日曜美術館 「死を想(おも)え、生を想(おも)え。 写真家・ 藤原新也 の旅」

日曜美術館 「死を想(おも)え、生を想(おも)え。 写真家・ 藤原新也 の旅」

写真家・ 藤原新也 。インド・ガンジス川で撮影した、犬が人の遺体を食べる写真は「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」のキャッチコピーと共に、日本の社会に大きな衝撃を与えた。それからおよそ半世紀、藤原は世界各地で「生と死」を写真と自らの言葉で捉え続けてきた。今年故郷北九州で初の回顧展が開かれるにあたり、写真家は「死を想い、生を想う」撮りおろしの旅にでかけた。78歳となった今、藤原新也が見つめるものとは?

放送:2022年10月16日

日曜美術館 過去の放送 | 風流

日曜美術館 「死を想(おも)え、生を想(おも)え。 写真家・藤原新也の旅」

半世紀に渡り世界中を旅してきたその人は軽やかな足取りで出迎えてくれました
藤原新也さん
飽食の80年代に世に衝撃を与えた写真家です
インドで撮影した屍に群がる犬
「人間は犬に食われるほど自由だ」
その言葉が多くの人の心をとらえました
むき出しにされた死の姿
その写真と言葉は
死とは何か、人間の価値とは何かを問いかけました
あまたの子を世に伝えてきた藤原さんは父親の死の瞬間もファインダー越しに見つめました
その一年前に撮った一枚
明治に生まれ、波乱万丈な人生を送った父親でした

これ俺の勝手な思いだけど、最後ね、ニコッと笑ったり微笑んで死ぬってのが最高の死に方だと思ってるわけよ。いろんな人生過ごしてきて、自分の人生を思い起こしながら死ぬのは最高の死に方だと思ってるわけよね。そういう笑って死んだ人って滅多にいないだろうと、そこでそれも瞬間的に思ってカメラもってから、はいチーズってやろうと思って、親父、親父、はいチーズっと言ったわけ。聞こえたんだね。それを少し開けて。この時は口が閉じていて、これで何言ったか気づいたんだね。それでふわっと口開けて笑って。瞬く間にも口開けたらすぐ閉じて、落ちるように死人の顔なってたんだね。俺はやっぱりはいチーズで終わらせたかったんだよね。実際こたえてくれて、こんなに笑っちゃった」

その後から藤原さんはこの秋初めての回顧展を開くことになっています

「人に見せようというのはあまりなかった。いろんな死のテーマをめぐる展覧会、写真多いからね。もう最後にプライベートな死の世界みたいな、ポットおけば、一つのピリオドになるなということで、父のメメントモリ。タイトルつけて」

memento_mori死を想え
回顧展を前に向かったのは幼少期を過ごしたゆかりの土地
生涯を通じて死を見つめてきた写真家は78歳の今、自らの原点に何を思うのか
藤原新也その旅の記録です

藤原新也

旅の始まりは北九州門司港
藤原さんは終戦の前の年にここで生まれ16歳までを過ごしました

「海の色はまったく変わらない。ちょっと緑っぽい青のね門司港の色」

対岸の本州までいちKMにも満たない関門海峡が藤原さんの原風景です

これも5分でいっちゃうんですけど、昔はこれ500人ぐらい乗れるような大きな船
大きな連絡で、下関と対岸があるって言うのは何か他の世界を常に意識するような場所。違う場所があると。これだけ見たらすごいほんと狭くて小さい海だけど、ここから様々な世界に広がってと繋がったですね外洋に。ここからいろんなとこに出ていこうと。藤原さんはここから世界をフラフラフラフラ漂流していった

門司港は明治以降海運で栄えた日本の海の玄関口
実家は使用人を何人も雇う大きな旅館でした

終戦直後ものすごい人だったでしょ引揚者。その当時はいち畳に一人。廊下にも泊まらせてくれ。旅館はもうお客で鈴なり。記憶にありますか

戦後の貧しさを経験することなく、裕福な少年時代を過ごします

かつての賑わいを彷彿とさせる大きな中国料理店は近所の顔なじみでした

昭和22年創業。僕が三歳。閉めて10年以上なんだけど、この鉢の金魚だけが生き生きしてんの。僕は見ると救われる。閉じたけど生きてるでしょ
昔は景気良かったをからどんちゃん騒ぎですよね

藤原さんが14歳の時、門司と本州を結ぶ関門国道トンネルが開通
街の賑わいが消えていきます

ここに富士の屋旅館が、ぼんぼりの光の痕跡がまだ残ってる

駅のすぐそば大きな料亭の隣
石垣の端までが旅館の敷地でした

ここで破産したんです。高1です

トンネル開通から二年後旅館は廃業
豊かな暮らしは突然終わりを告げました

それまでは金持ちのボンボンでぼんやり過ごしたでしょ。だから怒ったりとかそんななかったんですよね
あーいつもヘラヘラ笑ってたから。それがちょっとなんか大げさにいえば人生の分かれ目。そのままずっと成長したらどうだったのかなとかね。どんどん成長してたら本当に犬に食われてますか

代表作「犬くらうしかばね」
25歳からの13年にわたるアジア放浪をまとめた本で話題となります
1983年に発売された「memento_mori」
死を想え
その本は強烈な一言から始まります
その写真と言葉は日常から死の姿が遠くなった社会に衝撃を与えました

書かれている文章はあの非常にポジティブな言葉ですね。人は皆あまねく照らされているっていう写真と文章が拮抗することによってこう均衡が保たれてるって言うそれぞれページがあってことはあると思って。

あの写真なんですね。言葉の写真。その意識がパッと出た時にこれも一気に作ってやろうと思って、これはね、実は20時間ぐらいで出てきたんですね。これが一気に。当時があのスライドでしょ。これくらいのスライドのやり方の写真を置いて、編集者が横にいて、見ながらまあ「人間は犬に食われるほど自由で」なんてことを声を出して言って行く。

声で、筆記じゃないんだ。

祭りの日の精緻で印を結んで死ぬなんて、なんとダンディな奴だ。なんてことが出てくるんですか改めて。身体反応と言うかはらわたまから出てくるような言葉って

長い時間だと逆に言葉出てこない。逆に凝縮して、自分を追い詰めて短時間を自分に課せって追い詰めた時に、でも身も蓋もなく出てくる。かっこつけるないですよ。あの時間がないと。この恥ずかしい言葉も全部入っちゃうわけ。

逆立ちする僧侶見て

あの人が逆さまなのか私が逆さまなのか

人骨に群がる鳥の姿を見て

ありがたや、一皮のこさず骨の髄まで

それは本当の性を生きるために生と死を等身大で捉えようとした言葉でした

かなりかなり疲れ果ててね。あのこれ見た時に、おーい。疲れた時の声もあるしもない時もある。元気な時もある。

32歳の時に旅した韓国。そこで捉えた親子の姿に添えた言葉は。

母の背は荒野に似る。

これは最も古い記憶から出た言葉でした
藤原さんには一歳の記憶があるといいます
それは空襲を逃れ母に背負われ疎開した時のこと

高台で借りたって言うからこの辺りかな家を借りたから。母親に背負われて山道いった時に怖い感じした
赤ちゃんでもなんかこのかやの葉っぱ手が綺麗ななんか怖いって何だね

韓国の親子に古い記憶が重なりました

おんぶって結構ね安心と不安と両方ある。母親が見えないし、後ろのことが気になって。母と密着しながらものすごく孤独ってかな。それが荒野って言う言葉になる

自らの原点をめぐる旅
そこは図らずも青春時代を過ごすことになった街でした
16歳の時旅館を廃業した藤原さんの家族は、夜逃げ同然で大分県の鉄輪温泉に移ります
何不自由ない暮らしから一転無一文となった家族の住まいは六畳一間
父親が稼ぐ日銭では暮らしはままならず
学業のかたわら、米運びや建築現場でのアルバイトで家計を支えます
それは初めて味わう屈辱でした

ここに平屋建てのレンガ。普通の民家。いろんな人生あるけど、そこに完全に底につける経験ってなかなかないんだよね。そこの底に着地ついて、それ以上浮かぶしかない。ガンジスの死体もそこに付いて浮かぶ。浮かばれるってのそういうことなんだけど、底につかない死体はずっと中間のまま流れて、そういう人の生活とか人生に中にもとことん底まで着く着いたかつかなかったかっていうのは結構重要なアイテム

体験からにじみ出る言葉
この世はあの世である

この感じが当時の感じだ。この笛みたいな

十代で味わった人生の光と影
78歳の心と体が感じ取る
高卒業後は上京したものの定職にはつかず、あてのない暮らしが続きました
何かを変えたいと絵を学び、23歳の時、晴れて東京芸術大学の油絵科に入学
しかし期待したものが見つかりませんでした

生の実感を取り戻すっていうことで、違う場所に遠いところに行く。ヨーロッパでもなくアメリカでもなく

インドに行くにはちょっと金がなくて、ちょうど日グラフって見てたら、後ろかに私の海外旅行っていう一頁物があった。モノクロの。これちょっとあの話ししたら取材費くれるんじゃないかなと思ってね、それそれでそのまま朝日新聞行ったんですよ。その当時は緩かったですね。人間同士の付き合いのこうなって少し子懐の深さを。だからあの当時はね良かったですね。それで30分ほどしたら、10万円持ってきた。フィルム70本。

カメラ持ってたんですか。

持ってないです。写真の撮り方も知らなかったから。

1969年。25歳の学生は命の実感を取り戻すためだけに海を渡ります。
そしてその時は突然訪れました。

最初に撮ったショット覚えててね。砂漠を歩いていたらおばさんがね、がやがやがや。なんかね圧倒される生命力。それをパッと撮ったのが最初のショットですよ。それは稚拙な写真だけど、なんか命がパッと写ってる感じがあったんでしょうね
どうやって移すべきものをちょっとね
なんかあの対象と自分がここにいて相性があるという
なんか二つが写ってんですね
ちゃんと映して
自分も感じられるとの相性だけがぼーっと突っ立っにあるて
その外側の空が見えるんですよね
今見てもやっぱりこのせないそういう風に立ち方してたんだな
こういう目で打つ映してみたなってそのように見える
そのこと待ってかわかんないね

その写真が藤原さんの運命を変えます
本人も知らぬ間に資金を出してくれた新聞社の雑誌に13ページの特集が組まれていました
心のままに捉えた写真は評判となります
気がつけば生きる実感を持てなかった青年は未知の国で生命の輝きに魅せられていました
その旅はインドからチベットへ
チベットでは人間の普遍的なあり方を表現したいと会えて買おうとしませんでした
写真に添えた言葉
純というあらかじめ仏の形を内包している
言葉を呟かせたのは4歳の時の体験でした
ここは自分を我が子のようにかわいがってくれた叔母が家族と離れ
療養していた場所結核病棟がありました

本当に透き通るような白さなんだよね
だからもともと美人だったあの晴子って誰と彼女のね貧乏がね
病院に行ってから
ものすごくをなんかここ髪が勝手な美しさだったんだよね
白い靴下は幼心に深く刻まれます
その所テッポウユリが咲いてもそんな感じ
病院に行ったはるこさん昨日来てね
透き通ってて細くて髪で流れたからさはるこさんそっくり
しばらくしてあった祖母は火葬され骨になっていました
これをやっと昇っただけだよつって見せないと本当だよ
こんなあの仏像が座ったような形してて
それがものすごく印象残ってるの喉仏のグレーの仏がみたいなね
子供心に人間の中には声に仏像が選んだと
そう思った自分のこの子と引き換えに何かを教えて
それが子供心に訳わからんけど
教えてもらって透き通るような肌と喉仏
首都は塩として周りのものを導く
人生最後の授業の世界があること言うなやっぱりです
行けんっていう人のなんか力になれるし
潮も言ってないよっていうより今日というそれを同じことなんだよ
塩前ってより今日暗いもんでも前なの問題なくて
すごくプラス思考だしお前って
その背景もそうだよね
他の面影を感じた
百合の花

使うのは至近距離の撮影には不向きなレンズ
それをカメラからはずし指で支える独自のスタイルで撮影します

短距離はこれぐらいなので
これを近くで頭にはこれ反応してトナカイレンズ
外してとる人はほとんどいないんだけど
俺は外すだけソフトもピンの合う瞬間てな今度一緒にしかないけど
それを体が揺れるしカメラも入れるし
カメラとレンズ内でも入れるとさん点切れてるか一瞬しかない
ブッシュ会った時にパッドっていつも何時でも取れるやつなのにどうもない
生きてないうちに噛むしか取れないって子も
一緒に使う機会がないって言うの
私の切実な感じや叩きた
取ってくれてて最高だね
こういうことを切る思わぬ訪問者の登場にもう一枚
今まだ生きてるでしょ
はいその写真やってたから写真っていうのはね、意味の世界じゃなくてめてめてな
僕の意識では性善説を持ってる最中
世界見るのに前として前の世界を見ようとして飾り気を撮ったんだね
あのあの命輝き輝きシリアルとするであろうとすぐに
肯定感情のあるものを見ると目を向けて何々してご周年

写真家の女は善なるもの命の輝きを追い続けてきました
2014年香港で起きた学生による反政府デモ
雨傘運動のニュースを知りすぐに現地に駆けつけます
離婚入国自撮りなので
顔がでかいで捉えた言葉を添えて
インターネットで配信を続けました

喧嘩が始まる地下鉄正面からストロボをたくと
こいつは私に向かってきた
家はフレアに似ている
曲命は美しい
日本の学生運動にはこれがなかった
若者たちの中にそして綴ります
市の雨傘運動東ハロウィン
若者たちの二つの運動と
ソーラン自らの存在と命の危機に勅命した香港の若者たち
その東彼方の若者たち
それは私にはただのから騒ぎのようには見えない
固有の同調圧力の中
幼少の頃からそして社会に出ても本音と顔を消して生き続けているコラ火葬し
自分の顔を消すハロウィンという祭りの中で
自らを思いっきり取り戻しているようにも見えるしの雨傘運動東から傘運動
どっちも切実なのだとコスプレで若者たちの波に分け入っ
た私はそんな思いにとらわれる
そして2020年捉えたのは喧騒の街から人が消えた世界でした
その写真を撮るからそれを見てことを発症とすればとしても
命の輝きについて表現してしまう
菅原目から逃れようないって言うな
俺女がちゃんと見える家は目から見えるものから逃れ得ないでしょ
はいもうそれ見えてるって事は救い
はいはいいかにいい見つめるとしたものも見えてるって言うと
救いな

母親に背負われて疎開した山口県の海
記憶の中の浜辺は姿を変えていました
もうここから
くっきりわかる
そんなはっきりしたくない
変わりゆく景色の中藤原さんの目は探し続けます
の中で心に留まった小さな命の輝き

故郷に帰ると必ず立ち寄る場所があります
いつも突然衝撃幼馴染の遠藤小学校に上がる前からの付き合いです
葬式の写真撮ってくれ今出とったことないもんなんだ
米後期てもう二人
亡くなって最後どっちかじゃないを残しておきたいってさあのね
まずは良かった四人組でした
ここ数年で二人が旅立ち
写真を撮りたいという思いが強くなりました
こっちから入って
今こっちに温めて葬式の顔雨
強いか押したらね
子を思いながら向き合うともの顔

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