日曜美術館「至宝が伝える天平の夢 〜第74回 正倉院展 〜」

日曜美術館「至宝が伝える天平の夢 〜第74回 正倉院展 〜」

年に一度、奈良・正倉院の貴重な宝物を公開する「 正倉院展 」。今年は初出陳8件を含む、59件が出陳。「国家珍宝帳」に記載される繊細な装飾を施した「八角鏡」や聖武天皇が身近においた象を描いた「びょうぶ」など正倉院ならではの宝物が一堂に会する。今年注目されるのは法要を華やかに彩った伎楽の面や、天平の人々の装いにまつわる品々。天平時代の宝物に込められた現在にも通じる願いや喜びを、尾上右近さんと一緒に探る。

放送:2022年11月6日

日曜美術館 これまでのエピソード | 風流

日曜美術館 「至宝が伝える天平の夢 〜第74回正倉院展〜」

奈良東大寺にある正倉院。
1300年にわたり天平時代の宝物を守り伝えてきました。
秋を迎えた奈良で一年に一度、貴重な宝物を公開する正倉院展が始まっています。
今年は初出陳8件を含む59件が。
貴族たちが愛用した贅を凝らした文房具。
色がそのまま残ってるものとか文章とか、昔のことを教科書とかで習ったよりよく知れてよかったです
模様で覆われた巨大な銀の壺。
壺がどんなものに使われてたのかなぁとかどこで使われてたのかなーってのはすごく興味ありますね
正倉院宝物に秘められた天平の人々が憧れ、夢見た世界。
その魅力を紐解きます。

日曜美術館です今年も正倉院展の季節がやってきました。
改めてですけれども正倉院は東大寺に置かれていた倉です。
聖武天皇の依頼の品が大仏に献納されてそれから1300年ずっと保存されていたので私たちが見ることができる。
一回だけですが貴重な期間ですよね。
では早速今年の正倉院展の注目の品々から見ていきます。

漆背金銀平脱八角鏡 しっぱいきんぎんへいだつのはっかくきょう

会場で一際注目されている宝物がありました。
漆背金銀平脱八角鏡
聖武天皇が身近に置いていたと伝わる鏡です。
桎梏の中を舞う金銀の鳥。
漆の上に鳥や草花の文様を置き、さらに漆をかけます。
模様の部分だけ剥ぎとって浮き立たせるへいだつという技法が使われています。
効果的に使われた金が多いの繊細さを引き立てます。

銀壺

こちらは正倉院に伝わる最も大きな金属製の容器。
直径およそ60センチ、銀で作られた銀壺。
東大寺の大仏に捧げられた供物です。
表面には様々な文様。
その隙間をナナコと呼ばれる細かい粒で埋めつくし模様を浮かび上がらせています。
馬の上から振り向きざまに矢を射る姿。
パルティアンショットと呼ばれ、ペルシアが起源とされています。
しかし着ている服はどこか中国風。
東西の文化が融合した国際色豊かな文様です。
大陸との交流を深め仏教による国づくりを目指した聖武天皇。
正倉院宝物の多くは、聖武天皇の死後大仏に献納された当時最高水準の工芸品です。

国家珍宝帳

その目録。
国家珍宝帳には600点を超える献納品が記されています。

象木臈纈屏風

その一つ象木臈纈屏風。
間仕切りや風よけとして使われました。
日本で作られたこの屏風には大きな木下でくつろぐ動物たちの姿がろうけつ染めの技法で表されています。
空を舞う四羽の鳥。木の上を歩く猿。茂みの中にはイノシシの姿が。
そして真ん中には大きな象。
当時日本にはいなかったはずの象の姿を見事に描いています。
これは鳥獣戯画の象。
こちらは江戸時代、俵屋宗達の筆による象。
比べてみると奈良時代に書かれた象の姿がいちばん本物に近く見えます。
30年以上正倉院宝物を研究してきた西川明彦さんです。

実際にここに来てみるとけっこう足長いと思いません。宝物に表されてる象の足って修正されてるってのが分かるんですけど、上書きして白を重ねて足伸ばしてるんです。

象の足に注目です。
白い色を塗り重ねて長く伸ばしているんです。
ちなみに鼻の先も。

もしかしたら実際に象を見たことがある人がこの屏風づくりにかかったんじゃないかっていう風に思ったりします。外国から来た人っていうのがこういう制作にかかわったかもしれないし、海外から来た人が来たんじゃないかっていう想像はできます。

リアルな象の姿は国際性豊かな天平文化の象徴です。
出陳された宝物の中に当時の工芸技術の粋を集めた鏡があります。

鳥獣花背円鏡


鳥獣花背円鏡
唐の都で作られました。
直径およそ30センチ。
絡み合う葡萄の蔓の間に57もの生き物達がひしめき合っています。
鏡の周囲には疾走する動物たち。
鹿や鳥さらに羽のある馬の姿も
そして中央部分には生き生きとした八組の獅子の親子。
しっぽにじゃれつく子どもたち。
仰向けになってくつろいでいます。
紐を通す部分は向き合って鹿を食べる親子の姿です。
毛の一本一本までを描く繊細でシャープな表現はどのようにして作られたのでしょうか。
京都で150年以上銅の鏡を作り続ける工房を訪ねました。
日本でも数少ない鏡氏の一人、山本晃久さんです。
神社に納める鏡を制作するほか文化財の補修にも携わっています。
鏡を作るのに欠かせないのが鋳型です。
砂を混ぜた粘土に金属のヘラで凹凸を付けながら直接文様を描きます。
平安時代から続く技法です。
しかし山本さんは唐からもたらされた鏡には違う技法が使われているといいます。

宙船動画さんで作ってると思うんですよろー方は銅で形を作って売ろうとかして、そこに溶けた合計を流し込むっていう方法でやってるんですけど、細い形が作るんですけど私たちは金属のヘラでこういった模様を作っていくんです。古来製法なんですけど、ここまで細かいのは相当のいい職人じゃないと難しいじゃないすかね。稀代の職人と言われる貝なし確認じゃないとここまで細かいのは難しいと思いますね。

当時の道使った鋳造技法と職人の超絶技巧が生み出した生き物たちの楽園。
それは聖武天皇が願った理想の世界でもありました。

スタジオ

では今日のゲストをご紹介しましょう
奈良国立博物館館長の井上洋一さん
そして歌舞伎俳優の尾上右近さんです
よろしくお願いいたします

日本の当時のものを時空を超えて触れることができる、目の当たりにすることができる、そしてそれがものすごく新しい感覚をもたらされるものであるっていうところにすごく印象を強く受けた記憶があります。

今年は今年ならではの注目の品々が出ていますのでその辺りを今日は一緒に見ていこうと思います。鳥獣花背円鏡には大変な技術が使われてるようですね。

こうした鏡って言うのは、時の権力者であるとか、あるいは神、仏に捧げるものだろうと思ってね。なので、いい加減なものは作っちゃいけない。作れないという風なことがあったんだろうと思います。権力者神そして仏といったですね。絶対的なものへの恐れというものがありそれでですね。超絶技巧とも言えるような音技術という風なものが生まれてきたんではないだろうかという風に思っております。

どうでしょうこれ今ご覧になってね
あの真ん中の獣が子供を抑えながらこの取っ手のところとかですね
紐を通すところですね
もうあの頭の話をさせていただくといい子っていうのは結構頭の
代表的な登場人物ではないけども
CCの親子の物語連獅子っていう物語があるんですか
親子の獅子の話なんですね
でも実際はこの子氏の証言が表されてる作品って
見たことなかったんですけど
親子の初めて見たこういう感じなんだってみたのは
今これ拝見してすごい
印象的なところでしたけど
実際使われる実用性のあるものだった当時はこれ
今映ってる画面っていうのは実は紙の裏面ですよねなんですね
これをこうひっくり返すと
出来立ての頃っていうのは本当に入って見えます
今は少し寒いですね
でもなんか色んな思いが詰まって感じはしませんので
あらゆるものに対する想いが詰まってもう閉めたじゃないですか
隙間がないっていうか
いろんな思い出など召されてるか
神棚って言うとここまでここまで行っちゃうってな
なかなかの念がないと行かな
いっすよねソーシャルといって本当に染めてるってね
本当そこにこうなんかこう
今にも腰が動き出しそうなそんな子躍動感すら感じられて
これがその伝わってきたっていうことなんですね
この時代に正倉院宝物として残ってるということは
重要なのはやはり検討しそしてそれと
ともにいいですね
唐に渡った留学生だとか
あるいはじゅー額装
この存在っていうのが
ものすごく美味しかったんだろうと思うんですよ
で彼らがあの様々な分別あるいは新しい思想という風なものですね
日本に持ち帰ってきたのです
中国やインドだけではなくてまた下着だとか
あとご回攻撃からもですね
人がいつも交流が繰り返されていたっていう
風な記憶もありますのでね
かなり国際性にとんだならの社会ってのがあったんではないかな
という風に思いますね
当時のならもう国際色豊出会ったあの日本人の感覚の中で
色んな要素を取り入れて自分たちのものですってないから
交換学的文化があるじゃないですか
もっともっともそれに色んなエンタメの要素を取り入れて自分たちもするっていう。そういう精神的な伝統がその時代からあったっていうことですかね。

多分、新しいもの進んでいる文化っていう風なものを本当に粉を自分の所へ取り入れてあり
素晴らしい社会を形成しようって、そういう考え方ってのあったんだろうと思うんですね。

金銅幡

752年聖武天皇が発願した大仏に命を吹き込む大仏開眼会が行われました。
金銅幡は仏殿の柱にかけられた金属の旗です。
長さ170センチ。
異なる模様をすかし彫にした4枚の銅の板に、金のメッキを施しつなぎ合わせています。
風で揺れると結びつけた鈴の音が仏殿に響きました。

蓮華残欠

大仏の前に飾られたのは蓮華残欠。
高さ30センチ。
池に咲く蓮をかたどった置物で、仏前に捧げる花の起源とも言われます。
花や葉は木製。
そこに黒い漆を施し金箔や銀箔を張り付けています。
細部まで凝らした趣向で大仏に華やぎを添えました。
開眼の日は、国内だけでなく海外からも一万人以上が集まりました。
人々を楽しませたのが伎楽と呼ばれる無言で演じる仮面劇です。
伎楽は飛鳥時代に朝鮮半島百済から伝わった大陸の芸能です。
登場するのは中国の高貴な女性やペルシャの王様。
インド神話の動物など国際色豊か。
役ごとに特徴的な仮面を被って物語を演じました。
正倉院展ではとりわけ人気の高い伎楽面。
今回は三つの面が出陳されています。

呉公

伎楽面・呉公。
当時の中国に行った後の国の貴公子です
顔全体は青色に彩色されていました
笛をたしなむ若く美しい男性だったようです
伎楽面力士悪者を懲らしめる役所です
目を大きく見開き鼻を膨らませ、下唇を噛みながら真っ赤になって起こる症状
大仏開眼家のために当時随一の腕を誇る職人が切り抜きで彫り上げました
実はこの力士面は修理されたもの
以前は左耳の上が剥がれ落ちヒゲの周りには虫食いの穴が開いていました
正倉院事務所では平成ご年から伎楽面の修理を行っています
担当したのは漆工芸家の北村茂さんです
使うのは1300年前にも使われていた素材
漆に効く酢を混ぜた黒ソール子です
およそ一年、地道な作業が続きました
こうして歴史の面は本来の姿を取り戻しました

割とこのディテールがね今このやっぱ堀のこの顔の肉の付け方とかもですし、血管のねあの拭いてんのがあったりとかなんかそういう表現がすごく力強い、そこまでするのかぐらいのちょっと印象を持ちますしたけど造形的なもう私は個人的には好きです

実は呉公の面も彩色の修理が行われています。
担当した亀井良子さんです
彩色では元の色に戻すのではなく
今の状態を維持することが目的だと言います

昔から古賀さんと思うよ持って伝えてきたものも次へ送るためにカカオ頂いてるっていうそういう仕事だと思ってます

正倉院に伝わる伎楽面は171年天平時代に伎楽は人気を博し、全国各地の寺院でも上演されます
異国の芸能は仏教とともにに根付いたのでどんどんどんどん新しい外来の文化が入ってきてきても
心がそっちにいる
何も変わってない1300年前と今も人間の考えることとかやることってのは
もう本当に何も変わってないと思います

右近さんはどうご覧になればの実際のお面拝見して

非常に何て言うかどういう人格なの買ったからわかりやすいですか、想像しやすいと言うか
良いか悪いかっていうことよりもすごい力強い人物だとか
エネルギーがすごい強いていう迫力を感じる
分かりやすい表現では芝居を作っていた
すごく想像できるんですよね
ストーリーは少しは分かってるしこのですね力というのはですね
この子と言われている女性をですね今守る役目なんですけど
この五条がですねこれは今論というですね
人物にこの言い寄られるんですよね
この力士がそんなことしちゃダメだいいことですね
今度もですねこうを懲らしめそして諌めるわけですね
早くに近い力だったんですね
仏の前でみんながこう楽しむという風なことでも
その楽しむっていうことと同時に
その一般の大衆に対して戒めっていう風なものですね
これは示して冬風ですね部分もあるんではないか
ただ楽しいだけでもないただ教えをまああのね
伝えるだけでもないんよ
なんかそういうこと的なものだそうですねは人々を楽しませるって
歌舞伎もそうですよそうですって改めて伺ってて思うのは
あの演劇とか芸能芸能って
言うのがその神と仏と神目に見えない力ととつなぐものは
常に存在として今日とすごく思いました
その言葉を超えてきたものだけれども
日本語で演じられるわけではないけれども
なんだかの子
メッセージを伝えることができるって
言うものだったのかもしれないですよね
あの分別くさくなったり何か説明臭くなることを嫌う一方で
伝えたい想いとか伝えたいメッセージ性は
非常に強くあったりするのがまあ僕が好きな歌舞伎なんですけど
でも楽しみながら何かを感じたり何かを考えるってのがまああのー
芸能演劇っていうものなんだろうなっていうふう
には思いますよね
これはの仮面ごめんと言う形になっていますかね
これがあの今回は出勤されているわけですけども
やっぱり演技する時に仮面をかぶる髪の毛といけないっていうか
これはなんかどういうような役割っていうか
あの仮面をかぶるっていうことは一種ですね返信するわけで
これ動物
に変身したり仮眠したいですね
いろんなものにするわけですよ歌舞伎はね
麺はつけないけどやっぱり乗りますもんね
半分お面半分
自分で半分自分ではないっていうような
バランス感覚だとは思いますけどね
性別もを超える女形という存在もありますし
そういう意味では
あの僕らもお化粧した自分というのは自分ではない
存在になってるものを鏡で見てそれごふんぐらい見て日常の自分
軸を超えた人物になっているって事認識してみたい
出てくっていう時間がある薬になるっていう
それはこうお面をつけた状態の自分を鏡で見てるのと
ほとんどしたし仁っていう感覚です
よって逆になんか神様とか
そういうものとつながるっていう意識であったんじゃないかな
っていうふうには思いますけどね

天平時代のファッション

続いては絵画のように多くの人達が集まる場では当時の人たちもおしゃれをしたんです。
装いに気を使いました続いては天平時代のファッション編です。

斑犀把緑牙撥鏤鞘金銀荘刀子

天平時代の貴族たちが身に着けたファッションアイテムがあります。
斑犀把緑牙撥鏤鞘金銀荘刀子。
長さ18センチほどの小さな刀。
紙や布を切ったり木片の文字を消したりするのに使った文房具です。
鞘は青く染めた象牙。
そこに鳥や植物など繊細な文様が刻み込まれています。
一方、赤い柄は朱い塚は貴重なさいのつの。
貴族たちは外出の際にこの小さな刀等を身につけて豪華さを競いました。
身につけるために使ったのが帯からぶら下げるための特別な組紐。
帯に通すなどを釣るこのスタイルは当時唐の役人の間で流行していたのだとか。
組紐の先は何本にも分かれ、通すだけでなく他のアクセサリーもぶら下げられるようになっています。

犀角魚形

その一つ大きさ4センチほどの腰飾り。
輪っかに紐を通して使いました。
素材はさいのつの幸運を象徴する魚の形に仕立て
金でウロコなどを描いた贅沢な逸品です
続いては大きさわずかにCMの鳥紐ではなく
衣服につけていたと考えられています
色鮮やかな鳥の頭や翼の部分には本物の鳥の羽毛を貼り付け
その上に金をあしらっています
おしゃれに気を配る天平の人たちが重宝していたものがあります
その名は裛衣香(えびこう)。
防虫効果のある香り袋です。
材料は人工野鳥事項など等で記された訳奉書に習って調合されています
国家珍宝帳にも裛衣香の文字が。
衣服に香りをつけるだけでなく文書や書籍の保管にも使われました。
正倉院事務所に面白いものが残っています。

裛衣香を模して作った正倉院で長らく使っていた防虫剤になります。

正倉院事務所では、明治38年から平成5年まで毎年裛衣香を作っていました。

これも一つの文化なので、残しておいたらあの役に立つ細胞中で困ったときのヒントになったりする場合もあるのであの後残してクリアしてあります

スタジオ

今日は正倉院事務所から特別に平成5年まで作ってきたという裛衣香をスタジオにお借りしてきました。ちょっと開けて香りを楽しんでいただけますでしょうか。

いろんなやっぱりブレンドされたような感じはありますね。ピリッとしているのと、沈んだような香りと甘い香りもする。

そうなんですけど
手元にあるのはお二人が生まれた年
いい男だと思って
今も嬉しくなっちゃったんだねわざとだったんです
ね賞味期限の切れた人間が賞味期限の切れたものを見たいな
今見てみると
実に色んな所におしゃれをね気を配っている様子が見えてきました
けれども

やっぱり細部に神は宿るとかって言いますけど、細かいところを楽しむ心ってのは非常に豊かで見てて楽しくなる。日常品日用品をおしゃれに楽しむっていう感覚って非常に大事だなと思うんですよね。これを僕達が見て美しいと思うこと自体が時空を超えるって事だと思うんすよね。この感覚が繋がってるんだなっていうふうに思ってなんか嬉しくなりますね。

先ほどねあのせんさんびゃく年前から
人間がやってることは変わってないっていう話とされてましたけど
我慢して本当にせんさんびゃく年前と感覚
関西建物が繋がってるわけですから
すごいことだとサイの角使ってた道具とかないのかね
やっぱ動物の一部を

こういう風なものは自分がそれだけ獰猛な動物ってものを倒すだけの力を持っていたんだとっていう風に、その周りに対して抗議するともう一つは逆にですね
その動物が持った力を、装身具が自分にその力を与えてくれていうマジカルパワーを戻してね
存在していたという風なことが考えられるんですね
いつからこういう動物の牙だとかあとはあのそのものに見られると
ノートすると金だとか銀とかあるよ
赤痢っていう風なもので作った寝具類ってのはありますけれども
それはやはりに権威の象徴であったりあるいはそういうものが自分たちを守ってくれる。ある意味邪悪なるもの払いのけるっていうようなそんな意味合いっていう風なものも持ったものとして装身具が発展して言ったっていう風なことが考えられるんですね。

仏教にまつわる宝物

奈良時代から受け継がれている大事なものといえば仏教です。続いては仏教にまつわる宝物を見てきます。

長さ54センチ。
孫の手を思わせるこの宝物は犀角銀絵如意と呼ばれる法具です。
ルーツはインド僧侶が手荷物豊富です
先端の部分はサイのツノ
唐の都では皇帝や貴族たちが税を凝らした臭い
を作らせました

東大寺本坊の奥にある天王田聖武天皇の坐像が祀られています
毎月2日天王殿では聖武天皇に捧げる法要が営まれます
手にしたのは
臭いそうとしての意義を正す邦画として今も使われています
いち台もう一つ古代インドにルーツを持つ宝具があります
鉄のさん個奈良時代に密教の儀式で使われたと考えられています
矢じりのように尖った先端すぐ下には鋭い返しがついています
本物の時のように鉄を叩き上げて作られています
地震の煩悩出るとか
外からのまざきですねいったものを馬振り払う道具としてですねば
こういった鋭い形の向きを回せるような生き方というのはですね
その効果が期待されたんじゃないかという風に言っております
こちらは収納するための専用の箱形に合わせて
ぴったりとハマるように作られています
鉄のさん個はこのケースにママかけ離れてきました
東大寺二月堂

修二会
天災や疫病を取り除き
人々の幸福を願って大仏開眼と同じ歳に始まりました
授乳の時にだけ使われるホームがあります
参考におと呼ばれるすずです
こちらは鎌倉時代に使われていたもの
持ち手の下真ん中がかけていますがその形は別の参考思わせます
天平の人々の夢や願いせんさんびゃく年の時を超え
東大寺に息づいています
鷲宮の映像を拝見してて形ではありますけども
人がその行為じゃないすか行為の電車だと思うけど
もう乗ってのも当時のものがずっと形を残している
現代に伝わってくるっていうのは
もう確実にダイレクトにその当時に思いを馳せることはできる
というかそのやっぱり過去
現在未来っての一つにし
直線状に繋がってるとこと相性感じる映像でしょね
仏教に関わり続けたいと思うし
周囲の人たちがそれを支えたいと言う気持ちがあったから
続いたってことですそうですね
あの人間の様々な音がいっぱい風なものが
そういう人々へ行動に繋げたんだろうとは思いますけれどもね
この今日の日常っていう風なものをですね
明日につなげたいをした国ですね
ささやかな願い
岐阜のものが
その祈りの根源にあるんじゃないかなっていうの私は思うね
あの山は今日どういう風にご覧になりましたね
やっぱりこういうものがある素晴らしいものがあることによっ
て時空を超えてその当時の人たちとつながることができると
しかしそのつながるためには
非常には私たちの講師やないところで
多くの人たちがその心を傾けて車持ってきたとのことで
こうやって今日幸せに
私たちはこう見ることができる
愛でることができるって言うことが非常
に高待とうということなんだくってことを
改めて感じさせられました
お子さんはね
普段からお仕事から
次の世代に伝えてるって
言う事も体で表現してらっしゃるわけですけど
今日一緒にこうやって正倉院宝物をご覧になって
どんな風に思われました
過去からの流れてもの自分たちを受け継いで受け継いで感動して
感謝して終わりではなくて
それを未来につないでいくって責任があるって言う事を
あのそれがつまり時代の流れであり
受け継いで語り継がれていくっていうことだっての
改めて自分でも実感しましたし思い直しました
そして最後に井上さんはこの正倉院展と言うのですね
ですね約せんさんびゃく年にわたってですね
伝来してきたこの子をもっといいものですね
鑑賞することができる年にたった一度のですねこれなんですよね
ご自分の目で確かめにいただければありがたいなと思っております
力を持ってましたねどうもありがとうございました