ルーブル美術館 には、人類のあらゆる美の記憶が刻まれている。それは16世紀、レオナルド・ダ・ヴィンチから始まった。イタリア・ルネサンスに憧れた国王フランソワ1世が天才レオナルドを招き、美の殿堂の礎を築く。「モナリザ」「岩窟の聖母」など、レオナルドの傑作が次々とルーブルに収集され、フランスは芸術大国の道を歩み始める。8Kでとらえたレオナルドやミケランジェロなど世界最高の美を圧巻のカメラワークでどうぞ!
【語り】柴田祐規子
放送:2020年5月17日
日曜美術館「ルーブル美術館 (1)すべてはレオナルド・ダ・ヴィンチから始まった」
ルーブル美術館。
美の殿堂は16世紀の初め、イタリアからもたらされた一枚の絵画、モナリザと共に歩んできました。
モナリザは世界の至宝がこの地に集められた歳月を見つめてきました。
美術史を織りなす膨大なコレクション。
それは500年をかけて築き上げられた人類の美の記憶です。
その収集の歴史を見つめるとそれぞれの時代に人はどんな美を求めたかが浮かび上がります。
シリーズルーブル美術館。500年の美をたどります。
それは芸術に刻み込まれた人間の真実を探す旅。
ループルの至宝は問いかけます。我々とは何か。
パリの中心、セーヌ川のほとりに壮麗な姿で立つルーブル美術館。
古代メソポタミアから中世ルネサンス。
そして19世紀に至る至宝・68万点が収められています。
芸術の国といわれるフランス。
しかし500年前は文化の面でイタリアに遅れをとっていました。
今日はフランスが美術品のコレクションを通じて芸術国家への道を歩み始める16世紀をたどります。
ルーブル最大の展示室。グランドギャラリー。
奥行き350メートルに及ぶ美の回廊です。
左右の壁にはイタリア・ルネサンスの名画の数々。
ここにコレクションの起源に深く関わる、一人の画家の作品が並んでいます。
イタリアルネサンスが生んだ天才、レオナルド・ダヴィンチ。
その最高傑作の一つ《聖アンナと聖母子》です。
描かれているのは幼子イエスと聖母マリア。その母、聖アンナ。
イエスが戯れる羊はキリスト教では犠牲の象徴。
マリアは我が子をやがって襲う運命から引き離そうとしています。
二人の母の慈愛に満ちた微笑み。
よく見るとイエスの姿に輪郭の線はなく、陰影のみで描かれています。
絵の具を何層も薄く塗り重ねて陰影を表すスフマートという技法です。
レオナルドは目に映るままにこの世界を描こうと生涯探求を続けました。
この傑作をフランスへと導いたのは一人の国王でした。
王の名はフランソワ一世。
肖像画は美を愛した王の溢れる気品を伝えています。
手触りまで感じさせる上質な衣服。細やかな刺繍。
後は1515年、隣国イタリアに攻め入ります。
その時ルネサンスのきらめきを目の当たりにし、芸術の力で国を作ろうと決意しました。
「我より以前、フランスのすべては俗で貧しく、無知であった。我は芸術の父に任命されたのである」
翌年、王はレオナルド・ダヴィンチをフランスに招へいします。
64歳だったレオナルドは、イタリアで支援者を失い活躍の場をなくしていました。
ルネサンスの天才は自らの傑作を携えてフランスの土を踏みます。
フランス国王の心を掴んだのはレオナルドの深淵な美の世界でした。
レオナルド30代の傑作《岩窟の聖母》です。
幼子イエスが洗礼者ヨハネに祝福を与える瞬間。
祭壇画として依頼されたこの絵をレオナルドは異色な作品として描きました。
祈りを捧げる聖ヨハネと祝福で答えるイエス。
二人がいるのは草生い茂る闇の中。
聖なる存在を暗がりに描いたと依頼者から受け取りを拒否されます。
しかしそこにはレオナルドの意図がありました。
マリアの背後には洞窟の入り口。
洞窟は女性の子宮を象徴するとされます。
マリアが処女のままイエスを身ごもったという聖書の教えを風景の中に暗示したのです。
しかしマリアの表情は現実の女性のようです。
神の世界はこの世の中にこそ存在する。
それは天才だけが到達し得た美の世界でした。
レオナルドとの出会いから、国王フランソワ一世はイタリアルネサンスの傑作を次々と求めていきます。
それはルネサンス随一の彫刻家の作品でした。
ミケランジェロ・ブオナローティの二体の彫刻です。
後ろ手に縛られた像の表すのは、人間の業。
肉体に潜む抑えがたい欲望に懸命に争っています。
もう一体は、既に抵抗を辞め苦しみから解き放たれる瞬間に身を委ねています。
死こそは暗き牢獄の終わり。
救いを求める魂の造形。
人間の内面を見つめるルネサンスの傑作です。
フランソワ一世とレオナルドの時間は長くはありませんでした。
フランスの地を踏んでわずか三年後。
レオナルドは亡くなります。
天才の死は王のコレクションに偉大な遺産をもたらしました。
それは死の間際まで手元に置き筆を入れ続けたとされる一枚。
モナリザです。
微笑みを浮かべまっすぐこちらを見つめる女性。
今に至るまでそのモデルすら確定していません。
美術史において最大の謎を孕む名画です。
荒涼とした背景は世界の成り立ちについてのレオナルドの探求です。
隆起した大地は水に削られ、切り立った絶壁となる。
水は川となって血液のように循環し、地球を息づかせる。
やがて人の住む土地が生まれる。
世界のはじまりの光景を背に、モナリザはただ微笑みます。
「彼女は自分の座を取り囲む岩よりも永く生きている。レオナルドはこの世のあらゆる思想や経験。ギリシャの官能。ローマの放蕩。中世の神秘主義。それら全てを象ろうとしたのだ」
レオナルドダヴィンチの生涯の問い。
この世界とは何か。
人間とは何なのか。
その問いは一枚の絵画となって後世に託されました。
フランソワ一世は生涯をかけてフランスにルネサンスを根付かせようとします。
「余はルーブル城の中にイタリアで見た宮殿と同じような広々とした邸宅を築くことに決めた」
それまで数ある城の一つに過ぎなかったルーブルは華麗な宮殿へと姿を変えていきました。
ルーブルで最も古い宮殿建築「レスコー翼」。
その中心にはフランソワが愛したルネサンス風の広間が作られました。
舞踏会や華やかな宴が開かれました。
ルーヴル宮殿は平和と芸術の国を中心とする。
それが王の遺言となりました。
しかし王の遺言は破られることになります。
フランソワ一世が亡くなって20年後。
孫のシャルル9世がフランス王に即位します。
ルーブルに残るシャルル9世の黄金の兜と盾です。
きらびやかな金細工の兜はこの時代フランスを覆った不穏な空気を伝えています。
兵士を襲う人食いの馬。
古代ローマのグロテスクな怪人。
王家が新興するカトリックと新しく生まれたプロテスタントとの宗教対立が深まっていました。
1572年の夏。
宗教対立の和解をめざし、この広間で宴が開かれました。
王の妹とプロテスタントの貴族との結婚です。
反対する者も多い結婚でした。
宴のあと、ルーブルに隣り合うカトリック教会の鐘が打ち鳴らされます。
それはプロテスタント襲撃の合図。
シャルル9世は強硬派の暴走を抑えきれなかったのです。
逃げ惑うプロテスタントの首が落とされ、手足は切り刻まれました。
フランソワな平和と芸術を夢見たルーブルにおびただしい血が流されたのです。
ルーブルから始まったサンバルテルミの虐殺。
争いは国中に広まり、フランスを狂気で包みました。
平和と芸術の国を目指したフランソワの理想は潰えたのです。
人々の憎しみが静まったのは虐殺から20年後。
新しい国王がプロテスタントの信仰を認め宗教対立を終わらせます。
国王アンリ4世。
国を立て直す為重んじたのは芸術の力。
その復興の象徴がルーブルでした。
王はルーヴル宮殿の中に巨大な回廊を築づかせます。
それこそが今日のグランドギャラリーです。
王はここに画家や彫刻家、金銀細工師など多くの芸術家を住まわせます。
ルーブルを拠点にフランス独自の美が芽生えて行きます。
実在する女性をモデルにした裸婦像。
それまで裸は神話の世界などの表現にしか許されていませんでした。
ガブリエルデストレは国王アンリ4世の寵愛を受けた女性です。
目を引くのは白く透き通るようななめらかな肌。
そしてこの乳首をつまむ仕草。
不思議な絵には様々な憶測が投げかけられてきました。
この仕草はガブリエルが王の子を宿したことを示しているのではないか。
だから僕の部屋で縫い物をする侍女は子供の産着をこしらえているのだ。
その証拠に彼女は指輪を見せて正妻の座を王にせがんでいるではないか。
ほら。
いやいやそうではない。
乳首をつまむ指をご覧。
指輪のリングに見えるだろう。
赤い乳首はルビーだよ。
だってルビーは子孫繁栄の象徴なんだから。
憶測をよそにただこちらを見つめるガブリエル。
この絵のような実在の女性の裸体表現が広まっていきました。
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何がフランスに新しい表現をもたらしたのか。
パリ郊外のコンデ美術館に謎を解く一枚の絵があります。
あのレオナルドのモナリザと瓜二つのポーズを取る裸婦のデッサンです。
通称《裸のモナリザ》
ガブリエルデストレと同じく現実の女性の裸体美を表しています。
木炭で描かれたきめ細かな肌の陰影。
レオナルドの技法スフマートを彷彿とさせます。
コンデ美術館による近年の調査ではレオナルドの指導の元、弟子が描いたと見られ
ています。
レオナルドの死後、この絵はフランスである役割を担いました。
目の輪郭に沿って並ぶ無数の黒い小さな穴。
絵を写し撮るために刺された針の跡です。
この絵は多くの画家に模写され、実在の女性の裸体を描くことがフランスに広まっていきました。
レオナルドの遺産はフランスに新たな芸術の命を育んだのです。
「誰もが競って天才を真似ようとしました。現実の女性の裸体を描くというスタイルはレオナルドによってもたらされたのでした。その結果裸のモナリザはフランスで大いなるルネサンスを作り出したのです」
この絵にはレオナルド自身が残したとみられるかすかな痕跡があります。
鑑定の結果レオナルドと同じ左利きで描かれた跡が見つかったのです。
腕に斜めに走る幾筋かの細い線。
フランスで過ごした最晩年。
レオナルドは半身不随と戦いながら左腕だけで描き続けました。
天才レオナルド・ダヴィンチ。
その眼差しは最後の瞬間まで、この世界の人間の美を探し求めていたに違いありません。
人間とは何か。
大いなる問いを投げかけながら、モナリザは今も永遠を生きています。
「人は時があまりに早く過ぎ去ることを嘆くが、それはちがう。時は十分すぎる時間をかけて移ろうことを知るべきである。我々は天から授かった力によって遠い記憶を目の前に感じることができるのだから」
ルーブル美術館。
一人の天才と共に生まれた人類美の殿堂です。