美の壺「心を聞く 和の香り 」

美の壺「心を聞く 和の香り 」

目に見えない香りに親しむため、日本人は様々な形を編み出してきた。室町時代には芸道「香道」が確立、500年に渡って受け継がれてきた。その源である「香木」は、輸入品で元々希少な上、近年は環境の変化でほとんど手に入らなくなっている。志野流香道では今年5月、家宝である香木「蘭奢待(らんじゃたい)」を徳川家康公に供える献香式を執り行った。そのドキュメントと日本人のと香りとのかかわりを描く。<File561>

放送:2022年7月15日

美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺「心を聞く 和の香り」

優しく心と体を包み込んで癒す香り
香りは目には見えません
時の流れとともにかき消えてしまうはかない存在です
そんな香りを日本人は形に表して楽しみ慈しんできました
その探究心は香りを嗜む芸道・香道を誕生させ
今に至るまで五百年以上にわたって受け継がれています

東京増上寺では幻の香り「蘭奢待(らんじゃたい)」が、徳川家康の菩提に献じられました
現代の誰もが経験しない名香の目覚めに五百人を超える人が集まりました
日本人の心を捉えて離さない香り
その不思議な魅力をご紹介します

親しむ

古くから香り文化の中心地でもある京都
江戸時代から続く香りの店です
店には部屋やタンスに置いたり、鞄に下げて使う匂袋や
手紙に添えて送る文香など和の香りグッズが並んでいます
日本人は目に見えない香りに親しむため、様々な道具立てを編み出してきました

江戸時代には香を当てて遊ぶ「組香」というゲームが流行しました
こちらは矢数香
香を当てるごとに右から左へ矢を進めることができます
こちらは花と紅葉の名所を題材にした名所香
競馬香は黒と赤の二チームに分かれて楽しみます

香を入れる袋の結び目一つにも遊び心がいっぱい
こちらは縁起の良い鶴と亀をかたどった結び方です
花結びは梅や桜など季節の花を象っています
こうして日本人の感性を刺激してきた香り
その源は香木です

香木は用途に合わせて様々な大きさに切り分けられ
細かな粉に至るまで残さず大切に使われます

香木の希少価値が高く限りがあるためです

「木の外側です。枝のようなものが折れたりしますと腐っちゃうんですよね。腐らないように樹脂が溜まったものがこれです。この溜まった部分のみを香木と言っています。木の中に溜まって数十年数百年を過ごすということが大事ですね。その間にいろんな香りの本を吸収したり創作したりしながら香りが蓄積されていくと思います」

香木とはごく限られた種類の木に傷などができて樹脂がたまり特殊な変化をした部分のこと
香木は全て海外産
日本で作ることはかないません

「我々が使ってるいいいい香木、特に伽羅はベトナムの中部山岳地帯の一部ですね。大変狭い範囲です。熱帯雨林の木ですから日本では育たないということですね。大体二十世紀で全て取り尽くしましたので、現在採集されたものが最後になりますので、大事に使っていくということになろうかと思います」

今日一つ目のツボは、時を超えて伝える

兵庫県淡路島
淡路島は和の香りの歴史が始まった場所です
西暦595年の夏
香木が淡路島に流れ着いた
その大きさは三尺ほど
島の人は香木を知らなかったので、薪に混ぜて炊いてしまった
すると煙が遠くまで良い香りを漂わせこれは不思議なものだとして献上した
日本最古の書物日本書紀にはこんな物語が記されています

淡路島は今も香りの島
実は線香の生産量が日本一です
今も手作りを続けている職人がいます

折れ曲がっていたりするものは素早く選別
出来上がった線香を手に取り紙で束ねる丁寧な手仕事が
リズムよく続けられていきます

気候風土を生かした仕組みもあります
スライド上に開け閉めするこの壁
地元では「べかこ」と呼ばれています
海から吹き込む風を存分に取り込み、線香を乾燥させるのです

乾き具合は音で確認

伝統製法だけでなく新たな動きもあります
香りの開発に携わって二十五年以上になる土川真子さんです
仕事場には世界中から集められた香りの原料がずらり
フランスから輸入したハーブオイルなど、西洋由来の原料も用いて独自の香りの世界を追求しています

「仏事だけじゃなくって癒されるような香りっていうのを、普段の生活の中にも取り入れて頂けるようなお線香を作りたいっていうのがありまして、液体の香料と香木の香料、それをブレンドする時にあと最後火を灯していただきますのでその後どういう風に香りが変わるのかっていうのがすごく難しいところにはなるんですけれども」

自宅でも香りを楽しむ土川さん
くらしのシーンによって香りを使い分けています

「朝出掛ける前とかはハーブ系の香りですっきりと気持ちをオンにして、夜帰ってきた時は香木系の香りで気持ちをオフにし、そういうふうに香りを色々自分の中では楽しんでおります。静かな気持ちにさせるように色々と香りを使い分けたりお線香に広がりがあったらいいなとは思っております」

これから先も親しまれる香りを求めて
和の香りの歴史は受け継がれていきます

香りを嗜む芸道・香道
現在主に二つの流派が知られています
そのうちの一つ香道お家流の家元を務める三条二紙業水産です
香道では熱を加えて香木そのものの香りを嗜みますが
う香木の大きさはわずか一ミリ
立ち上る香りを逃さのように手で追います
香道では香りを聞くといいます

「菊はあの門構えの聞くという漢字を使って、聞くとか論考という言い方をしております
香木が一つずつ話しかけてくるものを聞き分ける、というような意味で聞くという心を静めて香りを聞いていくとこう
僕は江戸時代室町時代あるいはもっと前から伝わってきてるんで、これはあの人が聞いた後
今同じ香りを聞いてるのかな時代を超越する感じがします」
今日二つ目のツボは香りに心を遊ばせる

香を聞くときに使う道具も独特です
こちらは道具意識を収める乱れバコ
お家流は公家流と呼ばれることも道具には蒔絵が施され
雅な雰囲気を漂わせます
こちらは重工業僕を置くために使う金曜が収められています
金曜を並べる本校版
白い部分は菊座と呼ばれ貝殻から作られています
した通りの航路を用意するのもお家流の特徴です
右が心の航路左が行の香炉
今日はいわば簡略版
十メガ入った心が正式な香炉です

実は心に描かれた模様には秘められた意味があるのだとか
それを知るためにもう一つ香炉を用意する必要があるといいます
描き始めたのは心と逆向きの酢じめ心の香炉は実は用の香炉と言っております
そして心の香炉の逆の目を付けたものを員の香炉という風に言っております
二つの香炉を合わせることによって、陰と陽世界の二層を表しているのですが
その中にはいろいろな世界が詰まっていて、それは引用の中に全て含まれていくということで
この引用の航路というのがあるんだと思ってます。
我々は香を焚いてそれで自分の心を高めていくのかなという風にですね、
広い世界への思いを深めのありようを探求する香りの道
は自らと向き合う心の道

おばちゃんお香を焚きますよ
熱くなりすぎてないか香りがね台無しになっちゃうからね
大丈夫大丈夫
こっち利用
素材
どうなんで

愛知県名古屋市
ここには香道の流派のもう一方志野流行動があります
現在家元を務めているのは二十代八や草原さんです
次期継承者である喪失三十日日精進を重ねています
市の流れは武家リュウとも称されます
厳しく定められた暑さは医師相伝で伝えられてきました
巨大紙の送信は東山文化を確立した足利義正と親しく交わり香道の基礎を築きました
最大の功績は古来より伝わる名香木を分類し
六十一種名香を定めたことのみ
いわゆる甘い苦い酸っぱい辛い塩辛いという香りの表現法を確立したとされています
甘いですとはちみつの香りがするとかね
ピリピリと感じるものが辛いんだとかね
この世界でそういう分類ができたこと
そしてそれに付随して聞く規範と言いますかね
約束事を色々決めてきたんですよ

令和四年五月市の流れでは歴史的な行事を控えていました
東京の増上寺で執り行われる健康式です
健康式とは神仏に名工を捧げる儀式のこと
そこで使われる道具も特別なものが選ばれます
武家流と称される篠田らしく飾り気のない道具が並びました
そして健康する香木は家宝として五百年にわたり大切に守り伝えられたものです
正倉院宝物なんじゃない並んじゃ体は別名東大寺とも呼ばれ
ゴミを備えた香木と伝えられています
この香木を切り分けることを許されたのは
足利義正織田信長明治天皇の三人だけとされています
およそ百五十年間蘭奢値を聞いたという記録は残されていません
いわゆるゴミを兼備してると言いますのでね
味普通は二三日しかないんですが、五名えそんな幸福今までもしかし聞いたことない
まあの世紀の原稿であるけれどもまずその香りが来て
どういう香りか細心の注意を払って炊いてみたいと思いますね」

今日三つ目のツボは、長き眠りから解き放つ

東京増上寺
元公式の前日
草原さんと喪失さんは準備に追われていました
実は今回なんじゃ体を健康しようと提案したのは次期継承者の喪失さんです
増上寺は江戸徳川家の菩提寺です
およそ二百六十年間にわたる戦のない時代の礎を築いた徳川家康
喪失さんは家康への深い尊敬の念を示したいと考えました

「私達はやっぱ香しかありませんから
この香道の世界のみならずま日本の宝物なんですね
ランチたいっていうのはそういったものをやはり炊くことによって
その力を持って世界を世界の闇を吹き飛ばしたいと

令和何車体健康式の当日
天下の名工を感じ取りたいと全国から五百人以上の人が集まりました

静けさの中草原さんは粛々と手前を進めていきます
なんじゃ体が手元に引き寄せられました

およそ百五十年の時を隔てて目覚める男車体の香り
江戸時代から志野流に伝わる政治の頃から芳香を放つらんじゃたいは喪失さんへと手渡されます
そして徳川家康のもとへ
志野流行動二十代家元の八や草原さん
無事に大役を果たしました

「ありがとうございました
香りが上がりましたねらんじゃたいという
それに少々押されたかもわからま平成がすぐ広告としてある人
やっぱり静かで漂ってくるといいますかね穏やかな香りです
心の安らぎと言いますかね
そういうのをなんかたような気がしますね
あれはあのー一生仕様ですからいろんな面から
考えないといけないところがあります
皆さんにも少しの香りだけ聞いていただいて
心穏やかにしていただきたいですね」

祈りを込めた名工その香りは多くの人たちの心を鎮めるべく世界へと広がっていきます