日曜美術館 新春スペシャル 「# アートシェア 2021」

年の始めに、今見てほしい珠玉の一作を“あの人”がオススメ。井浦新:自宅にこもる日々、前を向かせてくれた太古の美とは。ヤマザキマリ:大切な旅を奪われる中、心を解放してくれたビジュアルアート。山口一郎(サカナクション):心の奥に眠る感情を揺さぶる無機質な写真。石黒浩(ロボット学者):人間の本質、そして未来に迫る彫刻とは。塩田千春(美術家):負の感情が“創る力”に。スタジオゲスト芦田愛菜

【ゲスト】芦田愛菜、片岡真美【出演】石黒浩、井浦新、大林剛郎、塩田千春、山口一郎、ヤマザキマリ【画家】山口晃

放送:2021年1月10日

日曜美術館 新春スペシャル 「#アートシェア2021」

今だからこそ見て欲しいアートがあります。

時が変われば見え方も変わるのがアート。

だから、年の初めにアートシェア。

「無っていうか、感情がないですけども、エモーショナルなものを得られる」

「楽しくて幸せに生きていきたいけど、負の気持ちは作品になる」

豪華メンバーがアートの力を分かち合う日曜美術館新春スペシャル。

大河ドラマ麒麟が来るで明智光秀の娘、たまを演じる芦田愛菜さん。

「先日世界史の授業で西洋絵画に奥深さみたいなものを知ったのでたくさん知っていきたいなあと」

アートシェアの楽しみ方を教えてくれるのは森美術館館長の片岡真美さん。

「アートワークに接したときに伝播されるエネルギーがあって。これまで知っていると思っていた作品なんだけれどもなんか全然違うふうに見えてくる」

アートシェア2021。

今を生きる力を珠玉の作品とともにお届けします。

**

最初にオススメの作品をシェアしてくれるのは日曜美術館でおなじみのこの方。

「4月5月6月7月とかに用意準備してきてた映画の撮影とか、様々な仕事がやはり僕もあの一つ一つやらなくなっちゃった。中止になりました。買い出しで街路樹見たときのぼうぼうと伸びぱなしになってるあの公園の草花とか。でも雑草ってこんな綺麗だったんだとか、ある意味なんかもう全てのものがこうなんか感動してしまってか外にある。ほんとだったら病んでたんですよね完全にきっと」

去年7月ようやく再開されたドラマの撮影で井浦さんは新潟県十日町市を訪れました。

そこで出会った作品こそ井浦さんが選んだアートシェア。

ロケの合間を縫って訪れたのが地元の博物館。

そこで目にしたアートに疲れ果てた心が癒されたと言います。

5千年前縄文人が生み出した太鼓の造形。

国宝・火焔型土器です。

「驚くことに不規則なデザインに見えて実は、正確に同じように装飾が全部繰り返されてます。ものすごい精密ですし、本物と向き合った時にいろんなことが目に飛び込んできますしイメージがどんどん膨らむんです。どうやったら綺麗に」

井浦さん。この時、博物館の学芸員にちょっと変わった土器の見方をおそわりました。

それは全ての火焔型土器が川の流域で見つかったことから生まれた見方。

土器の装飾は炎ではなく、水を表しているのではないか。

「外側の渦だったり。確かに水が流れにも見えますし縁にあるたくさんの突起が水面でそこから水がはねてるようにも見えるし。日、水、魚、動物。自然の中にある形というものが閉じ込められてるようなイメージが湧いてきて、その形をたどっていくとこっちも元気になってくれてが楽しくなってきますし、信濃川流域の縄文人たちは近いところで住んでたからこそ、雨が降ったり台風、嵐が来たら川が氾濫して土砂があって、もうそれはそれは恐ろしいことになってたと思う。それでももう駄目だって言って、他の地域に行くんじゃなくて、水を表すような造形のものをすごい精密に作って、それで祈りを捧げたり、それを畏怖の念をもってこういうものを作って乗り越えていこうとする力って、やっぱり縄文人はあって、そうゆう意思というバトンを目の前にすると何かこう渡されてる気にもなりますし、お前達も頑張れよって言われてるような、気にも勝手になってしまいますし、厳しい状況だからこそ生まれてくる逆境だからこそ生まれてくる形っていうものって、あるのではないのかなあと思いますね」

**

**

「さすが井浦さん、素晴らしいなと思ったんですけど、火炎にしても炎にしても水にしても動いてる。運動しているものを形が閉じこもって閉じ込めているかもしれない。だけどその閉じ込められたエネルギーみたいなものを井浦さんの言葉が解放してるんですよね。土器を前にして感じてるエネルギーが伝わってくるところがシェアだと思いました」

芦田さんどんな風に思いました。

「歴史の授業とかでその教科書に載ってる写真だったりでもちろん見たことはあったんですけど、そのアートっていう考えをもってこれを見たことがやっぱりなくて、炎だとばかり思ってたので水っていうのはすごい腑に落ちましたし、お魚が飛び跳ねてるような波を表現してるようなところとかも、この時代の人が手でひとつひとつ作って行ったっていうのをすごく想像できますし、作ってる方のその思いがやっぱりこもってるんだなーっての感じられて、昔の人と繋がれたような気がして、それも素敵だなと思いました」

「この手作り感満載と言うか、作った人の手の跡が残ってんじゃないですか。しばらくオンラインで色々な人とコミュニケーションしていましたけども。井浦さんも実際に実物を見るととおっしゃってますけど、リアルなアートワークに接した時に、何か伝播されるエネルギーのようなものがあって、それを本当によく伝えているなあと思います」

**

「僕が今回紹介するアートは」

人が人を作ることができるのか。

アンドロイド開発を通して人間の本質を追求するロボット学者の石黒浩さん。

石黒さんがシェアしてくれる作品とは。

「僕自身もその人を理解したいとか、なんか人間らしいものをアンドロイドで表現したいって思ってやってるんですけどね。アーティストとしてそういう人って何かってか人ってどういうものかっていうのを徹底して自分の中のイメージを表現しようとしてるのはジャコメッティのような気がするんですよね」

20世紀を代表するスイスの彫刻家。アルベルト・ジャコメッティの《歩く男》。

高さ183センチの大作です。

ゴツゴツとした土の塊のような頭。

目も口もなく。

盛り上がった鼻と耳だけが人の痕跡を留めています。

今にも折れそうなほど細く引き延ばされた体。

それでも一歩前に進もうとする人間の姿です。

「ジャコメッティの作品には、削ぎ落として削ぎ落として人間の色んな物を最小限に表現したらああいう形になるんじゃないかなていうような、なんか共感みたいなものを覚えるんですね。僕の方が例えば最近アンドロイドでもですね、機械むき出しのやつを作ってたり、ひょろっとした細長い機械むき出しのアンドロイドって、何かちょっと人間ぽいんですよね。これが人間の本当の姿かっていうとそうじゃなくって、アンドロイドの本当の姿かって言うともっと機械がむき出しにされて、最低限の存在ってこれじゃないだろうなと。余計なものを削ぎ落とした方が人の想像をうまく喚起してですね、みんなが関われるようなものになる。例えばその技術が進んでいない貧しい頃っていうのはとにかく豊かになろうとしてきた。十分豊かになって、死ななくなって、じゃあ次自分は何に興味を持つんだろうと思うと、だいたい人に対する興味がもっと露わになって行く傾向にあると思うんですよね。その本当は興味に向かってる一人がジャコメッティなんだろうなと思うのですね。人間、削ぎ落として削ぎ落として本来の人間の姿っていうか、社会の中で色んな事に悩みながら生きていくような人間の姿を描き出そうとした。そういう感じがしますよね」

**

空間を埋め尽くす赤い糸。

それは血液。

そして人と人とのつながりを表すと作家は言います。

もつれ、絡まり、切れ、解ける。

ドイツ・ベルリンを拠点に活動する美術家、塩田千春さんです。

記憶や夢。生と死。

根源的な問いから生まれる生命観が世界中の人々を魅了しています。

そんな塩田さんのアートシェア。

「すごく気になってる気になったのは、ゴヤの作品の、自分の息子を食うサトゥルヌスっていうサタンなんですけど、ギリシャ神話と自分が気持ちと一緒になってこの絵を描いたんではないかといわれていて、生存中は全く発表されなかった絵です」

スペイン絵画の歴史で最も偉大な画家の一人、ゴヤ。

人間の内面を映し出す写実的な画風で最高の栄誉である首席宮廷画家にまで上り詰めました。

そんなゴヤが77歳の時に描いたのが《我が子を食らうサトゥルヌス》

ゴヤは5人の子供を幼くして亡くしました。

無事に成長したのはたった一人だけ。

そしてある夜、その大切な我が子に殺される夢を見ます。

禍々しいほどの狂気に満ちた父、サトゥルヌスの表情。

自らの心に抱えた闇を見つめるかのように、ゴヤは自宅の壁にこの作品を描きまし

た。

「人はどういった時に不安や恐怖や怖れを持つのかなって、それがどういった形で作品なるんだろっていうすごく考えましたね。ゴヤは本当に宮殿のお抱え画家だからじゃないですかね、すごく辛い面を持っていて、すごく闇の部分があっていて、何でこの画家がこういう絵を描くのかが不思議でしょうがない。この世界にすごく惹かれるところがあって、でもそれは本当に人間が共通する暗い部分の闇のことなのかもしれない。生きるって本当はこういうことかもしれないなっていうところに行けるような気がするんですよね。私は森美術館で個展があって、片岡館長にあなたの個展をしますよって、企画しますよって言われたその次の日に私がんになったんですよね。その時に、手術をして抗がん剤治療して、抗がん剤治療をしながらプラスチックバッグをお医者さんに聞いて集めて、クリスマスのイルミネーションをバッグの中に入れてピコピコピコピコ光をつけて作品を作ってたんです。

でもやっぱりすごく死ぬことも怖かったし、がんになってしまった自分もどうしていいかわからなかった。だからこの抗がん剤治療のバックを集めて、中にイルミネーションの光を入れてピコピコして生きてる自分を感じたかった。

この気持ちって作品なんです。やっぱり。人間楽しいことだけじゃなくて、楽しくて幸せに生きていきたいのは本当なんだけど、でもそれでは納得できないと完結しない自分の心もあって、思っていてもうまく言えなかったりという気持ちがあって、それがやっぱ芸術で何か協和されていくっていうか、共感することによって社会が成り立つってあると思うのです。でもそんなこと考えて作品を作ってはいないんですけど、なんか世界が好きなんです。自分自身の中で」

芦田さん塩田さんの言葉はどんな風に感じましたか。

「何かわからない感情があるって、おっしゃってましたけど、私もお芝居をしていたりして、やはり嬉しいだけとか悲しいだけの気持ちってなかなかなくて、分からないけど、そこから何か感じるものがある気持ちっていうのがあって、それはでもそういう感情は私は嫌いじゃなくて、でもなんかそういうものって言葉、言語化してしまうとうまく伝えられなかったりするような気持ちなのかなっていう風に感じていて、だからこうやって絵だったりを通してそれを感じ取るっていうのはすごく素敵だし楽しいなと思います」

片岡館長は塩田さんがまさに大変な思いをされてる時にやりとりをなさっていたんですよね。

「ご本人が言っていたように、企画オファーしたその翌日にがんが再発していたってことが分かって、その後2年ほどの間展覧会の準備と治療が重なっていた時期があったんですけども、自分に起こったことそれから恐怖、怖れみたいなものを、作品を作ることで乗り越えてきたっていう、そういうプロセスを一緒に過ごすことになりました。なので、ジャコメッティもそうです。それからゴヤもそうなんですけども、両方とも人間の本質を見ようとした。ジャコメッティとかゴヤはもう自分のその内面を描いて77歳で描いたという絵もですね。彼の中にも宮廷画家というポジションを得ながらも、老いていく自分とか、様々な不安があったのかなという風に想像されるんですけど、作品を通して乗り越えていくようなそういうことが塩田さんにも通じているのかなという気もしました」

自分の家の壁に描いたんですね。

「別荘の食堂の壁画として描かれたみたいてす。食事をする場所にこれを置くことの狂気もすごいなと思ったんですけども」

「私もその歴史とかを学んでて、ギリシア神話とかに興味を持って、自分の子供飲み込んでいくっていうエピソードは知っていたんですけど、神話の中だと飲み込むとかそういうこと少し非現実的なイメージで描かれているのが、こうやって頭から食べるって言うようなそういう風に描かれると、すごく急に現実的に感じられてきて、生きることに対する執着心と言うか、本当に狂気みたいなものがすごく伝わってくる作品だとおもいます」

「生きたいって言う人間の赤裸な欲望っていうものが表現されてるとしたら、人間本当に削ぎ落として削ぎ落としたらいって何が見えてくるかという。石黒さんは人間が社会が豊かになってくると人間ってものに関心を持つようになってくんじゃないかっていう観点を話されてましたけど、それもあると思うんです。逆に豊かになりすぎたことによって人間が物みたいになって疎外されていくってことがあるからこそ、こうやって人間の本質っていうものを削り出そうとするっていう、芸術家の本能、衝動ってのはあるのかななんて思ったりもするんですよね」

「おそらくその人間の内面とか根源的なものを見つめて行こうとすることと、アートの役割とすごく近いところにあると思うんですね。なのでこういう作品を今私たちが見たい。推薦してくださった方たちが見たいと思ったっていうことも、何かその本質的なもの、生きることの根源的な意味みたいなのを考えなければいけない年だったんだろうなっていう気がしました」

世界中でステイホームが呼びかけられた中でアートに関するあるムーブメントが大変な広がりを見せました。 

オランダ語でスッセンクンステンカランテーネ。

アートと隔離の間という意味。

外に出られないなら作品になりきってアートを作ってしまおうという企画なんです。

きっかけはこのオランダ人女性。

ステイホームが叫ばれた去年3月。

何か楽しいことができないかとsnsで投稿。

瞬く間にシェアされ、世界中から7万件もの投稿が集まりました。

今のお手元にあるタブレットにその7万件の投稿の一部が出てますので、例えばたくさんありますね。

これマグリットの接吻という作品だと思うんですけど

相当オリジナルにすごく近い。

コロナだから直接接吻ができないっていうことなのかな。

「だからそこに意味を新しいなりきる人たちが新しい意味を付与して再解釈がなされている。なるほど」

芦田さんこれ見ててなんかちょっと気になるものありますか。

「最後の晩餐はすごい密なので、今は駄目っていう読みかもしれない」

「ズーム飲み会してますよね。ズーム最後の晩餐になってる」

投稿する人たちはみんな今に合わせた工夫してるんですね。

番組ではハッシュタグを始めた方にもお話を伺っております。

「まさかルーブル美術館やメトロポリタン美術館にフォローされたり、世界中の人に見られるなんて思ってもいなかったから、ハッシュタグもオランダ語にしちゃったの。今考えるとハッシュタグも長すぎるし、綴りも難しいし、使いにくいじゃないかって思っちゃうけど、みんな言葉の意味が分からなくても投稿を見て理解してくれるのがわかってよかったわ。絵に完璧になりきるというよりも参加した人たちが家にあるものを駆使してどうにか絵になりきろうとする姿がすごく楽しいの。普通SNSってネガティブなコメントがついたりするけど、このハッシュタグへのコメントは全部ポジティブ。世界中の人が笑顔になれるのって素晴らしいですよね」

日本からも投稿してる方がいてちょっとご紹介しましょう。

俳優の片桐仁さんがなりきってるんですよ。

フリーダカーロ。

「肩にちゃんと猫ちゃんの代わりに何か乗ってますね」

片桐さんに伺ったところ家族総で作ったり集めたりということで片桐さんに扮装をさせ、光の具合などでこの絵に合うように撮影するの難しかったと。

「他にもレンブラントとかフェルメールとか結構出たと思う。両方とも光の入り方がものすごく難しい絵画なんですけども、それらしく見せるテクニックなのかなっていう気もしましたね」

「真似しようとすると、その絵を見つめる時間ってのはできるじゃないですか。そこでまたね美術館で楽しむのとはまた違った見方になるかもしれないですけど絵と向き合う時間ができるし、そしてなんかこうやってその投稿をね見た人とかも知らない絵だったり好きな絵を見つけられたりとかして、またそこでなんかこう広がってくんじゃないかなと思って」

「シェアってそういうことですよね、自分の知らない絵にこれをきっかけにして出会う」

「でも女優さんっていつも自分じゃない別の人格になりきるっていうのが、見た目だけではなくて、その時は内面もその人になりきるようにイメージを膨らまされたとするんですよね」

「そうですね確かに近いかもしれない。アートの面と。その気持ちってどういうことなんだろうとか、こういうことが起こった時にどうしてそういう風に思えるんだろうとか、やっぱり気持ちのことはあの普通に生活してたら通り過ぎてしまうようなことも深く考えたりするきっかけをもらえるところが楽しいなあっていう風に思ってるので」

続きましてはですね、アートシェアについてちょっと変わった考え方を示してくださったこの方です。

こちら目の前に座られるところからお願いします。よろしくお願いいたします。

日本画の伝統を取り入れた独特の画風で知られる山口晃さん。

時空を超えた街や人々の風景を緻密な筆で描き出します。

東京2020の公式アートポスターの一つを手がける現代を代表する画家。

そんな山口さんにアートシェアをお願いしたのですが、

「シアェっていうか、なんていうんんですかね。作品が癒しとか言われるとね、そのいやいやって言っちゃう方なんで、やっぱり高揚感っていいますかね、多分まあ脳内物質が出てると思うんですね。まあある種の過剰な興奮ってことは器官を痛めますから、元気だ時に年に1度ぐらいでいいのかな。ましてやそれで癒やされてとかってなんないんですね」

そう言いながらも紹介してくれた作品が長さ16メートルの絵巻物。

室町時代雪舟が描いた国宝・四季山水図。

通称山水長巻。

中国から学んだ水墨画を独自の表現へと昇華させた雪舟の代表作です。

春夏秋冬。

季節の移ろいが描き出される頂戴な絵巻。

悠久の時の流れの中で、自然や人々の営みが生き生きと描かれています。

「雪舟は無駄なことしない人だと思うんですね。見ていただけるとわかると思うんですけども。手数が恐ろしく少ない。ズバッ、ダッ、シャーでできてるって言うか、僕なんかが見てると最小の気でやられたってぐらいガツンと来るんですね。線、濃いとか薄いとかっていうような。クマ取り。その時にしか出ない線っていうのが水墨の醍醐味であるわけですから、見て目を走らせてるうちにどんどんこちらの精神がいじられてくるって言う。その醍醐味って言うんですかね。作者の追体験って言いますかね。なんかそういう引っ張り込まれるって言うのに身を委ねる快楽なのか危険な罠なのか」

東京表参道の大通りに面したビルのエントランス。

ここでアートシェアをしてくれるのが、大手ゼネコンで会長を務める大林剛郎さん。

現代美術のコレクターとして知られ、ニューヨーク近代美術館の諮問委員会のメンバーも勤めています。

いったいどんな作品を紹介してくれるのでしょう。

「これはこの石室と言うかですね。まさにこのピラミッドの中にいるような、あるいはこの古墳の中にあるようなところでですね、杉本博司の模型の彫刻が天井からぶら下がってるとこういう作品です」

現代芸術家、杉本博司の作品《究竟頂》。

究竟とは究極に達することを表す仏教の言葉です。

まるで後光が差しているかのようなオブジェ。

少しずつ細くなっていくその形はどこまでいっても決して交わることのない無限直線を表していると言います。

「実はこの円錐がですね、これがずっと細くなってきて、永遠に交わらないんです。これずっと永遠に交わらないでで、ここに1ミリメートルのポイントがあるんです。これがずっと下まで降りて地球を突き抜けて、ブラジルのどっかで数ミクロンになってさらにそれが宇宙の果てまで続いて永遠に続いてくという、そういう無限性を可視化するというこの部屋からですね。その無限に伸びていくものがずっと地球をつけてまた宇宙につながってくという、人間のロマンじゃないですか。この宇宙にこれから出て行くとか。あるいはその宇宙を見るとか。こういう人類が大変な時にですね、そういう宇宙に思いを馳せるとかあるいは無限なものをこう見るって言うのは、なんかこう励まされるなあというふうに思うんですけど。作品のコンセプトした上で、是非この彫刻の真下に立ってみてですね、あるいはその下の1ミリのポイントを眺めていただいて、無限性というものについて考えていただくといいなという風に思います」

次にアートシェアをしてくれるのは漫画家のヤマザキマリさん。

「お友達の方から紹介されたものなんですけど、もうすっかり入れ込んでしまって、毎日のように見ているんです。ジョーダン・ベルソンっていう作家がいまして、単なる抽象的な光とか色彩とかいろんな流れだったりか、そういったものが映し出されるだけですから、何もこう具体的なお話が展開されてるじゃないんですけど、クラシック音楽と一体化して、ずっとその映像が流れてるって言うものをきちんと見たことがなかったんで、相当衝撃を受けて」

「例えば泡のような細い光の粒が上に上昇していくっていうシーンが、やがて空の星と融合するシーンがある。そこのシーンがすごい好きで、生まれてきたものがやがて消滅して宇宙の中に吸い込まれていくような。ものすごく光眩しい水面の光みたいなのが現れたりとか。木星の外側を覆う雲のような流れになってたりとか。本当に宇宙旅行してるの気分があるんですよ。ものすごく遠いところに入って旅をしてるような気持ちにさせられそうなんですよね。私に旅っていうのはもう自分の細胞を司る必須の栄養素なんで、それを絶たれちゃったんですよね。最初の2、3ケ月ぐらいは大丈夫と思ったんだけども、夏ぐらいになってきた時からだんだん気が滅入るようになってきて、私は今漫画の連載を持ってるんだけど生産性が上がらなくなっちゃった。旅をしてる時の方が時間ないのにどんどん描けるんですよ。今こんなに停止してる時間があるのに、自分がいつも作業で使うipad手に取った時に、全然やりたくないんですよ。でも徐々にこういったものを見て今までとは違う旅の仕方。それこそトリップですよね。同じ旅じゃないですか。私はだから体を動かす旅なのか、それとも停止してジョーダン・ベルソンを見ながら感じる旅なのか。これはこれでまた別な旅なんで、こういう画像を見るだけでそれまでの何かが一切遮断されてなんか自分が生きてるとこってこんな狭いとこじゃないっていうような気づきがある。それは今まで私は全部、旅から供給してたんですよね。でも今はジョーダン・ベルソンがいるからなんか旅しなくていいかな見たいな。そのくらい楽観的な気持ちになれたと言うかね」

気持ちが呼吸と縮こまっている時にパッと解放されるようなそういう作品なんでしょうかね。

「本当に光の集合体だけなんでしょうけど本当は。でもそれを見てるだけで宇宙を感じたり星を感じたり、おっしゃってたみたいに雲を感じたりとかが、それって不思議な体験だなあと思って、しかも自分はそれを本当に見たことがないくて知らないはずなのになぜかそれだと思えるのって不思議だなと思う」

「個人的に興味があるのが天井から細くなって行って途中で途切れて、円錐だから穴になってると思うのですけど、飛び込んだら宇宙空間にいるとかね」

不思議の国のアリスの穴に落ちたら別の国に行けるみたいな、見る人によってもしかしたらあそこで感じるかもしれないですね。

「普通の子私たちが生活しているその街中にあるって事も素敵ですよね」

ヤマサキさんがなかなか執筆が進まない時に、あの音が映像でちょっと旅をした気持ちになれるって言うのも。

「ジョーダン・ベルソンっていう人。50年代60年代ぐらいに禅やそれから仏教哲学みたいなものがアメリカで流行った時も始められたようなんですけども、光を作品の素材にするビデオアートみたいなものが生まれて、光もそれから火も、形ないじゃないですか。形のないもの見えるものにしていくのかっていうのはアーティストの挑戦だったと思うんですが、

もうその中でその見えないものは分からないものをどう納得していくのかっていうところに広がっていた辺りはなんか逆にその見えて分かっているものの向こう側に来とんでいくようなそういうところが開放感にももしくはひらめきにもつながっていてあの仏教の話が少し出てきた時に

俺もあの授業で習ったことがあるんですけどあの流れる砂の空の思想がちょっと思いついて見えないもの無限っていう目に見えないはずのものを見えるものでおっしゃってた通りなんですけど見えるもので表現するってのはやっぱり面白いなと思いますしやっぱりお芝居するときもその答えがあるわけじゃないのでこの先には何があるんだろうとか、どうしたらいいんだろう考えることはすごく楽しいなと思ってそういうところにも繋がるかなと思いました

オンラインライブにCGを合成した斬新な演出。

その映像を生で配信したことで話題を呼んだロックバンド・サカナクション。

次にアートシェアをしてくれるのはボーカルの山口一郎さんです。

じゃあ朝ジョジョジョジョこっちこれがえーとに大通りだ

後は大通りでで僕が住んでたのはこのマンション自然三万円ですよ。でも全然お金がなくて当時も電気もガスもも水道も最後に止まって本当に北海道の冬でガス止まるって行こう紳士なんですよ。

空から地上を移したシリーズで知られる写真家・松江泰治。

山口さんがデビュー前に暮らしていた札幌の街の写真です。

松江は光が地表を均一に照らした時シャッターを切ります。

影や地平線もない削ぎ落とされた風景が広がります。

やはり今こういう時代だとインターネットでまちぶの旅行に行きたい場所を調べて、そこにどんな観光地があってどんなものがあるかとか何かいろんな人のいろんな意見がそこに溢れてるたりすごくないですかでも暑い大佐の作品ってその景色その場所をいろんなものを本当にサンプリングするから切り取って何の感情もないように映し出しているわけですよね。なんかそんなにも感情がないように切り取っていることに対して何か僕らは違う感動を入れると言うかロボットのプラモデルを三角自分で組み上げて言ってその組み上げたことでそれが自分の魂がこもっている気がしてくる。なんかそれに近いっていうか見ることでなくその景色に魂が入っていくっていうか自分が何か入り込んでいくっていうちょっと感情が松井第三者作品からは出るんですよね

返すもせずに家にいる時間が非常に長かったんですね、で制作するときはいつも家に行こう閉じこもって制作はしていたんですけど、制作時期ではないタイミングにこんなにも家にいることがなかったんですね。

で僕はいつもは少年A少年時代に戻りたいとか自分が高いんだった時期に自分がどんな音楽を作ろうとしているのかいたのかその感覚に戻りたいって思いながらそのデスクで葛藤してるんですけどこの写真の北海道で自分がまだデビューもしてない頃にたくさんのためではなくて誰か一人のためだったり自分のために音楽を作っていた時をことを思い出すでもここに戻れたんですよ。ほんときの感覚にコロナで戻れたんですよね。同じ状況になったっていうか同じ不安を抱える時は高さあの時も送信さに時の粗品みんなと同じ気分気持ちになったそういう事って雨無いんじゃんだからきっと松井さんの写真って本当っていうか感情がない僕なんかにすごいメモして女はやっぱり一包化感情を排して歩こうニュートラルなその空間であるからこそ見る人がそこにご自分の主観的なね感情なりあれば子機良くなるよコニコあの映し出すことができるって言うかね

僕の中でその親切な光になんてならないわけじゃないすか普通でそこで木陰も中山ね

金がないってことやさんじゅー機材っていうか非実在的なね、なんかこうなんか死の世界すらあの想像させるわけですけど、でもそこに行こうあの見るものはそこに憩いの家っていうのこう感じ取ることができるって言うかそうやっぱりアートの力なのかな

この時期にこの歳の写真を見るというのも本当に空っぽになったじゃないですかにとかでも渋谷ももうあの六本木も全く違うに見えてくるって言えばそういう体験をした後なのでさほど歳を俯瞰するということもまああのこれは雪が降ってますけどもまた違う都市の風景を見たなっていうの私はちょっと思い出してました

これ見たらなんかこう思ったりすることあります

一番最初に見たときは結構学校生活感がやっぱりなくてちょっとゾッとしたんですけどでもよく考えてみるとこの家だったりとかこのビルだったり一つ一つになんかこう人が暮らしててその中に一人一人ストーリーがあるんだなって事をなんかこう想像するとまた違う写真に見えてきてそうやって想像できてすごく素敵だなそうですねでもまた

明日さんのおっしゃる通りです。この中に人がいるんだって思ってその他者のことを考えるってですかね他の人自分と同じような境遇にある多くの人たちのことを考えることができるとそこに思いを馳せるっていう事ですよね

お世話様ですね最後になりましたけれどもとっても昨日

アートシェアを片岡さんからお願い致します。

「私はですね河原温というアーティストの作品を紹介したいと思ってます。ご紹介したいのは《Atodayシリーズ

マルイは日付絵画という風に言われてるんですけども、その日の日付をですねその時に滞在していた場所の件後でまぁ表記した絵画なんですけれども

ニューヨークを拠点に活動し、海外でも高く評価された河原温。

1966年から描き始めたのがグレイシリーズです。

来る日も来る日も日付を書き続け3千点もの作品を残しました。

今回のアートシェアでご紹介したいなと思ったのは、お正月ということもあって新しいカレンダーを見るタイミングでもありますし、今見た目は大変無機質に記号だけ正確なんですけども自分の誕生日だと思ったり特別な日だなこれはと思ったりするというのことも今日付を見るだけでいろいろ膨らんでくるので数字や記号でさえそれが持っている創造のきっかけのダイナモのに即つながるしこの信念に皆さんがどういう風に思われるかなと思って間違えましたです

それそれぞれの人がやっぱり自分が生きていく中で自分とって特別な日付ってありますよねでそれが例えばからさんの作品のに描かれてたりするとやっぱり外れたりとかしてるって言う事ではまたそういうこうなんか出会いとかすれ違いとかは日付ってほんと興味深くて一人一人のなんかこういうの孤独二の真木よう子なりたい県形っていうものが作品と何ですかねコンタクトするかそういうサプリなんだろうなって思いましたねから

音自体は椎名ことにこのままシリーズ始めた頃から、パブリックの橋のほとんど姿を見せなくなってほとんどどんな顔をしてらっしゃるのかも知られていない謎のアーティストとしてなくなっていたんです。なのでその器具を使った作品でしか河原温テニス

アーティストの生存を想像できないというところも面白いところでもある

でも僕は今日確かに生きているんですよっていうメッセージを発信してるって事ねそうですね20日

おなどうやって刻んでいきますか僕ですか

これ見てたらあまりにも2020が知らない間にというちょっと大きさみたいですよね

あれも今思ったのはなんかこうやっぱり1日いちにち結構意識しなければすぐ過ぎ去ってしまうものだけどこうやって残していくことでなんかこう同じ日って二度と来ないんだなって思えるのが素敵だなと思いました。大切にしようと思いました1日おそうですよ本当にいろんなアートがシェアされたらと思っていましてあと私いつも時空を超える真時間と空間を超えるなと思ってるんですけどもまあ空間て意味でも毎日の身の回りのところから宇宙まで行っちゃいました。

時間という意味でもまあ縄文から現在まで読み取れるのを網羅した本当に広い時空をまた日をすることができたな時に思ってるんですね

まあいろいろその時間と空間を自由に往来することによって、新しく広新しい年を生きる力になるなあというので改めて思います。

今日はお話伺って先ほど明日さんがおっしゃったようにこの建物の中にたくさん人がいてその一人一人がその物語を持ってるんだって

郵送高校想像することも大切だって同じをされても

白くを飼い方からこそのことの大切さのことを考えるんだ、想いやるんだ急な事をなんかこう教えていただいたっていうかねあのそういうこともあの感じました

ですのでそれがやっぱりそういう話が出て参加を媒介にしたと語る人たちのことはその媒介にしてそういう子話が出来たっていうことがまこし一年の始まりだね。そういうこと体験できたその皆さんと共有できたってことがすごくなんかも最高の愛ちゃんの始まりだねすごく前向きな気持ちになるかなって思いました

ドイツ在住の美術家塩田千春さん。

今塩田さんは新しい作品に取り組んでいます。

赤い糸に結ばれた赤い髪。

そこには小さくIhopeと記されています。

この時代のこの時期だからこそ、希望を持ち、地元でもいいからそれを描いていけば何か希望っていうか何かなと思って」

2021年あなたはどんな希望を描きますか。