幅1ミリにも満たない極薄のさかずき。落ち着いた銀色のモダンな皿。どちらも福井の陶芸家の手になるもの。地元の人たちの協力を得て土と釉薬を開発し、技に工夫を重ねた。
越前焼の伝統を引き継ぐ、福井の陶芸家たちの新たな挑戦を描く。幅1ミリにも満たない飲み口のさかずき。陶器では限界といわれる薄さだ。ある人物が、開発されたばかりの、粘り気のある土を使ってほしいと持ち掛け、陶芸家の意欲をかきたてた。そして、落ち着いた銀の発色で、モダンなたたずまいの皿。その秘密は、すずりに使われていた希少な石を釉薬に使ったこと。挑戦のきっかけを与えたのは、やはり地元の人だった。
放送日: 2022年12月16日
イッピン 「土の持つ力を生かす 〜福井・ 越前の焼き物 〜」
福井市にあるお寿司屋さんでは、日本酒を楽しむお客さんたちに特に人気のある杯があります。その特徴は、飲み口の薄さにあります。わずか一ミリにも満たない薄さで、口当たりが非常に滑らかです。
「けっこう薄いので口当たりが滑らかな感じがしますね」とお客さんの一人が語ります。飲み口が唇にフィットし、お酒がスーッと自然に入ってくる感覚が楽しめます。この薄さは、陶器としては限界の大きさだと言われています。
また、銀色の器も注目されています。光の当たり加減でその色が微妙に変化し、独特の釉薬が使われています。この釉薬は、焼き物とは全く縁のないところで有名な石を砕いて作られたものです。
これらの器はどちらも福井県の越前の土で作られています。若手の陶芸家たちは、この土と石の奇跡的な融合により、新たな可能性を見出しました。「越前の土とこの石が奇跡的に融合したんで生まれた焼き物だと思う」と彼らは語ります。
地元の人たちもその挑戦を支え、越前焼き物の未来を託しています。土が持つ力を信じ、これまでにない器を生み出すその情熱と技に迫ります。
越前焼の故郷
福井県越前町。越前焼の故郷です。平安時代には焼き物作りが始まっていました。
陶器に適した良い土が取れたからです。
この土で水瓶や壺などが盛んに作られました。水漏れがしにくいことで有名だったのです。土の粒子が細かく、焼くと固く締まります。水や酒などを貯めておくのに格好の焼き物でした。越前焼には今も80件ほどの窯元があります。素朴な土味を生かした焼き物作りが盛んです。
光窯 司辻陶房 薄作り酒器「越前薄作り 極盃 匠」
そんな伝統の産地に新しい風を吹き込んだのが、この薄造りの盃です。すっきりとした佇まいで、従来のイメージを覆すスマートな形が特徴です。この杯を手がけたのは、地元で生まれ育った陶芸家の司辻健司さんです。
極薄の杯を作るためには、土の粘り気が重要です。余分な水分があると粘りが出ないため、力を込めて土を練り、できるだけ水分を抜いていきます。薄造りの器は固くないとシャープに伸びないため、粘土の硬さを調整しながら試行錯誤を重ね、やっとたどり着いた形です。
飲み口を限界まで薄くするためには、これまでの器作りの方法を見直す必要がありました。ろくろを回して器を伸ばす際、通常は手を水で濡らして作業を行いますが、極薄に伸ばそうとすると水分で器がもろくなり割れてしまいます。そこで、水の代わりに同じ土を溶いたものを指につけて作業を行うようにしました。それでも少しの油断で失敗することもあります。
司辻さんは、越前焼の伝統にはなかった薄造りの技術を、誰に教わることなく自らの努力で会得しました。指の腹をうまく使いながら、これまでにない器を生み出すその情熱と技術が、越前焼の新たな可能性を切り開いています。
極薄の盃の秘密
飲み口が唇にスーッと入るように、縁の部分を1cmほど折り曲げます。次に小さなコテを使います。この道具も大きさや厚さを何通りも試して、この形にたどり着きました。こうして技に磨きをかけていけば、いつか理想の飲み口ができると司辻さんは信じていました。
5月に使った土には秘密がありました。越前焼の土を作っている工場、越前焼の組合が運営しています。ここでこれまでより強度の高い土が開発されました。それは越前町の3種類の土をブレンドして生み出されたものです。ベースとなるのは、白糸、あかね、バー仰げばという粘り気のある土です。
開発のきっかけは地元の飲食店からの依頼でした。「これまでより丈夫な器を作ってほしい」という要望に応えるため、新しい土が作られました。組合の職員である大滝かずのりさんは、越前焼の販路拡大を担当しています。彼はこれまでの越前焼にはない特徴を持った新しい器を模索していました。
福井出身の利き酒師から「限界まで薄くした杯を作ってもらえないか」という依頼を受け、司辻さんにお願いすることになりました。司辻さんは「どのくらい薄くすればいいのかもわからなかったので、とりあえず自分の出来るところまでやってみよう」と考え、試行錯誤を重ねました。
軽さへの挑戦
盃作りは飲み口の薄さだけで終わりではありませんでした。盃の重さも問題となりました。注文主から「もっと軽くしてほしい」との要望があり、試作を重ねました。当初の作品は60g、完成品は25gと、半分以下の重さになりました。
陶器として軽く薄い商品を目指していましたが、お客さんからは「陶器ではないような軽さ」を求められました。そこで、どこを削れば軽くなるのかを考え、一番厚い底の部分を削り、側面も薄くしました。これにより、持った時の軽さを感じやすくなりました。
司辻さんの努力と技術により、越前焼の新たな可能性が広がっています。
繊細な削り作業
杯を持った時、指が重さを感じるのは側面の部分です。ここを薄く削るために、2種類の鉋(かんな)を使い分けます。まず、先が丸い鉋で凹凸を付け、次に先が平らな鉋で表面を滑らかに整えます。しかし、削りすぎて失敗することも多く、穴が開いてしまうこともありました。
そこで、一度に作ろうとせず、3段階に分けて削ることにしました。少しずつ削っては乾燥させる作業を繰り返します。「水分が残っていると形が歪むため、少しずつ削っては乾燥させる方法を取りました」と司辻さんは語ります。
土を削っては乾かし、またミリ単位で削っていくことで、理想の重さである25gの盃が完成しました。この挑戦を始めてから3年、念願の盃が完成したのです。「失敗を繰り返してこそ、今の技術がある」と司辻さんは振り返ります。
越前陶芸村の挑戦
1971年に設立された越前陶芸村は、若手陶芸家に創作の場を提供することを目的としています。50年以上の歴史の中で、多くの陶芸家がここから巣立っていきました。越前陶芸村で学んだ陶芸家の一人、清水さんも新しい越前焼に挑み続けています。
清水さんの工房で評判を呼ぶ器は、表と裏、そして側面の三つの風合いを持つ器です。落ち着いた銀の輝き、側面の金色のまだら模様、そして底の部分は越前の土の風合いをそのままにしています。ある釉薬の開発が、この深い光沢をもたらしました。
清水さんが釉薬に使ったのは、若狭町の石「法則積」です。「越前土とこの石が奇跡的に融合した焼き物だと思う」と清水さんは語ります。年に一度、山の所有者の許可を得て30kgほどの石を採取し、それを釉薬に使っています。
この石は、江戸時代に地元小浜藩の藩主が奉納した名品としても知られています。しかし、今では硯を作る職人がいなくなってしまいました。福井県庁の職員だった正木さんは、退職後にこの石を焼き物に使えないかと考え、越前焼の組合に相談しました。
陶芸家・清水さんの挑戦:未知の石から銀色の輝きを求めて
陶芸の世界で、新たな素材を発見し、それを作品に活かすことは、まさに芸術家としての探究心を表すものです。今回の物語は、そんな挑戦に情熱を注ぐ若手陶芸家・清水さんの話です。
清水さんが挑戦する素材は、鉄分を多く含んだ高速石。焼き物にはこれまで使われてこなかったこの石が、釉薬(ゆうやく)として使用できるかもしれないという情報がもたらされ、彼は早速試すことを決意しました。
「30kgの高速石の原石を持って清水さんの工房を訪ね、私の思いを伝えました。彼はその思いにすぐに応えてくれました。それはまさに、石と対話しながら作り上げるような作業でした。」
砕いた高速石を釉薬として使用し、越前土と合わせて焼成すると、興味深い結果が出ました。大部分は茶色だったものの、器の端に様々な色が現れました。特に目を引いたのは、銀色の輝きでした。
「いきなり銀色のような色が出てきて、これは普通の釉薬とは全然違うと思いました。可能性の塊だな、と感じました。」
この予想外の成果に胸を躍らせた清水さんは、この銀色をさらに追求し、より美しい色に仕上げるための試行錯誤を続けます。
釉薬との格闘:最適な濃度と掛け方の探求
銀色の釉薬を器全体に均一に広げるため、清水さんは何度も試し焼きを行いました。最初は釉薬の濃度がカギであることが判明しましたが、濃すぎると器がひび割れ、薄すぎると金属的な美しい色が出ません。その中で、最適な濃度を見つけ出すことができました。
「釉薬の掛け方も非常に重要で、器の縁まで釉薬を注ぎ、数秒後にさっと流す方法を編み出しました。これで釉薬が土にしっかり馴染み、待ち望んでいた銀色が現れました。」
さらに、清水さんは高速石の持つ性質を器の側面にも活かそうと考え、釉薬を薄くかけることで黄色の斑点が浮かび上がる方法を編み出しました。これにより、土の色と釉薬が融合し、焼き上げると金色に輝く星屑のような模様が器に広がります。
新たな可能性を追い求めて
清水さんの挑戦は続きます。越前土と高速石、それぞれの持ち味を最大限に活かした器作りを通じて、彼はさらなる可能性を追求しています。
「いろんな色が出てきて、どの色を採用するべきか迷うほどです。でも、この石の持つ可能性を信じ、これからも越前の地でまだ見ぬ焼き物を作り出していきたいと思っています。」
陶芸家・清水さんの挑戦は、未知の素材と向き合いながら、伝統と革新の狭間で新たな価値を創造する旅です。その歩みは、これからも続いていきます。