美の壺 「こだわりの コーヒーポット」

放送:2019年2月28日

美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺 「こだわりの コーヒーポット」

食通で知られた池波正太郎草刈さん
池波が愛したコーヒーを飲みに来ました
一杯ずつ飲むドリップコーヒー機械を使わないのが
昭和の喫茶店といいですよね
いいなー最近
はドリップコーヒーが見直されてるんですよ
こだわりの黒はやかんでコーヒーは入れません
お湯を注ぐためだけにドリップポットを使います
このドリップポットにふんまでなので
今日はこだわりのコーヒーポットご覧いただきます
最初に尋ねるのは創業ななじゅー
年近い喫茶店ドリップポットが誕生したと言われる店で考えたのは関口一郎さん
御歳ひゃくいち今も現役でコーヒー豆を焙煎しています
小さな温度計と豆の爆ぜる音が頼り
豆が気になるギリギリまで入り込むのが関口流のこだわりはどこから生まれたのでしょう
コーヒーがいかにまずい一番最初はそれなんですよ
同じコーヒーを使っていながら味が違うというのはどうしてだろうということで
それで疑問を持ってなんとか追いつこうと思って色々研究した理由って気づいたのがトリップするお湯の量でした
これが関口さんのドリップポット
お湯を少しずつ注ぎます
世の中どこを探してもなかったので特注で辛いてしまいました
傾け出してるからよく分からないので
思うように言って来いって来ない子は育てたコーヒーはやっぱり味が違うんですよね
ではこのことがどう違うのか見せていただきましょう
ホットから流れ出る一筋のお湯
その細さは絹の糸にもたとえられます
このポットでしかできない職人技で
お湯をギリギリまで細くするため
ポットは固定代わりにフィルターを回します
仕上げは一滴ずつ行ってきますだけで味が変わります
こんなに丁寧に挨拶コーヒーを立てるのは
日本でこんなドリップポットも日本に
今日一つ目のツボ一筋の湯というアート

鎌倉に店を構える堀内健さんもお湯の細さにこだわってきました
中心からドリッパーの情報を撫でるようにお湯を注ぎます
ハンバーグだよ
出てきますのでのままフラッシュの状態で約いっぷん弱待ちます
美味しいコーヒーの私です
焙煎したコーヒー豆には多くの炭酸ガスが含まれています
お湯が注がれコーヒー西飛んでくると
炭酸ガスが外に押し出されコーヒーを膨らませます
この時香りや味の成分がお湯に溶け込んで抽出されない
新鮮な豆ほど炭酸ガスが豊富
膨らみの大きさは美味しさの目安で
ゆうちゃんが20年前から愛用しているドリップポット

その注ぎ口にも体育の後が毎日ここでコーヒーを入れていて
どうもうまくこうもうちょっと細くしたいなとか
もうちょっとじっくり落としたいなって言った時に
どうしたらできるんだろうっていうことをちょっと考えて
ペンチでつまんでみたりとかあとをトンカチでもう寝かしてを
叩いてみたいとかしてて行き着いたのがこの角度たんですね
近くにつぼめられたウコンの注ぎ口常連客が見直しなりました
困った堀内さん作のことを手に製造元に相談しました
オリックスよく作ったなと思いました
そのふぁいぶですのでかなり加工が難しいんですね
それをあれだけの加工をされるのにご苦労があったのだろう
何と言う一見して分かる形になってましたね
こちらも本当に目から鱗ではそういう声があるんだな
やっぱり製品化の必要があるなという形になりましたので
非常にあのーlixilさんより細くじっくりと性能を追求した
新型ポットデスポットの底から伸びる美しい曲線の極細パイプ
わずかな木で引くようなおゆな私は
雫を言ってきずつ落とすのも自由自在堀内さんの注文通りです
堀内さん新しいポット使ってないじゃない
ずっとやっぱり愛着があって
これまでずっとにじゅー年間使ってきたものなので
あの僕がもう喫茶店
人生と一緒に歩んできたもので
なかなかこうまあいいものができたとしても
またちょっと手放すことができなかったんですね
ほっとも持ち主も一筋縄ではいかないようで
やっぱりプロは上手だな
コーヒー豆がきれいに膨らんでるもうすぐ終わりだ知ってますよ
最後の一滴が一番おいしい究極の一滴を楽しむ急須で
日本茶を入れてる時に学びました
コーヒーは逆終わりの方には雑味が残りがちなので
最後に行ってきが見れなくすてろです

都内のエチオピア料理店
伝統のコーヒーセレモニーが始まります
日本のお茶席のようにコーヒーでお客をもてなします
じゃ鼻と呼ばれる焼きのコーヒーポット
まず砕いたコーヒーを入れます
次に水を入れ一緒に煮た手間
エチオピアはコーヒーの発祥の地とも言われる
矢花は最も古いコーヒーポットの形を伝えています
温度の調節が腕の見せ所公平が薄まらないような清水のコーヒーで
こんなこともたまにはありますけどね
上澄みをカップに注ぎます
濃厚なコーヒーにたっぷりの砂糖を入れて焼く
そうや私を入れて飲む
石丸幹二の味がします
煮込む時にカフェインだけじゃなくてもっと味出てくるので
それで一番美味しいされに出したコーヒーは
独特の苦味とコクが楽しめます
コーヒーが世界に広がるにしかない
ほっともその姿を変えていきます
今日二つ目のツボ全ての形は抽出につーつ珈琲はエチオピアから後悔を渡り
アラビア半島に伝えられます
エビアンコーヒーポット砂漠の民ベドウィンは
どんなポットでコーヒーを煮出していました
全体にアラブ伝統の装飾が施され
ちょこんと乗った鳥の形の津波がご愛嬌です
注ぎ口に干し草を詰め
コーヒーの粉が諏訪に落ちない工夫をしていました
19世紀コーヒーの抽出に革命が起こりました
ドリップ式ポットの発明です
上下に層の構造は現代のドリップと同じ原理せん
はっぴゃく年頃はフランスの大司教で
美女としても大変有名であった
ルベロはさんという方がに立たせずに
コーヒーを作る個数ということを発明したんですね
これがコーヒーの立て方を変える大きな転換点となりました
フィルターは金属に小さな穴を開けて使っていました
常総にひいたコーヒーを入れお湯を注ぎます
するとを下げたコーヒーがかにたまっていくという仕組みです
こちらは天秤式サイフォン
右側の白い陶器にガラス容器にはコーヒーを入れます
キャンプでお湯を加熱すると蒸気圧で管を通ったお湯が移動し
コーヒーと混じり合います
なぜか管の先には金属のフィルターがどうやって使うのでしょう
このサイフォンには楽しい仕掛けがあるのです
金綱進んでお湯がガラス容器に移ると
片言の作用で動悸が持ち上がりハンクの火が消えます
温度が下がると空気圧も寒い
先ほどの金属のフィルターでこされた抽出液だけがむくむ
コーヒーを楽しもうという遊び心で
もともとコーヒーは眠気を覚ますための薬として使われていたものなんですが
徐々にこれが社交の場でも飲まれるようになりました
適度な刺激があって頭
抑えさせてくれるものとして人々が集う場にある
飲み物ということでコーヒーを飲む場所
コーヒーハウスが賢者の学校と言われたこともあります
せん年以上昔からの貢がれてきたコーヒー
様々なポットから喜びが溢れます

池波さんもこのコーヒー飲んでたんだこんな感じだったんだろう
依頼して私たちとこの話をちょっとして
それから一人でゆっくりしてらっしゃることが多かったですね

東京都内コーヒー豆にこだわるお店で
京都に入ってるか注意
マウンテンコーヒーものようにさんじごとに変えるのですね
野村佑香さコーヒーにのめり込んでさん
年の愛好家ですす桃ネクタリン同じ柄で
入れたいの本格的なコーヒー道具が並んでいる
小倉さんの家にお邪魔しすごい器具が揃っています
使い込んだ愛用のドリップポットです
家の中で愛着があるのがコーヒーポットで
コーヒーがハマるきっかけになった
サンフランシスコで日本のコーヒーポットを使っていて
日本人としてすごいなんかこう嬉しい気持ちもありましたし
コーヒー好きになった原点をいつでも思い出せでもありますし
それをこう家でもそのコーヒー
ポットを使って入れてます
細かめに引いた方が美味しいって言ってたから
ちょっといつもより今回電動ミルは最近買った自慢の品
挽き具合を細かく調節コーヒー専用のはかりで
マメのお湯も正確に測りますか
豆の状態の香りとヒーターとの
香りがまた全然変わってくるのは
電気ポットで沸かしたお湯をわざわざドリップポットに移します
このひと手間が香りの違いを生むのだとか
葬式というお寿司ので
きゅーじゅーに°Cぐらいになるんじゃないかと踏んでいます
帰ってますあかりをセットし直して抽出開始
まるで儀式のようですね
一個一個足していくとこうスイッチがゼロじゃなくなって
もっとこうかけ算みたいな感じで変わってくのか
コーヒー器具だなってすごく入れながら思ってるんですけど
痛風に来ちょっと頭痛
コーヒーとに入って行けるって言うのが
また楽しみなんじゃないかな
日常でいっぱいで楽しめる
コーヒーをめぐる野村さんの冒険は
今日最後のツボは本当は人なり

年季の入った屋台を弾く二人の目指すのはいつもの大きなケーキ
益田ラーメン屋台
いやいや年代ものの手回しミルの総格は安倍徹郎
次郎兄弟がやっている所は足利の街角
年中雨が降ったら休み
メニューは古いドリップポットで建てるブレンドコーヒー飲み
今日最初のお客が登場
使い込まれたドリップポットで言う落とす
こういうんだとまたいたことないだろうな
と思われても一番ちょっとよね
ひゃく人しかいませんから
甘いコーヒーをまず最初に出すっていうのが一番
いっぷんタイマー
いっぱい入れるのにごふんは待ってもらう
以上そんな語りがしたくなるコーヒー屋台ですよこせしました
今日は屋台にかかっている
油絵はイスタンブールの夕焼け父八代さんが描きました
全然外国航路の船で呼吸をしていました
途中で立ち寄ったイスタンブールの露天のカフェで
地元の人達が自由に集う光景が忘れられず戦後この店を開きました
そのお父さんが亡くなってさんじゅー年
息子達で大切に守ってきた屋台です