日曜美術館 「 丸木位里・俊 『沖縄戦の図』 戦争を描いてここまで来た・佐喜眞美術館」

丸木位里・俊

「原爆の図」の 丸木位里・俊 が最後に描いた地上戦。14点の壮大な連作「沖縄戦の図」はいかに書かれたのか。壮絶な沖縄戦で生き残った人々との共同制作。その貴重な映像記録が残されていた。読谷三部作が訴え続ける平和の重み。米軍上陸の初日に読谷村で起こった沖縄戦最大の惨劇“集団自決”。島民たちが逃げ込んだ“チビチリガマ”の悲劇と全員が生き残った“シムクガマ”。明暗を分けたのはなんだったのか。丸木夫妻の発見とは

初回放送日: 2021年6月20日

 

日曜美術館 「丸木位里・俊『沖縄戦の図』 戦争を描いてここまで来た・佐喜眞美術館」

今日の日曜美術館は沖縄の小さな美術館を取り上げます
この花は嘉数高地というところで1945年4月1日に上陸した
アメリカ軍と日本軍との間で激しい戦いが繰り広げられた場所です
あの向こうにと町中に広がっているあれが普天間基地です
沖縄本島では現在も面積の約1/6が米軍基地です
今日はこの普天間基地の北の端にある小さな美術館を訪れます
いち沿いですね
土日は有刺鉄線は銀色のセンスが国境線のように父と美術館木切っています
原爆の図を描いたヴァルキリーと丸木俊は晩年になって
沖縄戦の図に取り組みました
それ階段の文章そのてん作品中よん人がこの美術館に収められています

おが初めて見るので
もう今最も余計なこと言わないで
やっぱり見なくてはいけないって
思いました
大画面を使い
沖縄戦の惨劇が
時と場所を超えて描かれています
ノーで焼き尽くされる町で起きた
日本兵による島民殺害スパイ容疑で殺された
さん人の娘本島南端の海への投身
自殺珊瑚礁の海に身を投げ
ゆっくりと流れ去る痛いは
赤の表情を浮かべています
この画面の上には
最初に米軍が上陸した
渡嘉敷島で起きた集団自決が
詳細に描かれています
家を焼かれ
逃げ惑う母と少年沖縄どう考えても
沖縄中のが
今度の戦争には
一番大変なことが起こったのだ
ですわねそれでね
沖縄は長い間何ヶ月も戦争して
写真がいち枚もないはずな
日本人の写した写真は
みんなアメリカが写した写真ですね
それでそれでは誰が考えたのは日本人
日本人がからね
目で見るものを
どうしても残しておかなきゃね
よんの人たちが
いろいろ話をしてくれるのを聞いて
そして日本人日本人がから見た形をね
残しておかなきゃならんとそういうのでね
どうしてもこれは書かなきゃ
ならないと
1945年4月1日未明
残波岬を目標に
アメリカ軍が接近せんごひゃく隻の軍艦による
上陸作戦を開始しました
艦砲射撃に続いて
読谷から北谷への海岸線を上陸
用舟艇が埋め尽くします
米兵が迫り来る中
読谷の人々は老人や子供の手を引き
赤ん坊を抱いて釜に逃げ込みます
米軍上陸直後読谷村の自然洞窟チビチリガマが集団
自決の現場となりました
まきさんはの長浜というところで8日9月
何日加藤隆してたので
その間に寝たいということで
僕案内したんです
中までどこまで帰られました
ずっとこちょこちょどうするとZの中ですよ
遺族会の強い意向で当時の様子を止め
保存してきたがまで
一般の立ち入りは禁止
され時が止まったかのようです
真夜中胸胸の奥さんですよ
これも来れてよかったですが
これとこれも笑えてねこれもそうですが
これも貧乏は慣れて八百長ですよ
でもね俺も背骨
とかねこともあるんですね
ここは当時にじゅーろく
歳の従軍看護婦さんがいたんですよ
そちらで何やってるんですよ
これはその毒の薬じゃないか
と言われているじゃない
これこれこれ何ですか
これからzozoおしろいの令
コンパクトなんですよそうですよ
面白くないですね
お化粧好きな若い人がね
お化粧道具を持って来いを
非難してたんですよね
人と人との絆が強く
命を大切にしてきた沖縄の人々
身近な人を手にかけた
集団自決は心の傷として残り
誰にも語れない時間が長く続きました
戦後よんじゅー年が経ち
丸木夫妻が沖縄戦を描き始めた頃
ようやく村人は少しずつ語り始めました
ところに腰を持って行くと
もう嬉しそうにして
あこれいいねって言ってなかったですね
ばあさんがもうやめなさいとか言ったりしてね
モデルに連れて行ったんですよ
えらいばあさんがですね
パパがいて
それをまたいでさんが
墨で汚しな言い方して
さっきまであのあの家には遺族がほとんど乗ってますよ
全部全部モードになってます
あの最初ねあの
まりこさんの存在を知ったのは
高校生の時からに
年の時だと思うんですけど
写真家映画監督の本橋成一さ
原爆の図にショックを受け
丸木夫妻に強い関心を持ちました
写真家となり二人の撮影をじゅー年以上続け
読谷にも同行しています
何かこう生のその被害された方たち
それを真理子さん達と同じように
あの見た後数々のねあのー色んなあのー
帆船の絵の中には
自分達は立ち会ってなかったっていうことを
おっしゃってましたね
モデルをたくさん揃えてくださって
あの時どうしたみたいなことを
スケッチの中であのー大きいになるんですよね
そうそうだからよをかけながら
その時の感情的なものを
そのモデルになった方
みんな俺の方ですけども
それがなんかこうあの筆先のなんかこう
ちょうどねあの同時
並行で測れること
読谷三部作チビチリガマ
丸木夫妻は米軍が上陸した読谷の
もう一つの釜を描いています
シムクガマ集団自決が起きたチビチリガマとは異なり
ここでは全員が脱出しました
国家や集団の圧力
米兵は日本人を皆殺しにする
とのプロパガンダに染められていた時代
しかしガマにいたハワイ移民の帰国者が
米兵は住民を保護すると説得し
洞窟を出て兵士と交渉
それを見た全員が揃って
外へ出たのです
丸木夫妻は読谷で起きた西都市のドラマを
日本社会を象徴する
二つのガマとして描きました
佐喜眞美術館と向き合って
沖縄独特の亀甲墓が立っています
春野市民祭には
官庁先間道夫さんの親族が集まって
先祖供養を行います
鹿島さんどんなお気持ちですか
今日はイオンの開始しましたね
みんなで今美術館が建っている土地は
戦後は米軍基地に接収されていました
鍼灸師をしていたさきまさんは
知人の紹介で
丸木夫妻の治療を始めました
二人は描き始めたよ
沖縄におきたいと考え
先まさに美術館建設を依頼します
何年も放置を探しましたが
ふさわしい土地は見つかりませんでした
私の千と千尋
土地台帳をずっと見ていたんです
地震の地震なんか
持ってる場所でいそうな場所ないかと
えーとで行っており
なんと死ねほうが見えてきたですね
こねこのと違うわ
これはもう洗濯の墓もありますし
背中があります
ここから見れば
海が見えるとコナンとこれは
ごひゃくよんじゅーえんですよ
ほぼぴったりの場所ですよね
それではちょっとショックでしたね
わしもとっても足音
灯台下暗しが入ってるんですから
後にしましたね
あれすんだと全部揃ってない
でもなんと軍事基地中でした
普天間基地の中になったら
手の届かないフェンスの向こうな
んですよね
はいこれを返してもらうしかないと
土地返還には膨大な手続きがあり
なかなか進みません
ところが普天間市役所の職員が
米軍の責任者に
会えるチャンスを作ってくれました
不動産管理部の社長ホール
自動車さんと言うか早く社長さんでした
そこに私と火がひゃく
いち本つー役と言ったんですね
はい返してくださいと
米軍と直接交渉するんだと
何を盗みましたら
ポールさんは姉ちゃんのかとミュージアムできたら
技能士よくなるんやとわれは問題ない
よOKだって
米軍から届いた軍用地
返還の正式の通知です
幻だった美術館は
土地探しから始めて
一緒に実現したマキシこういちさん
沖縄戦の図が示している
沖縄の言葉で
ヌチドゥタカラ命こそ
宝というコンセプト空間で表現する
沖縄戦があって命がたくさん失われたという
1945年の時間を振り返らせるために
沖縄で遺伝子とされて
6月23日の昨日の方向と熟成を合わせる
にじかん時悟空完了寿司帰りです
その作業こそが
この美術館を作る
というふうに考えています
美術館は1994年の秋に開館し
沖縄で描いた全作品が収められました
この絵は沖縄の人々がいて
初めて描けた作品です
完成したら沖縄に置きたい
その夢が実現した日でした
埼玉県の丸木美術館と並んで
丸木夫妻のアトリエがあります
面白くない
自然豊かなこのアトリエで
原爆の図南京大虐殺
アウシュビッツなど数々の作品が生まれました
場面は沖縄と自宅を往復しながら
制作を進めました
としさんの命のマルキひさこさん
トシさんに誘われてにじゅー
年以上身近で暮らしてきました
ご飯作んないんですよ
存在です作んないと怒られるけど作っちゃうね
また不思議なものを作る丸いもの作ってね
やりたいとかね
そういうのあまりあまり料理は
でも私だって得意じゃない
んですけれども
まあとにかくご飯と味噌汁を作る場合は
仕事があるから本当にダメなんだよね
誰か言って
ご飯作ってくれない
1月へんだって言う様子っていうのは
一緒に本当に同じ部屋で寝たいな
音を一緒にしないと
なんかわかんないもん
なんだなーっていうのが思った
んですけど布団を片付けたら
あのいたならだったと思うんですよね
ゆかに目安なんでしょ
だからそういう風に形になってんですよ
なのかって思って
それで大変大変なんだなっていうのが
すごくチビチリガマでなんか見てますとね
お母さんと赤ちゃんとかねそういう会が
いっぱいありますよね
母とこぼしとかですね
そういうことにはどっかで強い意識があった
そんなこと感じたことありますか
嫌味ばっかり一から十まで全部それ
丸木俊は母と子が健やかに
ちゃんと当たり前のように育って行ってくれるって
言うことだから
それをそんなことがあっては
いけないっていう
気持ちですもうそれだけですよね
だからそれを伝えたいがために書いてるかな
そういうこっちですよね
命の大切さ子どもたち
沖縄こういう言葉があるんだって
制作してる時っていうのは
こっちに帰ってきてご飯食べるときも
ずっと話してるものもなく
大変な思いして死にそうだったんですけどね
それを私たちには
多くの丸木位里俊の作品が残され
いつでもそれを見ることができます
絵の前に立つと平和を願うが
彼の声が聞こえてきます
二人の創作の記録が残っています
沖縄戦の図に取り組む
半年に及ぶ詳細な映像です
二人の画報は対照的です
いりは太い筆で一気に描き
歳は長く細い筆で繊細な線を描く
水墨画と油絵という異質なものがぶつかり
次々と迫力ある作品を生み出してきました
よせばいいよ癖になるんです
思い切ってやらなきゃ
冷やしたようつの額を書くんですか
あの手が大きくなろうが
短くなろうが長くなろうがいいんですよ
そのそれがそれするとそこに動いてたよ
はるばるここに来て
ここに座って描かねばならないのです
ソラカゼ水草トリ
みんなが黙って
私たちの筆を動かしてくれるのです
エメラルドをオレンジに染めて
珊瑚礁に沈んだ娘たち
これこれこうやってこっちの方が一番高い
綺麗に書いてよ
男の子みたいなしかないでね
男が書くとね男足から不思議ねアネモネ
なぜこんなことが起きたかったか
みんな半狂乱の中でしょ
そういう中で
割と冷静にものを見主権見てる
それそれそれともした人が一人
おったほうがいいねお願いしますね
これ雷鳴った
何が何かわかるずうとるからね
あの白いところを残すとしても
あるいはこのよん枚のよ
入れ替えるっていう方法はないかな
やってみて
面白ければやってもいいんですよ
完成を目前に
あえて空白を残した斜めの空間
この空間を生かさねば
けれど周りを描き進むうちに
そのまま残すことは困難
白い空間に娘を書き込む時の恐ろしさ
娘はスパイ容疑の拷問肉類
日本兵の竹槍によって命を落としました
一人は立ち一人はうつむき
一人は座っているさん人の子供はネイル
ただそれだけで
ラーメンはぴしりと決まりました
それほどその自分の子供であり親であり
東方仲の良い友達であり
近所の親しいあの方達って言うか
そういう人たちに来を自ら手をかける
有吉の日立から
手をかけてもらうっていうような
寝たら起きてしまったって
そのそのことが
前の中にこの絵が
書いてると思うんです
けどそのそういう時に
こういう極限状態に追い詰められた
まあ本当想像絶するものなんですけども
あのそういう想像
買えるものにまでも
その糞どこへもんなんだけど
実際それを言ったってそれを生きた取れ
そうやって命を奪われたってことですけど
なんか多少経験すると
私はもう取り返しはつかない
しを経験するってことですけどそれを
そしたらなんか
極限状態をあの通らなければならなかった
人たちのあの人間の言語とか
想像力を超えるものが
この絵の中に表現されてると
それがなってスカウトして
そっちへの力として
ご見るものに迫って来るって言う
マルチ都市はなぜ近衛沖縄に託したのが
さきまさんへの想い課題です
さきまさんは
美術館こそ過去を未来へ繋ぐ現場であり
物を考える空間にしたいと願っています
清掃した軍人も書いた
それからまりさんがね
一番沖縄に来て驚いたのは集団自決でした
集団自決ということですね
これも想像すらできませんね
その集団自決大変ショック受けました
これは渡嘉敷島での集団
自決の基づいて借りたいですが
そのことを克明に書いてありますねこの
人超ですね
民間人ですから生き延びたいと思ってね
そういう条件下で
そういうとこ行くみたいですから
ありませんでした
上の方におですね
お母さんと娘さんでしょうか
首の二人占めあってます一緒に死のうですね
これはね一緒に死にたくてこい新型選んで
絶対死ねないグッドしまう
ため必ず死んでしまう
死んだら抜けてしまいますね
首がつく気を吐いてみると
目の前に自分が殺したお母さんか
娘が死んでるね
自分が生き残ってる
こういう子たちの戦国
何大変苦労したんでした
どうぞ何でもいいですよ
はいどうぞはいはい行きたいです
戦争ではね
1番いい広いみんなのうた子供ですよ
車どんどん死んでいったことも
死んでいった
子供達への手向けとして書いてあるよ
マルトシさんは
家族の退職者ってました事が起きます
沖縄のねおばあちゃん達はね家族
がありますとね沖縄
ではきゅーじゅーなな歳でありますと
花風車の携帯を嫌がる音
あの花のカジカジ前を思い出すんですね
おばあちゃんとじゅー人来田中に来ています
あの先生死んでた若者たちがもし死ななかった
すぐなるか級女子の春の鍛冶場
今出たでしょうね
そういう思いが選択されてますね
じゅーに歳のばあちゃんですよねが
金森さんは死んでい
たか教えて抜けたじゃ
これは沖縄のおばあちゃんの思い出所
集団自決だったり
家族同士で殺し合ういうのが描かれてるんです
けど結局は国が沖縄を戦場にして
国に殺された
今いつも自分で今使ってるけど
立たざるを得なかった犬
これは本当になくなった命じゃなくて殺さ
れた命だなと思って
自分の年を考えた時に
当時では多分
鉄血勤皇隊笠間は軍隊としている
年齢だなーっていうふうに思っていて
そん中でやって
沖縄の人が
お家の人に手をかけるという部分がある
というような話を聞いた時に
加害者だったかもしれない少し
状況が変わるだけで
こんなに変わるんだよって言うのも
なんか伝えられる環境とかがあったら
もっとこの和暦さんだったりとか
館長さんが話してたやつとも
話し合っていくのかな
という風に思いをしたありがとう
その通りですね
私もそうしたかもしれないことが
信じます
これはねまる切山虎子画像来ました
耳が雑巾で手がありますけども
おがくずの床に見つかる症状がいいですね
ですからこの心理テストとかに自らの身を置く
というのは
そういう面では
そういう風に身を置いて書く
という意味があったと思いますね
丸木夫妻は絵を描く前には
必ず現場に足を運びました
と見えましたか
熱もありますし
あの避難するにはまい白いですし
アリに恵まれてはいる状況でも
あったんですけど頑張りたいです
まだまだせんえんぐらい入ってたので
仙人ゆりは村人が
釜から脱出した後の
ガランとした
空間の明るさをイメージしました
やる事は違うけども
実際に場所を訪れて
その時手がそのなんか
亜種大剣をその自分で火のカードを通して
こうこのがまんの雰囲気っていますか
持ってる子そこにいたそうです
お値段も鳴り響いても
耳を傾けてきてよかったね
台風がかなりお二人の中には
イモリも今後にも
描かない入りの筆は
厄年水の生命力が溢れ出ています
自決の前に日の目を見てからにしようと
そのまま出て捕虜となりました
ひどかった戦争のことは
いつまでも消えることなく続いています
読谷三部作は
戦争が終わった読谷村を描いて完結します
今も前頭に残る戦争の傷跡
長い沈黙の目撃したことを語った人
それを沖縄戦の図として
目に見える形にした
まるきりトト子の仕事
平和は与えられるものではない
大変去る人の営みによって
成し遂げるものなのだ

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ガジェット愛好家です。世の中にあふれるモノゴトはすべてヒトが作り出したもの。新しいモノの背景にある人の営みを探るのが大好きです。発見した情報はまとめて発信しています。