日曜美術館「蔵出し!日本絵画傑作15選 三の巻」

日曜美術館「蔵出し!日本絵画傑作15選 三の巻」

日曜美術館45年のアーカイブから「 日本絵画 の傑作15選」を3回に分けて紹介するシリーズ。

最終回は江戸時代を代表する5作品。神々の表情が印象的な俵屋宗達「風神雷神図屏風」、絵画とデザインが同居する尾形光琳「紅白梅図屏風」、三次元空間を体感するような円山応挙「雪松図」、写実を極めた伊藤若冲「動植綵絵」、大波の決定的瞬間・葛飾北斎「神奈川沖浪裏」を、歴代ゲストの多彩な言葉とともにたっぷり堪能する。

【司会】小野正嗣,柴田祐規子

放送:2020年6月21日

 

日曜美術館「蔵出し!日本絵画傑作15選 三の巻」

日曜美術館からあなたへ美の贈り物。

蔵出し日本絵画傑作15選。

今回は江戸時代。

およそ300年続いた太平の世は、自由で豊かな芸術文化が花開いた時代でした。

「本物より若冲の絵画細かい気がする。若冲の絵は目が見開いてます」「バシーン、カーン、素ぱーんみたいな、構造があってバシッと決めましたみたいな美しさ」美を感じる心がたっぷり潤いますように

日曜美術館です。シリーズでお伝えしてきた蔵出し日本絵画傑作15選。

今日はその3回目になります。

「1回目は自然とか神とか、人間を超える人知を超える大きなものに対して人々の畏敬の念とか祈りみたいなものが絵の中に放出されていたと思うんですね。2回目になると今度個々の描き手が現実に対峙してそれをそして表現していくような印象を受けました」

そして3回目の今日は江戸時代の5作品ということで、最初は江戸初期に生まれた今でも大変に人気のあるこの作品からです。

屏風の上で躍動する神々。

なぜか親しみを感じます。

蔵出し傑作選11作目。

愛され続けるキャラ誕生。

国宝・風神雷神図屏風

描いたのは今日の京都で絵を生業とした職人・俵屋宗達。

主役はなんといっても左右に対峙する一対の神。

湧き上がるような雲に乗り、悠々と天をかける。

風袋を両手で広げた風を司る神・風神。

筋骨隆々。全身に力みなぎる。

太鼓を背負い雷鳴をとどろかせる雷神。

見るものの前に今にも飛び出してそうな存在感です。

2014年の日曜美術館。文化人類学者の中沢新一さん。

待ち望んだ実物との対面です。

「思わず笑みがこぼれます。ただこの世界があるっていう存在してるとことが嬉しくて、笑う。そう言わないじゃないすかね」

風神雷神の表情に注目した中沢さん。

にやっと開いた口。

マン丸く見開いた目。

どちらも楽しげで笑っているかのよう。

不思議な愛嬌さえ感じられます。

「善もなく悪もなく。人間の笑いなんかじゃないんでしょ。もっと深いところで歓喜に満ちてて、人間の世界に見るとねちょっと救われた感じにならないんですね。仏様の前にいても本当に救われた感じはしないし、教会に行っても救われた感じしないね。こういうものがこうやって出てきた。笑ってる時立ち会ったしてると思うと楽しいですね。笑いが充ち満ちている」

古来人々に恐れられてきた嵐や雷。

風神雷神はその象徴です。

鎌倉時代の雷神がお手本にしたといわれている絵です。

比べてみるとなんと同じポーズ。

しかしこちらは赤い体に睨みつけるような表情。

全く印象が違います。

自然の荒ぶる神、風神雷神をなぜ笑顔に描いたのか。

漫画家の黒鉄ヒロシさんが読み解きました。

「古来から今もそうですけども、日本列島っていうのを見てみました時に、特に世界と対したときに自然との闘い。共存。その代表としては雷、雨風台風ですね。で自然が恐怖の対象ですよね。だから怖い怖いじゃなくて、取り込んでいく。名付けることによって身近になって友達にする。しかもお顔が可愛いでしょ。これはもし画力を誇るんであれば風神雷神がどうだ怖いだろうに行くはずなんです。ふざけてはいませんが、立派なお顔を描かない。横丁になったらの熊さん八ちゃんのお顔の中でいうような開放感がある。一緒に生きていこうと。そしてそれを宗達さんも見てて、これだけの愛嬌のあるお顔に書いたんだと思うと納得しますね」

自然を受け入れ共に生きる。

日本人の自然観を投影し宗達が描いた風神雷神。

後に尾形光琳や酒井抱一など宗達に憧れた何人もの絵師たちがこの絵を模写しました。

今も風神雷神は愛され続けています。

ほらそしてこれからもずっと風塵が、雷神が笑っている。

笑っている神様ということですけれどもね。

「見ようによっては本当に笑ってるっていう。見ようによってはキョトンとしてるようにも見えなくないよね。だけどやっぱりこうもしか恐ろしい形相で睨みつけられたとすると見る側はこわいもの見たさで見なくなることがあるけど、にっこり笑ってるよ見えたりキョトンとしてると、見る側も惹きつけられますよね。中沢さんは善も悪もないっていう風におっしゃってましたけど、雷や風それ自体は善でも悪でもない。ニュートラルな中立なものであると。でその中立的なものであるっていう事が絵にですね。あの表情に描き出されてんじゃないかと思いますよね。怖くもない。少し隙間があるって言うんですかね。余白が広いって言う。キャラクター化されやすいっていうか。人々が自分に身近なものとして感じやすいし、同時に多分次に続く世代の絵師たちもこういうものを書いてみたいっていうような想像の欲望っていうのですねを促すような絵なのかなっても感じますけど」

優れた芸術作品ならではのということなんですね。では続いて二つの作品を続けましょう。まずは尾形光琳のこの屏風からです。

日本を代表するグラフィックデザイナー佐藤卓さん。

佐藤さんが食い入るように見つめているのが次の傑作。

「絵画の真ん中をデザインが横切っているって言うね、とてもこファンキーな印象と言ってもいいぐらい」

蔵出し傑作選12作目。

絵画とデザインの共演。

国宝・紅白梅図屏風。

描いたのは京都の呉服屋に生まれた絵・尾形光琳。

屏風の右側には紅梅。

その幹が、黒と緑の絶妙なにじみで、苔むす質感までリアルに表現されています。

咲き誇る紅梅。

左側には折れ曲がった老木。白梅が優しくほころんでいます。

写実的な左右の梅に対し、独特の存在感を放つ水の流れが。

パターン化されたうずまきのデザイン。

勢いよく大胆に描かれています。

佐藤さんはこの流れに注目しました。

模様だけを抜き出すと、その高いデザイン性が見えます。

「紅白梅図屏風の川は1960年代に流行ったサイケ調のグラフィックにも近いものがあると思いますね。とてもごファンキーな印象と言ってもいいぐらい、躍動的であることがよくわかりますね。もうぐるぐる目が回るような激しい流れですよね」

佐藤さんはこの流れの魅力を際立たせているのが左右の梅だと語ります。

「この大胆な水のパターンの平面的な表現に対して、この細かい表現ですね。非常に細かい表現と大胆な表現っていうのが対比させているわけですね、絵画を描く力と図を作っていくとのデザインていうものを使い分けてるわけですよ。ごっちゃにしてないじゃないですか。自分の全く違う部分をわざと重ねたりとかしてね。素晴らしいと思います。細かいものがあるから実は大胆なものが魅力的に見える。大胆なものがあるからその細部の細かい表現が実は魅力的に見える。そういうことを実に巧みに最終的な表現の部分では使ってるんですよね。誰もやったことがないことやってみたい。何ができるだろうかって、常に探求してたっていう気がとてもするんですね」

二つの異なる要素が織りなす絶妙なハーモニー。

絵画とデザインの共演です。

続いての蔵出し傑作13作目は江戸の体感型と国宝・雪松図屏風。

描いたのはからくり絵師と呼ばれた丸山応挙です。

雪が止み晴れ渡った冬の朝。

左の若い松も右の老いた松も真綿のような雪をかぶっています。

松の根元に撒かれているのは金砂子。

雪が陽の光に反射してきらめく様。

澄んだ大気まで伝わってくるようです。

一本一本描かれた鋭い松の葉を包むふんわりとした雪。

実はこの雪、白い顔料で描いたのではありません。

地の紙を生かし塗り残すことで白を表現しているのです。

雪化粧をし、いきいきと輝く松を目の前で実際に眺めているような不思議な感覚。

その臨場感は一体どこから来るのか。

探ってくれたのは水墨画家の土屋秋恆さん。

「なるほどそういうことか。手前に書いてある松葉の右側にある薄い松葉っていうのがしっかりと薄い墨で描いてあるんですよね。写真で見るとそこがグレーにボケてるようにしか見えないのでこうやってみるとよく分かりますね」

なんと雪に埋もれた葉の奥行きまでも、薄い墨で表していました。

さらに注目したのはこちら。

「雪の積もった横に走る枝があって、その奥に枝が流れていってる。これは雪が上に積もってるんですがこちらから見えてるのは積もってる裏側が見えてる。それまでの絵で松の裏側が描かれるようなことはなかったので、応挙が初めて下から見るような形で枝を表現するということに成功した」

松の裏側を描くことで絵に奥行きが生まれます。

二次元の屏風で三次元の空間を表そうとした応挙のからくりです。

三次元を体感させようと応挙は独自の挑戦を重ねました。

こちらは巨大な滝の絵。

掛け軸が元々あった寺の釘の高さにかけてみると下の部分が折れ曲がります。

実はこれも多くのカラクリ。

覗き込んでみると。

まるで滝壺に向かって水が流れ落ちているかのよう。

滝の真ん前に立っている。そんな迫力に包まれます。

見てくださいこの臨場感。

雪松図屏風でも応挙は屏風の凹凸を巧みに活かしています。

応挙の技と発想が生んだ体感型の松は、今も陽の光を浴びてきらめいています。

「紅白梅図は真ん中の水流がすごい面積を占めている。初めて見た人は何書いてんだと思いますけども。両側にある梅は細部に至るまでリアリティをもって、真ん中に平面ならではのデザインを持って来てる。そういう発想がその時代にでてるっていう事に驚きを禁じえません。応挙の方は見る人たちが、絵なんだけど実際の松に接してるようなリアリティ。見ていたらあの木の枝の中で自分がさまよってるような感じがするんじゃないか」

続いても大人気の作家です。伊藤若冲に参りましょう。

「若冲の絵は目が開いてますね」

蔵出し傑作選14作目は僕らはみんな生きている。

伊藤若冲の「動植綵絵」。

30幅ひと揃いの大作です。

ありとあらゆる生き物の姿が描かれています。

大野さんが見ていた「群鶏図」。

真っ赤なトサカの鶏たち。

250年前のものとは思えない強烈な色彩を放っています。

ひたすら写生を繰り返して描いたという顔。

毒々しさすら感じられます。

首から尾の先まで。

緻密に描き込まれた羽根の模様。

黒白茶色を一筆一筆執拗に重ねることでしっとりとした質感を描き出しています。

大野さんが茂木健一郎さんに熱く語り始めました。

「細かくは描くんですけども、ここはこんなもんでいいか的なとこがやっぱあるんですねでも若冲の絵はムラがない」

「若冲は焦点が全部に当たってるんですよ」

隅から隅まで、手を抜くことなく描いた若冲。

そのパッションに秘められた想いとは。

それを伺えるのがこちら。

魚の描かれた二幅。

様々な魚たちが生き生きと泳いでいます。

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馴染み深い魚もいますが中には見慣れない魚も。

いったいどんな魚たちが描かれているのか。

魚に詳しいあの方聞いてみました。

「若冲様のおさかなワールドでございますね。すごい。まずこちらから。カツオ、ネコザメ、マサバ、アジ、シロギス、カサゴ、イトヨリダイ、マダコ、ボラ、イボダカホデリ、マゴチ、アカアマダイ、サカタザメ、サヨリ、ブリ、アンコウ・・・」

すごいなんと34種類。全部本物の魚なんですね。

その中でも気になったのがアンコウ。

「若冲作品ではこの胸鰭が大きく開くわけなんですけど、波打ったようにこうなってます。これを見ますともしかすると天日で乾燥されて縮んでしまったのかなと思うんですね。江戸時代というのはアンコウをはじめ姿形の変わった魚を天日で干して見世物にされたっていうことが記述に残ってるんですね」

さらに

「コウイカは死んでしまうと触腕という特別長い腕が伸びますんで、死んじゃってる感じですね」

なんと若冲は死んだ魚までも描いたのです。

生きている魚と変わらぬ情熱で息吹を吹き込むかのように。

それは一体何故なのか。

茂木さんが語ってくれました。

「生き物はやがて死んでいってしまう運命にある。若冲がひとつひとつの色に込めたのはやっぱり生きる者に対する祈りなのかな」

10年の歳月をかけて仕上げた動植綵絵。

アーティストの村上隆さんが若冲の心の内を読み解きました。

「彼は精進を重ねて絵に全てを賭けてきたからこそ出来ると思うけど。絵を描くことで生きることに精一杯自分自身を近づけるって言うか、宗教的になってる。そこまでしなくてもいいのにという心の皮が薄いものを薄いままさらけ出しちゃうような、さらけ出さないと自分が生きてる気がしないって言うか、それを繰り返すことで自分がやっと生きてるんだっていうことを確認してきたっていうところが彼にとっての一番重要なことだったんじゃないかなと思いますけど」

全ての命の先に自分の命を見つめた若冲。

生きとし生ける物への情熱が生み出した濃密な世界です。

「改めてね見入ってしまいますけど、すごい。この人は。生きてるものを死んでるものも全く差別なく同じ眼差しを注いでる人だと思うんですね。僕海辺の出身なんですけど僕にはあの魚たちが生きて泳いでるようにはあんまり見えない。海の中の絵じゃなく水が全くなくて、若冲の目は無媒介的に目の前にあるものを捉えてるって言うか、すごいなと思って、人間の目じゃないですよね。人間を超えてます。精緻な対象を的確に隅々までムラなく把握してしまう。変なフィルターがかかってないっていう。それが崇高なものに感じられるって事もありますよね」

神様の目で見たら生きとし生けるものはもしかしたらこういう風に見えてるらしい

「神の視点に近いんじゃないか。あらゆる対象を、生きていようが死んでいようが対象を等距離に見つめてるっていうか、差別なく分け隔てなくすべてを包容している眼差しっていう。だから若冲の絵を見てると引き寄せられる。どうしてこんな事が可能なんだろうっていう風な驚きいってんですか。そういうものを感じますよね」

ではいよいよ本日最後の傑作に参ります。

江戸時代の天才絵師のこの作品です。

19世紀末のヨーロッパで世界で最も独創的な画家と称賛された日本人がいます。

天才浮世絵師・葛飾北斎。

その代表作。あらゆる場所から富士の表情を切り取った「富嶽三十六景」。

蔵出し傑作選15作目は、中でも最高の一枚を一瞬でインパクト「神奈川沖浪裏」です。

沖合はるかかなたに望む富士。

爪を立てる猛獣のように襲いかかる波。

荒れ狂う波に翻弄される小舟。

江戸の市場で魚を運ぶ途中でしょうか。

最も印象的なのはこの大波。

海外ではグレートウェーブと呼ばれ、ゴッホなど名だたる芸術家にも大きな影響を与えました。

写真家の浅井慎平さん。

北斎の波の魅力をカメラマンの視点から語りました。

「そのフレームの正確さと、写真で言うところのシャッターチャンスと言うか、いつどんな形でも、動きを止めて見せてやるかっていうところの正確さの、面白さのまるでそれが計算された舞台のように思うんですけどね」

北斎は波の動きのどこを切り取ったのか。

こちらはサーフィン。

フォトグラファーが波が崩れる瞬間を捉えた写真。

北斎の波と同じ形をしています。

北斎はカメラがなかった時代にこんな決定的瞬間を捉えていたのです。

「どこで止めるかってことについて非常に彼は彼の優れたものを持ってたんだよね。僕らも写真でね。波撮るときね。待ってるって言うか、どこでを写すか考えるんですよね。ただめちゃめちゃをしてるわけじゃないんですよね。シャッタースピードといえばこれやっぱに波が来たってて崩れる瞬間。これが目に留まっているというのはどういうことだったんだって思うんですけどね」

それに加え、北斎の波にはインパクトを生み出すためのある形が繰り返し使われています。

大波全体。波の盛り上がり。波の頂点。

波は全て対象の同じ弧で形作られています。

この繰り返しの効果によって

見るものは波の渦に引き込まれていくのです

北斎の波の虜になった一人。

漫画家のしりあがり寿さん。

あの波の表現は国際にしかできないと語ります

「世界中の人が波って言うとあれ思い浮かべるってことは、見えるものを写すっていうのも超えちゃってますよね。波っていう概念。そういうものを絵にしてる。

実際にある波でみんながそのを感じる波という概念で、そこから北斎の波みたいな波ってはあれなんだよなぁ。だからすごいんじゃないのかな」

しりあがりさんは今年神奈川沖浪裏のオマージュ作品を発表しました。

「北斎はパシーン、カーン。パーンみたいな。歌舞伎とか見るじゃない。見栄張るじゃん役者さんが。見栄張った時の瞬間。北斎の絵ってねそれがあると思う。決まったなんとか屋みたいな」

波が最も波らしい一瞬。思わずかけ声をかけたくなるインパクト。

いよっ、傑作日本絵画。

「あの波が、しりあがりさんもおっしゃってたように日本だけじゃなくて世界中で波といえば神奈川沖浪裏を思い浮かべる。あの波をかぶってしまうっていう。ある種僕たちのまなざしのあり方すら変えてしまったっていうか、それだと思うんですね。概念が花とかね波とか山でもいいんですけど、でも波。あれを見つけ出したのは。やっぱ北斎だったっていうことですね。

今日5作品を紹介しましたけども、知ってる知ってる今も有名であり続けるっていうのもまたすごい後世に残すっていう力の持ち方って凄いですよね。

「俺らの作品、素晴らしい作品を描くことを可能にした江戸時代の文化の多様性と豊かさっていうものに我々は目を向けるべきなのかなと思います」

改めて作品を振り返って改めて見てみたいという作品ありますか

「絶対見れないんですけどチブサン古墳の中に入ってみたい。どの絵もね美術館に行ってみたいという気持ちと同時にすべて絵の中に入ってみたい。等伯の絵の中に入って歩いて行ってみたいとか思います。雪をかぶった松の中にさまよってみたい。すばらしいなと思うのがひとつひとつ絵の中に我々が自分で物語を作れるって言うんですか。絵を見ながら私たちがその言葉を紡いで自分だけの物語を人々と語り語り合う」