日曜美術館 「よみがえる 天平の息づかい〜第73回 正倉院展 〜」

日曜美術館 「よみがえる 天平の息づかい〜第73回 正倉院展 〜」

今回公開されるのは、初出陳8件を含む55件の宝物。聖武天皇ゆかりの4弦楽器「螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)」、光明皇后が自ら筆をとって書き写した書「杜家立成(とかりっせい)」、ハスの花をかたどった香炉の台座「漆金薄絵盤(うるしきんぱくえのばん)」などの至宝が並ぶ。日々の暮らしを彩った道具や仏の世界へのあこがれを映す品々など、天平人たちのリアルな姿を伝える宝物を紹介。

初回放送日: 2021年11月7日

日曜美術館 「よみがえる 天平の息づかい〜第73回 正倉院展 〜」

今年も天皇の勅使がやってきました
1300年前の宝物を守り支える正倉院の扉が年に一度開かれます
今年出陳されたのは楽器や文房具など当時の人たちの息遣いが感じられるような身近な宝物
なんと飲み会への誘い方まで分かります

千年も前に作られたものその当時のことを思い起こすことができるっていう自分の中で想像できる
私は楽器があったので自分が少しそういうことを趣味でするので面白いな

1300年の時を超えたタイムカプセル正倉院。
その魅力をたっぷりお伝えします

日曜美術館です
今年も正倉院展の季節がやってきました
正倉院とは東大寺に置かれていた蔵のことです
そこに聖武天皇の遺品や東大寺への献納品などが収められ静かに保存されてきました
そしてそれが千三百年経った後も宝物となって私たちが目にすることができる
毎年毎年思いもよらないものが出てきて、無尽蔵という感じがしますよね
どんなにたくさん宝物が眠ってるんだろうと思いますけれども
今年は一体どんなものが見られるのか早速ご覧いただきましょう

会場で観客から一際熱い視線を集めていた宝物がありました
聖武天皇が愛用したと言われる楽器
螺鈿紫檀阮咸 (らでんしたんのげんかん)

螺鈿紫檀阮咸 | 主な出陳宝物 | 開催概要 | 正倉院展
螺鈿紫檀阮咸 (らでんしたんのげんかん)


のびわを改造したもの
と言われています
始端で作られた道の背面には大輪の花
その周りを宝石を
口にくわえたインコが飛んでいます
異国の鳥が飛ぶデザインは幸せを呼ぶとして
唐の都で流行していました
ヤコウガイを加工して張った螺鈿に
けぼりで描いた柔らかなはねウミガメの甲羅大枚
琥珀も使われています
この豪華な楽器を膝に乗せて
商務天皇は一体
どんな音色を爪弾いたのでしょうか

国鳥の天皇の身の回りの物が
収納されていた戸棚に
収められていました
竹製の笛には
繊細な文様がぎっしり皮を薄く彫り残して
小鳥や樹木や草花などを描いています
中には女性の姿
高く言った曲げやロングスカートは
八世紀頃の塔の服装
と考えられています
指穴の周りにも注目
穴を花の中心に見立てた
ハハハなもんです
ええ弦楽器管楽器賞味店のなかなか多才です
うん一方こちらは
天皇が見て楽しんだと言われる鏡です
その文様はそう玄関でも見た
鎌倉時代に盗難に遭い
粉々に割れてしまいました
しかし明治時代になって
四十五の破片をつなぎ合わせて
主婦かつての美しい姿が蘇ってい
ます

さてこちらは天皇の身近にあったと言われる
丁半琴の音色
イネ科の植物マコモ綿でくるみ
絹織物で巻いています
長さ七十センチ
緑と紫の太い縦縞の中に
複雑な紋様が織り込まれた
丁半金天皇にとって身近だったという
この一品は一体何
その答えはスタジオで
では今日のゲストをご紹介しましょう
清掃員事務所所長の西川晃彦さんそして
この夏の直木賞を受賞した作家の沢田敏子さん
沢田さんは焦燥
院に関わる研究もなさっていたということで
今日はどうぞよろしくお願いします
お願いしますで
早速ですけれども今
ご覧いただいた丁半琴の音色とは
一体何なのか
西川さんに正解を教えていただきましょうか
正解は
クッションですね
あのー寄りかかりと言いまして十五センチですから
あのーきちんと座って使えないですよね
ですから多分相当
ゴロンと寝転んで使うようなものです
ですからまあやっぱり
あのプライベートルームって言いますか
奥で使ったようなものだからみたいなそうですね
あのこれもレントゲン
取ったんですが
えーと仕様今というかへ仕上げてます
じゃあその人が使った形跡が
かなりあるんですか
商務天皇がプライベートルームで
ここにこうゴロンというか
まあを崩したような姿勢で
よりかかっていたかもしれない
そうですね焦点だとは限らないこう
表面がそんなっていうか
今見てもすごい色が残ってて
華やかなこんなこう
お道具を日常で使えるっていうのは
やっぱすごいなうん
あでも千三百年のうちのね人に
自分たちのその非常にプライベートな空間で
使ってた道具がね
まさか宝物として見られる
って思ってらしたでしょうかね
これでもあれですよね
もう本当あの思ったんですけど
二人二つある訳ですよね
二人がこうなんかま喧嘩じゃないけど
じゃあ
やりながらええみたいな
結構覚えてる
あとか理性中国人の時代
官僚として活躍したと
一族に伝わる書簡文例集です
雪の降る日に友人を避けに誘うとき
はたまた本を貸して欲しいと頼む時ええ
目的に合わせた文例が書かれています
ちぎれ雲が飛び
真っ白な雪がえりから入り袴を濡らします
酒屋に入ってはいを持ち
なんとか憂さを払いたいものです
どうぞぐずぐずしないで
またもう一度使いを出すようなことをさせない
でください
うん書いたのは商務天皇の妻光明皇后口語
自らがお酒の席への誘い方を記すなんて
なんだかちょっと不思議です
うんへえ実は当時の宮中では
美しい文字を書くことが
重要な教養となっていました
こちらの自体は初の神様
青木氏を真似たものなんだそうですが
光明皇后ならではの特徴もあります
うん極端に太い線と細い線が
一つの文字に入り混じっています
うんその文字は
当時使われていた筆ならではのものだ
と言われています
今年出陳されているのは
焦燥院に伝わる
四いずれも八世紀に作られたもの
現存する日本最後の筆です
こちらの筆長さ
十九点六センチ太さ二点三センチ軸には
まだら模様の竹うん
筆の端にはエレガントな象牙の飾り
筆先にはおしゃれなキャップまで
つけられています
はいそして時の太さを自在に書き分ける
鍵はなんといっても筆先随分
短くずんぐりとしています
うんうんこの形にはどんな意味があるのか
焦燥院では
五年前から調査を進めてきました
調査を担当した一人
文房具の研究費の内憂さんです
日野さんは筆のレントゲン写真をもとに
内部構造を分析しました
すると太い筆先の大部分は
紙で出来ていました
色の薄い灰色の部分が
筆の毛白い部分は髪を巻き
重ねてありました
こうした構造はユーシン質と呼ばれるもの
筆を降ろした時に上に接するのは
先端の部分だけ
一方全て気でできている
現在一般的なむ寝室は夫です
佐々木全体が上に接します
これまでああいう形の筆は
外見からしてないのでえ
そのやっぱり内部が今の筆と
どういう風に違うかということはまずあります
だから全然中身が違っていた
ということですね
ユーシン質はどんな書き心地を生み出すのか
調査では専門家に依頼して
当時の筆を再現しました
現在日本で唯一
ユーシン室を作っている
富士の運転さんです
まあまあ作るときに
普段藤野さんが作る筆は
上の層が一つだけ
しかし清掃員の筆は上の層が三つです
そそういうことの被害をない
製法的には同じだとは思いましたけれども
今はこういう太いものまでは
なかなかあのー作ることはない
普通のやっぱり十ミリから
十二ミリぐらいの持ちやすいものを
あのーはいつくっておりますけども
すすすレントゲン
写真をもとに
忠実に再現した
天平時代のユーシン
千三百年前のものがよみがえりました
果たしてその書き心地は
寺院の写経手本を手がけてきた
初夏の荒井俊幸さん
太さ二点三センチの筆で
光明皇后の書いたとかを書いてみました
分かりましたそうですよねそうですか
運動を付けて書くことができるので
非常にあのー自分のリズムに合わせてかける
あの筆だと思います
書と有志の縦棒のところ細い線
細い線で書いていって
最後に腹の腹を効かせた
先でドンと引いてくるような
それから例えばこういうところですけども
あの筆が連続してても
ちゃんと筆が次の角で
浮き上がってきてくれるので
連続が使いやすい
やはりこのバネの弾力性があるというところが
またこの人の特徴であるんですが
それがまさにこの呉ですと
あの本当に表現できるかな
っていうふうに思います
分かります調査の旗
振り役を務めた日の内容さんも
書いてみます
長らくは写真でしか見たことがなかったので
実際今回調査に入って
こういう模造室を作っていったらこう
私が考える子を書きたい
っていう風に上まで持っていくものよりもこう
太い方がなんか色んなこう
物が集約されて
上に向かっていくような気がしますけど
はい書き手の
気持ちが文字に強く込められていく
極太の筆丁寧に書かれていた
光明皇后の文字には
最後の上になると変化が現れます
止めの少ない伸びやかな文字筆を使ううちに
楽しくなってきたのかかもしれません
なるほどスタジオには
今日は富士の運転手さんが復元した筆を
特別にお借りしています
今目の前に置かれているのを
ご覧になってすごくこう
ポッテリとしてなんか見るからに
可愛らしい感じの何か道具としても
非常に心が躍る造形ですね
ちょっと手に取ってみてください
ありがとうございます
ああへーこんな太い筆思ったことがないので
なんかすごく重さが手に馴染みます
本当にちょっとしか動かないですね
固いですかうん
カピバラの毛を触ったみたいで
上回れ僕触ったことないですけど
結構ね硬いんですよ
結構ゴワゴワっとしてるだけだ
わっていう感じの
これは確かウサギだと思うんですけど
今もあの紫のごあの仕事っていうんですが
やっぱり徴用さ
れてあのー使われることがあるんですか
なんか細い字が書けそうな気がしますねす
あ最初のほうしか曲がらないですよね
これ方硬いですよ
いやだ社長これ
先っぽ先そこそこしか使わないんですよ
拡大の写真を見ますと
その溝のところに角がたっぷりと残ってる
だから私自身は非常に炭火組がいい
要するにあのたさないで
一日ぐらいは普通に書ける
万年筆たまに使いますけど
すぐにインコが切れると
やっぱりちょっとイラっとしてしまいますので
できれば長持ちしてほしいですね
今の筆って力を抜くと
ピンとこ全部
根本の方まで駄目にしちゃいますけど
こさっきちょっとだけでいい
とこうなんか筆に任せられそうですね
筆に任せられない筆の重さに任せて
書けそうな気がします
筆に任せていたら
どんどん文章が書けるって
なんか夢の道具ですよね本当ですよね
僕も使うかな時も
上手くなるんですかね
奈良時代東大寺では
仏教を広めるために
様々な法要が開かれました
華やかな音楽や踊り
色鮮やかな空間などで
人々を仏の世界に導こうとしたのです

幕府さいえーの半臂
踊りや音楽を
仏に奉納する
楽団員の衣装だと言われています
麻の着物に縫い付けられているのは
錦や文らなど絹で織られた様々な切れ
わずかに残る顔料から
元々は赤青
緑木金色に彩られた
華やかな衣装だったと考えられています
ハク瑠璃の高槻七百五十二年
大仏改元の時に正面に備えられました
高い足と大きな皿を別々に作り
組み合わせています
ええイラクやシリアなどで作られたものが
シルクロードを通って
運ばれたと考えられています
やっぱり

漆金箔への番
蓮の花をかたどった後
オタクための台座です
三十二枚の
極彩色の花びらを立体的に組み上げた
蓮の花
花びらにはほはい上半身が人で
下半身が鳥の迦陵頻伽も描かれます
華やかさを生み出すのは
その構造光沢黒い部分を取り外すとご覧の通り
花びらの一つ一つは
薄い銅板の絵に付けられているため
わずかな振動で揺れるようになっています
さらに最新の研究では
花びらの色には
ある仕掛けが隠されていたことが
分かってきました
八年前からこの高台の復元
調査に関わってきた中
裕次郎さんと入江計算です
今二人が注目したのは
花びらの内側にあった白でした
非常に大きな城を取っている
これ代実は下地なんですよ
その下地が最後まで形として
現れてきている
これも一つの存在の秘密なんですね
復元して初めて
その色がもたらす効果に気付いた
と言います
これだけの広い白い下地のままなんですけども
ところ拓大がここに置かれるので
そこからあのかぐわしい香りが
あの四方八方に移っていくんですが
ぐっとこう光が内包していく
この綺麗な鮮やかな色で
光がこうずっと内包して
そしてこうが高れるたびに
その香りが外に向かってそれ
を端的に表してるんじゃないかと思ってます
ということです
はい暗がりの中で輝く蓮の花
幻想的な光景は多くの人を魅了し
仏の世界へと
いざなったのかもしれません
あの仏教のねこう素晴らしさっていうのをこう
人々にこうある種
こう体感させるような
演出の道具でもあった
っていうことなんですかね
そうですよね
あの現代と違って
非常に色彩が自然の色彩が中心だった
世界においては
こんな華やかな品々を見たら
すごくもうみんなびっくりした
と思うんですが
特にやっぱ仏教の世界
お経に書いてある仏様の世界って
めちゃくちゃ色鮮やかなんですよ
でもその仏様の世界をいかに視覚化するか
っていうことに
こう力を尽くされたんだな
というふうに思います
とか言われてみたら
こういう色彩は
現実にはなかなか出会わないですよね
今の我々が見ても
すごい華やかって思いますから
古代の方々が見たらなおなお
ここから白い漂ってるわけですよね
視覚的にも価格的にもって
ちょっとこう刺激されますよね
サワダさんがおっしゃったように
こういう極彩色のものっていうのは自然界にない
まやっぱり身を引きますよねで
何よりも大仏様あ黄金に光り輝く巨大なまあ
ウルトラマンみたいなものがドカンとあってで
その前に極彩色で大野さん
おっしゃったようにま
嗅いだことのないようなお香
が焚かれていて
で僧侶がだいぶ使い原因です
と一万人え一般の人は
何を言ってるのかわからない独居聞こえる
だから音と匂いと視覚まあらゆるもので
えーまさにあの手この手でえー
仏教に対するまある意味
恐れ入っって言いますかね
を抱いかせるって言いますか
ただ恐れられるだけで
はその信仰っていうところにはつながらないんで
爆砕の半臂なんてこれえ
背面に獣が花くわえてるフラメンコを踊ってる
みたいな子ですよね
本来はこれぐらい色鮮やかで
バックプリントのスカジャンみたいな
何て言うんですか
そういうものを着て踊っているで
海外の音楽とかもなっている海外の音楽
新しく取り入れられたあー
学部みたいなのもやる
で伎楽なんてのはもっと世俗的なあ
演劇ですねもう下ネタもあるしまだ
からより人間にとって身近なものでえー
やっぱり恐れだけではなくて
憧れとかえ色々期待を持たせる
っていう演出ですよね
こうあのー小橋っていうか
こうある種こう圧倒的なものなんだけど
その人々に対してこう
距離感を縮めるような会議の時に
その上に上がったお子様って
外国の方ですよね
当時は首都で国際都市ですから
あーそうかそうか
そういう状況を想像すると
なんかかなりのスペクタクルっていうか
紅白歌合戦なるほどね
山とか登ってるみたいですよね
今もイベントがあって
お金払おうと
外で聞くっていうのはそうです
じゃ今も昔も考えて
ということは
同じぐらいのかもしれませんけどね
焦燥院には
五月一日経の名で知られる
お経の全集があります
天平十二年五月一日
光明皇后は誓いを立てました
夫商務天皇の治めるヨガ幸いであるよう
願いを込めた全集を作ると
その数七千あまり今回出陳されたのは
その一つ般若波羅蜜降参今日
長い焦燥院展の歴史の中でも
初めての公開になります
光明皇后の個人的な願いから始まった社協は
次第に巨大な国家事業となっていきます
うん天平二十年には
東大寺の中に写経所が開設
様々な部署から文字の上手な役人が出航して
組織的に写経を進めていくように
なります
そこで働く人たちの苦労を
物語るものが出陳されています
しろあしぎぬの腕抜き
筒状に仕立てた布を紐で繋いだ
簡素なものですが
何に使ったか分かりますか
今でいうずばり腕カバ写経する時
衣服が汚れないよう
紐を首にかけて使いました
先が白くなっているのは
使い込んで手首の辺りが
擦れてしまったから
持ち主は武智のお湯人
二十六年間写経所で働いたことが
分かっています
しかしなぜそんなことまで分かるのでしょう
実は焦燥院には
写経所に関わる
膨大な記録が残っています
通称焦燥院文書
その内容は文房具などの在庫管理
働く人の勤務記録
金銭の出入りを記した出納帳など
多岐に渡ります
ええうんその中から今回出陳されたのは
出航した役人の勤務記録
例えば戦火の朝鮮さん
この一年の出勤日数は百十九日うん
写経した枚数は四百三十枚
内訳は涅槃経とゆが篭城でした
非常に膨大な数のお経を相手にする
ということになりますと
どうしても能率を考えた
しかもその水準を何て言うんですかね
仏様の教えだから
一時一九おろそかにすることのない厳密さ
というのも求められたま
最後はそうすると写経所というのは
その写経というプロダクト製品を
生み出すための一つの工場
そういったような方向にある
意味違っていかざるを
得なかったんじゃないかな
写経所で働いていた人たちの様子が
分かる文書も残されています
こちらは腹痛で欠勤することを詫びる文章
朝から次第に腹が張り
下痢になってしまいました
長く休んでしまっても
どうか責めないでください
本当に就職に便宜を期待した
プレゼントのクリエーション
生イワシを六十匹つまらないものですが
受け取っていただければ幸いです
ああうんしかし手紙に書き加えられたのは用い
ずうん音が対話
聞き入れられなかったみたいです
勤め人のメンタリティっていうことでは
共通するんじゃないでしょうかね
やはり仕事として
やりがいのある仕事では
あったんじゃないかなと思います
何よりあのー清掃員展の会場でも見られる
あれだけ最初から最後まで
きちんとした時点でえー
気を抜かずに帰っている彼そのものが
そのやりがいの象徴だと思いますけれどね
あれですよね
人間は千年前も今もあまり変わらない
ということがよく分かりますよね
朝からお腹が痛かったらね
行きたくもないですよね
ちょっと長く休んでも許してください
あの沢田さんは
焦燥院の文書の研究をずっとされていたと
はいあの大学院の頃に
東大寺を作る役所が
まどういう風な運営をしていたか
というのを焦燥院文書から紐解く
という研究をしておりました
その記録を研究するというお立場であったけれども
一方でま物語を書く
という方向に軸足をま写したという
それどうしてですかそうですね
私はもう想像するのが大好きなんですよ
で研究って想像しちゃダメって
その資料と事実の積み重ねでも
九分九厘まで組み立てた上でちょっとだけ
想像を乗せて推論するんですけど
私ねやっぱワクワクしちゃうんで
名前和牛って書いてあったら
その名前和牛って本当に生だったんだろうとか
だってだから生いわし
足速いから入ってこないんじゃないのか
何とか名前出し食べたのかなとか返品
それって返品されたら傷んでないの
かなとか考えちゃうんですけど
それって研究で明らかにできないですよね
でそこの部分をこう
自分自身で何か掘り起こしたいと思うと
もう小説にするしかなくて
生イワシ六十匹って
すごいリアルじゃないですか
これ生イワシってなので
生イワシ食べちゃいますね
僕もそれにも読め
たんですけど
えー民間勤めたいっていうことで
ま付け届けっていうかねて最後に用いずっていう
その人を用いなかったのか
イワシを用いなかったのか分かんないけど
どっちですか
まあ何でしょう
今回その書簡類
あのお手紙みたいな
あの光明皇后の音が理性もそうですけども
このお手紙のその文例しろみたいなだからま
手紙ですからメールですよね
今に当てはめると
だからさっきのイワシは既読したけどするで
お腹痛いっていうのはあれ
報告書ではなくってまさに
あのライン的な現状をこう知らせてる
でしかもすごい字のうまい人なんですけども
ちょっと早いように思うんですよ
お腹が痛いっていう言質なんか
本当に筆跡にそれが表現されている
結構早くないですか
この人氏がうまいっていう
あの筆の調査員の先生の評価なんですが
それにしても
まさにお腹痛いだろうなっていう文字からわかる
なんか走ってますんで
何か機能性が下痢の時だけ
すごいしてる気がします
うんはい例えばあまりふさわしくないのかもしれない
ですが今の我々の暮らしとそれほど変わらない
あの勤務管理も厳格にされている
っていうところも
でもまあ当時はあくまでも勤務記録というかまあ
勤め人の記録として残されたものですよね
でそれが千三百年経って宝物になる
この辺はままさか残る
とは思ってないですよね
お腹が痛いっていう報告みたいなことが
まあ確かにね本当だ
でもやっぱそれが千年の時がたつと宝物
としての価値を持つっていうことですね
ま事務書類というものが
まあいろんな経緯であの建物焦燥ですね
そこに収まっていくと
庶務天皇のものを献納されてで
残していこう
という意思で残していったものだけじゃなくて
そういうまあある意味
行政文章みたいなもんですよねそういう
ものもたまたまあ
焦燥に入って
っていうこともあると思うんです
千年以上昔ってね
凄くそういう人たちって何してたのかって
資料がないと分かんないじゃないですか
でもその資料の中でも
その人たちの本当に痛みや苦しみ
とかお仕事をしててつらかったんだなとか
そういうことまでが分かるっていうのは
やっぱり面白いですよね
こんな生々しい資料そんなにないと思います
それがまた本当にきちっと見られる状態で
保存されている訳ですよね
焦燥私はま保存する立場ですので
えー公開っていうよりも
将来未来の人に
その利益を伝えないといけないっていうところで
えー利害が実は
現在の人と保存する立場というのは
利害が対立する保存と公開というの
はまあその葛藤にあるんですね
バランスを取りながらっていうのが
まあ理想なのかな
今日様々にあの見てきましたけれども
改めてですけれども
沢田さんは今回のこの七十
三回目の焦燥陰転に
もしこれから行かれるとしたら
どんなところを見ていきたいと思われますか
そうですね書くって
やっぱ千年以上昔の人もそうだけど
今の我々だって書くじゃないですかで
ちっちゃい子供だってものを書きますし
そういう意味で共通の行為っていうのを
今回展示作品を見て
なんか今と昔とつなげてみたいなと思います
なんか毎回焦燥院展って
あの驚くようなものが出て
あのー来るわけですけども
今回は本当にあの身近なものだと
おっしゃったと思うんです
けど楽器とかあの筆とか
あるいはその逆に
今の人たちのあのーま
写経してた人たちのその日常の記録とか
それなんかすごく
今回はグッドより身近に感じられた
っていうのはあの実感としてあります
はいはい様々に思いを馳せて
はい今日はどうもありがとうございました