日曜美術館「光の破片をつかまえる- ヨコハマトリエンナーレ 2020-」

日曜美術館「光の破片をつかまえる- ヨコハマトリエンナーレ 2020-」

3年ごとに開催され、今年で20年の節目をむかえる現代アートの祭典・横浜トリエンナーレ。今回は30を超える国と地域から67組のアーティストが参加する。キーワードは「光の破片をつかまえる」。世界で次々と起こる破壊や抑圧、暴力とどう向き合えばよいのか。そのヒントとなる「光」をアートを通じて見つけ出すのはサヘル・ローズ、篠原ともえ、小野正嗣の3人。果たしてどんな出会いが待っている?

【司会】小野正嗣,柴田祐規子

初回放送日: 2020年8月30日

日曜美術館「光の破片をつかまえる-ヨコハマトリエンナーレ2020-」

これは光る蛇。宇宙船かも。出会うと心が動き出す。

3年ごとに開催される現代アートの祭典「横浜トリエンナーレ」がやってきました。

30を超える国と地域からアーティストが参加。

新型コロナの影響下、世界初の大規模な国際展です。

「ちょっと想像と違う動きするととってもチャーミングです」

体感する喜び。そして発見する喜び。

「光の破片だらけだね」

キーワードは光の破片をつかまえる。

でも光の破片ってなんだろう。

「光は一体何でできてるんだろう好奇心を持たずにはいられない」

混沌とした世界にどう生きるか。

そのヒントが見つかるかも。

イラン出身の俳優、サヘルローズさん。

普段からよく美術館に足を運ぶといいます。

「久々に現代アートに触れられる機会なのでとっても楽しみにしてました。今日の美術館は初めてなんです。とってもワクワクしてます。見えてきましたね。幕が張ってあって。これもアートなんですか。こんなこと言ったら失礼かもしれんけど、一瞬あの何かメンテナンス中なのかなと思ってしまったんですけど」

これはクロアチアのイヴァナ・フランケの作品。

グレーの布で覆われて闇に包まれたかのよう。その向こうに。

「なんかすごい。星の中に入ってきたみたい」

8メートルを超える巨大なモビールが現れました。

きらめいているのはアメリカの家の庭でよく見られる風が吹くと回転するオブジェです。

「万華鏡みたい。万華鏡の中を覗いている自分がその中の一つになった感じ。今すごいものに気付いちゃった。これって銃があったりとか、弾丸だったりとか。平和のマーク。いろんなことをこれ伝えてるのね」

作者はニック・ケイヴ。

白人警官による黒人への暴行から始まったロサンゼルス暴動をきっかけに、90年代から差別への問いを投げかける作品を生み出してきました。

「平和を奪ってしまいかねないような人間が使ってしまう武器とか、脅威的なものも光の中に散りばめられていて、そういう闇が光の一部になった時にこんな美しく見えるんですね。現代アートはとても苦しみから痛みを知った人達が作るとすごく意味があるものがたくさん生まれていて、そういう思いでたぶん作家さん達も、色んなことを伝えて生きたいんだろうな」

今年で20年の節目を迎える横浜トリエンナーレ。

企画を担当したのはインドのアーティスト集団ラクスメディアコレクティブ。

世界で次々と起こる破壊や抑圧、暴力などとどう向き合えば良いのか。

そのヒントを光の破片と名付け、アートを通じて捕まえようとしてきました。

ところ開催間近になって新型コロナウイルスの感染が拡大。

作家が来日できなくなったため、代わりにスタッフが仕上げの作業を進めることになりました。

運び込まれたのは中国の作家、チェン・ズーの写真パネル。

作家は写真が最終的にどのようにフレームに収まるのかを気にしていました。

「実際はめていく様子を、作業がどんどん進んでいくので、どんどん写真で送ってもそれに対して周りの縁はその後どうなるのっというような質問がきていて、回答が届いているというような状況です」

パラドックスの窓

家の中と外とが同じ明るさに包まれ一体となる《黄昏時》。

その美しさと不思議さを形にしました。

こちらはスウェーデンの作家インゲラ・イルマンの《ジャイアント・ホグウィード》

このセリ科の植物は19世紀に観賞用として中央アジアからヨーロッパに持ち込まれました。

人々を惹きつけたのは白く可憐な花。

しかし後に樹液が光に当たると毒を持ち、肌がただれることが判明。

駆除の対象となりました。

人間の営みによって美しさにも毒にもなる植物。

作り込まれた巨大模型はその危うさを映し出すようです。

鮮やかな色と形。

でもなんだかちょっと人の内臓のようにも。

人間の腸の中には無数の菌がいて善玉菌と悪玉菌によるドラマが日々繰り広げられているのだとか。

触ることで自然と体の中に意識が向かう作品です。

「ちょっと想像と違う動きする。とってもチャーミングです。この絵自分が誰かをマッサージしてるみたいな感じに」

アートは自分の表現の源だという篠原ともえさん。

どんな風に光の破片を捕まえるのでしょうか。

「これ何の絵なんでしょうね。パズルみたいにバラバラ」

バラバラにされているのは何とチベット仏教の智慧と慈悲を司る聖なる存在。

ネパールに生まれ仏教絵画を学んだツェリン・シェルパが投げかけるのは完璧なものに対する疑念です。

自分たちが絶対だと思い込んでいるものがバラバラで隙間だらけになって現れた時。

どんな新しい眼差しが生まれるのか。

「ちょっとこの辺りキャラクターっぽい。動き出しそうなキャラクターがいますけど。でも私はそのある一つの信仰に対して、もう一つの新しい答えを投げかけるっていうのは、アートだからこそできる表現方法だと思うし、いつも私自身も作品作る時はこれで満足。でももうちょっとやってみようとか。ゴールを決めないというのと、疑うその作品が本当に正解か。これで人の気持ちを本当に変えることができるのかっていう問いかけるようにはしてるんですよね」

篠原さんは今年デザイナーとして個展を開催しました。

届けたいものは何なのか。

自分の信念を確かめながらものづくりと向き合う日々を送っています。

「おそらくこの作家さんは、絶対を疑うって言うのはすごい信念を持って愛情込めて作って。だから私たちに届く。今まで美しいものを見て安心してたのに、逆に来バラバラになってるものを見た方が安心しちゃう自分がもしかして今後出てくるのかなって思えますね」

そして小野正嗣さんも会場にやってきました。

「体操の器具がいっぱいある。体操の道具だとするとこれは鞍馬ですね。でも一つしか無いから競技できないですね」

作者のタウス・マハチェヴァは体操王国ロシアの出身。

斜めになっている平行棒や、取っ手が一つ欠けた鞍馬。

器具はどれも奇妙な姿をしています。

あなたならできる。おまえならできる。

そこに飛び交う様々なフレーズ

親の顔が見てみたいね。

完璧な身体を追求する中で投げかけられる言葉は何をもたらすのか。

それぐらいわかるだろ

くだらないこと言わないで

そのことだけは一人前なんだから

歪んだ体操器具が並ぶ中で飛び交います

隣の子はもうできてるのに

誰だってできるでしょう

こんなことあの子を一度でできたのに

「大学で教えているじゃないですか。言っちゃいけないことが出ていますよ。だからこういう教員が学生にかけてはいけないNGワード集みたいな。だから美しい身体とか美しい動作とか、人間が持っている身体能力の究極の可能性みたいなの追求するとそれが最大限に発現されるっていう事は善であり美であるとしたら、それを作り出すためにこれほどの闇の言葉がネガティブな言葉が投げかけられてるかと思うとちょっとつらいですよね。そうやって引き出される光は果たして美しいと言っていいんだろうかっていう風に戸惑いすら感じます。怖いなぁ。耳を抑えたいぐらいですね」

篠原さんはどうですか。

「怒られてる。急に優しくなってる。今八割ひどいこと言われて二割優しいこと言われたら。いろんな嫌なことが言われたとき、いたくないって正直思ったんだけど、優しい言葉かけてもらったらもうちょっと思った自分。その言葉のミックス。いい言葉と悪い言葉のミックスが、ここに何かいさせてくれるちょっと中毒性がある場所だなんて思いますね。可愛いから許すといわれたら居ちゃうじゃないですか。そのランダムさがちょっと心地よくなってきますね」

サヘルさんも耳を傾けます。

「私は母親から言われた言葉が多くて。それは私はすごく弱い人間なので。母からもっと強くなりなさいもそうだし、ふらふらしちゃいけなかったりとか、あなたのためよもそうなんだけれども、母が出てきた。この部屋に入ってきたとき。それは自分のトラウマでもあるかもしれない。その言葉によって本当はそうなりたいんだけどなれなかったりとか、でも小さい時は一番苦しい時にこの言葉聞く時はすごく寂しかったけど、大人になって今アートを通して聴くと、それは傷つけようとしていた言葉じゃなくて、強くなってもらいたいという心のも入っていたって思う」

僕が一番よくわかってんだよ

あなたのためよ

無責任だなぁ

君は一体何が出来るって言うんだ

大丈夫そんなことだろうと思った

きみらしいね

ならもうやめるわ

本当にわかってる

何もわかってないな

期待してるよ

もっと高く

早く

頑張って

見るものの内面を映し出すかのようなアートの数々。

サヘルさん何やら暗い部屋に入ってきます。

「倉庫かとおもったら違う。不思議。何これ。一瞬舞台のセットなのかなあと。切り絵のような立体切り絵。光を当てて行くと物語が動いてる感じがすごくしてて」

薄暗い部屋の中、次第に浮かび上がってくるのは南アフリカ出身のレボハング・ハンイェが家族アルバムから切り抜いた写真。

見るものを取り囲み

視線を投げかける個人的な家族の肖像です

舞台のように並べることで

人種隔離政策で

自由を奪われた黒人の歴史へと

イメージが広がって行きます

彼らが生きた時代っていうのは本当にすごい

多分目で見られただろうし

動かなかっただろうし

言葉の暴力出演

暴力というものにもあった

と思うんですよね

今ここで出すことによって変わって

人から

ずっと見られることの私は

優しさまで走って強さもあって

そういうことを問いかけてくれている

サヘルさんはイランで家族を失い

八歳の頃養母と来日しました

日々の暮らしままならない中国籍が理由で

壮絶なイジメを受けていた時期もあった

と言いますちゃんとた種は自分

の過去を大切にしていて

過去ではなくする現代にちゃんと伝えている

それは痛みを乗り越えられた人たちだからこそ

生み出せるアートなんじゃないかなって思います

信念を込めたものづくりが

時に危うい側面を持つこともある篠原さんは

そんな作品に出会いました

なんだかこえら

なれるように来てしまいましたけど

すごい数ありますね

アラート死ぬかと思ったんですけど

来れないかもしれないですね

この丸の中に

繊維のようなものが入ってるんですよね

指紋にも体にも見えたもの

それは千人針でした

戦時中女性達が布に

一針ずつ赤い糸で玉結びを

施し出征する兵士に送ったお守りです

新井隆はこれらを買いたいし

玉結びをひとつひとつにヶ月かけて

せん個の小さな銀板写真に納めました

今日はこの薬品のたくさん出る頃願いします

まるで人の個性のように

形が違うのが面白いな

と思って追いかけてくるんですよねこの

ここが言葉を話せるように

その戦争に対することとか

自分の愛する人が入ってしまう

込められてくるのかすごい実は最初はね

あの稼ぎ手を食べたくないって言うので

お母さんだったね

家まで案内した家が

携帯取られませんように

言っていうノリで来たらしい

それはいつのま

にか旦那の弾除けになって

最後はその国が推奨して

あの組織的につけるなら

そこにはもう

誰かに送っていうのはもうなくなっていて

それ最初と最後は全然変わってしまってるんだ

思いの集まりがどんどん

それが組織の中に入ってしまったんですが

元々の意味ですとかそれ

から作ってた人の元々の思いっていうのは

多分非常に高なポジティブって

ゆうかかえがたいのりって言って

これは多分光だと思う

それがその中の中に取り込まれていた時に

すごい集合体として何かこうとくわらち始める

もしかしたら

星に持ってるかもしれない自分でも

きっとこの睡眠バレッタ検証があったと

その時代に生きてたら

きっとすごい夢中でやっていたし

それにきっと効果があるって信じてたんだ

と思うんですよね

自分が行って嬉しい

これに何か力があって後

それを実際に戦地に持っていくって

私は行けないけどせめて一緒に

なん

だか不思議な人がいます

今日は暑かった実は

小野さんあるワークショップに

参加していたんです

それはこんにちはこんにちは

あのと申します祝いと申します

よろしくお願いしますよろしくお願いします

helloということで

今日はあの今井さんの指示に従ってですね

ゴミを持ってき

ましたかいただけた一番大きいゴミも

ここにいますけど

よろしくお願い

岩井優は洗浄や清掃という行為を通して、綺麗や汚いといった人々がいつのまにか決め付けている価値観を揺さぶる作品を発表してきました。

「これが元々の紙袋型のマスクになってるんですけど、パッケージとか紙を使ってこのマスクをカスタマイズしていただく」

このワークショップは福島での除染作業の経験から発想しました。

マスクは自分の身を守るもの。

それをゴミを使って飾る。

「作業していると黙々と制作してしまう」

「空けたらチョコレートいっぱいありますよね。ギミックで勝負」

そしていよいよ。

来館者が行き交う中で奇妙なふたり。

「これってね結構暑くなってます。それ息苦しくなってくる。視野が限られてるから作業に集中できます」

このワークショップには一般の人も参加しました。

それぞれがマスクを作って身の回りで掃除。

その体験をオンラインでシェアします。

傍から見ると変な人じゃないですか。自分の他にもいると思うとほっとしました

小野さんは何を思ったのでしょうか。

「公共の場所とか掃除してると自分の心が軽くなる。自分の内面のある夾雑物っていう

ものが取れていくっていうような感じもします」

「それがこの空間だったらいいんですけど、これが人とかに向かうとすごいことになっていく。僕は学生時代の時にサラエボとかにいったのですが、民族浄化。あれもエスニッククレンジング。清掃と結びついている訳で、何かを汚いというに見た場合にどこに接続されていくとより暴力的になるのかとか、あるいは自分の安定とか安寧に向かうのかっていうのは人それぞれだし、いろんな議論をしていかないと危ないのかな」

「マスクについてるいろんなものたちが、何時からゴミになるかという境界も曖昧だし恣意的に作り出されている。日常の中で当たり前になってしまってるルーティン化してる行為が視点を変えることによって見え方、風景が変わるから。実際マスクの穴から見た風景はいつもの風景とは違ったずらされることを感じます」

篠原さんは気になる作品に出会ったようです。

「日用品だったり使ったものから包まれて

日々みたいに起こしてます

あの光ってるのどうして光ってるんでしょうかね。不思議

光るクラゲの遺伝子が組み込まれた発光する絹糸。竹村計は壊れてしまった

思い出のある者たちをレース時の薄い布で包み

壊れた部分に輝く絹糸を施しました

ほのかな光によって

かつてそこに存在した時間や

思いを再び浮かび上がらせます

鍵とかいいですね私この過激ですね

ちょっと影っての前に使ったりとか

物語がきっとあるのでそれが壊れてしまった

でも捨てるしかないんだけど

何か施したいって

優しい衣が絡まってるのが私好きですね

私もこう昔使ったこう

派手なアクセサリーとかも捨てたくない

でも多分使わない

どうしようと思うんですけど

ものってそれこそ捨てたら

消えると思いがちなんだけど

その自分が嫌なものを捨てたっていうことが

結局残るからなくならない人の縁と一緒で

自分で切ろうとしても切れなかった

出たから私は今

ここに来て

本当に残るものって何なんだろうって

今思えましたね物って

全部を吐かないし

いつか捨てなきゃいけないものだから

本当に残るものって何なんだろうって

でもそれが重いだったりするのかな

今回はその光届くとか闇とか

暗い部分もテーマになっていたと思うんです

けどもしかして私

そういう強いものに

目をつぶろうとしてる自分

がいるんだなっていう風に思いましたね

だからこう強いものがあったら

バリアを作る自分がいるんだってことが

すごくわかった

まさにそのあなたの喜びとか

光の破片はここなんじゃないのっていう

靴振られた感じはありますね

特に私慶間てたってだけどそこはちょっと

なるべく触れたくないんだけどばれちゃったか

そういう嬉しさと

恥ずかしさも体験できた時間でしたね

最後にサヘルさんを迎えたのは

遠い記憶を思い起こさせるようなものでした

木のぬくもりがすごいすね

こっちから見ると完全にこちらは船ですよ

拗ねて途中からそこでテーブルに

突っ込んだかのような融合させる一言

仙台出身の青野文昭が

きゅーじゅー年代から

一貫したテーマにしてきたのは

直すという行為

浜辺に漂着した船と使い古されたテーブル

使えなくなった者同士を結びつけ

新たな形を生み出してきました

東日本大震災を体験しさらに深く直すと

いう行為に向き合うようになりました

なんだろこれ色んなタンスを繋げてるんですね

見て自転車が入ってるの

エコレール自転車のところを切って

半分になったところから

下の部分と繋げてるんだよ

すごい大家族参加しときだね

壊れてしまった

これらのタンスを使っていたで

あろう家族の姿

青野は新しく生まれた形の中に

かつて存在した暮らしの気配や

記憶を刻み込みました

ana東北の時に三ツ沢の炊き出しに行って

ボランティアで行って

そこでその津波で家族を失った姉妹と

友人になったんですね

で定期的に会いに行くたびに

こう言う人々の生活

をしていたものが

本当に泥で水夏にあった

本当破壊されたボロボロで

一生懸命残された人たちが

空手も一回みんなここで住めるように

ここを再生させたいって

思っている子達の顔が出てきたんですよ

きっとこういう展示を見て

あの時はそこで見た光景を思い出し

ながら人が自分たちを復活させようと

同じようにこの作家さんが作ってくれる

使えなくなったり

捨てられていたものをもう1回集めて

一つの命として孵化させてくれる

ことによって可能性もそうだけれども

光の希望という部分での光よ

一つの作品の中からまた感じる

ことができます

人形光って多分

辛いものでしかない人もたくさんいるんですよ

それだけに困ること

またでもそれも彼らにとって

蛇にも一つの光だからうんだからこそ

その光が持つ意味を自分の中で

どう言った光が

自分が感じる光なんだろうって気づくこと

というのも

大切なんじゃないかなあと思う

河西あみはすごい自分の中で光でした

ちっちゃいから私が今ね

いまだに皆さんがキラキラ光よりかは

私はそこにひとすじの光が嫌味が持つ私は

通夜が光なんですよね

私とくしゃみが未だに光です

忘れた私の光失いたくない