日本人の心のふるさと「 山 」。北アルプスの女王と呼ばれる、燕岳。雲の上の楽園では日の出や星空など移ろう時が天空の大スペクタルとして現れる。南アルプス、地蔵ヶ岳の頂に屹立する巨岩、オベリスク。縄文時代から人々は、この山に神を見出してきた。さらに、関東平野の北西、妙義山の幽玄なる岩峰。山水の理想郷を題材にした江戸時代の文人画まで。日本人が愛し、仰ぎ見てきた生命の源、山の魅力に迫る。<File549>
放送:2021年8月27日
美の壺 「大地の母 山」
高くそびえる山
威風堂々として
気高く美しく
山は古くから日本人の心の故郷です
その懐に宿された様々な命
てんに接する大雪渓
大自然のエネルギーが凝縮された山は命の水俣
大きな
大きな山の世界へご案内します
長野県の北西部にある日本最大級の三大北アルプス
まずは3,000M級の峰々に広がる天空の世界へ
目指すのは標高にせんななひゃくろくじゅーさん
Mの燕岳で山の中腹で出会ったのは
山頂の近くで山小屋を営む赤沼けんじさん
山小屋の三代目である赤沼さんは
学生時代からごじゅー年近く燕岳に登ってきました
登ったり降りたり四季によって違いますので
もう一度も辛いと思ったこともないですね
楽しいです標高にせんごひゃくM
いよいよアルプスの絶景が出てきましたよ
言われたのは
北アルプスを代表する漢方槍ヶ岳で
ぼんやりで右側の小さいのが親父です
シンボリックですよねえ
見るからに登ってみたくなるような山ですよね
プリン体は抜けると高山植物が天空の世界へと誘います
夏の日差しをめいっぱいに受けて咲く花
登山口からおよそごじかん燕岳の稜線に到着です
来ましたすごい世界ですよ全部見ます
幼稚園の国はアルプスの女王と讃えられる燕岳
そして谷の向こうには館山水晶岳鷲羽岳笠ヶ岳
槍ヶ岳など北アルプスの名峰が一望のもとに
ゼッケンを見守るように立つのが赤沼さんの山小屋で
雲をも凌ぐ遼宣伝な花を見つけました
高山植物の女王と呼ばれるコマクサです
他の植物を寄せ付けない花崗岩の砂礫地
強風吹き荒ぶ冬を越え花を咲かせるので
やっと夏が来たなって感じですね
これが咲くと夏が来た山は素晴らしいですね
本当にあの美しいものを観ると感動します
中野智明ない限り
雲の上の
家
に繋がる世界
そこでは時の移ろいが大自然の壮大なスペクタクルとして現れます
黄昏時山は霧に包まれます
雨が大地を潤すと再び光の世界
が
現れます
出てますね先ほどまですごいライブだったんですけどね
もう自然はもう一つとして同じものないですから
天気に至るまで同じものありません
日没後アルプスの
天体ショーの幕開けで
天高く
煌めく月
その
光を浴びて神々しい輝きを見せる山々
夜更け過ぎ月は山の端に消えて行き
すると夜空を
埋める満天の星
やがて朝
を迎えます
最高ですね下の方に今回ができているんですね
上から見るとなんとも言えない気持ちですね
一
生命
で
溢れかえります
この青空を持つ地球っての本当に大切なんですね
あの素晴らしい星はないと私は思います
ですから大切にしなきゃいけないですね
一つ一つ大切にする自然と共存するということでしょうかね
そんな彼に私たちの心が満たされてく
そんな思いが
いたしますの楽園そこは
人知を超えた自然の
芸術です
人間いたるところせいざんあり父さんの一画目に青葉山ほととぎす
わだや慣用句にはタックス山が出てきますね
一体何をしてるんですか山仕事ですよ
山仕事
山
はいつの時代も芸術家を魅了してきました
東京国立博物館の絵画コレクション
江戸時代中期中国の絵画の影響を受けて生まれた軍人が
その多くは山の風景をテーマにして
文人画家たちは静かな自然の中で
好きな物に囲まれて隠者のような生活を送ることに憧れを
抱いていました
そんな彼らが描いたのは
主に山の中の風景を理想の世界として表現した山水画でした
文人画を代表する画家村上玉堂のスイーツ
雨に煙る森と雨上がりの山里がリズミカルな筆使いと
墨の濃淡を用いて表現されています
お作品をよく見て見ると左下に小さな人物がいることがわかります
この人物は作品を鑑賞する人と
画面の壮大な自然とをつなぐ役割も果たしています
この人物に自分を投影させて
玉堂が描いた自然の中を遊び楽しむことができるのです
こちらはヴィスラ画家
池大雅が自ら様山に登った体験をもとに描いた作品
朝熊山山頂から関東平野を望む景色を描いたこの作品
不思議なことに玉山そのものも描き込まれていますが
形は見たものを写実的に描くことよりも
自分の思いを込めて表現することを重視していまし
た大河は肌で感じた自然への敬意や憧れ
そして霊山への思いなど様々な感情を投影しながら
理想の風景を描き出しているのです
二つ目のツボは大いなるヤマトは
紙を重ねる長野県と
山梨県にまたがる八ヶ岳この山をフィールドにしている
写真家の今の川重ねさん
これまでにごじゅー回以上八ヶ岳を訪れているの川さんは
いわゆる山岳写真家とは違った視点で山を見つめています
コーヒーとかがハート来
た時に自分自身も家も一部だったりとか
と何かとご対面してじゃなくて
自分もそこの一部になってっていう感覚をもっと味わいたくて
その中では自分も写真を撮りたいっていう風に思ってるんですけど
今咲いてる小さい着物が作る大きな山の川さんは自らお山に委ね
その姿に迫ります
午前立花うんお酒終わったかなと思ったら一個だけ残ってた
野川さんの目にはやまは一つの塊ではなく
人間も含めた多くの生きものや
光景を包み込んだ存在として浮かび上がってきた
あなたの命を包容するいただきは霧に包まれていました
着きましたちょっと周りは白いけどこれはこれでいいですね
そこにある物の輪郭をにじませ
境界を曖昧にする霧の川さんには
自らの山とかさなり合う瞬間があるといいます
そして後霧がかかると
自分も中山の一部になったような気持ちになって
それついついその時の感覚でサッカーをしてしまいますね
あの方歩いてましたね
かっこいい富山になって歯
の
一部になる素敵ですね
山場を迎えています
何ができたんですか
天をつく漢方いにしえから人々はその異様に慄き
山を神として崇めてきました
関東平野の火口
日本三大奇勝の一つに数えられる容疑者どこに広がるのは
被害に赤い咳が林立する風景
いくつもの岩が連なる荘厳な景観に人々は霊的な存在を感じ
この山を祀ってきたので
銀行の中心妙義神社の歴史はせんごひゃく年以上
江戸を守護する神として繁栄を極めました
その歴史をの三大実力っていう中に
歯糞の狼っていう表現で出てくるんですね
ですから妙義の元々のマージン者名と言うか
信仰の名前はあの箱だったんですね
その箱吸うのは多分曰く
その胃が飛んだと言われております
今こそ感じに当てますといわのやしろと書き
ますねですから
この妙義山の大きな岩山が御神体だったってもよくわかります
今こそ信仰とは
巨石を崇拝する磐座信仰よりも大きな岩山そのものへの信仰妙義
神社の裏手そそり立つ岩壁を君が思いつく
そこに奥の院と呼ばれる生地があります
いくつもの巨石が折り重なり
生まれた岩窟には神や仏が祀られています
人々はこの岩の中にこもり神仏に祈りを捧げたのです
最後の鉄棒は神仏宿る命の
源
南アルプス鳳凰三山
その一つ地蔵ヶ岳の頂に尖った形をした岩が見えない
オベリスクと呼ばれるこの巨岩を
人々は古くから信仰の対象としてきました
そのふもとにある縄文時代の遺跡
古代の人々が
大地の神に豊穣の祈りを捧げた祭祀場だったと考えられています
その祈りはオベリスクへと通じたでしょうか
イセキは毎年春分の日と秋分の日
オベリスク干支太陽が沈む場所に位置しています
よく宗教学者で
僧侶の町田宗鳳さんと
オベリスクの造形に迫ってみることにしました
地蔵ヶ岳の懐に真皮に満ち溢れた警官がありました
嫌なんだから
漢字
ひゃく
じゅーM垂直の岩カビを流れ落ちる
一筋の時
様々な命を育む山は
古代の人々にとって原初の生命体だったと町田さんは
言います
火山がたくさんあるわけですからね
防音立てて溶岩が着てる姿
それはもう人間を調節した様に生命力を持った生き物である
という見方ですね体にとっては崇高なものだったと思いますよ
山の奥深く2000Mの高値で人知れず吹き乱れる
いのちのしぶき古代の人々
はたきを通行な獣から流れ出る廃液と捉えていたのかもしれ
ません
滝の向こうに地蔵敵のオベリスクが姿を現しました
険しい
山道を進むことはちじかん
すごいねすごい存在感ですよこれはやっと来ました
日に目の前に迫る
オベリスクにせんななひゃくろく
じゅーよんM地蔵だけ
素晴らしいね
本当に威厳のある姿だ
生命の柱ですよこれは生命の
柱
利用
太古の人々は
天高くそびえる山を
豊穣の大地を司る女神死亡神として崇めて
いたと
考え
られています
その買った書籍があるということはね
まさに命が凝縮している
狩猟採集をしていた人たちは山田獲物を取っていたわけだし
山で木の実を集めていたわけですから山
は命の糧その命の風の一番神聖な崇高な場所として
このオベリスクをね色んな想像力をしたと思いますけれども
まあ私の現代の言葉で言えば
命のアシュラ地蔵ヶ岳に対する生命の進行は
現代の世へと受け継が
れてきまし
た
もう御方川辺さんもえそうか
おんかかかびさんまえそかおんかかかびちょ入ってくると
巨岩は地蔵物に見立てられ
子宝の恵みを与えてくれる
命の象徴として祀られるようになったので
日本人の暮らしを潤してきた命の源泉である山陳皮を宿すその姿に
人々は畏敬の念
を感じてきたので夜縄文時代からね
日本人のルーツとなってきたのが山山岳だと思ってるんですよ
やはり山のおかげで日々の営み金成り立っていただから
日本人の精神性と山っていうのは
本当に一体となってるとつになってると私思ってます