色や形で溢れていたので
新しい海岸を目指していたミロは
こうした日本の美術を熱心に学んでいました
この頃見るは頻繁にモンロー家へと足を運びます
シーズン
もまた見るにとっての先生でした

地元の風景を描いた一枚
太陽
を浴びて虹色に輝く大地そして
青い空
カタルーニャのフードが力強く描かれています

はこの作品にも日本の影響があるのではと言われています
こちらの歌川国虎の浮世絵盛り上がる土の表現や
色合いがとても良く似ています
カタルーニャの大地と日本の文化を融合させ
色は新しい芸術表現を目指すので
このよん歳の時に書いた絵でまだこう言われる
ミロスの画風が確立する前の本当にあの青年人いますか
あこの人物画を見てるとあの全体の感じ
特に小指の感じとかはい
またその当時の君住むならの影響って言うか
そういうものも感じると思って再度そうですね
勉強する時代ですので
当然その先輩たちのえーとへの影響を受けたですね
あのう実はそんなに上手じゃなかったんですよ
そこなんですかそうだとよくあるじゃないで変に書いてるけど
本当はめちゃくちゃうまいもん見ろは本当の美術学校に通ってる時
戦争めちゃくちゃあるんだね
とにかく形がデッサンができないと
直線と曲線の違いみたいなことを言っていて思い悩んですよね
ただその時のその学校の先生がすごくいい先生でわかった
じゃあお前は目隠しをしても対処を見なくていいと
目隠しをしてそのものを触りなさい
その記憶でそのものを書きなさいどうしどうしたんです
それでどうもを見ろのような才能が開花したみたいで
つまりその見た
目通りに写真のように再現することはできなくても
ものの何か高質感本質をつかんでそれを書くことが出来るのですが
触覚を通じて対象の本質に触れるってmasako
英語でフレイルって持って本当に文字通り
フレアー色彩に優れているのに目をつぶって物に触れてそこでも
いいし両方ですよね
かなり思い切ったんだと思うんですが
喘息が違いますよ
これまた寝たら
植物もなんか不思議な感じがなんか情報みたいな感じしません
でも喋って干してあったら蝶の標本みたいですもんね
なんか押し花の量だと思って
花枝振りもなんかこう
あえてなって
疲れちゃったものを避けるようにしても広がってんじゃんですかが
もっと上手になるようにその平面的ですよね
なんかも一枚一枚しっかり正面向けて細かい葉脈まで
だからちょっと図鑑と言うか
今日ほんとちょっとそういう感じがするんですかね
この時期見るはどうもその一枚
一枚の館も葉っぱだとか
甘い石ころ一つ一つだとかそう言う細い小さなものに
ものすごくご関心を寄せていて
それもまた日本からの影響で日本に学んだことだったんですよね
今何ですか見るのが参ってる友達に宛てて手紙の中で書い
てることもあるんですけど
はい一本の草緑のが難点ですか小山と同じだけの価値があるんだ
そのことに気づいてるのは
現地の人々か日本の人々ぐらいしか気づいてない
他の人誰も気付いてないけど
本当はそのいっぷんのた大根の種が
やまと同じだけ重要なったっていうこと
言ってる大きさじゃない大きさじゃないもの
何か買ってっていうのは
それぞれそれぞれがみんな10日で一つ大切なものを持ってると
どうして日本はその原子の火とか
日本は日本の人はその細部に宿ると考えたんです
そうなんですよねそんなに日本人って小さなものに行っ
たら何があるのかって言われると思う部分もあるんですけど
どうもいろんな理由はあると思うんですが
一つはここからの影響があると言うには行ってます
弟に宛てた手紙の中ではなこと言ってるね
日本人というのはあまり偉大な声
日本人のかかってるのは
何を研究しているかってと一本の種はそうだ
それを結局研究していけば
次第にそれがその山を書いたり
風景を書いたりことに繋がっていくんだみたいなことを言って
さあ日本の草の絵を見て感動したゴッホは
草をモチーフに多くの絵を書きました
一本一本を細かく塗り分けた種

湿り気や匂いまで伝わってきそう
ミロ
はこんな言葉を残しています
一枚の草の葉には一本の木や山と同じだけの魅力がある
現地の人々や日本人の他は
ほとんど誰もがこれほど神聖なことを過ごしている
小さな
葉っぱにも道に転がる石頃には神聖な
存在感を見出す
今までの西洋の画家にはないものの見方を見ろはしていたのです
なんかあれですよね
日本の何かご苦労さん会の何があるって言うか
あればアニミズムって言ってもいいのか知らんけど洗える
こうなんか森羅万象の後
いろんなある人物をそれぞれ固有の魂が嫌だってそう
そういうものが小路ているのが世界だ
みたいなのは本当卵特別に来特に
宗教的ななんかこうあの感情が強くなくても
そういうことは糸がの日常の中で人身にするのが多い文化では
と思いますけどね
確かにあのアニミズム日本人にとってはすごく自然になんとなく
そういう感覚がある
それはやっぱりいろんな昔話みたいなものから
そういうものなんだっ
て受け取ったりするんですけど
ミロンの蔵書の中に日本の昔話読んでたんでそうやなあ
本当にいろんなあの有名な浦島太郎何が入ってるんですけど
あのさるかに合戦を入ってる時
音が動いたという世界
観っていうのもなかなか良さそういうものを知ってただろうし
そうです何か
すごく今納得しました
だからこれはさるかに合戦という世界で見ると
なんか人がみんな甲州屋そうですね
でも全部主役になってるなんかあれだよね
本当にその草木
日本へ一つ一つになんかこういうのがありがたいものだ
みたいなのっていうのは何か確かにそういう感覚って
1920年にじゅーなな歳になったミロは
新しい表現を求めてパリに出ます
そこに後にシュルレアリスムの中心となるアンドレブルトンや
満塁がいました
満塁が捉えたミロの肖像です
首に縄をつけても喋らないとからかわれたほど無口だった
見ろしかし海外への情熱は人一倍ありました
その
頃の作品農園

中央寺を広げるのは
ユーカリの木葉っぱ一枚一枚までが存在感を放ちます
愛知
には様々なもの

植物だけでなく
バケツやじょうろもまるで決め
ポーズをするモデルのようにしっかりと描かれています

トカゲやカタツムリ
そして小石一つ一つまで男ロミロハパリと
故郷のカタルーニャを行き来しながら描いていました
パリで暮らしていると
どうしてもカタルーニャに戻りたくなってしまうのです
この絵はカタルーニャで書き始め
きゅーヶ月後パリで完成させました
この

作品に惚れ込んだのが当時はまだ駆け出しの作家だった
アーネストヘミングウェイ実はヘミングウェイとミロはパリで
同じボクシングジムに通う仲間でもありました
一緒にスパーリングをしたこともあったと言います
当時スペインに旅行し
その魅力にとりつかれていた
ヘミングウェイは友人から金をかき集めこの絵を購入します
ヘミングウェイの言葉です
ここにはスペインにいるときに感じる
全てとスペインを離れても取れない時に感じる全てが含まれている
俺ほどは相反する二つの要素をかける中は他にない
カタルーニャと二つの異なる空間に身を置く中で
ミロは独自の不思議な世界を築きあげようとしていました

この辺りまで来ると随分だよピロになっちゃった
言わ
れてみればもう煙みたいなもの

変わりましたね
それはやっぱりあのパリに出たっての結構大きな要素だと思います
アンドレブルトンシュルレアリスムの一番リーダーと
知り合っの周りのいろんな詩人達と仲良くなりの中で
やっぱりどんどんどんの自分の作品って仲悪くてさ
ただ結局ここで書いてる男もおそらくカタルーニャので多分やるの
それは
どこでわかるんですかこの絵そのものから分かんないんですけど
同じような時期にやっぱりたくさん同じようなよ
カタルーニャのノースだったり
語るんよを視聴すると必ずかぶる帽子が書いてあったり
あんですよね
そこはやっぱ芸術の都パリにいても
その自分の刀の園
都知事とのその心の絆ってのは
ずっと維持していただいた
日にせっかくアトリエを借りるんですけど
やっぱりパリにいると半年も道に戻って話もあるしながら
だから最先端の塔前衛たちとハット行って吸収してでまた
元に戻って自分の代わりにかぶれないと辛いですね
何か他のものをずっと書き続けてるって意味で
同じものを書いてるんですけど
表現としてはだからこそ気を落としてと言うか
だんだんだんだんそのリアルに
写真に近い表現から本当に線一本がみたいなものでそれを表して
しまう意味では
こうそぎ落としていく方法には進んで行くんですよねわかりました
なんか俳句みたいな
すごくいいところついてのは
ミロの周りにいた詩人たちとかフランスとか誰なので
俳句めちゃくちゃ流行るんですよ
やっぱりそれとも削ぎ落とし衝撃の少ない個数でそんな豊かな世帯
笑わせるんだみたいな感覚っていうのが取り
その前衛的な詩人たちにとっては結構な小6切らないで
色の周りもたくさんだから
西区合馬フランス語でハイトスのもの
作ってみる作がたくさんいたりしておそらくその
影響でのあるとありにアトリエを構えてじゅー
年シュルレアリスムの仲間と共に
ミロは徐々に注目を浴びるようになっていました
結婚も娘も授かりました
しかし時代がミロを翻弄します
1931年スペインに共和国政府が誕生
生計を握った
労働者や農民たちの左派と
地主やカトリック教会などの右派の対立が激化します
1936年右派の支援を受けてフランコ将軍がほうき
このクーデターをきっかけに
スペインはさん年に及ぶ内戦に突入します
動画国政府には海外から多くの義勇兵が駆けつけます
その中にはあのヘミングウェイも
そして見るも芸術家として立ち上がりました
スペインを助けよ
共和国政府を支援するための切手をデザイン
切手としての発行は叶いませんでしたが
雑誌の付録として多くの人々の手に渡りました
うまし体はスペインの国旗の赤と黄色で鮮やかに
彩られています
赤い帽子はカタルーニャのノースが伝統的にかぶっているものには
ミロの言葉が現在の戦闘において
私はアシストJAの側に時代遅れの暴力反対の側に人民を認める
彼らの尽きることのない想像の力は
全世界を驚かせる飛躍をスペインにもたらすだろう
しかし共和国政府は戦いに
敗れます
見ろ
はスペインを離れフランスノルマンディへ逃れます

しかしここにもドイツが侵攻してきます
多くの仲間が戦火を避けアメリカに逃れました
ミロはスペインに戻ることを決断します
絵筆を取りました

1942年に描いた人物たち黒い線で描かれた怪物のような人物と
そこには大地の生命力も鮮やかな色彩も
ありません

ミロの作品にとても惹かれるという人がいます
モデルの冨永愛さんです
辛い

見てて
なんかこれはなんかすごい
せんえんが
すごいこうかをじゅーに個でもこれ
引っ張ったら顔がバラバラになっちゃいそうだし
これも顔も人間じゃない
でも人間なんだろうなっていう飲みにくさこのこれとかも
結構インパクトありますよねなんか目の目の書き方とかも
なんか
その
さん年後に描かれた作品は有名だね
でしょうね

ご指導でオルガン演奏を聴いている
踊り子


触覚
とか可愛いのかと思って
気に入ってます
ここに書いてある女ってなんだろう
優しささえ感じる女ばかりはこれも女ですけど
その人間の目の形をしてんのこいつじゃないですか
久留米が全部左に出てると左上か左なんかすごい
こういってすごい大事じゃないですか
モデルでもそうですけど
ちょっとのこの目線の違いでやっぱり全然印象が違う
さっきのやつは真ん中にあったでしょしかもちっちゃいんでしょ
俺黒ねすごいちっちゃいと鳥の上みたいに見えるか
感情がないと言うかちょっと悪者っぽく見えるか
でもこっちの家はこの人間のような女三つはあの瞳が大きいですし
まん丸ではないんですよね
ちょっと歪んでるって言うところが
きっとそういう可愛らしさだったり
暖かさだったりっていう印象を受けるのかもしれないですよね
さん
年の間に違う印象の作品へと変化してみろ

尾上の着想を得た時
ミロワバルセロナの南に位置する
マジョルカ島に身を隠していました
そこは様の生まれ小今日知り合いもほとんどいない
土地での暮らし素性を隠すために
自らの名を名乗ることはありませんでした
心を癒してくれたのは
昼時近くの聖堂で奏でられたオルガン演奏でした
その時のことを見ろは語っています
座って空想にふけったり何か形を思い浮かべたりしていた
ステンドグラスからは
オレンジ色の炎のように
光が暗がりに降り注いでいた

の後継を思い起こしてみるわ
この絵を書きました
暗闇の中明滅する
色彩音楽が鳴り響く中で佇む踊り子束の間の安らぎを
多くの人と分かち合うとするかのようです
長きにわたるべ筆による戦いは
子供のような愛らしさと
不穏な蠢きが同居する独自の世界を生み出しました
そして
戦後その名声は世界中へと広がって行くことに
なるのね

若槻に大きな影響を受けた日本ミロがその家を初めて踏んだのは
1966年ななじゅーさん歳の時でした
力士との対面
京都の石庭およそに週間の滞在の中で
ミロは憧れの日本を夢中で巡りました
そしてある人物が待っていました
詩人で美術評論家の瀧口修造
滝口は見ろに関する本を世界で初めて書いた人物でした
それは戦前の1940年の形
見ろをはじめとするシュルレアリスムの芸術は
日本では反政府的な思想を持つとして危険視されていました
それでも出版に踏み切った滝口
その後治安維持法違反の容疑で逮捕されはちヶ月も拘留されました
たきぐちもまた
ミロと同じように
巨大な権力を前に精神の自由を求めた人だったので
まるで旧知の仲のように黙って抱き合ったという二人
秋口は書きました
見ろよあなたにならってトンボの誕生日を祝うこの島々の国で
あなたがもたらしたdaigoの季節のある晴れた日に
またに出会えて季節が一つ増えた
そんな滝口の思いにミロは鮮やかなクレヨンの絵で答えました

日本でもミロの絵筆による戦いは続いていました
大阪にある美術館でその作品を見ることができます
1970年の大阪万博のために描かれた無垢の笑い
縦ごM横じゅーにMの大作です
ろっぴゃくよんじゅー枚の当番を縦横無尽に走る黒
そして強烈な現職に彩られたね
製作
中の映像が残っています
当時ななじゅーろく歳だったミロは
よんカ月でこの大作を完成させました
万博直前に2度目の来日を果たした際には思わぬ行動に出ます
相性の白いスロープに絵を描くと言い出したのです

千万を超える人が来場した万博
多くの人に愛された無垢の笑いは
閉幕後も保存されました

の絵に込めた思いを見ろは語っています
現在の社会はあまりにも悲劇的な俺から逃れるためにも
純粋な笑いがあってしかるべきだ
この時スペインは依然としてフランコ政権色のふるさと
カタルーニャでは成犬に逆らい処刑される者もいました
そんな中見るは純粋な
笑いを世界に向けて描いて見せたので
車何ですかかぼちゃです
神の子元夫というかあの語るんやね
取れるからばさと向こうのことバナバサ驚嘆
驚嘆驚嘆はい
それを形が面白いから
出てまみの選んであの瀧口修造にプレゼントした
で竹内すごく喜んで喜んでもらった顔を見ろの体と
自分の書斎にずっと飾ってたんですよね
やっぱこれも植物がからその彼の愛する大地から生まれた
入ってきてそうでしょ
だって自分のこのねあのねを張っている方
あるんやって出た今象徴するようなものなんですね
それだから送るってやっぱりすごく友情の証なんだと思う
それだけ愚痴もそのカタロニアの土地とん
帰って結びつくとそういうことですね
今日乗ってね
最初に行こうか
合体が腕の前横を通って
小春って触覚って
はとても大変だっていう話されてたじゃないですか
では箱嘗胆っていうの多分目が一つ一つ手にとってこの形
横の触覚で音出てね
そこで何かこう自分の作品の中に行こうそのある種交配登場
してもらうっていうかってこと考えると
やっぱりなんかこの第一とっとこなんか8日
今年が子供にフレって事は彼は大地と所属し直接触れてるっていう
そういうことでもあるんだなと思いましたけど
色の友人で一人すごく面白いこと言ってる人がいて
僕が小石を拾うと空
ただの石田しかしミロが拾うと空見ろになるトーク
私はそれは言えてるってかうまい表現だなと思ってさ
そういう見るか
身の回りにあるものを何でもこうなんかあるしての中に行こう
描き込んだりとか作品が必要な人が来てくれたりとか
こうすごい音を止めるっていうこと自体
がそのものに何かしらのなんて書く芸術的なはい力っていうか
その元々あってその本質を見よって人がある出航さぶりにとって
手に取ってるんだっていうことではあるんですか
はい彼に触れられることによってそのものがただのものではなくて
なんか魂を持ってるあれが
何かそこにある
その本質的なものがこう現れるように
細いの人が感じられるっていう
第一に目指し揺るぎなく生きた人生でした